2017.04.07
東日本大震災を経験した人たちの「言葉」を集める――新しい文芸誌の創刊に向けて
ある文芸誌への投稿作品の下読みで、東日本大震災の経験者の作品に出合った文芸評論家の藤田直哉氏。技術的には洗練されていないし、高度でもないが、そこには「リアル」の手触りとしか言いようがないものがあったという。そのような「リアル」な言葉を集めるために、新しい文芸誌を創刊する藤田氏にお話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)
――藤田さんは「文芸評論家」ということですが、文芸評論家というのは普段どのような仕事をしているのでしょうか?
多くの人の目に付く具体的な仕事としては、書評を書いたり、まとまった量の文章を書いて発表するということです。実際にやっていることはと言えば、ひたすら読んで、考えて、書いています。
ただ、仕事としてというよりは、生き物として文芸評論家がどういう存在なのかと考えると、ただひたすら読んで考えて書く、そういう生き物です。
「これは書かれなければならない」と思ったことを書いたり、状況に介入することを通じてより良い方向に物事が変わっていってくれることを願う、というような存在が、多分、評論家とか批評家と呼ばれる者なのだろうな、と思っています。
「評論」や「批評」を通じて、同時代に介入することで、自分が信じるより良い未来を引き寄せようとする側面もあるんですよ。
――そんな藤田さんは現在、新しい文芸誌を創刊すべく、クラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/24404)に挑戦中です。文芸評論家が個人で文芸誌を創刊する、というのはよくあることなのでしょうか?
「個人」で「文芸誌」に限定せず、複数人で、文学・思想の雑誌を創刊し責任編集を行うという点で言えば、有名なところでは、江藤淳の『季刊芸術』や吉本隆明の『試行』など、多くの例があると思います。
ただ、これらは「同人誌」なんですね。クラウドファンディングで文芸誌を創刊、というのは、あまり例がないかもしれません(笑)。この方法を採ることで、どんなことが起こるのか、期待と不安の両方の気持ちが、正直、あります。
――新しい文芸誌は、「東日本大震災を経験した人たちの言葉」を集めたものとなるとのことです。
東日本大震災とそこから続くさまざまな経験の中で、多くの人たちが言葉にできない思いや考えを抱き、抱え込んでしまっていると思います。そのような、容易には言葉にならない言葉を、なんとか集めていきたいのです。
簡単には言葉にならないような複雑なこと、人に言ってもどうせ伝わらないと思って口にするのをためらってしまうようなこと。とても孤立していて孤独ではあるけれども、決して消えてはならないような言葉が、きっとあるはずだと思うんです。
震災によって変わってしまった人生そのもの、世界観や人生観、あるいは科学観や歴史観、そして死生観などなど、人びとの心の奥底にしまい込まれているドラマを表現するような言葉、そんな言葉を、新しい文芸誌ではひとつずつ丁寧に掬い取っていこうと考えています。
――なぜ、そのような文芸誌が必要だと思ったのでしょうか。
そのような言葉があまりに少ないと思ったからです。潜在的に多くの人たちの心にあるはずなのに、僕たちの社会はそれをまったく受け止められていない。少なくとも「文学」としては、それほどたくさんの数の作品が発表されていません。
あるいは、文芸評論家にとっての飢餓感と言ってもよいかもしれません。「事実」「現実」「真実」に触れた人のみが語りえること、言葉というものは確実にあるはずなのに、それに触れることができないという飢餓の念です。
東日本大震災と、それに続く津波や原発事故、仮設住宅暮らしや復興。そうした出来事を経験していない県外の人間にとって、いずれも、どのような体験として理解していいのか、どのような感情を抱けばいいのか、簡単にはわからない事柄です。
こうした事柄にどう接近すればよいのか? どうすればその一端でも理解できるのか。いろいろな方法論があるのでしょうが、僕は「文学」という形式こそが、もっとも可能性のある方法のひとつだと確信しているのです。
――文学によって、東日本大震災をめぐる声を集めようと考えたきっかけはあったのでしょうか?
きっかけはいくつかあります。一番大きなきっかけは、文学新人賞の下読みで、被災した当事者の書いた小説を読んだことでした。
技巧的には決して優れたものではなかったのですが、描かれている震災体験の細部の生々しさは、文字通り息を呑むほどのものでした。少し抽象的な言い方になりますが、どんな意味にも物語にも回収されないような、「ごろっとした事実」のようなものに触れた気がしたのです。それほど鮮烈な体験でした。
残念ながらその作品は受賞には至りませんでした。しかし僕はそのとき、こうした作品を掲載できる文芸誌をつくりたいと、とても強く思いました。
二つ目のきっかけは、津波が襲った地域や、原発周辺のお話を人づてに聞いたことにあります。そこでは、あまりに生々しく、どういう風に解釈していいのか分からないこと、哀しいことも滑稽なことも、崇高的なことも理不尽なことも起きていました。
人間が何かをする、あるいは何かを経験する、そのとき感情や思考が伴います。その感情や思考を表に出すことが、文学の重要な役割のひとつであるはずです。しかし、震災後の文学は充分にそうした役割を果たしていません。このことは、文学という制度の側に何か不足があることを意味しているのではないでしょうか。
三つ目は、今の話と通じるのですが、震災後の純文学作品を読み続けことにあります。これは編著の『東日本大震災後文学論』にまとめることになりましたが、震災後の純文学は、メタフィクションSFの構造を用いた「ポストモダン・ファンタジー」の構造を用いるものが多くなりました。
ポストモダン・ファンタジーというのは、ぼくの造語ですが、「現実」や「事実」から遊離した記号や虚構の世界に生きていることを自明とした「ポストモダン」感覚の中に、現実・社会の問題を組み込んでしまい、ある心理的な解決を読者に与えてしまう作品のことを指しています。
それらの作品には僕も多くの影響を受け、論を書いてしまったほどです。しかし、それだけでは限界を感じざるをえないというのも事実です。徐々にポストモダン・ファンタジーの限界を超えたいという意識をもつようになりました。
そして、「人間の真実」や「リアリズム」みたいな、古臭い(かもしれない)文学の言葉の有効性に賭けてみたくなったのです。
――震災をテーマもしくはモチーフにした文学では、2013年に芥川賞の候補にもなった『想像ラジオ』(いとうせいこう)や、原発事故でも『献灯使』(多和田葉子)や『持たざる者』(金原ひとみ)など、プロの作家による作品がすでに少なくない数、出版されていますね。そんな中で、当事者の言葉にこだわる理由はなんでしょうか?
想像力によって書かれた作品、あるいは、来訪者の立場から書かれる作品は、もう充分に世に出ていると感じています。ご指摘いただいた作品は、それぞれに優れた作品だとは思いますが、やはり限界があるのも確かなのです。
そう思った具体的なきっかけとなったのは、小森はるかさんという映像作家の『息の跡』という作品を観たことでした。
小森さんは、震災後、宮城県に移住しています。そこで、丹念に周囲の人々と関係性をつくって、復興していく土地に開業した種屋さんの姿を写し続けたドキュメンタリー作品をつくられていました。
なんというか、そのリアリズムの手触り、細部に、圧倒されたんです。そこに「人間が生きている」ことそのもの、プロの作家であっても想像力で描くことができない「リアル」としか言いようのないものがあったんです。
ぼく自身は震災後、被災地に「観光」あるいは「ネタを拾いに行く」ような態度を拒否し、頑なに「現地に行かない」「当事者にはならない」立場でいようと考えていました。しかし、そうした覚悟のようなものが、小森さんの作品によって反証されたように感じました。
「ごろっとした事実」、「リアル」としか言いようのないもの、そういう言葉を求めるのなら、移住して、丁寧に人に寄り添いながらつくるしかなかったのだ、そうすれば、小森さんのような作品がつくりえたのだと。
それ以来、『東日本大震災後文学論』の編著をしている最中も、「移住して文芸誌をつくりたい」という思いにずっと駆られてきました。公に流通しないような、生きていることの事実性そのものを示すような言葉がない、と文句を言うのはたやすいし、何より怠惰だと痛感するようになった。
小森さんのように、人びとの中に溶け込んで、内面に触れていくやり方によって、何かを公に発する手伝いをするべきだったのだと、痛切な反省の念に駆られました。
――とはいえ、そもそも「素人」に文学作品が書けるものなのでしょうか?
書けないかもしれません。
しかし、「うまく」書けるものなんていうのは、ぼくはあまり信用していません。プロの作品であれ、どんな芸術であれ、ぼくが作品を判断するときの基準にしているのは、既存の表現では不可能な何かを表すために、他から与えられたのではない技術なり文法なりを発明しているのかどうか、です。
すでにある認識の枠組みや、世界観、言葉をなぞって表現すれば、いくらでもうまく言葉にすることはできるし、そんな作品をつくることは簡単なんですよ。しかし、それは文学の言葉ではない。文学の言葉というのは、これまでに言葉にされたことのないことを言葉に変換する、苦行のような創造行為の中にしかありません。
それは苦行としかいいようのない行為です。ですが、似たような何かを抱え込み、言葉にしたくてもできない多くの人たちが、その言葉の発明によって救われるかもしれない。そのような言葉によって、概念なり想いが初めて世に広まり、人びとのあいだで共有されることになるかもしれない。それこそが、文学がもつ「力」なんです。
だから、うまい必要なんてないんです。未知の何かを言語にしようとする営みが、うまいものであることは稀なことです。うまくあることよりはむしろ、経験や思考や感情の「真実」を、徹底的に正確に記述しようとすることの方が、はるかに重要だと僕は思っています。
――ただ、書くことによって、癒えかけた悲しみを思い出してしまわないでしょうか?
それはあると思います。強制的に思い出させる行為は、ある種の暴力なのかもしれません。「そんなことをする権利がお前にあるのか」という問いを自分自身にするとき、いつも立ちすくんでしまいます。
しかし、思い出すのは、きっと悲しみだけではないはずなんです。「リアル」や「人間の真実」は、決して悲しいことや陰惨なことばかりではないはずです。
たとえば、この企画を考えるために、ノーベル文学賞作家・アレクシェービッチの書いた『チェルノブイリの祈り』を読んだんですよ。これは、チェルノブイリの事故に関わった人たちにインタビューしてつくられた本です。
この本の最初に置かれたエピソードは、「愛」の話です。
チェルノブイリの火を消しにいった消防士の夫が被曝して死んでいく壮絶な話で、身体の描写はグロテスクですらあるんですが、その夫を愛する彼女の姿は感動的だし、その語り口は恋のそれです。
中には、滑稽なシーンもあります。医者が「中枢神経系が完全にやられています」と言ったとき、彼女は「まあ、いいか、彼はちょっぴり神経質になるんだわ」と答えるんです。悲惨と滑稽が同居している。
ぼくはこれを読んで、ここにも、どんな意味にも回収できない「人間の真実」を見たような気がしました。意味に回収することが困難な、ごろりとした細部の手触りがそこにあるような気がしました。
このエピソードは、分かりやすい政治思想があるものでもないし、センセーショナルでもないです。むしろ、矛盾や葛藤を含みこむ、人間の姿がそのままある。
書くということは、対象化し、言語化し、経験の意味を理解しようとする営みです。震災という経験を精神的に咀嚼し、簡単には解決のつかないさまざまなことを、解決がつかないままに対象化し、距離を置くことです。決して悲しみに呑み込まれてしまうことと同義ではないはずです。
――新しい文芸誌はどんなものになりそうですか?
冊子としての文芸誌に留まらないようなプロジェクトになるのだろう、という予感はあります。
ただ、事前に「こういうものにしたい」ということを想定しておくと、その想定を超えた言葉や事態に対する感性が鈍ってしまうと思うので、今はまだ意識的に漠然とさせています。ぼく自身が、これから訪れる様々な出会いの中で、変化しながら、必然的にこうしかないという形に辿り着くしかないものだと思っています。どうなるのかよくわからないというのは、不安でもあるのですが、楽しみでもあります。
最低限言いうるのは、どんな言葉であれ、その言葉が発せられるという「事実」「真実」を可能な限り尊重するような文芸誌でありたい。そして、ぼくの雑誌ではなくて、支援してくださった方や寄稿してくださる方みんなのものであって欲しい。
一番重要なのは、言葉を発してくださる方々です。どういう言葉を発したいのか、それ次第ですべてが変わります。
――文芸誌が完成した暁には、どんな人に手にとってほしいですか。
震災の意味を理解しようとするすべての人に読んで欲しいですね。それが何だったのか、精神的、あるいは思想的、あるいは霊的な意味の次元において、震災という経験の理解を試みた人々の内奥の軌跡は、きっとそれを読んだ人たちに何かをもたらすはずです。
さらに言えば、非当事者――ぼくのような――こそが読まなくてはならないのではないかと思います。多分、プラスであれマイナスであれ、ステレオタイプで想像しているイメージの部分が「非当事者」には多いと思うんですよ。しかし、そうではないような「現実」「事実」「真実」に触れることで、そのイメージが裏切られ、より正確なものに近づくことがきると思います。
復興を考える人や、未来を構想する人たちにも、ぜひ読んでいただきたい。流通しにくいがゆえに無視されがちなそれらの「現実」「事実」「真実」を欠いては、きっと復興も空虚なものになってしまいます。今現在、実際に生きている人間の真実の姿を正確に見つめ、その小さな声に耳を傾けることが、より良い未来のために必要なことだと確信しています。
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