2025.06.16

「夕張ショック」と「運用部ショック」(その1):日本はギリシャになれるのか
「日本がギリシャにならないために」。そんなフレーズが流行ったことがあった。今から15年ほど前、民主党政権の時のことだ。
その後、政権交代があったこともあってこのフレーズはあまり聞かれなくなったが、長年にわたる地方創生の成果なのか、永田町という町で最近見事に復活したようだ。石破総理は「日本の財政はギリシャよりも悪い」という自身の見立てを国会で問われ、その認識に誤りはないとの見解を改めて表明している(6月9日の参議院決算委員会)。
もっとも、その数日後に石破総理は全国民に2万円の給付を行うことを自民党総裁として党側に指示している(子どもと低所得者についてはさらに2万円上乗せ)。もし破綻寸前の国で一国の総理が消費税1%分に相当する給付を行うことを表明したら、その瞬間に「国債暴落」が起きてもおかしくないから、通常であればこのような指示をすることはためらわれることになるだろう。
そうなると、「ギリシャよりも悪い」という見立ては、はたして額面通り受け取ってよいものなのかという疑問がわいてくる。2万円の給付金というニュースが流れても国債市場に大きな変化はなく、その後長期金利はやや低下気味に推移したから、そうなると石破総理の見立ては市場から十分な信認を得られていないのではないかということにもなる。ギリシャ国債と日本国債の格付けをながめても、疑問は解消しない(長期金利の推移と格付けの状況については後述)。
となれば、「日本の財政はギリシャよりも悪いのか」、「日本はギリシャになることができるのか」ということを、一度まじめに考えてみるほうがよさそうだ。日本がギリシャになれないのなら、「日本がギリシャにならないように」と言ってがんばるのは「無理ゲー」ということになるし、ギリシャを引き合いに出して国会で論戦を戦わせることのコスパ(費用対効果)も、いたって低いということになるからだ。
はたして日本はギリシャになることができるのだろうか。以下ではこのことについて考えてみたい。
ソブリンリスクと「貨幣高権」
欧州債務危機の頃には「ソブリンリスク」という言葉をよく見かけた。ではこの場合の「ソブリン」は、いったいどのような意味を持つのだろう。ソブリン債というのは国債あるいはそれに相当する公共債(政府機関債など)のことを表すという説明を聞けば、ひとまずわかった気にはなる。
だが、それでは「ソブリン」という言葉のもつ「主権」というニュアンスが欠けてしまう。主権というものを領土について考えると、ある地理的な範囲の土地を排他的に統治する権利ということになるが、となるとソブリンリスクの「ソブリン」には、通貨を独占的に鋳造し発行・管理する国家の権能、すなわち貨幣高権というニュアンスが含まれていると解することができるだろう。
そうなると、欧州債務危機における「ソブリンリスク」というのは何なのか、各国が発行している国債をはたして「ソブリン債」と呼んでよいのかということについてやや疑問が生じる。というのは、ユーロ圏の各国には独自の通貨を発行する能力がないからだ(通貨発行権はEUに移譲され、ECBが金融政策の運営を担っている)。独自の通貨発行権を持たない国が発行する国債というものは、いったい何なのだろう?
ギリシャは「ユーロエリアの夕張市」
今から19年前、2006年6月20日に北海道夕張市の後藤健二市長(当時)は市議会の冒頭で、地方財政再建促進特別措置法に基づく財政再建団体の指定を国に申請することを表明した。一般の企業でいうと会社更生法に基づく更生手続きの開始を裁判所に申し立てたのと同じような状態になる。これがいわゆる「夕張ショック」だ。
なぜここでいきなり夕張市の話が出てくるのかと思われるかもしれないが、ユーロという単一通貨のもとにあるギリシャと、円という単一通貨のもとにある北海道夕張市は、実は同じ位置関係にある。もし仮に日本国(中央政府)が破綻寸前という噂が広がって国債が暴落しそうだとなれば、ひとまず日銀が国債を買い支えることができる(もちろん、そのようなことをすることの得失や是非については別途議論が必要)。
だが、19年前の夕張市についてはそうはいかない。日銀は個別の自治体の事情を考慮して、その自治体が発行する地方債を買い入れることができないからだ。リーマンショック後に日銀は社債の買い入れを始めたが、その際にも買い入れることのできる社債は、日銀のバランスシートに毀損が生じることのないよう信用力の高いものであることが求められていた(当初は格付けがA格以上のものに限られていた)。
ギリシャについても事情は同様である。欧州債務危機の際に「PIIGS」と呼ばれた各国(ポルトガル・イタリア・アイルランド・ギリシャ・スペイン)の資金繰りを支援するために、間接的に資金供給を行う枠組みは存在していたが、ギリシャ国債を無制限に買い入れるといった対応はとられていない(ギリシャ政府の要請に基づいてIMFとEUによる金融支援が行われたが、これは夕張市が発行する地方債(再生振替特例債)について総務省と北海道庁がとった措置(地方債の消化と金利負担に対する支援)と同様のものと解される)。
ギリシャと夕張市は財政運営のための資金の多くを域外からの調達に依存していたということでも共通点がある。これに対し、日本国債の保有者のうち海外(各国の中央銀行なども含む)の保有割合は7%に満たない(国庫短期証券については海外の保有者が5割を超えているが、国庫短期証券は短期の資金繰り債である)。
これらのことを踏まえると、危機が起きた際のギリシャと対比すべきなのは、日本国(中央政府)ではなく破綻時の夕張市だということになる。ギリシャはユーロエリアの夕張市であり、ギリシャ国債は実は「地方債」なのだ。となれば、日本の自治体はギリシャになれるかもしれないが、日本国(中央政府)はギリシャにはなれないという筋合いになる。
なお、夕張市とギリシャは財政危機が発覚した際の事由という点でもよく似ている。夕張市の破綻の原因は大規模な観光開発のために支出が膨らんだことなどによるものであるが、財政危機への対応の先送りを可能にしたのは一時借入金による会計操作であった。ギリシャ危機の原因は社会保障費の増大や公的部門の肥大化などによるものであるが、危機の端緒となったのはユーロスタット(欧州連合統計局)への財政赤字と政府債務残高の過少報告であった。
日本国(中央政府)の財政運営についても財政制度はものすごく複雑であり、特別会計間のやり繰りや短期の資金繰り債を利用した会計操作が行われているとすれば不安になるが、「日本の財政状況はギリシャより悪い」という見解を表明している石破総理も、財政統計の粉飾はないとの説明を国会において行っている。
ギリシャがそうであったように、実際に粉飾決算が行われているのかどうかは後になってみないとわからないところがあるが、以下ではひとまずそのようなおそれはないものとして話を進めていくこととしよう。
格付けによる評価の確認
企業の財務状況や信用力を把握するためには格付けを確認することが役に立つ。となれば「日本の財政状況はギリシャより悪い」という見立てについても、格付機関による評価を確認することが有益であろう。
そこで、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)、ムーディーズ、フィッチ・レーティングスの3社による日本とギリシャの信用格付けをみると(ギリシャについては統計の不備によって格付けが変更される前の時点の格付けを採用。日本については最近時点のもの)、日本国債、ギリシャ国債の順にS&PがA+とA-、ムーディーズがいずれもA1、フィッチがAとA-となっている。
もちろん時点の違いのために評価の基準がややずれる場合があることには留意が必要となるが、これを見る限り日本の財政状況がギリシャより悪いという明確な根拠は確認できない(しかも、ギリシャの格付けは財政に関する統計の不備が発覚する前のものであることに留意)。なお、現時点におけるギリシャの信用格付けはS&PがBBB、ムーディーズがBaa3、フィッチがBBB-となっている。
「外国格付け会社宛意見書要旨」との整合性
石破総理の答弁では、日本の財政状況がギリシャより悪いという判断の根拠として、日本の政府債務残高対GDP比がギリシャを上回っていることをその理由としてあげている。だが、過去の経緯を踏まえると、この対応は適切なものとはいえない。
財務省が2002年に格付機関に送付した意見書の要旨によると、「格付けは財政状態のみならず、広い経済全体の文脈、特に経済のファンダメンタルズを考慮し、総合的に判断されるべき」ものとされている。これらの要素についてどのような判断をするかはそれぞれの立場によって異なるが、日本の財政状況がギリシャより悪いという判断の根拠として、特定の財政指標だけに着目するスタンスをとると、格付機関に送付した意見書との間で著しい齟齬が生じてしまうことになる。
なお、「日本の財政状況がギリシャより悪い」という話をする際に政府債務残高対GDP比を利用する場合には、日本の政府金融資産残高が諸外国と比べて顕著に高い水準にあるという点をきちんと考慮する必要がある(G7ではカナダについても同様)。
IMFのWorld Economic Outlook Databasesをもとに日本の一般政府ベースの政府債務残高対GDP比を確認すると、政府金融資産残高を考慮しない総(粗)債務では248.3%であるのに対し、純債務では149.5%となっている(2023年度以降のデータは推計値なので2022年度のデータで表示)。
2009年時点のギリシャについては純債務のデータが公表されていないため直接比較をすることができないが、政府債務残高対GDP比をもとに財政状況の国際比較をする場合には総(粗)債務だけでなく純債務のデータを併せて確認することが必要となる。
[(その2)に続く(近日公表の予定)]
プロフィール

中里透
1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。