2018.02.27
教員免許制度は不必要か?――日本に雑に伝わった教育経済学の議論を再考する
こんにちは、畠山です。この記事はやや長いですが、構成は下記の通りになっています。教員養成にだけ興味がある方は1から3を、教育経済学にだけ興味がある方は4を、国際教育協力にだけ興味のある方は5を、全部に興味がある方は全部お読みください。
「0.はじめに」、「1.教員免許は不必要?」、「2.教員免許は不必要、なわけではない」、「3. 教員養成は中身が大事」、「4. 教育経済学がまだまだ発展途上の学問である理由」、「5.途上国での教員政策」
0.はじめに
私の専門分野は途上国の基礎教育で、その中でもとくに教員政策に注目をしています。建前上は、教員は教育に対する最も重要なインプットであるし、教育予算の9割近くを消費するものなので、教員政策抜きに教育政策は語れないと言っています。また、もともと私の父親が中学の先生で、父親の周辺の人たちを見ていて教員政策について思う所があって教育分野に来ましたし、サルタック・ネパールの前代表も教員政策に興味を持っていたのが、我々が意気投合した理由の一つだったりもします。
良くも悪くも米国はパワフルな国なので、米国の教育政策が途上国に伝播することはしばしばです。代表的な例として、サルタックも参照している、Early Grade Reading Assessment (EGRA)をあげることができますが、教員政策もその例外ではありません。そのため、米国の教員政策を学ぶことは、途上国の教員政策を考える上で、良くも悪くも非常に参考になります。
日本で活躍されている教育学者にも米国で博士号を取得された方々がいるためか、米国での議論は途上国だけでなく日本にもよく伝わります。しかし、どうも伝言ゲームのように間違った、ないしはバイアスのかかった伝わり方がすることが多いようです。その代表例は、「貧困層向けの」就学前教育は収益率が高いという議論が、「貧困層向けの」の部分が脱落し、たんに就学前教育は収益率が高いと伝わっていることでしょう。しかし残念なことに、この例は教員政策でも見受けられます。
「教員養成はあまり効果がないので、教員免許の運用を弾力的なものにして門戸を広く開き、最初の数年の結果を見てふるいにかけるべきだ」という主張をどこかで聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?
これはTeach for Americaという、非正規の教員免許を発行する団体から派遣された教員と正規免許を持つ教員との比較から導き出された研究結果なのですが、以前お話した「文脈の違い」がまったく考慮されていないだけでなく、そもそも伝わっている議論が間違っているという二つの問題を抱えています。そこで今回は、教員免許(教員養成)についてお話をしようと思います。
1.教員免許は不必要?
かなり引用数が多いこのペーパーが、先ほど紹介した主張のもととなっているものです。
このペーパーで議論の的となっているTeach for America(TFA)は、優秀でモチベーションの高い若者(教員養成課程を経て正規の教員免許を取得した者よりも偏差値はだいぶ高い)を、5週間の研修を積ませた後に、貧困層の多い地域の学校に非正規免許を持つ教師として派遣するNPOです。
日本の教育政策にも詳しい人なら不思議な団体だと思うかもしれませんが、米国は教員採用と給与が分権化されているため、貧困地域では労働環境が悪いことに見合った給与が支払われず、とくに理数科を中心に慢性的で深刻な教員不足であることが、この団体が存在している背景にあります。
話を教員養成に戻しましょう。上の表がこのペーパーの主要な結果部分です。赤線で囲ったTeach for Americaの所は、TFAの教員に教えられた子供(TFA生徒)の成績が、正規教員に教えられた子供(正規生徒)と比べてどうなのか、を示しています。(1)列は値がマイナスになっており、TFA生徒の方が正規生徒よりも成績が悪い事を意味しています。
しかし、前述のようにTFA教員は貧困層の成績が悪い学校に送られる傾向があります。(2)-(5)列は値がきわめて0に近いか、プラスになっていますが、これは生徒のバックグラウンドなどを考慮すると、TFA教員と正規教員の間の差はゼロか、ないしはTFA教員の方が若干優れていることを示しています。かつスペースの都合で詳細は割愛しますが、正規教員が持つ相対的な優秀さ(あるとするなら)は、年数と共に減少していくことも確認されていますし、教員の学生時代の偏差値的なものも、あまり生徒の成績とは関係がないことも確認されています。
上の図は、教員免許ごとの教員の成績の分布を示しています。上の方に矢印にもなっていない矢印を置きましたが、これは教員免許の有無によって教員の優秀さの分布はほとんど変わらないことを示しています。その一方で、下の方にちゃんとした矢印がありますが、同じ教員免許のカテゴリーの中で、教員の優秀さに大きな違いがあることを示しています。
教員免許の有無で教員の成績はほぼ変わらないが、同じ免許種別の教員間の成績格差は非常に大きいので、教員養成課程は大して意味を持たないが、最初の数年間の勤務で優秀な教員かどうかを見極める必要がある、と結論づけています。説得力のある結論ですが、果たして本当にそう言い切れるでしょうか?
2.教員免許は不必要、なわけではない
先ほどのペーパーを見て、(1)TFA教員の中で免許の有無の差異を見ないと教員養成の効果は語れないんじゃないか? (2)一科目だけの結果を見て論じるのは妥当なのか? と感じた方はRQを見つけるのが上手い方ですね、羨ましいです(苦笑)。その疑問に答えているのがこちらのペーパーになります。
上の表は正規の教員と比べて、非正規のTFA教員(一行目)、正規免許を持つTFA教員、(二行目)、非正規の教員(三行目)はどうか? という結果を示しています。
一行一列目を見ると、たしかに非正規のTFA教員は正規の教員と差がないのですが、同じ行内の他の列の符号がマイナスであるように、別の科目やテストを使ってみると、TFA教員は一貫して正規の教員よりも成績が悪いという結果が出ています。
そして、1行目と2行目の比較から読み取れるように、同じTFA教員の間なら、やはり教員免許を持っている教員の方が、一貫して成績が良いという結果になっています。興味深いのは1行目と3行目の比較です。同じ非正規の教員であるなら、TFA教員の方がただの非正規教員よりも成績が良いことが示唆されます。TFA教員は5週間の研修を経た後に学校に派遣されること、派遣中はTFAセンターにいるコーチからアドバイスをもらえることを考えれば、納得のいく結果ではあります。
つまり、たしかにまったくの無免許であるよりは、TFAのような非正規の免許を持っている教員の方が良い結果を出すものの、やはり正規の教員養成課程を経て教員になった人の方が成績が良いということになります。
3.教員養成は中身が大事
教員養成課程の効果を考える時に、(1)教員養成機関によって、どの程度成績への影響にバラつきが見られるのか、(2)教員養成の中の特定の要因がどの程度成績に影響を及ぼすのか、を見ることが重要になります。なぜなら、この二つを明らかにすることで、どのような教員養成をすべきなのか、というのが明らかになってくるからです。この問題に真正面から取り組んだのがこちらのペーパーになります。
上の図が示すように、出身の教員養成機関によって、生徒の成績への影響が異なることが読み取れます。しかも、国語も算数もどちらも95%信頼区間がまったく被らない養成校が存在しており、諸要因をコントロールした後でも、やはり教員養成のやり方によって生徒の成績への影響の出方に差が生じることが示唆されます。
そして、教員が学生時代にどのような教員養成カリキュラムを体験したのかも、生徒の成績に影響を及ぼすようです。上の表の上の赤枠の所は、ロバストに生徒の成績に良い影響があったカリキュラムなので、こういったものをどんどん取り入れてくべきですし、下の赤枠の項目は生徒の成績を改善させないようなので取り除いた方が良いでしょう(教員養成は年限に限りがあるので、効果がない項目をそのままにしておくということは、他の効果がある項目を取り入れる時間を削ってしまうので、上の表が示す以上の問題があると考えられます。)
もちろん、どのような教員養成カリキュラムが効果的なのかは文脈に依存するところがあるので、日本は日本でこのような分析をする必要があるのですが、重要な点は、教員養成は養成校やカリキュラムによって生徒の成績に与える影響が異なってくる、すなわち教員養成が不必要だという結論はやはり疑問を呈さざるを得ないということです。
4.教育経済学がまだまだ発展途上の学問である理由
なぜ米国から日本に雑な教育政策議論が伝わってしまうのか、その一端にはやはり多くの教育経済学者(私も含めて)が「文脈」に対してあまりにも不注意である点をあげることができます。
この米国の教員養成・教員免許に関する議論は、貧困地域で慢性的に深刻な教員不足が生じているという文脈の下に進んでいます。このため、「何もないよりはまし(better than nothing)」、というTFAタイプの非正規型教員免許の是非が議論されるわけです。では、日本に米国型の教員不足は生じているでしょうか?
日本でも教員の非正規化という残念な現象が進んでいますが、それでも教員採用試験で倍率が1.0倍を下回るという現象は、少なくとも人材確保法制定以降はほとんど生じていないはずです。また、米国と異なり広域教育行政を採っているので、貧困地域で集中的に教員不足が発生する、という現象も起きていないはずです。この巨大な文脈の違いを理解していれば、米国の教員養成・免許の議論をそのまま日本に当てはめるのは躊躇されてしかるべきでしょう。
さらに、研究手法や分析する対象にも課題が多く残されています。たとえば、費用対効果分析へと踏み込んだ研究がまだまだ多くはないのが課題です。今回ご紹介したペーパーでも、教員養成課程によって教育の質が改善しそうなことは示唆されるのですが、それが費用対効果に見合うのかといった分析までは踏み込めていません。大学で4年間学んで教員免許を取得するわけですから、そのコストは政府・教員個人にとって無視できるようなものではありません。TFAの5週間の研修と比べて費用対効果はどうなのか、検証が求められるところでしょう。
次に、教育の成果の取り方に課題が残ります。今回あるテストでは正規教員とTFA教員であまり差が見られなかったのに対し、別のテストでは差が出てきました。さらに、そもそもテストの結果を教育の成果として扱うことの妥当性にも注意が必要です。
たとえば、数学の能力と同程度にはソーシャルスキルが重要であることが近年明らかになってきていますが(詳細はこちら)、正規教員とTFA教員でソーシャルスキルや非認知スキルに与えるインパクトに差はあるでしょうか? また、荒れていない学校の教員であれば学力向上に注力するでしょうが、荒れている学校の教員は学力よりもソーシャルスキルの育成(という名の規律の維持)の方に注力しているのではないでしょうか? このような教員の働き方の違いが考えられる中で、学力という単一の尺度で教員を評価するのは妥当でしょうか? この辺り、教育経済学には大きな改善の余地があります。
そして、観測不能な変数にどう対応するかも課題です。今回の記事で言えば、TFAの教員は正規教員よりも偏差値が高く、より高収入な職に就ける可能性があるのに、あえてそれを取らずに教職に進んでいるわけです。どう考えてもTFA教員のモチベーションは正規教員のそれよりもかなり高く、生徒の成績に大きな影響を与えている可能性があります。
しかし、これは観測不能な変数で、今回紹介したペーパーの中でも考慮されていません。このため、TFA教員と正規教員の間に差がないとしても、それは正規教員の教員養成の効果が、TFA教員の高いモチベーションによって相殺されているだけという可能性があり、この場合、た教員養成に効果がないと判断すると誤った結論を導いてしまいます。この観測不能な変数が引き起こすバイアスへの対処も大きな改善の余地があります。
最後に、長期の教育の成果を測定することも課題としてあげられます。最初に言及した貧困層を対象とした就学前教育の成果の研究が凄いのは、その子供たちが成人して以降もデータを取り続けて、そのプログラムの恩恵が長期に渡るものだったことを明らかにした点に尽きます。
今回お話した教員養成についても、仮に非正規免許の教員と正規免許の教員の間で差が見られなかったとして、非正規免許の教員の採用を拡大させた場合、長期的にどうなるかは一考の余地があります。なぜなら、医師が博士号を持っていたり、士業が国家資格を持っていることが、職業の高い社会威信度に貢献し、より良い人材がその業界に集まっているという側面があることを考えると、教員養成課程の廃止や教員免許の弾力的な運用は、長期的に見ると教職に流入する人材の質の低下を招く可能性があるので、やはり長期的なデータを取って検証したい所ではあります。
とはいえ、これらの課題を解決できれば、やはり教育経済学は強力な政策分析のツールとなり、それは米国でもそうですし、日本でもそうです。もちろん、国際教育協力における援助政策分析においてもそうです。
5.途上国での教員政策
似たような話は途上国にも適応できます。また記事を改めて詳しくは書きたいと思いますが、人間というのは自分が持つ知識や経験で新たな情報を判断してしまいます。このため、児童中心主義的な教育方法や、その手前である体罰の禁止を途上国の教員に徹底させるために、現職教員研修を実施しても、棒で殴って子供のしつけをしていた教員がすぐに変われるかというと、やはり難しい所があります。
このため、教員の現職研修だけにフォーカスしてもあまり効果は期待できず、カギとなるのは教員養成段階で、現職研修は教員養成とリンクしていないとなかなか効果が期待できません。
ここで勘の良い人は気づいたかもしれませんが、先生が棒で殴ってくる教育を小・中・高と受けた人が、教員養成に入って体罰はいけませんと教えられたとして、それをスッと飲み込めるかというと、教員は生徒を棒で殴るものだという経験が文字通り(!)叩き込まれてしまっているので、やはり難しい所があります。
この、教育が良くならないことには教員の質も上がらないという鶏と卵の様な関係は、じつは途上国に限った話ではないですし、教員養成のカリキュラムだけでもないので、またそのうちこの点についてお話してみようと思います。
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プロフィール
畠山勝太
NPO法人サルタック理事・国連児童基金(ユニセフ)マラウイ事務所Education Specialist (Education Management Information System)。東京大学教育学部卒業後、神戸大学国際協力研究科へ進学(経済学修士)。イエメン教育省などでインターンをした後、在学中にワシントンDCへ渡り世界銀行本部で教育統計やジェンダー制度政策分析等の業務に従事する。4年間の勤務後ユニセフへ移り、ジンバブエ事務所、本部(NY)を経て現職。また、NPO法人サルタックの共同創設者・理事として、ネパールの姉妹団体の子供たちの学習サポートと貧困層の母親を対象とした識字・職業訓練プログラムの支援を行っている。ミシガン州立大学教育政策・教育経済学コース博士課程へ進学予定(2017.9-)。1985年岐阜県生まれ。