2021.11.25

全国学力テストはどこへ向かうのか

川口俊明 教育学・教育社会学

教育

教育論の新常識 格差・学力・政策・未来

松岡 亮二 (編著)

全国学力テストの現在

文部科学省が実施する全国学力・学習状況調査(以下、全国学力テスト)は、2007年以降、さまざまな批判を受けつつも今日まで維持されてきました(1)。2021年現在、その在り方が見直されつつあります。直接のきっかけは、新型コロナウイルス感染症の拡大とそれに伴う休校措置への対策の一つとして、急速に進められたGIGAスクール構想です。

GIGAスクール構想では、学校教育のICT化を進めるために、子ども一人に一台の端末が配布されました。その端末の具体的な活用策として、全国学力テストのCBT化が議論されるようになったのです。CBTとは、Computer-Based Testingの略で、文字通りコンピュータを使った学力テストのことです。国際学力調査であるPISAやTIMSSでもCBT化が進められており、こうした世界的な潮流もCBT化の議論を後押ししました。

もっとも、現在の全国学力テストをそのままCBT化することはできません。とくに大きな課題は、すべての児童生徒が同日同時間帯に学力テストを受験するという、その実施方式です。一口にCBTといっても、各端末にUSB等で直接データを配布する方式から、インターネット経由でWEBサーバにアクセスして回答する方式までいくつかパターンがありますが、どのパターンを選ぶにせよ、同日実施という制約のもとでは負担が大きすぎるのです。

CBTでは機器トラブルは避けられませんから、紙でテストを行う場合より、さらに大きな負担が関係者にかかります。仮にインターネット経由で実施するのであれば、百万人規模の受験生の同時アクセスにどう対応するかという問題も生じます。こうした課題を踏まえ、全国学力テストの目的を整理し直し、目的に応じてCBT化を進めるという方針が打ち出されたのです(2)

具体的には、これまで本体調査として毎年度悉皆で行われてきた全国学力テストと、補完調査として数年に一度行われてきた経年変化調査・保護者調査のそれぞれを、全国学力テストの二本柱として位置づけ直すことが提案されました。前者の悉皆調査は自治体や学校に学習指導要領の理念を示したり、個々の児童生徒の学習指導に活かしたりすることを目的に毎年度実施し、後者の抽出調査は日本の学力実態を正確に把握することを目的に数年に一度実施するというのです。

「二本柱」をどう評価すべきか

この「二本柱」案をどう評価するべきでしょうか。肯定的に評価できる点は、既存の全国学力テストの課題を改善できるということです。全国学力テストの根本的な課題の一つに、「教育政策に役立たせる学力調査」と「個々の学校に役立つ指導のためのテスト」という両立しがたい二つの目標を一つの調査で同時に達成しようとしてしまったというものがあります。シノドスでも何度か説明したように、教育政策のための正確な測定と、一人一人の子どもの指導に活かすための悉皆実施を両立するのは、かなり困難です(3)。目的に応じて悉皆調査と標本調査を別に設計するという方針は、合理的な選択と言えるでしょう。

特に後者の教育政策のための調査は、適切に設計できるなら、日本の学力実態とその変化を把握できるものになります。現在の日本は、自国の学力実態の変化を把握できるテストを持っていません。PISAやTIMSSといった国際調査を使わないと、学力が上がった/下がったという議論さえ満足にできない状況なのです。今回の提案は、このような状況を抜け出す一歩となるかもしれません。

他方で課題もあります。それは、これまで全国学力テストに向けられてきた批判の多くは、悉皆調査として維持されているという点です。自治体間・学校間の点数競争はその一つです。毎年、学力テストの点数が公表されると、全国の自治体はその高低に一喜一憂するのですが、これは悉皆調査である以上、やむを得ないことです。全員が受験する学力調査では、どうしても各自治体や各学校の正答率が計算できてしまいます。そのため、自治体間・学校間の点数競争は、今後も続くことが予想されます。

実際のところ、子どもの社会的属性(保護者の年収や学歴、あるいは子どものジェンダーやエスニシティ等)の情報を考慮していない学力テストの正答率に、ほとんど実践的・政策的な意味はないのですが、それでも数値が計算できる以上、それを比べたくなるのは人間の性です。

さらに、CBT化に伴い導入が議論されている項目反応理論(Item Response Theory:IRT)と呼ばれるテスト理論が、これまで日本の学校教育が依拠してきたテストの考え方と大きく異なっているという課題もあります。これまでの学力テストは、基本的に学習指導要領の定着を確かめるという名目で実施されてきました。ですから、全問正答の100点満点が好まれてきましたし、学習指導要領で教えていないことは出題してはいけないというルールも存在したのです。

これに対してIRTの前提には、「能力を測る」という教育測定の発想があります。能力を測るということは、全員が100点を理想とするのではなく、できる子どもとできない子どもをできるだけ弁別し、個人の能力差をできるだけ可視化しようということです。極論を言えば、IRTに基づいたテストは学習指導要領に則る必要もありませんし、できる子には難しい問題を出題してよいのです。学力テストのCBT化は、単にテストにコンピュータを使うという手段の変化に留まらず、私たちのテスト観/能力観さえ変えていくかもしれません。具体的にどのような変化が生じるかは定かではありませんが、このことに自覚的な人はまだ少ないように思います。

そして、恐らくもっとも深刻な課題は、調査設計の高度化・複雑化に対応できる文化が育っていないという点です。適切に学力調査を実施するには、さまざまな分野の専門知が必要です。抽出調査を例に取ると、対象となる学校をどう選ぶのかという標本抽出に始まり、保護者調査の無回答データをどう扱うのかという欠測処理、IRTを応用した推算法や条件付けによる得点算出といった、これまで日本の学力調査ではほとんど利用されていなかった技術が必要になります(4)。今後CBT化が進めば、さらに情報技術に関する知識も必要とされるようになってくるでしょう。

こうした複数の専門知が必要とされる学力調査を運用するには、個々の分野の専門家の力量はもちろん重要ですが、調査全体を見渡す教育行政関係者が専門知を持ち、司令塔としての力量を発揮できるかどうかが問われます。しかし、日本の教育行政では、2~3年程度で部署を異動する働き方が主流です。これは組織の全体像を知るジェネラリストを養成するには都合が良いのですが、数十年単位で自国の学力の変化を把握する学力調査の設計・実施を取り仕切る人材を雇用するには向いていません。

さらに、学力調査を中長期的に維持していくには少なくない予算(≒税金)が必要です。それには、調査に直接関わる人たちの努力はもちろんですが、学校現場の教員や保護者、さらには日本社会に住む一人一人が、学力調査の意義を理解し、実施を支援することが必要になります。

ここで気になるのが、全国の教育学部・教員養成系学部を中心とした「即戦力」を求める改革動向です。昨今の大学改革では、現状把握よりも学級経営や指導法を重視したカリキュラムが組まれるようになっています(5)。つまり教育関係者ですら、学力調査の設計や技術といった専門知を学ぶ機会は失われてしまっているのです。教育関係者ですら少ないのですから、一般の人が学ぶ機会も限られていることは容易に想像できるでしょう。このような状況では、適切な学力調査を設計・維持していくことは難しいと言わざるを得ません。

まずは現状の把握から

ここまで見てきたように、今後の全国学力テストが良い方向に行くかどうかは未知数です。それでは、私たちに何ができるのでしょうか。雇用や大学のカリキュラムなど、さまざまな問題が絡み合っている以上、これをすれば問題は解決するという処方箋はありそうもありません。ですから、私から言えることは、「まずは現在の状況を把握しよう」ということです。学力テスト一つとっても複雑で、さまざまな課題が存在します。こうした複雑さを認め、実態を知ることこそが、状況を改善する第一歩だと思います。

どうにも日本の教育改革では、複雑さを無視した「○○をすれば教育は良くなる」という議論がまかり通りがちです。つい最近も世間を騒がせた、大学入試を変えれば日本の教育が変わるという議論は、その典型的な例でしょう。しかし、○○をすれば教育が良くなるということはほとんどありません。そんなに簡単だったら、とっくの昔に現状は変わっているはずだからです。現実の複雑さを無視して、一足飛びに、「○○をすれば教育が良くなる」と改革を推し進めてきたところに、日本の教育政策の大きな問題があります。

幸いというべきか、ここ数年、まずは現状を把握しようという主張が力を持つようになってきています。その具体的な動きについては、教育社会学者の松岡亮二氏が編集・執筆した『教育論の新常識』(中公新書ラクレ)に示されています。私も「全国学テは問題点だらけ-目先ではなく10年先を」という章を執筆しました。加えて同書には、全国学力テスト以外にも、日本のさまざまな教育に関わる問題の複雑さと実態に関する論考が収められています。ですから日本の教育に関心のある人は、まずは同書を手に取り、問題の複雑さ/実態把握の重要性を実感するところから始めると良いでしょう。

結局のところ、全国学力テストに限らず社会の在り方を決めるのは、私たち一人一人の総意です。一人一人が問題の複雑さを知り、実態把握を欠いた「○○をすれば教育は良くなる」という主張を鵜呑みにしなくなれば、現実も少しは変わるはずです。問題の複雑さを見つめ、現状を把握するという「当たり前」のことが、全国学力テストはもちろん、日本の教育をもっとマシなものに近づけるために必要なのです。

(1)全国学力テストの経緯については、拙著『全国学力テストはなぜ失敗したのか』(https://www.iwanami.co.jp/book/b527892.html)をご覧ください。

(2)全国的な学力調査のCBT化検討ワーキンググループ(WG)最終まとめ https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/20210726-mxt_chousa02-000017053-10.pdf

(3)PISAから私たちは何を学べるのか?(https://synodos.jp/opinion/education/21994/)、全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である(https://synodos.jp/opinion/info/23796/

(4)大規模学力調査で利用されている技術については、『PISA調査の解剖』(https://www.toshindo-pub.com/book/91588/)が参考になります。

(5)たとえば教職課程で共通に学ぶべき事項を定めた教職課程コアカリキュラム(https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/126/houkoku/1398442.htm)には、調査に関わる記述はほぼありません。

プロフィール

川口俊明教育学・教育社会学

福岡教育大学教育学部准教授。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。専門は教育学・教育社会学。日本の学力格差の実態を明らかにするため、学力調査の分析や学校での参与観察調査をしています。

著書に『全国学力テストはなぜ失敗したのか』(岩波書店)、主な論文に、「教育学における混合研究法の可能性」『教育学研究』78(4)、 pp.386-397、「日本の学力研究の現状と課題」『日本労働研究雑誌』53(9)、 pp.6-15など。

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