2015.05.13
他人を理解する入口に立つ――ライフヒストリーに耳を傾けて
社会学には、一人の生い立ちやいまの暮らしをじっくり聞く、生活史(ライフヒストリー)という調査方法があります。今回の「高校生のための教養入門」は、社会学者でライフヒストリーがご専門の岸政彦先生。ひとの生い立ちたちに耳を傾けることを入口に、自分とはかけ離れた他者を理解することについてお話を伺いました。(聞き手・構成/山本菜々子)
人生のおもしろさ
――今回は、社会学者の岸先生にお話を伺います。先生のご専門のライフヒストリーはどのようなものなのでしょうか。
まず、社会学の調査は大きく分けて二つあります。数字を使う量的調査、数字を使わない質的調査です。ぼくは数字を使わない質的調査の方ですね。
質的調査にも色々とあります。実際にその場に行って、観察した経験を書くとか、他にも、雑誌や新聞の記事を集める方法なんかもあります。その中でぼくがやっているのは、一人の生い立ちやいまの暮らしをじっくり聞く、ライフヒストリーです。なかでも沖縄をテーマにしています。社会調査にはいろんな方法があるので、もし将来社会学を学ぶときには、自分に合った調査方法を見つけたらいいと思います。
――先生にはライフヒストリーが合っていたと。
そうですね、ぼくは「まんべんなく広く」ができなくて。どうしてもひとりにじっくり話を聞いてしまうんですよね。あと、やっぱりひとの生い立ちは面白いなと思います。調査以外でも、バーのカウンターでたまたま隣に座った知らないひとの話を聞くのも好きです。
インタビュー中、話を聞いていると、深い海に潜っているような気持ちになります。毎回、自分の知らないところに引きずりこまれていく感じがして。そのひとが持つ物語とつながっていく感覚があります。
ひとの生い立ちの話を聞いたり、自分自身の話をだれかに話すことって、日常生活ではほとんどないですよね。普通は一生しないまま終わる。インタビューは特殊な空間なんです。そんななかで語られた人生の話が、なんでこんなにおもろいんやろと思いますね。
ぼくは、『街の人生』という、五名の方のライフヒストリーを収録した本を出版しています。彼らは有名なひとでも何でもない普通のひとです。しかも、編集も解説もなしで載せました。普通のひとの人生でも、それくらい価値があるんだよ、ということを表現したかったんです。
だから、もしできれば、ひとの話を聞くことを学生時代にしておくとすごくいいと思います。学生の世界は家族や先生、友達、バイト先の店長など、すごく狭い世界ですよね。そんな中で、自分とは違う境遇のひとの語りに耳を傾ける体験をすると、人生の色んな局面で役に立つんじゃないかな。だからといってぼくが良い人生を歩んでいるというわけではないですけど(笑)。
他人を理解する入口に
――たしかに、人生の話を聞くことって、普段の生活ではなかなかないですよね。
色んなひとの話を聞くと、世の中には不妊症のひとも、ゲイのひとも、被差別部落のひとも、在日コリアンのひとも、ホームレスのひともいることに気が付けます。自分とは違う人間がいることに気が付けるのかどうか。そういう存在に気づけるということが、知性というものなんだと思います。
社会学を100年前につくったマックス・ウェーバーは、「社会学の役割はひとの合理性を理解することだ」と言っています。ひとが何かをする場合には、外からは不思議に見えても、そこにはそれなりの合理性があるということです。
――「合理性」ってどういうことですか?
簡単にいうと、「人びとがいま行っていることや、人びとのいまのありかたには、理由があるのだ」ということです。
たとえば、ホームレスのひとをみると、「なんでここに住んでいるんだろう、生活保護をもらえばいいじゃん」と思うかもしれません。そうすると、多くのひとは「あれは怠けているんだ。働かずに自分で選んで公園に住んでいるんだ」と判断してしまいます。
しかし、社会学者は、自分たちとかけ離れた存在を理解しようとします。たとえば、ぼくと同じ大学の妻木進吾先生は、ホームレスの方のところに言って、話を聞いてみました。
すると、彼らは、生活保護をもらうことを「屈辱だ」とか「怠けている」と思っていることがわかりました。自分は働けるから怠けずに空き缶を集めていると。そこで妻木先生は、「ホームレスのひとたちは真面目で勤勉だからそういう生活をしているんだ」と気が付きます。そして、面白い論文を書きました。
――みんなのイメージとは違う結論ですね。
そうなんです。こういう風に、ぼくたちのイメージをひっくり返して、本当のことを伝えるのは社会学の一つの役割でしょう。現場に行ってひとから話を聞くと、必ず意外な話が聞けます。
たとえば、「在日外国人は日本に住みたかったら帰化すればいい」みたいな言い方をネットで見かける方もいるかもしれません。でも、なぜ彼らはそうしないのか。じっくり話を聞くと、それぞれみんな、いろんな事情や理由があることが分かります。
その事情や理由を理解するのが社会学の役割の一つだと思います。だから、私たちは調査をする。自分たちとかけ離れた存在を理解しようと現場に行ってインタビューをする。数字を使うひともいます。いずれにせよ、大学で社会学を学ぶのは他人を理解する入口に立つことなんですよね。
フィールドワーク
――社会学を目指す学生は社会学部や社会学科に行けばいいと思うのですが、大学選びで注目したところがいいところはどこですか?
いま、様々な大学で、フィールドワークをすることが増えています。特に、「社会調査士」という資格を取れる大学が増えているので、ひとつの指標になるかもしれません。
また、大学の先生もTwitterなどをやっている方が多いですし、メールアドレスを公開している方もいます。そういった先生方に直接聞いてみるのも良いかもしれません。意外と喜んで答えてくれると思います。
――岸先生はどのような授業を担当しているのですか?
うちの社会学部でも、学生をいろんなところに連れて行く「フィールドワーク」がよく行われています。ぼくも「社会調査実習」の授業を受け持ち、現地実習をおこなっています。
ぼくのそのクラスは20名ほどで、毎年夏休みに沖縄で3泊4日の合宿をします。授業は一年かけて行われ、4月から夏休みまでは沖縄について文献を読んだり、その歴史をしっかり学んでいきます。同時に、インタビューや、アポイントメントの取り方などの方法も学んでいきます。
そして、「福祉」「観光」「伝統文化」「平和」「ライフヒストリー」などのグループに分かれ、それぞれのテーマに合わせて、取材をさせてくれる方がたをインターネットなどで探します。そして、実際に自分たちで電話をして、取材の約束をします。
夏休みの合宿では、4日間でのべ数十カ所を回ります。学生が自分たちでインタビューをし、写真を撮ったりします。夜は泡盛(沖縄のお酒)を飲みます。それも文化体験です(笑)。なかには地元のひとと仲良くなって、朝まで飲み会をする学生もいます。
沖縄と言えば、高校生のみなさんも、修学旅行で「ひめゆりの塔」や「美ら海水族館」に行ったことがありますよね。でも、ぼくの実習では、観光ではなかなか行けないところに行くようにしています。本を読んで勉強してから行くのですが、現場に行ってはじめて気が付くことも多いですね。ですから、やっぱり現場に出て勉強することはとても大事です。
そして、夏休みの間にインタビューした内容を全部文字に起こしし、後期には、そのインタビューをもとに、報告書を書きます。
――すごく楽しそうですね。
学生の反応も毎年いいです。インタビューとか、集団行動が苦手という学生でも、チームの中ではそれぞれ役割があるので、みんな活躍できます。学生はみんな沖縄にハマってしまいますね。卒業した後も集まったりするようです。
一度、沖縄に訪れてみると、テレビでやっている、普天間や辺野古といった、基地関連のニュースも真剣に考えるようになるんですよね。
コミュニケーションって大事?
――岸先生は長年沖縄で聞き取り調査をされていますよね。どのくらいの人数をされているんですか。
数としてはとても少ないと思います。100から200人ぐらいだと思います。ぼく、人見知りなんですよ。だから、一日に一人のインタビューが限界で。ひとの話を聞くのはものすごく疲れます。正直、あんまり気の進まない時もあります(笑)。
――人見知りですか……、フィールドワークって人見知りでもできるものなんでしょうか。
あまり関係ないですね。フィールドワークや合宿って、ひととうまくやっていけるかとか、ちゃんとコミュニケーションできるのか不安になるひとも多いと思います。実際に、輪からはぐれる学生もいますが、そういう学生に限って良いレポートを書いたりします。無理やり仲良くなる必要はないと思います。
――例えばインタビューするときに、「そのひとに気に入られることが大事だよ」という話もあるじゃないですか。
それは学生には言ったことないですね。もちろん、「取材先で失礼なことをするな」とは強調しています。でも「仲良くなりなさい」とは言いません。そもそも僕が言わなくても自然に仲良くなっていますし。
最近の若いひとは、と言うと言い過ぎかもしれませんが、ぼくたちは人間関係のことをすごく気にすることが多いですよね。でも、たとえば、仲が良くなれば、それだけ良いインタビューができるという単純なことではありません。ただ、繰り返しますが、取材をさせてもらっている方がたに失礼のないようにすることは必要です。
それと、毎年強く言っているのは、ぼくたちはやはり、基地を押し付けている「内地」(沖縄県外)の側なんだ、ということですね。そういう「立場」を背負って、沖縄で取材をさせてもらう。だから、いろいろなことに敏感になってください、と言っています。そういう感受性も育ててほしいと思います。
レポートを書く前には、街づくりや伝統文化など、自分のサブテーマについて書かれた本をいくつか読んでもらって、日本や世界に共通する問題を知った上で、沖縄で得られたデータを見なさいと言っています。他の状況も知って、はじめて沖縄らしさが分かる。調査をしっかりすると、どのレポートも良いレポートになります。ずば抜けて面白いものもあって、そういった時はすごく感動します。【次ページに続く】
筋力トレーニングを
――社会学は就職の役に立ちますか。
役に立つと思います。大学を卒業すると「総合的」な仕事に多くつくことになりますよね。そうなると、特定の技術を身に付けるよりも、どこでもやれる能力が求められています。細かい仕事のやり方は、会社や上司によって違いますので、そこは大学で勉強しても仕方のないことです。
この「総合的な知的能力」って、面白いことに、逆に特定の学問の勉強を通じてしか身につかないんです。これって、たとえばアスリートになる方法と似ていると思うんです。まずアスリートになるには、特定のスポーツを極めることが必要になってくるでしょう。総合的な体力をつけようとするときでも、サッカーとか野球の修練を通してやるのがいちばん早い。
ですから、大学で学ぶ学問には、経済学や文学、工学など、いろいろなものがありますが、それらはすべて、「総合的な知的基礎体力」のために学んでいるんです。
そして、社会学というのは、特にその知的体力づくりの方法としてすごく適していると思うんです。
社会学では、いろいろな「社会問題」の勉強を通じて、いまの社会で生きていくうえで必要な、様々な知識を吸収することができます。特にフィールドワークは、現場に行っていろんなひとに会って、いろんな情報を持ち帰ってくる。仕事って、問題を立てて、現場で調査して、ひととあって、情報を持ってきて、それをまとめて分析して、ということが多い。これは、あらゆる仕事に共通する基礎体力でしょう。
社会に出るためには、パワーポイントの使い方やビジネス英語なんかより、こっちの方がずっと役に立つ基礎体力トレーニングです。だから、「かならず就職の役に立つよ」とぼくは学生に言っています。
そしてなによりも、この社会では、「普通」の枠にはまらない、多様な人びとがともに暮らしているのです。そして、人びとの人生そのものも、「当たり前」のコースには乗らないような人生が、たくさんあります。いまの社会で生きていくためには、こうした、「たくさんの様々な人びとが一緒に生きていて、そしてその生き方も、たくさんの選択肢がある」という知識と感覚は、ものすごく大事です。社会学はまさに、そういうことを学ぶ学問なんです。
本当はミュージシャンになりたかった
――岸先生はどういう高校生でしたか。
言いたくない(笑)。家に引きこもって本ばっかり読む子どもでしたね。飼っていた犬が唯一の友だちでした。高校では進学校に進みましたが、音楽にハマってロックバンドをして全然勉強しませんでした。実際に、3年間ずっと学年で最下位でした。
でも、すごく自由な校風で、成績が悪いからといってバカにされることも一切なく、ほんとうにのびのびと楽しく過ごしました。規則もユルかったし、先生もすばらしい方が多かったですね。当時はジャーナリストや社会学者の本を読んでいました。将来はミュージシャンになるか、社会学者になろうと思っていましたね。
――社会学の本を読もうと思ったのがすごいですよね。
ああ、でも読んでも分かんなかったですよ(笑)。ぜんぜん。でも、将来は学問をしようと思っていたんですよね。本を読むのも、自分で文章を書くのも好きでした。だから、そういうところに自分は行くんだろうな、っていう気持ちはありました。
――大学で社会学に進んだのはなぜでしょうか。
自分の中で、マイナーな方に、マイナーな方に行く力があるんです。東京と大阪があったら大阪に行きたくなってしまう。いろんな学問がある中で、社会学は法学や経済学と比べて権威が低いけど、そのぶん好き勝手なことができそうなイメージがありました。
ちなみに、大学はどこでもよかったので、受験勉強は一切しませんでした。そのせいで一浪することになります。一浪しているときもバンドばっかりやって受験勉強はまったくしなかったのですが、東京と大阪のいくつかの私大にまぐれで受かりました。そのとき、大阪の関西大学の入試で泊まったホテルの、すぐ横で発砲事件がありました。それで、不謹慎ですが、「ここは面白そうだ! ここに住みたい!」と、大阪への進学を決めます。そこから大阪が大好きで、いまも大阪に住んでいます。
――それから、大学では勉強三昧だったのでしょうか。
まったくそんなことありません。大学に入ってからジャズにはまって、ジャズミュージシャンを目指しました。実際に、当時はバブルで景気も良かったし、それである程度の金を稼ぐぐらいにはなりましたが、才能がなかったから泣く泣くあきらめました。今でもやっぱり、生まれ変わったら音楽家になりたいですね。本当は学者なんかなりたくなかった(笑)。
それで、学者を目指すんですが、大学院浪人したり、担当の教授が亡くなって博士課程に進めなかったりと、またさらにいろいろあって、博士課程に入った時にはもう29歳になっていました。その間は、日雇い労働者として建築現場で仕事をしていました。朝5時にドカタの仕事に行って一日中肉体労働をして、夜は遅くまで本を読んで、また朝早く仕事に行く……みたいな生活をしていましたね。同じ大学院の院生の女性と結婚したのもその頃ですが、当時はほんとうに辛かったです。塾の先生をしていたこともあります。
――岸先生のライフヒストリーの一端を聞いている気持ちになります。最後に、高校生へのメッセージをお願いします。
高校に入って、階層格差に気が付きました。ぼくがいたのは下町の町工場ばっかりの街で、貧しくて暴力的で、すさんだ地域でした。そこから一足飛びで進学校に入ったら、金持ちというか、もう貴族みたいに見えるわけです。
特権階級というか、優遇されているんだなと思いましたね。殴らない先生がいることにも驚きましたし。いまだに、自分のものの見方の中心に「格差」の問題はありますね。高校生の自分から続いていることを感じます。
そして、高校生の時を思い出すと、とにかく、自分の街から出たいという思いがありました。高校生に言いたいのは、お金に余裕があれば、都会の大学に出て欲しいと思います。ぼくの時代は大学の課題もなかったし、仕送りも多かったし、楽でしたが、最近の学生は大学の課題も多いし、バイトもしないといけません。下宿もお金がかかるんで、なかなか大変だとおもいますが、でも、どこでもいいから大学には行ってほしいと思います。
多様な価値観や多様な存在を認めることが社会学の根底にはあります。そのためには、共同体の中で暮らすよりも、いちど個人としてひとりで暮らした経験があった方が、より理解できると思うんです。
人間って、一度はひとりになったほうがいい。大学進学はその一つのきっかけでしょう。仕送りをもらって下宿するのでは本当の意味では一人とは言えないのかもしれませんが、一度自分の家族や地域から離れて暮らしてみて、色んなものから切り離されて、ようやく見えてくるものがあると思いますね。
ライフヒストリーがわかる!高校生におススメの3冊
自分の本ですみません。南米から来たゲイの青年、「ニューハーフ」、摂食障害の当事者、シングルマザーの風俗嬢、元ホームレスのおっちゃんの5名の生活史を記録した本です。ふつう、社会学的な生活史調査では、語り手の語りは研究の目的のために分析や解釈をされるのですが、わたしはあえて、分析や解釈はおろか、編集さえもほとんどせずに、語りを語られたそのままのすがたで並べました。「生活史って、面白い」という、私がずっと思っていることを、ストレートに出した本です。ぜひお読みください。もうひとつ、『同化と他者化』(ナカニシヤ出版、2013)という本では、生活史を社会学的に分析しました。また、もうすぐ(2015年5月末)、次の本『断片的なものの社会学』(朝日出版社)も刊行されます。こちらもよろしくお願いします。
『街の人生』のイメージのもとになったのがターケルの作品です。私は高校のときにターケルの本を読んで、「人びとの語りがずらりと並んでいるだけの本」というその発想そのものに深く感動し、いつか自分もこういう本を書いてみたいと思っていました。ほかにもいくつかの作品があります。扱われているテーマは深刻なものが多いですが、とにかく、ぜひ手にとって、人びとの語りにただ身を任せるという快楽を味わっていただきたいと思います。
これは生活史の本ではありませんが、社会学的なフィールドワークの古典的名著です。1970年代の、イギリスの中学校での話ですが、現在の日本の中高生が読んでも全く違和感はないと思います。クラスのなかの、やんちゃな「ヤンキー」の子や、あるいはおとなしい「優等生」たちの生活と進路を詳細に描いた、「階層文化と若者文化」研究の決定版です。いま読んでもほんとうに震えるほど面白いです。高校生のみなさんにぜひ読んでいただきたいと思います。
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プロフィール
岸政彦
1967年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。社会学。専門は沖縄、生活史、社会調査方法論。著書に『同化と他者化』、『断片的なるものの社会学』、『東京の生活史』、『図書室』、『リリアン』など。