2017.02.14
苦悶するEU――統合の必要性とジレンマ
EUとは問題を解決するための枠組みだったのであり、それは「うまく作動している」かぎりにおいて正当化されてきた。だがいま、ユーロ危機や難民問題、テロリズムなどを前にEUは機能不全を呈している。はたしてEUに未来はあるのか? 遠藤乾氏にお話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)
EUと緊縮財政
――ユーロ危機にはじまり難民問題、テロリズムなどにEUが揺れています。打つ手はあるのでしょうか?
ユーロの危機は未完です。次の危機を避けるためにはEUへの集権化、つまり統合が必要となります。
そのための手段として、たとえば、銀行同盟の最後のステップである預金保険の欧州化があげられます。これは、銀行が潰れたときユーロ圏全体で保証するもので、ユーロの信用をEUとして担保することになります。
単一通貨のもとで作用する富の偏在化を防ぐためにも、貧しい地域へのなんらかの資金移転も必要なのですが、その機能も非常に弱いままです。この分野を強化するためには、EU全体の財政を使って再分配するのが理想的ですが、たとえそれができなくとも、ドイツのような国が内需を拡大するなどして、南の諸国の製品やサービスをたくさん購入すれば、資金は回ります。
人の移動をつかさどるシェンゲン体制の内実強化は、より切迫したものでしょう。移民・難民の流入は、エーゲ海で止まっても地中海ではまだ続いています。域外国境のコントロールは必須ですが、そこが弱いままです。
テロについては、つい最近もイタリアに入ったチュニジア人がベルリンでテロに及び、オランダ、フランスを通ってイタリアに逃げ帰っていたことがわかっています。ここで必要とされているのは、域内の内務警察協力の強化です。
――ユーロ危機については、ドイツの頑なな緊縮財政志向が問題視されました。
もともとドイツでは均衡財政が憲法的規範なのですが、それに加えて、シュレーダー(社民党主導)政権時の改革を経て、財政出動を激増させることなく構造改革に取り組み、賃金上昇を抑えながら生産性を上げることに成功しました。このときの成功体験が強く刻印されていて、それへの反発は左翼党など周辺にとどまっています。
その裏で、我慢もせず身の丈に合わない浪費を続けたというイメージがギリシャなどに投射されています。それはあくまで当事国の問題で、解決は当事国が切り詰めて成し遂げねばならぬことであり、緊縮財政は当然の正しいことが起こっているに過ぎないという見方が強いのです。
その正しさはEUの他の加盟国にも共有され、ルール化されたのであり、だからドイツが権力的に押し付けたのではないということになります。
――ですが、緊縮財政がEUの首を絞めているようにみえます。
そうですね。 ドイツ発の緊縮経済がデフレスパイラルを引きおこし、失業や雇用不安を生み、実質所得が増えず、中間層が没落して、穏健政党が沈み、結果としてEU支持勢力が先細るというプロセスで、先が見えない状態です。
ところが、ドイツには 自国が発端だという意識が概して薄い。これは、EUはもちろん、ドイツ自身にとっても、愚かな自壊の道だとみています。EUという戦後それなりに安定した広域体のなかで、大陸のど真ん中にあり、歴史的に不安定要因であったドイツは安定を見ていたわけですが、EUを失えば自らをつなぎとめる枠、ひいては安定を失うからです。
では、ドイツは何もしてこなかったのかというと、そうでもない。それが、日本のオーディエンスには同時に認識される必要があります。
ドイツはギリシャ一国に対し、最大840億ユーロの持ち出しがあり、後者が破産すれば、それは却ってこないというリスクを抱えています。また、ユーロの決済システムであるTARGET2へのドイツのエクスポージャー(リスクにさらされている投融資や保証の総額)は、最大値に達した2012年8月の時点で、ほぼ7515億ユーロに上りました。
このTARGET2は、実質的にはユーロ圏の「隠れた救済システム」として作動していて、欧州中央銀行(ECB)経由で決済の滞る債務国の支援をしていることになります。
統合の必要性とジレンマ
――問題解決に必要だとわかっていながら、なぜ、EUのさらなる統合は進まないのでしょうか?
こうした機能強化(統合)を支える正統性がついていかないからです。なぜそのような強い統治機能をブリュッセル(EUの首都)が担わねばならないのか、説明し納得する民主的プロセスが欧州では成立していません。デモクラシーは国ごとでしか作動しないのです。
当たり前のことですが、指導者は国ごとに選ばれ、国民だけに説明責任を負います。その枠外にあるEUには、国民国家に匹敵する民主的な正統性が付与されていない。だから前に進めない。進めないなかで、機能不全を露呈しつづける。したがって機能的にも信用されない。その結果、国ごとの解決に戻れという勢力が伸長するという悪循環に陥っているのです。
――ご著書ではヨーロッパ・アイデンティティの脆弱性にも言及していますね。
たとえば、異なる国のあいだで人の自由移動を可能にするシェンゲン体制ですが、これによってテロリストまでが域内の国境を自由にまたいでいます。
解決のためには、先ほど申し上げたように、内務警察力の協力が不可欠ですが、シェンゲン全体がひとつの地域であるとするアイデンティティが弱いために、他国の当局への猜疑心が強いままです。そのため情報共有ひとつとっても、円滑にことが進みません。同じ民でないという意識が、必要とされる機能強化や協力を阻んでいるわけです。
単一通貨ユーロの問題では、ことはより明確です。端的にいえば、ユーロとは異なる国との通貨共有ですが、その当該国が自分の一部のように感じる存在であれば、その程度に応じて、それはもはや「他」国ではなく、「自」地域の一部という位置づけになります。
そうした共同体意識が優勢ならば、何らかの理由で困難にある地域への支援を差し伸べる行為、つまりは連帯はもっと容易になるはずです。もしドイツやオランダが、ギリシャのことを自らが所属するヨーロッパの一部だと位置づけていれば、ギリシャへの財政支援や債務帳消しはずっと容易だったはずです。
ドイツ問題と東西冷戦
――そうしたなか、EUの崩壊が語られたりもします。
それは短絡的だと思います。戦後のヨーロッパ統合の2大規定要因は、ドイツ問題と東西冷戦でした。
ドイツ問題は、これまでも切迫度の上下はあり、相当に相対化されつつあるものの、現在のドイツ(経済)一人勝ちの情勢のもとで残存しています。つまり、この面においては、EUの存在事由はいまのところ健在ということになります。
EUがドイツ色に染まったと(アメリカの大統領にまで!)言われますが、ドイツはEU(諸国)を支配しきれないのであり、他国からするとEUの枠以外に、ドイツを抑える仕掛けがなかなか見えてきません。
――ドイツにとっても、自身の力に対する「不安」をおさえるためにEUは有用だと書かれていますね。
先ほども触れたことですが、ドイツはもともと大陸のど真ん中にあって不安定で、戦後はEUという枠のなかで安定してきました。ドイツに内在する強大化する自分の力への不安も、そのなかで緩和されてきたわけです。その枠が飛んでしまえば、その不安は投錨先を失ってしまいます。他にも実利的な意味はあるのですが、ここではその心理的な要因を指摘しておきたいと思います。
――もうひとつの東西冷戦は、すでに過去のものではないのでしょうか?
冷戦要因のうち、東西冷戦の地政学的な要素が、クリミア併合にみられるようなロシアの攻撃性の復活により再興したように映ります。伝統的な脅威であるロシアに、どのEU加盟国も単独ではうまく対処できません。EU内部では対ロ脅威感にばらつきがあるのですが、共同で当たるインセンティブもそれなりにあると言えます。
けれども、たしかに冷戦のイデオロギー的な要素(資本主義・自由主義vs社会主義・共産主義といった対抗)はいまは見る影もありません。それはジハード主義の興隆とともに文脈が変わってしまったのです。
EU(諸国)では、この新手のイデオロギーが引きおこすテロを抑え込めないばかりか、パリの事件で見らたれたように、テロリストの自由移動をEU枠(正確にはシェンゲン体制)が可能にするのを見て、各地でポピュリズム勢力が伸長しています。
ヨーロッパとジハード主義
――多文化主義であれ統合主義であれ、移民の包摂に失敗したとされるなかで、EUはジハード主義とどう向き合っていけばよいのでしょうか?
どうしてゆくべきか。この点については、あまり楽観しておりません。おっしゃる通り、英国的多文化主義も仏式統合主義もうまくいっていないなか、排外主義がはびこっているのが現状でしょう。それがEUの足元を崩しています。
冷戦とドイツ問題を発端としたEUのつくりが、この新手の挑戦にフィットしていないのは構造的問題です。
――構造的問題とは?
EU条約の根本には、自由民主主義の西欧近代的な理念があります。政教分離や表現の自由、男女平等など、多くの人にとって譲れない価値として血肉化しているものもあれば、域内における人の自由移動のように日々、実践されているものもあります。
こうした価値や実践をジハード主義勢力が否定したり、濫用したりすると、EUはうまく対処できないのです。
――おっしゃるように、ヨーロッパ近代とジハード主義は体系的に対立しており、両立や融和は非常に困難に思えます。
それでも、EUは世紀転換期のころから、いったん域内に入った人には自由と平等を約してきました。入境してしまった人には、欧州アイデンティティを強烈にシェアしなくても、できるだけ手続き的に地位を与え、ギリシャ的というよりローマ的な「軽いシティズンシップ」(ヨプケ)に近づけるように努めていたわけです。
もちろん、どんな政治体でも、無制限に域外の民にメンバーシップを認めることはありません。独裁は管理・支配する対象を、民主制はデモスの範囲を確定しなければならないからです。とくに、リベラルな民主制が移民や難民に寛容であるためには、域外の者を無制限に入れるわけにいかず、寛容の主体をそれなりに安定させねばならないのだろうと思います。
ジハード主義にもとづく暗殺やテロが相次いだ21世紀初頭から、EU(諸国)においてイスラームに対する視線はきつくなっていきました。それでも、まだぎりぎり自由民主主義の根幹は守った対応をしていました。つまり、男女の平等、表現の自由、政教の分離などを(内面はともかく)形式的に認めるかぎりは、シティズンシップを与えていこうという方向です。
近年のポピュリズムはそれを逆手に取り、自由・平等を認めないものとしてイスラームを本質主義的に排除しようとしますが、EU(諸国)は根は同じでも、ながらく概して包摂を志向していたわけです。
いま一度何をすべきか。魔法のような解はありません。寛容を貫き、穏健を厚くし、過激を刺激しないことかと思います。他方で、先に述べたような域外国境管理、域内内務警察協力を進めて、過激主義はもちろん、無制限な人口流入を抑え込む必要があります。
しかし、EUにだけ、この問いを突き付けるのはアンフェアなのではないでしょうか。ムスリムの人たち、とりわけイスラーム法学者のなかから、テロ、IS、アルカーイダの類がイスラームの教えに反すると明示する穏健派の対抗運動が出てこないと厳しい。
そうでないとすると、西欧ルネッサンス型で、宗教自体が相対化され縮減していくシナリオですが、それは望めそうにありません。
EUの権力性と民衆
――EUの加盟国を結びつけているのは、EUが可能にしている「権力」だとされています。
EUは平和や繫栄を目指すプロジェクトであるとともに、一国単独では行使できない影響力を共同で保全する権力装置でもあります。貿易、金融、世界標準形成などを、EU市場の規模を背景に、国際機関の人事や世界的なフォーラムでのプレゼンスをうまく使うなどして、有利に進めるものです。それがEUの権力性です。
これがあるから、加盟国はEUを簡単には手放せません。したがって、EUはそう簡単には崩落しません。
問題は、そうした権力性が庶民にとっては日々の生活と何のかかわりもないことです。そこに安住せず、庶民の日常に有意な社会経済的施策をどれだけ打てるのか、それが今後を占う鍵かと考えています。
――具体的にはどんな施策が考えられますか?
マクロには、ユンケル欧州委員長が進めるインフラ投資プロジェクトなどをつうじて、少しでもデフレスパイラルを逆流させ、(とりわけ若者の)雇用の創出につながるよう、働きかける必要があります。
ミクロには、移民基金の設立などどうでしょうか。私案でしかないのですが、先日EUの高官に具申してみたら好意的でした。つまり、2016年のブレグジットの際に調査旅行をしてみて気づいたのですが、EU域内の自由移動の結果、一定の地方に集中的に移民が集まる現象に有効に手を打てていないのですね。
たとえば、英ボストンのような田舎町にポーランドやリトアニア人が集中し、地方の医療・教育・住宅インフラが追い付かないまま放置してあるのです。域内移民によって、受け入れ国も送り出し国も経済的に潤い、それを可能にするのはEUという枠ですから、3者協定を結んで移民基金をつくり、移民が集中した地方に資源を投下する仕組みと作ったらどうでしょうか。
いずれにしても、市井の人々に意味のある姿を見せなければ、EUの先行きは暗いと言わざるをえません。
EUの行方
――2017年のEUの行方について教えてください。
イギリスはおおむね予定通り、17年3月にもリスボン条約50条のボタンを押すようで、そこから出ていく交渉が始まります。その交渉は原則2年間というリミットがついています。したがって、その後1年半のうちに、移行期間の規定を含めて暫定・大筋合意をして、その後半年の間に28現加盟国とEUの議会にかけて承認を得るスケジュール感でしょう。そのうえで5年前後の中期にまたがって細部の詰めをするのではないかと思います。
EU自体は、2017年、6原加盟国の過半(オランダ、フランス、ドイツ、おそらくイタリア)で国政選挙を迎えます。その行方がEUの将来を左右するといっても過言ではありません。中でも天王山はフランスでしょう。現在、穏健右派のフィヨン候補が金銭スキャンダルに見舞われ、現地では大騒ぎです。事態は非常に流動的で、決選投票では穏健左派のマクロン候補と極右のマリーヌ・ルペン候補の一騎打ちになる目算です。
アメリカとの関係は、トランプ大統領の下で緊張含みとなります。彼はまるでEUを裂きにかかっているようです。NATOも足元からぐらついています。EUとロシアとの関係では、米欧関係のゆくえとも絡みますが、ロシアに対する脅威感のばらつきから、欧州内部の亀裂が顕在化する可能性が高いと思います。
また、トルコとの関係は、難民危機を抑え込むうえで重要です。このゆくえは、EUがトルコで危機に面して抑圧性を高めるエルドアン政権に対し、どこまで強硬な姿勢を見せるのかによりますが、難民の堰をエルドアンが握っている以上、EU側は決定的なところに踏み込まない可能性が高いでしょう。とすると、EU=トルコ関係は、かなりの程度トルコの内政に依るといえるのではないでしょうか。
――アメリカと同様にヨーロッパでも、「忘れられた人々」の怒りが噴き出そうとしています。またすでにBrexitは実現されてしまいました。EUは「自国第一」の波を乗り越えられるのでしょうか?
「自国第一」の運動はつねに熱を帯び強い一方、EUもそれなりの地歩を築いてきました。原加盟国、とりわけフランスで、EU支持勢力が多数を占めれば、EUは崩壊でもなく、今まで通りでもなく、再編に向かうのではないでしょうか。
その際の軸は意思、能力、規範の3つになると思います。つまり、必要な集権化(つまり統合)への意思があり、財政から警察まで高水準の統治能力を備え、自由民主主義の規範から逸脱しないEU加盟国が中核を形成するというシナリオです。
その一部リーグは、原加盟国の6つからユーロ加盟の19か国のあいだで組まれ、さまざまな改革に乗り出すと思います。結果として、二部リーグのEU加盟国、EU加盟をしないが部分的にEUのプログラムに参加する(ノルウェーのような)三部リーグにまたがって、同心円的なサークルを描き、EUを中心とする秩序が再編されるのではないかとイメージしています。
プロフィール
遠藤乾
1966年生まれ。北海道大学法学部卒業。カトリック・ルーヴァン大学修士号、オックスフォード大学博士号。欧州委員会「未来工房」専門調査員、欧州大学院大学ジャン・モネ研究員、米ハーバード法科大学院エミール・ノエル研究員、在台湾国立政治大学客員教授等を歴任。現在、北海道大学大学院法学研究科・公共政策大学院教授。専攻は国際政治、ヨーロッパ政治。著書にThe Presidency of the European Commission under Jacques Delors: The Politics of Shared Leadership (Macmillan, 1999)、『統合の終焉』(岩波書店、2013年、第15回読売吉野作造賞)、編著に『ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会 2008年)、『EUの規制力』(日本経済評論社2012年)など。