2013.08.02
非営利組織としての自治体の可能性――『自治体のエネルギー戦略』インタビュー
大野は二度死ぬ!? 2013年5月に出版された『自治体のエネルギー戦略――アメリカと東京』(岩波新書)の著者・大野輝之氏は、東京都による「ディーゼル車NO作戦」「キャップ&トレード制度導入」などを牽引された方だ。国による議論がなかなか進まないなか、なぜ東京都が革新的な環境政策をおしすすめることができたのか。自治体にはどんな可能性があるのかなど、環境エネルギー政策研究所の古屋将太氏、山下紀明氏によるインタビューをお送りする。(構成/金子昂)
東京都の革新的な施策
古屋 ぼくは大野さんの『自治体のエネルギー戦略――アメリカと東京』が出版されると聞いたときに、読む前から「これは必読書になるに違いない」と思っていました。というのも、環境政策にかんする書籍はたくさんありますが多くは政策や制度そのものの話が中心で、現場の人たちが何を考えているのか、どういうステークホルダーがいて、どんなプロセスを経て実現させたのかを書いている本はあまりないんですね。この本はそういったお話を書いてくださっている、かゆいところに手の届く本になっていると思いましたし、実際にそうでした。
まずは簡単に大野さんの経歴をお話いただけますか?
大野 ぼくは都庁で34年間仕事をしてきました。最初はいろいろなことをあれこれやっていたんだけど、中盤は都市計画・都市づくりの仕事に携わり、最後の15年間は環境にかんする仕事をしてきました。
最後の15年間は、まず前半に、ディーゼル規制の企画から実施までを、後半は気候変動対策をやりました。都庁で、新しい施策を作って実施するいい仕事ができたかな、と思っています。
古屋 東京という大都市で革新的な施策が実現できた理由がこの本には書かれていて、内容はもちろん、お書きになったこと自体にたいへん意義があるとぼくは思っています。
企業などのCO2排出量の上限(キャップ)を決め、その枠内におさめることのできた企業は超過削減量を売り出し、枠内におさめることのできなかった企業がその枠を取引(トレード)する、いわゆる「キャップ&トレード制度」を、東京都は2010年度から導入しています。残念ながら知らない人も多いと思うのですが、この制度は革新的で、かつ合理的な制度になっています。
どういった経緯でキャップ&トレード制度は導入されたのでしょうか?
大野 CO2はいろいろなところから出るため、なにから手をつけるのかを決めるのが難しいのですが、われわれはまず一番主要な排出源から、つまり大規模なビルや工場を対象にした制度を設計することにしました。
藪から棒にこの制度を導入したわけではなく、まず各主体に自発的に計画を作ってもらい、CO2の削減をボランタリィでやってもらう制度を作っています。このやり方にも一定の意味はあったのですが、都は2006年12月に、「2020年までに2000年比でCO2を25%削減する」という独自の目標を定めました。
この高い目標を達成するには、とてもじゃないけれどボランタリィでは達成できません。そこで環境にマインドのある企業や人がやるだけではなくて、みなに同じ削減義務を課して競争条件を同じにして、さらに自主的にも一層CO2を減らしてもらうような制度を作らなくちゃいけない。そこで提案したのがキャップ・アンド・トレード制度だったんですね。
電力制度改革にむけて
古屋 キャップ・アンド・トレード制度を導入しようとしたときに、さまざまな「政策の壁」があり、それを崩す四つの力――「誤謬を正す政策論争の徹底」「地域に適した実効性のある仕組みの構築」「知と信頼のネットワークの形成」「スタッフ集団の力の蓄積」――があったとお書きになっています。
この本を読んでいて、当時すごく感動したことを思い出したのですが、一部の経済系ステークホルダーが恣意的に海外の専門家の発言を操作して反対キャンペーンを展開していて、東京都は、彼らが言及する海外の専門家の話を一次ソースまで掘り下げて調査し、経済系ステークホルダーの話が間違っていることを明らかにしていました。
多くの自治体はなかなか「誤謬を正す政策論争の徹底」ができません。なぜ東京都はできたのでしょうか?
大野 東京都の場合は、ディーゼル車排出ガス対策の経験もありました。あのときも「ディーゼル車は燃費が良いので地球温暖化対策の観点から推進すべきだ」という意見もありました。しかし、日本のディーゼル車の排出ガス規制は、当時、欧米に比べてまったく遅れた水準にあった。このころは、仕事のなかでインターネットを使い始めた最初のころだったけども、欧米の規制の内容や、排ガス浄化技術の最新動向など海外の情報をどんどん収集して、発信し議論していきました。
さらにこの本に書きましたが、いろいろな組織からのサポートも大きかった。とくに海外の情報にかんしては、2007年に「キャップ&トレード制度」の旗をあげてからEUやNGOからコンタクトがあり、海外にネットワークを広げることができ、有用な情報を手に入れることができたんです。
別に東京都だからできたわけではないと思います。いまはインターネットがあるので、それを活かせばいい。ぼくが係長だった昭和60年代なんて、海外の情報を手に入れられるのは、各国に大使館などをおいている中央政府の特権みたいなところがあったんですよ。地方自治体は、ただ中央政府が言っていることを信じるしかなかった。でもインターネットの時代になって、そういう情報格差がなくなった。多くの自治体はこの可能性をもっと活かすべきですね。
「誤謬を正す政策論争の徹底」は、これから電力制度改革が正念場になるとき、同じようなキャンペーンが展開されるだろうと予想して、東京都の教訓を参考にしてほしい、という気持ちもあって書きました。
国と地方自治体の違い
古屋 2007年に東京都の気候変動対策方針を読んだときの「これはすごいことが起きるぞ!」と思ったことをいまでも思い出します。
国の議論はいつもゆっくりで、逆流していることも多いなか、東京都はどんどん前に進もうとしていた。なぜ東京都は前進できたのか、そしてなぜ国の動きはこんなにも遅いのでしょうか。
大野 いろいろ理由はあると思いますが、地方自治体の場合、議会も含めて地域経済にいいことは、やっていこうという点で一致できます。都議会議員の皆さんも企業とのかかわりはありますが、経団連のなかの重厚長大産業のような勢力が大きな影響力を持っているわけではない。それに地域経済にとっていいことなんだとわかってもらえれば、ちゃんと手を組むことが出来るんですよ。
07年にキャップ・アンド・トレード導入のために、ステークホルダーを集めて会議をしたとき、経済団体はすべて反対していました。でも何度も何度も議論を重ねることで、東京商工会議所が賛成にまわってくれた。これが転機でしたね。そこから次のプロセスにいき、東京都と経済団体の共通の土台をつくることができ、みなが同じ方向を向くようになったんですね。
思い、知恵、巧みさ
山下 ISEPの所長である飯田哲也から「大野さんは、ディーゼル規制のときに、まわりから『たいへんなことになるよ』と言われて『たいへんなことをやるんだから、大きな議論にならなくちゃ困るよ』と言っていた」と聞いているのですが、本当のことなんですか?
大野 いや、飯田さんがその話を本に書いているのを読んだんだけど、ぼくは覚えてないんですよね(笑)。
山下 なるほど(笑)。でも、きっと気持ちとしてはあったのだと思うんですよね。
多くの自治体で求められるように問題と解決策を同時にだす方法ではなく、まだ解決策がわからないなかで、問題と方向性を打ち出すというのは革新的なことだったと思っています。
大野 そうですよね、ディーゼル車対策をテーマにもう一冊を書かなくちゃいけないと思っているんですけど(笑)。
山下 地域の大きな企業の逆鱗にふれないようにするとか、一自治体より管轄区域が大きいエネルギー会社に遠慮するとかして気を使っているうちに、小さな解決案しかできないことが多いと思うんです。
大野 もちろん単に激しい議論を仕掛ければいいわけじゃないですよ。たくみにやらないといけない。
ぼくは、「思い」と「知恵」と「巧みさ」この三つがないと政策は実現しないと思うんですよね。「思い」だけでは空回りしてしまう。それを政策に昇華するための知恵や知識が必要で、さらにはそれを実現させるためのテクニックも必要となってくる。
人材を育成するために必要なこと
古屋 そういうスキルをもった人材はどうやって育成すればいいんでしょうか。
いろいろな自治体をみてきて気がついたことは、自然エネルギー導入に成功した自治体は、多くの場合、熱意と行動力のあるスタッフがいるところなんですよね。
東京都の場合、それがチームで、組織としてやっていくことが当たり前のようになっている。これはすごいことだと思うのですが、組織として動けるようになった理由を教えていただけますか。
大野 そうですね、やはりみんなが経験を積んできたからだと思います。でもこういった経験を積めるようになったのはここ10年くらいの流れなんですよ。
いまの環境局は、環境保全局と清掃局がルーツなんですが、ぼくが98年に環境保全局に異動してきたとき「大野さん、なんであんなところに行くの? お休みでもするんですか?」って言われちゃったんですよね。そのくらい、なにもしていない局だと思われていたんです。
実は環境保全局は美濃部さんが都知事のときに、公害問題で革新的な役割を果たしたんです。ただ、そのあと一度、「環境政策は国並みにやればいい」、という低迷した時代があった。自動車公害の被害者が裁判を起こしたとき、当時の環境保全局の課長さんが被害者団体に「なんでなにもしないんだ!」と言われてもなにも答えられなくて、ただただ糾弾を浴びていたことは忘れもしません。
だから「このままじゃいけない」と思っていたんですよ。東京都も最初からなんでもできたわけじゃなくて、一歩一歩いろいろな問題を突破していくなかで鍛えられていったんですよね。だから実践するしかないんじゃないですか。
それとも教室でも開きますか(笑)。
山下 大事なことだと思いますよ(笑)。
われわれも自治体の方々に集まっていただいて、地域の再生可能エネルギー事業を地域の人が活躍するかたちで実践してもらえるよう支援するためのレクチャーをしていきます。
NGOとNPOとしての地方自治体の育成
大野 この本の前半にアメリカの事例を書きましたが、日本とアメリカで違う点は、公共ではない、NGOセクターの役割が非常に大きいところだと思うんですよ。ISEPさんなどは例外的にがんばっていらっしゃると思っていますが、それでもアメリカに比べるとボリュームが全然違う。いくら古屋さんと山下さんが日本中を駆けずり回っても限界があるでしょう。
以前サンフランシスコにあるEDF(Environmental Defense Fund)の事務所にいったら、「ここは法律事務所かな?」と思うくらい高級なオフィスだったんですね。話を聞いてみると、スタッフもアイビーリーグのようないい大学をでていて、なんだか環境NGOっぽくない。アメリカのNGOはそれだけ大きくて、社会の構成要素になっている。日本もこの部分をなんとかしないといけないと思うんですよね。
あとですね、ぼくは、日本の自治体ってNPOだと思っているんですよ。
ぼくが新宿区で課長をやっていたとき、都市計画決定では山手線の下をくぐる(アンダーパス)はずだった都道74号線が、東京都の事業計画では、山手線の上をまたぐ(オーバーパス)ようになっていて、地域で反対運動が起きたことがありました。
新宿区にも住民から「なんで急に変えたんだ」と話がきたので東京都に聞いてみたら「具体的な道路設計をしたら、アンダーパスにすると、いまの都市計画決定の範囲を超えて、道路の幅を拡張しないといけないことがわかった。このため、現在の都市計画決定の範囲でできるように、オーバーパスに変えた」と説明をうけたんですね。
「本当か?」と思って新宿区の職員に調べてもらったらくぐらせることもできるとわかった。「話が違う」と都の建設局に交渉をしたら、紆余曲折はあったんですが、最終的には当時の都の担当部長が英断されて、当初の都市計画どおり、アンダーパスに戻してくれたんです。
住民だけではできないことを非営利の立場でやるという意味では、地方自治体は、NGO(非政府組織)ではないけれども、いわばNPO(非営利組織)なんだと思います。財政が厳しいとはいいますが、職員の数も予算も日本の現在のNGOやNPOに比べれば、ある程度はあるので、ちゃんと使えばできるはずです。
山下 なるほど。
大野 NGOを育てること、そして地方自治体がマインドをもつことで、中央官僚とは別の代替的な政策決定プロセスが機能すると思います。それは日本社会の政策形成プロセスを革新する大事な要素だと思いますね。
ローテーション人事によって国際会議で蚊帳の外に
山下 わたしは就職するときに、自治体や国に行くか、それともNPOか悩んだ末に、自治体は業務のローテーションがあるのでエネルギーに関わり続けられないと思いNPOに行きました。
大野 東京都の場合は、管理職はあちこちまわりますが、他の職員は同じところにずっといようと思えばいられますよ。
昔からよくある議論ですが、一か所に留まるとややもすると視野が狭くなるという話がありますね。でもね、いろいろなところにまわしすぎて、まったく専門性が活かされないのもよくない。そのあたりは各自治体をマネジメントする人の考え方によるんだろうけど、独自の政策を作るならば、やっぱり専門性を活かせるような人事が必要だと思いますね。
山下 ローテーションにメリットはあると思いますか?
大野 もちろんあるんでしょうけど、デメリットのほうが大きいんじゃないですかねえ。
たとえば自動車の大気汚染対策に関する世界的なネットワークであるICCT(The International Council for Clean Transportation)というNGO組織があるのですが、彼らから「日本は官僚がころころ変わるからメンバーにできない」と言われてしまったんですよね。地方だけでなく中央政府でも当てはまることなんですよ。
古屋 確かに国際会議やネットワーキングの場にいくと、ヨーロッパの人たちは積み上げてきた共通の経験と知識があって相場観をシェアしているんですが、日本人はどうもそういったものから隔絶されているように感じますね。「充て職」でくる人が必ずいて、それじゃ向こうも信頼関係を作ってくれません。
大野 日本だけ蚊帳の外にいる感じがありますね。国際会議にでている自治体ってあまりないですよね?
古屋・山下 ないですねえ。
大野 そういう意味では東京都はキャップ&トレード制度をつくったときに、ICAP(International Carbon Action Partnership)という組織に入りましたし、東京が参加している「C40(Climate Leadership Group)」という大都市ネットワークもいま急速に強化されています。
さっきインターネットの話をしたけど、かつては自治体では考えられなかったような国際的なネットワークに繋がれる時代になっていますから、もっと多くの自治体にやって欲しいですね。
大野さんは二度死んでいる!?
山下 最後にお聞きしたいのですが、大野局長がこれまでに経験した大きな失敗ってなんですか? そしてそれをどうやってリカバリーしたのでしょうか?
大野 いや、失敗なんていくらでもありますけどね(笑)。
そうですねえ、ひとつは20年前に『都市開発を考える――アメリカと日本』(岩波新書)という本を書いたときに、同僚に「お前は能書きしか言っていない」と言われたときは弱点を突かれたと思いましたね。あそこで書いたことは間違っているとは思っていないけど、あのときはまだ実践していなかったから。
ぼくのキャリアのなかで、新宿区時代は大きな意味があって。先ほど話した都道74号線もそうだし、南口しかなかった西武新宿線の中井駅に北口をつくったのも、高島屋が新宿に出店するときに、甲州街道の下をふさいでいた施設を撤去してもらってトンネルを広げたのも、政策を実践するいい経験になりました。
山下 当時、自治体の一介の職員が実名で本を出すこと自体も、さらには東京都と違う視点で書いているのもほとんどなかったことですよね?
大野 あの最初の岩波新書を出した直後に課長に昇格して新宿区に赴任したのだけど、「大野を都庁に戻すのはリスクがある」って言われていたんですよね(笑)。
古屋 あはは(笑)。
大野 それでいえば、昔話になっちゃいますけど、昭和60年代に都市計画局の係長だったときに東京集中問題が取りざたされたので、「東京集中問題調査」という報告書をつくったんですよ。「東京にはこんな問題も、あんな問題もある」って。そしたら新聞がセンセーショナルに扱って、当時の鈴木知事が「誰がこんな報告書を出したんだ!」って激怒したんですよね。そのときも「大野はもう終わった」って言われた(笑)。
でもそのあとに「東京都市白書」という報告書を作ったんですね。ぼくは同じことを書いたつもりなんだけど、「問題もあるけど可能性もある」って書いたからなのか、鈴木知事がすごく気に入ってくれて愛読書になったんですよ。「三冊くれ」っていうから「なぜですか?」って聞いたら「自宅と都庁と車に置くから」って(笑)。
山下 大ファンですね(笑)。
大野 だから「大野は『東京集中問題白書』で死んだけれど、『東京都市白書』で生きかえった」って。でも、その後に岩波新書を出したらまた死んでしまった(笑)
一同 (笑)。
山下 いろいろな失敗や経験を積まれながら一歩ずつ進んでこられたんですね。
大野 うまくいく保証はなかったですからね。挫折も失敗もありました。
この本に書いたことは、環境以外の問題でも普遍的に応用できることだと思います。他の自治体の方にも参考にしてもらえたら嬉しいですね。
古屋 今日はお忙しいところありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
(2013年7月3日 都庁にて)
プロフィール
山下紀明
1980年生。認定NPO法人環境エネルギー政策研究所主任研究員。ドイツ・ベルリン自由大学環境政策研究センター博士課程在籍中。立教大学経済学部非常勤講師なども務める。専門は自然エネルギーを軸とした地域のエネルギー戦略。
大野輝之
1953年生。自然エネルギー財団事務局長1978年東京大学経済学部卒。東京都に入り都市計画局等をへて、1998年より環境行政に携わる。ディーゼル車NO作戦、キャップ&トレード制度導入など、国に先駆ける東京都の環境政策を牽引。2013年7月退庁。
古屋将太
1982年生。認定NPO法人環境エネルギー政策研究所研究員。デンマーク・オールボー大学大学院博士課程修了(PhD)。専門は地域の自然エネルギーを軸とした環境エネルギー社会論。