2014.06.23
比べてみないと、相手も自分も、分からない――物差し同士も照らし合わせて
「分けて、分かる」――思い込みから離れて物事を考えるには、いろいろなものを比べることが欠かせない。そして、ときには他人の物差しと照らし合わせて自分の物差し見直すことも大事。今回、「高校生のための教養入門」でお話を伺ったのは比較政治学者の浅羽祐樹先生。比較政治学に限らず、どんな社会科学でも、自分を知るためにも大切な「比較」の重要性とその難しさについてお話いただきました。(聞き手・構成/金子昂)
「『1センチ』と『1グラム』のどっちが『大きい』の?」
―― 比較政治学をご専門として韓国政治を研究されている浅羽先生ですが、そもそも比較政治学ってどんな学問なんでしょうか?
高校生のみなさんは、何カ国か外国を並べてそれぞれの共通点や相違点を比較するというイメージを持っているかもしれません。まずお伝えしたいのは、比較政治学に限らず、政治学一般でも、さらには経済学や社会学でも、社会科学では、比較という方法を必ず用いるんですね。そうしないと「~~である」という事実の確定すらできません。
だから方法として比較を用いるというのは大前提なので、それだけでは比較政治学ということにはならないんです。自国である日本政治という一国についても比較することはできますし、複数の外国、外国と日本を並べたからといって比較になるとは言えないのが難しいところでもあり、面白いところです。
―― 比較しないと事実の確定ができないってどういうことですか?
たとえば、自分の背が低いか高いか、賢いかそうでないかは、他の人や以前の自分と比べて初めて分かることですよね。
その際、オランダ人と日本人、男性と女性では、平均身長がそもそも10センチも異なるとすると、単純にオランダ人男性と日本人女性を比べるのはフェアな扱いじゃない気がしませんか。あるいは、同じ日本人女性でも、江戸時代と現代では栄養状況が違うため、平均身長がそもそも異なるとなると、何と何を比べていいのかどうか、そんなに自明じゃないんですね。
同じように、「安倍総理のリーダーシップが強い」といっても、一体何をもって「強い」といえるのかは、何か他のものと比較しないと分かりません。第一次安倍内閣(2006~07年)のときに比べて強いのか、民主党政権期に比べて強いのか、あるいは韓国の朴槿恵大統領に比べて強いのか。同じ第二次安倍内閣(2012年12月~現在)でも、参議院選挙(2013年7月)で「衆参ねじれ」が解消された前後で変化はないのか。他のものと比較しないとそもそも「それが何なのか」という事実を確定できませんし、事実の確定をしなければ「なぜそうなのか」「何が原因でそういう結果になったのか」という因果関係も明らかにできないんです。
―― 比較はとても大切なんですね。
大切であると同時に一筋縄ではいきません。どういう基準で何と何を比較するのかが本当に難しい。たとえば「『1センチ』と『1グラム』のどっちが『大きい』の?」って小学生に聞かれたらどう答えますか?
―― 「単位が違うので比べられないよ」と言うと思います。
ですよねー。これは一見トンチンカンのように思えて本質をついている問いかけで、比較するためにはまず単位を揃えないといけないんですよ。
さらに、「国」という単位は同じでも、日本とジンバブエの産業政策を比べるのは、ちょっと乱暴な気がしませんか。先進国と途上国では、経済の状況が根本的に違うため、産業政策だけを取り出して比較することはできないんですね。
高校生や大学1年生だと、この比較による事実の確定をすっ飛ばして、いきなり「なぜ?」を考えがちなんですよね。でも、一見当たり前のように見える事実が本当にそうなのか、そう簡単には言えないんです。
山口県には本当に地下道が多い?
―― 例えばどういった場合でしょうか?
この4月に新潟県立大学に移るまで7年間教えていた山口県立大学では、フィールド調査の方法と実践を教える授業を担当していました。ある学生グループが「なぜ山口県には地下道が多いのか」を調査しようとしたことがあります。
確かに、山口県立大学の周りには地下道が多いんです。でもここで何をもって多いとするのかを考えずに、最初から「なぜ多いのか」「もしかして政治的な利権が関わっているのでは……」と考えるとマズいんですよね。自分の身の周りの感覚では多いように思えても、ただの思い込みにすぎないのかもしれない。
―― 比較しなくちゃいけないんですね。
まさにここで「比較という方法」の威力が発揮されるんです。「山口県には地下道が多い」かどうかは、大学の周りだけでなく、山口県全体でどのくらい地下道があるのかを調べてみないといけない。そして、他の都道府県に比べて山口県を位置づけないと多いか少ないかは分からない。47都道府県中、上から何番目までだと多いといえるのか、その区切りは妥当なのか、次々に考えないといけなくなります。
さらに、地下道の数は、都道府県の面積や道路の総距離とも関係があるかもしれない。すると単純に数を比べるのではなく、百平方キロメートルあたりに地下道がいくつあるのか、単位を揃える必要が出てきます。あるいは道路の総距離が長いと、それだけ歩道と車道が交差するので、事故を避けるために地下道をつくる必要性が大きくなるのかもしれない。だとすると、百キロあたり地下道がいくつあるのかも調べて比較しなくちゃいけない。いろんな比較のやり方、基準が考えられるわけです。
―― ……事実を確定するだけでひと苦労ですね。
つい思い込みにとらわれて、自分の身の回りの世界だけで完結してしまいがちなんですけどね。「なぜ?」を考える前に、「多い/少ない」といった事実を確定することは思っている以上に難しいんです。
比較政治学に限らず、こうした思い込みや狭い世界からどうやって離れて物事を考えるかは社会科学において非常に重要なことなんですね。だからこそ比較はどの分野でも欠かせないんですよ。
いつでも比較が大事!
―― 比較して事実を確定した後、ようやく因果関係が考えられるわけですね。
「なぜそうなのか」「原因と結果はどうつながっているのか」という因果関係を考える際にもやっぱり比較は大切です。
山口県には地下道が多いとして、じゃあ、どうして地下道が多いのか、その理由を考え始めます。
そもそも地下道でなくても、似たような機能を持つものとして横断歩道や歩道橋がありますよね。どうして地下道をつくる必要があったのか、横断歩道や歩道橋が作られる理由と比べてみないといけない。
山口県立大学の近くには小学校や中学校があります。交通量の多い道だと、児童・生徒の通学に横断歩道は危ないので地下道をつくるのは納得できますよね。でも、それにしては通学路でもないところに地下道がたくさんあるとすると、これだけが理由ではなくなります。
北海道のようなところだと、雪や寒さをしのげる地下道が多くなるのも理由があるんですが、山口県の場合、そこまでは寒くない。また、東京のような大都市の場合は、車線も多いですし、商業施設もたくさん併設できるので、横断歩道や歩道橋よりも地下道のほうが機能的に便利だということも分かるんですが、山口県はこれにも該当しません(キッパリ。
……いや、別に、田舎だとdisってるわけではありませんよ。
こうやって周囲の環境とか、地理的な条件、地下道とある意味競合・代替の関係にある横断歩道や歩道橋の特性を比較していくうちに、いろいろな「なぜ?」が生まれてくるわけですね。そういえば、地下道をつくるには何億円もお金がかかるけど、横断歩道は白線を引くだけでいいから安上がりでいいぞ。にもかかわらず、たいして必要なさそうなところにわざわざ地下道をつくるということは、もしかして誰かが儲けようとしているんじゃないか……?
県道だと地下道をつくるときには県が許認可を出すので、知事や議員が絡んでいるのかもしれない。たいして技術がいらないので、大手ゼネコンでなくても地元の建設会社でも作れる。もしかして、ここに政治的な癒着問題があるのでは……!? そんなふうにいろいろと因果関係を想像していけるんですね。ちなみに、実際のところどうなのかまでは、その学生グループは調査できませんでした。
だから、なにか物事を考えるためには、まず事実を確定するために比較をするし、事実が確定してからも因果関係を明らかにするために、ありそうな説明の方法同士を比較をします。すごく難しいところなんですけど、とても重要で、ワクワクする部分です。
風が吹いているところに出てほしい
―― 比較することがそんなに奥が深いとは思いませんでした。ところで、浅羽先生はなぜ研究者になろうと思ったんですか?
高校生の頃は研究者じゃなくて、外交官になりたかったんですよ。実務がやりたかった。当時は外交官の3分の2が東大法学部出身だったので、東大文一・法学部を目指して一浪までしたんですが、2度とも落ちました。さすがに2浪はできなかったので、仕方なく偏差値順に大学名だけが並んでいる予備校の資料を見て上位にあった立命館大学国際関係学部に嫌々入ることになりました。
でも、大学に入ってからも外交官の夢は諦められなかったので、やる気が出なくて4月は下宿に引きこもりがちで、ほとんど通えませんでした。京大に編入して、それから……とかぐじゅぐじゅ思ってました。そのつど変わる環境や条件の中で方向転換するのって、なかなか難しいんですよね。
そんなときに、ある先生との出会いがあったんです。最初は研究よりもスタイルに憧れたんですよね。ネクタイしないで、大学までふらっと自転車で来ている。自分の時間をコントロールできるんだって憧れがありましたね。当時は、まだ研究の恐ろしさを知らなかったので……知っていたらなろうと思わなかったんじゃないですかね。あ、だからか、いまもうまくネクタイを結べません(苦笑)。
―― なぜ外交官になりたいと思ったんでしょうか?
田舎の少年が世界に直結できる道として当時イメージできたのがそれだけだったんですよ。1990年代の初めでした。いまだったらNGOのプランナーとかいろいろ浮かんできますが、外国と仕事をするのは外交官か商社というイメージだった。それに公的な機関に入りたいという思いもありました。
その夢は18歳のときに絶たれてしまいましたが、いまでも別のかたちでいつかチャンスがあれば在韓国日本大使館などで働きたいと思っています。
―― やっぱり東京とか、世界とかに憧れを抱いていたんですか?
それはもう、すごく。世界に出るためにはまず東京に出たかったです。いまも、ですね。
「地方からの教育イノベーション」というトークショーでもお話しましたが、地方で、田舎で、一人で勉強していると、ある種の「偏り」がどうしてもあるんですよ。標準が分からない。だから比較もできず、自分がズレているということが分からない。いま思うと、イタい子だったんです(苦笑)。
いまだとまだ、日本全体や世界でのスタンダードが何なのか、それが当たり前の人たちの様子がtwitterのようなSNSを通じて嫌でも痛いほど漏れ伝わってくるので、自分の「偏り」に気づくチャンスも多いんですが、当時はまったくそんなことが分からなくて。とにかく東京に出たかった。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」とか、中島みゆきの「ファイト!」とか、いまでも歌って「東京ゆき」の「切符」を握りしめていますよ(涙)。
だから僕が高校生のみなさんに声を大にして言いたいのは、風が吹いているところに出てほしい、少なくとも一度ちゃんと見て、「いま、ここ」で当たり前のことを見直してほしいってことなんですよね。
―― ……ビル風の吹く都会に?
いやいや、比喩ですよ(笑)。世界はフラットになったと言われていますが、ちっともそんなことはありません。上向きの風がいつも強く吹いているところもあれば、全く吹かない凪(なぎ)のところもある。いま盛り上がっているもの、面白いものをいま受け取れるところにいたほうが断然いい。いま風が吹いているところに、物理的にいるかいないかは決定的に重要です。ナウシカじゃないですけど、風に乗るには風が吹いているところにまずいないことには始まりません。『年収は「住むところ」で決まる』(プレジデント社)という本があるくらいです。直観的には「住むところは年収で決まる」ですけど、そうじゃないんですね。
地方の本屋なんて、東京の本屋に比べたらぜんぜん品ぞろえが悪いわけです。そんな中で自分が何を読めばいいのかなんて分かりようがない。アマゾンがあっても、親がクレジット・カードを貸してくれなかったら十分に利用できないし、そもそも本を読まない親だったら、そういう本の存在、本を読むということの大切さにすらずっと気づかないままかもしれない。
自分の身の周りにいる友人や両親や学校の先生といったごく限られた大人たちの影響を色濃く受ける高校生のときは特に、その世界の中だけで完結してしまいがちです。そんなときこそ、違う世界ではいまの自分が考えたこともないことを面白がっている人がいるということを知って、自分の当たり前や物差しを見直してみることってすごく切実なんです。そうじゃないとトンデモ本ばかり読んで変な方向に進んでしまう。これは高校生の頃の僕自身なんですけどね(苦笑)。
「分けて、分かる」
―― どんなときでも比較が大事なんですね。比較政治で韓国をやろうと思ったのは理由があったんでしょうか?
大学院までは比較政治学ではなく国際関係論を勉強していました。そもそも韓国にもほとんど興味がありませんでした。だから、推薦状の郵便事故とかいろいろあってたどり着いたソウルの大学院で修士号をとったあとに、これからどうしようか悩んだんですね。
その頃、2000年代初めは、ちょうど韓国が先進国になりつつあって、先進国の事例として比較対象として韓国が徐々に入るようになっていました。それまでジンバブエのように、日本と単純な比較ができなかった韓国が、比較の対象とみなされるようになった。「これはチャンスだ、いけるかも……?」と思って、いちかばちか比較政治学に鞍替えしました。帰国せずそのまま韓国に残って、韓国の選挙の研究を始めることにしたんです。
―― 国と国を比較する上ではどんな視点が大切なんでしょうか?
外国との比較に限らずですが、「分けて、分かる」ですね。
たとえば、多くの国で年齢が高ければ高いほど選挙に行くということが知られているとします。じゃあ韓国はどうだろうと見てみたらやっぱりそうだった、と。そのとき、他の国ですでに知られていた年齢という効果が、韓国でも同じように確認されましたチャンチャンで終わるのか。それとも、同じ「年齢」でもそれぞれの国の文脈で意味が異なり、どういう因果関係になっているかまで明らかにするのか。「ガッ、チャン、コ」と同じ型にあてはめるだけではなくて、日本と韓国、10年前といま……そうやってひとつずつ文脈まで分け入って、掘り下げていかないといけないんです。
別の例を挙げます。いま韓国での旅客船沈没事故が話題になっていて、高校生のみなさんも、その原因は韓国の伝統的な文化だとか、朴槿恵大統領だからあんな事故が起きたんだとか、船会社のせいだとか、オーナー一族がカルト集団だったからだとか、いろいろ言われているのは知っていると思います。
そうした要素はもちろんあるんですけど、だからといって、全部を特定の個人や会社の責任にするだけだと意味がないし、そもそも本当にそうなのか。どこまで属人的な問題で、どこからが制度的な問題なのかは、きちんと分けて考えないと、この事故が起きた原因が分からなくなってしまうんです。だって、どうしていまあの事故が起きたのか、なぜ飛行機じゃなくて船だったのかは、「韓国の伝統的な文化が原因だ」では、ちっとも説明になっていないですよね。
属人的な部分を切り離してよくよく見てみると、業界とそれを規制するべき官庁の間に癒着の問題があったとか、中古船を購入するときは建造から20年以内のものとされていたものが、李明博前大統領のときに30年までに延長されていたとか、官庁から業界団体への天下りによって荷物を積む際のチェックが見逃されていたとか、いろいろあるわけです。
こういう問題って、日本の原子力発電でも聞いた話ですよね。韓国に限らない。業界団体と規制官庁がズブズブの関係になっていたということは、残念なことですが、韓国や日本に限らずあちこちで見られる話なんですね。
―― 韓国だから起きたわけじゃないんですね。
だからといって事故の原因が日本と全部一緒だというわけじゃありませんよ。ただ、とにかく、「ガッ、チャン、コ」はダメなんです。
韓国には日本とは違う制度的な問題があるのかもしれません。韓国の大統領は任期が5年しかありません。そのため、どの大統領も官庁と業界がズブズブの関係にあるのは問題だと分かっていても、その問題に着手しようしても持ち時間があまりないんですよね。そのことをあらかじめ分かっているので、官庁も業界も最初から大統領の言うことなんて聞こうとしません。業界と官庁のズブズブの関係は一般的だとしても、さらに細かく見てみると議院内閣制の日本とはまた違った制度的なメカニズムが効いていることが分かります。
他にも、ただ単に「事故」として見るのではなくて、なぜ船の事故で、飛行機の事故じゃなかったのかと考えてみるのもいいですよね。
韓国の地理に注目してみると、ソウルとプサンはKTXという新幹線が開通して、2時間弱で行き来できるようになりました。どの国でも、移動時間が3時間を超えると飛行機を使って、3時間以内だと鉄道を使うと言われています。ソウルとプサンはいまでは飛行機よりもKTXを使う人のほうが多くなりました。そんななか、あの船が向っていた済州島は、飛行機と競合しているのは鉄道ではなくインチョンからの船便なんですよ。船会社としては、できるだけ利益を上げるために、無理な運航をしたり積み荷を増やしたのかもしれません。
「船長が悪い!」「いい加減な安全管理は韓国の伝統だ!」みたいに言い切るのは簡単なんですが、ぜんぜん説明になってないんです。乗客より先に逃げた船長や船員だけを罪人にして、場合によっては死刑にして、スカッとしてオシマイみたい理解の仕方では、この事故の原因解明にもならないし、教訓も活きてきません。
とにかく、一つひとつしっかりと分けて考えることが大切なんです。「分ける」と「分かる」って語源が同じなんですよね。
Be・Why・How・Should・Can、そしてWant
―― 比較政治学を研究する醍醐味ってなんでしょうか?
比較をすることでしか分からない何かを見つけ、示せると嬉しいですね。
野望が二つあるんです。まず韓国の全体像を描きたい。現地の人たちにこそ、「そう言われるまで気づかなかったが、言われてみるとそうとしか思えない」といった「一枚絵」を描きたいですね。もう一つは、その話を韓国にちっとも興味のない人にも面白いと思ってほしいんです。
研究って、つい、自分が面白いと思うことに集中してしまって視野が狭くなりがちなんですよね。グーッと近づくだけだと、ふと振り返ると、面白いと思ってくれる人が誰もいないということがある。そんなときはズームアウトして、他のものと比較する中で、「それ」の意味を位置づけなければいけない。韓国の選挙しか知らない、韓国のことしか知らない、山口県の地下道しか知らないじゃダメなんです。それぞれの対象と適度な距離感を持ちながら、ズームインやズームアウトをいつでも切り替えられるようになることが大事なんだと思います。
―― ちなみに比較政治学ってどこで勉強できるんですか?
実は、日本には政治学部が一つもありません。政治経済学部が少しあるだけで、政治学はほとんどの場合法学部政治学科で学びます。これも、他の国と比較すると、かなり独特なんですよ。
何に関心があるのかによってオススメの学び方は異なります。まず、現状がどうなっているのか事実を確定する“Be”。その上で、なぜそうなのか、因果関係を考える“Why”や“How”があります。研究はここまででいい、そうわきまえるべきだという考えがあります。
あるいは、そうした現状を踏まえた上で、さらに何をすべきなのか、本来あるべき姿を構想する“Should”や、そこに至るための道筋を提示する“Can”までやらないと現状確認、現状追認に堕してしまうという考えもあります。
“Be”や“Why”/“How”のほうに関心が強ければ、極端な話、政治学科よりもむしろ経済学部に入って統計学やゲーム理論といった方法をきちんと身につけた後で、大学院で政治学を勉強するほうが早いかもしれません。統計学やゲーム理論は汎用性のある方法なので、一度身につけておくと、何を研究するにしても、後々まで役に立ちますし、そうじゃないとお話にならなくなってきています。
同時に、方法だけではなくて、政治が面白いとか、好きだとか、さらには何とかしたいとか、そういう自分を内側から突き動かす部分もやっぱり大事なんですよね。だから“Should”や“Can”に関心がある人も大歓迎ですよ。いまは経済学部だけでなく政治学科でも、統計学やゲーム理論を徹底してトレーニングしてもらえるカリキュラムになっている大学も増えてきています。
要は、いろんな方法をしっかり身に付けて、自分は何をしたいのか、“Want”次第ですので、それこそ各大学や学部学科を比較して、何をどれくらい重視するかで決めればいいのではないでしょうか。
「自分」を知るための物差しを
―― どんな高校生に比較政治学をオススメしますか?
素朴な疑問をバカにしないで考え続けるのがいいと思います。それこそ最初にお話した「『1センチ』と『1キロ』のどっちが『大きい』の?」みたいな問いを、「そんなの違うに決まっているじゃん」で終わらせないで、どうして単位が違うものを比べちゃいけないのか、真剣に考え始めるといつしかドンドン深みに分け入ることができます。
日本とジンバブエの産業政策を比較するのはダメなのに、どうして日本と韓国なら比較しても構わないか。日本と韓国では議院内閣制と大統領制で、制度が異なっているのに、どうして比較することができるのか。よーく考えてみると、すごく難しいですよね。
―― ありがとうございます。最後に、高校生にメッセージをお願いします!
分けないと、分かりません。他と比べないと、あなたのユニークさも、日本のユニークさも分からない。自分を知るためにも、日本を知るためにも、いまの世界を知るためにも、他の人、他の国、他の時代と比べる物差しを自分で作って、いろいろなものを比較してみてください。
比較する対象によっては、自分の物差しでは通用しない場合だってあります。そんなときは比べるものを変えるだけではなくて、使う物差し自体も変えてみてください。他の人の物差しに照らし合わせながら、自分の物差しについてよく考えてみてください。そうすると、同じ物差しの上で目盛りだけを大きくするボリューム・アップではなく、物差しそのものを変えるスケール・アップ、スケール・シフトしていけるはずです。これは研究に限らず、自分の「いま、ここ」を知るためにも大切なことです。
方法としての比較が分かる! 高校生のための三冊!
「方法としての比較」について詳しく知りたければ、何といってもコレ。最初はちょっと難しく感じるかもしれないけど、最後まで喰らいついて読めば、某深夜番組のように熱くやり合うのではなく、学問としてクールに政治を分析するというのはどういうことなのか、読む前とは全く違う地平まで連れて行ってくれる。
なぜアジアは急速に成長を遂げたのか。政治が市場における競争を制限することによって生じる優遇である「レント」に注目しながら、韓国・中国・台湾・インドネシア・フィリピン・マレーシア・タイ・ベトナム・インドのそれぞれについて、一貫して比較している。一つひとつパズルを解くような楽しみをじっくり味わいたい。姉妹編に森井裕一編『ヨーロッパの政治経済・入門』(有斐閣ブックス、2012年)もある。
互いに照らし合わせることで、それぞれが「何」なのか、自分とはどういう「存在」なのか、はっきりすることがある。日本語と韓国語はまさにそうした一対であることだけでなく、「対照させるという方法」についても示している。韓国語に限らず新しいコトバを学ぶということは、自/他の境界が根底から揺さぶられる体験である。学問のコトバへようこそ!
プロフィール
浅羽祐樹
新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。