2015.02.04
エルドアン・トルコ大統領「思想の自由にも限度がある」
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領は、トルコ青年実業家連盟(TÜGİK)の会議で話し、シャルリー・エブド誌の最新号の抜粋を載せたジュムフーリエト紙に対して厳しい言葉を浴びせた。エルドアン大統領は「イスラーム教徒にとって神聖なものだけでなく、他人にとって神聖なものもこのような形で侮辱してはならない。『警察が来てあれこれ捜査をしたらしい』『市民が来て騒ぎを起こしている』だって? こういったことをしている限りあなたたちは騒ぎを誘っている。あなたたちが扉を開いているのだ。残念ながらこの種の行為は国の一体感を壊すことに繋がる」と述べた。
大統領の話の中のフランスでのテロ攻撃やトルコでのシャルリー・エブド批判に関する部分は次の通りだ。
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あらゆる西洋の民主主義は人権や多様性の尊重に関する重要な基準となっている。
フランスの風刺誌に対する攻撃の影に隠れた、イスラーム自体や、親愛なる預言者様に向けられた憎悪の波を心配しながら見守っている。私たちの取り組みも虚しく、文明の衝突の論説を実質化させようとする動きがある。スペイン首相だったサパテロ氏とは共に文明間同盟の基礎を築いた。現在146の国と機関がこのメンバーだ。私たちがここに誘う一方で、文明間の衝突を煽ろうとする者たちが目立つのを見た。
「一部の国々のイスラエル弁護は興味深い」
全人類、我が国民に呼びかける。これらの事件全てに対し、立ち上がってトルコ経由で作戦を行うことは幻想だ。これを分かってほしい。私がちゃんと事実認識をしているならば、これを批判する人たちは『エルドアンはなぜそんなことをしたのだろうか』と問わねばならない。私はその国の力には関心がない。イスラエル政府が――その市民ではない――ガザで、パレスチナで、子供かどうかに関係なく2600人もの人々を殺しているならば、それを憎む。一部の国々が立ち上がって、イスラエル政府の弁護に回ることは興味深い。私は次のように述べた。ネタニエフ首相はどの面を下げてここへ来たのだ、と言った。これは不誠実だと言った。 数ヶ月前に爆弾でガザを滅茶滅茶にし、2600人もの人を殺した。
では[シャルリー・エブド襲撃で]フランスに来たこのリーダーたちはどこにいるのだ。なぜ何の声も上がらないのだ。同じように35万人もの人が亡くなったシリアで人道主義はどこへ行ったのだ。なぜ誰も声を上げないのか。現在トルコには170万人の難民がいる。支援は無いのか。あなたたちは爆弾から救いました、自分の土地に住まわせ、食糧や服を与えています。私たちの所に来て『本当にありがとうございます。本当に、どの国でも出来ることではありません』…こんな薄っぺらい言葉はやめてください。何を支援してくれるのかを言ってください。これまでに私たちが行ってきた支援は50億ドルを超えた。しかし私たちへの支援は2億5000万ドルだ。
「入念に出入国検査をしてください」
ヨーロッパ全体に滞在する人の数はどのくらいか知っていますか。15万人です。事態は明らかだ。彼らは残念ながら誠実な振る舞いを見せていない。ヨーロッパの多くの国でテロリストたちが現在も徘徊している。あなたたちはトルコ経由で出入国する人びとのことを挙げるが、彼らが自分たちの国から出る時、自国の出入国検査をしっかり行い、逃さないようにしてください。もし逃したなら、私たちに知らせてください。そうでなければあなたは何も言う権利はないでしょう。それはそうだろう。世界中あらゆるところでイスラーム教徒に対する攻撃があり、パレスチナで、エジプトで、ミャンマーで同じように続いているのだ。
「思想の自由にも限度がある」
私たちの宗教はテロを許さない。そして私たちの宗教を悪用して行われたテロ行為を契機にイスラーム教徒に責任をとらせる権利は誰にもない。ローマ法王も忌み嫌うほど挑発的な報道で知られるこの雑誌の挑発的行為は有名だ。イスラーム教徒についてもキリスト教徒についてもだ……。残念ながらこれは自由とは言えない。他人の自由の領域の境界線の中に入れば、それはテロ行為と言える。思想の自由にも限度がある。自分の自由の領域までだ。私の自由の領域の手前であなたは立ち止まって私に敬意を払わなくてはならない。私たちは全ての預言者を尊敬しており、自分たちの預言者に対して持っている敬意を、愛を、全ての預言者に対して示している、とすれば、全ての人に同じことを期待しているのはそのためだ。
彼らは無神論者なのだ。もし無神論者でも私の神聖なものに敬意を抱くことはあるかもしれない。敬意を抱かないのならばこの社会の混乱を招くことを意味する。混乱を招くのも一つの罪だ。
今回の態度は、何千人もの罪のない子供たちの殺害に対しては残念ながら示されなかった。ガザでイスラエル政府を見逃す人たちがフランスの12人の犠牲のために全世界に訴えかけている。これについてなぜ話し合わないのか。砂場で遊ぶ子供たちや何千人もの罪のない人々の犠牲に関わった人たちや毎日国家テロを煽る人たちが、テロを批判するのは醜いだけだ。シリアでは何十万人もの人々が殺害されている。少しも動かない人たちが12人の殺害に対して突然犠牲を悼むのは信じられない。
ジュムフーリエト紙に対して:混乱の扉を自分で開いているのだ
あなたたちはどの国の新聞なのだ。トルコの99%はイスラーム教徒だと言っているではないか。イスラーム教徒にとって神聖なものにだけでなく、他人にとって神聖なものもこのような形で侮辱してはならない。警察が来てあれこれ捜査をしたらしい、市民が来て騒ぎを起こしている、だって? こういったことをしている限りあなたたちは騒ぎを誘っている。あなたたちが扉を開いているのだ。残念ながらこの種の行為は国の一体感を壊すことに繋がる。預言者に関するイスラーム教徒のデリケートさは明らかなのにもかかわらず、この話題に触れるのは決して思想の自由ではない。
「風刺誌が何百部も発行されることは思想の自由ではない」
攻撃の後取られた態度、風刺誌が何百部も刷られることも、思想の自由とは関係ない。ここには危険なゲームがある。ヨーロッパは2度の世界大戦で何千万人もの 人々の死を招いた。歴史から学ばない人たちが文明間戦争を始めようとしていないか危惧している。人類がこの大きな過ちに陥らないと信じている。
思いだしてください、私は世界は5ヵ国だけではない、と言ったのです。これを国連総会でも述べた。いかなる命も死も12人より価値がないということはない。私たちはトルコとしてやるべきことをやり続ける。
Radikal紙(2015年01月16日付)/ 翻訳:南澤沙織
■本記事は「日本語で読む世界のメディア」からの転載です。