2015.02.16

トルコ、アクサライ地区は世界中からの移民が集う場所

国際 #移民#トルコ#SYNODOSが選ぶ「日本語で読む世界のメディア」

イスタンブルが夜を迎えるころ、アクサライ地区の通りでは、全く別の光景が現れる。世界中から理由があってアクサライにやってきた人々が話している多様な言語の響きが耳に入ってくる。ある場所ではセネガルから来た人々がフランス語を話す一方、少し離れた場所ではロシアから来た母と娘がどの店に入るかを議論している。左側を向くと、3人の子供と物乞いをしたシリア人女性と目が合ったちょうどその時、私達の間を知らない言葉を話す3人の女性が通って行った。いくつかの通りは危険で、入った瞬間恐怖で身震いするが、一つあとの通りに入った時、原価で売っている店では恐怖を忘れてしまう。

トルコは美しく快適だ。

夜に数時間通りを歩いて外国人や商店主と話した時、これほど混乱しているものにも彼らの中では秩序があることを学ぶだろう。曲がり角のや歩道の縁で、布の上に並べられたベルト、小さなカウンターであらゆるブランドのコピーの香水、時計を売っている黒人のセネガル人。多くは2年以上トルコで生活している。唯一の問題は、お金を稼いで、国に残してきた家族を養うことである。誰もがヨーロッパにいきたいなどという希望はない。「トルコは美しく、快適だ。」と彼らは言う。彼らの望みはというと、「十分なほど」お金を稼いで国に戻ることである。しかし、この希望がいつかなうのかは不明である。イフラも彼らの一人である。

aksaray-da-her-kitadan-hayat-mucadelesi-5278205

唯一の悩みは警察である。

イフラは、最初9年前にアクサライに流れてきた。先に来ていた友達の薦めでアクサライに来て露天商を始めた。国に残してきた両親と国への懐かしさから、十分お金を稼いだと考えて帰国したイフラは、短期間でまたアクサライに戻ってきた。「セネガルに帰ったが、仕事がなかった。そのため再びここに戻ってくるしかなかった。ここでもたくさんお金は稼げないが、セネガルよりもたくさん稼げる。両親に送金できる」と述べたイフラは、イスタンブルの景色の写真を売って1日に20から30リラを稼いでいる。アクサライの商店主と友達になれるほどトルコ語を上達させたイフラは、トルコに不満は全くない。セネガルから来て香水を売っているムサも1日に40リラ稼いでいると話した。2年間トルコで生活しているムサもアクサライで満足している。唯一の問題はイフラのように国に残してきた家族に送金することと、警察に捕まらないことである。

全ての人々にいい所と悪い所がある。

グルジア人のレクソ・タラシャーゼもターミナルのバス会社に7年間勤務している。タラシャーゼは、ある時はトルコで、ある時は道で、ある時はグルジアの妻と家族のもとで過ごしている。「私はここで労働許可をもらい合法的に、汗水たらして働いている。他人が何をしようと私には関係ない」と述べたタラシャーゼは、以前にドイツで舗装工事をしていたことを述べた。

しかし、トルコなら家族がより近いため、より幸せに感じていると述べたタラシャーゼは、アクサライに住む人々へのグルジア人の不満をたずねたところ、「全ての人々にいい所と悪い所がある。もちろんグルジア人でも悪い仕事をしている人々はいる。しかし人々は彼らを混同しない。誰が何をしているか知っている。そのため私達は全く不快ではない。働いている会社の社長もグルジア人である。匿名希望の社長も同じ考えである。「ここでは様々な仕事をしているグルジア人がいる。人々は彼らのせいで私達に偏見を持ってはいないし、私達もここで合法的な仕事をしてお金を稼ぎ、家族を養っている」と述べた。

私達の悩みは生活でない。

北東の国々から来る人々を運ぶエムニエット・バス・ターミナルとその周辺の大部分はグルジア人である。ある人は許可を取っての「合法的な」仕事で、ある人は違法にお金を稼いで家族を養いたいと思っている。どれほどアクサライの人々が彼らに不満を持っていたとしても、彼らの唯一の問題は生活である。アレブ・ペトロシアンも彼らのうちの一人である。ペトロシアンは、グルジアから8年前にトルコに来た。エムニエット・バス・ターミナルに来たペトロシアンは、現在までほとんどをここで過ごしている。

ターミナルで働いている警備員と婚約したペトロシアンは、清掃の仕事をしている。ある時は家の清掃にも行く。さらに、トルコに来て働く場所と住む場所のない人々の手伝いもしている。そのため、グルジア人の全てのエピソードが彼のもとに人知れず集まる。「トルコには感謝している。私達に門戸を開き許可を与えてくれる。そのおかげで、私達はここで働くことができる」と話したペトロシアンは、自分とここにいるグルジア人の物語を次のように語った。

「私はトビリシでロシア語の教師をしていた。20年前に妻が亡くなった。ロシアとの戦争後、国は混乱を収拾できなかった。息子はここに働きに来た。そのあと私も。しかし、息子のビザは延長できなかった。一定期間不法滞在したのち、国外に退去させられた。もはやここには来られない。ここには1日に20人のグルジア人が来る。私は困難な状況に置かれた人々の手伝いをしている。誇りを持って働いている、日々の生活に追われる多くのグルジア人がいる。

しかし、グルジアではしていなかったことをここに来てする者もいる。麻薬や売春のように。私達は彼らを恥じている。私達は、グルジアにいたとき、トルコで男性は腐敗しており、申し訳ないが、ズボンを下ろして待っていると考えていた。全くそんなことはない。あなたはいい人だ。人々もいい人ばかりだ。テレビをつけると、例えば、「タクシーの運転手を殴ったグルジア人がいた」と報道される。私はとても恥じる。しかし、トルコで仕事をくれる人も、時たま、不当な扱いをする。賃金を払わない。私達の悩みはここでの生活ではない。」

ペトロシアンは、その後涙を流して、「私達のグルジアでの生活はとても悪かった。全く仕事がなかった。仕事があれば子供達を置いてここに来ていただろうか。5歳の孫がいるが全く会った事がない」と語った。

トルコ語よりアラビア語が聞こえる。

イェニカプ側からアクサライのメトロの駅がある側に進んでいる。ここでは全く別の生活がある。通りではトルコ語を聞くことが滅多にない。多くのシリア人が暮らしているこのあたりの住人は、イェニカプ側にさらに多く物乞いにやってくる。暮らし向きがいい人は、ここで自分の秩序を作っている。

彼らの中の一人は、ハリル・ビンドクジである。シリアのダマスカスで暮らしていたが、内戦で生活に困窮したビンドクジは、両親を国に残して仕事をするために1年半前にトルコに来た。ビンドクジは、ここで他のシリア人とドネルの店を開いた。シリア風ドネルを売っているビンドクジは、「仕事はとてもいい。ここにいることはとても幸せである。お客さんの多くはシリア人か他の国から来たアラブ人である。そのため言葉やお客さんの獲得に問題もない」と言う。物乞いをしているシリア人はというと、残念ながら、ビンドクジほどここにいることは幸せではない。3人の子供と物乞いをしているシリア人女性は、「お金がない。」しか話すことのできないトルコ語で、冬の寒さの中、前を通る人々にお金をねだっている。

「マケドニア人である。」というアダナ出身の物乞い

さらにはこの状況を利用しようとしているトルコ人もいる。ある曲がり角でスタイリッシュな洋服で立ち止まり、何も言わずに手を伸ばして物乞いをしている女性を見つけた。立ち居振る舞いが注意を引いた女性のそばに行ってトルコ語を知っているかどうかを聞いた。女性は、「はい」と答えたので、どこの出身か聞くと、「マケドニア」という答えに驚いた時、隣のATMでお金をおろした男性が、「ああ。この人を信じちゃだめだ。私はこの人を知っている。この人はアダナ出身だ。人々をだましてここで物乞いをしている。時々シリア人と言っている」と話した。どんな言い訳も見つからない女性は、すぐに顔を曇らせ、私達もアクサライの通りで世界中から来た人々の中に紛れた。

「私達は新聞記者だ」というと逃げた。

通りの角で立ち止まっている2人の女性に近づいた。トルコ語を知らないと話した女性達は、グルジアから来たと述べた。2日間ここにいると述べた女性達に英語で話しかけると、突然私達の元へ3人目の女性がやってきた。崩れたトルコ語でまず私達が誰かを尋ねた女性は、私達が新聞記者だとわかると、「私はカドゥキョイに住んでいて、彼女達は私達を訪ねてきた。」と述べて女性達を私たちから遠ざけた。

私達が新聞記者だとわかると逃げたのは、彼らだけではない。カザフサタンから来た多数の女性達も私達のインタビューの申し出に「トルコ語を知らない。」と述べて引き返した。さらには、トルコ語で挨拶をして近況を聞いた女性は、私達が新聞記者だと言うと、突然、私達が知らない言葉で話して、「見なさい。私はトルコ語を知らないでしょ。」と言って離れて行った。

アクサライのラーレリ付近の地区はというと、買い物熱がある。東ヨーロッパ諸国から来たその大部分が女性客であるが、彼女達が店から店へと回ってシャトル貿易のために商品を買っていた。エストニアから来たベロニカも彼女達の一人である。ポケットに地図を入れたベロニカは、「エストニアで友達が、アクサライに買い物に行くことを薦めた。初めてイスタンブルに来た」と話して、ここで何をするかという説明を始めて、付け加えた。「しかし、もう一度来ようとは考えていない。なぜならここはとても高い。ウクライナでは10ユーロで買ったTシャツがここでは20ユーロである。私はどうのようにしてこの値段に利益を足して国で売れるだろうか。今後は来ることを考えていない。ウクライナに行ってそこで仕入れる。」

Milliyet紙(2015年02月08日付)/ 翻訳:新井慧

■本記事は「日本語で読む世界のメディア」からの転載です。