2015.04.22
枯葉剤被害者の正義を求める裁判、フランスで始まる
フランス駐在のベトナム通信社特派員によれば、枯葉剤裁判の審理が4月16日にパリ郊外にあるエヴリー市の高等裁判所で始まった。
この裁判は、フランス在住の越僑であるチャン・ティ・トー・ガーさんが、ベトナムにおける戦争で米軍が使用した化学性毒物を供給し、彼女とその子供たちを含む数百万人のベトナム人に重大な悪影響をもたらしたアメリカの化学会社を相手に訴えた裁判である。
2014年5月、チャン・ティ・トー・ガーさんは、パリのウィリアム・ボルドン・フォレスティエール弁護士事務所と一緒に、アメリカの26の化学会社を訴える原告となった。26の化学会社の中には、モンサント・カンパニー、オクシデンタル・エレクトロケミカル・コーポレーション、ダウ・ケミカル・カンパニーなどが含まれている。
2014年5月14日、彼女の訴状と関係書類はエヴリー市の高等裁判所に送られ、裁判所に受理された。
チャン・ティ・トー・ガーさんは1942年生まれで、ハノイ総合大学を卒業し、抗米戦争時に解放通信社の戦場特派員となった。
1966年、彼女は南部で最も枯葉剤が散布された地域の一つであるクチで暮らしていた。1967~68年は枯葉剤が最も多量に散布された時期で、彼女はビンロンで一か月ずっと化学雨の下で暮らし、その後、枯葉剤が常に散布されていた地域であるホーチミン・ルート最南端で取材し戦争のニュースを送っていた。
1969~70年、彼女はホーチミン・ルート上で引き続き暮らしていた。
彼女の3人の子供のうち、一番目の娘は心臓の奇形のため17か月で亡くなり、二番目の娘は血液の病気にかかり、三番目の娘は多くの皮膚病を抱えている。彼女自身も糖尿病にかかり、体の血管のいたるところ、肺と心臓には小さな粒があり、多くの粒がカルシウム化している。
訴訟を準備する段階で、チャン・ティ・トー・ガーさんは、身体中のダイオキシン含有量を確定するため、ドイツにある試験室で血液の検査を行なった。彼女によれば、これは彼女がまさしく枯葉剤の被害者であることを証明する科学的基礎であり、裁判を進める上での前提条件となる。
ベトナム通信社特派員との話の中で、彼女は検査結果を受け取り、自分の体内のダイオキシン濃度を示す数字を見た時、とても嬉しくて泣いたと明かしてくれた。
「誰でも自分が体内にオレンジ剤の毒素をもっていると知れば心配になるのに、私は喜びました。なぜならこれから自分は、戦争が終結してから40年が経つのにオレンジ剤の苦しみに日々直面しなければならない400万人の被害者の正義を求める戦いを進めるための証拠を得られたからです。裁判はベトナムの国や枯葉剤被害者に対する私の人生で最後のご奉公となるでしょう」と彼女は語った。
裁判が始まる日まで、訴えられたアメリカの化学会社26社のうち12社は会社を弁護するため弁護士を雇った。
ウィリアム・ボルドン弁護士事務所によれば、最初の審理の日、エヴリー高等裁判所の裁判官は被告側の24人の弁護士(1社平均2人)と協議した。
原告のチャン・ティ・トー・ガーさんと彼女の弁護士は裁判所に呼ばれなかった。1年ほど待ってようやく最初の是非を争う裁判が行われる。その頃、ガーさんは裁判所の要求で血液検査をまた行なわなければならないであろう。
フランスの新聞によれば、ウィリアム・ボルドン氏は人権擁護の裁判でフランスでは有名で経験豊富な弁護士である。彼は、法律によって守られていない被害者のために正義を求める重要な多くの国際的裁判に参加してきた。彼はこの裁判に最適の人物であり、この裁判でガーさんの弁護を手弁当で引き受けた。
ウィリアム・ボルドン弁護士事務所とチャン・ティ・トー・ガーさんは法律的・科学的証拠を準備するために5年近くを費やした。しかしながら予想によれば、この裁判は困難で長引き、非常に金のかかる裁判になるだろう。
まず、双方の見方を裏付ける論拠を含む数千ページにおよぶ文書・資料をフランス語から英語へ、英語からフランス語に翻訳する必要がある。そのほか、フランスとアメリカの法律の違いはガーさん側の弁護士にとって多大の困難と障壁をつくりだしている。
フランスでも国内でも、各種団体が枯葉剤被害者とチャン・ティ・トー・ガーさんを支持する声をあげようと、ベトナムの人々・環境に対する枯葉剤の害に関する話し合いや上映会を多数催している。
この法理的性格を帯びた裁判は、必ずや世論に響き渡る声となって、フランス政府とアメリカ政府に圧力をかけ、同時に枯葉剤被害者にとって正義の模索に道を開くことであろう。
VietnamPlus紙(2015年04月16日付)/ 翻訳:今井昭夫
■本記事は「日本語で読む世界のメディア」からの転載です。