2015.12.28
日韓関係の遠近法
「基本的価値を共有していない」というのは本当か
2015年、日韓両国は1965年に国交を正常化してから50周年を迎えた。「共に開こう 新たな未来を」と謳われたが、「史上最悪の関係」という評価が一般的だった。首脳会談だけでなく外相会談も開催できないという異常な事態が続き、相手に対する感情も下げとどまっていた(内閣府「外交に関する世論調査」)。さらに、その原因を互いに「反日」「右傾化」に帰せ、自らを省みようという姿勢に乏しい(言論NPO「第3回日韓共同世論調査結果」)。
そんな中、安倍晋三首相と朴槿恵大統領は、3年半ぶりの日韓首脳会談を行った。日中韓サミットの脇でようやく実現し、昼食すら一緒にしないという略式のものだったが、慰安婦問題の「早期妥結」に向けて交渉を加速させることで一致するなど、少なくとも政府間関係はある程度「正常化」した。
40周年のときは、韓流・日流ブームの真っただ中で、日韓関係は今後、「体制共有」から「意識共有」へと進化していくと期待されていた(小此木政夫編『韓国における市民意識の動態』慶應義塾大学出版会、2005年)。しかし、「10年経つと山河も変わる」という韓国のことわざのように、自由民主主義や市場経済など政治経済システムや、米国との同盟を主軸とする外交安保政策など、「体制をめぐる意識の離反」が顕著である。
産経新聞前ソウル支局長に対する刑事告訴は、「基本的価値の共有」という日韓関係に関する規定が外交白書などから削除される引き金になった。しかし、ソウル中央地裁は、「韓国も民主主義体制である以上、言論の自由は広く保障されるべきであり、公人に対する場合は、悪意や極めて軽率な攻撃で顕著に相当性を失っていない限り、名誉棄損における違法性が阻却される」という大法院(韓国最高裁)の先例どおり、無罪を言い渡した。
もちろん、そもそも検察による告訴自体に無理があり、「マイナスがゼロに戻っただけ」という評価もある。慰安婦問題で支援団体とは異なる「第3の声」を伝えようとした朴裕河教授(『帝国の慰安婦―植民地支配と記憶の闘い』朝日新聞出版、2014年)も名誉棄損の嫌疑で刑事告訴され、初公判を控えている状況には何も変わりがない。
「言論・出版の自由」(第21条第1項)や「学問の自由」は(第22条第1項)、当然、韓国憲法でも保障されている。異論の許容や多様性の保障は、単に選挙が定期的に行われているだけではなく、実質的な競争、ひいては人権が保障されるという自由民主主義体制の根幹を成している。もちろん、日本においても全く同じことが当てはまる。
日韓それぞれにおける自由と民主主義の程度について、国境なき記者団、フリーダムハウス、ワールド・ジャスティス・プロジェクトなど国際スタンダードに基づいて比較すると、ほぼ同じ水準である。日本政府による規定とは別に、フェアに評価する姿勢が重要である。たとえば、報道の自由は、国境なき記者団の指標では、両国とも「顕著な問題(noticeable problems)がある」と指摘されていて、日本(61位)は韓国(60位)よりも順位が低い。
この「自由なき民主主義(illiberal democracy)」という問題は、特に新興民主主義国の韓国(崔章集(磯崎典世ほか訳)『民主化以後の韓国民主主義―起源と危機』岩波書店、2012年)において、「権威主義体制への転換」には到らないまでも、「民主主義体制の後退」として理解されている。
日本でも、「民主主義の再生」が問われる中、「民主主義ってなんだ?」に対して「これだ!」と断定する傾向が一部で見られる。しかし、そもそも民主主義には様々なパターン(アレンド・レイプハルト(粕谷祐子・菊池啓一訳)『民主主義対民主主義―多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究[原著第2版]』ミネルヴァ書房、2014年)があるし、さらに、民主主義だけで十分なのか、という疑問がある。むしろコール(叫ぶ/要求)すべきなのは、「あれもこれも!」だし、「民主主義も自由主義も!」であるはずだ。
民主主義だけでなく自由主義も、代議制民主主義体制に欠かせない基本的価値である。いくら民意を反映して権力を創出したとしても、権力相互間で牽制させることで均衡が保たれない限り、「多数派の専制」によって少数派の人権が侵害されかねない(待鳥聡史『代議制民主主義―「民意」と「政治家」を問い直す』中公新書、2015年)。日韓それぞれでいま問題になっているのは、明らかに、後者である。
民主主義と自由主義、政治と法、議会と司法の関係は、国や時代によって異なるが、基本的には憲法で規定されている。日本の場合、最高裁判所は国会の立法裁量を広く認め、法令の違憲審査に消極的であるが、「憲法の予定している司法権と立法権との関係」(最高裁「選挙無効請求事件/最大判平27.11.25」)は決して静態的なものではない。
このダイナミズムは、韓国を理解する上で、躓きの石になっている。産経新聞前ソウル支局長の件でも、そもそも検察は大統領(府)の意向を汲んで刑事告訴を行い、外交部も裁判所に対して善処を求めるなど、「行政からの司法の独立」が疑問視された。韓国憲政史においては、過去清算のためにはときに遡及法も厭わないが、これも、まずはどういうロジックになっているのか、内在的に理解する必要がある。
どのように慰安婦問題で「妥結」するか
安倍首相と朴大統領は日韓首脳会談で、慰安婦問題の「早期妥結」に向けて交渉を加速させることで一致した。安倍首相としては、国交正常化時に日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」(第2条第1項)という従前の立場を堅持しつつ、「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去」(首相官邸「戦後70年総理談話」)について、アジア女性基金と同じように、「人道的見地」からは何らかの措置を改めてとることを表明したことになる。
他方、就任以来、「慰安婦問題の進展」を日韓首脳会談の条件にしてきた朴大統領にとって、「解決」ではなく「妥結」というかたちに応じたのは画期的である。「法的責任」「国家賠償」を求める支援団体が厳に存在し、世論を圧倒する中で、国内外で合意が可能なウィンセットは歴代韓国政府としても限られていた。
今回、程度はともかく、日韓双方が譲歩したということである。問題は、こちらがさらに譲歩すれば相手も同じように報いるという確証を互いに持てるか、である。「何度も蒸し返された」という不満がある日本は、「今度こそ最後だ」という保証を求めている。在韓日本大使館の前に支援団体が設置した少女像を撤去するのは、そのための方法の一つだが、韓国政府が国内調整に主体的に動いてはじめて可能になる。
逆に、日本政府も、韓国政府だけでなく、広く韓国国民から「心と精神」の両方を勝ち取る手立てを工夫する必要がある(渡辺靖『文化と外交―パブリック・ディプロマシーの時代』中公新書、2012年)。その際、「謝罪する国家」という英文専門書の表紙がワルシャワ・ゲットーで跪くブラント独首相の写真であることに留意したい。
もっとも、たとえ慰安婦問題が「妥結」したとして、「日韓歴史認識問題」(木村幹著、ミネルヴァ書房、2014年)の火種はなお残る。
朴大統領は2017年3月からの新年度に向けて、「正しい歴史教科書」という国定の歴史教科書の編纂に着手した。「正しい歴史認識」はこれまで日本に対して要求してきたが、韓国内でも「正史」を通じた「正しい国家観」を確立することを目指すというのである。賛否は真っ二つに割れていて、保守層や高齢層ほど賛成が高い(世論調査機関「リアルメーター」による「世論調査結果」2015年10月22日)。
日韓間で争点になりうるのは、「日帝強占期」の評価である。「日本という帝国主義によって強制的に占領されていた期間」という意味で、1910年の韓国併合条約や、父である朴正煕大統領による日韓国交正常化に対する法的評価と直結する。日本は「正当性はともかく、合法・有効」、韓国は「そもそも不当・不法・無効」をそれぞれ主張したが、最終的には「もはや無効(already null and void)」(日韓基本条約第2条)というかたちで双方「妥結」した。
他にも、国際的には法的主体として扱われたことがない「3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府」(大韓民国憲法前文)の実態についてどのように描かれるのかも焦点である。1919年の時点で「建国」ということになると、1948年8月15日は「政府樹立」にすぎず、現在の憲法の「法統」(大韓民国憲法前文)、さらには「法源」は、この「抗日」の歴史に由来することになる。
それでなくても、大法院(韓国最高裁)は、この憲法前文に裁判規範性を認め、「日帝強占と直結する私人の不法行為」に関しては個人請求権が日韓請求権協定で消滅していないという法的立場を示し、それに基づいて下級審が複数の日本企業に対して賠償を命じる判決を下している。いずれも控訴・上告されていて、うち3件は大法院に係留中であるが、日本企業の敗訴はほぼ確実である。他方、憲法裁判所は、日韓請求権協定そのものが合憲かどうか争われた件で、「却下」決定を下すことで、日韓関係を成立させ、50年間持続させてきた枠組みが根底から覆されるという最悪の事態は回避した(憲法裁「2009憲バ317」「2011憲バ55」2015年12月23日)。
そもそも「1965年体制」は、50年前の条約や協定だけで成り立っているのではない。その後、総理談話や共同声明など日韓両国による外交実践が積み重ねられてきている。日韓請求権協定も、「完全かつ最終的に解決された」で結ばれているではなく、「解決されたこととなることを確認する」と続いている。この「確認」の積み重ねを双方思い起こしたい。
そうでないと、「最初から何もしていない」という批判や、「もう何もする必要はない」という強弁だけがまかり通ってしまうことになる。いずれも、日韓50年の歩みを全体として理解できておらず、つり合いが悪い。診断を誤ると、当然、処方も効かず、症状を悪化させかねない。
1965年体制は依然として日韓関係を支える枠組みとして有効であり、それを前提にして諸課題に対処していくのが現実的である。1945年以前に対する歴史認識だけでなく、1965年の国交正常化以降、特に1990年代における取り組みに対する歴史認識の食い違いも顕著である。河野談話、村山談話、アジア女性基金など、それなりに「確認」を重ねてきたことをいま一度「確認」するべきである。「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯」に関する検証は、「河野談話作成からアジア女性基金まで」を対象にしたが、アジア女性基金というかたちで韓国政府も当時「妥結」していた点が浮き彫りになっている。
問題はむしろ戦略的利害を共有してるかだ
歴史認識問題で韓国が国際世論に訴求する姿勢に対して、日本では「告げ口外交」「ジャパン・ディスカウント」として理解する傾向がある。しかし、より深刻なのは「逆告げ口外交」で、「韓国は中国に傾斜している」という日本の認識と、「日本がそのように米国に喧伝している」「中国傾斜論は日本による米韓離間策にすぎない」という韓国の認識との間のギャップである。
韓国の中国傾斜(論)をどのように評価するか。
中国の抗日戦勝70周年軍事パレードに朴大統領が「西側」の首脳として唯一参加したことで、「レッドラインを越えた」という評価(たとえば鈴置高史・木村幹の対談「ルビコン河で溺れ、中国側に流れ着いた韓国」日経ビジネスオンライン)が一気に広まった。朴大統領は、人民解放軍の「空母キラー」を習近平国家主席と一緒に観閲する反面、在韓米軍によるTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)の配置には同意していない。THAADは本来、北朝鮮のミサイルから韓国を防衛するためのものだが、中国は「黄海の奥深く、北京まで射程にとらえる」として反対し、韓国に対して受け入れないように露骨に圧力をかけている。
韓国政府は米韓首脳会談で「中国傾斜論を払拭できた」と自負している。しかし、オバマ大統領から「声を上げろ」(ホワイトハウス「米韓首脳会談後の共同記者会見」)とはっきりと要求された南シナ海問題で依然として中国を名指しせず、「航行の自由」と「紛争の平和的解決」という原則を繰り返すだけである。後者は、環礁の埋め立てがすでに完了している中では、「力による一方的な現状変更」を黙認することになりかねない。
問題は、法と規範に基づくリベラルな国際秩序を守護しようとするのか、それとも、挑戦を容認するのか、ということである。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉の妥結を受け、オバマ大統領は「中国のような国にグローバル経済のルールを決めさせない」と断言した(ホワイトハウス「TPPに関する大統領声明」)。韓国は、日米とは異なり、中国が主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)にも加わった。
中国の台頭というグローバルな構造変化に対して、世界各国が対応を迫られている。日韓関係の変容もその中で生じていて、「もはや米中関係の従属変数にすぎなくなった」という見方さえある。そこまで極端ではなくても、「日韓」関係は単独の二国間関係としてはもはや捉えきれず、「日米」「日中」、「米韓」「中韓」、何より「米中」という他の二国間関係や、「日米韓」「日中韓」「韓米中」などマルチの関係との中に位置付けなければ何も分からないことだけは明らかである。つまり、「一次方程式」ではなく、「高次連立方程式」として問いを立ててはじめて、解くことができるし、解いても意味があるというわけである。
こうした中、日本は米国との同盟を強化し、抑止力を強めることで対応しようとしている。他方、韓国は米国との同盟を堅持しつつも、中国との関係を多方面で深めている。この「韓米中」「安米経中(安保は米国、経済は中国)」という路線は、ここ3年間の朴政権下で一層鮮明になっていて、「安中(安保も中国)」「韓中米」に変わるのではないかというシミュレーションすら行われている(鈴置高史『朝鮮半島201Z年』日本経済新聞出版社、2010年;Sue Mi Terry, Unified Korea and the Future of the U.S.-South Korea Alliance, A CFR discussion paper, December 2015, Council on Foreign Relations)。
「韓米中」の中では「日米韓」というより「米日韓」が後退するのはむしろ当然である。「中国傾斜」は「日米韓に対する裏切り」として非難したり落胆したりするのではなく、グローバルな構造変化に対する日韓それぞれの認識や対応の相違として冷静に理解するべきである。その上で、それを所与の条件として、日韓関係を再定立すればいい。「日米韓」において「日韓」はかつて「擬似同盟(quasi-alliance)」や「事実上の同盟(virtual alliance)」とも評価されたが(ヴィクター・D・チャ(船橋洋一監訳・倉田秀也訳)『米日韓 反目を超えた提携』有斐閣、2003年;Ralph Cossa, “U.S.-Japan-Korea: Creating a Virtual Alliance,” PacNet, 47, 1999)、今や日本にとって「準同盟」はオーストラリアと言われている。
3年半ぶりの日韓首脳会談が開催されたのも、日中韓サミットというマルチ会合の場だった。次回は安倍首相がホストすることになっているが、2016年5月には伊勢志摩サミットも予定されている。バイ(二国間関係)を動かすには、他のバイやマルチとの連動がより有効な場合がある。
日中韓サミットの開催を確実にすれば、朴大統領の初来日と2度目の日韓首脳会談はおのずと織り込み済みになる。韓国がそうであったように、日本も、中国との関係を進めることで「日中韓」や「日韓」を動かそうとするのは間違いない。
「日中韓」はマルチの枠組みの中で制度化が低く(大庭三枝『重層的地域としてのアジア―対立と共存の構図』有斐閣、2014年)、「北朝鮮の核問題」についても一つの声を上げることができない。今のところ、「日中韓」はPM2.5の対策など機能的協力くらいでしか有効でないかもしれないが、バイの会談を進めるモメンタムにはなっている。
「日米韓」も、中国をめぐっては齟齬が目立つが、少なくとも北朝鮮の核問題に関しては、一致した立場をとることができる。「日韓」では霧散したGSOMIA(軍事情報包括保護協定)も、対北朝鮮に限定して、米国を介在するというかたちでは実現した。
このように、日韓関係の変容は、基本的価値を共有しなくなったから(だけ)でも、歴史認識問題が決着していないから(だけ)でもない。むしろ、グローバルな構造変化に対する認識に日韓間でギャップがあり、政策的対応に違いが生じているからで(も)ある。つまり、問題なのは、日韓両国が基本的価値というよりも戦略的利害を共有しているのか、ということである。
たとえ慰安婦問題が「妥結」したとしても、この戦略的齟齬はそのまま残る。むしろこれまで「カバー(擬装)」されていて見えなかったことが誰の目にも明らかになる。その意味では、「中韓歴史共闘」や「韓国の中国傾斜」も、中国による「対『米日韓』離間策」やその結果として理解すべきかもしれない。
いずれにせよ、これが日韓国交正常化50周年を迎えた日韓関係における「新常態(new normal)」である。ようやく首脳会談が開催され、長年のしこりが解消されたとしても、「日韓友好」という「正常」に戻るというわけではない。変わりゆく遠近感をそのまま描く方法や受けとめる姿勢が問われている。
プロフィール
浅羽祐樹
新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。