2016.05.12
中国の大気汚染はなぜなくならないのか
中国では、現在でも時折、社会不安をもたらしかねないほど深刻な大気汚染が華北地域など各地で発生する。
産業活動などの人為的な要因が大きく関係する大気汚染による健康リスクのために、「外出を控えるように」といった注意喚起すら頻発する事態となっているにも関わらず、なぜ改善が遅滞し、根本的な解決に向かわないのであろうか。
大気汚染の要因は多様かつ複雑であり、未だ全容解明されているわけではない。一方で、この問題が中国の政治・経済に深く根ざし、その構造が大気汚染の改善を一層困難にしているという明確な事実がある。
本稿では、中国における大気汚染問題の根幹的要因である工業汚染源をめぐる政治・経済の構造的問題について考えてみたい。
大気汚染の地域格差への視点
日本で中国の大気汚染状況が報道される場合、その内容は北京市の汚染状況、日本への越境汚染の2点に留まる場合が多い。これにより、情報の受け手は、大気汚染が北京市で発生し、当地が深刻な汚染に見舞われ、日本へも越境飛来するといった理解のみになりがちである。しかし、それは問題の一端に過ぎず、実態はそのような単純なものではない。
大気汚染状況を示す用語としてすでに一般的になりつつあるPM2.5(微小粒子状物質)年間平均濃度(環境NGO緑色和平による政府公開データの整理に基づく)で中国国内の状況を見ると、2015年、366都市のうち約8割が中国のPM2.5年間平均濃度基準2級(基準限度)である35㎍/㎥を超過していた。
同年に最も深刻だった都市は、新疆ウイグル自治区のカシュガル地区(119.1㎍/㎥)であり、2013、2014年は共に河北省邢台市(2013年、155.2㎍/㎥、2014年、131.4㎍/㎥)であった(表1参照)。
北京市は、2013年の都市ランクではワースト13位(90.1㎍/㎥)、2014年同26位(83.2㎍/㎥)、2015年同27位(80.4㎍/㎥)である。なお、2015年に最も濃度が低かったチベット自治区の林芝地区では10.6㎍/㎥であり、汚染程度に大きな違いがある。
注:括弧内はPM2.5年間平均濃度(単位:㎍/㎥)。2013年は74都市、2014年は190都市、2015年は366都市のランキング。
出所:緑色和平,2013年(http://www.greenpeace.org.cn/PM25-ranking/ )
2014年(http://blog.sina.com.cn/s/blog_4d08227f0102vhcr.html )
2015年(http://www.greenpeace.org.cn/pm25-city-ranking-2015/ )より筆者作成。
このように、都市ごとのPM2.5年間平均濃度を算出した大まかな状況を見るだけでも、2015年に300近い都市が基準超過していたこと、北京市よりも深刻な大気汚染状況に直面している都市が多数存在していたこと、汚染の程度が一様ではないこと、が分かる。
ここで問題は、このような大気汚染の地域格差や実情、とりわけ汚染が最も深刻な地域への関心が極端に低いことであろう。事実、日本でも2013年初頭頃よりPM2.5問題として
中国大気汚染への関心が高まっているが、中国各地の汚染格差がなぜ生まれるのか、原因はどこにあるのか、だれが最も深刻な汚染に直面しているのか、という点に関心が持たれることはほとんどない。
この社会の無関心は、後に述べるように、グローバルな経済システムを通じて自らも関わりを有する可能性がある汚染集中地域の違法な汚染源を放置することにも繋がる。そして、それは越境汚染をも引き起こす中国大気汚染の根幹的要因に目をつぶることでもある。
汚染源集中地域の実態
筆者が注目するのは、中国のなかでもとりわけ深刻な大気汚染地域である華北地域、特に河北省の大気汚染である。日本でも頻繁に報道される「北京市周辺の大気汚染」を考えた場合、河北省における深刻な汚染状況は無視することができない。なぜなら、河北省は北京市、天津市という2つの直轄市と隣接し、両市を取り囲むように位置しており、その大気汚染が風の影響で回流するからである。
河北省は、上述のPM2.5年間平均濃度ワースト10位以内に7都市(2013、2014年)、3都市(2015年)が入った(表1参照)。北京市、上海市などの国際的に有名な都市に比べ、河北省の知名度は高いとは言えない。なぜ、その河北省に大気汚染が深刻な都市が集中しているのであろうか。
その答えを端的に言えば、中国が急速な経済成長を遂げる過程において、河北省が重工業の一大生産拠点となり、大気汚染源の集中地へと変貌したためである。同省は、とりわけ2000年前後から急速な経済成長の過程で鉄鋼・セメント・板ガラスなどの重工業が急速に拡大し、邢台市・石家庄市・唐山市・邯鄲市など多くの都市が大気汚染源の集中地へと変貌した。例を挙げれば、同省における粗鋼生産量は、2000年時点では約1,230万トンだったが、2013年には約1.9億トンにまで激増している。この生産を行うために、膨大な量の石炭が使用され、深刻な大気汚染の原因となってきた。
さらに、同省では、このような重工業および経済成長を支える電力供給源として、安価かつ低品質の石炭を大量に利用する火力発電が増大した。その電力の一部は、北京市にも送電されている。そして、重工業の発展・経済成長・開発と共に、増大し続けてきた自動車走行など他の要因も大気汚染に拍車をかける。
環境汚染と経済成長
この問題を考えるうえで、重要な論点は、なぜ汚染源集中地域が判明していながらも、環境対策・政策の執行が徹底されないのか、という点である。すでに河北省を含む華北地域に対しては、中央政府から地方政府に対して環境対策の徹底や汚染企業閉鎖など厳しい措置が要求されている。しかし、依然として、違法な汚染物質排出、汚染除去設備の不備など、環境対策・政策執行の不徹底が多くみられるという。なぜであろうか。
ここで、環境汚染の背景にある「政治と経済」という根幹的な要因を考えなければならない。急速な重工業の発展は、地方の経済成長および中国全体のGDP(国内総生産)を押し上げることに大きく貢献してきた。河北省では、重工業により膨大な税収が地方政府にもたらされ、それにより開発が促進され、様々なインフラ整備が行われた。つまり、政府と企業の間でWin-Winの関係が成立していたのである。
経済成長及びそのための開発促進を至上命題とした政府が、経済成長の達成、及びそれを実現するための財源調達手段として重要視する重工業に対し、多額の費用が掛かる環境対策を徹底させるであろうか。中国経済が右肩あがりの経済成長を達成していた期間において、「環境と経済の両立」というスローガンは、多くの場合、やはりスローガンとしての役割しか果たせていなかったのである。
現在は経済成長が鈍化し、中国経済も厳しい状況に直面している。しかし、ここでも経済の減速、製品価格の下落に直面した企業は、生産を縮小すれば、ビジネスが成り立たなくなるため、利益を上げるためには増産して供給量を増やさざるを得ない。ここでも、コストが掛かる環境対策はやはり等閑にされるであろう。中小規模の企業であれば、なおさら生き残りをかけた状況で汚染対策に費用をかけることは難しい。
すなわち、環境対策を強化しなければならない地方政府と、存続の生き残りをかけた企業との間で、もはやかつてのようなWin-Winの関係が成り立たなくなっているとしても、それでも経済は、なお、大気汚染を存続させてしまう決定的な要因となっているのである。
さらに、汚染企業の閉鎖措置を伴う環境対策の強化は、失業という重大な社会問題を孕む。昨今は,経済対策措置(過剰生産能力の淘汰)もあいまって,鉄鋼・セメントなど重工業に対する強硬な閉鎖措置が採られているが、新たな社会不安をもたらしかねない閉鎖措置には自ずと限界があろう。
北京オリンピック・貧困・開発・グローバル化
2008年の北京オリンピック開催は、河北省の大気汚染にとって、大きな意味を持つことであった。北京オリンピックは、「緑色五輪」というスローガンが謳われ、国際的な関心が一手に集まることになる。そのため、重工業などの大気汚染源が北京市域内に存在することは、「緑色五輪」のポリシーに反することになる。結果、北京市内の重大な汚染源であった鉄鋼・コークス工場などの河北省各地への移転が加速した。
なぜ、北京市の汚染源は河北省に移転することができたのであろうか。その答えの一つに、同省の経済成長の遅れ、貧困地域の存在という実態があった。
河北省は周辺の北京市、天津市と比べて経済成長が遅れていたことに加え、北京市との境界地帯に、「首都を囲む貧困帯」と呼ばれる貧困地帯が存在している。
ここで、汚染源を移転したい北京市と、経済成長の達成および貧困対策を目的とした開発促進策として、汚染企業を誘致することも厭わない地方政府の利害関係が一致することになる(なお、この貧困地帯には、首都である北京市の水源地として位置付けられているため、汚染を伴う開発が制限されている地域もある。そのために、同地域では貧困状態の改善が進まないという、相反する問題があることも指摘しておきたい)。
さらに、この問題は、当地への国境を超えた経済活動の影響についても考える必要がある。なぜなら、中国は「世界の工場」であり、河北省はその生産拠点の一つであるからである。
中国は、世界の粗鋼総生産量の約半分を占めており、国内で生産量が最も多い省は河北省である。2013年に中国で鋼材輸出量が第1位だった河北省の膨大な生産をめぐる大気汚染と世界の市場・生産者・消費者は無関係ではない。外国企業が直接当地で生産していなくとも、鋼材の輸出入をめぐるグローバルなビジネスが当地の汚染企業の存続要因となっている可能性がある。
すなわち、安価な製品の世界市場への大量輸出・輸入というビジネスの構造そのものが、当地の汚染企業の生産を後押しすることになり、大気汚染がなくならない要因の一つとなるのである。
以上のように、地域間の経済格差、地方政府間の利害関係、国際イベントの開催(オリンピック)、貧困と開発、グローバル経済など、「政治と経済」をめぐるダイナミクスと構造が、環境汚染の地域間格差、汚染源の集中地域を生み出す要因となっている。そして、このような複合的要因は、まさに、中国が大気汚染を根幹から改善できない障壁となっているのである。
大気汚染と市民・環境NGO
深刻な大気汚染に直面しているのは、むろん、河北省の都市だけではない。近年は、河南省や山東省、新疆ウイグル自治区の都市・地区もPM2.5年間平均濃度ワースト上位に名を連ねる。これらの都市がなぜ深刻なのか、追究していかなければならない。
中国において政治・経済的に「構造化」され、グローバルな要因が絡む大気汚染問題を如何にして改善していくことができるであろうか。その課題は多いが、まず、本来、大気汚染が発生しているならば、なによりも注目・保護されるべきは、違法な汚染物質排出行為を行う大気汚染源の近隣に住み、健康被害をまともに受けている住民であろう。しかし、中国国内および国外から汚染集中地域および当地の汚染被害者へ関心が高まることはほとんどない。
この汚染集中地域・汚染被害者への注目の欠如は、違法行為を行う汚染源を容認・放置することに繋がる。すなわち、上述の政治経済構造に加え、大気汚染が深刻な地域・汚染被害者への「社会の無関心」は、さらに汚染を継続させる要因となる。
現在、中国では、大気汚染の実態を政府とは異なる視点で調査し、汚染被害者や汚染地域の実態を市民・社会に伝える役割を果たそうとする環境NGOが少数ながら存在している。「政府と経済(企業)」の2者に偏重した環境ガバナンスのあり方が問われている今、この2者を監視・協調・協働して環境対策に取り組もうとする環境NGOへの期待は大きい。ところが、昨今、中国では政府によるNGOへの圧力・統制が一層強まり、環境NGOの活動も一層の制限を余儀なくされている。これは、皮肉にも、環境ガバナンスの改善を妨げ、大気汚染を継続させるさらに1つの要因となり得る。
中国における大気汚染の重大な要因が政治・経済の構造にある以上、その構造を変革していくことなしに、大気汚染はなくならないであろう。そしてその変革は、政府・企業・環境NGO・市民の積極的な協働によって、各地の汚染源の環境対策を促し、汚染集中地域の被害者を救済していくことから徹底していかなければならない。
プロフィール
知足章宏
京都大学学際融合教育研究推進センター・アジア研究教育ユニット研究員。立命館大学、関西大学非常勤講師。博士(国際関係学、立命館大学)。専門は、環境と開発、環境ガバナンス、環境経済・政策学。アジア、特に中国における環境問題の背景にある政治・経済・社会構造、環境と開発をめぐる諸問題、環境ガバナンス・環境政策について、現地フィールドワークを重視した研究を行っている。主な著作に、『中国環境汚染の政治経済学』(昭和堂、2015年)、「中国における大気汚染と環境NGO・環境ガバナンス-情報公開・対話の模索」『アジア・アフリカ研究』第56巻第1号、アジア・アフリカ研究所、2016年、17-31頁など。