2016.08.08
天皇の生前退位は必要か?――中東における君主権能の代替から
天皇に生前退位の意向があると、7月13日夜7時のNHKで第一報が流れた。
報道によれば、数年内に生前退位する意向を宮内庁の関係者に示しているとのことだ。しかし、同日夜に宮内庁の山本信一郎次長は「報道されたような事実は一切ない」と否定し、生前退位の検討をしていないと述べた。
宮内庁はなぜ、こうした反応をしたのだろうか。
前提として、現行の皇室典範では生前退位が認められていない。その理由として、宮内庁はこれまで、生前退位を認めることで天皇の意に反する退位や、天皇による恣意的な退位といった問題が発生する恐れがあると指摘してきた。(注)
(注)生前退位を巡る宮内庁の懸念の妥当性については、以下を参照。「中東君主国と「生前退位」問題」『WEDGE Infinity』2016年7月28日
そして、生前退位を認めなくても、摂政の設置や国事行為の臨時代行などの既定の措置により天皇の権能を代行させることで事足りるというのが従来からの宮内庁の立場である。
天皇の高齢化と公務の負担への対応についても、生前退位が唯一の解決法ではないだろう。実際に、7月13日の報道後も政府関係者は生前退位そのものの是非については言及せず、公務の負担を軽減することを検討する方向のコメントを出している。
その後、8月8日に天皇が「お気持ち」を表明するとの続報が出ているが、そこでどのような話をするにせよ、これを機に天皇制についての議論はさらに盛り上がりを見せるだろう。
天皇制のあり方については日本の伝統や現在の政治・社会状況、国民の意思をもとに検討すべきだろう。他方、諸外国の君主制の事例について知ることも議論を深めることに貢献できると筆者は考える。
本稿では、筆者の専門地域である中東の君主国を例に日本における天皇の権能の代替という問題について考えてみたい。
中東の君主国については、イギリスやオランダといったヨーロッパ諸国の君主国に比べると多くの日本人にとって馴染みがないと思われる。中東では日本やヨーロッパ諸国と異なり君主が統治者として強い政治的な権能を有している。そのため、君主が権限を十分に行使できなくなると、国政に支障を来たすことになる。
こうした点で日本と差異はあるものの、政治と日常的に密接につながる中東の君主制諸国では、君主の権能とその代替といった機微な問題について多くの先例を有している。天皇制のあり方について議論する際に、こうした中東の例から参照できる教訓は少なくないだろう。
多様な君主制
中東地域には、サウジアラビア、クウェイト、バハレーン、カタル、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーン、ヨルダン、モロッコといった8カ国の君主制国家がある。一言に「中東」といっても、その政治体制のあり方は国によって違いがある。
君主が持つ権限についても、いずれにおいても君主が最終決定権を有する統治者として君臨していることに変わりはないが、日常の政務にどれだけ携わっているか、あるいは制度上携わることができるかは異なる。ここでは君主の行政面での権限の大小に着目して、3つに分類をしてみよう。
●首相兼任型(サウジアラビア・オマーン)
もっとも君主の権限が強いのは、行政府の長である首相を兼任している体制だろう。サウジアラビアとオマーンがこれにあたる。この体制の場合、内閣の首班、閣僚の指名・任命、閣議の主宰なども君主の役割となる。
そのため政務全般に君主の権能を発揮でき、各閣僚に直接指示を出すことも期待されている。そして重要なことは、君主が新たに首相を任命しない限り、首相の交代も発生しない。そのことから、君主の地位同様首相の地位も終身が前提となる。
●首相非王族型(ヨルダン・モロッコ)
これとは反対に、君主の権限がもっとも弱いのは、首相の地位を非王族が占める体制となっている、ヨルダンとモロッコだろう。日常の政務に携わるのは非王族が占める内閣であることから、君主・王室が担う政務と内閣が担う政務は峻別されていると言えよう。
例えばヨルダンでは首相の指名・任命は国王の専権事項であるが、選挙によって選出された議会が内閣に不信任案を提出することが可能であり、これによって内閣が解散に追い込まれることもある。君主と行政府の担う役割が異なることから、君主は行政上の失政について内閣に責任を負わせることが容易となり、実際にヨルダンでは過去10年間で首相が7人交代している。
●首相王族型(クウェイト、バハレーン、カタル)
両者の中間にあたるのが、国王は首相を兼務しないものの、主要な王族が首相を担う体制である。クウェイト、バハレーン、カタルがこれにあたる。首相の指名・任命を君主が担うのは非王族が首相を占める体制と同様であるが、君主制の安定のため有力な王族が首相の座に就くことから、君主の一存でこれを頻繁に異動させることは君主制の不安定化につながる恐れがある。
たとえば、バハレーンでは、ハマド現国王の叔父にあたるハリーファが、前国王の治世下である1970年から首相の座を占め続けている。このように、政務において君主とは別の王族が大きな権限を持つようになるのがこの体制の特徴となる。
なお、UAEは、アブダビ首長国、ドバイ首長国など7首長国による連邦制を採っている。このため、国家元首にあたる連邦政府の大統領、そして行政府の長である首相についても、7首長から構成される最高評議会での議決によって任じられることになっている。しかし、大統領についてはアビダビ首長、首相についてはドバイ首長が終身で就くことが慣例化している。
だれが/どのように君主の権能を代替するのか
権限の大きさや関与の度合いは国によって異なるが、中東の君主国では君主が政務も担う。日本の天皇のように立憲君主制で政務に携わらない君主よりも、政務・公務の負担は大きいと見て良いだろう。それでは、こうした負担の大きい君主の権限は、だれが、どのように代行することになっているのだろうか。
●君主を代替できるサウジアラビア
まず、政務の面において君主が首相を兼任しているサウジアラビアでは、副首相がこれを代行することが認められている。同時に、国王としての公務についても勅令により皇太子が代理を務めることができると定められている。実際、サウジアラビアでは1995年から2005年の間、ファハド国王が脳卒中で倒れたため、アブドゥッラー皇太子兼副首相が全権を代行した。
そもそもサウジアラビアでは、国王が外遊に出たり休暇で不在にしたりする際に、副首相が閣議の主宰といった公務を代行することは珍しいことではない。
さらに、副首相も不在の際には、第二副首相がこれを代行する例もある。現在、サウジアラビアでは、副首相は皇太子、第二副首相は副皇太子が兼任する仕組みになっており、王位継承の順位に応じて政務・公務の代行が図られるような体制になっている。
このような体制の場合、君主の一時的な不在は大きな問題とならない。君主の権能全般について、皇太子などの王族に代替させることが、制度的にも慣習的にも定着しているからである。懸念すべきは、権力闘争により君主の意思に沿わない権限の代行が起きうることであるが、これは日本においては現実的な脅威ではないだろう。
●君主の権能が代替されないオマーン
オマーンもサウジアラビアと同じく副首相がおかれ、行政に関しては国王が兼務する首相を代行することが可能になっている。近年では国王が高齢化し、健康不安も抱えているため、副首相が閣議を主宰することが恒例になっており、国際会議にも副首相や序列の高いその他の王族が出席している。
しかし、サウジアラビアと異なりオマーンでは副首相はあくまで行政面での代行をするに過ぎない。オマーンは制度上皇太子をおいておらず、後継者は国王の死後に王族評議会で協議して選出することになっている。ファハド副首相はカーブース国王に次ぐ序列第2位の王族であるものの、身分としては一王族に過ぎず、国王不在時に王室を代表する立場にはない。
そのため、国内巡幸といった君主の権威と密接に結びついた公的な行事は、国王以外にこれを執り行うことができる王族がおらず、国王の下で実施できないのであれば行事自体が取り止めとなっている。また、カーブース国王が病気療養のため国外に出ていた2014年のナショナルデーでは、主宰者不在のまま祭事が行われるという奇妙な事態も発生した。
君主の権能の代替が行われにくいという点で、オマーンの事例は日本に似ているといえよう。しかしオマーンで君主の権能が代替できないのは、後継者が明確に定められていないという特異な状況が原因である。特定の王族が君主の権限を頻繁に代行するようになれば、自然と彼が後継者と見なされるようになるため、オマーンではあえてこれが避けられているという事情がある。
●皇太子へ柔軟な対応をするヨルダン
オマーンのように君主の一部の権能について代替することができない状況は、君主制の安定性という観点からは好ましくない。このため、君主制国家も様々な対応策をとっている。
しばしば見られるのは、王位の継承先であり有事には君主の権能を代替することを期待される皇太子について、柔軟な対応をすることだ。ヨルダンでは憲法により国王の長子が皇太子になると規定されていたが、1962年にフサイン国王に息子(後のアブドゥッラー2世国王)が生まれると、体制の不安定化を危惧して1965年に憲法を改正し、弟のハサンを皇太子に任命できるようにした。
ハサンはしばしばフサインの代行を務めたが、これは幼年のアブドゥッラーが皇太子の地位にあり続けてもハサンと同様の役割を担うことはできなかったであろう。
なお、フサイン国王は自らの死の直前に、皇太子の座をハサンからアブドゥッラー2世に戻している。こうした措置は、皇太子のポストが世俗の政治と密接に関わっていないからこそ、比較的容易におこなうことができたと言えよう。
●副首長をおくカタル
また、カタルでは、皇太子とは別に副首長という地位を設けている。副首長は常設のポストではなく、皇太子に権限を委譲することができない場合に、首長が王族のなかから適任者を選出する。首長の権限の一部を委譲されるが、副首長という地位は王位継承とは一切関連付けられておらず、あくまで首長の公務が分担されるのみである。
現在カタルではタミーム首長の異母弟にあたるアブドゥッラーが副首長に就いているが、これはタミームがまだ36歳と若く、長子も8歳と年少であることから、子どもが成年に達するのを待って皇太子を任命する心積もりなのだろう。
カタルの副首長という地位は、日本でいう摂政に近いものと考えられよう。大きな違いは、カタルでは首長の一存により王族のなかからだれでも副首長に選べるのに対し、日本の摂政の場合は皇室会議で議論され、皇太子、親王・王、皇后、皇太后、太皇太后、内親王・女王の順にその地位に就任する順序が決められている点である。
日本の天皇制への教訓とは?
上記で示したように、君主制の形態によって君主の権能、そしてその代替の手段も様々であることが分かる。病気により長期間君主が不在になっても統治体制に支障がないサウジアラビアのような国もあれば、カタルのように王位継承者とは別に君主の権限の代行者を任命する国もある。
それでは、日本はこれらの中東の事例から何を学ぶことができるだろうか。
既に述べたように、現在の日本では象徴天皇制がとられているため天皇が政治的な権能を有することは否定されており、皇位継承においても序列による自動的な継承が前提になっている。こうした天皇制の基軸は、今後も変わることはないだろう。
他方で、摂政や国事行為の臨時代行といった制度は今後の見直しがありうる。
国事行為の臨時代行については憲法第4条第2項において認められており、現在でも天皇が病気療養や外国訪問に出る際に一時的な委任が行われている。しかし、委任が認められているのは憲法に規定されている国事行為のみで、外国への公式訪問や国内巡幸、各種式典への臨席といった公的行為の代行については特に規定がない。
今回の生前退位を巡る問題で、天皇の高齢化と公務の負担の増加がその背景にあるとするならば、サウジアラビアのように公務全般についても臨時代行ができるようにする、休暇などの平時においても代行を認める、複数の皇族に権限を委譲させるといったより柔軟な対応ができる制度に改めるという解決策もあろう。
また、ヨルダンやカタルのように、君主の権能を代替可能な人物を早期に任命しておくことも選択肢となりうる。日本の場合は摂政がこれにあたるが、政治的な権能を持たない日本の皇族のなかから、内閣総理大臣が議長である皇室会議が設置・変更・廃止を決定できる摂政という役職は、懸念されるほど天皇と摂政の二重権力を生み出す原因になるとは考えづらい。
戦前の日本においても、1920年3月には大正天皇の長期休養が発表され、皇后や皇太子が公務を代行したという先例がある。そして1921年12月には裕仁皇太子は摂政に任命され、大正天皇が崩御するまでの5年間、摂政として政務を担ったほか、閣僚や将校との謁見、皇室改革の主導、地方への巡啓といった公務もおこなっており、日本にとってこれらの制度に全く馴染みがないわけではない。
中東地域の君主国では、統治者である君主自らが公務の量を減らしたり分担させたりするように制度を設計することが可能だが、現在の日本の象徴天皇制の下では、天皇がイニシアティブを発揮し、公務の量に関して天皇側の方で調整をすることが困難である。
したがって、今後も政府主導で皇室典範の改正の議論が進んでいくことになるだろうが、天皇制の安定性を維持していくためには、様々な視点から現実的な問題を検討する必要があるだろう。その際には中東を始め海外の君主制のあり方を参照してみても良いのではないだろうか。
プロフィール
村上拓哉
公益財団法人中東調査会研究員。2009年9月、桜美林大学大学院国際研究科博士前期過程修了。クウェイト大学留学、在オマーン日本国大使館勤務を経て、2014年4月より現職。専門は湾岸地域の安全保障・国際関係論、現代オマーン政治。著書に「湾岸地域における新たな安全保障秩序の模索――GCC諸国の安全保障政策の軍事化と機能的協力の進展――」『国際安全保障』第43巻第3号(2015年12月)など。