2017.08.22

イラク軍によるモスル奪還。最大の拠点を失ったISの今後とは?

保坂修司×酒井啓子×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#IS#イラク#モスル

2014年イスラム過激派組織ISによって制圧され、指導者バグダディが国家樹立を宣言したイラク北部の都市モスル。そのモスルが7月10日、イラク軍などによって奪還された。イラクのアバディ首相は「偽りのテロ国家の終焉と失敗、そして崩壊を宣言する」などと述べ、勝利を宣言。市民からは歓喜の声が上がった。最大の拠点を失ったISの今後、そしてテロリズムへの影響とは。2017年7月11日放送TBSラジオ・荻上チキ・Session-22「イラク軍がモスルを奪還。 最大の拠点を失った『IS』の今後とは?」より抄録。(構成/大谷佳名)

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら →https://www.tbsradio.jp/ss954/

これで平和になったとは言えない

荻上 今日のゲストを紹介します。日本エネルギー経済研究所・中東研究センター研究理事の保坂修司さん、中東政治やイラク地域研究がご専門の千葉大学教授の酒井啓子さんです。よろしくお願いします。

保坂酒井 よろしくお願いします。

荻上 昨年10月に始まったモスルの奪還作戦、お二人はどのようにご覧になっていましたか。

酒井 ずいぶん長くかかったなという印象です。昨年の6月ごろにはイラクのファルージャという地域を奪還し、あとはモスルを残すのみという状態だったのにもかかわらず、相当な時間がかかりましたし、住民に対する被害も拡大しました。勝利宣言というよりはかなり苦戦したという実情です。

保坂 これでISが完全にイラクからいなくなるわけではない、という点には注意したいです。あくまで奪還したのはモスルだけで、イラク国内にはいくつかISが抑えている領域が存在しますし、モスル市内にもまだ少人数のテロリストが残っている可能性はあります。奪還したからといってすぐにモスルあるいはイラクが平和になる、ということにはならないでしょう。

荻上 そもそもモスルとはどんな場所で、イラク、ISそれぞれにとってどのような意味のある場所なのでしょうか。

酒井 イラクにとってモスルは第二の都市です。重要なこととしては、モスルはスンニ派が多く住む街で、非常にナショナリズムが強い地域ということです。イラクのナショナリズムであると同時に、「自分たちはもともとここに暮らしてきたアラブ人なんだ」というナショナリズムが強いですね。

ですからイラク戦争後はナショナリズムを掲げて中央政府に反発し、アメリカにも反発しました。不幸なことに、そうした立場をISによって利用されたわけです。「反政府なんだから我々に協力するだろう」といって上手くつけ込まれてしまった。

保坂 モスルはISにとっても極めて象徴的な街でした。ISは2014年6月にモスルを占領し、翌7月にはISの指導者バグダディがモスルにあるヌーリーモスクという場所で初めてカリフとして公の場に登場しています。つまり、モスルはISのイスラム的統治の象徴とも考えられます。したがって、今回モスルが奪還されたことは、ISにとって「象徴を失った」という意味で大きなダメージだったと思います。

荻上 「これでISがいなくなるわけではない」というお話がありましたが、今後のISの展開はどのようになっていくのでしょうか。

保坂 モスルはIS統治の象徴でしたので、その求心力を失ったことで、ISはイラクから徐々に掃討されていくでしょう。ただ、シリアに関しては依然として混沌が続いています。シリア側の「首都」とされるラッカでも包囲作戦が進んでいますが、重要なのはラッカがISから奪還されても、イラクのモスルと同じ結果にはならない可能性が高いということです。モスルは解放後イラク政府がその統治を行うことになるはずです。しかし、ラッカは、たとえ解放されたとしても、誰が統治するのかすら分かりません。ラッカを誰が奪還するのか、アサド政権なのか、あるいは反体制勢力なのか、反体制勢力であるなら、そのなかのどのグループなのかによって話が大きく変わってしまいます。

荻上 イラクに関しては少しは良い方向に進んでいるが、その他の地域はそれほど状況は変わらない、と。

対ISという点ではロシア、アメリカなども一応連携ができているわけですが、アサド政権に対してはどう対応するのか。また、そもそもシリアの難民問題の背景には、アサド政権下による国民に対する軍事的暴力があったりする。そうした問題をどういったプロセスで解決するのかが注目されますね。

保坂 ロシアとイラクで一応連携ができたといっても、残念ながら、シリア国内におけるそれぞれの宗派・グループごとでコンセンサスができているわけではありません。現在はロシア主導で和平協議が進んでいますが、諸勢力間で反対意見も多く、これが最終的な解決策になるとは思えません。結局、そうした、あるべき未来のシリアの姿を多くのグループが共有できなていないことが、シリアでISがはびこる原因の一つになっていました。

荻上 一方でイラクの場合も、もともとの国内の統治上の課題があり、なおかつ奪還後もモスル内部では住民同士の疑心暗鬼などが残っていたりする。こうした状況で、奪還されても必ずしもモスルが安全になったとは言えないのでしょうか。

保坂 そうですね。今後はシーア派主体のアバディ政権が、スンニ派が多数派のモスルの住民に不信感や反感を抱かせないような統治ができるかどうかが鍵になります。

荻上 イラクの統治をめぐる課題は、ISとの関係性の中でより重要度を増してきたとも言えるかもしれませんね。

保坂氏
保坂氏

IS掃討作戦はクルド独立のチャンス?

荻上 今回の奪還作戦はクルド勢力が参加しましたが、奪還後にイラク政府とクルド人との関係はどうなっていくのでしょうか。

酒井 クルド側は奪還作戦の最中の今年6月、長年主張してきたクルディスタン地域(クルド自治区)の独立について是非を問う国民投票を行うと宣言しました。そのため、考えようによっては「モスルを奪還する上で手柄をあげて、より有利に独立の交渉を進めたい」というクルド側の思惑があるのかもしれません。

今後は、IS対策で成果を上げたクルド人の要望に中央政府がどう答えるのかが注目されます。現時点では「独立は認めない」という方向ですから、そのせめぎ合いが難しいところになるでしょう。

荻上 そもそも、クルド自治区の制度上の位置付けはどのようになっているのですか。

酒井 現在のイラクは連邦制ですので、正式には中央政府と地方政府であるクルド自治政府との連邦で成り立っています。ただ、どの範囲までがクルド自治政府の領域なのかは、まだ争点となっているところがある。たとえばキルクークなどの油田地域、モスル周辺のクルド人が多く住む地域などは、現在も中央政府とクルド自治政府との間で取り合いが続いている状況です。

荻上 クルド側は一つの「国家」として独立したいと主張しているんですね。

酒井 はい。現在の連邦制でも一定の自治権は持っているのですが、たとえば石油開発を行っていても「石油収入のうちクルドの所有は○%」と定められるなど、中央政府との取り決めに基づいて動かざるを得ない場合が多々あります。それに、クルド民族は中東地域の中で唯一、数千万の人数を持ちながらも独立した国家を持たない少数民族です。ですから国家を持つことは長年の夢でした。

しかし、クルド少数民族が住むトルコ、イラン、シリアなどの国々のうち、彼らの独立を大手を振って認めようという国はありません。ですから、仮に今回イラク政府がクルディスタンの独立を認めたとしても、他の地域ではクルド民族の独立を牽制しようとする動きが出るかもしれない。とくにトルコは徹底して阻止する方向で動いてくるはずです。そうした周辺国に包囲される事態になりかねないので、簡単には独立のステップは踏めないでしょう。

保坂 クルドの場合、イラクだけの問題ではないのが難しいところです。トルコのクルド、イラクのクルド、イランのクルド、シリアのクルドと、それぞれ思惑が違います。そこが問題を複雑にしている大きな要素ではないかと思います。

モスル奪還後も残る市民の心の傷跡

荻上 3年間にもわたるISの支配の中で、市民への影響はどのようなものであり、どういった改善策が考えられるのでしょうか。

酒井 今は街全体が徹底的に破壊されてしまったため、まずはゼロから建て直さなければならないという物理的な問題が第一にあります。それ以上に大きいのが、市民の心の傷跡ですよね。

さきほど言ったようにモスルはスンニ派が多数派で、その他にもクルド人やキリスト教徒、少数民族のヤズディ教徒などが暮らしています。とくにヤズディ教徒やキリスト教徒はISから「奴隷」として扱われ、虐殺の対象にもされていました。そのため、彼らは非常に強いトラウマを抱えています。

もちろん、スンニ派の人々もISから相当な弾圧を受けていたわけですが、より悲惨な目にあっていたヤズディ教徒やキリスト教徒からすると、「お前たちはまだましだった」という感情に繋がりかねない。あるいは、かつてISに協力した市民が、今度は同じ地元住民から攻撃の対象となってしまうことも考えられます。ISが去った後、こうした“恨み”が市民の中に残っていくことは、今後モスルを建て直していく上での最大の障害になるのではないかと考えています。

荻上 先日、この番組でヤズディ教徒について取り上げた際に、ISによる人身取引によって家族がバラバラにされてしまった人が大勢いると聞きました。そうした方々が本当に生まれた場所に帰ることができるのか。地域で戦闘が終わったからといって、まだまだ課題は山積みですね。

酒井 ヤズディ教徒はクルド地域にも転々と住んでいるので、他の地域から一時避難している人もいます。しかし、クルド地域の中でもあまり居心地の良い思いをしているわけではないでしょう。そうした意味でもヤズディのような少数民族の行く末は危惧されます。

一方、今回のモスル奪還作戦を含め、IS対策全体の主導権を取っているのはシーア派の義勇兵です。ISが侵攻したとき、シーア派の宗教界がこぞって祖国防衛を訴えたので、多くのシーア派住民が徴募に答えたからです。ですから、モスルがシーア派に乗っ取られてしまうのではないか、という懸念を市民が抱くことにもなりかねない。政府がどこまでシーア派の勢力を自制していくことができるのかが問題になってくると思います。いずれにせよ、これからのモスルの再建が、周辺国や国際社会から暖かく見守られているのだと示していくことが重要です。

荻上 シーア派によるスンニ派の抑圧、という形で受け取られることは当然あってはならない。一方で、スンニ派同士でも地元住民の間では疑心暗鬼が残り、ヤズディなどの少数民族との共生、そしてクルド自治区の独立の問題もあったりする。こうしたさまざまな課題にどう対処していくのかが注目ですね。

保坂 イラクの場合はとくに複雑な政治構成、宗教構成になっていますので再建の課題はなおさら大きい。多くの方がISから解放されたことで過大な期待をしていますが、その期待が裏切られたときの幻滅も非常に怖いような気がします(イラク戦争でサッダーム・フセイン政権が打倒されたあとに、一部のイラク人がもった期待とその後の幻滅が想起されるでしょう)。やはり一般市民の精神的・物質的のケアについては、国際社会からの支援が必須だと思います。

IS台頭の原因とイラクの分裂

荻上 アラブの春の影響が広がり、その結果、各地で民主化が進むというよりは、むしろ秩序の不安定化による権力の空白、それにつづくテロ組織の台頭、あるいは民衆に対して国家が牙をむくというような混乱が生じました。こうした状況は、各国で統治上の課題が未解決であったことから引き起こされたのだと考えられます。イラクにおいては、どのような統治上の課題がISの台頭を招いたと言えるのでしょうか。

酒井 イラクの場合はアラブの春を経験していませんので、イラク戦争での政権交代が大きなきっかけになります。最大の問題は、アラブの春と違ってイラクの民衆は自分たちの手で政権をひっくり返していないということです。つまり、国内に勝者がいない。

とくにスンニ派の人々の間では、「結局、現政権はアメリカがお膳立てしてできた政権ではないか」という思いが強く、そこに最初のボタンの掛け違いがあります。スンニ派の人々にしてみれば、サダム政権は悪かったかもしれないが、自分たちが悪かったわけではない。それなのに、政権交代後に自分たちがマージナライズされるのは不公平じゃないか、という思いがあった。そこにISが上手くつけ込んで、「一緒に今の政府やアメリカをやっつけてやろう」という方向に持っていってしまった。まさにイラク戦争後の運営の失敗が、ISを呼び込んだ一番の原因だと言えます。

やはり単純な多数決での選挙では、どうしてもシーア派を中心とした政党が勝ってしまいます。結果、多数の宗派の上にあぐらをかいたシーア派中心の政策が進んでいくことになってしまった。

荻上 このままではIS対策が進んだ後に、イラクはスンニ派、シーア派、クルドの三つに分裂するのではないかと指摘されています。

酒井 私は必ずしもきっぱり三つに分かれることが平和だとは思いません。イラク戦争前のイラクを見ている限り、もともとはっきりと分かれていたわけではなかったです。都市ではとくに、スンニ派もシーア派もクルドも能力があれば昇進していくという社会でした。お互いに宗派が違っていても信頼関係を取り戻せば、また昔のように混ぜこぜになって生活することも可能なはずだと私は思っています。

荻上 その後の統治の回復、生活支援、民族同士の和解などにおける国際社会の支援のあり方についてはいかがですか。

酒井 まず教育など、最低限必要なものについては国際社会は十分に支援できると思います。今回イラクではモスル大学が徹底的に破壊されてしまいましたが、その時にイラク政府は各国の大使館に対して学生がすぐに勉強できるように教科書を集めてくれと呼びかけたこともありました。

ただ、こうした支援において政治的な紐がつく、たとえばアメリカがバックにいることが全面に出たり、今回のモスル奪還作戦でも中心となったシーア派の義勇兵たちの後ろにイランがついている、ということになると、国際社会の支援が「介入」という形で受け止められる恐れもある。そして介入という言葉に反応して「ISの方がマシだった」というような声も出て来かねない。そのあたりをどう支援していくかが重要になると思います。

荻上 自治であるという感覚を提供しつつ、今までよりも高度な生活水準の実現に向かってサポートしていく、適度な距離感が求められるわけですよね。

酒井 そうですね。さきほど言ったように、モスルはナショナリズムが非常に強いところです。国際社会はもちろん、クルドの手も借りない、シーア派の手も借りない。そうした自尊心をどのように守っていくかが重要だと思います。

酒井氏
酒井氏

ホームグローンテロリズムにどう対抗するか

荻上 リスナーから質問が来ています。

「ISは今後、拠点をどこに移し活動を広げていくのでしょうか。ホームグローンテロのようなイスラム過激派の思想家が世界各地に点在していると聞きますが、そのネットワークはどのようなもので、どのように構成されているのでしょうか。」

保坂 ISに限らずアルカイダなどのジハード主義系組織は、基本的には領域の支配がなくても存続できます。事実、アルカイダは支配領域をもたなくても、ずっと活動を継続しています。とくに、インターネット上に彼らの言説が残っているかぎり、極論すれば、誰もいなくなったとしても、彼らの言説が地雷のようにいつ暴発するかわからない状況はしばらく続くでしょう。

荻上 そうしたISの活動についてはより監視を強化すべく情報機関が対応していくと思われますが、それだけでは追いつけきれないところもあるのですか。

保坂 そうですね。ISの場合はとにかく影響を受けたり、インスパイアされたりした人数が多い。これだけ多くの人数を動員し、しかも組織すらまともにない状況でまとめ上げられるイデオロギーというのは、歴史的に見てもそう多くはありません。非常に稀な現象だといえるでしょう。

よく知られているように、ISにはアラブ人を中心に多数の外国人が戦闘員として流入しています。彼らの多くは自分たちの生まれ育った国で過激化し、イラクやシリアでISに参加しています。ISがイラクやシリアで弱体化すれば、その多くが祖国に戻ることになります。彼らのようなテロリスト予備軍やイラク帰り・シリア帰りへの監視を強化することは喫緊の課題といえます。ただし、人数が多いので、監視にはたいへんな手間暇がかかります。

中東はもちろんアジア、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどイスラム教徒の多い地域では、すでにISに感化されたテロリストたちによる事件が多発しており、その反動のかたちでイスラム嫌い(イスラムフォビア)の増加・拡大も現実のものになっています。これらの地域ではイラク帰りやシリア帰りの監視も重要ですが、非イスラム教徒のあいだでの根拠のないイスラム嫌いを防止するために、イスラムやイスラム教徒に関する知識と認識を一般国民のあいだで高めていくことも重要になっています。一般国民が変にイスラム教徒に対して偏見を持つようなことがあれば、ISが彼らの国への攻撃を正当化する言い訳に使うこともありうるからです。

ただ実際には、国・地域ごとでの(信仰の自由や経済問題等)環境の違いによって、テロリスト予備軍の監視やイスラム理解の拡充できめ細かい対応ができるかどうかが難しいと思います。イスラム教徒が非常に少ない日本ですら、ISに加わろうとする人たちが出てきています。こうした人々をどうケアしていくかが、それぞれの国で課題となります。

荻上 日本では2011年以降、公安によるイスラム教徒の監視が問題となりましたね。個人情報が流出したにもかかわらず、そのことを反省している傾向も見られないような状況だった。国内においても、きめ細かな対応についてはなかなか議論されていない感じがしますね。

保坂 日本の場合はイスラム教そのものに対する知識が欠落していますので、まずはそこからスタートする必要があります。中東やアジア、ヨーロッパやアメリカなどでは、こうした対策もかなり進んできています。それらと比較すると、イスラムに関する理解の拡大や危険人物の監視などの政策で日本は相当遅れているといわざるをえません。ただ、中東やアジア、欧米では今後イラクやシリアが落ち着いてきたときには、帰国した戦闘員をどのようにリハビリし、彼らを社会復帰させ、ホームグローンやローンウルフと言われるテロを防止するかという問題が中心になってきています。

荻上 主導者バグダディが死亡しているという報道がなされていますが、これが真実だった場合、ISの統率力はどうなっていくのでしょうか。あるいは次の代表が生まれるのか、このあたりはいかがですか。

保坂 死亡説はこれまでに何度も流れていますが、ISのような組織の場合、指導者は必ずしも必要ではありません。むしろ、組織があり、指導者が一つ一つ指令を出しているタイプのテロであれば、今後の動向を予測しやすいわけです。すでに説教や声明、ビデオなどインターネット上にばらまかれた地雷をいつ誰がどこで踏むかわからないというのが、IS対策の難しいところです。

世界中どこであれ、怒りや不満をもった若者たちが、ISやアルカイダからの直接的な命令や指示がなくても、こうした自分たちと違うものに対する攻撃を呼びかける素材を適当に忖度して、自分の生まれたところでテロを起こす。こうした事件がすでに欧米で頻発しています。

新たなテロを防止するためにも、自国で過激化したもの、シリアやイラクから帰国した戦闘員をどのように社会復帰させていくか。とくに中東以外の国では、このリハビリが今後のもっとも大きな課題になってくるだろうと思います。

荻上 戦闘員へのケアとしては、社会的包摂だけでなく思想の武装解除も必要だと思われます。これについて前例やプログラムのようなものは構築されているのでしょうか。

保坂 はい。中東の国々の中では、ほぼどこの国でも同じようなリハビリが進められています。従来は、アジトを攻撃してテロリストを殺害するとか、逮捕して刑務所に入れるというのが中心だったのですが、刑務所がテロリストやテロリスト予備軍をより過激化させる要因となっていたことがわかってきました。近年では、彼らを単に刑務所に閉じ込めておくのではなく、イスラム法学者やソーシャルワーカー、心理学者らとなどさまざまな専門家たちが開発した脱IS化、脱洗脳のプログラムを受刑者に受けさせ、社会復帰させるというソフトアプローチの重要性が強調されるようになっています。

ISに吸い寄せられる東南アジアのイスラム教徒

荻上 こんなメールも来ています。

「東南アジアにも、ISの影響が単独あるいはグループで広がっていると聞いています。今後、テロリストが世界中に広がるのではないかと心配しています。」

保坂 現在では、とくにフィリピンで大きな動きを見せています。ISが活動を活発化させているのはフィリピンのなかでももともとイスラム教徒が多く、かつ反政府運動が盛んであった場所です。そこで活動していたグループの多くがISに忠誠を誓い、そのイデオロギーにもとづいて活動を拡大するという事件が起きています。

おそらくこのような動きは、イスラム教徒が迫害を受けている地域、あるいはそう考えられている地域を中心に、世界中に広がっていくと考えられます。フィリピンはまさにそうですし、ミャンマーもロヒンギャと呼ばれるイスラム教徒がたくさんいます。中国の新疆ウイグル自治区などもそうです。少数派差別の残る地域には常に火種がある。こうした地域がある限り、ISやアルカイダのイデオロギーは存続すると考えねばなりません。

酒井 ISに加わる人々は、積極的にISの思想に惹かれていったというよりは、もともと自分たちの状況は不遇だと感じるきっかけがあるんです。ロンドンでのテロの時にも、犯人が「シリアで行われたことをお前たちは分かっているのか」という捨てゼリフを残した。同じようなケースは非常に多いんですね。シリア内戦でアサド政権がどれほどひどいことをしているか、ロシアの空爆がどれほどの被害を生み出しているか。国内で次々に人が亡くなっている現実を、国際社会は見捨てている。そうした思いを敏感に感じた人たちが、ISに吸い寄せられていってしまうのです。

極端に言えば、ありとあらゆる社会的な不公平感というものは、過激な思想を吸い寄せるものなのだと思います。ISがなくなったとしても、あるいは今の機能を失ったとしても、同じような形で人々の不公平感を吸収し、力をつけていく勢力は生まれていくでしょう。それがISと全く関わりのないところから出てくる可能性もある。

荻上 ホームグローンテロリズムに関しては、アルカイダなりISなり、その都度、流行っている思想体系や話題になっている人物に対して共感を持つという形で感染していった。それがIS以降も続くのではないかという観点も、準備しておかなければならないわけですね。

そんな中で、フィリピンにおけるISの影響、及び対策はどのように考えれば良いのでしょうか。

保坂 現在、ミンダナオ島などで活動しているテロリストたちは、もともとはモロ民族解放戦線とかモロ・イスラム解放戦線といった名前で呼ばれていたグループが中心になっています。かつてはアルカイダに忠誠を誓っていましたが、おそらく勝ち馬に乗ろうと思ったのか、今はISとして活動しています。やはり非常に根が深いのは、フィリピン国内ではキリスト教が中心ですので、常にイスラム教徒は迫害されているという意識がある。それが、たとえばフィリピンではイスラム教徒の多い地域において、ISやアルカイダがはびこる大きな栄養素になっています。

もう一つ気になっているのは、彼らはISに忠誠を誓ってから「ISフィリピン」と名乗るようになっていたんですが、1年ほど前から「IS東アジア」と名前を変えたことです。東アジアとはどこまでのことを言っているのか、日本も入っているのか。ISは日本も含む東アジアまで手を伸ばそうとしているのか、という危惧はあります。

ただ、私自身は日本がISから直接的に襲われる可能性は非常に低いと思っています。もともと日本に関しては、ISもアルカイダもほとんど関心を示してきませんでした。しかし、だからと言って日本人が襲われない、というわけではありません。石油を買うにしろ、物を売るにしろ、常に彼らが攻撃しようとする場所に日本人はいますので、そうした攻撃に日本人が巻き込まれる恐れはあります。

荻上 地域に根づく差別や貧困など、小さな紛争の芽が大きな火種になる可能性はあるので、国際的に協力しながら芽が生まれる土壌を避けていく。国連が誕生して以来、そうしたことを本当の意味の「積極的平和主義」という言葉で表現していた動きもありました。そんな中で、今後の国際的なテロ対策についてはどのように見ていけば良いでしょうか。

酒井 やはり、それぞれの地域で抱えている問題をなるべく無くしていくことです。同時に、これはフィリピンが典型的ですが、従来は少数民族として分離独立運動をしていたグループが、なかなか目的が実現できないためによりラディカルな方向性に走り、もっともキャッチーなイスラム過激派というものに飛びつく。そうした動きが、たとえば中国のウイグル自治区、ロシアのチェチェンなどでも生まれています。そうなる前に、彼らの声を国際社会がどのように吸い上げていくかが課題になると思います。

荻上 イラク、シリアだけではなく、各地域の状況にも目を向けていきたいですね。保坂さん、酒井さん、今日はありがとうございました。

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<中東>の考え方 (講談社現代新書)
酒井 啓子

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ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ (岩波現代全書) 
保坂 修司 

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プロフィール

酒井啓子イラク政治史、現代中東政治

1959年生まれ。82年東京大学教養学部教養学科卒業。イギリス・ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所入所後、在イラク日本国大使館専門調査員、在カイロ海外調査員、日本貿易振興会アジア経済研究所参事、東京外国語大学教授を経て現職。専門はイラク政治史、現代中東政治。著書に『イラクとアメリカ』『イラク 戦争と占領』(岩波新書)、『フセイン・イラク政権の支配構造』(岩波書店)、『イラクは食べる』(岩波新書)、『〈アラブ大変動〉を読む-民衆革命のゆくえ』(東京外国語大学出版会)、『中東政治学』(有斐閣)、『〈中東〉の考え方』(講談社新書)、『中東から世界が見える』(岩波ジュニア新書)、『移ろう中東、変わる日本:2012-2015』(みすず書房)など多数。

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保坂修司湾岸近現代史、中東メディア論、科学技術史

日本エネルギー経済研究所研究理事。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(東洋史)。専門は湾岸近現代史、中東メディア論、科学技術史など。在クウェート日本大使館専門調査員、在サウジアラビア日本大使館専門調査員、中東調査会研究員、日本学術振興会カイロ研究連絡センター長、近畿大学教授等を経て現職。著書に『乞食とイスラーム』(筑摩書房)、『サウジアラビア――変わりゆく石油王国』(岩波書店)、『新版オサマ・ビンラディンの生涯と聖戦』(朝日新聞出版)、『イラク戦争と変貌する中東世界』(山川出版社)、『サイバー・イスラーム』(山川出版社)等。『ジハード主義――アルカイダからイスラーム国へ』が岩波書店より近刊予定。

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荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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