2018.09.07
東南アジアにおける「麻薬との戦い」――ジャカルタの現場から
「戦う男」は強い。「戦う男」は指導力がある。「戦う男」は正義感に溢れる。そのイメージは政治の世界で価値をもち、為政者たちは古今東西「ストロングマン」を演出してきた。
米国では「貧困との戦い」を訴えたジョンソン大統領、「麻薬との戦い」を宣言したニクソン大統領、「テロとの戦い」に明け暮れたブッシュ大統領、そして「貿易戦争」に乗り出したトランプ大統領。みな、戦争のメタファーを動員して、ナショナリズムの扇動とリーダーシップの発揮をシンクロさせる政治を行ってきた。デモクラシー先進国は、多かれ少なかれ、さまざまな戦争を発明して民衆の支持を取りつける政治家の台頭を許してきた。
デモクラシー後発国でも同じであろう。ただ、民主主義の制度的練度が低いため、戦争に伴う「権力の横暴」がより露骨に現れる。そのことを強く意識させられるのが、他ならぬアジア、とくに近年の東南アジアのデモクラシーである。この地域では、21世紀に入ってからもタイのタクシン政権、フィリピンのドゥテルテ政権、そしてインドネシアのジョコ・ウィドド(愛称ジョコウィ)政権が「麻薬との戦い」を掲げて、大規模な人権侵害を招いてきた。
なぜ民主選挙で選ばれた東南アジアの政治リーダーたちは、麻薬との戦いに精を出すのか。それぞれの国内事情はあるものの、共通しているのは、犯罪と戦う姿勢を強く打ち出すことで、都市中間層の政治的支持を確保したいという思惑である。なぜそういう思惑が生まれるのか。それがどういう波及効果を生むのか。タクシンからドゥテルテ、ドゥテルテからジョコウィに伝染した東南アジアの麻薬との戦いで、ジャカルタはもっとも新しい「戦場」である。そのジャカルタの麻薬戦争の内部に迫ってみよう。
「麻薬との戦い」という言説
本題に入る前に考えるべきことがある。そもそも「麻薬との戦い」とは何ぞや、である。前述のジョンソン大統領は古典的な例だが、近年における麻薬との戦い(war on drugs)は、グローバルな安全保障の課題として認識されている。とくに麻薬やテロ、海賊、人身取引などの「非国家アクター」による「国境を越える」脅威にどう対応するか―――これが冷戦後、各国の安全保障サークルの重要政策課題に格上げされるようになった。
学問的には国際関係学が中心となって、トランスナショナルな脅威に対応するための国際安全保障レジームの構築に関する研究が進んだ。いわゆる非伝統的安全保障(non-traditional security)と呼ばれる研究分野であり、麻薬の問題も、その枠に埋め込まれて、組織犯罪や麻薬カルテルの脅威にどう対抗するかの政策論が流行りとなった。
これらの政策的・研究的な関心が共鳴し、2000年には国際組織犯罪防止条約が国連で締結された。以後、越境犯罪との戦いという国際協調が、新たな国際安全保障の規範となり、グローバルなコンセンサスと伴に地域的な取り組みも模索されるようになっていく。そして、この規範こそが、麻薬の問題を組織犯罪の問題と同一視させ、撲滅を目指す安全保障政策の一環として、軍隊や警察、治安機関を前面に出す「戦い」を普及させてきたのである。
もちろん麻薬は犯罪の範疇であり、犯罪対策として治安機関が対応することに一定の妥当性はあろう。しかし、その撲滅キャンペーンを戦争メタファーで景気づけて、刑罰的なアプローチが支配的になることで、その社会は大きな犠牲を抱える。それは、一言でいえば公衆衛生的なアプローチの貧弱化につきる。
「パクってブチ込む」的な発想では、麻薬問題は解決しない。むしろ悪化させる。末端のプッシャー(売り子)にしろ、バイヤーにしろ、多くの場合は薬物依存症の被害者であり、依存に至る理由はさまざまである。恋人にフラれたとか、失業したとかの絶望感から薬物に手を出してしまうケースも少なくない。そういう人たちに「ジャンキー」とレッテルを貼り、だらしない麻薬常習者は「社会の悪」、「排除だ」、「パクってブチ込め」という世論形成に導くのが「麻薬との戦い」の典型だ。そのツケは、以下でみるようにさまざまなかたちで社会に降りかかってくる。
いずれにせよ、麻薬対策を安全保障の問題に収斂させてはいけない。その下地を作ってきた非伝統的安全保障の議論は見直されるべきであるし、麻薬対策に関しては、今こそ「脱安全保障化」されるべきであろう。本稿の狙いもまさにそこにある。
戦争キャンペーン
では実際に麻薬との戦いはどのように始まり、いかなる衝撃を与えるのか。ジャカルタの実態を紹介したい。まず戦争キャンペーンの誕生と展開をみていこう。それはジョコウィ政権が2014年の10月に発足したのとほぼ同時だった。同月、国家麻薬庁(BNN)は衝撃的な発表する。それによると、インドネシアの麻薬中毒者の数は急増中で、2014年には450万人に達した。しかもその7割以上が若年層だと強調した。
これを受けて、同年12月にジョコウィは麻薬に対する非常事態宣言を出す。追って翌年2月には麻薬との戦いを宣言した。ジョコウィは、BNNの450万人という数字を引用しながら、さらに麻薬使用者は年間に1万8千人も死亡しており、日に換算すると毎日50人が麻薬で死んでいるとアピールし、戦争への突入に理解を求めた。この「毎日50人が麻薬絡みで死んでいる」というメッセージは、ある種の衝撃となった。死者数はテロ被害者の比ではない、ただちに断固とした措置を取るべきだ。そういう世論が強まる契機になったのである。
それから半年後、2015年9月にはBNN長官が交代する。ジョコウィが任命した新長官は、豪腕で知られるブディ・ワセソ国家警察刑事局長だった。長官就任にあたって、ワセソは前任者の方針を「生ぬるい」とし、薬物常用者に対するリハビリ対策よりも、密売人に対する取り締まりを強化すると宣言した。ここからジョコウィとワセソの競演が始まる。
3ヶ月後、BNNは2015年度の報告書を大々的に発表し、同年の薬物使用者はついに約590万人に達し、インドネシアは東南アジア最大の麻薬市場になったと脅威をアピールした。同時にワセソの過激発言もエスカレートしていく。就任から一年を振り返る2016年9月の公式コメントでは、フィリピンの例を持ち出し、ドゥテルテばりの麻薬戦争をやる必要があると煽った。また「国軍も麻薬戦争に参加するべきだ。軍が80年代に手がけた「超法規的処刑」を復活させるとよい」とも言い放った。
ジョコウィも、同年12月に独立記念広場で演説し、麻薬との「大戦」という言葉で戦いのエスカレーションを訴えた。それを受けて、2ヶ月後の2017年2月にはBNNが新たな調査結果を公表し、首都ジャカルタで麻薬常習者が50万人を超え、その2割が大学生だと発表した。50万人というと、ジャカルタの人口の約20人に一人である。しかも大学生が多いという驚きと重なることで、都市中間層の脅威感を煽るのには十分だった。
そこから戦争キャンペーンも加速していく。興味深いことに、BNNは同年5月と6月に立て続けに「外国からの脅威」をアピールした。まず5月には「ゾンビ化ドラッグ」として欧米で知られる合成麻薬のフラッカが、ついにインドネシアに上陸したとし、7月には72の国際麻薬組織がインドネシアで暗躍していると発表した。これによって、「麻薬は外敵、それと戦う政府」という構図が強調され、ナショナリズムの高揚を促すロジックが強化された。
その結果、乱暴な発言も、ナショナリズムの反映として社会に許容される下地もできた。ジョコウィは、「売人が抵抗したらその場で発砲だ」とBNNや警察を励ました。それを受けて、翌8月にはジャカルタ州警本部長も、捜査過程での発砲に言及した。「売人たちは罪を悔やみ神様に謝罪したいはずです。彼らを神様のところに送ってあげるのが警察の仕事です」と、路上での射殺を奨励した。ワセソも「年間1万5千人が麻薬で死んでいるのです。抑圧的な対処は正当です」と訴えた。
以上のように、ジョコウィ政権の発足以来、麻薬戦争のキャンペーンが加速的に進められてきた。とくに昨年からは「外敵との戦い」というレトリックが強化されることで、ナショナリズムの発動による人権無視の弾圧政策が正当化される傾向が強まっている。その効果は、実際に世論調査に顕著にみられる。国内の最有力紙「コンパス」が2017年8月に行った調査では、回答者の約9割が麻薬を脅威と認識し、7割が警察の麻薬対策を高く評価しているとの結果が出た。コンパスは、都市中間層の声が反映される新聞であり、この世論調査からも、ジョコウィの麻薬戦争が中間層の強い支持を得てきたことが理解出来よう。
その支持獲得のカギは何か。先の話から分かることは、統計のインパクト、麻薬売買の印象操作、そして世直しナショナリズムの効用である。とくに統計は人々の心理を操る効果があるが、年間1万5千人とか1日50人という数字は、社会に強烈なショックを与え、その結果、麻薬絡みの話を犯罪撲滅としか考えない思考停止に導いてきた。その上で、「戦争リーダー」たちは、世直しの突破口のためには人権などと眠たいことをほざく暇はなく、断固とした対策で国と次世代の若者を外的脅威から守るのだと訴える。これがジョコウィ率いる麻薬戦争キャンペーンの論理である。
戦争の成果
では、その戦争成果はいかなるものか。BNNは、まず逮捕者の増加を大きな成果だとアピールしてきた。とくにワセソがBNN長官になってからは、国家公務員の抜き打ち尿検査なども行われており、2016年には20万人近い役人の検査も実施して、身内にも厳しい態度を示してきた。その効果も含めて、ジョコウィ政権になって麻薬関係の逮捕者数は毎年約9%増加しており、2017年は過去最高の5万8千人を記録した。
逮捕者だけでなく、容疑者射殺の件数も急増している。2016年の件数は18人だが、2017年はジョコウィの「発砲奨励」があり79人に膨れ上がった。アムネスティ・インターナショナルをはじめとする人権擁護団体は、この超法規的射殺を強く批判している。しかしBNNは、大統領の指示に沿った対応で正当だとし、ワセソ長官も「取り締まり現場で容疑者が逃げてくれれば、もっと射殺できるので、ぜひ逃げてみてほしい」と批判を一蹴した。
また、死刑の執行も麻薬戦争の成果としてジョコウィ政権はアピールしてきた。2010年から2014年まで、麻薬関連受刑者の死刑執行はない。それがジョコウィ政権になってからは、2015年に14人、2016年は4人、2017年には55人の死刑が執行されている。BNNは、死刑による抑止効果が効いて、麻薬ビジネスのリスクは高まり、市場は縮小すると主張している。
これらの「成果」に対して、先の世論調査で見たように、都市中間層の多くの人たちが高い支持を示しており、それが「麻薬との戦い」を継続する正当性の根拠となっている。しかし、この戦争の影に目を向けると、いかに問題が多いかがわかる。同時に、さまざまな政治的な思惑が働いていることが見えてくる。
戦争の影で
まず刑罰的なアプローチに極度に偏向した麻薬対策なため、検挙数を上げて成果をアピールする競争が、各地のBNN支部や警察の内部でエスカレートしている。数字を出すことが幹部の昇進につながるし、その数字が次年度予算にも反映してくる。そのため「パクリ合戦」が過剰になっていると警察関係者は語る。
おとり捜査も合法的に行われているかは怪しく、いわゆる犯意誘発型のものや、偽の証拠を仕込むことも多々あるという。また、密売組織を叩くのではなく、末端のプッシャーをターゲットにした取り締まりが多く、少量の薬物しか持たず、逮捕の際に抵抗もしない売人たちを一斉に検挙して数字を上げている実態も指摘されている。
また部署によっては捜査官にノルマを課している場合もあり、違法なおとり捜査や、脅迫による薬物使用者への自白強要が後を絶たないと市民団体は批判する。ある薬物依存者擁護団体の会長いわく、「脅迫されて、逮捕されるか賄賂を払うかの選択を迫られるが、どちらも断った仲間は強制連行から3日後に射殺された」と嘆いた。薬物使用者は、自分たちが弱い立場にあることを理解しており、捜査官の暴力や脅迫に抵抗することは少ないという。このことは、麻薬捜査が戦争の名の下で人権侵害の温床となっている可能性を示唆している。
また国の法律(2009年麻薬法)で、薬物使用者と麻薬売人の区別が曖昧なのも問題を生んでいる。「使用者」としての薬物依存者はリハビリの対象なので、「売人」だけを「パクってブチ込む」という建前が法的にはあるものの、これは空論に近く、実際には売人の多くが、逮捕後に捜査官との「交渉」で依存者扱いにしてもらい、刑罰を逃れるケースも多々報告されている。とくに組織の後ろ盾があるプッシャーたちの場合、逮捕されても「ケツ持ち」が何らかの手段で「依存症診断書」を手に入れてくれるので、刑務所行きからリハビリ厚生施設行きに切符が変わるのである。そのため、実際に刑を受けるのは、太いケツ持ちがいないプッシャーばかりとなる。
さらにいえば、強権的な捜査によって逮捕者や死者が増えたところで、薬物依存者が薬をやめられるわけではない。むしろ麻薬の供給量が減り、末端価格が高騰することで、無理して購入しようと強盗や窃盗、売春などの別犯罪を誘発するケースが多い。このことは治安の悪化に他ならず、街で市民を守っている「お巡りさん」の日常活動に大きな困難を強いることとなる。
そういう警察官のみならず、麻薬戦争は刑事司法制度全体、つまり法執行、検察、裁判所、刑務所への過重負担を深刻にしている。とくに切実なのが刑務所のキャパオーバーであろう。今、全国の刑務所人口の75%が麻薬関連の受刑者である。法務人権省の2016年9月のデータによると、受刑者総数約12万人中、麻薬関連者が9万1千人を超えた。
「パクってブチ込む」麻薬戦争は、ちょっとした遊び心でドラッグに手を出す「やんちゃ」な若者やセレブにも極悪非道の罪人レッテルを貼り、刑務所送りにしてきた。その結果、各地の刑務所は収容量を超えており、西スマトラ州の刑務所などでは昨年5月に暴動と脱獄事件が起きた。そこでは、収容人数がマックス400人のところ1800人も押し込んでいた。なんと収容率450%――これは世界でも劣悪で有名なハイチの刑務所の収容率に匹敵する数字である。
当然、刑務所ガバナンスも脆弱になる。麻薬密売組織の大物フレディ(死刑囚)の証言では、安給料の看守を賄賂で取り込んでいるだけでなく、取り締まり機関の幹部に上納金を支払っているため、「塀の中」で麻薬の生産と取引が自由にできるそうだ。ジャカルタのチピナン刑務所やポンドックバンブ女子刑務所などが有名だが、39の刑務所で麻薬ビジネスが横行しているとBNNも認めている。そして、こういう刑務所ではヘルスサービスが悪化しており、受刑者たちが注射針を使い回すために、HIV感染の高いリスクに晒されている。麻薬との戦いがHIV感染の拡大に貢献するという悲劇がここに見られる。
また戦争の影で、リハビリ対策が混乱している実態も、あまり注目されていない。麻薬は公衆衛生の問題である。さまざまなメンタル理由で薬物への依存や、向精神薬の過剰服薬に至る「患者」をどう治療し、社会復帰につなげていくか。現代社会は、どこもその課題に直面しており、その失敗がもたらす社会コストは大きいと認識されてきた。
インドネシアでも、医療リハビリと社会リハビリの2つのプログラムが存在するが、麻薬戦争で大量の人たちが逮捕されてリハビリに送られるようになったため、施設もプログラムもパンク状態になっている。リハビリ施設も、大人数をさばくために、日程を短縮した不完全なプログラムを提供せざるを得なくなっており、それが不満で脱退し、町のクリニックで続きのリハビリを受けようとする薬物依存患者が増えている。その彼らを待ち構えているかの如く、クリニックの周りにはドラッグ売人たちがたむろしているという。
地元の薬物依存者支援NGOも、リハビリをサポートしてきた。とくにハームリダクションで用いる注射針の無料配布を進めてきたが、リーダーは次のように語る。「麻薬戦争が厳しくなって、集会に参加する人たちが激減している。みんな逮捕を恐れて分散して隠れるようになった。こうなると支援活動も困難だ。注射針も渡せなくなった。彼らはゴミ置き場から使用済みの針を拾うか、竹串を代用品として使うしかなくなっている。」当然こういう状況は、健康上の二次被害を生む。それを食い止めようとするNGO活動さえも、今では「ジャンキーを支持する仲間」というレッテルを貼られて糾弾され、社会啓蒙の活動場が収縮しているのである。
以上のように、麻薬戦争はさまざまな副産物をもたらしてきた。刑罰的アプローチに偏向することで、法執行機関による人権侵害、刑務所のキャパオーバー、そしてリハビリ現場の混乱などの問題が深刻化している。また、戦争の効果で麻薬の供給量が減り、市場価格が高騰している。その結果、海外、とくに供給元の中国やタイの麻薬密売組織からみると、皮肉なことにインドネシアは魅力的なマーケットになりつつある。組織にしてみれば、末端のプッシャーになる人材は町中にゴロゴロいるわけで、逮捕や射殺されたら別の人間をリクルートすればよいだけの話である。戦争でハイリスクを背負うのは末端のプッシャーだけであり、密売組織の幹部には痛くも痒くもないのが実態である。
政治の延長としての戦争
これほど社会に負のインパクトを与える麻薬戦争を、なぜジョコウィ政権は推進しているのか。そこに見え隠れするのが、権力の掌握と選挙政治の力学である。最後にそれを考えてみよう。
ジョコウィはジャカルタ州知事時代(2012-14年)に、ソフトでクールな「庶民派」リーダーとして国民人気を集め、2014年の直接大統領選挙で、対抗馬のプラボウォを破って大統領に就任した人物である(詳しくはここ)。
しかし、就任直後から彼の政権運営に陰りが生じた。ジョコウィのパトロンであり、かつ最大与党の闘争民主党の党首メガワティとの軋轢で、閣僚選びは難航した挙げ句、大きく譲歩を迫られた。また国会では野党連合に多数議席を握られ、立法府との力関係で不利な状況を作られた。こういう政治環境の中、ジョコウィのリーダーシップは埋没していき、当初の期待値の高さも手伝ってか、初年度の2015年、政権支持率は40%台に落下した。
この頃からジョコウィは「庶民派」という従来のイメージよりも、「決断できる」「強い」大統領というポジションを強く意識するようになったと思われる。とくに2016年は、その「キャラ転換」を迫る大きな変化があった。それは、彼の政友でジャカルタ州知事のアホックをめぐる政争である。
インドネシアでは、大きな選挙があると、その一年前あたりから世論調査が盛んになる。ジャカルタも同じで、州知事選挙を2017年4月に控え、世論調査が始まり、その結果、有権者の7割近くがアホックの業績を高く評価している実態が分かってきた。もちろんジョコウィはアホック支持で、彼の再選を後押しする準備をしていた。これに危機感を抱いたのがイスラム保守勢力である。
キリスト教徒で華人であるアホックの再選はイスラムへの脅威である、という触れ込みで、アホック再選阻止の運動を準備し始めた。その絶好の契機となったのが、ある集会でのアホックの発言で、イスラム保守勢力は、その発言を「イスラム教に対する冒涜」と難癖をつけ、彼を「宗教冒涜者」と認定して大規模な「反アホック運動」を展開した(詳しくはここ)。そのクライマックスが、2016年11月と12月に行われたデモ動員で、史上最大であろう50万人規模の群衆がジャカルタ中心部を埋め尽くし、デモ扇動者たちの演説に大歓喜を上げた。
この路上政治の盛り上がりに、ジョコウィも大きく翻弄された。デモ主催者たちは「宗教冒涜者」を庇う者も同罪だという主張を繰り広げており、ジョコウィにしてみれば、デモの矛先が自分に向けられかねない状況となった。大規模デモの勢いで、アホックは選挙で敗れた。さらに宗教冒涜罪で禁固刑となった。ジョコウィにとって、この制御不能の政治展開は大きな衝撃となった。
その後の彼は、イスラム保守勢力の取り込みを進める。デモ主催者たちとの対話や、彼らのイベントへの参加を積極的に行うようになった。そして、このイスラム保守勢力に対して、自らの強いリーダーシップを訴える絶好の材料となったのが「麻薬との戦い」である。
実際、同勢力の一端を担うインドネシア・ウラマ協会(MUI)は、麻薬はハラム(禁忌)であり、BNNと一緒になって撲滅戦争を推進するという立場を取っている。そのBNNを従えて、麻薬との戦いを指揮するジョコウィのポジションは、イスラム保守勢力にどう映るか。「価値観を共有できる大統領」という評価が浸透していくのである。これがジョコウィにとって、政治権力の掌握に向けた重要な戦略になっている。
また、上述のように2017年に入ってからは公然と「発砲奨励」をしている。人権侵害の批判はあっても、国や若者を麻薬の脅威から守るためには、断固とした姿勢で強硬策を取るべきだとジョコウィは主張してきた。ここから芽生えてくる、「タフでマッチョなヒーロー」というリーダーシップ像は、おそらく2019年4月の大統領選挙において、ジョコウィの大きな政治資本になろう。なぜなら、ふたたび対抗馬になる可能性の高いプラボウォの売りが「タフなナショナリスト」だからである。
プラボウォは、退役陸軍中将で野党グリンドラの党首である。この右翼政党は、2014年の選挙でも「ジョコウィは軟弱だ、プラボウォは憂国の士だ」というキャンペーンを展開し、選挙戦後半は接戦となった(詳しくはここ)。2019年も、おそらく同じ選挙戦略で、ネガティブキャンペーンを繰り広げると思われる。その効力を無力化し、プラボウォ待望論を中和するには、どうすればよいか。自らをタフなリーダーとして売り込めばよい。麻薬との戦いを指揮することで、そのリーダー像が創られていく。この選挙政治の力学が、ジョコウィの行動様式を規定していると思われる。
おわりに
本稿は、インドネシアで現在進行中の麻薬と戦いが、どのように発生し、発展してきたのかを考察した。タクシン時代のタイや、ドゥテルテ政権のフィリピンでは、麻薬戦争の下で何万人も殺されており、国際社会の注目度も高い。それに比べると、インドネシアの実態は規模も小さく「静かな戦争」かもしれない。とはいえ、都市中間層の世論支持を背景に、弾圧的な麻薬政策を推進する政治的なロジックは共通しており、民主政治のひとつの病理として警戒すべきであろう。
麻薬を「外敵」と位置づけ、戦いをナショナリズムとシンクロさせて正当化し、末端のプッシャーという「トカゲのしっぽ」を極悪非道扱いし、薬物依存の脆弱な集団を犯罪化し、刑事司法制度に過剰負担をかけ、刑務所の腐敗を促し、HIV感染などの健康被害を拡大し、公衆衛生を脅かすことに貢献してきた「麻薬との戦い」は、強調される成果よりも負のインパクトが大きい。
これまで、アカデミックの世界において、麻薬戦争というテーマは公衆衛生学や犯罪社会学が扱うか(例えばここ)、最近では非伝統的安全保障の文脈で国際関係学が取り組むトレンドが目立っている。ただ、どの視点からも、デモクラシーの政治環境下で、為政者たちが麻薬戦争に乗り出す政治的な思惑には踏み込めない。しかし、実はここが麻薬戦争というプロジェクトの意味を理解する一番大事なポイントだと思う。それを示すためにインドネシア・ジャカルタの事例を紹介した。
おそらく、この戦争プロジェクトは、これからも他国に伝染するだろう。そのとき私たちは、また別の政治権力の力学が背景にあることを理解するだろうし、その負のインパクトを考えると、安易に「戦争加担」するような安全保障研究の議論に対しては、タフにマッチョに戦わなければならない。
プロフィール
本名純
1967年生まれ。立命館大学国際関係学部教授。インドネシア政治・東南アジア地域研究・比較政治学。1999年、オーストラリア国立大学で博士号取得。2000年から現職。インドネシア戦略国際問題研究所客員研究員・在インドネシアJICA専門家・インドネシア大学社会政治学部連携教授などを歴任。著書に『民主化のパラドックス―インドネシアからみるアジア政治の深層』(岩波書店)、Military Politics and Democratization in Indonesia (Routledge)、『2009年インドネシアの選挙―ユドヨノ再選の背景と第2期政権の展望』(アジア経済研究所)(川村晃一との共編)などがある。