2010.11.26

ウガンダ「反同性愛」法案と、国際的なセクシュアルマイノリティ運動の可能性 

小山エミ 社会哲学

国際

ウガンダ「反同性愛」法案への注目

先進国では同性結婚の制度の導入が広がるなか、同性愛者やその他のセクシュアルマイノリティ(性的少数者)の人権をめぐって昨年末ころから国際的に注目されているのが、アフリカ東部の国ウガンダにおいて提案されている「反同性愛」法案だ。ウガンダではすでに同性愛は違法とされており、同性愛行為に及んだとされる人たちに対する法的あるいは私刑的な迫害は行われていたが、昨年提案されたこの法案では同性愛に対する最高刑を死刑と規定するなど、過激な内容が深刻な人権侵害にあたるとして国際的な非難を集め、一時的に成立はまぬがれた。しかし今年の選挙によって新たに招集された国会においても議員の大多数がこの法案を支持しているといわれており、状況は予断を許さない。

わたしはウガンダやアフリカの政治についての専門家ではなく、ウガンダで起きていることについては一般の報道をごくたまに読むくらいの知識しかない。けれども、普遍的な「人権」概念が、先進国による植民地主義的あるいは覇権主義的な軍事・外交政策を後押ししかねない、あるいはしてきたこと――たとえばアフガニスタンにおけるタリバンの女性抑圧が「テロ戦争」におけるタリバン攻撃の口実のひとつとなったことや、パレスチナの不当占拠を続けるイスラエルが「中東で唯一性的少数者の権利が保証された国」として人権国家を標榜すること――に対して、女性運動や性的少数者の運動の内部から批判を続けてきた立場として、ウガンダの「反同性愛」法案をめぐる米国内の議論もフォローしてきたし、意見を発してきた。

そうしたなか、このたびウガンダの首都キンパラで同国初のユニタリアン(キリスト教から派生した宗教で、キリスト教的な神を含め信徒に自由な神の解釈を認めることを特徴とする)の教会を設立し、また同性愛者の人権についてのシンポジウムを開催したり、エイズによって親を亡くした子どもたちのための孤児院や学校を運営しているマーク・キインバ牧師の講演を聞くことができた。わたし自身のこれまでの取り組みと合わせて、報告したい。

ゲイ・ストレイト・アライアンス(GSA)

わたしが具体的にウガンダの「反同性愛」法案に関わるようになったのは、ほぼ一年近く前にポートランド近郊のビーバートンで開かれた集会に参加したことがきっかけだった。この集会を主催したのはビーバートン市の各高校に設置された「ゲイ・ストレイト・アライアンス」(GSA)。

GSAを直訳すると「同性愛者・異性愛者同盟」となるけれども、これはゲイの高校生とその仲間たちのクラブで、学校内におけるいじめや嫌がらせの問題に取り組んだり、イベントを開いたりする。そうした活動を行っている高校生たちが、ウガンダで同性愛者であるというだけで死刑になるというような法案が提案されていると聞いて、声をあげようと思い立ったのだ。

実際のところ、集会の参加者の大多数は高校生たちで、五百人くらいの高校生とその十分の一くらいの大人、その多くは親や教師たちであるようにみえた。しかし集会でスピーチした人の大半は高校生でも親でも教師でもなく、地元の性的少数者団体の関係者や、政治家、そして政治家の代理人だった。

一番はじめに発言した高校生のスピーチは、ウガンダ人のゲイたちを支援することはウガンダ全体を支持することと同義である、という内容で、そのウガンダ国民の過半数が「反同性愛」法案を支持していることを考えるとそれはどうなのかと思わないでもないけれども、いいたいことは分かる。つまり自分たちはウガンダに反対しているのではなく、ウガンダを応援したいからこそ、ウガンダで迫害されているゲイたちを支援したいのだと。

でも残念ながら、その高校生につづいて壇上に登場した政治家やその代理人たちは、高校生よりもメッセージが幼稚だった。たとえばかれらは、法案やウガンダの議員らを指して「野蛮」だの「非文明的」だの、西洋がアフリカに対してこれまで何世紀ものあいだ、植民地主義や奴隷貿易を正当化するために繰り返し使ってきた言葉を何の考えもなしに口にしていたが、もしそうした発言が報道されればウガンダ人の怒りを呼び起こし、逆効果にしかならないことを考えはしなかったのか。あくまで自分たちはウガンダに反対しているわけではない、というスタンスを貫いた高校生のほうが、よっぽど良識と外交感覚をもっていた。

さらに困ってしまうのが、政治家たちが次つぎと「法案が成立したらウガンダに経済制裁を行うべきだ」と主張することだ。ここでいう政治家とは、オレゴン州選出の民主党リベラル派のワイデン上院議員、ウー下院議員、ブルーメナウアー下院議員らのことだけれど、そうした勇ましい宣言に大人も高校生も何も考えずに盛大に拍手していた。

最悪とされる一部の国ほどひどくはないとはいえ、ウガンダもほかのアフリカ諸国と同じく、国民の数割にまでHIV感染が蔓延している。キインバ牧師は兄弟姉妹が九人いたが、そのうち五人はエイズで亡くなった――そしてそれはウガンダではとくに珍しいことではなく、ごくありふれた経験だ――といっていた。そのような国に対して経済制裁を実施するということが、いったいどれだけの犠牲を生み出すことなのか、考えたうえでのことなのか。同性愛者が死刑になることは許しがたいが、経済制裁による犠牲者はそれをはるかに上回るはず。

性的少数者をめぐるウガンダの国内状況

もともと今回ウガンダで「反同性愛」法案が提案されたのは、米国の宗教右派の影響であった――とキインバ牧師もさまざまな報道も指摘している。

ウガンダにはたしかに伝統的にホモフォビアは存在していたが、それは同性愛について口に出さない、表沙汰にしない、といったものだった。ことさらに同性愛者を敵視し吊るし上げようとするのは、米国の宗教右派の著名な扇動家たち(このなかには、わたしが何度かとりあげた極右団体「オレゴン市民連合」のスコット・ライブリーも含まれる)がウガンダをアフリカにおける「反同性愛」の拠点とすべく持ち込んだものだというのだ。

集会では、繰り返し「立ち上がることができない人びとのために立ち上がろう」「沈黙させられている人びとのために声をあげよう」という呼びかけがおこなわれ、またそう書かれたプラカードを多数見かけた。

しかしウガンダの性的少数者たちがまったく声をあげていないと考えるのは間違いだ。ウガンダにはSexual Minorities Uganda (SMU)という性的少数者の権利を主張する団体が存在し、首都キンパラで堂々と記者会見を開いている。かれらが沈黙していると決めつけて勝手に「かれらの声となる」のは、それ自体かれらを沈黙させることに加担していることに繋がる傲慢な行為だろう。

しかし、多くの性的少数者たちが沈黙させられていることもまた事実だ。ごく最近では、ある新聞がスクープとして二〇〇名を越す同性愛者の個人情報を掲載し、読者にかれらを襲うよう促したことで、暴力事件が続発し、情報を掲載された人が逃亡を余儀なくされたことがあった。そういう圧倒的な恐怖のなか、ウガンダのゲイたちが唯一仲間と集まることができるのは、キンパラに点在する隠れ家的なクラブのようだ。

キインバ牧師が「反同性愛」法案に反対し、同性愛者の人権擁護を求めるシンポジウムを開催した直接のきっかけは、この法案が同性愛行為を禁止しているばかりか、人びとに同性愛者を密告する義務を負わせるからだ。

法案によれば、たとえそれが自分の息子や娘であっても、ある人が同性愛者だと知ってから七二時間以内に通報しなければ最大七〇年の禁固刑になるし、相手が同性愛者だと知りながら医療やその他のサービスを提供することも同等の罪となる。牧師として、自分の教会に身を寄せてきた同性愛者を通報することなど、できるはずがない。

先進国の性的少数者やその支持者たちができること

キインバ牧師の講演の質疑応答では、会場から「ルワンダで起きた民族によるジェノサイドとウガンダで起きているゲイ迫害はどう違うのか」という、きわどい質問があった。牧師は、慎重に言葉を選びながら回答しつつ、最終的には「似通ったものである」と答えた。

たしかに、そういわざるをえないとわたしも思う。けれども、ジェノサイドという言葉が出てくると、より強硬な国際的介入が正当化されるというニュアンスが生まれてしまうので、そのあたりが微妙。ジェノサイドが起きているのだとしたら、経済制裁を実施してでも阻止すべきではないのか、という声に抗うことが難しくなってしまう。

アパルトヘイト時代の南アフリカに対する経済制裁に関しては、そもそも南アフリカでアパルトヘイトに対する抵抗運動を繰り広げていた黒人たち自身が経済制裁を要請していた。イスラエルの占領政策に抗議するためのボイコット運動も、パレスチナ人の抵抗運動による要請に対する応答として広がっているものだ。

しかしウガンダのゲイコミュニティは、少なくともわたしの知るかぎり、「経済制裁してくれ」とはいっていない。が同時に、かれらのおかれた立場を考えれば、とてもそんなことはいえないだけなのかもしれない。

そのうえで、少なくとも現時点では、わたしは経済制裁は弊害が大きすぎるし、欧米による価値観のゴリ押しだと解釈されて、かえってウガンダの性的少数者たちを窮地に追いやることになると思うので、避けるべきだと考えている。

わたしたち先進国の性的少数者やその支持者たちができることは、まずなによりもアフリカのエイズ危機をはじめとする激しい貧困や公衆衛生上の問題を解決し、ウガンダやその他のアフリカ諸国の人たちの生活を向上させることではないか。それとともに、SMUなど現地の性的少数者団体のかわりに声をあげるのではなく、かれらの声に耳をかたむけ、かれらの声がより遠くまで届くような支援を行うべきだ。

ブッシュ政権の国際援助政策がもたらしたHIV感染の拡大

キインバ牧師は、ウガンダにおいてHIV感染が拡大した大きな要因として、二〇〇一年に誕生したブッシュ政権の国際援助政策があると指摘している。ブッシュは大統領に就任してすぐに、米国の資金援助を受けている国際援助組織に対して、コンドームについて触れてはならない、という通達を出したが、そのためコンドームの効用や使用法について適切な広報が行えずに、感染が拡大してしまったのだという。

同様に、ブッシュ大統領は妊娠中絶手術について触れることも禁止し、売買春に対して明確に反対の立場を取るよう国際援助組織に義務付けた。これらの通達は、性感染症予防について必要な措置をとることを難しくし、結果的にウガンダやその他の国で多数の人の命を奪うことになった。

昨年オバマ大統領が就任して最初に行ったのは、コンドームと中絶に関するこうした規則の廃止だった。しかし売買春に関してはブッシュ政権の政策を継承しているため、性労働者の権利を守りつつかれらを性感染症から守るような取り組みは国際援助政策から排除されつづけている。それはもちろん、性労働者の健康だけでなく、かれらの客となる人たちや、そのパートナーたちの健康にまで影響がある。

ウガンダ全体を支援することが、ウガンダのゲイを支援すること

一般市民に同性愛者の密告を義務づけ、通報された同性愛者たちを死刑にするような、ウガンダ「反同性愛」法案は、たしかに許しがたい。

けれども、その法案によっておびやかされているよりはるかに多くの命が、たとえば国際的な経済格差や医療格差によって、あるいは国際援助体制に架せられた不合理な制約によって、現に奪われている。後者について何の取り組みもせず、多くの人が死んでいくのを見過ごしておきながら、前者について何の意見を言っても聞き入れられなくて当然だろう。

ビーバートンの集会で、高校生の代表者は「ウガンダのゲイを支援することは、ウガンダ全体を支援することだ」といった。しかしそれでは不十分だ。先進国の性的少数者の運動がウガンダのゲイたちを支援するには、文字通りウガンダ全体を支援しなければならない。ウガンダ全体を支援することこそが、ウガンダのゲイを支援することになるのだ。

…というわけで、キインバ牧師が運営するエイズ孤児のための孤児院と学校への寄付先はこちらです:

Unitarian Universalist Association of Uganda
Account #0140030318601
Stanbic Bank, Masaka Branch in Uganda
BIC:SBICUGKX

教会サイトはこちら。
http://newlife-uganda.com/

プロフィール

小山エミ社会哲学

米国シアトル在住。ドメスティックバイオレンス(DV)シェルター勤務、女性学講師などを経て、非営利団体インターセックス・イニシアティヴ代表。「脱植民地化を目指す日米フェミニストネットワーク(FeND)」共同呼びかけ人。

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