2019.12.27
会話が生まれる魔法のベンチ――イギリスの刑事が考案した「おしゃべりベンチ」
「誰かが立ち止まって、こんにちは、と声をかけてもよければ、ここに座ってください。」
この写真は、イギリスの公園のベンチの背もたれにとりつけられているプラカードです。今回は、このプラカードがもたらしてくれた(わたしが勝手に選んだ今年一番の)明るいニュースを紹介し、ここに映し出されていると思われる三つのテーマについても少し掘り下げてみてみたいと思います。
「おしゃべりベンチ」のはじまり
上のようなプラカードをつけたベンチがお目見えしたのは、今年6月、イングランド南西部の公園でした。それを発案したのは、20年以上エイボン・サマーセット警察に刑事として務めるジョーンズさんAschley Jonesです(以下敬称省略)。
刑事であるジョーンズがこんなベンチを考案したのは、詐欺師に25000ポンドを振込した未亡人にあったのがきっかけでした。その女性は詐欺師ではないかと疑ってはいたものの、それでも振り込みを続けていたといいます。というのも、その詐欺師が毎日のように電話をくれたことが嬉しかったからだ、とジョーンズに説明しました。
孤独だったこの女性にとって、詐欺師との会話は、彼女が求めていた「人との唯一の交流の機会」をつくっていたという事実をジョーンズは重く受け止め、人同士が交流することをなんとか促進しなくてはいけないと思ったといいます。そして彼が考案したのが、このような小さなプラカードをとり付けたベンチでした。
早速6月はじめ、いくつかの公園のベンチに小さなプラカードをとりつけてみました。その結果はどうだったでしょう。ベンチに座る人とそこを通りすがる人たちの間で、それまで声をかけあうことがなかった他人同士が、会話を交わすようになりました。なんの変哲もない公園のベンチが、知らぬ人どうしが話すきっかけをもたらすという、まさに「魔法のベンチ」になったのです。
この通常「おしゃべりベンチ Chat Bench」と呼ばれるプラカードをつけたベンチに、まもなく国内外のメディアの取材陣もおとずれるようになり、いつのまにか、ジョーンズ自身が驚くほど短期間で反響が広がっていきました。現在、イギリス全土だけでなく、イギリス、オーストラリア、カナダ、ドイツなど世界中に同様のベンチが設置されているといいます。
「おしゃべりベンチ」が示唆する三つの重要なこと
みなさんは、観光地かどこかで自分の写真をとってもらうのに、通りがかりの見ず知らずの人に声をかけようとしたものの、ひるんでしまった、という経験はないでしょうか。わたしはたびたびあります。
見しらぬ人に話しかけるのは、用事があるこのような場合でも(少なくともわたしにとっては)、らくなことではありません。ましてや、用事も特にないのに人に話しかけるのは、通常、大変な勇気やエネルギーを要するはずです。時間がないから、危ない人物かもしれないから、など、自分で話しかけるのを断念するための理由をみつけるのに一生懸命になることは簡単にできても、話しかける勇気やタイミングをつかむのは容易ではないでしょう。
それを考えると、このベンチの小さな仕掛けが世界的にすんなり広がっているという事実に、とても感心します。その感心の中身を少し細かく整理しみると、以下三つの特記すべき事項が含まれていると思います。
・簡単なしかけやきっかけが、時として、人が人に話しかけやすくする効用をもつ
・見知らぬ人どうしの関係性が、各地で類似している可能性
・世界的に現在、孤独に苦しんでいる人が多いという現実
以下、この三点について、それぞれもう少し踏み込んで考えてみます。
小さなしかけやきっかけがもつポテンシャルな効果
おしゃべりベンチの事例は、ささいなモノが、人々に常識のバリアを破る小さな勇気を与え、その人自身だけにでなく、まわりの人やそれをとりまく社会全体によい効果をもたらすことがある、それを立証する好例といえるでしょう。
このように、小さなしかけやきっかけが、人を躊躇させたり、あるいは逆に行動に踏み切る背中を押すようなキーとなる働きをし、人を慣習的な判断や行動と違う方向に導くことがあります。
これを行動経済学ではナッジ(Nudge)といいます。「ナッジ」は英語で「ヒジで軽く突っつく」ことを意味する言葉で、行動経済学では、人々を(社会で好ましいとされる)ある方向や行動に誘導・向かわせることができるものやことを、このように命名しました。
これは、ルールや強制的な措置のような、人々の意識を喚起したり拘束力をともなうものとは、全く対照的な目標を達成するためのアプローチです。最終的には人々の自発的な判断や行動にゆだねますが、その前に、望ましい結果に結びつきやすくなるようなナッジを周到に吟味し、最適の場所やタイミングにそれを設定します。
このような考え方に沿って考えていくと、人々の行動規範でなにかを変えたい時、そこでナッジとなるもものはなにか、どこにあるか、それを見極め、さぐりあてることが肝心、ということになるでしょう。端的なイメージとしては、社会に埋没しているスイッチさがしのようなものかもしれません。
うまく社会でなにかが機能していない時、なにかが悪いためとは必ずしもとらえず、社会にすでにあるいい機能が十分に作動していないのかもしれない。そう考えて、まずはその機能を作動させるスイッチをみつけて、スイッチをいれてみる。このアクションに関心や希望を集中させます。
もちろんナッジがすべての社会の問題に万能の解決策になる、というほど世の中単純なわけではないにせよ、ある困った現象に対して、悪いものはどこだ、それを削除しよう、改変しよう、というところを出発点にしたり、それに終始するのでなく、困った現象が生じにくくしたり、あるいは好ましい現象が困る現象よりも起きやすくする。そのように誘導することはできまいか、という発想は、息詰まりそうな思索に風穴をあけるものでしょう。それがささやかな労力で実行にふみきれることもおおきな魅力です。
路上のタバコのポイ捨てを減らすための工夫(的をつくって、そこに捨ててもらいやすくしようという意図がうかがわれる。オランダ)
背後にある共通する人間関係のあり方
このような小さなしかけをもつベンチが、短期間で世界のメディアでも注目されるようになり、実際にいくつもの国で導入されるようになった。このことはなにを意味するのでしょう。
まず、実際におしゃべりベンチを導入した国は、イギリス同様に、見知らぬ人にすぐに声をかけるような習慣がなかったと推測されます。
と同時に、このような小さなトリックが実際に、それぞれの土地でもうまく機能するのだとすれば(今回は、イギリス以外の国で、設置されたベンチが実際にどのように使われているのか調べていませんが)、見知らぬ人どうしの関係性が、イギリスと類似しているということの証左であるともいえます。
多様な国や文化を背景にもつ人の割合が高い都市であればあるほど、そこでの人々の行動規範が均質化され、かなり似通ってきて、その空間での他人との一般的な関係性もまた、共通する部分が多くなってきているのかもしれません。
世界に共通する社会現象としての「孤独」
今回のニュース自体は明るい希望がもてるものですが、その背景にある暗い部分を逆に照らし出したともいえます。それは多くの人がかかえている孤独(感)の問題です。
先進国では近年、孤独を感じる人の数が増えており、それを個人の意向やライフスタイルを放置するのではなく、社会にとって好ましくない現象として問題視することが多くなってきています。
イギリスでは、一週間の5〜6日は誰とも会話をしないという人が500万人いるとされ、2018年1月からは社会的孤独者問題に対処するため、孤独問題担当国務大臣(通称Minister for Loneliness )というポストまで設置されました。
(都心部は例外ですが)基本的に、通りすがりの人にはあいさつをする習慣がいまだ残っているスイスでも(「たかがあいさつ、されどあいさつ 〜スイスのあいさつ習慣からみえる社会、人間関係、そして時代」)、今年発表された『健康報告書 バーゼル=ラント準州』によると、「時々」「かなり」あるいは「とても」孤独に感じる人が三人に一人います。2002年には29.8%であったのが、2017年の最新の調査では38.6%とほぼ1割増加しています(Obsan, 2019, S.43-44.)。
「孤独」はそれ自体でも辛いものですが、それが様々な問題に関連し、個人だけでなく社会全体においても悪循環をまねきかねないことも、最近指摘されています。例えば医学界では、孤独な感情を恒常的に抱いていると、一方でうつ病などの精神疾患だけでなく、ストレスがたまることで免疫機能が弱まり心筋梗塞や卒中発作など様々な病気の要因になっているという認識が広がりつつあります。
おわりに
孤独を感じる人が増えているのは深刻な問題ですが、その孤独を緩和するこのような簡単な方法が生まれてきたことは、まだまだいろいろできることはあるようだ、という希望を、孤独という社会問題を抱える国々に与えてくれます。
例えば、この記事をまとめている間に、また新たなニュースがとびこんできました。オランダでは今年スーパーマーメット・チェーンJumboで、財団Alles Voor Mekaar(「すべて互いのため」の意)と協働し、「おしゃべりレジ」という話しをしながら買い物の清算をしたい人のためのレジを設置しました。これが好評となり、このようなレジを40支店に設置する予定だそうです(Supermarkt, 2019)。
人が人に話しかたり、交流するきっかけとなるスイッチは、まだまだほかにも人々の生活のまわりのそこここに埋まっていて、それが次々と世界のいろいろなところでこれからみつけられるのかもしれません。そして今後、孤独が世界の多くの地域で共通する問題であるとひとたび認識されれば、対策の速度や措置の種類は急速に改善されていくかもしれません。(本記事は「一般社団法人日本ネット輸出入協会」からの転載です。https://jneia.org/191201/)
オーストリアでみかけた小さな本箱つきのベンチ(本箱ができたことで、そこで休息する以外の目的でもベンチに人がたたずむと、新たな交流も生まれる?)
参考文献
・Burnham-On-Sea ‘chat bench’ initiative attracts global attention. In: Burnham-On-Sea.com, August 29, 2019
・Caderas, Ursin, Parkbänke gegen Einsamkeit – Wie ein einfaches Schild ein Gespräch auslösen kann, SRF, News (2019年11月5日閲覧)
・Mit Parkbänken gegen die Einsamkeit: In Grossbritannien funktioniert ein solches Projekt, Kultur Kompakt, Donnerstag, 26. September 2019, 11:29 Uhr
・Supermarktkette führt «Plauderkasse» gegen Einsamkeit ein. In: Berliner Morgenpost, 21.11.2019, 15:54
・Schweizerisches Gesundheitsobservatorium (Obsan) (hg.), Gesundheitsreport Kanton Basel-Landschaft.Standardisierte Auswertungen der Schweizerischen Gesundheitsbefragung 2017 und weiterer Datenbanken (Obsan Bericht 03/2019). Neuchâtel 2019, S.43-44.
・Police unveil ‘chat bench’ on Burnham seafront to tackle isolation. In: Burnham-On-Sea.com, June 15, 2019
・The chat bench initiative, SENIOR CITIZEN LIAISON TEAM (SCLT)
プロフィール
穂鷹知美