2021.09.09
インド・パキスタン対立とアフガニスタン問題
はじめに
アフガニスタンでタリバンがカブールを掌握したことで、そのタリバンの後ろ盾となってきた隣国、パキスタンに注目が集まった。パキスタン政府は公式には認めないが、1990年代半ばにアフガン国内でタリバンが台頭して以来、1996~2001年のタリバン政権期、その後の反政府勢力としての活動期に至るまで、パキスタンがパキスタン軍統合情報部(ISI)を通じて、一貫してタリバンに多様な支援を提供してきたことは、公然の秘密である。
パキスタンのタリバン支援の背景には、過去70年超にわたり続く、同国とインドとの対立がある。そして、そのパキスタンとタリバンの関係性に限らず、アフガニスタンの情勢は、歴史的に印パ対立と密接な関わりを持って展開されてきた。しかし、アフガニスタン問題に関してイスラムの側面が強調されがちな日本国内では、この問題と南アジア、特に印パ関係との結びつきがあまり理解されない。よって本稿では、タリバンへの支援を生み出した、パキスタンの独特の安全保障観から出発し、印パ関係とアフガンの関わりの歴史、そして今後の展望を見ていきたい。
パキスタンの安全保障観
端的に言えば、パキスタンがタリバンに期待するのは、親パの勢力として、アフガンでインドの影響力を抑えてくれることである。だが、印パ対立があるとはいえ、民族的にアフガンと親和性が高いわけでもなく、地理的にアフガンと隣接さえしないインドが、なぜここで出てくるのか。この答えが、パラノイア的とも言える、パキスタンの独特の安全保障観にある。
一般的には、印パの対立は、カシミール地方の領有権をめぐる対立として理解されている。1947年、両国が英領インドから独立する際、そこに所在した無数の藩王国は、宗教や地理に鑑みて、世俗主義を掲げるが実質はヒンドゥー教徒が多くを占めるインドか、イスラム教国を標榜したパキスタンの、いずれかへの帰属を決めていった。そこで最後まで帰属が決まらなかったのが、領主はヒンドゥー教徒、住民はイスラム教徒が優勢だった旧カシミール藩王国である。この問題は、独立直後の印パの戦争に発展、双方がカシミールの一部を実効支配することになったが、帰属の問題は決着しないまま、現在まで印パ間の懸案である。
だが、パキスタン、特に同国の安全保障関係者にとって、印パ対立はカシミールだけの問題ではない。客観的に見て正しいかはともかく、彼らには、インドはパキスタン国家の存在を受け入れておらず、これを破壊するか、少なくとも支配しようと、常に機会を伺っている、との認識がある【注1】。この認識は独立直後の様々な摩擦に起因するが、それを固定化させたのは、1971年、パキスタン国家の東翼で起きた分離運動に、インドが当初は反乱を支援、後に軍事介入し、バングラデシュとして独立させたことだった【注2】。
また、パキスタンはアフガニスタンとも国境問題を抱える。今日の一般的な地図に見られる両国国境はデュランド・ラインと呼ばれ、パキスタンはこれを国境だとするが、アフガン歴代政権は、常にこの問題を主張してきたわけではないにせよ、一度もこれを国境とは認めていない。旧タリバン政権も同様である。アフガン人口の最も多くを占め、タリバン構成員の大多数が属するパシュトゥン人は、このラインを挟んでパキスタン北西部にまで居住し、アフガン側では、両国のパシュトゥン人地域を統合するパシュトゥニスタン構想が燻る【注3】。パキスタンにとって、これは国土の約半分を失いかねない恐怖のアイディアである。
そして、イスラム教を旗印に建国されたパキスタンは、民族的なまとまりが薄い国である。人口面でも政治・経済的にも優位にあり、連邦政府を主導するパンジャーブ州と、それぞれ別の民族が多数を占める他の三州の間には、深い相互不信がある。特に、アフガンに隣接する、旧北西辺境州(現カイバル・パクトゥンハ州)に多いパシュトゥン人と、バローチスタンのバローチ人の民族的ナショナリズムは、国家の一体性を脅かしかねないものと見られ、中央政府が抑え込もうとしてきた【注4】。
パキスタン弱体化の機会を伺う強大な敵インド、パキスタンより弱いが友好的ではないアフガン、そして遠心的傾向を見せる国内の民族主義。これらを意識するがゆえに、パキスタンが常に抱いてきたのが、インドとアフガニスタンが共謀して、アフガンに隣接する地域で、パシュトゥン人とバローチ人の分離運動を煽ることへの恐怖であり、それに対抗するための、アフガンでの「戦略的縦深」の戦略だった【注5】。後者は、印パの戦争時に軍を後退させるスペースとしてアフガンを用いる戦略とされることもあるが、これは現実的ではなく、むしろその本質は、アフガン国内へ政治的に介入し、親パ政権を打ち立てることで、インドがアフガニスタン経由でパキスタンの利益を侵害することを防ぐことにある【注6】。そして、今日に至るまでのパキスタンのタリバン支援は、この戦略の典型と言える。
アフガンと印パ関係の歴史―9.11以前
2001年の9.11同時多発テロの時点でパキスタンが有していた、タリバンやアルカイダなど、アフガンを拠点とする多様なイスラム過激派組織との関係は、1979~89年のアフガン対ソ戦に起源を持つものと見られがちである。確かにその時期、パキスタンはアフガンに軍事介入したソ連を撃退するための西側の対ソ代理戦争の実施者として、後にそうした多様な過激派組織へと派生していくイスラム武装勢力に対する武器や物資、訓練、助言の提供を一手に担い、関係を深めた【注7】。
しかし、上述の安全保障観ゆえに、パキスタンにとってアフガンに干渉する必要性は、ソ連が侵攻して初めて生じるものではない。実際、パキスタンは、1960年代には既に、アフガンのイスラム主義者と関係を築いていた【注8】。さらに1973年、左派政治家でパシュトゥニスタン構想を強く支持するダウドがカブールで権力を握ると、パキスタンのバローチやパシュトゥンの分離主義運動を支援したため、パキスタンは対抗して、反ダウドのアフガンのイスラム主義者らを支援する【注9】。これらのイスラム主義者らは、インドとの関係強化を嫌い、パシュトゥニスタン構想にも反対するなど、パキスタンにとって都合の良い存在であり、こうした支援の延長で、1979年からの対ソ代理戦争が遂行されることになった【注10】。
1979年にアフガンに侵攻したソ連は1989年に撤退、その後1990年代前半には、アフガニスタンはイスラム武装勢力諸派の間での内戦に陥った。この中で台頭したタリバンをパキスタンは支援し、1996年にタリバンがカブールを掌握する。これはパキスタンにとって、アフガンに自身が後押しする親パ政権が初めて樹立されたことを意味した。
一方、そのタリバンに抵抗し続けた北部同盟を支援したのがインドだった。それ以前、歴代のアフガン政権と密接な関係を築いていたインドは、パキスタンのようにアフガン国内に干渉する必要を感じず、他方でその密接な関係を、対パキスタンの梃として最大限活用したわけでもなかった。1970年代には、アフガンと連携してバローチスタンに干渉したが、パキスタンの過度な不安定化への懸念もあり、対パ圧力に前のめりなダウド政権の協力要請をしばしば拒否したし、ソ連の軍事介入後は、消極的ながらこれを支持したことでアフガン国内での影響力を低下させ、かつ1980年代後半、パキスタンによるインド国内の反乱への支援が深刻化するまで、バローチやパシュトゥンの問題への介入にも消極的だった【注11】。
しかし、1980年代末以降、パキスタンの影響力が強いアフガンが、同国におけるインドの影響力の問題だけでなく、インド自身の安全保障の観点からも危険であることが、次第に明らかになっていった。ソ連のアフガン撤退完了と同じ頃、インド側カシミールで分離主義の大規模反乱が起きると、パキスタンはこれに付け込み、反乱支援による大規模な対印代理戦争を展開する。その中で、ISIはアフガンをカシミールで戦わせる武装勢力の訓練地として活用し、かつアフガンでの戦闘経験を持つイスラム武装勢力をカシミールに振り向けた【注12】。
このパキスタンの行動への警戒感が、インドをイラン、ロシア、中央アジア諸国と連携した北部同盟支援に向かわせた。実際のところ、タリバン自身はパキスタンの反印姿勢を全面的に共有はせず、組織として反印闘争に加わったわけでもなかったし、他方で北部同盟も、元はパキスタンの支援を受けていた勢力であり、インドとの関係は複雑だった。それでも、タリバンをパキスタンの傀儡と見たインドは、イランやロシアと比べ限定的ではあったが、北部同盟を政治的・軍事的・財政的に支えた【注13】。
アフガンと印パ関係の歴史―対テロ戦期
だからこそインドは、2001年のタリバン政権打倒と、西側の後押しする新政権樹立を歓迎した。民主的で安定した、パキスタンの反印活動に利用されないアフガニスタンを実現すべく、インドは新政権を積極的に後押しし、軍の派兵こそしなかったが、インフラ開発を中心とした30億ドル規模の経済協力や、行政官や兵士、警察官の訓練、また少数ながら攻撃ヘリの供与も行った【注14】。さらに、印対外諜報機関の研究分析局(R&AW)は、アフガンの情報機関である国家保安局(NDS)要員の訓練も引き受け、密接な関係を築いた【注15】。
一方、こうした展開は、パキスタンからすれば、インドが米国の容認の下でアフガンでの影響力を拡大し、アフガン新政権と共謀して干渉してくるとの恐怖を煽るものだった【注16】。それゆえパキスタンは、9.11の後、米国の求めに応じて、タリバンとの関係を絶って対テロ戦に協力すると表明しながらも、実際は関係を切らなかった。パキスタンはタリバン指導部や戦闘員らを庇護し、その後反政府勢力としてアフガンで勢力を再び拡大していくタリバンに、リクルート支援や訓練・物資・医療、国境沿いの安全地帯の提供を続けた【注17】。
だがこれは、パキスタンにとってコスト・フリーな選択ではなかった。タリバンが勢いを増すにつれ、アフガン政府や米国から二枚舌的な姿勢を非難され、彼らとの関係は悪化した。とりわけ2011年、パキスタン国家の組織的関与があったかは不明だが、アルカイダ指導者ビンラディンがパキスタン国内で匿われていたことが、米軍による同氏の暗殺で発覚してからはそうだった。
さらに、パキスタン自身のテロ対策も複雑化させた。9.11の後、一応は対米協力を表明し、アルカイダなどの掃討では一定程度協力したパキスタンに、ISIの「代理」だった武装勢力の一部が反旗を翻し、同国内でテロが頻発する。特に、2007~14年にはパキスタン・タリバン運動(TTP)が猛威を振るった。これを受け、パキスタン軍・ISIはそうした勢力を徹底して叩く一方、アフガンのタリバンやその一部を為すハッカニ・ネットワーク(HN)、ISIに最も忠実な反印テロ組織のラシュカレ・タイバ(LeT)、印カシミール土着の武装勢力ヒズブル・ムジャヒディン(HuM)など、彼らにとって有用な組織への支援は維持した【注18】。しかし、これが国内テロ対策の有効性を減殺した。各武装組織間には、親パ・反パを超えた協力関係があり、構成員の重複も存在するのである【注19】。例えば、パキスタン軍の掃討に遭ったTTPはアフガンに逃れてタリバンに庇護され、パキスタンへの越境テロを継続した【注20】。
結果、皮肉にもパキスタン自身が、世界有数のテロ頻発国になった。TTPは2010年代半ばにいったん勢いを失い、治安はやや改善するが、2020年から復活の兆候を見せている。バローチスタンでは2006年に民族主義の反乱が再燃、その後下火にはなるものの、2015年に中国がパキスタン全土での大規模投資事業、中国・パキスタン経済回廊(CPEC)を開始して以来、これを標的にしたバローチスタン解放軍(BLA)などのテロが目立つようになった。
そして、そうした国内テロに関するパキスタン自身の解釈は、インドとアフガン(と米国)の国家支援テロだというものであってきた【注21】。2015年に、ISのアフガン・パキスタン支部であるイスラム国ホラサン州(ISKP)が新たなテロ脅威として登場すると、これも同じだと主張されるようになった【注22】。
実際のところ、2001年以降、印R&AWやアフガンのNDSが、TTPやBLAなどの反パキスタン組織と関係を持ってきたのかは分からない。ただ、パキスタンの主張を額面どおりに受け取る向きは、同国外では乏しい。そうした行為は、インドの国家イメージや、アフガンに駐留する米欧との関係を毀損しかねず、あったとしてもR&AWはせいぜい情報収集のための接触や資金支援、NDSもそれにTTPへの若干の戦術的支援が加わる程度で、ISIが「代理」に提供してきた内容とは遠く及ばないとも言われる【注23】。TTPやBLAの活動の起源が、部族地域やバローチスタンでのパキスタン政府の統治の問題にあることも否めない【注24】。
一方、2001年以降のアフガンで、ISIとの結びつきが指摘される組織は、繰り返しインド関連の標的にテロ攻撃を加えてきた【注25】。カブールの印大使館は、2008年にはHN、2009年にはタリバンによる爆弾テロに遭った【注26】。タリバンの一部を為すHNは、かつて米軍トップが「ISIの紛れもない手足」と呼んだほどパキスタンに近い【注27】。また、主にはインド側カシミールや印本土で活動するパキスタン系のテロ組織の犯行も見られ、2014年にはヘラートの印領事館がLeTに、2016年にはマザリシャリフの領事館がジェイシュ・モハメド(JeM)によると見られる攻撃を受けている【注28】。LeTは、パキスタンに圧力がかかるのを防ぐため、犯行を主張しない傾向にあり、かつHNやタリバンとの共同作戦も見られるという【注29】。
タリバンの復権がもたらすもの
こうした経緯ゆえ、2018年以来、パキスタンの後押しで米国とタリバンが直接交渉を始め、その中で米軍の完全撤退と、少なくともカブールの政権とタリバンの権力共有が不可避になっていったことは、インドの不安を惹起した。ガニ政権への支持は崩さないものの、2021年半ばになってインドがタリバンとバックチャネルの対話を始めた形跡が見られるのは、米軍撤退後のアフガンに備えるためのものだった【注30】。だが現実には、権力共有どころか、タリバンが再びカブールを含むアフガンのほぼ全土を掌握してしまった。
かつては、米軍撤退後には、アフガン政権や反タリバン勢力を支えるインドと、タリバンを後押しするパキスタンの勢力争いが激化するとの見立てがあった。だが、米国の撤退に加え、カブールの友好的政権さえも倒れた現状では、アフガンでインドにできることは乏しい。1990年代後半のインドがアフガンに介入できたのは、北部同盟という目立ったレジスタンスの存在もさることながら、アフガンと広範に国境を接するイランと、同じくアフガンに隣接する中央アジア諸国の後ろ盾、ロシアと協働したからだった【注31】。今日、両国は数年前からタリバンと協調関係を築いており、反タリバン勢力を積極的に育てる動きはない。
今回のカブール掌握後、タリバンは、インドは重要な隣国であり、関係継続を望むと表明した【注32】。実は、あくまでアフガンを焦点に活動するタリバン自体とインドの関係は、和解可能とも言われる【注33】。すなわち、元々、自身へのパキスタンの影響力を良く思っていないタリバンは、旧タリバン政権期も、反乱勢力になってからも、対パ依存を低下させるための選択肢としてインドに期待し、秋波を送ってきた。対するインドの側でも、タリバンと、それを反インド活動に駆り立てるパキスタンや、アフガンでタリバンと協調関係にある反印テロ組織を区別し、タリバンを「話のできる相手」だと見なす傾向が2000年代半ば以降徐々に強まってきており、水面下の接触も為されてきたという。
だがそれでも、今のアフガンでは、インドは援助など比較的穏当な活動を維持することさえ躊躇するはずである。米軍や政府軍との戦闘が無くなり、従来ほどパキスタンの支援に依存しなくなったタリバンが、インドとの協力を志向し、仮にそれを阻もうとするパキスタンの圧力をはねつけられるとしても、ISIは以前からアフガンであらゆるインドのプレゼンスを攻撃してきたHNやLeTなどを使って、インドの活動を困難にすることができる。それをタリバンが有効に抑え込めるとも考えがたい。
他方、タリバンのアフガン掌握が、1990年代の「再演」、すなわちパキスタンによるインド側カシミールでの反乱・テロ支援激化に再び繋がることを警戒する声もある。しかし、インド自身の安全保障に及ぶ不利益は、当時ほど深刻にはならないだろう。ISIが従来以上に、武装勢力の訓練にアフガンを利用しやすくなるといった側面はあろうが、今のパキスタンは、それを越えて、アフガンを梃に1990年代のように著しく対印代理戦争を強化できる状況にはない。
9.11以降、テロ支援行為への国際社会の目が厳しくなる中でも、パキスタンは対印テロ支援を放棄しなかったが、その程度は確実に制約されてきた。170人超が犠牲になった、LeTによる2008年11月のムンバイ同時多発テロに匹敵する印本土での重大テロは、以後生じていない。インド側のカシミールでも、2010年代後半以降、反連邦感情・運動が再び高揚し、1990年代のような反乱の一歩手前と言われながら、その性質は土着のものであり続け【注34】、暴力の水準も1990年代に遠く及ばない【注35】。これらはパキスタンの一定の抑制抜きには考えにくい。
この観点では、二つの要素が特に近年のパキスタンの手足を縛ってきた。第一に、LeTが民間人を多数虐殺した2008年のムンバイが、自国の評判を失墜させたという認識【注36】。第二に、2018年以来、パキスタンは経済的な苦境が続く一方、金融活動作業部会(FATF)によりテロ資金対策の不備で要監視指定されており、黒判定に転落すれば経済的に窒息させられかねないため、自身のテロ支援が注目されるような行動を取れないことである【注37】。
そして、20年に及ぶ国際的なアフガン国家建設努力が無に帰した今、その原因を作ったパキスタンへの国際社会の目は尚更厳しくなろう。これらを全て無視して、タリバンの権力掌握がもたらす「好機」に飛びつけるほど、パキスタンは無謀でもなければ、その余裕のある国でもない。付け加えれば、パキスタンの事実上の同盟国である中国は、パキスタンの対印テロ支援には伝統的に冷淡である。
パキスタンが1990年代の行為を繰り返せない理由はもう一つある。今日では、パキスタン自身と、さらに後ろ盾の中国も、深刻なテロの脅威に直面している。パキスタンの場合は前述のとおりTTPやBLA、中国にとってはウイグル武装勢力が該当する。
その状況で、1990年代のような反インドのテロ支援の著しい強化に踏み切ることは、パキスタン自身や中国へのテロ脅威増大に波及する。パキスタンが支援するのは、反印・親パの組織だけだが、当のテロ組織や構成員の間に、明確な親パ・反パの区別や隔たりが乏しいことは、過去の経験で実証済である。実際、TTPやウイグル系の武装勢力は、アフガンを拠点とし、タリバンと密接な関係にある【注38】。タリバンは、アフガン国土を中国やパキスタンの利益を害する活動に利用させないと約束しているが【注39】、そうした武装勢力の活動を抑え込む意思と能力があるのかは疑問である。特にTTPは、長らくパキスタンが敵視してきたにも関わらず、タリバンはこれと関係を切らず、その反パ活動を十分抑制させてもいない【注40】。
結果として、タリバンのアフガン掌握が印パ関係にもたらすものは、同国での影響力をめぐる印パ間の激しい競争や、カシミールでの1990年代の「再演」というよりも、それらと比較すれば目立たないが、しかし深刻な含意を持つ、テロをめぐる相互不信の増大になろう。パキスタンが対印代理戦争の著しい強化に慎重でも、LeTやJeM、HuMなどの組織は、タリバンの成功を見て勢いづき、インドへの攻勢を強めようとするはずである。それらの組織へのISIの支援が存在する以上、これはインドのパキスタンへの反発を強めさせる。
一方、パキスタンに対してはTTPが、タリバンの成功に触発され、攻撃の激化を試みる可能性が高い。また、タリバンともパキスタンとも敵対するISKPの存在もあり、仮にタリバンが約束を守り、TTPを反パ活動の停止に同意させるとしても、それに不満を抱く強硬派はISKPに流れるだろう。これまでも、ISKPはTTPの離反者を多数引き付けてきた【注41】。そして、パキスタンの安全保障観と、同国の過去の主張からすれば、そうして激化したテロは、パキスタンには「インドの差し金」に映るのである。
おわりに
以上のとおり、アフガン情勢と印パ対立は、密接な関係を持って展開してきた。近い将来において、アフガンで印パが激しく影響力を競い合う状況は、反タリバンの有力な抵抗勢力が台頭し、かつイラン・ロシアが現行のタリバン関与路線を転換するといった条件が揃わない限り、ありそうにはない。だが印パは、アフガンでの事態の展開の煽りを受けて、双方でのテロ脅威増大と、相互不信の深刻化を経験するだろう。これを適切に処理できなければ、2019年2~3月のプルワマ危機のような、テロに起因した印パ危機が頻発する。
これを避けるためには、印パ間の和解を前に進めることが不可欠である。その素地はないわけではない。近年関係悪化が顕著だった両国間では、2021年2月末、カシミール実効支配線を挟んでの砲撃の停止が合意された。当初、この合意は長くはもたないとの見方が大勢だったが、意外にも、本稿執筆時点まで約半年間、概ね維持されている。印パ双方に、軍事的緊張が高い状態を望まない意思は確かにある。
タリバンのアフガン掌握が生むテロの激化は、この砲撃停止合意を吹き飛ばす高いリスクをはらむ。だが同時に、その余波が印パ関係にもたらす悪影響を限定するには、この合意を維持し、包括的な印パ間の和平に繋げていくしかない。そして、地域の重要アクターとしてのインドが、今後のアフガンでポジティブな役割を担うことを可能にするためにも、その和平プロセスを通じて、印パ双方がアフガンでお互いが果たすべき役割に関しての相互理解を作ることを避けては通れないだろう。そうした印パ間のプロセスを後押ししていくことが、国際社会には今まで以上に求められている。
【注1】C. Christine Fair, Fighting to the End: The Pakistan Army’s Way of War (New York: Oxford University Press, 2014), 1, 173.
【注2】Russell J. Leng, “Realpolitik and Learning in the India-Pakistan Rivalry,” in The India-Pakistan Conflict: An Enduring Rivalry (New York: Cambridge University Press, 2005), 111–2.
【注3】Vinay Kaura, “An Enduring Divide: Afghanistan, Pakistan, and the Durand Line,” Middle East Institute, September 11, 2020, https://www.mei.edu/publications/enduring-divide-afghanistan-pakistan-and-durand-line.
【注4】Kriti M. Shah, “The Baloch and Pashtun Nationalist Movements in Pakistan: Colonial Legacy and the Failure of State Policy,” ORF Occasional Paper 205 (July 2019): 10–16.
【注5】Zachary Constantino, “The India-Pakistan Rivalry in Afghanistan,” United Institute of Peace Special Report 462 (January 2020): 9.
【注6】Ibid; Fair, Fighting to the End, 26, 103–4.
【注7】Shuja Nawaz, Crossed Swords: Pakistan, Its Army, and the Wars Within (Karachi: Oxford University Press, 2008), 371–5.
【注8】Fair, Fighting to the End, 2.
【注9】Avinash Paliwal, My Enemy’s Enemy: India in Afghanistan from the Soviet Invasion to the US Withdrawal (New York: Oxford University Press, 2017), 37–41.
【注10】Fair, Fighting to the End, 121–2.
【注11】Paliwal, My Enemy’s Enemy¸ 38–41, 48–60, 70–71.
【注12】V.K. Sood and Pravin Sawhney, Operation Parakram: The War Unfinished (New Delhi: Sage Publications, 2003), 34.
【注13】Paliwal, My Enemy’s Enemy, 97–126, 135–45.
【注14】Constantino, “The India-Pakistan Rivalry in Afghanistan,” 4, 17.
【注15】Rudra Chaudhuri and Shreyas Shende, Dealing with the Taliban: India’s Strategy in Afghanistan after U.S. Withdrawal (Carnegie India, June 2020), 22, https://carnegieendowment.org/files/Chaudhuri_Shende_-_Afghanistan.pdf.
【注16】Fair, Fighting to the End, 117–8.
【注17】Jonathan Schroden, “Afghanistan’s Security Forces Versus the Taliban: A Net Assessment,” CTC Sentinel 14, issue 1 (January 2021): 22.
【注18】Bill Roggio, “Pakistani General Talks Tough on Terrorism, But Remains Short on Action,” Long War Journal, February 13, 2018, https://www.longwarjournal.org/archives/2018/02/pakistani-general-talks-tough-on-terrorism-but-remains-short-on-action.php.
【注19】C. Christian Fair, “Explaining Support for Sectarian Terrorism in Pakistan: Piety, Maslak and Sharia,” Religions 6, no. 4 (December 2015): 1139.
【注20】“TTP Leader’s Interview with CNN Triggers Strong Backlash,” The Express Tribune, June 30, 2021.
【注21】例えば、Sanaullah Khan, “RAW, NDS Patronising Terror Groups in Afghanistan, National Security Adviser Tells US Envoy,” Dawn, October 26, 2016; “RAW, NDS Nexus behind Dasu Attack: FM,” The Express Tribune, August 12, 2021.
【注22】“Five Terrorists Linked to RAW, NDS Arrested in Karachi,” Dunya News, April 12, 2017.
【注23】Paliwal, My Enemy’s Enemy, 236–46; George Perkovich and Toby Dalton, Not War, Not Peace?: Motivating Pakistan to Prevent Cross-Border Terrorism (New Delhi: Oxford University Press, 2016), 146–9.
【注24】Constantino, “The India-Pakistan Rivalry in Afghanistan,” 10.
【注25】“Terrorist Attacks and Threats on Indians in Afghanistan since 2003,” South Asia Terrorism Portal, https://www.satp.org/satporgtp/countries/india/database/afganistanindianattack.htm.
【注26】Anand Gopal and Matthew Rosenberg, “Indian Embassy in Kabul is Bombed,” Wall Street Journal, October 9, 2009.
【注27】“Haqqani Network Is a “Veritable Arm” of ISI: Mullen,” Dawn, September 22, 2011.
【注28】“LeT Responsible for Attack at Indian Consulate in Herat: US,” The Economic Times, June 25, 2014; Sudhi Ranjan Sen, “Evidence Links Pathankot, Afghanistan Consulate Attacks, Say Sources,” NDTV, January 8, 2016.
【注29】Tricia Bacon, “The Evolution of Pakistan’s Lashkar-e-Tayyiba Terrorist Group,” Orbis 63, no. 1 (2019): 37–38.
【注30】Abdul Basit, “Why Did India Open a Backchannel to the Taliban?,” Aljazeera, July 7, 2021.
【注31】Paliwal, My Enemy’s Enemy, 132.
【注32】Shubhajit Roy, “India Important, Want to Maintain Ties: Taliban Leadership in Qatar,” The Indian Express, August 30, 2021.
【注33】Paliwal, My Enemy’s Enemy, 213–48.
【注34】Happymon Jacob, “The Secessionist Movement in Jammu and Kashmir and India-Pakistan Relations,” International Studies 51, no. 1–4 (2017): 35–55. この点では、2019年2月の印パ危機に繋がったテロの実行犯が、JeMに加わったカシミール現地の若者だったのは象徴的である。
【注35】Jammu & Kashmir: Yearly Fatalities,” South Asia Terrorism Portal, https://www.satp.org/datasheet-terrorist-attack/fatalities/india-jammukashmir.
【注36】Perkovich and Dalton, Not War, Not Peace?, 245–6.
【注37】Sushant Singh, “Blacklist Fear Forces Pakistan to Shut 20 Terror Camps in PoK,” The Indian Express, July 20, 2019.
【注38】United Nations Security Council, Letter dated 20 May 2021 from the Chair of the Security Council Committee established pursuant to resolution 1988 (2011), addressed to the President of the Security Council (June 1, 2021), 18–19; Zia ur Rehman, “Al-Qaida Allied Rebels Back Taliban Advance in Afghanistan,” Nikkei Asia, August 11, 2021.
【注39】“Taliban Have Reassured Won’t Allow TTP to Use Afghan Land against Pakistan: Sheikh Rashid,” Dawn, August 23, 2021; “Chinese Officials and Taliban Meet, in Sign of Warming Ties,” Aljazeera¸ July 28, 2021.
【注40】Rupert Stone, “A Tale of Two Talibans,” TRT World, April 5, 2021.
【注41】Saurac Sarkar, “ISKP and Afghanistan’s Future Security,” Stimson Center, August 6, 2021, https://www.stimson.org/2021/https-www-stimson-org-2021-iskp-and-afghanistans-future-security/.
プロフィール
栗田真広
防衛省防衛研究所地域研究部アジア・アフリカ研究室主任研究官。国立国会図書館調査及び立法考査局調査員を経て現職。一橋大学法学研究科国際関係論専攻博士課程修了(法学博士)。主な研究分野はパキスタンの対外政策、印パ・中パ関係、核抑止論。主要な業績は、”How Far Away from Non-interference? A Case Study of China’s Development Initiative in Pakistan,” Journal of Contemporary China (近刊)、「インド・パキスタン―『抑止のための兵器』の20年」秋山信将・高橋杉雄編『「核の忘却」の終わり―核兵器復権の時代」(勁草書房、2019年)、『核のリスクと地域紛争―インド・パキスタン紛争の危機と安定』(勁草書房、2018年)。