2011.09.14

2020年五輪開催地として立候補したアゼルバイジャンのジレンマ

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

国際 #オリンピック#アゼルバイジャン#IOC#パラリンピック#ユーロヴィジョン2011#アルメニア

2020年五輪開催地争奪戦の開始

今年の9月2日、IOC(国際オリンピック委員会)が、2020年夏季オリンピック・パラリンピック競技大会開催立候補申請都市を発表した。今後は、2012年5月にIOCによる一次選考の結果が発表され、2013年9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで行われる第125回IOC総会で最終結果が出される予定であるが、申請年が発表されたことで、開催地をめぐる争奪戦がスタートしたと言ってよい。

日本は、6月17日に東京への2020年五輪招致の表明を行った、その際、石原慎太郎都知事は「震災から立ち直った日本の姿を披露すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となる」と述べ、東京開催が決まった折には、IOCの許可が出れば東北地方でのいくつかの競技開催もありうるとしていた。

東京都は2009年に、ブラジル・リオデジャネイロでの開催が決まった2016年の夏季五輪の招致に失敗しているが、今回は、東京の招致がかなり有望だという説もある。その一方で、2018年の冬季五輪が韓国の平昌(ピョンチャン)で開催されることが決定しているため、東アジアで連続の五輪開催は難しいのではないかという声も聞かれている。

今回、立候補を表明しているのは、日本の東京都のほか、アゼルバイジャンのバクー、カタールのドーハ、トルコのイスタンブール、スペインのマドリード、イタリアのローマの6都市である。なお、このうちの4都市、すなわちバクー、ドーハ、マドリード、東京は、2016年大会にも立候補していたため、二度目の対決となる。

本稿では、これらのうち、日本ではあまり報じられないバクーの状況を扱う。たんにオリンピック招致の問題だけでなく、アゼルバイジャンが自国で国際的なイベントを行うことの諸問題についても併せて記してみたい。

アゼルバイジャンとオリンピック

アゼルバイジャンは、1991年のソ連解体とともに独立した新興国であり、ソ連時代は、ソヴィエト連邦選手団、バルセロナ五輪にはオリンピックEUN(ソ連解体後に期間限定でバルト三国を除く旧ソ連構成諸国によって編成されたチーム、選手)選手団として五輪に参加していたが、「アゼルバイジャン」としては、1996年夏季アトランタ五輪から、冬季五輪は1998年の長野オリンピックから参加している。

まだ冬季五輪でのメダル獲得はないが、これまでの4回の夏季五輪出場で、金4、銀3、銅9と計16のメダルを獲得している。メダルを獲得した競技はレスリング、射撃、柔道、ボクシングで、とくにレスリングは金2、銀3、銅2と7つのメダルを獲得しており、その強さには世界的にも定評がある。

このように、アゼルバイジャンの五輪の歴史はまだ浅いが、オリンピックは国家の鳴り物入りのプロジェクトで、独立後、早くからかなり力が入れられてきた。権威主義国家であるアゼルバイジャンにとって、国家が力を入れるプロジェクトの意味はきわめて大きく、国民統合にも一役買っているだけでなく、国際的にアゼルバイジャンをプロモートしていく上でも大きな期待が持たれている。

アゼルバイジャンでは、1992年にアゼルバイジャン国家オリンピック委員会(NOC)が設立されたが(公認を受けたのは93年)、95年に総裁に就任したのは、当時、カリスマ的大統領であり、同国に権威主義体制を確立した故ヘイダル・アリエフ前大統領の子息のイルハム・アリエフであった。イルハム・アリエフは2003年からソ連で初の世襲大統領となっているが、その政権基盤は盤石であり、アゼルバイジャンの政治経済はすべてアリエフ一家が握っている状況だ。そして、大統領になった今でも、このイルハム・アリエフ氏がNOCの総裁職を兼務しつづけている。

アゼルバイジャンは、カスピ海の石油・天然ガス資源を梃に、目覚ましい経済成長を遂げたが(ただし、国民レベルの経済パフォーマンスはきわめて悪く、一般民衆の生活水準はかなり低い。また、国内に100万人いる難民・国内避難民の状況も改善しておらず、国家の富は大統領一家をはじめとした国民の1%未満に集中していると言われている)、それら豊富な資金も、オリンピック選手団の育成や施設の充実に相当程度充てられている。1990年代後半から、オリンピック関連の施設も次々と建設され、その度にアリエフ父子がそれを高らかに誇ってきたのであった。

また、2000年のシドニー五輪の際には、筆者はアゼルバイジャンにいたが、その際驚いたのは、国営テレビで一日中オリンピックの放送をしていたことであり、しかも、その期間中、イルハム・アリエフNOC総裁はずっとシドニーに滞在し、アゼルバイジャンの選手が参加するすべての種目を観戦していたことだ。

さらに、興味深いことに、テレビ番組では、アゼルバイジャンの選手より、イルハム・アリエフ氏が映っている時間の方がずっと長かった。そのため、オリンピック放送は、むしろ、イルハム・アリエフ氏の宣伝に役立ったといえる。それまでは、じつはイルハム・アリエフ氏は、賭博問題などで、国民の評判が悪かったのだが、これを機に彼の人気が急上昇した。2003年の大統領選挙に当選した背景にもこのことが大きく働いているとみられている。

このように、アゼルバイジャンのオリンピックに対する思い入れはきわめて大きい。NOCの報道官コニュル・ヌルラィエヴァは、アゼルバイジャンのこれまでの経験がアゼルバイジャンでの五輪開催を成功に導くと、その招致に自信をみせる。彼女によれば、バクー周辺にオリンピック用の競技場が建設されつつあり、来年までに完成されるという。IOCの一次選考の際には、完璧な準備状況を整えておくつもりのようだ。

しかし、そのような国際イベントを開催する上では、アゼルバイジャンはいくつかの難問を抱えている。オリンピックの招致問題ではまだ表面化していないが、来年、アゼルバイジャンで開催が予定されているユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(以下、ユーロヴィジョン)に関して生じている問題は、そのままオリンピック招致問題に関わってくると思われる。そこで、ユーロヴィジョンについて論じてみたい。

ユーロヴィジョン2011でのアゼルバイジャンの優勝

日本ではあまり馴染みがないが、ユーロヴィジョンとは、欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって1956年以降、毎年開催されている音楽コンテストである。日本を含め、欧州域外でも放映されており、2000年以降はインターネットでも配信されているため、その視聴者は1億人という説もあれば、6億人という説もあるほど、世界中で注目を浴びているコンテストだ。政治的な投票などの問題もあるにせよ、ヨーロッパでは大変楽しみにされている恒例行事である。大会は、前年の優勝国で開催されるのが通例である。

アゼルバイジャンがユーロヴィジョンに初めて参加したのは2008年。ドイツのデュッセルドルフで開催され、43ヶ国が参加した2011年大会では、アゼルバイジャンのエルダル・ガスモフとニギャル・ジャマルの「Running Scared」(同曲の公式ミュージックビデオは以下:http://www.youtube.com/watch?v=3Vk4HYUatv8)が優勝した。

彼らが優勝のステージでアゼルバイジャンとトルコの国旗を振っていたこと、トルコなどの投票行動などから、アゼルバイジャンおよびトルコと問題を抱えるアルメニアが反発を示すこともあったが、アゼルバイジャンにとっては誇らしい歴史的出来事となり、国中がその優勝を祝った。ユーロヴィジョン開催は、観光の宣伝にも絶大な効果を持つため、その意味は経済的にも大きい。

こうして、2012年5月の第57回ユーロヴィジョン大会はアゼルバイジャンで開催されることが決定した。アゼルバイジャンは、国をあげてユーロヴィジョン開催準備を進めており(公式ホームページはhttp://www.eurovisionaz.com/)、バクーの「旗公園」近くではユーロヴィション開催のために2万5千人を収容できる「バクー・クリスタル・ホール」の建設が開始、その周辺に住んでいた多数の住民が既に強制立ち退きを強いられている(なお、この問題に関し、立ち退きを強いられた住民の人権問題が深刻視されているが、ユーロヴィジョン側はそれをアゼルバイジャンの国内問題としている)。

このように「器」の準備は進んでいるとはいえ、アゼルバイジャンには解決すべき問題がいくつかある。

問題1 アルメニア問題

アゼルバイジャンは、アルメニアとナゴルノ・カラバフ問題を抱えている。アゼルバイジャン領にあるナゴルノ・カラバフはアルメニア系住民が多い地域で、ソ連時代は自治州だったが、ソ連時代末期にアルメニア系住民が独立運動を活発化させ、やがてそれが紛争に発展し、ロシアの支援も得て紛争に勝利したアルメニア系住民が1994年からは国家を自称し、同地と周辺のアゼルバイジャン領の約20%を占拠する状態が続いているのである。

そのため、アゼルバイジャンとアルメニアの関係はきわめて厳しく、それらの国で何らかの国際的なイベント、つまりさまざまな競技大会や国際学会などが行われる際には、相手国の参加がつねに問題となってきた。参加が認められない場合もあった一方、名目的には参加可能とされた場合も少なかったが、その場合でも安全性の問題などから参加が見合わされたケースも多い。無事参加できたケースもある(たとえば、2年前のレスリング大会にはアルメニアチームも参加し、銅メダルをとった彼らはアルメニアの国旗を堂々と振ることができたし、アルメニア教会の総主教もバクーを訪問している)。

そして、またユーロヴィジョンへのアルメニア参加問題が焦点となっているのである。両国は、これまでユーロヴィジョンの投票行動でも対決姿勢をみせてきたこともあり、穏便にことが進むとは考えにくいが、本問題はアゼルバイジャンの平和や国際化をはかる尺度にもされかねない。アゼルバイジャン国内では、アルメニアの参加を認めることを求める声が高まっているというが、アルメニアの意思決定による部分も大きい問題であり、先行きは不明である。

問題2 政治的問題

アゼルバイジャンは、欧州初の民主的イスラーム国を標榜しているが、実態は堅固な権威主義国家であり、多くの反体制的活動家やジャーナリスト、ブロガーなどが不法に逮捕されたり、弾圧されたりしてきた。ユーロヴィジョン開催に際しては、大統領が諸外国に対し、いかに民主的様相を装うかが焦点だと言われている。

アゼルバイジャンは、欧米諸国から再三にわたり、民主化や自由化を要求されてきたが、アゼルバイジャンが資源保有国ということもあり、その権威主義は目をつぶられてきた傾向にある。しかし、ユーロヴィジョンは文字通り「欧州」の祭典であり、アゼルバイジャンがヨーロピアン・スタンダードを備えることが本格的に求められる瞬間だとも言える。

実際、ユーロヴィジョン前に政治犯を釈放せよという声は、国内でも高まっており、5月26日には、30名以上の署名がなされた大統領への公開状も送られている。アリエフ大統領にとってはユーロヴィジョン開催は、必ずしもバラ色の側面ばかりではないかもしれない。

問題3 受け入れ態勢と査証の問題

さらに、受け入れ態勢や査証の問題もある。ここでは同じく旧ソ連構成国であるウクライナの経験が参考となるかもしれない。

ウクライナは、2005年のユーロヴィジョン開催国であるが、その際にEUからの入国者に対して査証を免除し、以後、ウクライナは観光部門で大きく飛躍した。また、その際には宿泊施設の不足が深刻な問題となった。そのため、大会主催者の要請により、ウクライナ政府は大会関係者やパッケージツアー以外の宿泊予約を差し止める措置を取り、多くの個人宿泊客の予約がキャンセルされた。つまり、アゼルバイジャンは、十分な宿泊施設を用意し、きわめて面倒な査証制度を廃止ないし簡素化する必要がある。

実際、現在、ユーロヴィジョンはアゼルバイジャン政府に対して査証制度の簡素化を求めている。アゼルバイジャンは、2010年10月に査証制度を厳しくしたばかりであり、それまで空港で取得可能だった査証取得はきわめて厄介になった(日本人の場合は、東京のアゼルバイジャン大使館で事前に取得する必要がある)。

真の国際化が求められるアゼルバイジャンとそこから学ぶべき日本

ここでユーロヴィジョン開催にかかわるアゼルバイジャンが抱える諸問題を列挙したが、同じ問題はオリンピック開催にもそのまま生じるはずである。アゼルバイジャンは、そのような国際イベントの開催のために、アリーナや競技場を建設するなど表面的な「化粧」を進めている。しかし、化粧は化粧にすぎない。素顔でもその真価をアピールできるよう、真の民主化や自由化を進めていくこと、そして査証の簡素化に代表されるような国際化を進めていくことが今、もっとも必要とされていることだろう。

そして、この問題は日本にとっても対岸の火事ではないと思われる。日本も安定した政治を確立し、震災復興を早期に達成して対外的に誇れる安全性を示していくことが、五輪招致の大前提となるのではないだろうか。

推薦図書

アゼルバイジャンについて包括的に知ることのできる書籍はまだないが、本書は、比較的包括的にアゼルバイジャン、そして、コーカサス地域を理解できる本である。本文でも問題となっていたアルメニアとの関係も本書で理解できるはずだ。さらに、深くアルメニアとの紛争や当地の政治などについて理解されたい場合は、すでに本コーナーで紹介済みの拙著(『旧ソ連地域と紛争―石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会, 2005年)、 『コーカサス国際関係の十字路』(集英社新書, 2008年)など)も参照されたい。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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