2024.10.03
平和学――戦争と暴力に立ち向かう
はじめに
平和学(peace studies)は、平和を脅かす要因を特定し、平和の諸条件を明らかにすることを目的としています。めずらしい学問だと思うかもしれませんが、平和学や平和研究という科目を置いている日本の大学は沢山あります。私は早稲田大学社会科学部に進学して平和学を学び、国際関係論のゼミナールに入りました。卒業後は大学院に進学し、国際協力・平和構築論の研究室で研究に取り組みました。また、大学院在学中にノルウェーのオスロ大学大学院政治学研究科へ留学し、平和・紛争研究プログラムで学びました。現在は大学教員として平和や紛争に関する研究、教育、そして難民支援などの社会活動に取り組んでいます。
私が大学や大学院で学んだ平和学、国際関係論、国際協力論、平和構築論、紛争解決学などは、いずれも戦争や平和について考える学問です。これらの学問に興味を持った最初のきっかけは、小学生の頃に市の文化会館で行われていた「平和のための戦争展」でした。高校教諭で平和教育に取り組んでいた父に連れられて行った戦争展では、ベトナム戦争や湾岸戦争の悲惨な写真が展示されていました。中学生の頃には自宅にあった二つの漫画に大きな影響を受けました。一つは戦中・戦後の広島で生きる少年を描いた『はだしのゲン』。もう一つは核戦争後の世界を舞台とする『風の谷のナウシカ』です。
高校生になると、ナチスによるホロコーストやアウシュビッツ強制収容所について学ぶ機会がありました。ガス室でユダヤ人が虐殺される資料に衝撃を受け、涙が溢れたことを覚えています。大学生になってからは戦争をテーマとした映画やドキュメンタリーを進んで沢山みるようになりました。とくに1994年に起きたルワンダの大虐殺を描いた『ホテル・ルワンダ』や『ルワンダの涙』は研究者を目指すきっかけになりました。憤りや悲しみを感じると同時に、なぜ虐殺が発生するのか、国際社会はそれを食い止めることができないのかといった大きな疑問が浮かびました。このような問題意識から大学院に進学し、大量虐殺に対する国際社会の対応に関する研究に取り組んできました。
本稿を執筆している2023年11月現在、イスラエル・パレスチナ紛争やロシア・ウクライナ戦争の凄惨な状況が連日報道されています。これ以外にも、ミャンマーの軍事クーデター後の民衆弾圧など、ほとんど忘れられている問題も沢山あります。戦争や暴力によって犠牲になるのは、子どもを含む罪のない民間人ばかりです。こうした現実を前に「何か自分にできることはないか」と考える人は多いのではないでしょうか。平和学という学問は、平和を願うだけでなく、どうすれば平和になるかを科学的な観点から解明することを目指しています。本稿では高校生や大学生、そしてこれから平和について勉強したいと考えている皆さんに向けて、平和学の魅力を伝えたいと思います。
平和とは何か
「平和」とはいったい何でしょうか。大学の講義で学生たちに平和の定義を考えてもらうと、「世界中の人々が互いに思いやりを持って生きられること」「すべての人が笑顔で過ごせること」「平和について考えなくても良い状態(それが当たり前にあるため)」など、多種多様な定義が考案されます。最も多いのが「平和は戦争がない状態」という定義です。確かに、戦争がないことは平和の実現に欠かせません。しかし、戦争さえなければ平和は実現するのでしょうか。
国家(政府)が軍事力や同盟関係を強化し、他国の攻撃から自国の主権・領土・国民を守ることを国家の安全保障といいます。このような考え方は17世紀半ば以降の国民国家の形成にともなって発展してきました。そして、19世紀後半に欧米列強による植民地獲得競争が激化し、20世紀前半には2度の世界大戦が勃発しました。1914年に始まった第一次世界大戦では、機関銃、戦車、潜水艦、爆撃機、化学兵器などが使用され、推定1500万人が犠牲になりました。そして1939年に始まった第二次世界大戦では、新たに電波兵器(レーダー)、ミサイル、核兵器などが使用されました。大型の爆撃機による無差別爆撃によって非戦闘員の民間人の被害が激増し、推定6600万人が犠牲になりました。
あまりにも多くの犠牲者を出した2度の世界大戦は、戦略研究が重視してきた「戦争に勝つ方法」ではなく、「戦争を防ぐ方法」について研究する必要性を認識させました。その結果、第二次世界大戦の終結後に平和学という学問が誕生します。初期の平和学は核戦争の回避が大きなテーマであり、その意味で「戦争と平和」に関する学問でした。しかし、冷戦下の1960年代後半に、平和学は「暴力と平和」に関する学問に大きく変化します。この変化を生み出したのは二人の平和学者でした。
まず、1968年にインドのスガタ・ダスグプタが、平和の反対は「戦争」ではなく「平和ならざる状態(peacelessness)」だと主張しました。1960年代のインドでは、貧困、飢餓、病気などが原因で数多くの死者が発生していました。このような悲惨な現実を目の当たりにしたダスグプタは、戦争でも平和でもない、平和とはいえない状態があることを指摘したのです。ダスグプタの考えは戦争ばかりに関心を向けていた当時の平和学者に大きな衝撃を与えました。
加えて、1969年にノルウェーのヨハン・ガルトゥングによって、平和の概念の整理が進められました。ガルトゥングは戦争などの直接的な暴力のない状態は「消極的平和」に過ぎないことを指摘します。そして、「構造的暴力」のない「積極的平和」を実現する必要性を主張しました。構造的暴力とは貧困、差別、抑圧のような目に見えない間接的な暴力を意味します。このようにガルトゥングは平和の反対は広い意味での「暴力」であり、それらすべてを解決しないと真の平和は実現しないと考えたのです。ダスグプタやガルトゥングの影響を受けて、平和学の研究対象は戦争だけでなく、貧困、格差、人権、環境問題などに広く拡大していくことになります。
現在の平和学では、たとえ戦争がなくても、構造的暴力で苦しんでいる人がいる限り平和ではないと理解されています。直接的暴力と構造的暴力はどちらも平和学の重要なテーマとなり、それぞれについて多岐にわたる研究がなされています。例えば、2023年に日本平和学会が刊行した『平和学辞典』では、辞典前半で直接的暴力に関する問題が、辞典後半で構造的暴力に関する問題がそれぞれ扱われています。直接的暴力に関する主なトピックは、戦争、テロリズム、安全保障、核兵器、軍縮、基地問題、憲法などです。そして、構造的暴力に関する主なトピックは、飢餓、貧困、児童労働、環境汚染、自然災害、気候変動、感染症、差別、ジェンダー不平等、性的マイノリティなどです。
21世紀世界の武力紛争と難民問題
21世紀世界に生きる私たちが直面している平和の課題は沢山ありますが、本稿では武力紛争と難民問題に焦点を当てたいと思います。『戦争論』で有名なカール・フォン・クラウゼビッツは戦争を「別の手段をもってする政治の延長」と定義づけました。このような定義とは異なり、平和学では戦争の否定的な定義が発展してきました。例えば、1974年にアナトール・ラパポートは「戦争は避けがたい必要悪ではなく、組織化された犯罪である」と指摘しています。このように、戦争を肯定的または中立的な立場から捉えるのではなく、避けるべき事象として否定的に捉えるのが平和学の特徴の一つです。
戦争と似ている言葉に紛争や内戦があります。平和学の分野では、紛争は「複数の個人や集団の間で、互いに両立不可能な目的を達成しようと競争が生じている状態」と理解されています。このように紛争はとても広い概念で、戦争のような悲惨なものから、夫婦喧嘩のような身近なものまで含まれます。興味深いことに、平和学から派生した紛争解決学では、あらゆる紛争を否定しているわけではありません。なぜなら、より良い人間関係や社会を構築する上で、紛争が建設的な結果をもたらす場合もあるからです。その代わりに、紛争解決学では紛争が暴力を伴う武力紛争に発展することを防いだり、暴力を用いずに紛争を解決したりすることを重視しています。
ここでガルトゥングが提唱した紛争解決における「超越法」について考えてみましょう。まず、次のような状況を想像してください。テーブルの上にオレンジを一つ置き、そこに二人の子どもAとBが座ります。何が起きるでしょうか。大学の講義で考えつくだけアイデアを出すように指示すると、学生たちは「じゃんけんでどちらが食べるか決める」「奪い合いが始まる」「半分に分けて食べる」「何もしない」といった様々な回答が返ってきます。なかには「オレンジでキャッチボールをはじめる」といったユニークな回答もあります。ガルトゥングによれば、基本的な結果は次の五つに分けられます。
① Aの勝利(Aだけがオレンジを手に入れる)
② Bの勝利(Bだけがオレンジを手に入れる)
③ 撤退(AもBもオレンジを手に入れることができない)
④ 妥協(AもBもオレンジの一部を手に入れることができる)
⑤ 超越(AとBのどちらもより良い成果を得る)
①と②は当事者のどちらかが勝者になる場合です。暴力を伴う喧嘩、じゃんけんやくじなどの運任せ、あるいは話し合いなどで勝者が決まります。③はAもBも互いに目標を達成できません。その場から立ち去る、オレンジを破壊する、何もしない、冷凍庫にしまって凍結するといった結果が考えられます。④はAもBも互いにオレンジを丸ごと手に入れることはできません。その代わりに、切ったりジュースにしたりして分け合うという結果です。五つの結果のなかで最も興味深いのが「超越」です。これはAとBのどちらもより良い成果を得ることを意味します。例えば、「オレンジケーキを焼いて収益を分け合う」「オレンジの種をまいて果樹園を作り、市場に売りにいく」といった方法です。実現すれば、確かに他の四つよりも得られる成果が大きそうです。このような考え方は日常の紛争解決においても役に立つと思います。
私はオスロ大学大学院の留学中に、「国際交渉・紛争解決」という授業で紛争解決のシミュレーションを体験しました。シミュレーションでは、まず架空の紛争に関する長編のシナリオが配布されます。さらに、受講生は紛争当事者や国連特使などのいくつかのチームに分かれます。それぞれのチームは自らの目標の実現を目指して交渉の戦略を練ります。国連特使チームは合意文書のドラフトを起草します。そして、交渉当日はチーム毎に別室に移動し、それぞれが交渉団を派遣するかたちで交渉を行いました。一方の紛争当事者が強硬な姿勢を崩さず、また他のチームも互いに納得のいく妥協案を提示することができなかったため、残念ながら合意の締結は失敗しました。しかし、紛争解決の実践を重視した、とても良いシミュレーションでした。
さて、武力紛争と難民問題の統計をみていきましょう。武力紛争に関する統計データを作成して世界に発信している最も有名な機関がスウェーデンのウプサラ大学紛争データプログラム(UCDP)です。UCDPは戦闘によって1年間で少なくとも25人以上の死者が発生した紛争を武力紛争と定義しています。UCDPは武力紛争のタイプ別に統計を出していますが、発生件数の最も多いのが「国内紛争」、次に「国際化された国内紛争」、最後が「国家間紛争」です。加えて、UCDPは死者の数が25人以上1000人未満のものを低強度紛争、1000人以上のものを戦争に分類しています。ただし、これが世界共通の分類というわけではなく、一般的には国内紛争を内戦、国家間紛争を戦争と呼ぶことが多いと思います。いずれにしても、UCDPの統計から武力紛争の数は1990年代に入って減少してきましたが、2010年以降右肩上がりで増加していることがわかります。そして、2022年の武力紛争の死者は冷戦終結後で最多となる23万人を超えました。
武力紛争によって故郷を追われた人々のことを強制避難民(強制移動者)といいます。強制避難民は、国境を越えて他国で保護された「難民」、国境を越えずに国内で避難生活をしている「国内避難民」、そして難民申請中の「庇護希望者」の三つのグループに分けられます。強制避難民の数は過去10年間で2倍以上に増加しています。2022年5月に1億人を突破し、2023年6月末には1億1000万人を超えました。この時点で世界人口の約74人に1人が強制避難民となりました。10月に始まったパレスチナ・イスラエル紛争によって、強制避難民の数はさらに増加しています。また、2022年末のデータでは、強制避難民の87%はシリア、ウクライナ、アフガニスタン、ベネズエラ、南スーダン、ミャンマーなどのたった10か国から発生しています。そして、強制避難民の70%は近隣諸国が受け入れており、受け入れ国の76%は先進国ではなく中低所得国です。
日本は難民支援に取り組む国連機関などへの多額の資金提供をしてきましたが、難民の受け入れには消極的だと批判されてきました。しかし、近年は変化が生じつつあります。2022年の難民申請は3772人で、難民として認定されたのが202人(このうち147人がアフガニスタン出身者)、難民としての基準は満たしていないものの人道的な配慮から特別に庇護されたのが1760人(このうち1682人がミャンマー出身者)となり、前年から大幅に増加しました。これ以外にも、2500人以上のウクライナ避難民や850人以上のアフガニスタン退避者を受け入れたり、軍事クーデターが発生して帰国できないミャンマー人への緊急避難措置として、1万人以上の在留や就労を認めたりしてきました。日本国内に暮らす難民や避難民が増加してきているのです。
平和学の理論と実践
平和学を学べば「なぜ紛争は起きるのか」「核兵器は平和をつくるのか」「正義の戦争はあるのか」といった平和に関する様々な重要な問いに対する答えを見いだせるはずです。また、平和学は実践を重視する学問なので、培った学問的知見を実際に役立てることが求められます。平和学における実践とは、政府機関、国連、JICA、国際NGOなどの職員として開発途上国や紛争地の現場で働くことだけではありません。平和を脅かす問題について知り、それを誰かに伝え、身近なところから行動することも、一人の市民にできる平和の「実践」だと思います。
21世紀の世界には平和を脅かす問題が数多く存在します。これらの問題は日本に暮らす私たちと無関係ではありません。例えば、私たちがよく利用する企業が、武力紛争、人権侵害、環境破壊などに関わっている場合もあります。また、私たちの税金は政府開発援助(ODA)として、国際協力、平和構築、人道支援などに用いられています。そして、日本国内にも武力紛争から逃れてきた難民や避難民が暮らしています。難民支援のボランティアに参加することも身近なところからできる行動の一つです。
平和学を学ぶ以上、ときに目を背けたくなるような現実を直視することになります。私自身、悲しい現実に無力感を感じることがあります。しかし、平和を脅かす要因を冷静に分析し、問題解決に向けてできることを、研究、教育、社会活動を通じて地道にしていこうと考えています。平和学は平和の実現を目指し、希望をつくるための学問です。是非、皆さんも平和学を学んでみてください。
参考文献
上杉勇司、長谷川晋『紛争解決学入門――理論と実践をつなぐ分析視角と思考法』大学教育出版、2016年。
上杉勇司『どうすれば争いを止められるのか――17歳からの紛争解決学』WAVE出版、2023年。
児玉克也、佐藤安信、中西久枝『はじめて出会う平和学――未来はここからはじまる』有斐閣、2004年。
多賀秀敏『平和学入門1――平和を理解するための思考のドリル』勁草書房、2020年。
多賀秀敏『平和学入門2――戦争を理解するための思考のドリル』勁草書房、2020年。
日本平和学会編『平和学辞典』丸善出版、2023年。
山田満『平和構築のトリロジー――民主化・発展・平和を再考する』明石書店、2021年。
ヨハン・ガルトゥング著、伊藤武彦編、奥本京子訳『平和的手段による紛争の転換【超越法】』平和文化、2000年。
プロフィール
宮下大夢
長野県生まれ。名城大学外国語学部准教授。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了。博士(社会科学)。国際協力機構JICA研究所非常勤研究助手、早稲田大学社会科学総合学術院助手、東京大学大学院総合文化研究科付属グローバル地域研究機構持続的平和研究センター特任研究員、東京大学教養学部非常勤講師などを経て現職。NPO法人「人間の安全保障」フォーラム事務局長、社会福祉法人さぽうと21たてばやし教室総括コーディネーターを務める。主な著作に『新しい国際協力論[第3版]』(共著、明石書店、2023年)、『地域から読み解く「保護する責任」』(共著、聖学院大学出版会、2023年)、『トピックからわかる国際政治の基礎知識』(共著、芦書房、2023年)、『「非伝統的安全保障」によるアジアの平和構築』(共著、明石書店、2021年)、『全国データ SDGsと日本』(共著、明石書店、2019年)などがある。