2013.07.13
携帯電話を手にしたアフリカ牧畜民、その光と影
巨大な看板
サヴァンナに屹立し、携帯電話で通話する牧畜民(遊牧民)マーサイの美しい戦士が描かれた巨大な看板。ケニアの首都ナイロビの路上で、それを目にするようになったのはここ数年のことである。おそらくは、「我が社の通信網ではこんな僻地でも圏内ですよ」ということを強調するための携帯電話会社の広告なのだが、たしかに印象的ではある。
近年、国内外で、アフリカ牧畜民の携帯電話利用を扱った報道をよく目にするようになった。しかし、まさか、BBCや朝日新聞でもとりあげられるようになるとは、筆者も夢にも思っていなかった。携帯電話を利用するアフリカの牧畜民、とくにマーサイの姿は、相当印象的に見えるらしく、いまや世界中の注目を集めている。筆者も、グローバリゼーションの典型例としてそうした写真を高校の教科書に使用したいという問い合わせを受けたことがある。
アフリカの牧畜民と携帯電話。たしかに、これほど、今日の世界のグローバリゼーションをわかりやすく示している例はないかもしれない。こんな僻地にまでグローバルな通信網は及んでおり、文字通りアフリカの「村」が、かつてマクルーハンが予見した「グローバル・ビレッジ」の一部になったというわけだ。
伝統文化に生きる牧畜民?
アフリカ牧畜民の携帯電話利用が注目を浴びる理由のひとつは、現在でも、彼らが伝統的な遊牧生活を営んでおり、携帯電話のような最先端の通信テクノロジーとは無縁であるとみなされてきたからである。マーサイに代表される色とりどりの派手な装飾品を身に纏ったアフリカの牧畜民は、外国人観光客向けの土産物などに描かれ、アフリカの伝統文化の象徴とされてきた。
ただし、彼らは、必ずしも、アフリカの伝統文化を頑なに守り続けてきたわけではない。むしろ、植民地支配期以降の激動のなかで、彼らは、貨幣経済、学校教育、賃金労働など、ありとあらゆる外部からの影響を、好むと好まざるにかかわらず、受け入れてきた。だから、じつは、アフリカの牧畜民が、最先端のテクノロジーである携帯電話を受け入れたとしても、じつは、さほど、不思議なこととは言えない。
貧困層を対象としたBOPビジネス
アフリカ牧畜民の携帯電話利用が注目を浴びる理由のもうひとつの理由は、それが貧困層を対象としたBOP(Base of Pyramid)ビジネスの成功例とされるからである。アフリカの牧畜民は、それぞれの国民国家のなかで周縁化されており、開発が立ち後れてきた。そのため、牧畜民の多くが、貧困ライン以下の生活を余儀なくされており、その一部は飢餓に至っている。
アフリカの携帯電話は、こうした貧困層を対象としたBOPビジネスのひとつとして注目を浴びている。そこでは、プリペイド式の通話料支払い方式など貧困層にも利用しやすい仕組みが採用されており、いわゆる、モバイル・マネーの仕組みと連動することによって、銀行口座を持たない貧困層も、携帯電話を利用して、送金したり貯蓄をしたりすることが可能になった。中古の端末を利用した場合、2千円もあれば、携帯電話の利用者になることが可能である。
アフリカの固定電話の状況は、首都ですらひどい状況にある。何度かけても、「ただいま回線が混み合っております、また後でおかけ直し下さい……」というアナウンス音声ばかり聞かされるのにはうんざりさせられる。ましてや、サヴァンナで暮らす牧畜民が固定電話を持つことなど考えられない話だった。筆者が携帯電話を使い始めたとき、電気もガスも水道もないサヴァンナで、それが普通に繋がったことにまず驚いたものだ。
携帯電話を歓迎した牧畜民
アフリカ諸国で携帯電話が急速に普及し始めたのは2000年代のことである。2010年には、アフリカ全体でその普及率は50%を超えており、なかには100%を超えている国もある。わたしが調査対象としている東アフリカ牧畜民もその例外ではない。筆者が調査を継続している集落でも、成人の携帯電話普及は2009年時点で77%に達している。
アフリカの牧畜民がいかに携帯電話に熱狂したのかは、携帯電話端末をみせてもらえばすぐにわかる。筆者が携帯電話の調査をしていた際にも、酷使された結果、入力キーの印字が完全に剥離して読めなくなった携帯電話端末を見せていただき、唖然としたものだ。しかも、端末の持ち主は、キーの位置関係を憶えることで、この端末を利用しつづけていた。つまり、彼は、「タッチ・タイピング」が可能なほど、携帯電話漬けになっていたのである。
また、文字や数字が読めない牧畜民も携帯電話を利用している。ある老婆は、連絡先のニックネームに画像を貼り付ける機能を利用して、その画像によってその連絡先が誰のものかを識別する方法で連絡先を利用していた。また、ある男性は、 自分で「H8」、「38」、 「Lf2」、「H18」などの、とくに関連する意味のないアルファベットや数字の文字列を連絡先のニックネームとして入力し、連絡先を利用していた。
プロフィール
湖中真哉
1965年生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得退学。京都大学博士(地域研究)。現在、静岡県立大学 国際関係学部 教授。おもに、東アフリカ遊牧社会のグローバリゼーションを対象とした調査研究を行う。主要著書: 『牧畜二重経済の人類学─ケニア・サンブルの民族誌的研究』(2006年、世界思想社)など。