2014.01.29
多宗教世界インドの怪談――暴力と姦通と名誉殺人
およそ怪談(幽霊話)というものは、幽霊が現れるという話(幽霊出現譚)とその由来となる縁起から成立している。かけ離れた二つの話を結びつけるのは、時間的には幽霊が執着する「なにか」であり、空間的にはそのようななにかが存在していたとされる場所(たとえば家屋)である。
死者がこの世に幽霊となってとどまるのは、やむを得ない理由があるからだ。なにかに執着し、なにかを生者に伝えたいから残ろうとする。こうして、数年後あるいは数十年後に人は悲劇の起こった場所で幽霊に出会うことになる。執着が取り除かれるならそこで幽霊は消滅する(*1)。
日本でもヒットしたタミル映画『チャンドラムキ――踊る!アメリカ帰りのゴーストバスター』(2005年、原作はマラヤーラム映画(*2))では、ある男が新妻ガンガーのために購入した屋敷で、150年前に非業の死を遂げた踊り子チャンドラムキの幽霊に苦しめられる。ガンガーがチャンドラムキの亡霊を封印していた部屋を開けてしまい、彼女を解き放ってしまったからである(幽霊出現譚)。
かつてチャンドラムキは王のお気に入りで強制的に妾にされてしまった。しかし、恋人との密会がばれ、恋人を殺され、自身も焼かれてしまう。チャンドラムキは怨念から大蛇になるが、この屋敷の一室に封じ込められていた(縁起)。映画では、封印を解かれたチャンドラムキの亡霊を「成仏」させるため、スーパースター・ラジニ・カーント扮する精神分析医が王への復讐を実現して怨念をはらす展開も見所である。
インドは多宗教世界である。多くの神を擁するヒンドゥー教だけではない。一神教のイスラームやキリスト教、また少数ではあるがインドで生まれた仏教、ジャ イナ教、スィク教、ほかに名もない信念や実践が認められる。インドの闇には魑魅魍魎が暗躍しているため、当然怪談もさまざまな形をとることになる。
インドの怪談で興味深いのは、そこにヨーロッパの白人、とくに英国人がしばしば登場することである。これは、インドが1947年に独立するまで長いあいだ英国の植民地であったことを反映している。ここでは、白人が登場する怪談を『インドの怪談』(*3)からいくつか紹介したい。
本書は、植民地下の20世紀初頭、いまからおよそ100年前に公刊されたもので、シェーカール・ムケルジーが編集・執筆している。12章からなる本書は英語で書かれているが、そこには幽霊譚以外の怪異現象や呪術が紹介されている。筆者が直接聞いたり、体験したりしたものもあれば、新聞記事に基づくものもある。また中には、怪異現象の正体を暴くような話も含まれている。
筆者がどのような意図でこのような書物を記し、それがどのようにインド人や英国人に読まれたのかについては別稿に譲りたいが、本書がインド社会だけでなく、植民地時代のインドと英国の関係を考える上でも貴重な書物であることは間違いない。
さて、ここではまずイギリス人が登場する事例を紹介したい。
(*1)類似の構造はほとんどのミステリー・サスペンスドラマにも認められる。過去の犯罪行為(縁起)、そして最近生じた事件(犯罪の発覚)が結びついたとき犯人も特定可能となる。幽霊の代わりに被害者の恋人や子どもが第二の罪を犯すのである。
(*2)タミルはインド南東部の言語、マラヤーラムは南西部の言語である。他言語世界のインドではひとつの映画がヒットするとさまざまな言語でリメイクされるのが一般的である。『チャンドラムキ』については日本語字幕付きDVDが販売されている。
(*3)S. Mukerji著、原題 Indian Ghost Stories, 2nd edition, Allahabad: A.H.Wheeler、第2版1917年刊。初版は1914年。
怪談1 消えた赤ん坊
いまから20年ほど前(1890年頃)のことである(*4)。英国出身のブラウン少佐が、その連隊とともにある駐屯地に移動となった。そこでかれはインド人から立派なお屋敷を借りることになった。少佐にとってインドへの赴任は初めてのことだったが、裕福な家の生まれなので、立派なお屋敷を借りることができた。ところが少佐と妻は、3週間もしないうちにここを出てしまい、二度と戻ろうとはしなかった。そのため家賃をめぐるトラブルが生じる。家主は契約通り家賃を払えと迫り、少佐はこれを拒否したため裁判で争うことになったのである。そこで明らかになったのは幽霊の存在であった。
ブラウン少佐によれば、引っ越しを済ませて2週間ほど経ったある日のこと、彼らは推理小説に夢中になって真夜中をすぎても眠りにつけなかった。すると、複数の人物が廊下を歩く音が聞こえてくる。足音が大きくなって近くに来たと思ったら、突然寝室から廊下に続くドアが開いて3人の人物が入ってきた。一人目は白人男性、二人目は白人女性、三番目がインド人らしい女性、たぶん乳母だ。皆寝間着姿だった。
ブラウン少佐はこう証言している。
わたしたちは恐怖で声が出せなかった。この招かれざる訪問者たちがこの世のものでないことははっきりしていたからだ。わたしたちは身動きできなかった(*5)。
3人は、なにかを探すようにしてベッドのすぐそばを通り過ぎ、寝室を隅から隅まで探しまわってから隣の化粧室に移動していったがすぐ戻ってきて、また入ってきたドアから廊下に出て行った。かれらは隣の寝室にも同じように入っていった。しばらくして廊下に出たようだが、もう音は聞こえてこなかった。
われに返って、手足を動かせるようになるまですくなくとも5分かかったろうか。起き上がって妻をのぞきこむと気絶していた(*6)。
ブラウン少佐は急いで廊下に出て、離れにいる召使いたちを呼び起こし、妻には気つけのブランデーを与えた。やっと落ち着いたところで、召使いの一人が説明してくれた。
この屋敷はインド大反乱(1857-59)の数年後に建てられた。60歳になるこの召使いは当初からここで働いている。あるとき、この家を借りていた判事が、イスラーム教徒の若者に殺人の罪で死刑の判決を下した。このため若者の父親は、判事に復讐を誓っていた。
死刑が執行された日の夜、屋敷の庭を怪しい者がうろついていたので不審に思った召使いは、インド人の乳母を起こしにいった。するといつも一緒に寝ている判事の赤ん坊がいない。びっくりして隣の寝室で寝ていた判事夫婦を起こし、赤ん坊を必死に探しまわったが、どこを探しても見つけることができず、警察に通報することになった。
警官がやってきたのは朝4時のことであった。警官たちは、半時間ほど探しまわるが見つけられず、かならず発見することを約束して引き上げた。しばらくして判事夫婦と乳母も寝室にもどった。
翌朝奇妙なことに彼らは全員死んでいた。一人ひとりの足にヘビの咬痕があったので、毒ヘビの仕業だということになったが、夫婦と乳母は別の部屋で休んでいたのに3人が同じようにして死んでいるのは奇妙なことだった(*7)。結局赤ん坊は見つからず、それ以来毎週金曜日の真夜中になると、屋敷では彼らの幽霊が赤ん坊を探してまわるのである。
家賃をめぐる裁判の話に戻ろう。証言台に立った召使いも、母屋に泊まったときに幽霊に出会ったという。そしてこの裁判の判事もまた金曜日に幽霊屋敷に泊まってみたようだ。このときの経験について彼はなにも記録を残していないが、判決は少佐の勝訴となった。
その後、この幽霊屋敷は慈善団体に寄付された。団体の指導者たちは信心深いインド人(ただし、この場合はヒンドゥー教徒)だったため、除霊式をしてから屋敷を解体してあたらしい建物を建てた。この家で幽霊を見る者はもういなかった。
(*4)Indian Ghost Stories, pp.13-15.
(*5)Indian Ghost Stories, p.14.
(*6)Indian Ghost Stories, p.14.
(*7)さらに言えば、真夜中から起きていたとはいえ、こんなときに寝入ってしまうというのも奇妙な話である。
怪談話から見るインドに根付く対立
この怪談は、冒頭で述べたように二つの話からなっている。ひとつは、幽霊たちが生きていた時代のもので、死刑判決を下した判事と被告の若者とその父親という話である(縁起)。もうひとつは、幽霊が出た当時の話で、ブラウン少佐と家主が対立する(幽霊出現譚)。
縁起では、判事の判決を恨んだ父が判事の家族(妻と赤ん坊)とインド人乳母に不幸をもたらす。赤ん坊は行方不明になり、判事夫妻と乳母は不審な死を迎える。幽霊出現譚では赤ん坊を探すために毎週金曜日に判事夫婦と乳母の幽霊が現れ、ブラウン少佐夫妻を恐れさせる。その結果、幽霊屋敷の家賃支払いをめぐって家主のインド人と借家人のブラウン少佐夫婦が対立することになる。この裁判では判事がブラウン少佐に勝訴を言い渡す。
植民地支配下での権力関係を背景にこの怪談を考えると、最初のエピソードは、非力な立場にあるイスラーム教徒が呪術を使うなどして赤ん坊を拉致するだけでなく、3人の大人を一度に殺してしまったと読める話である。彼の息子の死は、英国植民地政庁の法に基づいた判決によるものであっても、肉親にとっては、納得のいくものではなかったのであろう。
とくにインド大反乱の直後であることを考えると、裁判自体が英国による不当な弾圧であると受け止められていたのかもしれない。法に頼ることのできない彼らは呪術に訴え、判事夫婦を殺してしまう。
この怪談の縁起に認められる三つの対立はすべて死をもたらしている。
1)イスラーム教徒の若者×被害者 ⇒被害者の死(殺人、違法)
2)イスラーム教徒の若者×判事 ⇒若者の死(死刑、合法)
3)若者の父×判事とその身内 ⇒判事とその身内の死(呪い)
こうしてイスラーム教徒(インド人)は英国人に勝利する。圧倒的な権力者への抵抗にはしばしば呪いや黒魔術が使われる。それ以外に勝つ見込みはないからだ。
同じ書物にコルカタの英国人宝石商が、インド人のイスラーム聖者をバカにしてひどい目にあう話が出てくる(*8)。ある聖者が宝石を購入しようとしたが、高すぎるので一ヶ月だけ貸してほしいと申し出た。宝石商はこれをことわったうえに、アシスタントが聖者を店から追い出してしまった。翌日不思議なことに、聖者が求めていた指輪が一つなくなっていた。このため聖者は警察に通報されて逮捕される。ところが、そのあとも聖者が留置所の中から神通力を使って、宝石商を打ちのめすという荒唐無稽な話である。
幽霊屋敷の話に戻ると、幽霊出現譚では、少佐という地位はあっても世知に疎そうな英国人が、抜け目のないインド人家主に騙されて、いわくつきの屋敷に住む契約をさせられている。家賃支払いを拒んだイギリス人を訴えたインド人家主は敗訴するが、裁判は正当な手段とみなされ、家主の恨みを買って判事が苦しめられることはない。
縁起と幽霊出現譚では、どちらも、白人の判事に罰せられるのはインド人だが、最初の判決と異なり、二つ目の判決は正当なものと受け入れられる。しかし、この判決で幽霊問題自体は解決されていない。信心深いヒンドゥー教徒によって除霊がなされてやっと幽霊が消え、平穏が訪れたという話である。
縁起に認められる暴力と怨嗟の連鎖は、幽霊出現譚の裁判とは無関係の除霊儀礼(カウンター黒呪術)という宗教実践によって克服されたのである。白人の幽霊は、白人の判決などではなく、異教徒の儀礼によって消え去ったというところに、別の形でのインド人(ヒンドゥー教徒)の「勝利」が認められる。
この書物が出版されて30年後、インド亜大陸は独立に際し、宗教による分断、すなわち印パ分離という悲劇を経験する。この怪談にもインド人と英国人という対立だけでなく、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒という対立を認めることが可能である。イスラーム教徒は混乱を引き起こすだけである。これにたいし、土地の人間(ヒンドゥー)だけが怪異を統御できる。ヒンドゥー教徒は、英国人にもイスラーム教徒(呪いの実践者)にも勝利しているように見える。異教徒たちが殺したり、呪ったり、裁いたりして引き起こした幽霊騒ぎにたいして、ヒンドゥー教の宗教実践が最終的な解決手段として登場するのである。
ヒンドゥー教×暴力の連鎖(英国人とイスラーム教徒)⇒幽霊の消滅
しかし、そもそも判事たちがこの世に執着して幽霊となった原因の赤ん坊の行方は不明のままである。幽霊たちが赤ん坊を失った苦しみを慰められて消えたのか。それとも力づくで追い払われてしまったのか。この点がすっきりしない。つぎの怪談は執着のもとが解決されて幽霊が消えるという意味で、話としてはより整っているように思われる。
(*8)Indian Ghost Stories, pp.36-37.
怪談2 切り落とされた腕を探す妻
ハンターという英国人財務官僚がマドラス管区にある町に異動になった(*9)。彼は家を探す間寝泊まりしていたクラブで幽霊屋敷の話を聞く。幽霊はヨーロッパ人の女性で、「私についてくるように」と語りかけるのだが、いままでついて行った者はだれもいない。以前住んでいた人は恐怖から死んでしまったという。しかし、その屋敷の夜警によると、幽霊が現れるのは9月21日だけなので、その日だけ家をあけておけばなにも問題ないのだという。
ハンターは年金を配分する仕事をしていたので、この土地に長く住んでいる英国人を訪問したとき幽霊屋敷にまつわる話を聞くことができた。
50年ほど前(大反乱の直後、1860年頃)、この家には英国人夫婦が住んでいた。妻は同じ町に住む大尉を好きになり、夫の目を盗んでときどき会っていたという。ある年の9月21日のこと、夫が予定より早く出張から帰宅すると、妻は大尉の腕に抱かれていた。逆上した夫は二人を肉切り包丁で殺そうとした。大尉はうまくかわしたが、妻は部屋の片隅にまで追いつめられ、夫がふりまわす包丁で腕が切断されて出血多量で死んでしまう。その後、夫は逮捕されるが、気がふれていると診断されて精神病院に送られる。妻の遺体は近くの墓地に埋められるが、夫が切り落とした腕は結局見つけられないままだったという。
ハンターが決意を固めこの屋敷に泊まったところ、やはり9月21日の夜に白人女性が現れた。
午前1時食堂の方から彼のいる寝室に足音が近づいてくるのが聞こえた。……ついに彼女がやってきた。ふわっとした白い寝間着姿の英国人女性だ。ハンター氏は息苦しくなるが座ったまま動くこともできなかった。彼女は彼の方を1分ほど見つめてから、ついてくるようにと手招きをした。そのときはじめて彼女の片手がないことに気づいた(*10)。
彼女はハンターを外に導き、途中で鍬をもつようにと指示した。庭の中をかなり歩いたところで、幽霊が足で地面を数回たたいて合図をしたので、ハンターはそこを鍬で掘り始めた。50センチも掘り、固いものに鍬の先があたったとたん幽霊は消えてしまった。さらに掘り進めると、腕の骨が見つかった。彼は骨を集めると、墓地にもっていって夜警を起こし、殺害された女性の墓に埋めてやったのである。
翌年の9月21日、ハンターは夜中まで起きていたが、もう幽霊は現れなかった。
この怪談の縁起は、浮気現場を見つけられた妻が夫に殺されてしまうというできごとである。幽霊が出てくるのは、そのとき切断された片腕を探してのことであった。彼女は片腕を見つけてほしいのだが、だれも怖くて彼女の願いに気づいてやれない。しかし、ハンターが勇気をもって幽霊の後についていって、片腕を見つけ、墓地に埋めることで怪談は完結する。彼女の腕は、第一番目の怪談における赤ん坊に対応する。しかし、第一の怪談と異なり、幽霊をこの世に執着させているものは幽霊出現譚で見つけ出され、物語はすっきりした形で終わる。
最後にインドらしい怪談を紹介したい。
(*9)Indian Ghost Stories, pp.15-17.
(*10)Indian Ghost Stories, p.16.
怪談3 赤ん坊にキスしてください。
あるインド人男性が、幽霊の正体をつかもうとして、幽霊屋敷に泊まることにした(*11)。午前1時半を過ぎた頃、隣の部屋から苦痛でうめくような声が聞こえてきた。ピストルをもって隣の部屋に行ってみたがなにも見当たらない。すると、いま出てきたばかりの部屋で同じような声が聞こえる。戻ってみて自分の目を疑った。いつのまにか若い女性が椅子に座っていたからだ。彼女は美しいが、苦痛の表情を浮かべていた。
「あなたは、どうして私がここにいるのかと不思議でしょう。私は父親に殺されたのです。私は寡婦で、父の所有するこの屋敷に住んでいましたが、あるとき妊娠してしまいました。これを知った父は、名誉を守るために、あと1週間で生まれてくる子どもと一緒に私を毒殺したのです。こんな美しい子どもを殺したのですよ。あなたはこの子にキスしてくれませんか?」なんとも恐ろしいことに、彼女は子宮から胎児を取り出し、その子を抱きかかえて私の方に近づいてきた。私は叫ぼうとしたかどうかさえ分からない。気絶してしまったからだ(*12)。
それまでにもこの若い女性の幽霊に出会った男性は多かったが、みな彼女が話をする前に気絶してしまっていた。このため、その縁起は不明だったのである。この怪談では、解決は示されていない。幽霊屋敷はそのまま荒れ放題になって、そのうちだれも気にしなくなったと説明がついている。
ヒンドゥー社会では高位カーストの女性は再婚を禁じられていたため、年齢に関係なく寡婦が男性と関係をもつことは許されなかった。それが妊娠という形で人々の知られることになると、娘のセクシュアリティの責任者である父親は顔に泥を塗られることになる。名誉回復を願って父親は娘を殺してしまったのである。
娘が家族にたいしてもたらす不名誉を取り除くために、父や兄弟が彼女を殺害する「名誉殺人」(honor killing)はいまでも北インドで、年間500件ほど生じていて社会問題になっている(*13)。わたしたちの感覚では、そのような殺され方をした女性はさぞ無念で、幽霊になって出てきても不思議ではないと思われるのだが、北インドではこうした殺人を(司法や警察も含めて)「よし」とする風潮が強い。親のいうことを聞かないような悪い娘は、殺されても仕方がないというわけで、娘の恨みが広く共感されているとは言いがたい。
この名誉殺人を幽霊譚にしているのは、赤ん坊(胎児)の存在である。インドでもっとも恐れられているのは、妊娠中あるいは出産時に死んだ女性の亡霊(チュレル)である。赤ん坊を無事に生むことのできなかった無念さは、人々に強い同情と共感を引き起こす。この怪談の幽霊は、若くして父に殺されたという以上に、もうすぐ子どもが生まれてくる状況で殺された――これが出産時の死をも喚起させるゆえに、人々に恐怖をもたらすのだ。このモチーフとなっている名誉殺人や妊娠・出産時の母の死は、インド人にはきわめて現実的な問題であり、はるかに生々しい恐怖を引き起こす物語と思われる。
(*11)Indian Ghost Stories, pp.41-42.
(*12)Indian Ghost Stories, p.41
(*13)名誉殺人について詳しくは田中雅一「名誉殺人――現代インドにおける女性への暴力」『現代インド研究』2号、59-77ページ、2012年を参照。
プロフィール
田中雅一
1955年和歌山市生まれ。京都大学人文科学研究所教授。文化人類学、ジェンダー・セクシュアリティ研究専攻。ロンドン大学経済政治学院(LSE)にて博士号取得。主要著書に『癒しとイヤラシ エロスの文化人類学』(2010年、筑摩書房)、編著『暴力の文化人類学』(1998年)、『フェティシズム研究』(2009年~、全3巻、ともに京都大学学術出版会)、共編著『コンタクト・ゾーンの人文学』(2011~2013年、晃陽書房)など。関心は多岐にわたるが、本稿との関係では、女性に対する暴力のほかに、インドや日本のセックスワークについての調査を進めている。