2015.11.25

自民党憲法草案には何が書かれているのか?

木村草太×荻上チキ

政治 #荻上チキ Session-22#木村草太#自民党憲法草案

自民党の憲法改正草案は2012年に発表され、安倍総理はこれまでも度々、憲法改正に意欲を示してきた。そして今回、来年夏の参院議員選挙においても憲法改正を公約に掲げることを明言した。そもそも、この憲法草案には何が書かれているのか。現在の日本国憲法とどう変わっているのか。また、実際にどう機能していくのか。首都大学東京准教授・憲法学者の木村草太氏が解説する。TBSラジオ「荻上チキSession22」2015年09月25日(金)「自民党憲法草案」より抄録。(構成/大谷佳名)

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「同人誌」のような憲法草案

荻上 ゲストをご紹介します。首都大学東京准教授で、憲法学者の木村草太さんです。よろしくお願いします。

木村 よろしくお願いします。

荻上 さっそく、自民党の憲法草案の中身を見ていきたいと思います。まず、この草案全体の印象はいかがですか?

木村 全体的な印象としては「同人誌」のような感じだと思いました。つまり、国民や野党に広く支持を呼びかけるというよりは、ごく一部の人たちの願望がそこに表現されているだけ。内輪で盛り上がるための作品のように見えますね。

荻上 なるほど。自民党議員からさえ、「この草案が原案になることはない」とも言われている中で、あえてこの草案に注目する意味はどういったことでしょうか。

木村 憲法改正を何のためにやるのか、あるいは誰がやるのか、という点に注目してほしいからです。

憲法は、「国をこういう風に運営していきたい」という、主権者たる国民の声から作られていきます。ですからみなさんもぜひ、「国民としてこういう条文が欲しいかどうか」に注目して聞いてください。

荻上 その憲法の下で自分は生きやすくなるか、生き苦しくなるのか。そこが基準だということですね。では、木村さんにピックアップしていただいた重要だと思われる箇所を紹介していきたいと思います。

憲法改正手続きの緩和

荻上 まず一点目は、「憲法改正の手続き」についてです。現在の日本国憲法と比べていきたいと思います。

《現行の日本国憲法》

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

《自民党の憲法草案》

第100条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案 してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

憲法改正の要件が緩和されるというわけですね。

木村 2013年に自民党がこの条文だけ先に改正しようと提案したのに対して、反対運動が盛り上がったことで、最近は表立っては主張されなくなっていたのですが。

荻上 この自民党の憲法改正草案が出された際に、別紙でQ&A方式で説明するペーパー(日本国憲法改正草案 Q&A〔増補版〕 )も出されています。ここでは、

「世界的に見ても、改正しにくい憲法となっています。」

「国民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり、かえって主権者である国民の意思を反映しないことになってしまうと考えました。」

と説明しています。この点については木村さん、いかがでしょうか。

木村 これは、「自民党草案が国民の支持を得る自信はない」と言っているようなものですね。現行憲法は、「政権党だけではなく、与野党で広範な合意をとってください」と言っているのであって、特に変なことを要求しているわけではありません。ことの重大さからしたら、「3分の2」とは有ってしかるべき数字だと思います。

石川健治先生なども強調している点ですが、「3分の2」という数字は他にもいくつか出てきます。例えば議員を除名したりする場合も3分の2の賛成が必要です。憲法改正のほうがはるかに重要であるはずなのに、ハードルを低くするのはおかしいでしょう。

荻上 「憲法は変えやすくしてほしいけど、議員はやめさせにくくしよう」と。

木村 安倍さんは「憲法を国民に近づける」ため、「国民が望んでいる憲法改正を、3分の1の国会議員が反対したからといって改正できなくていいのか」とおっしゃっています。しかし、だったら別に過半数という数字にこだわる必要はないですよね。同様に、「過半数の国会議員が反対しているからといって、国民が望む憲法改正ができなくていいのか」とも言えます。

「過半数」は、与党にとってだけ都合がいい、実は一番セコい数字です。「3分の2」には与野党合意が必要。「3分の1」は、少数派の意見であっても国会はパスさせて、国民の判断に委ねましょう、という設定です。これに対して「過半数」となると、要するに政権与党しか発議ができません。

しかも、与党の好きなタイミングを選べる。例えば菅政権であれば、原発事故の直後に原発廃止条項を提案できたでしょう。あるいは、安保法制があまり盛り上がってないうちに9条改正を提案したりもできますね。

荻上 なるほど。逆に3分の1以上とすれば野党も発議できるということになるわけですよね。

木村 多分そうしたら今の野党は、9条第3項で「集団的自衛権は許さないが、個別的自衛権だけは許可する」という条文を発議していたかもしれません。すると少なくとも自民党にとって嫌な方向に行ったでしょうね。

過半数とは、一見公正なように見えて、権力者の道具にしやすい数値設定なのです。憲法とはゲームのルールなので、ゲームに勝った人たちが好きにルールを変更できるという設定は極めて怖いわけです。

本気じゃない「財政健全化」

荻上 では続いて2点目、「財政健全化条項」についてです。

《現在の日本国憲法》

第83条  国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

《自民党の憲法草案》

第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて行使しなければならない。

2 財政の健全性は、法律の定めるところにより、確保されなければならない。

「2 財政の健全性は〜」という部分が加わっています。これはどういうものなのでしょうか。

木村 今、日本の財政状況は非常にひどい状況にありますよね。しかし、増税は国民の負担になりますから、財政健全化政策は民主的には嫌がられることが多い。国民に不評でもやり遂げねばならないのであれば、財政均衡を憲法に書き込んでおくべきではないか、という議論がずっとあります。だから今回書き込んだということなのでしょう。

しかし、よく見るとかなり腰が引けています。例えば「赤字国債は何%以内で…」という具体的な数値は全然ありません。つまり、この点について、自民党草案は全然本気ではなさそうだ、と感じられます。

また、財政の専門家からは「現行憲法では決算の承認が儀式的になっている」とよく指摘されます。それは、日本国憲法では決算を全部出し終わったところで承認する・しないを決めるだけだからだと。この点への対策は、自民党草案では手付かずだと言われています。財政関係について、専門家の意見が入っていないのでは、と感じられます。

荻上 これは両方の側面で考えなくてはいけないですよね。例えば「借金」とも言われますが、国債は長期的な政策を行う上での一つのオプションとして取っておかなくてはいけない。他方で、そもそも何をしたい条項なのか、不透明なまま議論が進もうとしているように思います。

義務を増やすことの恐ろしさ

荻上 では続いて、「国民の義務」について。自民党の憲法草案の中で、義務について書かれている部分を抜粋してまとめてみました。

木村 聞く前に改めて確認していただきたいのですが、憲法とは国民の要望を政治が吸い上げて作っていくものです。みなさんは「義務をもっと増やして欲しい」とどれほど思っているのか。そこを考えながら聞いてください。

《自民党の憲法草案》

第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。

2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

第92条 2 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。

第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

荻上 色々増えていますが、義務がこれだけ増えることで憲法そのものの役割も変わりそうですね。

木村 憲法上の義務は何のためにあるのか、少し考えてみたいと思います。現行憲法第3章のタイトルは「国民の権利及び義務」。こう見ると、「権利」と「義務」が並列関係、例えば「囲碁と将棋」みたいに並んでいるように感じますね。しかし、憲法上の義務規定とはそういう関係ではありません。

権利が憲法で保障されるとは、「国家がその権利を制限することは許されない」ということです。ただし、それは原則論であって、例外的にどうしても権利を制限する必要がある場合もあります。そこで、その例外を認めるために憲法が定めるのが義務の規定です。つまり、憲法上の義務とは「例外としてここだけは権利保障を解除してください」という規定なんです。

例えば、現行憲法の「納税の義務」を考えてみましょう。国民には「財産権」が保障されているので、国は国民の財産を奪ってはいけません。もし国が税金を取るときにも財産権が保障されるのだとしたら、税金を取った分だけ、何らかの補償をしなければいけない。これでは、税金を取る意味がなくなってしまう。だから、例外的に財産権の補償をしなくて済むように、納税の義務を定めているのです。

あるいは「教育を受けさせる義務」。例えばアメリカでは、キリスト教原理主義者の中には「子どもに進化論を教える学校には行かせたくない」と考える親もいます。しかし、標準的な教育を受けなければ、子どもの「成長する権利」が大きく侵害されます。そこで、子どもの成長する権利・教育を受ける権利を奪わないために、「教育を受けさせる義務」の範囲では親の「思想・良心・信仰の自由」は引っ込めてください、と定めているんですね。

そういう意味で自民党草案を見ると、いろいろ怖いことになります。例えば「家族助け合い義務」。道徳としては当たり前のことを書いているようですが、これを憲法で書くと、生活保護の受給の際、「家族で助け合わない人には生活保護はあげない」とすることだってできる。

また、「国旗・国歌尊重義務」の条文も使いようによっては「表現の自由」や「集会・結社の自由」を規制できるかもしれない。

極めつけは「責任及び義務・公益及び公益の秩序を尊重する義務」。こんなものが入ったら、どんな場合であっても公の秩序を尊重しなければならなくなってしまう。権利保障が原則という前提がなくなってしまいます。

今の憲法の下では、デモをやる権利が憲法21条の「表現の自由」として保障されていますから、デモ行進の規制は原則として禁止です。どうしても規制の必要があるのならば、「交通事故の危険がある」とか、「住宅地の平穏が著しく害される」とか、規制がどうしても必要な事情を示してくださいとされてきました。しかし、この部分が改正されると、これまでとは逆に、「人に迷惑をかけないことを証明する義務」がデモ隊にかかってきます。

荻上 「沿道の全ての皆さんに許可をもらっています」みたいなことを証明しないといけなくなるわけですね。

木村 自民党の方がここまで考えてはいないと思いますが、憲法上の義務規定を増やすことは、それくらい恐ろしいことなんですね。

荻上 意図とは別に書かれたことが機能する。まさに今回は安保について憲法の解釈が問題になりましたね。この憲法がどこまで解釈を広げられるのか、読んでいかなくてはなりません。

「権利」と「義務」の関係

荻上 先ほど「権利」と「義務」の話がありましたが、「義務を果たして権利が手に入るんだ」と、よく誤解されているような気がします。僕がいつも確認しているのは、憲法においては、義務と権利はトレードオフの関係ではないということです。「『義務』を○個やったから『権利』を△個ちょうだい」という関係ではないわけです。

ここを勘違いしている方は、「義務を果たさない人には権利すら与えられない」という発想に当然なってしまう。例えば、お金がないので納税の義務が果たされなかった。じゃあ代わりに、社会保障を受ける権利を諦めましょう、みたいな話にはならないですよね。もしそうなったら、生存権が無意味になります。

でも、これって割と世の中に流通している考え方で、「働いていないんだから食べられなくて当たり前」という意味の方で、「働かざるもの食うべからず」という言葉が誤用されてしまったりする。

木村 権利と義務が共にあるのは当たり前で、権利というのは誰かに何かを要求できる資格です。だれかが権利を持っているということは、義務を負っている誰かがいる、という意味なんですね。同じ人が権利と義務を同時に負わなければならない、ということではありません。

荻上 そもそも契約の上で、その後関係性はいろいろ変わったりするので、「権利と義務が伴う」というフレーズには騙されない方がいいと思います。

リスナーからこんなメールをいただいています。

「基本的人権が制限され、国民の義務がものすごく増えるという印象を持ちました。個人としては尊重されず、「人としての尊重」となり(第13条)、思想良心の自由は「不可侵」から「保障」になり(第19条)、表現の自由も制限される(第21条2項)。国民の権力者に対する命令が憲法、国民に義務を課すのが法律であるにもかかわらず、憲法で国民に命令し、権力を縛る機能が大きく後退している。国民の三大義務から、一体いくつの義務に増えるのか。」

木村 恐ろしいのは、自民党の方々は国民がそれを望んでいると思ってこの草案を作っているということですね。権利を義務に置き換えて欲しいという国民の声がどこにあるのか。

荻上 結局、憲法の中の義務規定が誤解されているようなところがあるわけですよね。だから「憲法の中で義務を数えてみたら3つしかないじゃないか」などと言う人がでてくる。

木村 主権国家とは、その領域内で国家が主権を持っていることを意味します。ですから、その領域内にいる人は基本的に国家に従わなければならない。主権という強力な権限を国に与え、それに従う義務が国民にあるからこそ、その代わりに人権が保障される。こういう構造になっているんです。

ですから、人権の範囲はできるだけ広げておかなければいけない。「みんなが自分勝手になったら困るじゃないか」という話もありますが、そうではありません。自分勝手にならないように「主権」を打ち立て、主権が乱用されないように「人権」を確保したんです。

新たな義務規定は、主権に対抗するために保障された人権を再度解除するという意味合いを持っている。ですから、立憲主義の否定と言われても仕方ない面があります。

家族の助け合い義務

荻上 先ほどの、「家族は互いに助け合わなければいけない」という新しい24条について、「なぜこの条文を入れたんですか」という質問に自民党はこう答えています。

「昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われていることに鑑みて、24 条 1 項に家族の規定を置いたものです。個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。」

これはなんだかズルい書き方だなって思ったんです。「家族の絆が薄くなっているから」じゃなくて、「そう言われているから」という言い方になっている。ここでもちょっと自信がなかったのかな、と気がします。

「家族の絆が薄くなっている」と言われる一つのきっかけになりやすいのが家族間殺人。これは戦後、件数としては減ってきています。年によって若干増えているところはありますが、それでもピークの時よりは少ない。

また最近はむしろ、人口構成や経済情勢が変わる中で、介護疲れや無理心中なんかが発生するなど、社会的リソースの不足から、「家族の絆」にあれこれ押し付けすぎて、そこから縛られて出られない。そうした状況が殺人を生んでいるというケースも目立つ。その中で「より絆を強化する」という話を持ってくるのは適切ではないし、そもそもどんな根拠でどういったことをしたいのか。そこが曖昧になっている気もします。

木村 やはり自民党草案って「この規定危ないですよ」とか「なんでこれ入れたんですか」と言ったら、大抵の議員から「たいした意味はないです」って返ってくるのが特徴なんですよね。だったらやるなよ、という条項が非常に多い。この条項も多分そういう類のものだと思いますね。

荻上 改めて、「自分がこの義務や権利が欲しいかどうか」という観点で、一個一個の条項を見ていくことが大事ですね。

木村氏

憲法の理念がない

荻上 人権の考え方について、自民党のQ&Aではこのように書かれています。

「今回の草案では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。」

これについて、リスナーから質問もきています。

「最高法規97条の削除について、疑問があります。同ホームページのQ&Aの回答、『人権は神から人間に与えられるという西洋の天賦人権思想に基づいた考えを改めたところです』とありますが、私自身、現行憲法の文面を読んだだけでは、このような印象は受けません。また、現行憲法11条と内容的に重複していることや、現行憲法の制定過程において問題があった云々との記載もありましたが、敢えて削除した目的や理由などがわかりません。」

木村 97条は、人権が重要であるということを確認する条文で、「日本国憲法が最高法規である」と定める98条の前に置かれています。「なんでここで改めてそんなこと確認する必要があるの?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるだろうと思います。

実際、起草過程の中でも「11条と重複しているんじゃないか」という議論もあったようです。しかし、「何故この憲法が最高法規で、他の法律を無効にできるのか」を明確にすべきだということになった。そこで98条の前に、「それは人権という非常に重要な権限を保障しているからです」と97条で説明することにした、という経緯があるわけです。

97条は、「人権が出発点になっている」という立憲主義国家の論理を示しているわけですね。これを削除するということは、「そういう理念から出発しない」という意見表明になってしまう。そもそも何を目指したか、どういう国家にしたいのか。そういう「理念」の部分が、自民党草案の全体を通してあまり語られていない。ここが一番疑問に残るとところです。

憲法改正とは本来、まず「こういう国にしたい」という理念があって、その理念を実現するための「部品」として条文の文言を組み立てる、という作業なはずです。しかし、今回の自民党草案は、その理念の部分が全くない。97条を削除するのもそれなんです。理念がないから、単純に削除してしまって、そこに書き込むべき自民党が考える新しい理念みたいなものも入っていない。

荻上 ちなみに消された97条はこのように書かれています。

《現在の日本国憲法》

第97条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

木村 人権は私たち人間の努力によって獲得したんだ、と書いてあるんです。人権があるからこそ、主権国家の権力濫用を抑制して、国家が国民から与えられた権限だけを行使するようにコントロールできるわけです。

聖徳太子の理念

荻上 「理念がない」というお話ですが、それに関わるところで、自民党草案の前文にはこのように書かれています。

「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」

「和」という言葉が出てくるんですが、これは聖徳太子以来の日本の特性なんだ、と説明されています。十七条憲法で聖徳太子が言ったような理念がこの国の伝統だよね、と。

ただ十七条憲法って、個人的には「そんなにいいものかいな」って気がします。というのも、ここでは「和を大事にしなさい」と言いつつ、目上の人や君子に逆らうと「和」が乱れるからダメですよ、とかも書かれている。「十七条憲法」は、名前は同じでも今の憲法と全く違って、役人たち支配層の心構えみたいなものなので、この単発フレーズのみへの共感は、あれこれ差し引いた方がいいんじゃないかと思います。

木村 この言葉を今の感覚で理解しようとするのは、もはや「作られた伝統」になっていくと思います。あの時代の、仏法思想が入ってきたという文脈と切り離されて、「お上が決めたことに文句を言うな」という意味で使われる恐れは当然ありますよね。

9条はどう変わるか

荻上 続いて、「平和主義と国防軍の新設」についての項目です。

《現在の日本国憲法》

第9条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

《自民党の憲法草案》

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない

この9条の変更について、質問がきています。

「現在の憲法第9条第1項の最後は『永久にこれを放棄する』となっている一方、自民党のは『用いない』となっています。この違いがわかりません。また、その後に『前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない』とあるのは、なにを意味するのですか。また、改憲案は立憲主義を踏まえたものになっていますか。」

木村 憲法の条項の中には「改正禁止条項」があると言われています。ドイツやフランスの憲法には「ここを変えてはいけません」と明文で書かれていますが、日本国憲法にはそれがない。しかし、少なくとも9条の1項は改正禁止条項じゃないか、という考え方もかなり有力です。

「永久に放棄する」ってことは、改憲して放棄しないことにしてはいけない、という意味ですよね。ところが「用いない」という表現になると、「改正禁止」という部分を削る趣旨になります。

ちなみに、9条1項は「侵略戦争の禁止」を宣言した規定と読めるので、改憲派の北岡伸一先生なんかも「9条2項は改正すべきだが、1項を削除するなんてとんでもない」とおっしゃっている。削除したら、侵略戦争をしたいと国際社会に宣言している、と受け止められかねません。

9条1項は純粋侵略戦争を禁じる条文だと理解するならば、国連軍に参加したり、集団的自衛権を行使したりといった武力行使は、侵略に歯止めをかけるための武力行使ですから、この条文が禁止する戦争には当たらない。ですから9条1項は永久放棄・改正禁止でも全然おかしくない。

それなのに、これを無神経に「用いない」にしている。全く無意識的だとは思うんですが、将来的な侵略戦争の解禁に一歩道を開いてしまっているんですね。

「国防軍」の規定

荻上 新設された「9条の2」では、国防軍について規定されています。

《自民党の憲法草案》

第9条の2 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことできる。

4 前2項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

荻上 9条の1の第2項で「自衛権の発動を妨げるものではない」と書かれています。ここは個別的自衛権も集団的自衛権も持っていますってことが確認されて、その次に9条の2では国防軍について触れられているんですね。

木村 軍を作る以上、例えば軍法会議の規定、組織編成に関する事項、責任者が誰かというのを決めなきゃいけない。だからここに書いた、ということでしょう。しかし、あまりにも問題がありすぎです。

まず、「法律に定めるところにより」という文言を使いすぎ。どういう基準でやるのか憲法に書いていない。国民が軍を創設し、それをどの範囲で使うのか。基本原理を含めて国民に承認を取らなきゃいけないはずなのに、全て法律に委ねてしまっている。軍事についてここまで法律に丸投げしては、憲法によって国家権力の濫用をコントロールしようという立憲主意が骨抜きです。

さらに、9条の2を定めたこと自体がかなり興味深い。現行憲法の「陸海空軍その他の戦力を保持しない。国の交戦権を認めない。」という条項を削除してこの条文を入れている。つまり、自民党もこの草案を作った人たちは、「現行憲法のこの部分があると集団的自衛権の行使は無理だ」と考えていたのではないかと思われます。だからわざわざ削除して、新たに「集団的自衛権も含めて自衛権の発動ができる」という条文を入れた。

荻上 今回の安保に関して自民党は、集団的自衛権を「限定的に」認めると説明してきたわけですよね。でも今回の改正憲法草案では、それをフルで認めるという内容になるわけですか?

木村 もちろんそうなるでしょうね。ただ、ここでは「自衛権の発動」と言っているんで、現行憲法の下では個別的自衛権もちょっと怪しいかもしれない、と考えている人が作ったという印象を受けます。

荻上 この点について自民党のQ&Aではこう書かれています。

「もっとも、草案では、自衛権の行使について憲法上の制約はなくなりますが、政府が何でもできるわけではなく、法律の根拠が必要です。」

なかなか独特な文章だなって思うんですが、どうでしょう。

木村 法律の根拠が必要なのは、あえて説明するまでもなく当たり前。むしろ憲法で決めなければいけないことを法律に丸投げしているのが問題です。本来なら憲法に定めるべきことを法律に丸投げするのですから、法律を作るときには、さらに相当程度政令に委ねるんでしょうね。政令に委ねてはいけないことがらも書かれていないので、政府のフリーハンドになりかねません。

憲法で決めなきゃいけないことは法律に、法律で決めなきゃいけないことは政府に委ねていく、という方向性を示しているように感じられます。

荻上 全体的に、かなり政府にフリーハンドを与えやすいような書き方になっていると。また、「国防軍」という名前にかわるわけですが、実質的な変化はあるんでしょうか。

木村 見た目はかなり強烈な印象を受けますが、言葉遣いだけであれば、そんなに大きな意味はないでしょう。しかし、実質的に「軍」を創設するのだとすれば重大です。これまで日本国憲法では軍事権、軍の編成権も否定されていたが、これからは本格的に軍を作るんだと。

自衛隊は、あくまで行政組織の一部ですから、「軍事」にあたることはできなかった。しかし、「軍」となると、これまで自衛隊が海外でやってきたこととは比較にならない、強烈な武力行使をしうるし、新しい身分を持った独自の集団を持ってしまうだろうと考えられます。

荻上 今の自衛隊は専守防衛、ということは現場の方も口すっぱく言っているわけですが、それも変化するんでしょうか。

木村 そこはよくわからないと思います。ただ、軍は防衛行政以外の業務もやる部隊ですから、任務はだいぶ違ってきます。もちろん、きちんとした先進国の多くは軍隊を持っていますから、それが絶対悪いってことではありません。国際法があるから、侵略戦争はできないし、集団的自衛権の行使にも、いろいろな制限があって、何でも好き勝手にできるわけではありません。集団的自衛権によって侵略にあっている小国を助けるなど、大義がある場合もあるでしょう。

しかし、軍事権を政府に授けるというのは、非常に大きな決断ではあります。戦後日本は軍を持っていなかったので、軍の統制にあまり慣れていない。ですから、こういう憲法を作るのであれば、軍を動かすための世論形成能力を国民が持てるのか、国民は政府の軍事権がきちんとした形でなされているかをチェックする能力を本当に持っているのか、考えていかなくてはなりません。

荻上 改正の仕方によっては、今の自衛隊とはだいぶ異なる組織になるのですね。

「環境権」という義務

荻上 では続いて、「環境権」について書かれた部分です。

《自民党の憲法草案》

第25条の2

国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。

木村 お試し改憲などでよく「環境権を入れてみよう」と言われます。しかし、この規定は、よくよく読んでみると、「国民も国に協力しろ」と言っている。これは、環境権というより、国民の義務の規定です。国民に権利があるというより、むしろ環境を理由に国民の自由を制限できるように使われるかもしれません。

また、石川健治先生が強調しておられることですが、今、環境権規定を入れるなら、人類生存圏を越えた生物圏や種の多様性を憲法価値として認めたり、脱原発を憲法的に決めるような内容じゃないと意味がないだろうと。自民党がそこまで想定しているようには思えません。まさにここも本気でない。自民党が想定している程度のことは、法律を作れば十分でしょう。

荻上 個人的な感想ですが、公明党がよく「加憲だ」「環境権だ」と言ったりしますよね。でも、公明党議員に「その憲法がないと何ができないんですか?」「加わると何ができるんですか?」「どんな条文にするんですか」と問うても、まともな返事がなされないように思えます。ここはかねがね疑問なところで、公明党は自民党に歩調を合わせるため、「護憲ではないですよ、加憲です」と言っているんじゃないか。本当は、環境権とかまじめに考えてないんじゃないか、という感じも受けます。

新設された「緊急事態条項」

荻上 さらに、自民党草案では「緊急事態条項」が新たに書かれています。

第99条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。

これには続きがありまして、

「政令の制定には国家の事後承認が必要」

「基本的人権に関する規定は最大限に尊重されなければならない」

「緊急事態宣言が発せられた時は、衆議院は解散されない」

ということが盛り込まれています。こちらはいかがですか?

木村 長谷部恭男先生が強調しておられることですが、緊急事態条項を入れる場合には、これが乱用されないように、裁判所の「憲法裁判権」を強化しないといけません。

例えばドイツには緊急事態条項がありますが、緊急事態を認定する手続や、政府が緊急時に行使できる権限についてかなり細かい規定がある上、憲法裁判所は緊急事態中も活動できることになっています。つまり、緊急事態条項を理由に変なことをやったら、憲法裁判所が「違憲だからやめろ」と言えるわけです。もしも緊急事態条項を入れるのであれば、日本でもこのような仕組みが必要でしょう。

また、裁判所は重要な問題については、「統治行為論」を持ち出して判断を回避するのではないかと批判されることがあります。緊急事態中に裁判所が判断から逃げないように、「判断を回避してはならない」と憲法に書き込んでおく必要がある、とも言われています。

さらに、最高裁の裁判官の任命は、例えば国会で3分の2の議決を要求するなど、党派的には選任できないように担保した上で、憲法裁判権を強化するべきでしょう。そうでないと、政府は自分に都合のいい人を最高裁に任命できてしまうので、緊急事態条項はかなり濫用の危険が高いものになるだろうと言われています。

しかし、自民党草案の緊急事態条項では、政府は「法律に代わる政令を作れる」と強大な権限を与え、おまけにその政令で人権制限を広く認める一方、憲法裁判の強化の話はない。

荻上 「政府の権限はもらうけど、チェック機能は渡さないぞ」と。

木村 仮に緊急事態条項欲しいなって思っている人だとしても、そんな危険な条項を欲しいと思うのでしょうか。

荻上 例えば国家総動員法などの過去の法律でも、その都度出された政令がかなり強力な意味を持つといった体系がありました。政令の位置付けが、今回の自民党草案では全体的に膨らむことになるんでしょうか。

木村 近代議会制の歴史は、政令から法律へ、政府に対して議会がどんどん権限を拡大していった、という流れにあります。それに逆行して、「政府にもっとたくさん権限をくださいね」という方向で書かれているわけです。

荻上 緊急事態宣言はどういう時に出されることになっているんですか。

木村 色々なことが書かれていますが、ここもかなり特徴的で、今回の草案では何でも緊急事態に入るような形になっています。天災、地震、火山の噴火、パンデミック、武力攻撃、テロ攻撃など、それぞれ性質が違うのに、全部同じ枠組みにされています。つまり、政府が緊急事態を宣言し、その都度、政令を作るという仕組みで対応しようというわけです。

そもそも、現行憲法のもとで作られた「武力攻撃事態法」や「災害対策基本法」の中には、緊急事態に対応するための規定がたくさんあるんです。もし現行法で足りないなら、法改正で十分やっていくことは可能なのです。

例えばドイツは連邦国家ですから、もともと連邦が持っている権限は少なくて、州がバラバラに権限を持っている。だからこそ、緊急事態のときには、連邦が一括して法律を作らないといけないという需要にこたえるため、緊急事態条項の必要が高い。

しかし日本の場合、そもそも立法は国会に集中しているので、緊急事態条項がなくても国会の普通の立法、あるいは参議院の緊急集会で対応できる。そういう憲法になっているわけです。

荻上 全体を通して、国民の権利を絞り、権力を自由にするといった傾向が見えた気がします。

これを踏まえて、色々な憲法論議が再スタートしそうですが、今後必要な議論はどういったものになりそうですか?

木村 やはり条文を具体的に細かく見ていく作業を通じて、核となる憲法理念をきちんと打ち立てることだと思いますね。私たち一人一人がどういう国にしたいのか、主体的に考えなければならない。自民党が一つのプランを提示してくれたわけですから、それに対して私たちがどう考えるのか。そこから憲法意志が生まれていくのかな、と思います。

荻上 よく「対案を出せ!」という声がありますが、憲法に関しては現状のものがあるので、出された代案が嫌だったら現状の方でいいし、よりいい案が野党からでてきたら、また議論すればいいわけですからね。その党の憲法案を出さないと議論に参加するな、みたいな意見は、単に「うるさいから黙れ」くらいの意味でしかありません。

木村 いずれにせよ、「憲法を変えたい」という国民の気持ちが高まっているのか。ここに敏感であって欲しいと思いますね。

プロフィール

木村草太憲法学者

1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。近刊に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)がある。

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荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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