2010.11.18

暗雲垂れこむ日本の学術界

現在、事業仕分け第三弾として、昨年の仕分け第一弾で指摘された点が改善されなかった事業に対して、再仕分けが行われている。そこには、去年につづいて文部科学省の事業で、学術研究に密接に関係する「競争的資金」(優れた研究計画に対して研究費を補助する制度)や「グローバルCOEプログラム(G-COE)」(世界的に高度な研究をしている大学院を日本の研究・教育の拠点として育成するプログラム)などが盛り込まれた。

この原稿の執筆時点では帰趨は分からないが、18日に行われる再仕分けでは、非常に厳しい結果が予想されている。はたして、この仕分けは有益なものなのであろうか。

筆者は昨年の事業仕分け自体はやむなしとする立場をとったが、今回の再仕分けに関しては納得がいかない。大型予算は理系・科学研究に偏りがちであるから文系研究者には関係が乏しいものとして、関心が薄い向きもあるかもしれない。しかし、競争的資金は文系にも開かれており、G-COEも文系領域の研究者を多く抱えている。これは科学研究のみならず、日本の学術系全体に対して暗雲をもたらす決定であるといわざるを得ない。

平成21年11月に、国が行う事業(449事業)を対象に事業仕分けが行われた。このときには、科学予算にまつわるさまざまな事業も俎上に上り、きわめて厳しい批判にさらされた。蓮舫行政刷新大臣が声名を高らしめた「2位じゃダメなんでしょうか?」という発言は、科学研究に携わる人間からはいまもって評判が芳しくないが、筆者は指摘された事業が抱えている問題点をシンプルに指摘した、きわめてよい発言だったとの考えは変えていない。

もちろん、仕分けの結果は研究予算に対しては苛烈な影響を残した。学術研究の競争的資金である日本学術振興会科学研究費補助金では、若手研究A、B、Cとあった三つの研究費のうち、S(42歳以下の研究者が ひとりで行う研究で、期間5年、おおむね3000万円以上1億円程度)が募集停止され、2つあった新領域学術研究のうち課題提案型(確実な研究成果が見込めるとはかぎらないものの、当該研究課題が進展することにより、学術研究のブレークスルーをもたらす可能性のある、革新的・挑戦的な研究で期間3年、単年度当たり1000万円程度の予算)という枠が削られることとなった。

G-COEも事業仕分けの決定通り、もともとの予算の総額から律儀に30%が縮減されている。元来研究費の大きな内訳には直接経費と間接経費があり、直接経費は実験のための試薬や備品を買ったり、研究に必要な書籍を購入したりする予算である。雇用される研究者の人件費もここに含まれる。一方間接経費は事務に関わる諸経費や事務職員の雇用、つまり機関の管理などに必要となる経費に当てることができるお金で、文科省から支給される競争的資金や、G-COEの予算の30%がこの間接経費に指定され、大学の懐に入る。文科省はその間接経費を丸々カットすることで行政刷新会議の決定を履行したわけだ。

科学研究コミュニティの変容

だが、このショックは科学研究コミュニティに対して大きな影響をもたらした。若手研究者を中心に、ポスドク問題をはじめ、科学研究のあり方をどうするべきか検討する機運が高まり、さまざまな団体から声明が発表された。これまで、日本の研究者にとって「政治への容喙」はタブー視されていたことでもあり、積極的に政策的な提言を行おうとしたことは非常に画期的な出来事であった。

また、こうした動きの中で、若手研究者によるアカデミー活動の振興を目的として、昨年日本学術会議内に「若手アカデミー委員会」が組織されている。これまでビッグボス・ビッグネームの意志のもと行動することが多かった研究者コミュニティにおいて、若手の意識を積極的に取り込む姿勢を見せたことは、ガバナンス意識、自治意識の芽生えとみることもできる。

さらに、事業仕分けで指摘された「科学的成果の可視化」という点が重視され、間接的な研究資金の提供者である国民への説明責任を果たすために、政府の総合科学技術会議は、年間3000万円以上の国の研究資金を獲得する研究者に、一般向けの講演会や小中学校での出前授業などを事実上、義務化する方針を決めている。

もちろん、研究者自身の「出前授業」なるものが聴衆の耳に届くものなのか、実効性は未知数である。しかし、科学と社会のあり方について、真剣に検討されるようになったことは大きな前進であっただろう。

ただ、仕分けの結果生まれた副産物をもってよしとすることではない。たとえば、自民党政権では大学を法人化させ、各大学に対する運営交付金を縮減する、という決定がなされていた。これは優秀な研究者の育成・確保、つまり競争的研究費の獲得や技術移転によって大学の運営経費を獲得させ、経営努力などのガバナンス能力を高めていく、という米国型の大学運営を志向するものであり、それを覆さないまま間接経費を削るというのはあまりにも悪手である。

この国には学術研究は不要なのか?

そこでこの再仕分けとは、いったいどういう根拠によるものなのだろうか。政策として予算が決定されれば、研究者は粛々として受け入れざるを得ない。筆者の周辺でもさまざまな苦労を聞いたが、G-COEは仕分け会議の決定通りに縮減され、その経費のなかで、筆者の所属するG-COEプログラムでは研究の質を低下させず、むしろ前年以上の成果を出すことで研究費の増額を狙おうと意欲的に活動してきた。また30%の削減の補填をするかのごとくの穴埋め予算というものは寡聞にして聞いたことはなく、行政刷新会議のwebなどをみても、これらの領域が再び俎上に載せられた経緯がまったくわからない。

おそらくは、G-COEと共に審査される「博士課程教育リーディングプログラム」との差異が分かりづらく、これがG-COEのゾンビ的性格の予算と受け取られているのだと考えられる。

だが、このプログラムは他ならぬ民主党政権が本年6月18日に閣議決定した「新成長戦略」に、「我が国が強みを持つ学問分野を結集したリーディング大学院を構築する」と書かれていることにもとづいており、概算要求に盛り込まれるG-COEとは別個に文科省が「元気な日本復活特別枠」のとして要求したものである。予算規模としてはG-COEに及ぶべくもなく、仮に両拠点ともに廃止などの結論が出れば、本末転倒も甚だしい。

文部科学省からは、G-COEが事業仕分けへ回されることが決まってから、4度にわたって研究成果や国際的な人的交流などを問い合わせる調査メールがやってきた。しかしこの内容にしたところで、毎年の成果報告書や、2年目終了時には大部の成果報告とともに、拠点リーダーからのヒアリングを行い、その成果の評価を受けているのである。

これらのデータを抱えていながら民主党を説得し得なかった文科省と、聞く耳を持たなかった民主党に何が期待できるのかを思えば、虚無感も漂う。この国に学術研究は不要であるといわれれば、退去せざるを得ないだろう。

もちろん、今回の仕分けによって必ずしも縮減や廃止が宣告されるとはかぎらないし、今後の「政策コンテスト」や「財務省折衝」まで、さまざまな復活のステップがあり、希望を捨てることは禁物だ。だが、新しい学術研究のあり方を生むかもしれない、という期待を感じさせた昨年の仕分けに比して、明るさを感じることができないものであることもまた事実である。

民主党政権は「未来」に対してどのような回答をするか

翻ってみれば、民主党はこれまでの党是であった国会議員の定数削減について、何らの意見集約も果たすことができず事実上封印してしまった。その上、議員歳費を1割削減する法案にさえ、反対意見が相次ぎ、結論が出せないという。また無駄の象徴として事業を中止するとした大型ダムに関しても、事実上その方針を撤回したことが報じられている。

30%の予算を縮減させられ、大学院教育改革推進事業全体では前年度予算から110億円もの額を削られた現状からみれば、「研究者は恵まれすぎである」と嘯く民主党の姿勢こそ「最後の聖域」と化していることを強く指摘しておきたい。

以前から各所で書いていることではあるが、国がもつ身の丈以上の科学研究が不可能であることはいうまでもない。しかし、文系・理系にかかわらず、学問はさまざまな知見の積み重ねであり、われわれはそれを引き継いできた。それを受け渡すことは、現在だけでなく、未来にいるわれわれの子孫に対しての責任でもある。

昨年のスーパーコンピュータ予算の配分でもみられたが、華々しく報道される一部の研究に寄せ、宣伝効果を狙って予算を配分するということがなされるとすれば、それは科学・学術政策ではなく、ただのポピュリズムである。

かつて、民主党が政権を奪取した際には、現首相の菅直人氏、前首相の鳩山由紀夫氏など理系・学術系ともにゆかりのある人材が多く、社会と学術研究の新しい関係を構築できるかもしれないとの期待を抱かせた。また、民主党政権が重視する初等教育も、その上位にある高等教育や学術研究が軸を構築している、ということも忘れてはならない。

15日には、東京大学が中心となって、G-COE予算に対する縮減をしないよう求める記者会見が行われたが、報じたメディアはわずかであった。民主党政権は未来に対してどのような回答をするのか、注視したい。

プロフィール

八代嘉美幹細胞生物学 / 科学技術社会論

1976 年生まれ。京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門特定准教授。東京女子医科大学医科学研究所、慶應義塾大学医学部を経て現職。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、博士(医学)。専門は幹細胞生物学、科学技術社会論。再生医療研究の経験とSFなどの文学研究を題材に、「文化としての生命科学」の確立をを試みている。著書に『iPS細胞 世紀の技術が医療を変える』、『再生医療のしくみ』(共著)等。

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