2013.05.28
出生前診断について考える
今春、妊婦の血液検査だけで、胎児にダウン症をはじめとする3種類の染色体の変化があるかどうかを調べる出生前検査が始まった。「無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)」、「母体血中胎児DNA検査」、「母体血を用いた出生前遺伝学的検査」、あるいは端的に「新型出生前検査」と呼ばれている検査である。
また、現在、一部の不妊クリニックでは、体外受精・胚移植の際に、新たな解析方法を用いてすべての染色体の変異の有無を調べ、「正常」とされる受精卵だけを子宮に戻す受精卵診断(受精卵の着床前診断)が行われ始めている。網羅的な遺伝学的検査技術の登場に伴って、新しい命を迎える医療現場で、今、何が始まっているのだろうか。
「新型出生前検査」とは
妊婦の血液に含まれる胎児由来の物質を用いて、出生前診断を行おうとする試みが始まって久しい。母親の血液中に微量の胎児細胞が存在することが最初に報告されたのは19世紀末に遡る。1980年代後半になって、PCR法やFISH法といった高感度な遺伝子分析法が利用できるようになり、母親の血液中の胎児細胞、とくに胎児の有核赤血球だけを集めて出生前診断を行う研究が進められたが、現在のところ、実用化には至っていない。
一方、1997年に、妊婦の血漿中に胎児のDNAの破片がただよっていることが明らかにされ(*1)、これ以降、この胎児DNA断片を出生前診断に用いる方策がさまざまに試みられた。2008年には、遺伝子を高速で解析できる次世代シーケンサーを用いて、胎児および母親由来の約1000万個のDNA断片を網羅的に調べてどの染色体のものかを確認し、21番染色体由来のDNA断片の量的な変化を評価することで染色体の数的異常を診断する方法が開発された。2011年10月には、米国の検査会社「シーケノム社」が、ダウン症(21トリソミー)を対象とした検査を開始し、2012年3月に18トリソミー、13トリソミーの検査も開始された。シーケノム社以外にも、米国および中国の検査会社数社が受注を開始し、米国、中国をはじめドイツやフランスなどヨーロッパの数か国でも実施されている。
(*1)Lo YM, Corbetta N, Chamberlain PF, et al., 1997, “Presence of fetal DNA in maternal plasma and serum” Lancet,350:485-487.
これまでも、より早い時期に、侵襲が少なく安全で、より精確な診断を得るべくさまざまな出生前検査法が開発されてきたが、確定的な結果を得ようとすれば、診断時期も遅く、母子に対し侵襲的にならざるをえないというジレンマを抱えてきた。この新型検査は、血液採取だけという簡易さに加えて、妊娠10週からという早期に、流産等の心配もなく、相当の精度で胎児の染色体変異の有無が分かるとされている。
新型出生前検査の導入をめぐって
日本でも、専門家らのあいだで、この新型検査の海外での動向が注目された。そして、「いずれ、国内に導入されるのは不可避」と考えた遺伝医療関係者らは、営利目的の業者が介入する前に「カウンセリング体制の整った施設で臨床研究を進め、一定の歯止めをかけたい」として、共同研究組織(NIPTコンソーシアム)を発足させ準備を進めていた。
2012年8月29日の新聞各紙は「妊婦血液でダウン症診断 精度99%」との大見出しで、妊婦の血液だけでダウン症かどうかがわかる検査が、国立成育医療研究センターや昭和大学などで来月にも開始されると大きく報じた(『読売新聞』2012.8.29ほか)。同時に、「新しい検査法は採血だけで、流産の心配もない。検査を受け安易に中絶を選ぶ人も増えかねない」(『朝日新聞』2012.9.1)といった懸念も示された。
新型出生前検査の臨床への導入が報じられると、多くの障害者団体や女性団体が異議や反対を表明した。「日本ダウン症協会」は、日本産科婦人科学会(以下、日産婦)への「要望」で、「出生前検査・診断がマススクリーニングとして一般化することや、安易に行われることに断固反対」であり、新型検査が「高精度で、一般の検査同様に、血液検査で同じようにできるからといって妊婦に紹介されたり実施されたりすること」に強く異議を申し立てた(*2)。
(*2)日本ダウン症協会、「遺伝子検査に関する指針作成についての要望」(日産婦あて 2012年8月27日付)http://www.jdss.or.jp/info/201208/youbou.pdf
「DPI(障害者インターナショナル)女性障害者ネットワーク」は、本検査の実施は「障害をもつことそれ自体が否定されるような不安を抱きました。“障害”が生まれる前に検査対象になる、そんな社会のまなざしは、自分を大切に思う気持ちを深く傷つけます」と述べて、新型検査の導入は、染色体に変化をもつ人のみならず、他の障害をもって暮らす人々をも無力化すると主張した。
また、2006年国連総会による「障害者権利条約」の採択以降、心身の機能が他の人と違うことが「障害」になるかどうかは社会の側の問題であるという認識が定着し、社会の側が変わろうとしている。にもかかわらず、「胎児の特性によって産むか産まないかの選択がなされるとすれば、障害を個人の問題に押し戻し」、これに逆行するのではないかと主張した(*3)。
(*3)DPI女性障害者ネットワーク、「出生前診断に対するDPI女性障害者ネットワークの意見」(2012年9月24日)http://dpiwomennet.choumusubi.com/syuseiiken.pdf
また、産むか産まないかを国家が管理・強要する人口政策に反対し、女性の選択権を主張してきた女性団体「SOSHIREN女(わたし)のからだから」も、現在、出生前検査によって生じている事態は選択の幅の拡大ではないとして、新型検査の導入は避けるべきだと主張した。妊婦やパートナーの選択を支えるカウンセリングの重要性ばかりが強調される論調に対しても、「それでは、問題を妊娠・出産する個人の領域に押し込めてしまう」と危惧する。
検査技術が開発・実施される背景には、障害に対する社会的偏見と障害者への社会的サービスや支援が不足している現実がある。このような現状で検査が導入されれば、障害をもつ子を産んだ母親は「なぜ、検査を受けなかったのか?」という視線に曝されるようになり、そうした視線が、これから子どもが欲しいと思う人たちに、障害をもつ子の出産を断念させる圧力となると憂慮し、「これでは、リプロダクティブ・ライツの重要な一部である、どんな状態の子どもでも安心して妊娠・出産する権利を侵害」すると訴えた。
(*4)SOSHIREN女(わたし)のからだから、「新型出生前診断に関する意見」(日産婦あて 2012年10月18日)http://www.soshiren.org/shiryou/20121018.html
日産婦は、外部委員も含む「検討委員会」を立ち上げ、11月中旬には公開シンポジウムを開催した。12月中旬には指針案を提示してパブリックコメントを募集、200件以上の意見が寄せられた。
2013年3月9日、日産婦は「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」(以下、「指針」)を発表した。「指針」は、冒頭で、簡便さを理由に本検査が広く普及すると「染色体数的異常胎児の出生の排除、さらには、染色体数的異常を有する者の生命の否定へとつながりかねない」との懸念を示した。そして、新型検査の実施は、「十分な遺伝カウンセリングの提供が可能な限られた施設において、限定的に行われるにとどめるべきである」として、日本医学会に新設する「認定・登録委員会」で審査し認定を行うとした。また、マススクリーニングとして行われないためにも「本検査を行う対象は客観的な理由を有する妊婦に限るべきである」と述べて検査対象を限定している(*5)。
(*5)日本産科婦人科学会、「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」http://www.jsog.or.jp/news/pdf/guidelineForNIPT_20130309.pdf
「指針」の発表と同時に、日産婦に加えて、日本医師会、日本医学会、日本産婦人科医会、日本人類遺伝学会が、本検査は、臨床研究として認定・登録された施設において慎重に開始されるべきとする共同声明を発表した。厚生労働省も、「指針」を周知するよう求める通達を出した。4月1日には、日本医学会が実施施設として認定した医療機関を公表し、新型出生前診断が全国で開始された。
以上の経緯を見る限り、十分とはいえないまでも、手順を踏んだ上での慎重な導入のように見える。だが、新型出生前検査は、以下に述べるように、産むこと、生れることの意味に大きな変更を迫る質と、さらなる拡張に向かうポテンシャルをもっている。いかに慎重な身振りを伴っていようとも、本検査の臨床現場への導入によって、わたしたちの社会は、曲がり角を曲がったと言わざるをえない。
“ふるい分けてもよい対象”と名指すこと
今回の新型検査は、ダウン症など染色体異数性を対象としている。「指針」は、かたちの上では日産婦の定めるガイドラインだが、日本医師会、日本医学会等がそろってこれを支持する声明をだし、厚労省も遵守を求める通達を出した。つまり、染色体の数の変化をもつ存在を、出生前にその有無を調べ結果によっては妊娠の途絶の選択もありうる対象、誕生の段階でふるい分けてもよい対象と名指し、それを医療界や国も認めたということだ。
だが、ダウン症等の子どもたち/人たちは、いまも、その人らしく暮らしている。地域の学校に通い、家族や周囲の人たちとの細やかな人間関係を紡ぎながらさまざまな社会活動を担っている。適切な医療的支援を受ければ、健康に長生きできるようにもなってきた。在宅で暮らす18トリソミー、13トリソミーの子どもたちも増えている。そのような存在を、妊娠早期に、より簡便に見つけ出す新たな検査技術が本当に必要だろうか。染色体の変化という特性をもつものの存在いかんを恣意的に選択できる対象と見なすことが、正当化できるだろうか。
昨年11月に日産婦が開催した公開シンポジウムで、玉井邦夫日本ダウン症協会理事長は、ダウン症が出生前検査の標的になるのはなぜかと考えたとき、「ただ一つたどり着ける結論は、彼らが立派に生きるから」だと述べた。そして、「しっかりと何十年かの人生を生きるから。だから、この子たちは、生れてくるべきかどうかを問われるのだとしたら、いったいわたしたちが問うているのは、どういうことなのか?」と問いかけた(*6)。
(*6)玉井邦夫、2012、「何を問うのか 新しい出生前検査・診断とダウン症」http://www.jdss.or.jp/project/images/05/symposium.pdf
人は、偶然にさまざまな特性をもって生まれてくる。トリソミーという染色体の変化は、彼らの持って生まれたひとつの特性であって、それ以下でも以上でもない。その特性が、生きる上での“障害”となっているとすれば、社会的な支援の不備にこそ原因がある。いま必要なのは、染色体に変化をもつ人が生まれないための技術ではなく、彼らの安全な出産や育ちを保障する医療・保健体制と、当たり前に地域で育ち生活していくことを支援する医療・福祉・教育の充実ではないか。
新型出生前検査は、妊婦に「安心」をもたらすか?
「指針」では、不特定多数の妊婦を対象としたマススクリーニングとして行われないために、本検査の対象を「客観的な理由を有する妊婦」に限定した。そして、超音波検査や母体血清マーカー検査で胎児の染色体異常の可能性を告げられた人、染色体変異をもつ子どもを妊娠したことのある人、高齢妊婦、子どもに21/13トリソミーが生じる可能性のある転座保因者をあげている。
「指針」がマススクリーニング化を防ぎ得るかどうかは、後述するようにはなはだ疑問があるが、ともかく、ここで言う「客観的な理由を有する妊婦」とは、医学的に胎児が障害をもつ可能性が高いとみなされる「ハイリスク」妊婦である。主たるターゲットは、近年急速に増えている高齢妊婦を念頭に置いたものだろう。こうして、「ハイリスク」と名指された女性たちは、腹の子の障害の可能性ゆえに医学的管理下におかれてしかるべき対象、出産に先立って検査によって胎児の障害の有無を調べて産むかどうかを選択すべき対象とみなされた。
高齢妊婦たちにしてみれば、「あなたは、ハイリスク群」という医療サイドや周囲からの視線が強まれば、不安感は湧き出てこざるをえない。先ごろの「卵子老化説」の蔓延も拍車をかける。そこに、母子に安全で簡便な検査が出現したとなれば、「安心」のために検査に向かう妊婦たちも増えることになる。こうして、誘因と結果を循環させながら、新型出生前検査は、彼女たちの要望に応えるものであり、「安心」をもたらすものであると言われ始めている。本当にそうだろうか。
昨年、「35歳以上のハイリスク妊婦」をキーワードに発足した「『ハイリスク』な女の声をとどける会」のメンバーは、これに、真っ向から反論している。たとえば、本検査のメリットとされる、妊娠10週から血液検査だけで実施できる点について、通常、妊娠初期は自然流産の可能性をつねに心に留めながら、胎児が命をつなぎ止めることを祈る期間である。にもかかわらず、その同じ時期に、本検査を受けるという「胎児を失う可能性につながる選択をすることは、妊婦にとって深刻なジレンマになる」と訴えている。そして、本検査はたしかに技術的にはきわめて簡便に実施可能だが、「検査が妊婦にとって『簡便』であることは決してない。…妊婦にとって出生前検査は『困難』な技術である」と述べている。
また、生れてくる子どもの3~5%に先天的な疾患や異常があるが、本検査で検出できるのは1割前後に過ぎず、「新型出生前検査や羊水検査を行ったとしても、すべての先天異常を『排除』できるわけではない」こと、選択的中絶を経験した女性が長期にわたって苦悩を抱えている事実をあげて、「妊婦がこの検査によって『安心』することはありません。…(新型検査でわかる:筆者注)限られた障害のために妊娠継続をあきらめ胎児を失うこと自体が、私たち妊婦のニーズではありません」と訴えている(*7)。
(*7)「ハイリスク」な女の声をとどける会、「母体血を用いた出生前遺伝学的検査の導入にあたっての意見書」(2012年12月1日付)、「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査指針(案)に対する意見書(日本産科婦人科学会あて、2013年1月21日付)http://hrwomen2012.blogspot.jp/
30歳のダウン症の息子との生活を「あまりにも当たり前に穏やかに過ぎていく」と表現する「京都ダウン症児を育てる親の会」の佐々木さんは、「何を知ったら安心なのでしょうか?」と問いかける(*8)。「検査をしてダウン症でないと言ってもらっても、産んだ子どもが一生、病気もせず、事故にもあわず、いじめにもあわず、悲しい思いもせず、親に優しく、老後の保障が得られるなんてあり得ますか?何を安心って言うのですか?」と笑いを誘いつつ、「私は、出生前診断の存在を知らずに、子どもを出産したことを、大変、よかった」と思うと述懐している。
(*8)佐々木和子、2013、「血液検査だけで子どもの障がいがわかるって、それっていいこと?わるいこと?――ダウン症でなにがわるいねん」『月刊むすぶ―自治・ひと・くらし』504:58-61.
そして、今回の新型検査導入にあたって、出生前検査をうけるかどうかの迷いや、胎児の障害を知らされた女性(カップル)の葛藤への対応ばかりが取り上げられているが、検査を受けずにダウン症の子どもを産み、とまどいながらも子どもを育てるなかで多くのことを学び、地域社会で丁寧に暮らしている自分たちの実践がまったく顧みられないのは納得できないと語っている。
たしかに、現在、わたしたちはさまざまな出生前検査が存在する社会に生きており、それらをめぐる迷いや葛藤に巻き込まれざるを得ない。だが、そのようななかだからこそ、子どもに障害がある可能性を「リスク」と捉え、そのような子どもを産む可能性のある女性を「ハイリスク」とする見方や、それを医学的に管理しようとする作法に距離を置くことはできないだろうか。すでに、生まれきた子を全身で受け止め、障害をもつ子とともに穏やかに暮らす人々が目の前にいるのだから。
「遺伝カウンセリングシステム」の整備は、出生前診断を正当化するのか?
この間の新型検査をめぐる議論をみるとき、遺伝カウンセリングシステムの整備・充実をもって、出生前診断の実施は正当化できるとの論調が強まっていることに強い不安を抱かざるを得ない。
たしかに、検査の内容やその意味を理解するための十分な説明と、検査を受けるかどうか、検査の結果をどう受けとめるのかをサポートする遺伝カウンセリングはとても重要だ。だが、現実の時間的制限から考えても医学的な情報に偏らざるを得ないことや、障害児・者の等身大の情報を正確に伝えられる専門家やカウンセラーが育っているとは到底思えない現状で、むしろ、女性(カップル)の選択の幅が狭められる可能性があるのではないか。
現在、検査前後の遺伝カウンセリングにおいて、なにより必要とされているにもかかわらず、もっとも不足しているのは、障害をもって生まれた子が実際に育っていく道筋やその家族がどのような暮らしをしているのかについての情報であり、障害をもつ人たちと共に生きる知恵やその醍醐味を伝えることだと思う。
なかんずく、これら遺伝カウンセリングは、障害児を産み育てることを支援する医療・福祉・教育等の社会資源が充実し、しっかりとした社会側の受け皿があってこそ意味をなすことに留意すべきである。障害や病を持つ子を社会の一員として受け入れ、育み、ともに暮らしてゆく態勢が希薄ななかで、すべての決定を妊婦(カップル)に押しつけるのであれば、検査を受けるかどうか、結果を知って妊娠を継続するのかどうかなど、何度も「選択」を迫られ、その結果を引き受ける妊婦の苦悩は増すばかりだ。高齢妊娠であろうと、子どもに障害があろうとなかろうと、安心して産み育てることができる支援体制の充実をこそ望みたい。それがあってこそ、妊婦は安心できる。
膨張する技術 ―― マススクリーニング化への道
今回の新型出生前検査の開始は、血液検査という普及しやすいかたちでの網羅的な遺伝子解析・検査手法を、出生前診断として用いることにゴーサインを出したことを意味する。検査項目、検査対象など、量・質ともに急速に拡大・膨張することが予想される遺伝学的技術を、生まれてくる子どもを産むか、産まぬかの選択の場に導入したということだ。
「指針」では、不特定多数の妊婦を対象に胎児の疾患の発見を目的としたマススクリーニング検査として行うのは「厳に慎むべきである」と述べ、実施施設と検査対象を限定した臨床研究としてスタートした。だが、この「限定」が、いつまで規制としての力を発揮できるかは、はなはだ疑わしい。
日本で開始されたのは三種類の染色体異数性を検出する検査だが、妊婦血液中の胎児DNAを分析する同様の検査で、性別判定、性染色体変異、複数の遺伝病の診断も欧米ではすでに行われており、適用範囲は拡大すると思われる。さらには、胎児の全ゲノムの塩基配列をより包括的に解析する検査技術も進んでおり、今後、対象となる障害や疾患、特性は飛躍的に増えるだろう。
また、「指針」のなかで、昨年12月に発表された指針案に新たにつけ加えられた事項に、「陰性の結果が得られた場合、その的中率が高いために、胎児が染色体の数的異常を有する可能性はきわめて低い」という一文がある。ダウン症の場合、「異常」が疑われる陽性については妊婦の年齢が低くなると的中率は低くなるが、陰性的中率はつねに高いのだという。
これは、胎児が障害をもたないものを除外し、障害をもつ可能性の高いケースを抽出するという意味で、本検査が、もともとスクリーニング検査として優れていることを意味している。4月以降、「陰性なら、99.9%以上はダウン症ではない」というように、妊婦の「安心」の所以として陰性的中率の高さを強調する報道も増えており、今後、「ハイリスク」妊婦のみならず一般妊婦にも適用されるようになる可能性は高い。
さらには、実施要件の緩和を求める声も大きい。開業医や病院臨床医を会員とする「日本産科婦人科医会」は、最終的には日産婦の指針案に賛成したとはいえ、今年1月には、「施設の強い限定ではない、遺伝カウンセリング体制の整備などの、厳しすぎる条件ではない、適切な方法」での開始を求めていた(*9)。
(*9)日本産婦人科医会、「『母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する指針案』への検討要望事項」(2013年1月21日付)http://www.jaog.or.jp/news/2013/01/21/document/%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E8%A6%81%E6%9C%9B%E4%BA%8B%E9%A0%85.pdf
今年4月にスタートしてから5月初めまでの1か月間で、441人が新型検査を受けたと伝えられている(『毎日新聞』2013年5月9日)。共同研究組織が、昨年夏の段階で、「参加施設全体で2年間で約千人の検査を予定」としていた当初の計画と比較しても、すでに、相当の速度で規模を拡大している。
これらの動向を踏まえれば、母体血を用いた出生前遺伝学的検査が、多くの妊婦を対象に、さまざまな遺伝子の変化についてのマススクリーニング検査として行われるようになる可能性はきわめて高い。
出生前検査の商業化
さらに、今回の導入は、出生前診断の本格的な商業化へのスタートでもある。
4月からの新型検査導入が「臨床研究」と名付けられたために、商業ベースでの実施であることが見えにくいが、実際には、妊婦から採血された血液は、米国の検査会社「シーケノム社」に送られ遺伝子解析されている。「シーケノム社」以外にも、米国や中国など複数の民間会社が日本への進出を検討しているし、日本の数社も外国の検査会社と提携したり、検査の仲介を行うなど、国内での実用化に向けて準備を進めている。
事実、「指針」が出された直後の3月中旬には、東京都内の民間会社が、全国の産婦人科医に「出生前健診サービス」と謳った新型検査の勧誘葉書を送付し、国内最低価格・最高品質、「指針」には適用がない性染色体異常も検査可能と宣伝したという(『読売新聞夕刊』2013.3.29)。日産婦、日本産婦人科医会がともに、勧誘に乗らず「指針」の遵守を求める「お願い」を会員に向けて発している(*10)。
(*10)日本産婦人科医会「民間企業が勧誘する『母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査』に関する注意喚起のお願い」(2013年3月22日付)http://www.jaog.or.jp/news/pdf/NIPT_attention20130322.pdf
日産婦「『母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査』に関するお願い」(2013年3月28日付)http://www.jsog.or.jp/news/pdf/20130328_announce.pdf
妊婦らの支払う検査代は、いまのところ約20万円と高額だが、技術的進歩に伴って急速に安価になり、普及を後押しするだろう。胎児の遺伝学的情報に市場価値がつけられ、商業ベースでの生命の選別が、いま、始まろうとしている。
不妊治療のなかでの受精卵スクリーニング
昨年来、新型出生前検査が世間の耳目を集めている陰で見過ごされがちだが、不妊医療の現場でも、新たな遺伝学的検査を用いた受精卵の網羅的な選別が始まっている。現在、受精卵診断の対象は、日産婦の「着床前診断に関する見解」(2010)によって、重篤な遺伝性疾患をもつ子を出産する可能性のある保因者と染色体転座に起因する習慣流産患者に限定されており、日産婦への申請・認可により実施されている。
不妊症患者を対象に、体外受精・胚移植の際に、胚の染色体異数性を調べて「正常」胚のみを子宮に戻すことで、妊娠率を上げ流産を防いで出産率の向上をはかろうとする受精卵診断(「受精卵スクリーニング」と呼ばれる)の実施は認められていない。だが、これまでも、複数の不妊クリニックで、不妊症患者を対象とした受精卵スクリーニングが、なかば公然と実施されてきたという経緯がある。
昨年7月には、大谷レディスクリニック(神戸市・大谷徹郎院長)が、2011年から約130人の患者に対して「アレイCGH法」という新たな診断法を用いて、すべての染色体を調べる新型の受精卵診断を実施していたことが大々的に報道された。その大半は、不妊症患者を対象とした受精卵スクリーニングだったという。
従来の検査法(FISH法)では最大12種類の染色体しか調べられなかったのに対して、「DNAチップ」を使った「アレイCGH法」を用いれば、24種類のすべての染色体の変異の有無を一気に調べることができる。大谷医師は、「異常のある染色体は着床しないか、着床しても流産するかどちらかだ(中略)染色体異常の増える高齢の方にとっては画期的な技術だ。命の選別という批判もあるが、命をつくるための技術であり、除外するものではない」と主張している(『読売新聞』2012.7.11 ほか)。
日産婦は、「見解」が定める適応以外の例に対して無申請のまま施行した行為を「決して容認しない」とする声明を発表した(*11)。しかしながら、これ以降も、依然として継続的に行われている。また、日産婦のなかでも、転座による習慣流産患者に受精卵診断を行う場合でも、「アレイCGH法」を用いれば、すべての染色体の「異常」の有無が「全部見えてしまうのでスクリーニングになる」ことが指摘される一方で、「時代は、受精卵スクリーニングになってきている」として、受精卵スクリーニングを認める方向で検討を始めようとの動きもある(*12)。
(*11)「『着床前診断』報道に関する日本産科婦人科学会の声明」(2012年7月27日)http://www.jsog.or.jp/statement/statement_120727.html
(*12)本稿では詳しく述べる余裕がないが、受精卵スクリーニングについては、現在、その有効性・信頼性に大きな疑問が呈されていることにふれておかねばならない。欧米では1990年代後半以降、受精卵スクリーニングがさかんに行われたが、2010年には、欧州生殖学会議着床前診断連絡組織(ESHRE PGD Consortium)が、「高齢妊婦に対する受精卵スクリーニングの効果は全くない。反復流産、着床不全についても有効性を示すデータが不足している」との見解を発表するとともに、明確なエビデンスがないままに受精卵スクリーニングが急速に普及した事態に猛省を促がした(Harper JC et al., 2010, Human Reproduction , 25(4):821-823.)。
Mastenbroekら(2011)も、過去の9件のランダム化比較対照試験の結果を再解析して、「生児獲得率(妊娠・出産を経て子どもを得る率:筆者注)について、受精卵スクリーニングの有用性を示すエビデンスはない。それどころか、高齢妊娠の女性については、受精卵スクリーニングは生児獲得率を低下させる」と述べている(Mastenbroek S. et al., 2011,Human Reproduction Update, 17(4):454-466.)。
その原因として、両者とも、限られた数の染色体しか検索することができないFISH法の技術的限界とともに、初期胚に高頻度に存在する染色体モザイクをあげている。つまり、初期胚には、染色体異数性を示す細胞と「正常」細胞が混在するモザイク状態を示すものが高率に存在することから、その一部を採取して行う受精卵診断の手法自体に問題があるとの指摘である。検査法を「アレイCGH法」に進化させたとしても、これを解決することはできない。
だが、「流産防止」や「不妊治療の一環」として用いられようとも、受精卵スクリーニングによって染色体「異常」をもつ胚を子宮に戻さないことは、「染色体に違いをもって生まれる」機会そのものをなくすことに通じる。生まれてくる子どもの「質」の選別は、不妊治療の内部に埋め込まれて進行しているといえよう。
拙著『受精卵診断と出生前診断 ―― その導入をめぐる争いの現代史』(生活書院、2012年)では、1970年代から現在に至るまでの出生前診断をめぐる論争をたどった。日本においては、1970年代の障害者運動で形成された優生思想批判の言説や姿勢が、その後の出生前診断に対する医療界や社会の対応に影響を与え、一般医療としての普及を抑制してきたといえる。
障害者運動と女性運動の長期にわたる議論を通して、子どもを持つかどうかの選択は女性(カップル)の権利だが、「子どもの質を選ぶこと」は自己決定権には含まれないし、自己決定権によって正当化もされないとの認識が深められてもきた。1990年代に至っても、出生前診断をスクリーニングとして行うことへの躊躇や拒否感が、母体血清マーカー検査や受精卵診断の導入と拡がりに少なからず影響を与えた。
だが、今日、網羅的な遺伝学的検査技術の登場を前に、新たな段階を迎えている。子どもを孕み産む身体をもち、技術の直接の介入対象となる女性の思いと、障害や病とともに生きる苦楽をよく知る障害当事者の思いをていねいにくみ取りながら、出生前診断をめぐる幅広い論議がなされるべき時期にきている。
プロフィール
利光恵子
大阪大学薬学部卒業。薬剤師として働くかたわら、旧「優生思想を問うネットワーク」等で活動。50歳で立命館大学大学院先端総合学術研究科に社会人入学し、博士課程修了。
現在、立命館大学生存学研究センター客員研究員、「生殖医療と差別・紙芝居プロジェクト」会員、「女性のための街かど相談室ここ・からサロン」共同代表。
著書に、『受精卵診断と出生前診断 ―― その導入をめぐる争いの現代史』(生活書院2012年)など。