2013.11.14

宇宙医学研究は「究極の予防医学」

大島博 宇宙医学研究

科学 #宇宙医学#国際宇宙ステーション

有人宇宙飛行と宇宙医学

人類は、古の昔から宇宙に行くことを夢見てきた。第二次世界大戦が終わり、1950年代に入ると世界は冷戦時代に突入。米ソの両大国は人工衛星や有人宇宙開発に躍起となった。

これまで経験したことのない宇宙環境で生存し、安全に帰還させる技術を獲得する必要が人類にはあった。ロシア(ソ連)は、ライカ犬を人工衛星スプートニク2号に乗せてバイコヌール宇宙基地から打ち上げる。地球軌道に到達したスプートニク2号から生命維持装置や生体モニター装置の稼働を確認。その後、軍のテストパイロットから厳重な医学検査と負荷試験により飛行士を選抜し、人間もまた宇宙へと飛び立つようになる。

1961年には、ガガーリン(ロシア)は人類初の宇宙飛行に成功。1969年には、とうとうアームストロング(アメリカ)が月面踏破に成功する。そして現在にいたる50年あまりの間に500人以上が宇宙飛行を経験し、それにつれて宇宙飛行士の健康管理技術は改善されてきた。

当初、人類の新たな極限環境へのサバイバル技術として開始された宇宙医学は、今日では宇宙飛行の医学的リスクを軽減し、個人やチームのパフォーマンスを向上させる「究極の予防医学」に発展してきた。宇宙では、加齢と同じ変化が急速に起こるため、宇宙医学研究で発見された健康管理技術は、地上での健康増進の秘訣ともなるだろう。

本稿では、宇宙環境における医学的リスクと、リスクを軽減する宇宙医学研究について紹介したい。

宇宙環境と医学的リスク

国際宇宙ステーション(International Space Station、以下ISS)で飛行士は、微小重力、閉鎖空間、および宇宙放射線などの過酷な環境に、6か月間宇宙滞在する。

ヒトは進化の過程で、地球環境に適した構造と機能を獲得してきたが、その機能は宇宙環境に対してどのような適応するのだろうか。

地上では視覚情報と、耳石や足底の重力情報を統合して平衡バランス反射が働くが、無重力の宇宙では重力情報が消失するため、平衡感覚が混乱してしまう。突然発生する吐き気や嘔吐、頭痛などの症状、いわゆる宇宙酔いは、初回搭乗宇宙飛行士の3分の2に発生するが、飛行士は、照明のある面を天井として上下を認知することで、居住空間と自分との位置関係を把握して徐々に適応していく。

地球では下半身に引っ張られている体液は、無重力環境では約1.5リッター上半身に移動する「体液シフト」が生じて、頭部・顔面の膨張と鼻づまりを生じさせる。しかし「体液シフト」では、心臓への静脈還流(血液が心臓へと戻る働き)が増加するので、抗利尿ホルモンの分泌が抑制されて尿量が増加し、次第に頭部や顔面の腫脹は軽快する。

このように宇宙環境に適応できる症状もあれば、骨・カルシウム代謝の変化による骨量の少は、宇宙滞在の時間経過とともに進行する。また生体リズムの変調や精神的ストレスは、滞在期間が長期になるにつれて顕在化するので、予防対策が必要になる。

研究分野と特徴

JAXAは、宇宙飛行士の医学的リスクを軽減するための宇宙医学研究を、「生理的対策」、「精神心理支援」、「放射線被曝管理」、「軌道上医療」、および「宇宙船内環境」の5分野に分けて研究を進め、医学的リスクの発生頻度、飛行士やミッションへの影響度、対策の実現可能性などを考慮した最重要課題に、優先的に取り組んでいる。

ISSでは、地上の健康科学技術を用いて、宇宙飛行の医学的リスクの軽減を試みている。ISSを利用した医学研究は、宇宙環境への身体変化と回復過程を短期間に観察できるという利点がある。ISSでこれまでに行われてきたJAXA宇宙医学研究の概要と、骨量減少、筋萎縮、体内リズムの乱れへの対策方法を紹介しよう。

骨量減少予防研究

無重力の宇宙環境では、骨量は減少する。もともと骨量は骨吸収と骨形成のバランスによって維持されるが、荷重刺激が加わることで、このバランスが調整され、骨にカルシウムを蓄積する。宇宙飛行や長期臥床(寝たきり状態のこと)では、荷重刺激が弱まるために、骨吸収が亢進(こうしん)し、骨形成が低下するため、骨からカルシウムが放出され、骨量は急速に減少してしまうのだ。

宇宙環境での骨量現象の特徴としては、体重を支える大腿骨や腰椎で大きく減少し、上肢では変化が少ないことがあげられる。これは体重を支える背骨や下肢などの荷重骨の方が、前腕など非荷重骨に比べて本来の骨密度が高く、また無重力による影響が大きいためである。

骨密度はDXA(dual-energy X-ray absorptiometry)という医療機器で測定するが、宇宙飛行の骨量減少率は、大腿骨近位部で1~2%/月 と骨粗鬆症(1~2%/年)の約10倍に相当し、加齢変化の加速モデルといえる。

それでは宇宙飛行の骨量減少予防はいったいどのようにして行われているのだろうか?

実は宇宙飛行での骨量減少予防は、地上の骨粗鬆症対策と同様に、栄養・運動・薬剤の3つが重要である。ISSの搭乗員は、カルシウムとビタミンDを必要量摂取し、また宇宙船内で筋トレマシーン(改良型抵抗運動機器)を用いて体幹や四肢に負荷を加え、筋力を維持している。さらにJAXAとNASAでは、骨粗鬆症で用いる薬剤(ビスホスホネート)を予防的に投与し、宇宙飛行の骨量減少リスクが予防できることがわかった。

超高齢社会を迎えた日本では、骨粗鬆症の患者が年々増加している。宇宙環境によって引き起こされる骨量減少対策は、超高齢社会を迎えた日本で健康に長生きする秘訣を研究しているともいえる。

筋萎縮対策

無重力の宇宙飛行では骨量の減少以外にも筋萎縮という問題が発生する。

宇宙環境では、下肢の筋肉(立位や姿勢を維持する抗重力筋)が上肢の筋肉よりも萎縮しやすい。微小重力環境での筋萎縮は、最初の1~2週間が最も著しく(下腿三頭筋で約1.0%/日)、その後しだいにゆっくりと進行する。6か月間の飛行後には、筋量・筋力は平均10-20%(最大約30%)減少してしまう。

ISS長期宇宙滞在中は毎日2時間の運動で体力を維持し、帰還後約6週間のリハビリテーションを計画して飛行前体力に回復させる。

筋萎縮対策としてISS搭乗宇宙飛行士は、重力のない宇宙でも筋肉や骨への運動負荷を与えるために、有酸素運動(自転車エルゴメタ、またはトレッドミル)と筋力トレーニング(改良型抵抗運動機器)を中心に毎日2時間運動する。

これらの運動機具とプログラムには、それぞれに工夫がなされている。自転車運動では抵抗負荷を増減できる運動プログラムを準備し、トレッドミル走行の際にはハーネスを用いて体重相当の荷重負荷を加えながら走る。抵抗運動機器は、バキュームシリンダーを利用してバーベルを動かすと500ポンドまでの抵抗力を発生する装置を利用している。

有酸素運動では、「ややきつい」をめやすに、30分以上のサイクリングやランニングを行い、2~3分毎に速い・遅いを繰り返すインターバルトレーニングプログラムを数種類準備して心肺機能を強化する。

筋力トレーニングでは、体幹・上肢・下肢を刺激する運動メニューと負荷強度(軽・中・強)を計画的に変更し、筋肉に必要な刺激と休養(翌日は同じ運動を避けて筋損傷を予防)を計画的に行う運動プログラムを処方する。船外活動前には、上肢の自転車運動を行い、前腕の持久力を高める。運動機器は3つに限定されているが、運動プログラムを体力科学技術を用いて工夫することで、宇宙飛行の筋萎縮と心肺機能のリスクは徐々に軽減されつつある。

自転車エルゴメタ(JAXA提供)
自転車エルゴメタ(JAXA提供)
トレッドミル(JAXA提供)
トレッドミル(JAXA提供)
改良型抵抗運動機器(JAXA提供)
改良型抵抗運動機器(JAXA提供)

体内リズムの乱れ

日中の効率を改善させるためには、食事・運動・睡眠の規則正しい生活リズムを心がけ、朝晩の照度環境に配慮し、ストレスを上手に対処する技術と支援体制が大切である。生活リズムが崩れると、高血圧、肥満、高コレステロール血症、糖尿病、骨粗鬆症、不眠、抑うつ、早期老化、発がんなどさまざまなリスクが高まるのは、宇宙でも地上でも変わらないことだ。

ヒトのホルモンや体温には概日リズムが存在する。概日リズムとは、例えば、日中は交感神経活動が亢進し体温が上昇するが、夜間は副交感神経活動が優位となり体温は低下するという日内リズムである。ヒトの体内時計は約25時間であるが、朝陽を浴びると脳の時計中枢がリセットされ1日24時間周期となる。90分毎に地球を周回し、昼間の高照度光がないISSでは、体内リズムが乱れると、不眠や作業効率低下、ミスや事故の危険性が高まる。

多国籍の宇宙飛行士で構成されるISSの宇宙飛行士は、グリニッジ世界標準時で1日のスケジュールを組み、飛行士の睡眠時間と労働時間はそれぞれ8時間として計画する。

JAXAは、ホルター心電計をISSに搭載して、24時間心電図から宇宙飛行士の体内リズムに与える影響を調べた。

当初、宇宙飛行では上述の理由から、概日リズムが乱れるだろうと予想していたが、概日リズムはむしろ飛行後半に24時間となり、飛行前や帰還直後の方が乱れていることがわかった。

なぜこのような現象が起きるのか。おそらく飛行前や飛行後など地上では、宇宙飛行士はアメリカや日本間を頻繁に行き来し、深夜や早朝でも家族と連絡したり予習したり無理をしてしまうことが多いため概日リズムが崩れる。一方の宇宙飛行中は、規則正しく生活し、過度な負荷にならないようスケジュールを毎日修正するので、むしろ24時間の体内リズムが保たれたのではないかと考えられた。

JAXA宇宙医学パンフレット

日本人の平均寿命は、2010年には男性79.6歳女性86.4歳と、この50年間に男女とも約15歳も伸びた。しかし、健康寿命は男性が70.4歳女性が73.6歳と、人生最後の約10年間は「不健康な期間」を過ごし、医療や介護の費用が増大している。多くの日本人は、人類が経験したことのない超長寿社会を可能な限り自立して生きたいと願っている。健康長寿を実現するためには、体と心を健康に維持する秘訣を学び、毎日の生活習慣に組み込むことが大切である。

宇宙医学は、地上の優れた健康増進技術を宇宙飛行士の健康管理に役立ててきた。そして宇宙医学での研究成果は、地上の市民の健康づくりの啓発に役立てることが期待できる。

日本の骨粗鬆症患者数は約1300万人いて、70代女性の2人に1人が骨粗鬆症になる。毎年16万人が大腿骨を骨折し、手術やリハビリが必要で、本人や家族の負担だけでなく、6,657億円もの、医療・介護費用を国民は負担している。

宇宙医学の骨量減少対策の秘訣を、地上の骨粗鬆症予防の啓発に役立てて、予防的取り組みを実践すれば、骨折による寝たきりを減らすことに貢献できるのではないだろうか。

JAXAは、関連学会などの協力を得て、健康増進に関する秘訣をまとめたJAXA宇宙医学パンフレットを作成し、JAXAと各学会のHPからダウンロードできるようにした。(http://iss.jaxa.jp/med/reference/)。

JAXAからは「宇宙医学は究極の予防医学」から得た骨粗鬆症予防、体力維持、体内リズムを保つ秘訣など、関連学会からは運動継続、時差ぼけ対策、元気長寿の秘訣などがたくさん記載されている。一度ご覧いただければ幸いである。

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http://iss.jaxa.jp/med/reference/

プロフィール

大島博宇宙医学研究

JAXA宇宙医学研究開発室室長、医学博士。Oxford大学生理学研究所留学、富山大学整形外科講師を経て、宇宙航空研究開発機構に転籍。JAXA宇宙医学研究担当として、長期ベッドレスト研究、長期閉鎖実験などの模擬宇宙環境極研究に従事。現在は、薬剤による骨量減少予防研究や、ホルター心電計を用いた心臓自律神経研究などの宇宙医学実験に共同研究者として参加。所属学会は、日本宇宙航空環境医学会(理事)、日本整形外科学会(専門医)、日本骨粗鬆症学会(評議員)など

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