2014.09.01
なぜ、校長は手を出したのか――体罰事件から見えてくる、学校教育の多様な問題
2013年5月に起こった、大阪市の小学校体罰事件。校内にナイフを持ちこんだ生徒を校長が叩き、戒告処分となった。事件から1年あまりを経て、本校長が初めて口にする、児童を叩くまでの経緯と、辞職を決めたその理由。長年体罰問題を取材してきたノンフィクションライター・藤井誠二と、評論家・荻上チキが事件の謎に迫っていく。TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」からの抄録。(構成/若林良)
■ 荻上チキ・Session22とは
TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/
メディアを中心とした、表面的な議論の氾濫
荻上 2012年12月、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンが、体罰を苦にして自殺した事件がありました。今回とりあげる事件は、その半年後に起きたものです。
校内にナイフを持ち込み同級生を脅した小学6年生の男子児童らの頭を叩いたとして、校長が戒告の懲戒処分を受けます。その後校長は「深く反省している」として依頼退職。桜宮高校の事件を受け、教員の体罰をめぐって厳しい目が注がれていた中で、「問題はない」「なぜ処分をしたのか」といった批判の電話やメールが教育委員会に多数寄せられたとのことです。
長年体罰問題の取材を続けてきた、ノンフィクションライターの藤井誠二さんが、この事件に関心を持ち、取材を進めたところ、当時の報道では伺えなかったさまざまな背景や事情が浮かび上がってきました。そこで今夜のSession-22では、体罰問題を考える1つのヒントとして、この事件について考えてみたいと思います。
スタジオには藤井誠二さん、そしてこの事件の渦中にあった元小学校校長の男性にもお話を伺います。実名で証言に応じるのは今回が初めて、また放送メディアへの出演も初めてとなります。さらに、大阪市教育委員会からも文書で質問に答えていただいています。では、ゲストをご紹介します。ノンフィクションライターの藤井誠二さんです。
藤井 こんにちは。よろしくお願いします。
今回の問題は最初、断片情報しかなかったんですよね。小学校の校長が、ナイフを持ってきた生徒の頭をひっぱたいて戒告処分になった。戒告処分は、文書で注意されるという一番軽い処分なので、これで辞める必要はないですし、懲戒免職でももちろんないんですね。
事件の断片が報道されると、「校長は処分されるべきじゃない」とか、「これは体罰じゃない」とか、そういう表面的な議論に終始してしまいます。どういう背景があったのか、どういう構造があったのかといった議論にはほとんどならない。そして、メディアもメディアで、表面的などこからどこまでが体罰なのかとか、これぐらいは体罰じゃないということを問題提起して、事件のディティールがぜんぜんわからなくなる……。
当時は退職されて「元校長」になっていた校長先生にお目にかかって、3か月間ずっとお話を聞きに行きました。できれば、他の子どもたちやその両親、当該学校の先生にもいろいろ話を聞きたかったんですけど、なかなかこういう問題はデリケートだし、取材に応じてもらえないことが多かったんですね。そこで、校長先生にずっと取材をしてきたんですが……。もう名前は言っていいんですか?
荻上 いや、これからです。
藤井 川本隆史さんという方です。今まで、顔も名前も出せなかったんですね。何度かメディアでインタビューを受けておられましたが、けっきょく名前も顔も出して語ることはを避けられていました。
どうして今回、この番組でお名前を出すと決意されたかというと、やはりメディアの報道に違和感があったからだと思います。きちんと、どういうことがあって、なぜこういうことが起きたのか。そして当人はどういう気持ちだったのかまで自分自身の声と言葉で踏まえないとダメだな、と。今回、川本さんは事件後初めて実名でお話をされることになりましたし、私もこの問題をここで詳細に話したいと思っています。
最初は「体罰事件」ではなかった
荻上 メディアに関しては、産経新聞の報道がわかりやすかったと思います。校長じゃなくてナイフを持ってきた児童こそ処分すべきだ、今回の処分は行き過ぎだという論調のもので、実際にナイフを持ってきた児童が、ろくでもない加害者だっていう前提があってのものだったんですね。
市教委では「体罰を許さない学校づくり」を掲げており、人事担当者は「このような状況で、教員を指導する立場にある校長が体罰を加えた責任は重い」と批判する。
一方で、ナイフを持ち込んで脅したとされる男児に対する処分などは行われなかった。学校教育法では「出席停止」という行政処分が規定されているが、適用には「繰り返し他の児童に傷害を与え、他の児童の教育に妨げがある」などの条件があり、今回のケースは該当しないと判断したためだ。警察への届け出も「すでに事態は収束している」として見送られた。
桜宮高校の問題発覚以降、小中学校で児童生徒が教員に対して「手を挙げたら体罰になる」などと挑発するケースが相次いでいるといい、中学校校長は「現場の教員は過敏になっている。今回の事案で懲戒になるなら、教員は『触らぬ神にたたりなし』と考え、児童や生徒との関わりが薄まるのではないか」と懸念する。
日本教育再生機構理事長を務める八木秀次・高崎経済大教授も市教委の懲戒処分については批判的だ。
「手をあげた行為は教育的指導として間違っておらず、校長は教育者として立派な方だと思う。文科省の通達で体罰に相当する以上、何らかの処分はしなければならないが懲戒は市教委の過剰反応だ。教員が萎縮して指導できなくなり、子供は増長する」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130826/wlf13082607000000-n3.htm
藤井 その報道を知った当初は体罰ではない「緊急避難」にあたるケースなのかなと思ったりもしたけれど、川本さんから話を聞いてみると、ナイフを持ってきたという生徒は、もともと人とコミュニケーションをとりづらい、先天的な性格があったんですね。それが原因でからかわれるといったいじめもあった。彼をふくめた仲のいいグループが6、7人いるんですが、その中で靴を隠されたり、ボールを当てっこする遊びで、その子が嫌がらせを受けたこともあったりとか……。
そういうことがあると、やっぱり自分がいじめられているってわかるでしょ。それで、その子がついに耐えられなくなって、ナイフを持ってきちゃった。そのナイフは、もちろん使えば刺さりますけれども、よくゲームセンターで使うようなやつです。でも「どうだ、すごいだろ」ってかんじで脅したりしたら、やっぱり近くにいた女の子たちは怖くなって、トイレに逃げ込んだと。
担任の先生は「生徒の言っているのは自分のカッターナイフのことだろう」と思ってしまい、自分の机の引き出しを確認したらあったので、「子供たちが勝手に騒いでいるだけだろう」とそのときはすぐに取り合わなかったんですね。でもそうしたら子どもたちは校長先生のところに報告をした。それで校長先生がこりゃいかんとなって、その子のところへとんでいって、ナイフを持ってきた理由を聞いたんです。その上で、(放課後に)その子をいじめたりからかっていたりした子たちも全員集めて、「人としてやってはいけないことだ」と、頭を一発ずつバンバンとひっぱたいていった、と。
荻上 ナイフを持ってきた子も、そのきっかけとなった「いじめ」に加担していた子も含めてですか?
藤井 そうですね。何人かの子をかなり激しく叱責したそうです。そのとき担任の先生も呼んで、怒る姿を見せています。また、保護者の方にも後で連絡するように、とも担任に指示をされています。
荻上 アフターフォローを、担当の先生に指示したわけですね。
経緯としては、子どもたちは最初、担任の先生に言ったけれど、まともに取り合ってもらえなかった。そのために、校長先生のところに直接きたということですよね。
藤井 そうです。だから川本さんとしては、結果的に自分が正面に出なければいけなかった。
ぼくは最初、緊急の危機を回避するためにひっぱたいたと思っていたんですけど、そうじゃなかったんですね。お説教のあとに叩いていた。こういうことって、断片的な情報だけじゃわからないでしょう。記号的な情報だけが独り歩きすると、内実が全然わからないことになる。
で、戒告処分のあと、最初はナイフを持ち込んできた生徒のことが校内では問題になったんですね。その子は当日、持っていたハサミを投げつけちゃったこともあったんです。すると「学校や校長の指導がなってない」「運営がなってない」という保護者からの抗議がわっとくるんですよ。そのうちにハサミを投げられた子の親やナイフを持ってきた子の親が川本さんの振るった体罰を区役所や教育委員会に報告をする展開になった。ここでこの事件が明らかになったわけです。
つまり、この事件は最初、体罰事件じゃなかったんですね。まずナイフを持ちこんだことが学校の中で問題になって、途中で親と先生たちがぎくしゃくして、結果として「体罰事件」という形で外に出ていった。すごくざっくりいうと、そういう感じなんですよね。
荻上 なるほど。そのうえで、そもそもの生徒の特性、いじめの経緯、教師間の連携が取れてなかったといった話は、そこの段階ではあまり……。
藤井 そうですね、そういうことはマスコミ報道からは全然伝わってきませんでした。
荻上 従来から、体罰は正義なんだと考えている人が体罰をふるったという話ではないし、ナイフを持ち歩いている児童が暴発したのを止めようとしたという話でもない。
藤井 そうですね。その後にナイフを持ってきた子どもや保護者と、校長先生は関係性を修復しているんです。でも当然メディアでは伝えられていない。当時は桜宮高校の問題がすごく大きかったんで、やっぱり川本先生もそれと同じように見られる点があったんですよ。
荻上 やっぱりある問題がクローズアップされると、関連するものが起きたときには、同じフレームで扱われてしまうんですね。「またもや」「再び」扱いで。
藤井 そうなんですよ。ご本人も「全然違う」という思いもあったし、ジレンマもそうとうあったんですよね。
川本先生は戒告処分になるんですけど、一番軽い処分だから、別にやめる必要はないわけですよ。頑張ってほしいという声も多かったし、教育委員会の信頼も厚かった先生なので。だけどやはり、責任は重いと思ったんですよね。それで、やっぱり辞職をするしかないと。次の新しい校長にバトンタッチをする形で、準備をして自分から辞職をする、そういう形をとりました。
根底にあるさまざまな問題
荻上 なるほど、この一連の事件には誤解されやすいポイントが多いなと思います。
まず、もともとあったトラブルの中で、当事者となった1人の少年が、ナイフを持ちこんでいた。但しこの行為も、トータルの関係で見ないといけない。それから、当事者といじめなどに加担していたグループのメンバー、みんなを1回ずつ殴っていたこと。特定の誰かを特別に叱るわけではなく、全員を叱っている。ただし、これは緊急介入的ではないので、文科省の定義上の体罰には該当する。
とはいえご本人も体罰を肯定している方ではなくて、今回は、一連の流れの中で、たまたまそうしたアクションをとってしまう。だけど、その後の保護者とのコミュニケーションの過程の中で、業を煮やした方が教育委員会に持っていき、初めて体罰問題として認知された。「ナイフ」や「戒告」という言葉に引っ張られると、具体的イメージから遠のきますね。
藤井 そうですね。一連の出来事の中で川本先生を快く思わなかった保護者の方が通報したことで発覚するんですが、川本さんは、体罰事件が起きた後も、コミュニケーションが困難な生徒のことを理解しようとする勉強会を開いたり、それを他の保護者と共有しようとか、いろいろ取り組みをやっているんですね。確かに、なかなか機能しなかった面もあったんですけど、でもこれは、この学校だけの問題じゃないじゃないですか。今どこの学校も必ずそういった問題はあって、先生たちがたくさん苦労されていると思うし……。
荻上 ただでさえ忙しいですからね、先生は。
藤井 そうですよね。コミュニケーションに少し難のあるような、子どもたちとどういう風に付き合っていくか。その子たちのことを、どのように保護者たちに伝えていくかってことですごく苦労されている方も多いんですよね。
荻上 ここ10数年間で、ようやくそういったことを教育現場でちゃんと議論しようとなってきました。これからノウハウを貯めていこうという時期ですからね。
藤井 まだまだ親の方もタブー視といいますか、そういった問題を表に出しにくい。偏見の目で見られてしまうんじゃないかという不安の中で、覆い隠したいと思ってしまう。その気持ちはもちろんわかるんですけれど、でもやっぱりチキさんが言われたように、こうした問題を全体で考えようという流れにいまは少しずつながってきていますし、それをカミングアウトすることで、子どもたちの多様性や、一人ひとりの違いを理解しようという動きも始まってきています。
今回の事件は、そういった中で、いろんな摩擦とかボタンの掛け違いによって起きてしまったんだと理解をしないとだめだと、そういう風に思いましたね。
荻上 そうですね。そもそも藤井さんは体罰問題に関しては厳しい目を向けていて、教育現場の改善が必要だってことをずっと繰り返しています。一方で、今回の体罰の背景には、多層的なものがある。体罰そのものは肯定できないが、体罰を振るったその一人を締めあげれば済む問題ではないんだよ、ということが分かります。
そもそも教師間の連携が不足していて、校長先生が一人でこの問題に対処しなくちゃいけないといった状況の改善がなかなか実らなかったことについて、どこまで理解が進んでいたのか。そうしたことを抜きにしないと、問題解決は進まないんですね。
藤井 おっしゃる通りです。今回教育委員会に取材の協力をしてもらえたので、いろいろな話を聞いたんですけど、桜宮高校を契機にして、大阪市や大阪府が、そういった問題に全力で対応していこうという気運が高まっているんですね。こうした問題は案件が多すぎるんですけど、一つひとつ調査をしていくと、それぞれ事情がぜんぜん違うんですよね。様態も、背景も違う。例えば、すべての事件が桜宮高校のような、暴力依存者に近い先生によるものだというわけではない。
ですからぼくは、「ひとつずつちゃんと調査をした方がいいのでは」と教育委員会に話したんですけど、いかんせん数が多すぎるという……。
荻上 数千件の実態を調べるには、数千人の藤井さんが必要になる訳ですよね。
藤井 教育委員会では調査の担当者も増やしたらしいんですよ。だけど数が足りない。今回の件も、川本さん一人からしか聞き取りをしてないんですね。情報公開制度を利用して顛末書を手に入れて読んだんですけれど、基本的に川本さんの言ったことだけが書いてあるんですよ。保護者とか他の先生とか、当事者であるはずの方からは全然聞いてない。川本さんはもちろん嘘はついてなくて、きちんとした事実経過をお話しになっているんですけど、やっぱり教育委員会の調査能力はそこが限界なんですよね。
荻上 この比喩が正しいかどうかわからないんですけど、事故報告書を書くときに、本人が反省文だけ書いて済ませたみたいな形ですよね。そのとき機械整備はどうだったとか、労働時間の管理はどうだったおかとか、普通は調べるじゃないですか。それと同じで、担任はどう考えていたのかとか、周りの生徒はどう見ていたのかとか、複合的な調査をしなければ、再発防止ということは議論できないはずです。
藤井 そうそう。詳細な調査をしないと教訓が導き出せないんですよね。やっぱり桜宮高校みたいに、先生を懲戒免職にすればいいって話だけじゃないわけですよ。
今回かなり広範に取材をして、全体像を書いたんですけれど、一つの事例をきちんと複眼で見ることでもたいへんなのに、教育委員会が全部のケースを教育委員会がやるのは無理なんですね。さっきチキさんがおっしゃったように、千個の事例があれば、千人のライターが必要みたいな、そういったことはあると思いますね。
荻上 twitterからもすでにたくさんの方から反応をいただいています。例えば「いい先生なんだとは思うし、悪質な話じゃないのは分かるけど、体罰は体罰だから」というご意見があります。これはいかがですか。
藤井 戒告処分というのは、ぼくも間違っているとは思いません。
荻上 妥当な対応ではあると。ただし、「体罰事件」という四文字だけにしてしまうと、取りこぼされてしまう議論がある。そして「体罰事件」と問題化をしている時点で、「体罰を生まないようにすればゴールだ」という方向で結論が出てしまう。けれども、問題はそれだけじゃない。例えば、抱え過ぎた人が体罰を振るう場合だってあるし、体罰を正義だと思って常態化している人もいる。それらを同じ「体罰対策」といって一緒の解決策というものが出されるわけではないですよね。
藤井 大阪市の教育委員会の判断はいいと思います。行為として、厳密な判断をするべきだと思うんですね。だけれど、その構造は一個一個違うんだということを把握すべきだと思います。
荻上 「元教育関係者として、この問題はとても辛い話です。教師はカリキュラムが過密だし、生徒指導もしなければならないし、また保護者や地域からの、多種多様な要求に応えなくてはならないので、追い詰められている現状があります。とにかく、心身ともにゆとりが欲しいです」というお便りも来ています。
藤井 その通りだと思います。先生たちは、とにかく事務的な作業とか雑事が多いんですよ。夜遅くまで学校に残って書類作りに追われたりとか。
荻上 先日、OECDの国際比較データが出て、日本が抜群に教師の労働時間が長いことがわかりました。しかもそれは、授業時間の長さが原因ではなく、部活動や事務作業に多くの時間が割かれるために残業せざるをえないというものでした。授業時間はむしろ、他の国に比べたら短いんですよね。
藤井 そうなんですよね、例えば、いじめで自殺したという問題になると、必ず問題になるのは先生の過密労働です。いじめに気づいていたけど、日々の仕事に追われて対応できなかったといった話がいっぱい出てきます。
科学的に考えれば、単純に睡眠時間が短くてイライラしている先生って、そういうナーバスな問題に対応ができにくいのは当然なんですね。子どもとじっくり話し合うとか、または心をなかなか開かない子どもに対応するためにはそれなりの時間が必要だし、体力も必要ですよね。いつも雑事に追われて、寝不足でいるようではそれはできない。今回の体罰事件のケースでは、そう言った問題も浮き彫りになっています。
荻上 そうですね。では、今回その体罰の件で自ら辞職をされた、元校長の川本隆史さんのインタビューをお聞きいただきたいと思います。さきほど、お電話でお話をお聞きしましたので、その模様をお聞きください。
「辞職」というメッセージ
荻上 はじめまして、荻上と申します。よろしくお願いします。
川本 どうも、こんにちは。
藤井 川本さん、と、名前をここで出していますけれど、私の取材も含めて、川本さんは今までメディアには匿名で出られていました。今回、この番組で名前を出されるということには、どういった心境の変化があったんですか。
川本 そうですね。いまいろいろなことが起こっているので、やっぱり現場のことを、ちゃんと正直に言わなくちゃいけないと思ったんですね。どんな形で現れるかはわかりませんけれど、やはり事実は事実として伝えないと、結局は一過性のものとして終わってしまうのではないかと思いました。
荻上 今回、川本さんが当時の、一連の出来事に対してどのように思っているかを伺っていきたいんです。まず「ナイフで脅した」という騒動を、どのように知ってどのような気持ちで児童に手をあげるということになったのか、教えていただいてもよろしいですか。
川本 最初は、ぼくのところに子どもが報告してきたんですね。校長室は、教職員にも子どもにも保護者にも、これまで「開かれた場」として機能するようにしてきました。だから、私は子どもと常にコミュニケーションをとっているので、話しやすいということで来たんです。
藤井 「ナイフを持ってきている子がいるよ、怖いよ」と女の子が言ってきたんですよね。
川本 そうです。ただ、やはり組織として、校長が一人で動くわけにはいきませんので、まず子どもたちに担任に言ったのかどうかを確かめました。それで、担任が対応しなかったということがわかったので、私が動くことにしたんです。
藤井 ナイフという言葉を聞くと、緊急性も当然感じましたよね。
川本 その通りです。やはり子どもの意見というのは真剣に聞かなければなりません。それが確かかどうかは、身近にいる人間、つまり担任や教員がしっかりと子どもと接していたらわかることです。教師側が子どもの言ったことを真摯に受け止めて、判断できないときは、教務主任や教頭に相談する。最後に校長に判断を委ねる。こういった、緊急時の対応が大事だと思います。しかし、今回の事件では取り上げられていませんが、経験豊かとされる教頭、教務主任、担任等は何をしたかということです。組織の中でリーダーシップがとれる教員が少なかったことも事実です。一方で、PTAと学校が十分に連携できていたかということも気になりました。今、各地で起こっている学校に関わる問題もこのこととつながっていると思います。
荻上 その後速やかに動いて、子どもの話を聞いて、彼らに説教する中で手を挙げることになったと思うんですけど、どういった想いで児童に話しかけて、手を挙げるということになったんですか。
川本 まず、ナイフを持ってきた子を連れだして、話を聞きました。そして、話を聞いた後、関係していた子どもたちも呼びだして、音楽室で怒ったんです。ナイフの子は安全を考えていなかったし、関係していた子たちは以前約束した友人関係のルールを守っていなかったと、そこで私は手を出しました。
荻上 今振り返ってみて、その時の手段としては適切だったと思いますか。
川本 「今振り返ったら」といわれれば、今となってはいくらでもいえることはあります。手を上げない方が良かったとか。もっと冷静に話しておけばよかったと。
藤井 その時はやはり、これは手をあげてしまった、「しまった」と川本さんは思われたんですか。
川本 いや、それは思ってなかったですね。極端な話、ナイフを持ってきたことに対してね、やっぱり大人としたらこうすべきだということで、叩いたんです。友達にナイフを突き付けたりしていたということが、私としては許せなかったんですね。
藤井 今回はナイフをもってきた子だけじゃなくて、連帯責任として、からかった子たちも叩いているんですよね。川本さんは「みんな仲良くしなさい」と、「悪いことはお互いちゃんと言い合うような仲になりなさい」って日頃から子どもたちに言ったけど、それが守られなかったので、全員の頭をひっぱたいた。
荻上 児童の反応はどうでしたか。どんな表情だったのかなど。
川本 そりゃ、私がすごい形相で怒っていますからね。怖がっていますよ。連帯責任って言い方になると誤解が生まれるんですけど、ナイフを持ってきた子と、他の7人の子とでは、怒った内容は別です。
7人の子に対しては以前、ナイフを持ってきた子に対するいじわるみたいなものがあったんです。過去に子どもたちに対して、こういうことは絶対ダメだと。お互いを仲良くするために、いいことと悪いこと、ちゃんとお互いに言わなくちゃあかんよっていうことを、よく言い聞かせていたんですね。本人たちも理解してくれました。だから今回は、あのとき言ったことがなぜできなかったと、そういうことで怒りました。
藤井 ぼくは川本さんに何度もお目にかかっていますけれど、やっぱり、怒ると怖そうな先生なんですよ。熱血漢って感じの先生なんです。きっと、その感情はストレートに子どもたちに伝わったと思うんですね。それに、ちゃんと子どもたちや保護者への、アフターフォローについても他の先生方に伝えていますし、先々のことを考えて何重にも対応しているんです。
ただ当時は、桜宮高校事件という、非常に世の中を騒がせた体罰事件があったばかりで、その影響もあって川本さんが戒告処分ってことになったんですね。川本さん、その時処分されるって思われましたか。
川本 処分ということは、考えてなかったですね。体罰というより、一人の大人として怒ったという意識が強かったですから。だから、体罰で処分、ということに関してはやっぱりすごく悩みました。
荻上 どう悩みましたか?
川本 そうですね。処分は、重く受け止めました。戒告という一番簡単な処分だったとしても、一応は校長ですから。処分の軽い重いじゃなくて、責任の問題なんですね。自分がとった行為に対して、責任を持たなければ、職員に示しがつかないと思ったことは事実ですね。
荻上 その責任の取り方が、今回の依願退職ということになったんでしょうか?
川本 体調も優れませんでした、正直なところ。
藤井 川本さんはものすごく頑張り屋タイプの先生で、学校を引っ張るタイプの校長先生なので、体力の消耗も激しかったんですよね。それもたまたま重なっちゃったっていう事情もあったんですよね。
川本 はい。そしてもう一つに、私が辞めたとしても、それをきっかけとして教師たちが、「学校」という組織を改めて考えてくれるのではないか。そのように思ったことは事実です。
藤井 ぼくも記事に書いたんですけれど、川本さんがやめるというのは、一つのメッセージだったんですね。責任とって辞めるというだけじゃなくて、今ご本人がおっしゃられたように、自分が勤めておられた小学校の教員間の連携とか、行政全体であるとか、他の学校を含めて、横のつながりがうまくいってない状況があった。それを憂う気持ちがあって、自身の辞職をメッセージにしようという思いがあったんですよね。
川本 それはやっぱりありますね。いま藤井さんがおっしゃったように、学校の問題には、組織としての連携の弱さがあると思います。うまく出来ている学校はたくさんあると思いますけれど、一方でそれが機能しない学校もたくさんある。そういう学校では、校内で起こっているさまざまな問題がすぐに管理職に伝わっていないんです。報告・連絡・相談が十分じゃない。ごたごたになってくると、当日の夜遅くや次の日に伝わることもしばしばあるんです。
その結果、問題の所在はすべて校長の責任ということになってしまうんです。先生たちは、ごめんなさい、遅れましたと言って終わりなんですね。だから、責任の所在とか、報告・連絡・相談がなぜ遅くなったのか。子どもの教育を司るとはどういうことなのかをもう一度しっかりと考えないとだめだと思います。私は今回一番つらかったことは、私が退職すると担任にいったとき、担任が教頭に「パフォーマンスですよね」といったことです。また、教頭は「学校を守るためにやめられるんですね」といいました。この人たちは、今回の事件を自分事と捉えているのか疑いたくなりました。結局、ごめんなさいという言葉もありませんでした。
藤井 川本さんの事件が起きた後、多くのマスコミの報道の仕方が、「これは体罰ではない」とか、「これくらいで先生を辞める必要はない」とか、そういう非常に浅い部分で議論がなされちゃったことが、僕はすごく残念でした。川本さんもそう思いませんでしたか。
川本 そうですね。メディアが気にするのは表面的な部分だけで、その奥底にあるものについては、詳しくは言及していない。今、最も考えなければならないことは、教師と保護者が現在の子どもの将来の姿を考えなければならないと思います。学校が悪い、親が悪い、といった考えではなく、今起こっている問題はどこに原因があるのかを共に考えなければならないと思います。子どもは育てられたように育つといいます。学校が責任を持つこと、親が責任を持つことをはっきりしないといけないと思います。わからないときは腹を割って話し合う。一緒に考える。こういったことが大事だと思います。特に教員は、自分の意志でその道を目指したんだから自分のやることにはしっかり責任を持つ。やっぱりお金もらって仕事をしているんですから、そこはプロとしてね、きちんとしなきゃいけないと思いますね。
藤井 桜宮高校の報道があったものだから、「もう、先生は体罰を振るえないぞ」「(体罰をふるえないから)生徒がまた更に荒れた」みたいな論調も出てきて、逆に「体罰はもっとやるべきだ」という話にもなってきた。川本さんの想いとのずれがどんどん出てきてね。川本さんもそういった論調を見ていて、辛かったろうなと思いました。
荻上 川本さん、今回ですね、大阪市の教育委員会の方に、今回の件について質問事項を投げたところ文書で回答をいただきました。一緒にお聞きいただいてもいいですか。
川本 はい。
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質問 どういう経緯で、戒告処分を出すに至ったのでしょうか。また、一教員ではなく、校長という立場を重く見ての処分だったのでしょうか。
回答 本件に関しましては、児童がナイフを持参し、他の児童に対して脅かす行為を行っていたとして、命に関わる大変危険な行為であり、校長が自ら厳しい指導を行ったことは、適切な指導であると認識しております。しかしながら、校長から別室に呼び出され、校長の口頭指導に従い、ナイフを校長に提出し、指導を受け入れ、反省する態度であった児童らに対し、校長が児童らの頭を叩いた行為は、指導及び正当行為とは言えず、体罰であると言わざるを得ません。教育委員会としましては、桜宮高校の痛ましい事案を受けて、体罰、暴力行為を防止する取り組みの徹底を図っている中、今回のようなことが起こってしまったことは、極めて遺憾であります。また本来、こうした取り組みにおいて、教職員を指導する立場にある校長が、自ら体罰を行ったことは弁解の余地がありません。本件に対しましては、厳正に対処した次第です。
質問 一連の騒動、校長の処分に関して市民の反応はどうでしたか?また、教育委員会にはどのような意見がどのくらい寄せられたのでしょうか?
回答 本件に関し、新聞などで報道された以降におきまして、ナイフを所持した児童の危険行為を制止するため、叩く行為を行ったと捉えられた方々から、当該校長への処分は不当であるとのご意見を数多くいただきました(すべてを集約できておりませんが、件数は数百件ほどありました)。
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荻上 質問に対する教育委員会側の回答を聞いていただいたんですけど、川本さん、今のやりとりをどのようにお聞きになりましたか。
川本 行政はそういうしかありません。指導するものが叩いたことは問題だと。戒告処分ということは厳しく受け止めます。その通りですから。
「子どものため」ってよくいいますが、教員も保護者もそのためにどんな姿を見せているのでしょうか。子どもは大人の真剣な姿を見てそこから考え学んでいきます。感じさせるということが大事だと思います。教員はそのために何をするの、親は何をするのということを再度考えてほしいです。小手先の対応ではなく、真剣に腹を割って向き合う姿が私は大事だと思います。何か学校に問題が起こる度に保護者が学校にとことんクレームをつける。また、ママ友内でメールで広げていく。一方、学校側は知らなかった、申し訳ないといって謝罪する。しかし、同じような問題が繰り返し起こる。私は、教員、学校、保護者の意識の違いに原因があると思います。やっぱり親と教員、あるいは学校がどれだけ問題を共有し協力関係を築いていくこと大切だと思います。それが一番の根本です。
藤井 今回の事件は川本さんの決断だと、僕はそう思います。僕は、メディアの中では最も詳しくディティールを書いたと思っているんですけど、これでもやっぱり、書ききれないことがたくさんあるんですよ。細かいいろんな要素や事実が複雑に入り組んで、今回のことが起きているわけですから。一つひとつのケースに対して、親と行政も含めた先生たちが一緒になってやらないと、なかなかそこは取り組めないと思いますよ。
荻上 そうですね。教訓というものを、掴んでいく事は難しいですよね。川本さん、ありがとうございました。
一つひとつの事例を読み解く
荻上 というわけで、初めて実名で、今回の経緯を語っていただけました。改めて藤井さん、こうやってお電話でお話を聞けたことはいかがですか?
藤井 前よりも落ちつかれていて、自分の考えをまとめていらっしゃるなという印象でした。やっぱりご本人も当初は戒告処分に関してショックを受けておられて、責任感がすごく強い方なので、動揺されていたんですね。そういう期間が何ヶ月間も続いたと思うんですが、今回こうした形でお話になるということで、自分の中できちっとこう、考えをまとめられたと思います。社会に発信したい、今回起きてしまったことを、今後に生かしていきたいというお気持ちになられたんじゃないかなと、そのように思いましたね。
荻上 twitterの反応もすでにたくさん頂いているんですけど、その中で例えば、今回いじめというキーワードが出てきたので、「いじめ加害者が問題じゃないか」という反応もあるし、一方で担任が取り合わないから校長に言ったということで、「担任はなにやっていたんだ」とか、そういう反応もあったんですね。これらについては、どう思われますか。
藤井 ぼくも最初は、これは「いじめ」という構図で捉えた方がいいのかなという気もしましたし、それを捉えきれなかった担任の先生にも、もちろん問題はあると思いました。いじめの問題は多くの場合、だいたい仲のいいグループというか、一緒に遊ぶグループの中で起きることが多いじゃないですか。今回のこともそうなんですよね。その子だけが集中的にパージされているような状況じゃなくて、普段は遊んだり、ふざけあったりとかしている仲でもあるので、完全に対立した加害者と被害者という二項対立では捉えられない部分がある。だから、その微妙な子ども同士の人間関係を調整するような、先生や専門家が入ることも必要なのだろうと、そのように思いました。
荻上 極端な事例に関してはまた別だと思いますけれども、今回のケースを、善と悪に図式化して、悪を懲らしめようってしたりとか、それから個人の行動を問題だとして、その人を辞めさせろとなると、間違いの大きな原因だと思うんですね。複雑な背景を丁寧に、読み解いていかなければならない。
藤井 そうですね。体罰は暴力ですけど、でもそれが生み出されるということは、いろんな感情が複雑に、どろどろとしたものが絡み合っているからだとも思います。それはもちろん悪なら悪で、問題視すべきなんですけど、その暴力が生まれる背景とか、素地というものをきちんと分析していかないと、やっぱり根治することは難しいと思います。また、起きてしまった場合はどのように問題を収束させるかなど、対応策を確立させることが必要だと思います。そのためにも、一個一個の事例を細かく分析していくべきだと思いました。
荻上 暴力は問題。だからこそ、安直に罰せよとか処分せよとか反応するんじゃなくて、冷静に何があったのかを読み解いていくことが必要だと。今回のケースを受けての、教育委員会の反応とかその後の対応については、藤井さんはどう見ていますか。
藤井 大阪市も大阪府の教育委員会はやっぱり、桜宮ショックが相当大きくて、それを教訓化してやっていきたいというのは、取材中すごく感じましたね。でも、先ほど言いました通り、それを分析、調査していく人的な数が足りないので、もう少し層を厚くする必要がある。体罰がこういう形で禁止されちゃったら、逆に生徒がなめてかかってくるとかね、そういう話もあるじゃないですか。
荻上 「体罰禁止の副作用だ」といった意見もありますけども、いかがですか。
藤井 そこに関しては、ぼくは全然違うと思っています。そんな短絡的な解釈をするべきじゃない。どういう対応をしていけばいいのか、きちんとケーススタディを積み重ねる中で練るべきなんですよね。
荻上 教育委員会に、「生徒への個別指導を導入していくと報じられているが、それはどういうものか」という質問をしたところ、「問題行動を起こす児童をランク付けして、一定ランク以上の子は隔離をして指導する」という回答をいただいています。
藤井 まだ案の段階ですけれど、ぼくは、首をかしげざるを得ないです。いったい誰がランク付けをするのか、どういった行動を問題行動とするのか。それに、それこそ川本先生みたいなエネルギッシュな人がいれば話が別かもしれないけど、なかなか問題のある子どもと向き合いたいという先生はいないでしょう。誰がそういう子のケアをするかですよね。
荻上 そういうことができる専門家って誰なんでしょう。
藤井 80年代に荒れる中学校の対応策として、出席停止処分がとられるようになりました。それも根本的な解決にはならなかったですよね。単に一時的な隔離をするだけで終わってしまう。今回もそのケースと大差ないような気もしますし、実際にこれに効力があるのかとか、誰が担うのかとか、疑問だらけです。とくに一九八〇年代から、スクールソーシャルワーカーなどが機能してきた実績も日本の学校にはあるので、そういう人達と力を分散して対応するのがいいと思っています。
荻上 問題化される前に、労働環境や教員の現状を改善するということが前提として議論されず、厳しい処分が先行する。
藤井 そうですね。川本先生もおっしゃっていたけど、教師間の連携をどのように強化していくのとか、子どものいろんな個性とか、障害を持った子どもに対する専門知識を持った先生の養成とか、そういう対応も少ないと思います。隔離政策の前にやることって、いっぱいあると思うんですよね。
荻上 具体的な政策の議論をするためには、やっぱり丁寧に事例を読み解かなければいけない。読み解かなければ、ここでいろいろと出てくる議論も、ちょっとどうなんだろうという疑問が残ることになると。藤井さんに取材報告でお話を伺いました。
サムネイル「市川学園旧校舎」naosuke ii
プロフィール
藤井誠二
1965年愛知県生まれ。ノンフィクションライター。当事者に併走しつつ、綿密な調査・取材をおこない、社会や制度の矛盾を突くノンフィクション作品を数多く発表。TBSラジオ「BATTLE TALK RADIO アクセス」のトークパーソナリティーや、大阪朝日放送「ムーブ!」で「事件後を行く」、インターネット放送で「ニコ生ノンフィクション論」などのコーナーを持つなど幅広い媒体で活動をつづけてきた。大学では「ノンフィクション論」や「インタビュー学」などの実験的授業をおこなう。著書に、『17歳の殺人者』、『少年に奪われた人生』『暴力の学校 倒錯の街』『この世からきれいに消えたい』(以上、朝日文庫)、『人を殺してみたかった』(双葉文庫)、『少年犯罪被害者遺族』(中公新書ラクレ)、『殺された側の論理』『少年をいかに罰するか』(講談社)、『大学生からの取材術』(講談社)、『コリアンサッカーブルース』(アートン)、『「悪いこと」したらどうなるの?』(理論社)、『体罰はなぜなくならないのか』(幻冬舎新書)など多数。
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。