2015.01.17

阪神・淡路大震災から20年、共助を軸としたあたらしい防災へ

永松伸吾 災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

社会 #阪神淡路大震災#共助#震災復興

「自助7割」はどこから生まれたか

阪神・淡路大震災から20年経過しました。その直後から今日まで、変わらず語り継がれている教訓の一つが、「自助7割、共助2割、公助1割」という言葉です。もはや格言とすら呼んで良いかもしれません。ためしにグーグルで調べてみると、予測変換候補に上がるほどでした。

念のために解説しておくと、自助とは、いわゆる自助努力のことで、災害時に自分で何とかすること、あるいはそれを前提として備えておくことを指します。共助とは地域コミュニティやボランティアなどによる助け合いのことを指しています。そして公助とは行政など公的機関による支援を指しています。防災においてこれらの比率が7:2:1であることは、行政にあまり期待してはいけませんという文脈で用いられていることが多いようです。グーグルの検索結果も、行政の防災啓発サイトを示しているものが多く見受けられます。

このような言説はどのようにして生まれたのでしょうか。直接的に7:2:1という数字を示したのは、林春男(京都大学防災研究所教授)らによる調査がおそらく初めてではないかと思います。林らは、被災のもっとも激しかった地域において、被災者が震災発生から1000時間(約40日)においてどこで生活していたかを調査しました。

その結果、この期間を通じて自宅で生活していた人々がもっとも多く、およそ7割前後であったことが明らかになりました。逆に公的な避難所にいた人々は、わずか16%から3%と、およそ1割前後に過ぎなかったのです。こうした事実から、林は阪神・淡路大震災の実態として自助7割、共助2割、公助1割という数字を提起したのです 。

当時、私たちの頭の中には、被災者=避難所の中にいる人々というイメージがつよく焼き付いていました。しかしこの数字は、実際にはそれをはるかに上回る多くの人々が、自宅で被災生活を送っていたことを示しています。それと同時に、公的な避難所の役割が大規模災害時にはごくわずかにすぎないということ、すなわち、公的な支援には深刻な限界があったのだということも、強烈なインパクトを与えました。

行政による公助に深刻な限界があるということは、この研究よりも前に、室崎益輝(神戸大学名誉教授)が行った調査でも示されています。阪神・淡路大震災直後に倒壊家屋に生き埋めになったり、閉じ込められたりしたもののうち、公的機関により救助された人はサンプル全体のわずか1.7%に過ぎなかったのです。

他方で、自力で救出された人々が34.9%、家族に救出された人が31.9%、隣人・友人に救助された人が2.8%という結果でした 。微妙に数字は異なりますが、こうした事実も含めて、自助7割、共助2割、公助1割という数字は、「災害時に行政を当てにしてはならない」というメッセージとともに、流布されていくことになったのです。

「自助7割」論の功罪

災害情報を専門とする近藤誠司 (関西大学准教授)は、この自助7割論について、その功罪を見事に表現しています。まず功の部分として、自助7割論は、住民や行政の役割分担を明確にしたと指摘しています。とりわけ、それまで「怠惰で愚かな住民」とされてきた一人一人の役割がじつは7割なのだと、防災における住民の位置づけを高めたことについては積極的に評価をしています。

筆者も、この捉え方は正しいと思っています。災害に備えるためには、国家や自治体、インフラを災害に強くするのではなく、一人一人を災害に強い存在にしないといけない。自助7割論はこうした「エンパワーメント」の考え方の強力な根拠ともなったのです。ここには、当時、開発経済学や国際関係論の分野で非常に隆盛を誇った、アマルティア・センによる「人間の安全保障」の考え方が大きく影響していたと思われます。ちなみに彼は阪神・淡路大震災から3年後の1998年にノーベル経済学賞を受賞しました。

また、被災者の生活再建に必要な資金の一部を公的資金によって支援する「生活再建支援制度」が1998年に始まりました。多くの識者、とりわけ経済学者はこれを行政による過剰な介入であり、自助を阻害する制度だと批判しました。しかし、阪神・淡路大震災の被災地はそうは考えませんでした。

この制度の制定や、その後の制度の改善において、阪神・淡路大震災の被災者らによる市民運動が非常に大きな役割を果たしました。彼ら/彼女らが主張していたのは、決して自分自身の苦境を救うための制度を要求したのではありません。今後日本のどこで災害に遭ったとしても、被災者が自力で生活を再建できるための後押しとなる制度を要求していました。つまり7割の自助を達成するための、1割の公助を求める運動だったのです。

一方で、自助7割論の罪とは何でしょうか。近藤は、「公助1割」が行政の責任回避として用いられることの弊害や、自助を過剰に強調して促進することによって、持てるものと持たざる者との間の格差を生みかねないことを指摘しています 。

そもそも、自助7割論は、阪神・淡路大震災ではこうであったという事実を実証的に示した数字に過ぎなかったはずです。それが、あるところから規範的に用いられることになり、「公助は1割で良い」「自助は7割でなければならない」といった意味合いで使われだしてしまったのです。

鈴木猛康(山梨大学教授)も、この点に対する率直な違和感を述べつつ、公助に限界があるから自助・共助があるのではなく、自助・共助に限界があるから公助が必要なのだということを強調しています 。これは、行政学や地方自治の分野では「補完性の原理」と呼ばれる規範的な考え方に沿っています。

では、自助7割論がこうした「補完性の原理」に沿って解釈されている限りは、やはり意味ある考え方なのでしょうか。筆者はそうは思いません。阪神・淡路大震災以降の災害を研究する中で、自助7割論は根本的な欠陥を含んでいると感じるようになりました。

自助が共助を破壊する

その理由は、近藤の指摘ともやや重なりますが、端的に言えば、自助の重要性を指摘し、促進することが、共助やその基盤の一つとなる地域コミュニティを破壊してしまうということです。

たとえば、吉原直樹(大妻女子大学教授、社会学)が行った、福島県相双地区における原発事故の避難行動に関する研究では、地域コミュニティは存在したけれども、実際の避難において被災者のセーフティネットとして機能しなかった現実を明らかにしています。

その背景として、東北全体で進んでいる過疎化の問題を指摘しつつも、避難者自身の行動、すなわち「「近くの他人」を思いやるより家族とか親戚をともなって自分たちの車で避難するのがごく自然な行動」といった、「個人化された避難行動」を指摘しています。すなわち吉原が指摘したのは、人々の生活のプライバタイゼーション(私事化)が進むことによって、地域コミュニティの共同性が失われるということなのです 。

このことは、自助のあり方について非常に示唆的です。もう一つの例を考えてみましょう。東日本大震災直後の一時期に、被災地をはじめ東日本全域でモノ不足が生じました。この原因について調査した関谷直也(東京大学特任准教授、災害情報・メディア論)は興味深い考察をしています。関谷によれば、多くの人々は冷静に通常通りの消費行動をしており、むしろ被災地の物資不足に配慮しながらの消費行動を取っていることを指摘しつつ、わずかな割合の人々が、余震や停電に備えて「合理的」に消費を増やした結果だというのです 。

もし、次の巨大地震が首都圏で発生し、より多くの人々が「合理的」に消費を増やそうとしたら、はたしてどのようなことが起こるでしょうか。東日本大震災以上にモノ不足は深刻化し、本当に必要なところへも物資が届かないということが容易に想像されます。

これらは、災害直後の話でしたが、より中長期的な被害軽減策についてもあてはまります。政府は東日本大震災後に南海トラフで発生する巨大地震の被害想定を見直し、M9.1 の巨大地震(いわゆる南海トラフ巨大地震)によって、最大で32万人が死亡するという衝撃的な被害想定を平成24年8月に公表しました。これはあくまで、起こりうる最大の被害を示したものであり、発生確率は低いとされていますが、「厳しい数字でも正面から受け止め、被害想定を前提として、一歩一歩着実に対策を進めることが基本。」(大臣記者会見資料より)として公表されたものです。

この公表を受けて、多くの想定被災地では動揺が広がりました。想定津波のあまりの巨大さに、対策そのものをあきらめてしまう人々も出始めているという話もしばしば耳にします。現在、こうした想定被災地の一部では、津波のリスクから逃れるために人口が流出し始めていると言います。たとえばNHKの報道によると、静岡県焼津市では震災前後で転入超過から転出超過に転じ、転出した人々の理由の3割が、津波・地震に対する恐怖を理由に挙げているそうです。

津波の危険から逃れるために居住地を変えるという行動は、その本人にとっては合理的な行動であり、自助による防災対策の模範と言ってもよいでしょう。しかし、残された地域はどうでしょうか。とりわけ移転したくてもできない低所得層や高齢層ばかりになった地域では、コミュニティの支え合いの機能が大きく毀損されることは明らかでしょう。

自助は公助も駆逐する

そういうときにこそ公助の出番だと言えるかもしれません。ですが、そうやって人口が減少していく地域に多くの政策資源を投入するということが、どれだけ正当化されるでしょうか。公助のレベルを決定するのは、民主主義の過程では、自助を求められている一般の住民です。したがって公助の水準が自助とはまったく独立に決定されるというわけではないのです。

筆者らが行った研究では、過疎地への防災対策について、国民全体としては35%が無条件で容認しているものの、地域の持続可能性を条件として防災対策を行うべきという意見はそれを上回り40%となっています。しかも、無条件で過疎地への防災対策を容認する意見は、年収300万円未満では38.6%に達するのに対して、年収900万円を超える層では31.7%と低くなっています。

すなわち、自助の能力が高い層ほど、公助に対して厳しくなる傾向がみられるのです。公助を拡大した場合の経済的負担は高額所得者ほど大きくなるでしょうから、ある意味これは合理的な態度だと言えます。自助が機能しないときにこそ公助の出番であるというのは国民的合意があったとしても、どこまで自助を求めるかということについては合意された基準はなく、「自助7割」論が、結果として社会で求められる自助の水準をどんどんと引き上げていく可能性は否定できません。

これは余談になりますが、大規模な防災投資の負担のあり方についても、人々は利己的に判断している様子がみられます。筆者らが行った別の調査によれば、高齢者層や子ども・孫のいない層は、防災対策の費用負担を将来世代に転嫁する傾向があります 。これも、防災投資が自分や子孫を守るための費用負担と考えれば、合理的な反応です。

しかし、そのような傾向を前提とすれば、少子高齢化が進行すればするほど、防災対策の費用を進んで負担する人は存在しなくなるでしょう。その結果、短期的な効果が期待できるハード整備がますます重視され、まちづくりや土地利用規制といった抜本的な対策には手が付けられず、それでいて、その費用は将来世代に転嫁されていきます。筆者は、安倍政権が現在進めている「国土強靭化」には、そうした傾向がないか若干危惧しているところです。

 予想される反論――「釜石の奇跡」は自助ではないのか?

ここまで読んでも、「自助7割論」が害悪だという主張には納得できないという読者からは、次のような反論が聞こえてきそうです。筆者は「釜石の奇跡」を知らないのか。あの大津波を生き延びた釜石の子どもたちは、まさしく行政や周りの大人を頼りにせず、自らの意思で率先して逃げたではないか。自助を否定することは、釜石の実践を否定することではないのか、と。

ここで、「釜石の奇跡」について改めて説明しておきましょう。岩手県釜石市では、市内の小中学生は地震の発生後、即座に避難して、99.8%が生存することができました。行政に指定された避難所まで浸水したにも関わらず、です。

その背景には、8年に及ぶ徹底した防災教育がありました。いくつかの小学校では児童が多数、津波に巻き込まれるなど悲惨な被害が明らかになる一方で、釜石のこの事例は私たちが見た一つの希望でした。誰が呼びはじめたかは今でははっきりとしませんが、いつの間にかこの事例は「釜石の奇跡」と呼ばれるようになり、防災教育の成功事例として世界的にも有名になりました。

釜石での防災教育に中心的かつ指導的な役割を果たしたのは片田敏孝(群馬大学教授、災害情報)です。片田は、徹底的な自助論者です。これまでの防災を行政による「災害過保護状態」として徹底的に非難します。そして、「行政がやってくれないから、しかたなく自分たちでやる」といった、「受け身の自助」も否定します。

片田が重視しているのは「内発的な自助」です。それはすなわち、「親として家族を守りたい、地域の若者としてみんなで安全を守り抜きたい、そのような内なるものとして沸々と湧いてくるような自助のこと」だと言います 。それがあって、初めて災害からいのちを守れるのだと。

私は、この片田の主張に反論すべきことは何一つありません。むしろその本質を突いた洞察と実践に感動を覚えたものの一人です。そのうえで、あえて問題を掘り下げてみたいと思っています。それは、「内発的な自助」を生み出す原動力は何なのでしょうか、ということです。

そこで、片田がどうやって子どもたちに避難の重要さを教えたかについてみてみましょう。片田の著書から引用します。

あるとき、子どもたちにこう聞きました。

「この次の津波がきたとき、君たちはきっと逃げるだろう。でも、君たちのお父さんやお母さんはどうすると思う?」

子どもたちの顔が、一斉に曇ります。なぜかわかりますか。

「お父さんやお母さんは、僕を迎えにくると思う」

迎えに来るとどうなるか、というところに、子どもたちの思いは及ぶわけです。そこで私は、不安そうな子どもたちにこう語りかけます。

「今日、家に帰ったら、お父さんとお母さんに『僕は絶対に避難するから、お父さん、お母さんも必ず非難してね』と伝えなさい。お父さんやお母さんは、君らが逃げることを信用してくれないと、迎えに来てしまう。だから『僕は絶対に逃げるから』と、信じてもらうまで言うんだよ」

(片田敏孝(2012)『人が死なない防災』集英社新書, pp.90-91)

子どもたちは、自分が助かりたいから、自分が死なないように、という思いで避難をしているわけではありません。むしろ、子どもなりに、自分の大事な父母を守りたいという思いが、子どもたちの避難行動の強い動機となっていったのです。これを可能にするのは、片田も指摘しているように、家族間の強い信頼関係です。そして、学校と保護者の間での信頼関係も不可欠であったでしょう。

また、片田は、釜石の海の恵みの素晴らしさを指摘しながら、その恩恵を受けるためには、津波のリスクと向き合って暮らしていく必要性についても子どもたちに説明しています。津波の恐怖と真正面から向き合い、それでもここで暮らす、その時のために備えるという気持ちに子どもたちがなれるのは、その土地への愛着があるからに他なりません。

このように考えると、片田がいう「内発的な自助」とは、釜石という土地に根付いた人々の共同体としての意識や信頼関係があって初めて生まれてくるものであったといえるのではないでしょうか。片田の防災教育とは、「コミュニティの中で他者とつながっている自分」と「自然の恩恵にあずかりながらリスクを負っている自分たち」の存在を自覚させ、自分の命のかけがえの無さを自覚させたことに大きなイノベーションがあったように思われます。

このことは、自助が先にあって、それを支えるために共助があるという補完性の原理とまったく逆の構造です。逆に共助の基盤があるからこそ、自助が促進されるという関係があるように、私には感じられるのです。

そしてこのような見方は、決して私だけのものではありません。世界的には、コミュニティの一員であるということの意識が、防災や復興を促進するという研究成果が多くみられます。以下にいくつか紹介しましょう。

社会関係資本が支えるレジリエンス

最近の防災では、直接的な被害を減らすだけでなく、生じた被害からいかに速やかに社会経済活動を回復させていくかということにも関心が高まってきました。こうした災害からの回復力は「レジリエンス」と呼ばれ、国内外を問わず防災業界のキーワードとなっています。

わが国でも、レジリエンスを高める施策として、企業の事業継続計画(BCP)の促進が行われてきました。BCPの普及が進めば、大災害が発生してある企業の生産活動が停止しても、代替的な企業と速やかに取引が開始されることで、わが国の経済活動は維持されると期待されてきたからです。

しかしながら、東日本大震災ではこうした期待は大きく裏切られました。国際的な競争の激化によって、多くの代替的企業は淘汰されていたため、一部の企業の生産物に多くの企業が依存しているということが、震災後に初めて明らかになったのです。そしてその企業の生産活動が中断したことで、震災直後の我が国の製造業の活動水準は大幅に低下しました。このことは、個々の企業の自助努力によるBCPの作成には大きな限界があったということを意味しています。

もちろん、被災企業は手をこまねいていたわけではありません。各社総力を挙げて、生産活動を回復させていきました。大手自動車メーカーの生産活動は、2011年6月頃にはほぼ通常の水準に戻ったといわれています。その回復のスピードには世界が驚きました。

なぜ、日本企業はそのような速やかな回復を遂げたのか、このことについて調査したイギリスの経営学者オルコットとオリバーは、日本企業のサプライチェーンの企業間にソーシャル・キャピタルの蓄積があったことを指摘し、それが速やかな相互応援や資源動員を可能にしたと分析しています。

「自分たちが供給責任を果たさなければ、世界中の企業の生産活動が止まってしまう。そう考えると、自分たちは絶対に生産活動を止めてはいけないと思った」「日本のものづくりを止めてはいけない」といった人々の声を紹介しながら、企業コミュニティの一員としての責任感が、早期復旧の原動力となったと彼らは指摘します。

もう一つの例を紹介します。アメリカの経済学者チェムリーライトとストアは、2005年にハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオリンズにおいて、著しく人口回復の早い地域があったことに着目し、それがなぜかを分析しました。そのコミュニティとは、東ニューオリンズ地区にあるMQVNとよばれるカトリック系ベトナム人コミュニティのことです。カトリーナにより、彼らの居住地域はほぼすべて水没しましたが、水が引くとライフラインが回復するのも待たずに帰還をはじめたのです。

それはなぜなのでしょうか。二人の結論はこうです。このコミュニティでは、カトリック教会を中心として宗教的なサービスを提供するとともに、ベトナム語の教育やベトナム食材の販売、さらにはコミュニティにおける社会的活動のためのスペースの提供など、コミュニティに帰属する人々へ貴重なサービスを提供していました。

こうした、コミュニティに帰属している者のみが利用できる公共財のことを、経済学ではクラブ財と呼ぶのですが、MQVNから離れることは、このクラブ財の恩恵を一切受けられなくなることを意味します。言い換えれば、MQVNに多くの住民が速やかに戻ってきて、その地域での生活再建に努力したのは、その地域でしか得られないクラブ財の供給をコミュニティが担っていたからに他ならないのです 。しかも、クラブ財は、人々のベトナム人としての、カトリック教徒としての文化や誇りを守っていく上で必要不可欠なものだったのです。

以上紹介した二つの事例もまた、共助が自助を促進しているということの証左ではないでしょうか。

共助を柱とした、新たな防災パラダイムへ

これまで私が述べてきたことは、自助を強調するだけでは防災は進まないどころか、むしろ弊害が多いということ、そして自助が機能するためには、その基盤としての共助が充実しなければならないと言うことに尽きます。そのような観点から、最後に今後の防災のあり方について具体的な提言をしてみたいと思います。

第一に、われわれ日本に暮らす人々は、多かれ少なかれ運命共同体であるという意識を改めて醸成することが必要だと思います。道徳教育を強化するべきと言いたいのではありません。数年に一度で構わないので、我が国のシステムの大部分を一時停止させるような大規模訓練を実施してみてはどうでしょうか。

私は日本の大都市部では郊外への一斉避難訓練が必要だと真剣に思っていますが、そのような局面では、自助の名の下に各人が野放図な行動を取ることが、いかに深刻な問題を引き起こすかが明らかになることでしょう。企業間の相互連携BCPの作成など、一斉の訓練であるからこそ人々が共同して取り組むことができることは多いはずです。そしてこうした訓練は、我が国の社会関係資本の向上に大いに役立つことと思います。

第二に、人間への投資を真剣に考えるべきです。地域コミュニティの多様な資源をつなぎ、活性化するための人材を育成し、全国に配置していくことが必要だと思います。必ずしも防災分野だけに限る必要はありません。若年層の失業が社会問題化しているように、人材の卵は地域に多く眠っています。こうした人々が地域コミュニティのために活躍できる機会を創出していくべきです。

筆者は、東日本大震災以降、被災失業者の雇用機会の創出のための活動や調査研究を行ってきましたが、被災失業者が被災者の支援に関わることによって、コミュニティとしての一体感や帰属意識を高めていることがわかってきました 。こうしたことは平時における取り組みでも期待出来ることだと思います。

第三に、防災に関わらず、様々なリスクを対象として取り組みを進めるべきです。たとえば、新型インフルエンザへの対応において、地域コミュニティの機能はほとんど議論になっていません。ですが、政府による緊急事態宣言が発表され、不要不急の外出が制限される事態になったときには、コミュニティの中で多くの弱者が孤立することが予想されます。

介護事業者も通常通りの業務を継続できず、これまでの災害事例からも、過剰な外出自粛ムードが蔓延するように思います。現在の新型インフルエンザの行動計画でも、この部分はほとんど認識されていないように思います。これは一つの例ですが、そういった様々な事案を防災の射程に加えることによって、コミュニティにおける当事者を増やすことができるのではないかと思います。

サムネイル「生田新道 東急ハンズ三宮店東側」松岡明芳

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プロフィール

永松伸吾災害経済学 / 防災・減災・危機管理政策

関西大学社会安全学部教授。1972年福岡県北九州市生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士後期課程退学、同研究科助手。2002年より神戸・人と防災未来センター専任研究員。2007年より独立行政法人防災科学技術研究所特別研究員を経て2010年より現職。日本災害復興学会理事。2015年より南カリフォルニア大学プライス公共政策大学院客員研究員。 日本計画行政学会奨励賞(2007年)、主著『減災政策論入門』(弘文堂)にて日本公共政策学会著作賞(2009年)、村尾育英会学術奨励賞(2010年)など。

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