2015.02.24
性的マイノリティの老後――暮らし、老い、死ぬ、生活者の視点で語りたい
(はじめに)下記拙稿では多くの場面で「ゲイ」を「性的マイノリティ」全体の意味で用いています。このことが性的マイノリティ内部の差異を無化しているとのご批判は甘受しますが、適宜、ご自身の情況に合わせて読み替えていただければ幸いです。また、私たちは性的存在であることやマジョリティ/マイノリティの関係性(権力性?)に意識的でありたいとの点から、LGBTではなく「性的マイノリティ」の語を使用しています。
「ゲイとしての老後」のロールモデルが見当たらない
編集部からの依頼で、「性的マイノリティと老後」というテーマで寄稿することになったが、このテーマに読者はなにをイメージされるだろうか。
このシノドスでも性的マイノリティにかんして、性や人権の教育、いじめ問題、生きづらさ問題、あるいは同性婚……といったテーマはよく紹介される。だが、「性的マイノリティと老後」には、どんなイメージが浮かぶだろうか。そもそも性的マイノリティのなかには若者だけでなく、中年もいれば高齢者もいることは、読者に認識されているだろうか(当たり前の話だが)。
私は1966年生まれ、今夏で49歳を迎えるゲイだ。80年代中期に上京、はじめて買ったゲイ雑誌の情報をもとにゲイサークルなどのコミュニティ活動に参加した。折から90年代の「ゲイブーム」。一般メディアに突然ゲイ情報があふれ、そのあおりを受けてゲイ当事者の活動が活気づいた。サークルで、バーで、クラブで、「こんなに仲間がいる」「いまのままの自分でいいんだ」「一生をゲイとして生きていきたい」と自分を受け入れた、私もそんなゲイの一人だ。
それから25年がたった。当時の若者も25歳、年をとって、いまやリッパな中年だ。若いときは「いまのままの自分でいい」だったが、40歳も超えると「いまのままの自分じゃダメ」とばかりに、加齢の現実は否応なく身に迫る。仕事はますます忙しい。保険や不動産、貯蓄など財産的なことも考えなければならない。身体的・メンタル的な発病、はては早逝することもある。親の介護もあったりする。「ゲイとしての一生、老後」とは言ったものの、それらを一人で、あるいは法律的には認められていない同性のパートナーと、どう超えていけばいいのか……。50歳か60歳ぐらいから先の人生が、見えないのである。
そこで上の世代はどうしたのだろうかと目を転じると、上世代はまだ社会の差別意識が根強く、異性と結婚するのがあたりまえだった。彼らは家庭をもって異性愛者のライフスタイルを送っており、「ゲイとしての老後」のロールモデルとはなりにくいのだ。
生きる意味の欠落と「ゲイの病い」
ロールモデルの不在は、たんに老後不安を招来するだけではない。同世代の異性愛者に目を転じれば、彼らの多くが結婚・出産・子育てのなかで社会の再生産に寄与し、いわば「人生の春夏秋冬」を感じ、自分なりの「生きる意味」を噛み締めている。その一方で、ゲイは「自分は人生をなにで埋めるのか?」「自分にとっての春夏秋冬は?」という、実存的ともいえる問いを抱くこともある。
いま、試みにツイッターなどで「ゲイ 老後」で検索してみれば、つぎのような類いのコトバが拾えるだろう。
「自分の50代の姿が想像つかない」「きれいなうちに死んでしまいたい」
「ゲイが刹那的な快楽を求めてしまうのは、将来に希望をもてないからだと思う」
「ゲイであることは変えられないし男が好きだけど、結婚したいし子どももほしい。社会的体裁も老後の不安もある。家族もいなくて、一人で、誰が面倒みてくれる? 考え出したら止まらない。本当に自分の人生はこれでよかったのか」……
これらはみな、20代の若いゲイたちの言葉だ。ロールモデルの不在は若い世代の生きる気力をも殺いでいるのだ。
ゲイコミュニティの一部には、こうした不安に堪えきれず、性急に人生を埋める答えを探すかのように、薬物、飲酒、恋愛、セックス、仕事などへ過剰に耽溺する仲間もある。「Sex and the City」まがいの一見、華やかなゲイの姿は、ジェットコースターのように上下しながら生き急ぐ、もう一人の私の姿に思われる。そしてそれは、うつ、HIV、自死など「ゲイの病い」の現実にもつながっているのだ。
「何のために生きているのか」に答えうる生身で等身大の人生(老後)イメージの欠落と、そこから来る存在不安。これがゲイの老後問題の本質ではないかと私は考えている。
ゲイにもライフプランニングがあった!
こうした現実にどう立ち向かうのか?
ゲイコミュニティで「老後」が話題になりはじめたのは、90年代の若者の先端部分が40代に差しかかり始めた2000年ごろからだった。その当時も、パレード、欧米のニュースや同性婚、オープンリー政治家、ウン兆円のLGBT市場、企業が協賛……などのキラキラした話題がゲイメディアにあがり、それが私たちの老後の不安を払拭し、希望を託するものとして耳目を集めることもあった。
だが、これは私個人の感想だが、1日の祝祭はそのあとの364日を支えられるのか。生を終えるまでの10年、20年、それ以上のスパンを支えられるのか。企業頼み・市場優先には新自由主義の現実もあるのではないか。「進んだ」海外ではなく、日本で生きる日常の視点を欠いた話題は虚しく聞こえたし、すでに中年にさしかかろうとしていた私には、キラキラし続けるには実際、体力を欠いていた。
コミュニティには社会の異性愛中心主義を手厳しく批判する論客もいたが、舌鋒鋭い批判がかならずしも社会の変化に繋がっていかないことも、中年になるまでに少なからず見てきていた。
フェミニズムとは自分の半径10mを機嫌良く暮らせるようにすること――上野千鶴子さんの著作で読んだ気もするが(定かではない)、ゲイの活動もまったく同じだろう。私は、同性婚はおろか人権擁護法制さえないこの国の現実で生きのびるため、暮らしやお金、老後などにかんして具体的な生活の場面を一つひとつ洗い出し、自分はそのときどうなるのか、回避できる方策やよりよくやる方法はあるのかを考えてみることにした。〈ゼニ・カネ・老後〉の現実のまえには、メディアに美化された「ゲイライフ」も、嫌でもリアルで等身大の姿をさらさざるを得なかった。
社会へ出たあと編集者やライターとして仕事をしていた私は、いつしか「ゲイの老後」を自身のテーマとしていた。小さな季刊誌の発行(『にじ』、2002〜04)やゲイ雑誌・一般誌紙への寄稿、そして現状の制度のなかで法に規定のない同性カップルがどこまで、なにができるかを調べあげた『同性パートナー生活読本――同居・税金・保険から介護・死別・相続まで』(2009、緑風出版)を上梓した。
その後、あらためてフィナンシャルプランニング技能士(FP)の勉強をし、お金や保険、不動産、社会制度に関する知識を体系的に学んでみると、私たちの暮らしや老後にとって「世の中はそうなっていたのか!」「これは使える!」と思える知識がいろいろあった。同時に、「テキストは「標準家族」を例にしているが、これがシングルや、法律に規定のない同性パートナーとの暮らしだったらどうなる?」「ゲイに多いHIVやうつの人はどうすればいい?」「マイノリティに対して職場の理解がともなわず、離職が多く非正規や低所得の人は?」という疑問もつぎつぎ沸いた。
それで、2010年からは執筆ではなく、「同性愛者のためライフプランニング研究会(LP研)」を立ち上げ、新宿二丁目のコミュニティセンターaktaで語ってみることにした。同性愛者にもライフプランニング(人生設計)がある――これは一つの発見だった。
老後とか暮らしとか、いずれも地味なテーマだ。テーブルを囲んで5、6人の車座勉強会を想定して当日の蓋を開けたら、第1回は押すな押すなで50人ほどが詰めかけた。「同性愛者のライフプラン」「老後情報」へのニーズがこれほどまでにあったのだ。その後もテーマによりけりだが、月例会には30人から40人前後の参加があった。親の介護や生命保険、不動産はとくに参加者が多かったテーマだった。LP研の内容は、『にじ色ライフプランニング入門――ゲイのFPが語る〈暮らし・お金・老後〉』(2012、太郎次郎社エディタス)にまとめた。
こうすればゲイも老後を迎えられる
当初は私一人で呼びかけたLP研だが、いつしか仲間が集まり、2013年春、NPO法人パープル・ハンズが設立された(認証は同年8月)。そのさい同性愛者の冠をとって性的マイノリティ全体を対象とすることにした。性的マイノリティの高齢期を考え、つながる場として、LP研(勉強会)のほか、カフェや電話相談をコツコツと続けている。
また、私ごとながら同年、行政書士の資格を取得し、登録・開業した。法律家のハシクレとして、現行の法制度を十分活用した高齢期サポートの提供に、仕事としても取り組みたいと思っている。
足かけ5年のLP研などの活動から見えてきたのは、「自分が死ぬまでお金はもつのか」「故郷に置いてきた老親どうする」「子のない自分の老後はどうなる」に多くの人が悩んでいることだった。私はこれをゲイの三大難問と呼んだ。それに応えるのがライフプランニングだ。
ライフプランニングというと富裕層の蓄財話と聞こえるが、まずは現行制度の熟知と活用、加入が義務の社会保険をベースとした生活防衛策を語った。なるたけ金を使わない方法、使うならゲイの現実にあった使い方を編み出そう――それがLP研の持ち味だ。同性婚がないから生命保険に入れない、とよく話題になるが、子どもがなく共働きならそもそも生命保険に入る必要がない、その分のお金は違う使い方をしたほうが賢明では、というのもその一例だ。入院だって、社会保険(健康保険の高額療養費等)でじつはなんとかなる。
むしろ、結婚や家族の制度に守られていないぶん、自己決定と書面などによる外部への表示が大切だ。相続における遺言、発病・意思不明時に備える緊急連絡先カードや医療の意思表示書などはその典型だ。そして、究極、これらは自筆でも作成することができる(書式例も『にじ色ライフプランニング入門』にすべて掲載しているし、LP研等でも紹介している)。実際、LP研などでも個人情報保護法のために「家族でない」として病室に入れなかったとか、医師からパートナーである患者の情報を聞けなかったなどの経験が報告されている。
LP研は、カネのある人狙いの「ここだけの、おトクな情報のご紹介」ではない。こうすればゲイも老後まで(そこそこ)生きていけるのではないか、それを「ライフプランニング」という補助線を引いて、技法の点から保障しようというのがその趣旨である。いわばゲイなりの「人生の春夏秋冬」「人生の型」を作りたかったのだ。政府や経済界から強制される「自助努力」には強い警戒を示したいが、「ちょっと努力が必要だけど、私たちにもできることがある」「あなたも一緒に歩もう」「だから早く死にたいなんて言わないで」――当事者へ本当に伝えたいのは、このメッセージだ。
「情報センター」型NPOから「独自事業」型NPOへ
LP研は現在もパープル・ハンズの基幹イベントとして継続している。2014年度は、高齢期を考えるための社会のさまざまなセクターと繋がるシリーズとして、非当事者のゲストをお招きしてきた。当事者だけでは老後は送れない。介護のケアマネージャー、中野区社会福祉協議会のかた、不動産業者、区内の葬儀業者……。はじめはオファーを受けて、おっかなびっくりのゲストもいたが、終わってみるとお互いに「へーーー」という繋がりが生まれた。今後はシェアハウスに取り組むかたや、お墓を考えるために宗教者のかたとも繋がりたいと思っている。
中年以後の当事者が、(ゲイバーなどの場では話題にしづらい)介護や老後のテーマを語りあう「パープル・カフェ」も、貴重な場として続いている。
2014年の春には、創立1周年のイベントとして、「おひとりさまの老後」でも知られる上野千鶴子さんの講演会を開催し、当事者/一般をあわせ約100名が参加した。「在宅ひとり死」を精力的にフィールドワークする先生の話は、いたずらに「孤独死」におびえる当事者の視点を変えたのではないだろうか。
現在のパープル・ハンズは、「情報センター」型NPOと言ってよいだろう。将来は「独自事業」型NPOへ脱皮していけたらと思っている。
・ ライフプラン相談、カップル間での任意後見や遺言作成などの法務サポート提供
・ 高齢一人暮らしゲイなどへの見守りサービス受任
・ 死後事務受任(遺品片付け、遺言執行等)、葬儀(コミュニティ葬)や合同墓(にじのお墓)の運営
・ 単身者の集住支援(いわゆるシェアハウス。空き家を借り受けてなども)
そんな当事者向け事業を夢見ている。また昨年、助成金を得て事務所のある中野区内の介護事業所へ、これからニーズが顕在化する性的マイノリティやHIV陽性者についての研修会を開催した。こうした社会環境の改善も、並行して進めていくつもりだ(介護職の当事者ともつながりつつある)。
人頼みではなく、「欲しいものは自分で作る」
性的マイノリティの活動をする団体には、社会へ向けての啓発を主眼とするところもあれば、パープル・ハンズのように当事者支援(というか、当事者コミュニティの構築)を行なうところもある。現在、啓発系団体の努力により性的マイノリティの情報は浸透しつつあり、社会もまた「聞く耳」を持ちはじめた観がある。むしろ、いまいちばん変わらなければならないのは、当事者自身かもしれない。
70年代、女性たちは「わかってもらおうは乞食の心」(田中美津)と喝破し、わかってほしいと男にすがるのではなく、女たちの自前のネットワークを築いていった。
80年代、障がい者は施設で手厚く保護される福祉を拒み、「当事者主権」を合い言葉に自立生活センターを作って町で暮らしはじめた。
もちろん性的マイノリティには、「生きづらさ」に寄り添う社会的理解も包摂的な施策もまだまだ必要だろう。それに取り組む事業もある。だが、他のマイノリティ領域の当事者たちが過度な庇護に背を向け、「欲しいものは自分で作る」「私たちはそんなにカワイソウじゃない」と、みずからの足で立ち、切り開いていった道を、私たち性的マイノリティも歩めないはずはない。政治も悪い、社会も悪い、メディアも悪いし教育も悪いだろう。しかし、それでも私は生きていかねばならないし、老いもする。メディアや企業がちょっとLGBTを取り上げてくれた、と一喜一憂している場合ではない。
パープル・ハンズには、どちらかというと、自分を〈福祉イメージ〉に当て嵌められるのが苦手な人が集まるようだ。あなたのマスコットにはならないよ、せめて半径10mは仲間と機嫌良く過ごせる環境は自分で作る――そんな〈自立する小さな共同体〉とそれがDNAチェーンのようにも連なるイメージを、私は性的マイノリティの老後の生存戦略として抱いている。それは自分のためでもあり、上の世代として、最初に紹介したツイートの若いゲイたちのためでもあるから。
シノドスは一般読者を対象としているメディアだが、私は拙稿をなによりも当事者へ向けて書いた。ただ、性的マイノリティの「当事者」はつねにグラデーションだ。パープル・ハンズも「性的マイノリティおよび多様なライフスタイルを生きる人びと」のNPOである。拙稿が「非当事者」とされる人にもなにか得るところがあったなら、望外の喜びである。
■パープル・ハンズ
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ツイッター https://twitter.com/PurpleHands_net
活動お知らせブログ http://nijiirolifeplan.blog.fc2.com/
プロフィール
永易至文
1966年生まれ。フリー編集者・ライターとして、同性愛者の〈暮らし・お金・老後〉をテーマに等身大のリアリティを求めて執筆を続ける。2013年、執筆だけでなく、自分が専門家となってサポートを提供しよう、と行政書士およびFP資格を取得し、東中野さくら行政書士事務所http://nijiirolifeplanning.jimdo.com/を開設。法に規定のない同性カップルのほか、おひとりさまやHIV陽性など、個々の事情にあわせたライフプランサポートを行なっている。同年、仲間とNPO法人パープル・ハンズ設立、事務局長をつとめている。