2015.02.20
最貧困女子のリアル
衣食住も確保できず、セックスワークに従事する――可視化されにくい女性たちの貧困をえがいた『最貧困女子』(幻冬舎新書)が大きな話題となった。著者であるルポライターの鈴木大介氏と、最貧困女子の「リアル」に迫る。TBSラジオ・Session-22「最貧困女子のリアル」より抄録。(構成/八柳翔太)
「最貧困女子」との出会いかた
荻上 今回のゲストは、ルポライターの鈴木大介さんです。
鈴木 よろしくお願いします。
荻上 ご著書の『最貧困女子』は、通常では取材されにくいような人を、取材対象としていますね。どのように取材のアプローチをしているんでしょうか。
鈴木 街中に立って、彼女らを優先的にセックスワークに取り込んでいる人たちっていますよね。たとえばスカウトさんであるとか、ホストさんであるとか。とくにスカウトさんというのは、最貧困女子だけでなく、働き口として貧困男子の受け皿にもなっているので、取材のルートとしてよく使っています。
荻上 そもそも今回、「最貧困女子」について取材しようとお考えになったきっかけは、何だったのでしょう?
鈴木 今回の本は、言ってみれば「まとめ本」です。僕はずっと、このテーマで取材をしてきました。モチベーションは、自分の中の憤りです。貧困とかネグレクトがある家庭に育って、そこからそのまま売春、セックスワークに回収されてしまう、捕捉されてしまう、未成年の女の子。そのうえで、なんでこんなに差別や批判の対象にならなければいけないのか。そういう憤りです。
荻上 「最貧困女子」というのは、具体的にどういった方々のことを指しているのでしょうか。
鈴木 貧困にもいろいろあると思うんですが、その中でもとくに、排除の結果としてセックスワークに従事している女性たちの事ですね。
「低所得と貧困は違う、貧乏と貧困は違う」と社会活動家の湯浅誠さんがずっと言いつづけていますよね。それを、2013年の取材で物凄く痛感しました。「貧乏だけれどもハッピー」という層が増えてきて、コントラストがよりはっきりしたんでしょうね。
貧困のなかにいる女性は、世の中からクローズアップされています。「見えている」わけです。いっぽう、セックスワークに従事している「最貧困女子」の方々は、可視化されていない、「見えていない」。見えていなければ支援のしようもないですよね。抱えている苦しみの大きさはどちらも変わらないのに、かたや可視化され、社会問題化され、かたやまったく排除されている。気に食わないなあ、と思います。
荻上 売春をした段階で、「勝手に社会の裏側に行った自己責任」として、非難の対象になってしまいますね。貧困と貧乏の違いについてですが、貧乏というのはひとまずはお金がない状態です。例えば財布の中にお金はないけれども実家にいるとか、あるいはまわりに友達がいるとか、今月は金欠だけれど来月には収入があるとか……。こうした、たんにお金がないというだけだったら、それだけでアウトというわけではない。
いっぽう、貧困だと、たとえば仕事もない、それから絆もない、そもそも教育を受けていない。自分自身が自分自身を嫌っているので、生きていくモチベーションも沸かない。そういう状況ですよね。これまでそうした枠組みの中ですら語られなかった「最貧困女子」たちについて書かれた本が、遅ればせながら話題になっているという格好ですね。
「3つの無縁」と「3つの障害」
荻上 『最貧困女子』のなかでは、こうした「最貧困」に陥りやすい方の条件が、いくつか定義されていますよね。具体的に、「3つの無縁」と「3つの障害」というものが挙げられていますが、まず「3つの無縁」というのは、何を指しているのでしょうか。
鈴木 まず、「家族の縁」がカットされている。次に、友達であるとか、遠い親戚であるとか、そういう「地元の縁」がカットされている。加えて、「制度の無縁」ですね。
「最貧困女子」の方々と接していてよく思うのは、公的扶助の対象であったり社会福祉の対象であるはずの彼女らが、そういう制度的なものを毛嫌いしている傾向がある。劣悪な家庭で育っている女の子たちの多くは、小学校の5、6年生ぐらいの段階から地元の、非行のコミュニティのなかで何度も警察のお世話になったりしています。捕まれば、結局連れ戻されるのは虐待される家だとか、帰りたくない施設だとかなわけです。
なので、嫌なところに連れて行っちゃう人、教条主義を押しつけてくる人、制度についてそういうものとセットで捉えてしまっているんですね。
荻上 なるほど。行きたくない学校にまた行かされる、とかですね。
鈴木 そうですね。彼女らっていうのは不自由の中で生きてきて、路上で生活をするだとか、売春をするだとか、非行に走るだとか、そういうことをするなかで、当然自由も得ているわけですよね。なんですけれども、押しつけられる支援にかんしては、そこに不自由がいっぱいあるので……。
荻上 はい。条件がいっぱいついていますからね。制度というものをそもそも知らないということもあるし、不信感もある。そうした中でこの、家族、地域、制度、この3つから無縁になってしまっている。3つの無縁。これってまさに今政府が強調している自助・共助・公助ぜんぶに当てはまりますよね。そのどれからも零れ落ちている。
鈴木 まさにそうですよね。次に、「3つの障害」。これは、知的障害、発達障害、それから、精神障害的なもの、という3つなんですけれども。
荻上 取材してると、間違いなくそうだろうなっていう人、あるいは、たとえばお薬手帳を持っている人にもよく会いますね。
鈴木 そうですね。療育手帳にかんしては本当にレアケースで、この本にそれを書いたことで、まるで路上で売春してる人はみんな知的な問題を抱えている、と思われてしまったら本当に大間違いなんですけれども、それをあえて書くことで、「自己責任論」封じの最終兵器にしたいという思いがありました。自己というものがそもそも崩壊してるんだったら、自己責任もクソもないじゃないか、ということですね。そして、この3つの障害ゆえに、3つの無縁という問題が起きてくるという側面もあります。
荻上 3つの無縁が3つの障害をさらに困難にさせる、という関係もあるわけですよね。
鈴木 そうですね。おたがいに困難にさせ合うという事ですね。
「援デリ」と店舗型風俗
荻上 大介さんが取材された「最貧困女子」の方々というのは、具体的にどういった生活をされているんですか?
鈴木 未成年に関しては、長期間売春をするということになっていくと、個人的な売春でなく、管理された売春ということになっていきますよね。なおかつ都市部であれば、性風俗の世界に入るのにも、年齢確認的に無理があるので、よりアンダーグランドの売春のほうに、回収されてしまう。
東京だと、取り締まりが厳しいので、郊外に連れていって、そこで売春させるだとか。「援デリ」(※「援助交際デリバリー」の略、SNSなどネット系のツールを使って売春を斡旋する仕事)などの組織に、取り込まれる場合もあります。
荻上 自分ひとりで切り盛りできる人は、「援デリ」でつるむ必要はないと思うんですね。大介さんの取材された「援デリ」の人たちというのは、客引きとか、あるいは愛想のいい文面を考えて投稿するとか、そうしたひと手間を独力でこなすのが難しい部分があるから、複数人で組むことにメリットを感じているのかなと思いました。どうですか?
鈴木 じっさい売春というのは、肉体的にかなりハードワークです。自分でお客さんを取ろうと思っても、それはむずかしい。そこを、「援デリ」業者というのは、「がんばっていこうよ」みたいな感じで強制的に客をつけるわけです。1日3本とか4本とか。自力で3本4本つけられる子なんてまずいないので、女の子らからすると、しんどいけれども高所得をつくってくれる、という部分もあります。
荻上 チームでやってると、トータルのお金を配分することもできる。リスクも分散できますよね。そのぶん分け前を取られもするので、良し悪しはあるわけですけれども。
鈴木 ただ当然、客と業者と女の子の、数のバランスっていうものがあるので、そんなに昔ほど、女の子たちも稼げるわけじゃないですね。これだったら自分で客取ってたほうがよかった、みたいな事もあります。たとえば業者さんと折半するっていう話になると、通信費を別にすれば、1日2本以上こなせなかったら自分で客取ってるほうがいいわけですよ。そういう感覚で言うと、結構すれすれのところで勝負してる感じになっています。
荻上 最初から折半するくらいなら、風俗で働けばいいじゃないか、と思うかも知れないですよね。風俗だと折半だけど、ひとりでやっていれば全額貰えるから、そこにポジティブな意味を見出して、あえてストリートで売春する人もいます。
風俗店で働けない理由があって、かと言って個人で稼ぐこともできない。そういう中間的な人たちが、「援デリ」とかそういったグループにスカウトされていくという回路もあるわけですよね。
鈴木 ありますね。やっぱり風俗嬢ってプロの仕事なわけです。誰にでもできる仕事ではない。面接でまず容姿条件があるし、非挿入のセックスワークっていうのはそこをテクニックで埋めているわけなので、そこはもう、職人さんなわけですよ。「素人っぽいのがいい」とお客さんは言うらしいんですけれども、テクニックがなければ指名はつかない。
荻上 「素人っぽい」はあくまで雰囲気の話であって、本当に何もしない人がいいと言ってるわけではないんですね。また、「テクニック」と言うのは、オーラルセックスとかのプレイの話だけじゃなくて、社交性が問われてくるというのもあります。
鈴木 風俗というのは恋人感覚と言うか、時間貸しの彼女というかたちの商売になってきているので、本人がもともと持っている資産、コミュニケーション能力であったりだとか、人生経験であるとか、そういう部分が露骨にでてきますよね。
2014年の、1月2月3月くらいでしょうか、地方のセックスワーカーの状況の変化について、集中的に取材したんです。昼間は一般職に就きながら、デリヘルに週1日、2日だけ勤める、というような女性が増えてきているという話を聞いて、早速お店の協力を得て何人か取材させていただいたのですが、多くの方は、原田曜平さんが提唱したいわゆる「マイルドヤンキー」ですよね。親の縁であるとか、地域の友達の縁を大事にしつつ、低所得でも、ある程度のQOL(=Quality Of Life)で生きていくということを、選んでいる層ですね。
荻上 そうですね。だから、セックスワーカー全体を「辛い人」「困ってる人」というふうには括れません。社交性があってうまくやっている人もいるし、ほかの仕事にはない出会いをそこで経験したり、短期間で貯金したりもできる。そういうふうに風俗業界で適応できる人が、店舗で長く働くことができる。
その一方で、大介さんの取材対象である「最貧困女子」たちの場合のように、風俗業界でも働けない、店舗などに適応できない、あるいは働きたくないけれど働くという人も多くいるわけですよね。ストリートのそうした層は、これまでも可視化されにくかった。
鈴木 社会状況が変わって、「週1デリヘル嬢」的なライトな層が参入してくることで、ギリギリ働けていた子たちが排除されてしまっているという問題がありますよね。
昔、店舗型の風俗がもっと盛んだった頃、デリバリーヘルスにはもっとメンタルを病んでいる女性だとか、「ワケあり」の「ワケ」が結構深い女性が多かったんです。店舗型の風俗というのはキャストが近くにいますよね。デリバリーヘルスの場合だと、基本的に密室に女の子を送り込んであとは業者さんは管理できない状態になるわけですよ。より危険性が高い現場だということで、より「ワケあり」の女性が、デリバリーヘルスには多かったんです。
でも、店舗型風俗っていうものがこれだけ排除されて、今風俗業界っていうのはほとんどデリバリーヘルスでもっている状態なわけですね。そこで、競争が起きてきます。面接をする店長に言わせるとやっぱり「メンヘルはいらない」って言っちゃうわけですよね。お客さんとトラブルを起こされても困るし、お店としては女の子を何人入れてこの時間内でいくら稼ぐというところで結構ぎりぎりの経営をしていたりするので。【次ページに続く】
最「最貧困女子」
荻上 これまで取材してこられた「最貧困女子」のなかでも、とくに印象的な方というのはいらっしゃいましたか?
鈴木 最貧困少女に関して、ケースワークと言うか、パターンを作りたいなと思うんです。子供の頃から虐待があって、貧困があって……でも、セックスワークに入らない子は入らないですよね。
先ほどお話しした「3つの無縁」のなかで、「地域の縁」、「地元の友達の縁」って実は結構大事なんです。当然、地元で非行グループに属していれば、その頃からもうセックスワークに入るというケースもあります。しかし、いちばんリスキーなのは地元の非行グループにすら入れずに、中高生くらいの年代で都市部に出てきていきなりセックスワークに従事する、という子なんですね。
その場合、どういうケースが多いのか。基本的に、母子家庭ですね。それで、お母さんの彼氏たちの家を、転々と連れまわされた、という方が多かった気がします。たとえば、今週は〇〇君の家に、今週は××さんの家に、というふうに……。
そういう女の子たちは地の縁を構築することもできない。地元の仲間の縁も築けない。そのまま、ある年齢に達した段階で、親との関係だとかそういう閉塞感に耐えきれないで、路上にポンと出ちゃう。こういうのが、いちばん搾取されやすいタイプのような気がします。
荻上 地域の中心って、教育空間としての学校なんですよね。そこから排除された人というのは、地域からも排除されやすくなります。ですが、ケースによっては非行グループ、いわゆるヤンキーたちの仲間に入れたから、そこで非教育空間のグループを作ることができた。ただそれもさせてもらえないような、例えば親に連れまわされるとか、違法な仕事をずっと手伝わされるとか、障害があって学校から遠ざかっていたような状況だと、いろいろな縁というのが切れやすく、そもそも何をもって縁を築けばいいのかわからないまま育ってしまいますよね。
鈴木 それは、最「最貧困女子」ですね。
地元の、非教育のコミュニティのなかに入っていく子たちもセックスワークに取り込まれやすいんですけれども、入口は小学校5年生くらいからなんですよね。学校の先生にはちゃんと認識してほしいです。
小5でメイクをはじめてみたりだとか、触法が多いだとか、そういう子で、小学校5、6年くらいの、早い段階で、セックスワークに就いている子がいる。地域そのものが貧困という場合だと、先輩も貧困、その先輩も貧困……というように、連綿とつづく売春のコミュニティもあるわけですね。地の縁は切れていないけれども、貧困のスパイラルに入っていってる状態です。
「最貧困女子」たちの「リアル」
荻上 いまの話は、「無縁」を象徴するような話だと思うんですけれど、3つの「障害」を象徴するような、印象深いケースはありますか。
鈴木 「最貧困女子」には、パーソナリティに問題を抱えた子が多いです。しかし、地の縁というのは、そうした3つの障害のせいで簡単に切れてしまいます。親の縁や制度の縁は、障害ではなかなか切れないものです。が、仲間の縁というのは切れやすい。
荻上 そうした人たちに対して、今でこそ、プラスアルファのプログラムや、療育などの対応が学校空間でも用意されていますが、それはごく最近始まったもの。今の10代後半とか、20代前半とかの人たちにしてみれば、環境はまだまだ整っていなかったですよね。
鈴木 「週1デリヘル嬢」的な子たちを取材した時には、彼女らの中に職業をカミングアウトしている方が一定数いました。まわりの友達は知っている。彼氏が知っている。あるいは、弟が知っている。彼女らは、30人だとか50人だとか、そんな大勢いつもいっしょにいるわけではないんですね。そうではなくて、小さなコミュニティの中で、特定少数でつるんでいる。
そのなかで、だれかひとりを仲間外れにしたり、だれかひとりがやっていることを「それはだめだよ」って否定するような文化があまりない。どちらかと言うと許容し合う文化が強い気がしたんですね。そういった「許容」の雰囲気のなかで、セックスワークにかんしても、比較的寛容に受け入れられていました。
荻上 それはいいことだと僕は思いますよ。労働環境としてセックスワークの条件が改善されて、偏見も縮減され、仕事として参入する人がいることは。一方で、その結果、それまで「そこでしか働けなかった人」が追いだされるなどして、ストリートに流れていることは、また別の問題としてある。
だから、セックスワークそのものの肯定や自己決定・自己責任論とはまた別に、排除の末に追い込まれた人たちに向けた福祉などの議論も必要となる。スルーされていたストリートの現状に、貧困の観点から注視されはじめているのは、その一歩でしょうね。
景色の共有
鈴木 「格差社会」という言葉があります。が、僕は格差じゃなくて「カースト制」の社会だと思います。多段階に、いろいろな階層が固定されて、それぞれの間で景色の共有がないわけです。たがいの現状が見えていない。
たとえば都市部の貧困層と地方の低所得層は、お互いの景色を共有していない。ちゃんと食えている人であるとか、政策を決めていく高齢の人たちとなると、なおさらです。
結局、そういう階層間の景色を、ちゃんと共有するということが第一歩だと思いますね。本当に底辺のところは、どういう現状であるのか。そういう認識を、まずは共有することが大事ですね。
荻上 シングルマザーの支援をするNPOとか、生活保護の支給を担当している窓口とか、そういう人にストリートでの取材話をすると、「あ、たしかにそういう人います」という反応をされる事は、多いですね。まったく見えていないわけではない。見えてはいたんだけれども気がつかなかった。あらためて、体系的に捉えてみると実はいっぱいいたわけです。
けれども見えていない人にはまったく見えていない。そして漠然と、貧困というのは努力で解決できると考えていたりする。そうした人の一部が、貧困を軸としたいくつかの報道や、大介さんのルポを通じて、「最貧困女子」を「発見」したということになるのでしょう。
鈴木 今の世の中では、低所得の人が、そこからぬけだすことがなかなかできなくなっている。経済が低迷しているわけだから当然の話ですが、階層間の行き来ができなくなっているんです。「成り上がり」ができない。
荻上 今後、景気がよくなったとしても、その問題って切り離されて、ますます見えなくなるんじゃないかと思います。
鈴木 そうですね。全体的に景気が上昇していくのならいいんですが、今は若い人にお金が使われない世の中ですよね。実は、今から若い人たちにお金を使っても、ちょっと手遅れじゃないかなって思う時があったんです。
最近、何度か大学生と話をする機会があったのですが、ショックを受けたことがあります。親に仕送りしてもらったお金や、親が出してくれた学費を、卒業後返していくという子が、結構いるみたいで。仕送りを返すという印象が、僕の世代にはあまりなかったんです。そもそも、親にそこまで無理をさせるくらいなら、大学進学自体、しなかったかも知れない。
そういう閉塞感とか焦りの中にいる今時の若い人たちをこれからケアするためには、物凄い労力と、お金が必要だと思うんですよね。なので早急に着手しないと、労働人口や生産人口的な意味でも、本当に手遅れになってしまう。ちょっと、まずいなという気はします。
荻上 そうですね。問題が表に出る頃には、タイムラグが既にありますから。
大学の問題に関して言うと、大学進学率は、もともと一パーセントとかだったのが、大体五十パーセントくらいまでのびてきましたよね。大学というのは当初はそもそも、お金がある人、身分がある人、あるいはその子供が通うものだった。今では、国民の半分くらい進学するようになった。景気が悪くなっても、大学進学率を下げるかと言うと、多くの親は、無理して、ふんばってでも行かせる。そうしないと、子供の代にまた、貧困が連鎖してしまうため、私費を投じる。ですから無理してでも大学に行かせるという態度は、今でも残っていますよね。
鈴木 そうですね。なので、10代からの就業支援はすごく大事だと思います。家出して売春している女の子たちに、正しい住まいの見つけかた、正しいバイトの見つけかたを教える。あるいはサポートするという体制ができれば、売春しなくても頑張れる子は頑張れるんです。
あとは、よく言われる、大学の無償化ですね。日本というのは、先進国の中でも突出して進学にお金がかかるのですが、これはなんだか、別の理論で論じられてしまっているような気がします。つまり、学校を運営していくうえでの、経済活動としての大学、という枠組みで語られがちだと。
ですが、そんな話をしている場合ではないと思います。生産人口が少なくなっていく、総人口も減っていく、技術者も何もいない……。そんな真冬の時代を、日本は迎えようとしているわけですから、早急に対処しなければいけないですよね。そして最貧困女子もその中の、生産人口になってくれる人たちなわけです。
荻上 そこは、むずかしいですよね。予防の話と、現状対応の話って、やっぱり分けて考えなければいけないと思うんです。
たとえば、今育児している人、あるいはこれから育児する人を支援しましょうというのは、今いる子供たちを貧困にしないための予防の話につながるわけですよね。こういう議論は、現に共有されていると思うんです。「子育ては支援しましょう」みたいな。
ただ、貧困の状態で既に10年20年暮らしてきました、なかなか就職して自分で稼ぐというのはむずかしいです、だから法に触れるような行為をします、と言っている人たちを支援しなくてはいけませんよ、という議論って、なかなか共有されにくい。
根本から教育をやり直すというわけにもいかないので、どうしても、緩和策にとどまるしかない。注ぐリソースに対して得られる対価が一般の目に見えにくい。だから、行政はなかなか手をつけたがらない。でも、そういう層の方々というのは、現にたくさんいらっしゃるんですよね。
鈴木 最貧困女子というのは、大昔からいるわけです。母親も娘も売春をやっている、といったケースは昭和からあるし、僕の同級生世代にもいます。
そういう問題を放置しつづけてきた結果、公的扶助で、過去の政策の尻拭い的に負担を抱えなきゃいけないような状態を招いてしまっているのだとしたら、そこのところは我々も含めて、責任を取るべきですよね。
荻上 「新しい問題」ではないので、現状に向き合いながら、十年後二十年後の状況を変えていくような対応をしなければならないですよね。そうした問題に取り組むNPOもあるにはあるんですが、やはり、限度があります。また、わずかに取り組んでいる現場ですら、その「語り方」には大きな対立がある。だからまず読んで知ってもらった上で、個別の状況に対して用意できるオプションが社会にどれだけあるのかということを点検する必要があるのかなとは思いますね。
鈴木 はい。景色を共有して下さい。
サムネイル「Shinjuku Photowalk / 新宿 #18」Taichiro Ueki
プロフィール
鈴木大介
ルポライター。「犯罪する側の論理」をテーマに、裏社会・触法少年少女らの生きる現場を中心に取材活動を続ける。著作に、『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(宝島社)、『出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで』(朝日新聞出版)、『家のない少年たち 親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル』(太田出版)、『フツーじゃない彼女。』(宝島社)『最貧困女子』(幻冬舎)など。現在講談社・週刊モーニングで連載中の『ギャングース』(原案・家のない少年たち)でストーリー共同制作を担当。
荻上チキ
「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。