2010.12.24

ゴーイング・コンサーンが背負うもの ―― あるいは、チッソについて思うこと  

清水剛 経営学 / 法と経済学

社会 #ゴーイング・コンサーン#水俣病

チッソ、事業部門を分社化

先日、新聞を読んでいると、水俣病を引き起こした企業であるチッソが、事業部門を分社化するという記事が目に留まった。この記事、および後で読んでみたチッソのニュースリリースなどによれば、分社化は昨年施行された「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」にもとづくもので、チッソが子会社を設立してそこに現在の事業を譲渡し、親会社は被害補償を担当することになる。

分社化により、チッソが抱える債務と事業とが切り離され、事業に対する融資なども受けやすくなるのみならず、将来的には子会社株式の売却によって、被害補償の基金にすることが想定されている。ただし、子会社株式の売却が終われば親会社は清算される可能性があるため、将来新たに名乗りでる被害者についての補償を危ぶむ声が上がっている。

これらの記事を読んで、改めて水俣病という問題がいかに大きな問題であり、いかに大きな被害をもたらしたかということを思い知らされたが、それと同時に感じたのが、チッソという企業が背負っているものの大きさであった。

すべての被害者が救済されるまで

まず、現況から考えてみよう。現在の状況が将来にわたってつづくのであれば、チッソは事業を継続する一方で、被害補償をつづけていくことになる。しかも、すでに名乗りでている被害者のみならず、新たに名乗りでる被害者について、(時効や除斥期間の適用がないものとすれば)補償責任を負うことになるだろう。

これはある意味で当然に負うべき責任であるといえる。実際、水俣病発生当時におけるチッソの(さらには、政府・地方自治体の)態度は強い非難に値するものである(この点について、とりわけ行政組織の責任に注目した組織論的な分析として、舩橋晴俊「熊本水俣病の発生拡大過程における行政組織の無責任性のメカニズム」相関社会科学有志編『ヴェーバー・デュルケム・日本社会―社会学の古典と現代』ハーベスト社, 2000)。

しかし、それではこのプロセスはいつ終りを迎えるのか、と考えると、状況はいささか複雑になる。おそらく答えは、「すべての被害者が救済されたとき」ということになろう。しかし、将来において新たな被害が発見される可能性もある以上、「すべての被害者が救済されたとき」を決めることはまず不可能といってよい。

言い換えれば、チッソは半ば永久的に補償責任を負うことになる。そして、この補償責任を果たすために清算をすることはできず、存在しつづけることになるだろう。

ゴーイング・コンサーンとしての企業

こういっても、多くの人はそれが当然だと思うかもしれない。しかし、考えてみると、たとえばある個人が誰か別な人に、何らかの不当な行為により、他人の人体に被害を与えたとして、その被害に対する補償責任は、その個人が亡くなったときには(相続人が相続を放棄することにより)消滅してしまう。

しかし、チッソは法人であるために死亡ということがありえないし、上で述べたように清算させるわけにもいかない。あたかもときの流れから切り離されたかのように存続し、責任を負いつづけるのである。

なぜ、このような特殊な状況が生じてしまうのだろうか?

その基本的な理由は、企業が継続を前提として営まれ、そして実際にしばしば世代を超えて存続しているということにある。このような、継続を前提として営まれる企業のことをゴーイング・コンサーン(going concern)と呼ぶ。法人としてのチッソが死亡することはないが、これはチッソという企業がゴーイング・コンサーンとして存続するということに対する法的な裏づけである。

このようなゴーイング・コンサーンとしての企業は、事業を継続するなかでブランドや良い評判といったようなものをつちかい、これを次の世代に引き継いでいく。そして、次の世代はこのようなブランドや良い評判をもとに、事業を展開することができる。

しかし、一方でゴーイング・コンサーンであるがゆえに、前の世代においてその事業が引き起こしたことの責任もまた引き継がれていく。というより、事業を継続させようとするかぎり、それは引き継がれざるを得ない。この意味で、チッソが水俣病を引き起こしたことに対する責任もまた引き継がれていく。

事業のリセットと社会的責任

個人が事業を行っているのであれば、その個人が亡くなることで、いったん事業は消滅する。もちろん、その事業がうまく行っているのであれば、後継者があらわれるかもしれないが、その場合でも事業はいったんリセットされ、後継者がもう一度事業をつくりなおしていくことになる。このような状況では、ブランドや良い評判も無条件には引き継がれないかわりに、前の事業の責任もまた無条件には引き継がれない。

しかし、ゴーイング・コンサーンには原則としてこのようなリセットがない。事業が継続するなかで、正の面も負の面も積み重なり、引き継がれていく。ゴーイング・コンサーンとはそのようなものなのである。ゆえに、事業が継続するかぎり、チッソは過去に自らが引き起こしたことの責任から逃れることはできない。

もちろん、ある事業において、負の面ばかりが積み重なれば、事業をリセットする必要が出てくる。企業の場合にはたとえば会社を解散させて清算するとか、会社更生法を申請するといったような状況がこれに当たる。

しかし、チッソのように不当な行為により人体に被害を及ぼしたような場合(不法行為責任の場合)には、解散ということは、いわば社会に対する責任の回避ということになるため、実際には難しい。ゆえに、チッソ自体をリセットしてしまうということはできない。これが、上のような特殊な状況が生じる、もうひとつの理由ということになる。

チッソという企業が背負っているもの

このように考えてくると、今回のチッソの分社化は、チッソ全体の「リセット」は社会的に認められないという状況のなかで、事業自体を負債から切り離すことで活性化させ、かつ補償責任の履行につなげようという試みであり、これ自体は事業を機能させるために有効な手段であるようにみえる。

しかし、一方で事業を切り離したことにより、親会社側が清算される、すなわち、過去の責任がすべて「リセット」されてしまうのではないかという危惧を生むことになってしまった。

だが、法的には切り離されたとしても、チッソという会社の事業はなお過去の上に成り立っている。ゆえに、たとえばもし親会社を性急に清算しようとすれば、それは過去の責任の回避とみられることになり、事業を引き継いだチッソの子会社の営業にも悪影響を及ぼすかもしれない。

親会社の清算は、あくまで過去の責任ときちんと果たしたという認識がある程度共有されてからになるだろうし、実際にそうでなければ簡単に清算ということはできないだろう。

人生は簡単にリセットしてしまうわけにはいかない。同様に、事業も簡単にリセットしてしまうわけにはいかない。だからこそ、チッソという企業は過去の責任を果たしながら進んでいかなくてはならない。それこそが、ゴーイング・コンサーンである企業が背負わなくてはならないものなのである。

推薦図書

水俣病については数多くの文献が出ており、先に触れた舩橋論文にも数多く引用されている。そこで水俣病のほうではなく、ゴーイング・コンサーンに関する研究書としてわたし自身の本をあげておこう。

じつのところ、ゴーイング・コンサーンとしての企業がどの程度存続するのかという点についてはなお十分な実証研究が不足している。本書は日本の大企業について、東京証券取引所第一部への上場期間という指標を使って寿命を測定し、また合併という企業行動がその寿命にどのような影響を与えるかを分析したものである。自分の本をあげるのはいささか恥ずかしいが、ゴーイング・コンサーンとの関連でいえば、お読みいただいてもよい本だろう。

プロフィール

清水剛経営学 / 法と経済学

1974年生まれ。東京大学大学院経済学研究科修了、博士(経済学)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。専門は経営学、法と経済学。主な著書として、「合併行動と企業の寿命」(有斐閣、2001)、「講座・日本経営史 第6巻 グローバル化と日本型企業システムの変容」(共著、ミネルヴァ書房、2010)等。

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