2016.09.01
「がんばってください」で被災者は元気になったのか――東日本大震災の内陸部被災者に対する「精神的な励まし」のネガティブな効果
相手のために良かれと思ってしたことが、かえって相手を困らせてしまう。皮肉な事態であるが、このような事態が東日本大震災下の状況で発生していたのではないかというのが本稿のテーマである。
「がんばってください」といった精神的な励ましは、その意図に反して一部の被災者のメンタルヘルスを悪化させた可能性があり、その背景には被災者が抱える「震災をめぐるアイデンティティ」の問題があったことを議論する。
被災者に対する励ましへの違和感
この研究のきっかけは筆者自身の被災体験である。東日本大震災の発生当時、筆者は東北大学に所属しており、仙台駅から北東に2キロほど離れた場所に住んでいた。津波の被害はなく、自宅も無事であったが、内陸部に居住する一人の軽度被災者として、ライフラインや職場が機能停止するなかで、不便かつ不安な日々を過ごしていた。
大学からは5月1日まで自宅待機するように指示が出ていたので、食料の調達に出かける他は、自宅でテレビを見ていることが多かった。企業がCMを自粛した代わりに、公益社団法人ACジャパンによる映像が繰り返し放送されていた。内容は様々であったが、被災者への励ましと思えるようなメッセージを発信するものもあり、何とも言えない違和感を覚えたのであった。腹が立つわけでもなく、悲しいわけでもない。ただ、かすかな不快感があった。
なぜ不快に感じるのか。被災者支援の文脈において、何か重要なことが見過ごされているのではないだろうか。このように考えた筆者は、自身の違和感の理由を明らかにするため、この課題を追求することにした。
相手のために良かれと思って何かをする。このような行為は「ソーシャル・サポート」と呼ばれている。ソーシャル・サポートは、心理学をはじめとして、社会学や人類学、疫学、精神医学など多様な背景を持って登場してきた概念である。ソーシャル・サポートに関する研究は「日常的な対人関係は心身の健康に望ましい効果をもたらすだろう」という期待に基づいて開始され、実際にその証拠を示す研究が積み重ねられてきた。
しかし、ソーシャル・サポートが常に望ましい効果をもたらすわけではない。筆者が文献を調査したところ、少数ながらソーシャル・サポートのネガティブな効果に言及する研究もあった。
たとえば、交通事故で家族を亡くした人びとが「アドバイスを与える」、「回復を奨励する」といったサポートを有益でないとみなす一方で、当事者ではない人びとの中には、そのようなサポートを「自分が行うと思われる行動」に挙げる人びともいるなど、サポートの送り手と受け手の認識にはギャップがあることを示す研究があった。
さらに別の研究では、むやみな励ましがサポートの受け手に「問題を過小評価されている」という感覚をもたらし、サポートが無力化・有害化する可能性が指摘されていた。
どうやら、筆者の感じた「違和感」にも何らかの根拠があるようである。東日本大震災の発生以降、被災者に対して様々な支援が行われてきたが、上記のような議論を踏まえると、すべての支援が望ましい効果をもたらしたかどうかは疑問である。
後述するように、ソーシャル・サポートはいくつかの種類に分類できるが、中には有害な影響を及ぼしたサポートが存在するかもしれない。また、一口に「被災者」と言っても被災の実態は一様ではない。被災の種類の違いによってソーシャル・サポートの効果に差異が生じた可能性もある。
重要な点は、東日本大震災においては、津波の被害を受けたか否かによって質的に異なる2種類の被災者が発生したことである。1つは「沿岸部被災者」である。彼らは住居が海岸の近辺にあったため津波の被害に遭った。居住家屋が流されるなど、生活基盤は壊滅的な打撃を受けた。住み慣れた地域は瓦礫で埋め尽くされ、以前の風景は失われてしまった。「沿岸部被災者」はメディアで取り上げられてきた典型的な被災者像と一致するタイプの被災者である。
もう1つは「内陸部被災者」である。彼らの住居は海岸から離れていたため津波の被害を免れた。居住家屋の被害はまったく無いか、あったとしても軽微であり、震災発生から数ヶ月後には日常生活を取り戻していた。街の風景にも大きな変化はなかった。
しかし、「内陸部被災者」も被災者であることに変わりはない。なぜなら、3月11日の震災発生によって日常が一変し、突如として水や食料、燃料の不足に困窮する日々を送ることになったからである。社会生活の基礎である職場や学校に通うことはできず、日常の人間関係から疎外された状態で、頻発する余震に怯え、東北の寒さに耐えながら日々を過ごしていた。スーパーの行列に何時間も並ぶなど、食料等の生活物資を自ら確保しなければならなかった。
このような「内陸部被災者」の実態に関する報道は乏しかったため、その存在はあまり知られていないが、東北地方には「内陸部被災者」が数多く存在していた。「沿岸部被災者」と「内陸部被災者」の差異を考慮すると、同じソーシャル・サポートであっても、その効果が異なる可能性がある。
以上の点を踏まえて、解明すべき問いとしての「リサーチ・クエスチョン」を設定する。本研究のリサーチ・クエスチョンは以下の3つである。
(1)東日本大震災の被災者に対するソーシャル・サポートの提供は、常に望ましい効果をもたらしたのか
(2)望ましくない効果をもたらしたサポートがあったとすれば、それは一体、どのようなサポートであり、どのような被災者に対して望ましくない効果をもたらしたのか
(3)なぜ、望ましくない効果が生じたのか
ソーシャル・サポートの「望ましさ」の判断基準として、被災者のメンタルヘルス(抑うつ傾向)に着目する。メンタルヘルスは心理的な要素であるが、測定が可能であり、かつ「望ましい、望ましくない」という一次元の価値判断を内包する概念なので、分析のターゲットとして最適である。
本研究は筆者の「違和感」を出発点としているが、違和感といったあいまいな表現では科学的で実証的な研究はできない。明確で測定可能な概念を取り上げるため、メンタルヘルスに着目する。
インターネット調査と統計分析
リサーチ・クエスチョンを設定したので、次はデータ収集である。質問項目を設計し、震災から半年後の2011年9月9日にインターネット調査を行った。調査対象者は、宮城県に居住する18-69歳の男女のうち、2011年3月11日から3月31日の期間に、宮城県内に合計17日以上滞在していた人びと1000名であった。震災発生直後の困難な状況におけるソーシャル・サポートの効果に関心があったため、このような条件を設定し、他府県に長期間、避難していた人びと等を除外した。
この調査において「受け取ったソーシャル・サポート(震災発生から1ヶ月間)」と「抑うつ傾向(震災発生から半年後)」について測定した。前者のソーシャル・サポートが後者の抑うつ傾向にもたらす効果を確かめることが目的であった。
ソーシャル・サポートについては「震災から1ヶ月のあいだに、あなたは家族や恋人以外の人びとから、次のような手助けを何回くらいしてもらいましたか」という文章に続いて「食料や水、燃料を分けてもらった回数」、「スーパーやガソリンスタンドなどの情報を教えてもらった回数」、「精神的に励ましてもらった回数」という3種類のサポートを示し、回答用の選択肢の中から当てはまる回数を答えてもらった。
これらのサポートはそれぞれ、金銭や物資の提供および仕事を手伝うなど、問題解決を直接的に支援する「道具的サポート」、問題への対処に必要な知識や情報を提供する「情報的サポート」、共感したり、愛情を注いだり、相手を信じたりすることによって、サポートの受け手が自ら積極的に問題解決に当たれるような状態に戻すことを意図した「情緒的サポート」に対応している。
なお、抑うつ傾向については、簡易に測定できる「K6(抑うつ度テスト)」という尺度を用いて測定した。
分析においては「居住家屋の被害の程度」への回答に基づいて、回答者を「内陸部被災者」と「沿岸部被災者」に分割した。「抑うつ傾向(震災発生から半年後)」に対して「受け取ったソーシャル・サポート(震災発生から1ヶ月間)」がどのような効果を持つかを調べるため、ロジスティック回帰分析と呼ばれる方法を用いて、震災に由来するストレスフル・イベント等、その他の要因の効果を統計的に除去して分析を行った。(注)
(注)ソーシャル・サポートと抑うつ傾向の関係を適切に分析するためには、その他の要因についても考慮する必要がある。そこで、アンケート調査では「人口統計学的要因(性別、年齢、婚姻、世帯人数、学歴、世帯収入)」、「友人や知人との接触頻度」、「所属する集団の数」、「震災に由来するストレスフル・イベント(避難所での宿泊、転居、失業、転職、収入の低下、多額の出費、借金、家族や親戚との仲たがい、友人や知人との仲たがい、自分のケガや病気、家族・親戚・恋人のケガや病気、友人・知人のケガや病気、家族・親戚・恋人との死別、友人・知人との死別)」、「居住家屋の被害の程度」についても測定した。さらに、分析のターゲットとなる「抑うつ傾向(震災発生から半年後)」に関連して、過去の時点のメンタルヘルスの指標として「抑うつ傾向(震災発生から1ヶ月間)」についても測定した。抑うつ傾向に対するソーシャル・サポートの効果の分析においては、これらの要因の影響を除外した。
精神的に励ましてもらった回数と抑うつ傾向の関係
結果は表1の通りであった。「食料や水、燃料を分けてもらった回数」、「スーパーやガソリンスタンドなどの情報を教えてもらった回数」については、沿岸部被災者、内陸部被災者のいずれの場合も、抑うつ傾向とは統計的に意味のある関連性がほとんど見られなかった。これらのサポートの受領とメンタルヘルスの良好さは、ほぼ無関係であった。
一方、「精神的に励ましてもらった回数」については興味深い結果が得られた。精神的な励ましは、内陸部被災者の場合のみ、メンタルヘルスを悪化させる効果があった。精神的な励ましを3回以上受領した人びとは、一度も励ましを受けていない人びとに比べて、抑うつ傾向を持つ蓋然性が2倍ほど高くなっていた。しかし、沿岸部被災者の場合は、精神的な励ましと抑うつ傾向は無関連であった。
表 1 抑うつ傾向(震災発生から半年後)を従属変数としたロジスティック回帰分析
震災をめぐるアイデンティティ仮説
なぜ、このような結果が得られたのであろうか。「精神的な励まし」がネガティブな効果を持つこと自体は、筆者の個人的な「違和感」にも一致する。
しかし、「精神的な励まし」が甚大な被害を受けた沿岸部被災者には特別な影響を及ぼさない一方で、相対的に被害が軽度であった内陸部被災者に対してネガティブな効果を持つというのは、どのような理由によるものだろうか。この不可思議な結果に対する理論的な説明が必要である。
筆者が再度、文献を調査したところ、ソーシャル・サポートがメンタルヘルスに対して悪影響を及ぼすメカニズムを説明する仮説とみなせる議論がこれまでに5種類、提出されていることが分かった。しかし、そのいずれもが本研究の結果を説明することができなかった。
たとえば、そのような仮説の1つに「無力感仮説」がある。この仮説は、精神医学や臨床心理学の現場で「うつ病の患者に励ましのつもりで『がんばれ』と言ってはいけない」という経験則として知られているものであるが、「もうこれ以上がんばれない」、「励ましてくれる相手の期待に応えられない」というように、送り手からの励ましが受け手の無力感を増幅させることにより、メンタルヘルスが悪化するというメカニズムを想定できる。
しかし、この仮説は本研究の結果を説明できない。「被災によって生じた無力感が精神的な励ましによって増幅され、メンタルヘルスを悪化させた」ならば、内陸部被災者だけでなく、より被害の大きかった沿岸部被災者においても、精神的な励ましはネガティブな影響を及ぼしたはずである。しかし、この予測は本研究の結果とは一致していない。
このように、従来の仮説はいずれも本研究の結果を説明することができなかった。そこで筆者は「震災をめぐるアイデンティティ仮説」という独自の仮説による説明を行った。この仮説の主張は次の通りである。
東日本大震災の発生によって、日本社会には「被災者」と「非被災者」という新たな社会的カテゴリが誕生した。しかし、「被災者」という社会的カテゴリに対するコミットメントの程度は「沿岸部被災者」と「内陸部被災者」とでは大きく異なっていた。
沿岸部被災者は津波で家を流されるなど、被害が甚大であったため「被災者」という社会的カテゴリに抵抗なくコミットし、明確なアイデンティティを持つことができた。一方、内陸部被災者はライフラインの寸断や食料の不足などの困難に一定期間、晒されたものの、メディアで報道されるような典型的な被災者(=沿岸部被災者)に比べると被害が軽微であったことから、「被災者」という社会的カテゴリにうまくコミットできなかった。
しかし、内陸部被災者は「非被災者」にも該当しないため、「被災者/非被災者」という日本社会の新たな構図の中に自らをうまく定位できなかった。たとえば、「私は明らかに非被災者ではない。しかし、津波の被害を受けた沿岸部の人びとに比べると、被害が軽微である自分のことを『私は被災者である』と主張してもよいのだろうか」などと考え、いずれのカテゴリにも自分を分類できなかった。
すなわち、内陸部被災者は、震災をめぐるアイデンティティの問題について、両義的かつ不安定なアイデンティティを持つことを余儀なくされた。「精神的な励まし」を受けることにより、自らのアイデンティティの両義性をより鮮明に意識させられ、その結果、メンタルヘルスが悪化したと考えられる。
リサーチ・クエスチョンへの解答
本稿では、3つのリサーチ・クエスチョンを提示した。これまでの議論を踏まえると、以下のように解答できる。
(1)東日本大震災の被災者に対するソーシャル・サポートの提供は、常に望ましい効果をもたらしたのか
東日本大震災の被災者に対する支援が常に望ましい効果を発揮したとは言えない。
(2)望ましくない効果をもたらしたサポートがあったとすれば、それは一体、どのようなサポートであり、どのような被災者に対して望ましくない効果をもたらしたのか
情緒的サポートの1種である精神的な励ましは、内陸部被災者のメンタルヘルスを悪化させた可能性がある。
(3)なぜ、望ましくない効果が生じたのか
内陸部被災者は、沿岸部被災者とは異なり「被災者/非被災者」という社会的カテゴリのいずれにもコミットできず、震災に関して両義的なアイデンティティを持たざるを得なかった。精神的な励ましを受けることにより、アイデンティティの両義性をより鮮明に意識させられた結果、メンタルヘルスが悪化したと考えられる。
本研究を理解する上での注意点
本研究を正確に理解するための注意点を2つ挙げておく。
1つは、本研究はすべての情緒的サポートがネガティブな効果を持っていることを示しているわけではないことである。情緒的サポートには、精神的な励ましの他にも「親身になって相手の話を聞く」など様々なものがあるが、本研究はこのような情緒的サポートの効果については検討していない。
したがって、本研究の結果を「あらゆる情緒的サポートが内陸部被災者のメンタルヘルスに悪影響をもたらした」と一般化すべきではない。本研究は、あくまでも「精神的な励まし」のネガティブな効果だけを指摘しており、情緒的サポートの一般的な効果について検討したものではない。
もう1つは、「励ましの送り手」によっては、精神的な励ましはネガティブな効果をもたない可能性が残されていることである。本研究では「精神的な励まし」の主な提供者は、内陸部被災者の存在という「被災地の実態」を正確に把握していなかった非被災者であると想定しているが、サポートの送り手について測定し、分析したわけではない。
したがって、実際に被災地を訪れ、内陸部被災者の実態をよく理解した上で適切な励ましを行うならば、ネガティブな効果は生じない可能性もある。また、臨床心理士等が専門的な知見に基づいて医療行為として「精神的な励まし」を行う場合についても同様である。このようなサポートは本研究の分析の範囲を超えているため、その効果について議論することはできない。
その他、本研究のテクニカルな問題点や議論の詳細、文献の引用などについては、下記の原著論文を参照していただきたい。
「東日本大震災における軽度被災者のメンタルヘルスに対するソーシャル・サポートの負の効果」
違和感を言語化して
リサーチ・クエスチョンに解答したことで、研究の目的は達成された。本稿を締めくくるにあたって、学術的な意義とは異なる、本研究の社会的な意義について議論する。本研究は筆者自身の「違和感」という個人的な動機から出発しているが、この研究は何かの役に立つのだろうか。
筆者は、本研究は「内陸部被災者」が自身の被災体験について理解して納得すること、そして、自らの被災体験を受容し、新たな日常に向けた一歩を踏み出すことに貢献できるのではないかと考えている。
「精神的な励まし」に対する違和感を覚えたのは、おそらく筆者だけではないだろう。あのような違和感は「見えない被災者」としての数多くの内陸部被災者が共有する集合的・社会的な被災体験であったと考えられる。その意味で、本研究は内陸部被災者の集合的な被災体験を解明するものであると言える。
震災の経験を風化させないことは重要であるが、個々の被災者は「私の東日本大震災」に区切りを付け、新たな生活を始めなければならない。そこでは、個人的な被災体験について理解し、納得し、受容するという心理的なプロセスが必要になると考えられる。
筆者にとっては、新たな出発のためには、曖昧模糊とした「違和感」を言語化し、その理由を明らかにすることが重要であった。そこで、研究者としてのスキルを活かして、一人の内陸部被災者としての「違和感」を学術的に追求する価値のあるリサーチ・クエスチョンに昇華させ、実証分析と理論的説明によって理解するという方法をとった。本研究は、内陸部被災者に対する筆者なりのソーシャル・サポートである。
プロフィール
塩谷芳也
東北大学知の創出センター(Tohoku Forum for Creativity)特任助教。1982年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て現職。正社員として採用されるか否かといった労働市場における選抜とコミュニケーション能力のような「人間力」の関係について研究している。主要論文は「若年男性の雇用形態とソーシャルスキル」『理論と方法』29(1)(数理社会学会、2014年)。共著に『計量社会学入門 −社会をデータでよむ』(世界思想社、2015年)。