2011.09.20

デンマーク政権交代の先にある変革

古屋将太 環境エネルギー社会論

社会 #デンマーク社会民主党#ヘレ・トーニン・シュミット#環境エネルギー

2011年9月15日にデンマークで総選挙がおこなわれ、選挙の結果多数を占めた中道左派ブロックのデンマーク社会民主党(Socialdemokraterne)党首ヘレ・トーニン・シュミット氏(Helle Thorning-Schmidt)が首相に就任する見込みとなり、これまで10年つづいた中道右派政権から、中道左派政権への移行が確実となりました。シュミット氏には、デンマーク史上初の女性首相として、福祉国家の基本線は維持しつつも、経済・教育・環境などの分野で変革を生み出すことが期待されています。

一方で、2009年から首相を務めてきたデンマーク自由党(Venstre)党首のラース・リュッケ・ラスムッセン氏(Lars Lokke Rasmussen)は「議会からわれわれ政府への支持はない。したがって、わたしは今夜首相執務室のカギをヘレ・トーニン・ シュミットに渡します。ヘレさんにはうまくやってもらいたい。ただし、あなたはそのカギを借りているにすぎないのです。」と苦渋のコメントを述べ、首相を辞任しました。

デンマークでは、この10年間で、移民対応の厳格化や環境政策の停滞、教育制度の変更などが進み、EU加盟各国のなかでも進んでいた右傾化を象徴するような位置づけにあったため、今回の中道右派から中道左派への政権交代は、デンマーク国民にとってはもちろんのこと、EU諸国にとっても一定の意味をもちます。では、具体的にはどのような変革が構想されているのでしょうか。連立新政権の中心となる社会民主党と社会主義人民党(Socialistisk Folkeparti, SF)の共同マニフェスト「みんなのデンマーク(Sammen om Danmark)」を参照してみましょう。

移民統合

前政権のもとで厳格化が進んだ移民対策について、社会民主党の姿勢は「意志のあるすべての人に居場所を(Plads til alle, der vil)」のキャッチコピーに集約されています。

マニフェストでは、この数年の急進的な移民排除や民族差別はデンマーク社会の分断につながってしまうとの認識から、これを転換することを掲げています。具体的には、(1)若年移民が教育を受け、他の国民と同様に職業につくことができるようにする、(2)急進化の傾向を防ぎ、新たなデンマーク生活者が犯罪統計で過度に強調されることを取り除く、(3)労働市場および社会全体で移民差別を取り除くと同時に、亡命者には適正な待遇をおこなう、といった3つの目標を掲げています。これに加えて、14の包括的なイニシアティブによって、「排除」ではなく「包摂」による統合を目指す考えが示されています。

こうした移民統合の方向性は、一見すると移民に対して寛容な政策に映りますが、移民の側にも経済を含むさまざまな面でデンマーク社会に参加し、貢献することを前提とされているため、決してフリーライダーを容認するものではありません。

より具体的な政策の改正については、今後の政権運営の中で議論されていくことになると思いますが、2010年11月から実施されている「国際結婚制度(*1)」の行方がどのようになるかは、移民統合政策におけるベンチマークのひとつとなると思われます。

(*1)外国人配偶者にはデンマーク語による難問の移民テストと高額の保証金が課され、事実上、デンマーク国内での国際結婚は不可能になっています。

気候変動・環境エネルギー政策

現在電力の約20%を風力発電で賄っているデンマークですが、2001年の中道右派政権発足後、気候変動・環境エネルギー政策に具体的な進捗は少なく、停滞していたのが実情です。2009年末にコペンハーゲンでおこなわれた気候変動会議COP15においても、議長国として十分な役割を果たせず、国内外に大きな落胆を生んだことも記憶に新しいかと思います。

そのようなこれまでの政策動向に対して、マニフェストでは、デンマークは2035年までに電力と熱について脱化石燃料化を達成し、2050年までにエネルギーシステム全体を脱化石燃料化することを掲げています。また、これは2020年までに30%の温室効果ガス削減を掲げるEUの目標にも合致しています。そして、具体的には、(1)エネルギー利用のさらなる効率化、(2)エネルギーへの新規投資をグリーンエネルギーのみに集中、(3)グリーンエネルギーによる新しい市場と雇用をデンマークに創出する、といった3つの原則を掲げています。

マニフェストでは、あくまでも基本的な方向性が示されているにすぎないため、より具体的な政策の動向については、移民政策と同様に今後の政権運営のなかで議論されていくことになるかと思いますが、2002年にRPS法への移行が棚上げされた後、完全に議論が停止している自然エネルギー政策について、ふたたび固定価格買取制を推進するのかどうかはベンチマークのひとつになると思われます。

なお、環境エネルギー分野の見通しについて、元スウェーデン・エネルギー庁長官で、先日、自然エネルギー財団の理事長に就任したトーマス・コバリエル氏に聞いてみたところ、「デンマークの環境エネルギー政策の再起動という流れは政権交代以前からはじまっていたので、新政権の発足はその流れを加速することになるだろう」と述べていました。

教育制度

教育制度については、成長分野への直接的な集中投資といった方針から、教育を受けることができずにいる20万人以上の若者、職業に就くことができない6万人以上の若者、インターンシップの受け入れ先が見つからない7千人以上の若者などが、教育機会にアクセスできるような環境をつくり出すという方針への転換が掲げられています。

この方針転換の背景には、教育および就業機会を逃した若者が増えることが短期的にはデンマーク社会全体にとって高いコストになるという認識と、教育や職業訓練が長期的には確実な成長の基盤になるという認識があります。

具体的な政策が数多く掲げられているなかで、興味深いものはインターンシップ・センターの創設です。デンマークでは、高等教育のなかでインターンシップ(現場でのトレーニング)が正規プログラムに組み込まれているのですが、企業や自治体、NPOなどでの受け入れが必ずしも円滑ではなかったことから、インターンシップ・センターが教育機関と受け入れ先とのマッチングを媒介することが構想されています。

また、大学や大学院での評価制度について、前政権がグループ評価から個人評価へと変更した(*2)ことが、教育関係者のあいだでは著しく不評だったのですが、これがふたたびグループ評価へと戻るのかどうかが、教育制度におけるベンチマークのひとつとなると思われます。

(*2)以前は、4~5人のグループワークを通じて共同で卒業論文や修士論文を執筆し、グループで口頭審査をおこなっていました。しかし、論文・口頭審査が個人単位に切り替わり、各個人がどのようにグループワークに貢献したのかを適切に評価できなくなったとして、わたしの知るほぼすべての大学教員が個人評価に反対していました。

政権交代の先にある人びとの生活

マニフェストにおける3つの分野の方針や構想をみてきましたが、全般的にはこの10年間で急進的に行われてきた右傾化の政策を引き戻す姿勢がみてとれます。一方で、選挙結果をみると、新しい与党連合(社会民主党、ラディケーリ、社会主義人民党、赤緑連合)の獲得議席は89(得票率50.2%)、野党連合(自由党、国民党、自由同盟、保守党、キリスト教自由党)の獲得議席は86(得票率49.8%)と与野党の議席数は拮抗しています。こうした拮抗する政治状況のなかで、マニフェストに掲げた変革をどの程度実現できるのかを予測することは現時点では意味がありません。

むしろ、構想された変革のなかで生きる人びとの生活に想像力を働かせ、注目しつづけていくことが重要です。たとえば、フィリピンからの移民2世で、デンマークに育ち、家庭を築いているわたしの友人は、「選挙の結果に安心した。わたしは移民政策の影響を直接受けるので、家族との生活が脅かされる可能性があった」と述べており、政権交代を歓迎しています。また、ある教授はグループ評価に戻ることに大きな期待を抱いています。

政権交代の意義は、人びとの生活がどのように変わっていくかによって、後日評価されることになるでしょう。

推薦図書

デンマークの政権交代に先立って、日本では2009年に民主党への政権交代が実現しました。しかし、その当時も、そして現在も、民主党の根底にある政治理念とその政策の先にある人びとの生活について言及する記事は決して多くありません。そうしたなかで、ビデオジャーナリスト神保哲生氏が政権交代直前にまとめ、交代後は政権運営のチェックリストとなるようにと上梓した本書は、政権交代から2年が経った日本で、いまこそ再読する価値のある一冊かと思います。わたしたちの生活は、政権交代によってどのように変わったのでしょうか。

プロフィール

古屋将太環境エネルギー社会論

1982年生。認定NPO法人環境エネルギー政策研究所研究員。デンマーク・オールボー大学大学院博士課程修了(PhD)。専門は地域の自然エネルギーを軸とした環境エネルギー社会論。

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