2017.06.23

「いのちの大切さ」を説くだけでは子どもは救えない

精神科医・松本俊彦氏インタビュー

社会 #誕生学#死にたい

小中高等学校で行われる自殺予防教育・いじめ防止教育では、しばしば「いのちの大切さ」や「生命誕生の素晴らしさ」が説かれる。こうした道徳教育には「困難な状況にある子どもをますます追い詰める」「大人の自己満足に過ぎない」などの批判も多いが、なぜ問題なのか。生きづらさを抱える子どもたちには、どのように接したら良いのだろうか。精神科医の松本俊彦氏に伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)

子どもを追いつめる道徳論

――昨年、『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(メタモル出版)が出版され、その中の松本先生の原稿がネット上でも公開されました。ここでは、公益社団法人 誕生学協会が行っている授業の問題点について書かれていますが、今さまざまな学校において似たような「いのちの授業」が行われているようです。まず、この原稿への反応はいかがでしたか?

「いのちの大切さ」を説くことによって全ての子どもが励まされるわけではない、むしろ、もともと精神的に追いつめられている子たちがより一層追いつめられてしまうということに対しては、多くの方から共感の声がありました。これは、私が、15年以上少年院や少年鑑別所で定期的に子どもたちの診療をしたりする中で至った考えですが、特に子ども時代に虐待を受けた経験があるという方からは、「そんな話を聞かされていたら傷ついたと思う」という意見が多かったですね。

――どんな状況にある子どもが追い詰められてしまうのでしょうか。

十代の子たちの中には、どうしても自分のことを大事にできない子がいます。例えば、リストカットなどの自傷行為に及んでいる。私の調査によると、中高生の約一割の子は自傷の経験があります。同時に、飲酒喫煙を早くからしている、拒食や過食の傾向がある、風邪薬や痛み止めなどの市販薬の乱用をしている、不特定多数を対象としたコンドームを使わないセックスを経験したことがある、知人から違法ドラッグの誘いを受けるなど薬物乱用のリスクが高い環境にいるなど、さまざまな問題を抱えている場合が多いことが分かっています。また、自傷をしている子たちは長期的な自殺リスクも高いんです。ある研究によると、自傷する子が10年以内に自殺で亡くなる率は、自傷をしない子よりも数百倍高いことが分かっています。

彼/彼女らの多くは、虐待やネグレクトなどさまざまな理由で緊張に満ちた家庭に育っていたり、学校でいじめを受けたりしているんですね。「これは虐待じゃない、しつけだ」と言われ、人に対する基本的な信頼感が揺らいでいる子がかなり多いんです。そして何よりこの子たちの特徴は、つらい時に周りに助けを求めることが苦手ということです。

そういう子に対して、「自分の力で回転しながら生まれたのよ。偉いね」、「みんなに愛されたから、今、元気なんだよ」なんておとぎ話のような話をしたところで何の役にも立ちません。それどころか、「自殺リスクの高い子たちは反社会的で不道徳」、「死のうと思うやつは、親への感謝の気持ちが足りない」、「いのちの大切さを理解していない」などと道徳論を押し付けることにもつながりかねません。

こんな話を聞かされて、親から「あんたなんか産まなきゃよかった」と言われているような子はどんな気持ちになるでしょうか。「『いのちが大切』だったら、なんで自分だけこんな目に合うんだろう」と、ますます孤立感に苛まれ、周りに助けを求められなくなってしまいます。

松本氏
松本氏

――なぜ、周りに助けを求めることが苦手なのでしょうか。

虐待やネグレクトを受けている子たちは、実は親のことが好きなんです。好きな人からそうされているから、やっぱり自分が悪いんじゃないかと責め続けて、どんどん自分を嫌いになってしまうんですね。親の愛情は半信半疑なんだけど、逃げ出すこともできなくて、自分の身に起きていることを誰かに伝えることもできない。なぜなら、自分が大好きな人を世間から責められるような目にあわせたくないからです。

だから、むしろその子たちに僕らが教えないといけないのは、親だって間違うことがあるし、正しいとは限らない。危険な人からは逃げなさい、ということです。そこで「親を大事にしなさい」と説いてしまうと、ますます危険に満ちた家庭の中にとどまったままになってしまいます。

「ゆっくりと死にたい」

――自殺やいじめ、望まない妊娠等を防止するための教育で「いのちの大切さ」「産んでくれた親への感謝」という話になってしまいがちなのは、なぜなのでしょうか。

僕は「いのちの大切さ」自体を否定するつもりはありませんが、それは大人のためのものだと思うんです。正直、そういうことを主張している講師の方々は、自分たちを楽しませたり慰めたりするために言っているんであって、子どもたちを本当に救おうとは思っていないような気がします。

それに、すべての出産がハッピーなわけではありません。出産時にお母さんや赤ちゃんが亡くなってしまったり何らかの障害が残ってしまったり、あるいはレイプをされて誰の子どもか分からない子を身ごもったりと、いろいろなお産があるんです。幸せなお産をした方だけで集まって、自分たちの喜びを噛み締めるのは大いにやってほしいと思います。ただ、それをすべての人に強要してはいけません。マイノリティーを排除してしまうような考え方、幸せな家族、幸せな子育てを当たり前の前提としているような考え方は、僕としては一種の優生思想だと思うんです。「幸せなやつだけ生き残ればいい」というような。

また、こう言うと学校の先生批判になってしまいますが、やはり子どもの時に学校で良い体験をした人じゃないと先生にはならないという面があると思うんですよね。学生の頃の記憶を思い出したくないような人は、自分から先生にはなりません。つまり、つらい状況にある子どもたちから見れば、自分たちはすでに「勝ち組」だということを意識してほしい。PTAなどで活躍する人たちもそうです。道徳教育を行うよう教育委員会に働きかけている保守系政党の議員さんたちも、やはり成功してきた人たちです。太陽が当たる場所をずっと歩いてきた人たちが、自分たちの発想で、自分たちの子ども時代の延長で日本の教育を作っていることが問題なのだと思います。

最近では学校だけでなく、児童養護施設や児童自立支援施設、少年院などでも「いのちの大切さ」を訴えるような講演を行うことがあるようですが、虐待を受けて保護されている子がたくさん集まっているような場でそんな話を聞かされて、子どもたちは余計に死にたくなると思います。ただ、大人受けはすごく良くて、施設に勤務している人たちの心にすっと入り込むわけです。それはちょっと子ども目線を忘れているんじゃないかなと思います。

――薬物乱用防止教育においても同じようなことが言えますか。

そうですね。僕が15年以上少年院や少年鑑別所に関わる中で出会った子の一人がこんなことを言っていました。「学校で先生が『人間やめますか、覚せい剤やめますか』と言っていた。それを聞いて、覚せい剤使用で刑務所に入っている自分の親父は人間じゃないんだ、人間じゃないやつの子どもだから俺も人間じゃないんだ、と自暴自棄になった。そして自分から悪い仲間に近づいていって、覚せい剤を使うようになった」と。そういう子が教室の中に混じっている可能性を絶えず考えなくてはならないのが、学校だと思うんです。

十代のうちに薬を使う子たちはだいたい、半年以内に鬱状態にあったり、不安障害の診断を満たすような状態にあったり、リストカットをしていたりします。消えたい、いなくなりたい、ゆっくり死にたい。死ぬことは怖いけど、自分の体が蒸発するみたいにじわじわと消えるんだったら、それがいいと思っている子たちなんです。ゆっくりとした自殺企図の一環として薬を使っている。その子たちに、「ダメ、ゼッタイ」と言って薬の危険性を訴えることが、本当に効果があることなのか。むしろ、死ぬために使っているわけなので、「危険ドラッグ」なんて言われると余計関心を持ってしまいます。まずこのことを私たちは理解しておかなければいけません。

助けを求めるためのスキルトレーニング

――自殺リスクの高い子どもたちを救うためには、どんな教育が必要なのでしょうか。

本来、学校で行うべきなのはメンタルヘルス教育、健康教育です。つらい時にどうやって人に助けを求めたらいいのか、あるいは友達が悩んでいたら、どうやってその子に声をかけて信頼できる大人に繋いであげるのか、そういったスキルトレーニングを学校で行うべきだと思います。

教室の中で「あいつリストカットしてるよ」と軽蔑して、孤立させてしまうのではなく、自殺リスクの高い1割の子たちのサポーターとして、残りの9割の子たちがもっと関心を持てるようなコミュニケーションを築いていく。問題を抱えている人を健康な人たちの手で支えていくような仕組みが必要なのです。それは9割の子たちにとっても糧になることで、大人になってからさまざまな障害を持つ人やマイノリティーの人たちを包摂できるような共生社会を作っていく基礎になると思うんです。

――スキルトレーニングとは、具体的にはどのようなものがありますか。

たとえば死にたいと思っている子や、すでに自分をこっそり傷つけている子は、よく「アピール的な行動だ」と誤解されますが、実は96%の子はたった一人でその行為に及び、そのことを誰にも告げないんです。ではなぜやっているのかというと、つらい気持ちに蓋をして、今この瞬間をなんとか生き延びるためにやっているわけです。

ただ、先生や親、学校のカウンセラーには伝えないけれど、友達には伝えるという子はいます。彼らが友達に告白するときにどうするかというと「親友なんだから、親や先生に言わないって約束して」と言うんです。そう言われた場合の友達の反応には二種類あると思います。

一つは、「分かった、誰にも言わない。その代わり、もう切らないって約束して」と言うパターンです。でも、それで止まるわけはないですよね。結果、何度も自傷を繰り返して、そのうち友達も「なんで何度も私を裏切るの、もう絶交だよ」と離れていってしまう。だんだん教室の中で孤立していき、腕にはどんどん傷が増えていってしまう。

もう一つは、「誰にも言わないって約束する。その代わり、もし夜中に切りたくなったら私に連絡ちょうだい」と言う場合。そして一生懸命相談に乗ってくれるんです。しかし、子どもたち同士で解決しようとしても限界がありますよね。たとえばある時、友達がうっかり寝ちゃって、朝起きるとLINEに血だらけになった腕の写真が送られてくるわけです。それを見た友達は自分を責めますよね。そして、気づいたら友達もリストカットを始めている。友達から友達へと自傷行為が伝染してしまうこともあるんです。

全国の学校における自傷経験がある子の割合を見てみると、クラスごとに大きな差があることが分かります。おそらく教室単位で自傷が伝染してしまっている。なぜそうなるのかと言うと、助けてくれる大人にアクセスせずに、友達の中だけで止まっているからです。

とにかく、友達が一番のゲートキーパーなんです。だから見て見ぬふりをするんじゃなくて、「あなたのことが心配なんだ、なんとか力になりたいと思っている」と近づいてあげる。そしてなおかつ、信頼できる大人に繋げてあげる必要があります。でも、そうすると「誰にも言わないって約束したじゃない」と責められるかもしれません。その時の説得の仕方を教えてあげるんです。

たとえば、「もしあなたと私の立場が逆だったら、あなたはどうする? もし自分の大事な友達が一人で悩みを抱えていて、自分で自分を傷つけていて、力になってあげたくてもできなかったとしたら。そんな時に、見て見ぬふりなんてできる?」と。そう言ってなんとか説得して、力になってくれる大人に繋げてあげるようなトレーニングを学校で行うべきなんです。

そのためにはまず、メンタルヘルスの教育をしなければいけません。人間は鬱になることもあるんだと教えてあげる。一般人口の3〜4割弱は、人生の中で一度は鬱になります。自然に治るケースも結構多いけれど、こじれると助けが必要だし、治療をすれば回復できるんだということも教えてあげるんです。また、十代の若者たちの1〜2割近くはさまざまな自傷行為をしているという事実もちゃんと学校で教えるべきです。リストカットをしてしまうことは良いことではないけれども、だからといって頭ごなしに悪いとは言えない、その子たちには助けが必要なんだ、と学ぶ機会を作るべきだと考えます。

――教育の話から少し外れてしまうのですが、SNSなどで不特定多数の人に向けてリストカットをした写真を載せたりしてしまうのも、SOSを出しているという一つの形なのでしょうか。

とても屈折したやり方ですね。ときどき、自傷行為を隠れてやっていて、止まらなくなってしまう人がいます。それがないと生きていけなくなる。それはとても悲しいことですが、中にはひねくれた形で居直ってしまうことがあるんですね。自分のことを「リストカッター」「自傷ラー」と名乗るようになったり、腕を切った写真や動画をアップするようになるんです。

そしてサブカルチャー的なグループの中に居場所を見出して、どんどん独自路線に進んでいく。最後は自分を傷つけることをアイデンティティにするようになってしまう。その子たちは自殺死亡のリスクが非常に高いんですね。周りはみんな怖がって離れていってしまうのですが、一方ではそれを見て面白がる人たちもいる。彼らもやっぱり自殺死亡のリスクの高い子たちで、そこで交流することで、どんどん勇気が湧いてくるんです。生きる勇気というよりは死ぬ勇気が湧いてくる。そういう子たちをどうサポートしていくかは大事な視点だと思っています。

ただ一方で、自傷を止めたくて我慢している子がそういう写真を見ると、つい自傷したくなってしまうんですね。頑張って自傷をやめようとしている人を守るためにも、そういった画像の投稿に対しては一定の規制をする必要があると思います。とは言え断罪するのではなく、同時に相談につなげるとか、社会資源の情報提供ができたらいいなと思います。

信頼できる大人になるためには

――私たちが「信頼できる大人」になるためにはどうすれば良いのでしょうか。

信頼できる大人は条件としては三つあると思います。一つは、子どもが誤ちを犯した時にいきなり善悪の価値判断を決めつけないこと。それは後で決めればいいことですし、警察に任せておいていいと思うんです。それよりも、まずは「何があったの?」と事情を聞いてあげる。子どもがリストカットをした、あるいは違法な薬物を使った、そういう行動には必ず理由があるからです。

それから信頼できる大人は孤立していなくて、仲間がたくさんいます。いろいろな専門家、知識を持っている人が知り合いにいることも重要です。

そして三つ目は、援助希求能力に富んでいることです。「これは自分の手に負えない」と思った時には、仲間に相談したり、スクールカウンセラー、精神科医などの専門家に相談したりして、みんなで支えてあげることができる。ときどき、何人もの子どもたちを孤立無援で頑張って支えている援助者の方もいます。それは立派なことだと思うのですが、子ども目線で見ると、孤立した大人からサポートされることは不幸なことだと思うんです。いつ千切れてもおかしくない吊り橋を渡らされるのと同じですよね。どうせ渡るなら頑丈な橋のほうがいい。特に、死にたい・消えたいと思っている子は人に助けを求めるのが苦手だという意味でも、その子たちを支える大人は、援助希求能力に富んでいなければいけません。

――子どもが信頼できる大人を見極めるための良い方法はありますか。

僕が子どもたちにお願いしたいのは、誰が信頼できる大人か分からなくても、少なくとも家族以外の大人で三人には相談してほしいということです。価値判断を押し付けたり、MY人生哲学のようなものを語って説教する大人も多いと思います。でも、これは僕の経験則ですが、三人に一人くらいはそうでない人がいると思うんです。

援助を求めるのが苦手な子たちは、一人の大人に相談して失敗すると、「やっぱり分かってくれないんだ」と思って助けを求めなくなってしまいます。そこをなんとかチャレンジしてほしいと、学校の中でも伝えてほしいですね。変な話ですが、先生の口から「親が必ずしも正しいわけじゃないし、全ての大人がまともなわけじゃない、良い大人と悪い大人を見極めなければならない」と教える方が、一方的に道徳論を説くよりもはるかに良いと思います。

――生きづらさを抱える子どもたちにとって、これからの学校はどういう場所であるべきでしょうか。

これまで話してきたようなことを学校関係者の方にお話すると、よく「先生、学校は福祉施設じゃないんです。勉強するところなんですよ」と言われます。それも一理あるとは思いますが、今の日本の社会をよく見てみてください。時代が変わって地域のコミュニティはなくなり、親に虐待を受けていても近所の人や親戚が助けてくれるような環境がもうないのです。子どもが家族以外の大人と出会う場所は限られてきています。だからこそ、学校にはもっと福祉的な機能があっていいんじゃないかと思うのです。あまり意味のない道徳教育をするくらいなら、生き延びるためのスキルを学んだり、障害のある子や困っている人を助けたり、マイノリティーを排除せずに一緒に暮らしていける方策を考えたりと、倫理観を身につける場所であるべきだと、私は考えています。

※本稿はαシノドスvol.215号からの転載です

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各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと(株式会社メタモル出版)

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自傷・自殺する子どもたち (子どものこころの発達を知るシリーズ)
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もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応
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プロフィール

松本俊彦精神科医

国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部 部長。平成5年佐賀医科大学医学部卒業後、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、平成22年より現職。医学博士、精神科専門医、精神保健指定医、精神保健判定医。近著に『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版, 2014)、『アルコールとうつ、自殺――「死のトライアングル」を防ぐために』(岩波書店, 2014)、『自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント』(講談社,2015)、『もしも「死にたい」と言われたら――自殺リスクの評価と対応』(中外医学社, 2015)など。

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