2017.11.20

まだ続く「知ろうとすること。」

早野龍五

社会 #放射能#福島

福島で被曝線量の測定に取り組んできた原子物理学者、早野龍五氏。原発事故から6年あまり。科学的には福島に住んで大丈夫と言えるようになったこと、しかし、科学だけでは解決できない問題が多く残っていることなど、著書『知ろうとすること。』以降の展開も交えてお話しします。「はこだて国際科学祭参加プログラム」(2017年8月27日)での講演を抄録。(構成 / 片瀬久美子)

早野です。本日は『まだ続く「知ろうとすること。」』というタイトルでお話させていただきます。2014年に糸井重里氏とともに『知ろうとすること。』という本を出しましたが、今日はその本の内容に加えて、出版後3年間の展開についてもお話もしたいと思います。

 

最初に基本的な知識を説明しておきます。福島第一原発事故で飛散した放射性物質の影響についてです。原発事故の後、放射性物質が大気中に飛び散り、雨とともに地面に落ちました。その放射性物質が今でも地面の上にあります。放射性セシウム137と134というものですが、それらが崩壊して安定したバリウムになるときに放射線を出します。その際にガンマ線が地面から飛んできて、そのほとんどは体を突き抜けるのですが、たまに体に当たります。そのことを「外部被ばく」と言います。外から飛んでくる放射線による影響ですね。 

また、地面に落ちた放射性物質は植物などに取り込まれますが、それを食べると放射性物質が体のなかに摂取されます。このように、体のなかに入った放射性物質が崩壊して、放射線を出し影響を及ぼすことを「内部被ばく」といいます。 

では、福島での外部被ばくと内部被ばくの影響は実際にどれくらいだったのか? 最初に結論を言いますと、福島第一原発で作業していた人も含め、事故で放射能を浴び、その直接的な影響で亡くなった方は0人です。今回の震災で亡くなった方は地震・津波によるものか、震災後のいわゆる震災関連死ですが、放射線による影響で亡くなった方はおられません。 

今現在の結論として、内部被ばくは無視できると言えるようになりました。外部被ばくも、福島で実際に人々が住んで暮らしている所では、その影響はほとんど無視できるようになりました。 

さて、私が福島に実際に関わるようになったのは、「給食を測ろうよ」というプロジェクトを文科省に提案した2011年の夏が最初でした。

この写真は、2012年の3月に、福島県南相馬市原町第一小学校という、原発から北に30キロの場所にある小学校で1年生と一緒に給食を食べたときのものです。給食のなかに放射性物質が入っているかもしれないとお母さん方がすごく心配をされていましたので、実際に測ってみることを提案しました。やり方としては一食分をミキサーで混ぜて、非常に精度の高いゲルマニウム半導体検出器で測りました。 

2011年の夏に、文科省に「毎日すべての学校で給食を測定してみたらどうか」と提案したときには、担当者から「やりたくありません」と言われました。文科省の担当者は、「もし本当に検出されたら、多分パニックが起きるだろう。そのパニックを考えたら、学校の現場は何もできない」と、大変に心配をしておられたんですね。 

文科省の反応を見て、下から行くのは無理だと思い、上から行くことにし、大臣室を訪れました。その結果、副大臣を説得することに成功し、2012年度からは予算がつき、国の補助金で給食を測ることが始まりました。

その測定結果は次の通りです。

 

このグラフは福島市の結果です。2012年から測定を始めて、現在でもまだ検査は続いています。 

多くの方はご存知だと思いますが、原発事故の後、放射性物質が含まれている食品の流通が禁じられました。事故直後の基準値は1kg 当たり500ベクレルでしたが、500ベクレルは高すぎるという多くの方々の声があり、一年後に政府は基準値を100ベクレルに下げました。 

今でも1kg当たり100ベクレル以上の放射性セシウムが含まれている食品は流通させてはいけないことになっています。そこで改めてグラフを見ていただくと、赤い点線は1ベクレル(1Bq/Kg)です。基準値の100ベクレルというのは、この100倍上ですね。福島市の給食で1ベクレル以上のセシウムが入っている給食は見つかっていません。1ベクレルよりも少し上に灰色の点々がありますが、灰色の点は「これ以下であることは保証できる」という検出限界です。実際はそれよりも低い値となります。

福島市は、とても大胆なことをしました。2013年の1月から地元のお米、つまり福島市内で採れたお米を給食で使うようにしました。これにはPTA が大変な反対をしましたが、グラフに青い点線で示しているとおり、福島市のお米に切り替えてからも、給食のなかに含まれている放射性セシウムは増えていないことが良く分かります。こういうデータがきちんと毎日取られて、それが公表されて記録に残されるのは、非常に大事なことだと思います。 

ソーシャルメディアでは、多くの人との出会いがありました。なかでも私にとって大きかったのは、福島県内のお医者さんと出会ったことです。彼らがツイッター上で私を見つけて、「困っていることがあります」と連絡してこられたんですね。それで私が福島県に行き、お手伝いをするようになりました。

お医者さんは必ずしも放射線の専門家ではありません。私自身は放射線医学の専門家でも、また原子力の専門家でもありませんが、ジュネーブで反物質研究をしていたことから、「放射線を測る」という意味ではかなり専門的な知識がありました。そうした経緯で、南相馬市立総合病院の先生方などと、2011年からかなり密接に協力をするようになりました。 

福島のお医者さん方と協力して測定した「内部被ばく」についてお話をしたいと思います。

この図はご覧になったことがあると思いますが、福島第1原発を中心に20キロの円と30キロの円が引いてあります。地面の上にどのくらいの放射性物質が落下しているか、その汚染度を2011年の秋の段階で色つきのマップにしたものです。当時、この20キロの円内と飯舘村などの北西方向は避難指示が出ていたので、人は住んでいません。その外側の青色の部分は、1平方メートル当たり10万ベクレルから数十万ベクレルの放射性セシウムで汚染された地域です。 

チェルノブイリの原発事故の際に報告が出ていますが、放射性物質で地面が汚染され、そこで農作物を作ると農作物が汚染され、それを食べた人が「内部被ばく」をします。チェルノブイリでの経験を福島市・郡山市などに当てはめると、1年当たり大体5ミリシーベルトぐらい内部被ばくすると計算されました。政府の目標は事故による追加的な被ばくが年に1ミリシーベルトを超えないというものですが、この計算ではそれをはるかに上回ることになりました。

さて、世界中の人間は原発事故がなくても被ばくをしています。外部被ばくで年に1ミリシーベルト弱ぐらい。それから、食べ物による内部被ばくと、大気中にあるラドンという放射性のガスを吸うことによる内部被ばくがあります。合わせて約2.1ミリシーベルトの被ばくをしています。 

日本の場合はそれに加えて、医療被ばくが多く、世界でもトップクラスで、約3.9ミリシーベルトです。この数値は平均ですが、子どもが転んで頭を打ちCTを受けるようなことも含めて、かなり大きな医療被ばくがあります。こうした医療被ばくも合わせると、約6ミリシーベルトの被ばく量となります。これに対して事故由来の被ばくがどのくらいあるのか。たとえば、内部被ばくが先ほどの計算のように5ミリシーベルトあれば、これは無視できない上乗せとなります。では、実際にはどうだったのか?

 

放射性セシウムが体のなかに取り込まれると、体のなかでそれが崩壊して、体の外にガンマ線が出てくるようになります。このガンマ線を測定器で計ることができます。写真はホールボディーカウンター(WBC)という、ガンマ線の量とその由来(カリウム、セシウム等)を識別できる装置で、4t の鉄の塊です。ちょっと狭い隙間が開いていて、そこに2分間立ってもらいます。 

この鉄の塊のなかに、ガンマ線を図るための検出器が2個入っており、体から出たガンマ線を測ります。原発事故の直後には、原発の作業員を測るためのものを除くと、福島県内にこうした装置は1台もありませんでした。現在は50台以上あります。 

私たちはホールボディーカウンターを使って、6年間、福島県の多くの方の内部被ばくの検査をしてきました。2012年までに約3万人を測定しました。2013年の初めに、測定結果を医学論文にしました。当時、福島の内部被ばくについて、海外に発信された英語論文が一つもありませんでしたので、きちんと発表しなければいけないと危機感をもって書きました。この論文は国連の科学委員会のレポートに採録されました。 

先ほど述べましたが、地面の汚染度から計算した最初の見積りは5ミリシーベルトでした。しかし、実際には内部被ばくは驚くほど低く、2012年の段階で、子どもからは一人も放射性セシウムは検出されませんでした。大人は約1%検出されましたが、約99%は体のなかに放射性セシウムが存在するとは考えられないデータでした。

このグラフは、1950年代の終わりから1990年代の半ばの期間に、日本人の成人男性の体のなかにどのくらい放射性セシウムがあったかを、国が継続的に測定したデータです。1964年がピークで、そこを丸で囲ってありますが、これは東京オリンピックの年ですね。体重1kg 当り約10ベクレル、全身で約600ベクレルの放射性セシウムが体のなかにあったことになります。 

原因は、アメリカ、ソ連、それからイギリス、フランス、そして中国などで行われていた、大気圏内での原爆や水爆の核実験です。核実験によって放出された放射性セシウムや放射性ストロンチウムなどが成層圏まで舞い上がり、地球を取り囲むように飛んで、それが地面に落ちて田畑を汚染していました。その結果、汚染されたお米、野菜などを食べて、日本人も体のなかに放射性セシウムをかなり取り込んだわけです。その後、大気圏内の核実験が禁止されてから、体内の放射性セシウムは減っていきました。 

対して、福島では2012年の時点で99%の大人、100%の子どもの体内の放射性セシウムは、検出限界以下でした。約1%の大人の方が検出限界を越えており、汚染したもの(猪や原木椎茸など)を少し食べているかなという感じでした。平均的に見ると、すでに2012年の段階で、福島の内部被ばくは過去の日本人よりは低いと確信できるデータが得られていました。

なぜそれほど数値が低いのか? あれほど地面が汚染されているのに、なぜ体のなかに放射性セシウムがないのか? これはなかなか興味深い問題です。

 

この写真の作業をご存知ですか? 福島県内では、30kg 入りのお米が1年当たり1000万袋以上収穫されます。「全量全袋検査」というものですが、2012年から、そのすべてのお米をこうして検査しています。2012年は1000万袋を測って、1キログラム当たり100ベクレルの基準を超えたお米は71袋でした。基準越えは1000万分の71です。そして、2013年はそれが28に減り、2014年は2袋、2015年は0袋になり、2016年も0袋です。この検査は今年も行われます。これから収穫されるお米をまた測りますが、おそらく0だと思います。 

お米はやはり毎日食べるものなので、これが汚染されていないことは非常に重要です。もちろん、きのこや春先の山菜が汚染されているケースもありますが、それらを毎日何kg も食べるわけではないので、やはり主食が汚染されていないことはとても大事です。

少し専門的になりますが、この図はなぜお米にセシウムが入っていないのかを示すグラフです。横軸は田んぼの土のカリウム濃度です。これは放射性カリウムではなくて普通のカリウムです。縦軸は、その田んぼで採れたお米のなかに入っている放射性セシウムの濃度です。見ての通り、きれいに逆相関をしています。

 

元素の周期表を覚えておられますか? 周期表の向かって一番左側には水素、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウムが縦に並んでいます。カリウムとセシウムは化学的に性質が似ています。ですから、お米がカリウムを土のなかから集めようとするときに、隣にセシウムがあると間違って入ってしまうのです。

この知識を踏まえて2011年の冬に、福島県の農家に、カリウムの肥料を普段撒いているよりもたくさん撒きなさいという指導がなされました。カリウムを十分に土のなかに入れておくと、セシウムが間違って入ってくる確率が下がるからです。それが効を奏しました。

それから福島の魚です。現在、漁業は自由には操業していません。試験操業といって、限られたものだけを捕っています。以下のグラフは、2011年の3月から最近までに、福島原発の沖で捕られた魚のなかに、どのくらい放射性セシウムが入っている魚があったのかを示したものです。

3ヶ月ごとに2000数百の検体を調べています。緑の線はそのときに捕った魚のなかの何%が、1kg 当たり100ベクレルを超えていたかを表しています。最初は50%を超えていました。しかし、2015年度に入ってからは0%です。福島原発が見えるような所で捕った魚でも、現在では100ベクレルを超えるようなことはありません。理由は海水にはもうほとんど放射性物質が含まれていないからです。 

以上のように、内部被ばくは思っていたほどではないということは2012年から分かっていましたが、福島では依然として多くの問題があります。とくに、お子さんを育てておられる方々の不安が非常に根強くあります。

そこでお子さんを測定しようという話になりました。先ほどお話しをしたホールボディーカウンターは、鉄の箱のなかに2分間立ってなさいという装置ですが、元々は原発の作業員用に作られたものなので、小さな子どもを測ることを想定していません。とくに赤ちゃんにじっと立ってなさいというのは無理ですね。それで私たちは、「この子は小さすぎるのでお母さんを測りましょう、お母さんから検出されなければ赤ちゃんだけが内部被ばくしていることはありません」と言ったのですが、お母さん方はやはり「子どもを測って下さい」と要望されました。 

そこで子どもを測る装置を作らなければいけないな、と思ったのが2013年の春です。

この写真の装置は寝て測ります。外から飛んでくるガンマ線が、体から出たガンマ線に紛れないように、周りをしっかりと鉄で囲みます。普通のホールボディーカウンターは鉄の遮へいを4t、検出器を2つ、測定時間は2分ですが、ベビースキャンは6t、4つ、4分にしました。その結果、検出限界は全身で30ベクレル、通常の10倍の精度を達成しています。測定器としてはこれで完成形です。ただ、ご覧になってお分かりの通り、この鉄の箱には絶対子ども入れたくないと親御さんは思うわけです。

それで山中俊二先生という工業デザイナーに、ツイッターのダイレクトメッセージで「こういうのを作りたいのですが、デザイナーとしてプロジェクトに加わって下さいますか」とお願いいたしました。

 

青山のデザインスタジオで、実寸のモデルを木で作りました。近所のお子さんに来ていただいて、本当に4分間おとなしく寝ていられるか実験をしました。最初は上を向いて寝るかと思ったら、うつぶせになるのです。押入れのなかに入り込む感覚と近いのでしょう。iPad でアニメなどを見せておくと、4分経っても出てきませんでした。これは上手くいくのではないかと思い、実機を作りました。 

1号機は郡山市の東にある平田村の病院に入れました。完成品が6tもあるので、病院の床が抜けないように鉄板の状態で運び入れ、現場で組み立てました。6t の鉄は、山中先生がデザインして下さったソフトなカーボンファイバーで包まれています。なかに高さが調整できるベッドがあり、iPad も置いてあります。お母さんが子どもをベッドの上に乗せると、お母さんは子どもを見ることができて、子どもはお母さんを見ることも、iPadでアニメを見ることもできます。現在、福島県内で福島第一原発を取り囲むように、平田村、南相馬市、いわき市に設置してあります。 

2014年に3台設置した後、2700人以上測りましたが、1人も放射性セシウムが検出されませんでした。私はこれも論文にしました。現在では1万人以上測っておりますが、まだ一人も検出されていません。

この検査をするにあたって、親御さんに「お宅では、どういう食べ物を食べて、どういうお水を飲んで、避難経験はどんなだったか」ということを問診票で伺っています。その結果を南相馬市と三春町で比較しました。 

南相馬では、2014年の段階で、「水道水は飲まない」「福島のお米は絶対食べない」「福島の野菜は食べない」と、どれも嫌だという方が約6割おられました。三春町では、全部嫌だという方は4%しかいませんでした。ここは郡山市に近く、兼業農家が多い町ですけれども、多くの方がすでに事故前と同じような生活をしておられます。もちろん、南相馬のように食べ物に注意していても、三春町のようにあまり注意をしていなくても、内部被ばくが無いことに変わりはないのですが、家庭のリスク認知にはものすごく大きな地域差があるのです。この地域差の原因がなぜなのかは、分かっていません。 

南相馬市では、「福島のお米は絶対に食べない」と言っておられた方の割合は75%くらいだったのですが、2016年度に入ってから減ってきました。この意識変化の原因についても、今研究をしているところです。 

次は外部被ばくの話です。2011年の段階で、様々な自治体が外部被ばく量を測定するガラスバッジを小中学生や妊婦の方々に配りました。ガラスバッジは、病院に行くと放射線技師の方々が胸につけているものです。

このグラフは2011年の福島市、南相馬市、郡山市でのガラスバッジによる測定結果です。横軸の最大は年間10ミリシーベルトです。赤い点線は年間1ミリシーベルトで、長期的に被ばくをこれ以下にするという政府の目標になります。2011年の秋の段階で、福島県内の子どもと妊婦さんの約半分は1ミリシーベルト以下でした。年間10ミリシーベルトを超えるような方は皆無でした。ちなみに避難を解除する条件は年間20ミリシーベルトです。

 

福島市の平均値は、2011年から2016年まで減り続けています。2011年が平均で1ミリシーベルトぐらいでしたが、最近は平均で0.1ミリシーベルトぐらいになりました。主な理由は自然減です。セシウム134の半減期が2年なので、それが物理的に減ってきたことが一番大きな理由です。 

このように、外部被ばくも多くの方が思っているよりは実際は少なく、この5年で着実に減少しています。ただし、内部被ばくはほとんど0なので、それと比べると若干高くなります。 

ガラスバッジは3ヶ月つけっぱなしにして、その間の外部被ばく積算線量を測るものですが、最近私たちが福島県内で使っているのは「Dシャトル」という電子式の線量計です。これは1時間ごとの線量が内部のメモリーに書き込まれていき、それをコンピューターにつなぐと、「何月何日何時に0.何マイクロシーベルト」と読み出すことができます。 

2015年の夏に、フランスに「Dシャトル」を送りました。そして、フランスの高校生がこれをつけて福島にやってきました。そのときのデータをお見せします。

 

彼らがまだパリにいて、日本に向けて出発する前に線量が上がったピークがあります。これはパリのシャルルドゴール空港での手荷物検査で、首からぶら下げた線量計を手荷物のなかに入れて検査した際に、線量計だけがX線で被ばくした数値です。

次のピークはグラフからはみ出すほど高くなっていますが、飛行機のなかです。上空では宇宙線が強く、それによって非常に高い線量になります。そして東京に着きました。東京にいる間にまた大きなピークがあります。これはフランス大使館がレセプションに招待してくれたときで、大使館に入るときの手荷物検査です。よく見ると2人、低い人がいますね。これは線量計をポケットのなかなどに入れていて、手荷物検査をバイパスしちゃったのでしょう。 

翌日は、津波の跡を見たいとの希望があり、バスに乗り、原発の南10キロに位置する富岡に行きました。2015年は避難解除されておらず、日中は立ち入りできますが、夜は立ち入りできない場所です。津波で被害を受け地震で壊れた家が、まだ放置されていました。津波で破壊されたJR の富岡駅は、このときは撤去されていました。そこに1時間ほど立っていたときがグラフでピークになっている部分です。その後、彼らは福島市に行き、福島高校の生徒の家にホームステイをしています。 

このグラフから、パリも東京も福島市も、外部被ばくはほとんど変わらないことが分かります。これは同じ人が同じ線量計を持ってずっと動いているので、バイアスのないデータです。

福島高校の生徒はこのDシャトルを使って、自分たちの置かれた状況をより良く理解をしたいと考えました。そこで、高校生一人一人がどれだけ外部被ばくしているのか、福島県内、日本各地、世界各地で比較するプロジェクトを立ち上げたのです。その結果をまとめて学術論文にしました。 

論文はイギリスの「ジャーナル・オブ・ラジオロジカルプロテクション」という専門誌に書きましたが、最初の2ページには233人の名前がアルファベット順に並んでいます。そのうち216人がこのプロジェクトに協力をしてくれた世界の高校生です。日本人、フランス、ポーランド人、そしてベラルーシ人もいます。この論文はWebで全文をダウンロードできるようになっており、これまでに約10万回ダウンロードされました。その結果が次の図です。

 

高校生にはDシャトルを2週間持ってもらい、その間の線量を1年分の線量に換算しました。これは原発事故による放射線だけではなく、自然放射能も含んだ年間推定値になります。福島県内の6つの高校(7~12)、福島県外の6つの高校(1~6)を見て頂くと、あまり変わりません。右側にフランスの3つの地域、ベラルーシの2つの高校の合計、ポーランドの約10の高校の合計の結果を示しています。

今回参加した地域は、どこも約1ミリシーベルト内外で、福島が突出して高いのではないことが分かります。一番高かったのは、フランスのコルシカ島にあるバスティアで、ここは高い自然放射能を含む花崗岩がある地域です。

このように福島の外部被ばくも内部被ばくも、あまり大きな問題ではないのです。 

大きな問題何かというと、実はこちらです。

 

この表は福島県立医大が2011年度から毎年やっている「こころの健康調査」の結果です。対象者は原発に近い避難区域の大人で、「現在の放射線被ばくで次世代以降の人(将来生まれてくる自分の子や孫など)への健康影響がどのくらい起こると思いますか」という質問に対する回答です。可能性が高い、あるいは可能性があると答えた人が、最近の調査で約38%でした。最初の調査では60%でしたので若干減っていますが、それでも驚くべき高い数字であり、とても心配な数字です。

『知ろうとすること。』にも書きましたが、「私は子どもを産めるのでしょうか」と福島の子どもが言ったときに、私であれば、躊躇せずに「大丈夫だ」と言い切ります。言いきれる理由は、広島・長崎の原爆で生き残った方々、その子孫の方々の調査が継続的に行われ、遺伝的影響がないことがすでに分かっているからです。 

福島の被ばくは、原爆の被ばくに比べれば遥かに低いので、そのことを心配する必要はないことを、NHK の番組でも最近話しました。こうした遺伝影響への不安を克服するには、放射線教育をきちんとしなければいけないと思っています。 

最後にまとめると、福島県の方々の内部被ばくは非常に低いです。それから、外部被ばくも1ミリシーベルト/年を超える方はまれになりつつあります。福島市では外部被ばくは約0.1ミリシーベルト/年です。しかし、そのことは国の内外でも福島の住民にも、十分に納得されているとは言い難く、とくに子どもの内部被ばくに対する心配は非常に根強いものがあります。被ばくそのものよりも、じつは社会的な問題、心理的な問題の方がはるかに大きいのです。 

とくに「若い世代が子どもを産めるのか」と心配する必要はありません。福島の子どもたちがそのことをしっかりと理解をする、そのためには、アクティブラーニングをして自分が置かれている状況をしっかり把握し、それを外に向けて自ら伝えられるようになる必要があると考えております。

本記事は「Fact Check 福島」からの転載です。ぜひ「Fact Check 福島」もご覧ください。

プロフィール

早野龍五

1952年生まれ。原子物理学者。東京大学理学部物理学科、同大学院理学系研究科を経て1979年より東大理学部付属中間子科学実験施設助手。高エネルギー物理学研究所助教授、東大理学部物理助教授を経て、1997年から、東京大学大学院理学系研究科教授。2000年肺がんが見つかり右肺上葉の摘出手術を受ける。1998年 第14回井上学術賞、2008年 仁科記念賞、2009年 第62回中日文化賞

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