2018.02.16

社会の原理を追い求める――先人たちはこの社会をどうとらえていたのか?

龍谷大学社会学部講師、清家竜介氏インタビュー

社会 #龍谷大学#社会学部#ジンメル

書物は、先人たちからの分厚い手紙――。ペーター・スローターダイクの言葉を引用しながら語るのは、龍谷大学で理論社会学と社会哲学の教鞭を執る清家竜介氏だ。シリーズ「高校生のための教養入門」、今回は、若いころ抱いていた社会への疑問に答えを求めたら、哲学の世界に入り込み、さらには社会学へ関心を深めていったという清家氏に、理論社会学や社会哲学の魅力をお話いただいた。(聞き手・構成/増田穂)

 

 

社会が学者たちの中でどう考えられてきたのか

――先生のご専門は理論社会学と社会哲学ということですが、まず理論社会学とはどのような学問なのでしょうか。

社会学の理論を扱う学問です。つまり、一般的な社会学が現実の社会現象を研究するのに対し、理論社会学では社会学者が作り上げた理論を研究します。現実の社会が、社会学者たちの間でどのように理論的に扱われてきたのか、またどのような概念や理論が生み出され用いられてきたのか、そうしたことを研究するのが理論社会学です。

――先生はどのような社会学者の方を研究されているのですか。

主に研究してきたのは、ゲオルク・ジンメル。あとはユルゲン・ハーバーマスです。修士論文はゲオルク・ジンメルについて書いています。博士論文はジンメルの理論を基礎にして、ハーバーマスの理論も用いて社会的交換理論を展開しました。

ジンメルは1900年代前後に活躍した哲学者で、同時に社会学者です。ドイツで初めて専門的な社会学の講座を立ち上げた人でもあります。「社会哲学」という学問も、彼が自分の学問の枠組みの中で作り上げようとしました。

私も自分自身の研究も社会学と哲学の間で進めてきていて、ジンメルが構想した社会哲学という学問も引き継ついでいるつもりで研究しています。そういうわけで今は2枚看板で理論社会学と社会哲学が専門、ということでやっています。

――ジンメルの理論とはどのようなものだったのですか。

ジンメルの社会学は、形式(形相)社会学と呼ばれます。ギリシア哲学のプラトンを起源としている考え方です。例えばギリシア哲学では、質量と形相という考え方があります。かたちのない質量に、かたちとしての形相(イデア)が結びつき存在が生じるという考え方なのですが、ジンメルの理論はそれに近い考え方です。

ジンメルの思想では、社会というものは個人から離れて実体的に存在しているのではなく、人々の相互行為やコミュニケーションによる結びつきによって成り立っていると考えます。つまりコミュニケーションや相互行為による人々の結びつき(競争・交換・闘争など)という形相が先にあって、そこから宗教や共同体などのさまざま質料をともなった社会活動の具体的なフォルムが生まれてくるんです。

――ジンメルの考えはどのような点で当時画期的だったのですか。

当時は民族心理学などが盛んで、個人を超えて「民族」というものが実体的に存在しているのだと考えられていました。ヨーロッパの伝統的な社会の考え方には、有機体的社会観というものがあり、当時のドイツではその思想の傾向が強かったんです。

――有機体的社会観、ですか。

はい。社会を人間の身体から類推する考え方で、一つの生命体のように、社会や民族が存在しているという思想です。典型的なものは、カトリックをはじめとするキリスト教の考え方ですね。社会は人間の身体のようになっていて、頭は教会、その中心にキリストがいて、キリスト教の共同体を守るために王や貴族などの武力を持った戦士たち、そして身体の土台を支えるのが農民たち、という世界観がありました。

それぞれが人間の身体のような形をとった共同体の頭となり、心臓となり、四肢となり、社会が成り立っている。ヨーロッパでは、社会をそう捉えるのが一般的でした。トマス・ホッブスの『リヴァイアサン』の有名な口絵などを思い浮かべてください。リヴァイアサンという巨人は、小さな人間たちの集合体として描かれています。

この伝統的な世界観から考えると、ジンメルの「社会は実体ではない。人々の結びつきが社会なのである」という考え方は、破壊的なものでした。宗教を中心としてコミュニティが成立し、国家が成り立っていたのに、人々の結びつきが変わってしまったら具体的な宗教やコミュニティ、さらには国家さえも消えてしまいかねないというのは、当時の人々にとっては衝撃的な思想でした。

また社会を一つの有機体とする考え方は、民族や国家を“聖なるもの”として扱う全体主義と親和性があります。日本でも、哲学者の和辻哲郎が戦中に出版した『倫理学』などは、個人を国家という全体を存続させるための手段とする全体主義的社会観を提示していました。いまでもジンメルの社会観は、そのような滅私奉公をモットーとする全体主義的社会観にたいする処方箋となりうる力を持っていると思います。

――ジンメルの思想は社会についての認識をより流動的なものにしましたよね。つまり、それまでの絶対的な社会観が崩された。

そうですね。ジンメルは当時相対主義者という扱いを受けました。絶対的な物事がないのだという哲学を作った人だと認識されていたのです。フリードリヒ・ニーチェという先行者はいますが、当時のドイツではかなりラディカルな方だったと思います。

――バッシングを受けたりもしたんですか?

はい。とても高名な学者だったのですが、当時のドイツの大学や学会では排除される傾向にあったユダヤ系だったので、晩年になるまで常勤の職を得ることはできなかったといわれています。

――逆にどのような人には受け入れられたのでしょうか。

ジンメルの講座には、外国人が多かったといいます。外国人にとても好評で、ジェルジュ・ルカーチ・やエルンスト・ブロッホなど、その後のドイツの哲学思想や社会学を担う人たちが受講していたそうです。

経済活動の変化で社会が変わる

――清家先生がジンメルの研究に関心を持たれたきっかけは何だったのですか。

私はもともと、大学院で環境問題をやりたいと思っていたんです。それで実際に大学院に進学した時に、社会哲学が専門の指導教授に相談したら、そのテーマでは2年で論文はかけないから、とりあえずジンメルでも読みなさい、と言われて読んでみたんです。読んでみたら環境問題なんて一言も書いてなかったんですけど……(笑)。でも、それが縁でこれまでジンメルの思想を基礎にして研究をするようになりました。ただ、環境問題に対する関心は今でも持っていて、ジンメル研究も一周回って今では環境問題と結びつけて考えられるようになりましたよ。

――ジンメルはどのように環境問題と関連させられるのですか。

ジンメルには『貨幣の哲学』という本があります。近代社会は貨幣というメディアを通じてのコミュニケーションに支えられている、という内容です。私はその書物から、なぜ貨幣を中心に近代社会が成立しているのかという問いをジンメルから引き継ぎました。貨幣を媒介にした経済システムが暴走していることが環境問題の根本に存在しているのではないかと思うんです。いいかえると、近代経済の基本的なメディアである貨幣の問題の重要性を理解した上で、環境問題を含めた諸問題を考えることができるようになったわけです。

――貨幣がメディアというのはどういうことですか。

コミュニケーションとは何かを介して行われますよね。例えば思考や意識のコミュニケーションは言葉を介して行います。ジンメルは経済活動、つまり物のやりとりもコミュニケーションの一つだと考えるわけですが、そのさいに媒介にするものとして、お金があります。近代社会ではお金というメディアを通じて、経済活動を成立させているんです。

近代以前の社会では、貨幣を媒介とせずに物財のやり取りをしていました。その典型的な例が、女性です。これはレヴィ=ストロースが『親族の基本構造』に書いています。婚姻というコミュニケーションを通じて、女性をやり取りすることで、他の物財のやり取りも活発になるのです。

男だけのコミュニティだったら、次の世代が生まれず、すぐに滅んでしまいますよね。コミュニティは、男性だけでは持続可能性がないんです。それは、コミュニティの存続にとって、女性が非常に重要な存在であることを意味します。だから、婚姻により女性を受け取った親族となるコミュニティは、女性を送り届けてくれたコミュニティから、自らの存続のために最も大切なものをもらったという恩義を受けるわけです。

つまり、女性を与えられたコミュニティは、相手に対して強烈な負い目があるから、その負い目を払うべく対抗贈与というかたちで物財のやり取りを行うんです。女性の婚姻を起点とする物財のやりとりが相互に負い目を与えて、経済を活性化する。これが人間にとっての最初の経済だというのがレヴィ=ストロースの考えです。

この感覚は我々にも残っていると思います。例えば贈り物をもらったら、何かを返さなきゃいけないと思いませんか。手紙をもらったら、手紙を返さなきゃとか、挨拶されたら、挨拶をかえさなきゃとか。そういう互酬的な感覚をうみだす最も大きな宝物ものとして、娘さんをいただく、ということだったんです。こういった経済を贈与経済と言います。

これが、貨幣をメディアとした財のやり取り変わると、当然その人と人との結びつき、つまり社会のかたちも変化します。お金をやりとりは、量的にも質的にも等価交換を可能にします。100円の価格の商品を100円玉で購入したとしても等価交換ですから、売り手と買い手の間に負い目が発生しないのです。この負い目から切り離された等価交換の拡大は、特に家族や親族の強いつながり、場合によってはしがらみからの解放をもたらしました。貨幣経済は、親族関係から人々を解放することで、自由な個人を生み出したんです。

――社会も大きく変わりそうですね。

ええ。社会は大幅に変化しました。交換によって得た物財は、いずれ劣化して壊れたり、なくなってしまいます。洋服もよほど大切に着なければ10年も20年も持ちませんし、今話をしているこのキャンパスだって、いずれ老朽化して、建て替えることになるでしょう。そういう意味で、物財は必ず劣化します。だから、物財だけの社会だと、物をため込もうという感覚があまりないんです。ため込むことのできない財だから、お祭りのときなどに派手にパアっと消費(蕩尽)してしまう。

他方のお金はあえて劣化しない素材で作ってあります。昔は塩や貝殻などが貨幣の前身として使われていましたよね。そして徐々に、耐久性があって、持ち運びに便利で、希少性の高い金や銀などの貴金属が使用されるようになりました。金属はなかなか劣化しないので、貯蓄できるんですよ。すると、お金を集めようという欲望が生まれてきます。贈与経済と貨幣経済では、ここが決定的に違うんです。貨幣の出現によって富を蓄積しようとする欲望が飛躍的に高まるのです。

しかも、そのお金は、時代を経るごとに、銀行券や紙幣など、信用貨幣になっていきます。つまり、例えば1万円札には「1万円」と書かれているけれど、その紙自体に1万円の価値はありません。1万円札を持って江戸時代にタイムスリップして、その1万円札で米俵を買おうとしても、取り合ってもらえないでしょう。だから紙幣自体には価値はないんです。いいかえると、紙幣は信用で成り立っているということです。この紙には1万円の価値があることにして取引をしようという約束と、それが遂行されるという信用で成り立っているんです。

信用でできているものは劣化しません。もちろん、ハイパーインフレーションなどは別ですよ。でも、それを除けば価値がなくなることはないんです。いくらでも蓄積することができる。だから、貨幣経済ではお金を集めるために経済システムが整っていって、お金をためた人が強いポジションに立ったり、尊敬されるようになる。銀行業や法人企業なども貨幣経済の産物です。

――近代社会がこうした仕組みで動き、その上に環境問題という課題が発露したわけですね。

そういうことになります。人間の経済が貨幣という劣化しない富と結びつくことで、無限に富を蓄積してゆく道が開けてきます。しだいに蓄財への欲望にかられた人々は、たんに貨幣というかたちをとった富を蓄財するだけでなく、より合理的に、貨幣を投資資本として扱うようになります。そして産業を興すことでさらなる富を蓄積しようとするわけです。いわゆる産業資本による拡大再生産ですね。

産業に投資を続けていけば、より多くの物財が安価に生産できるようになり、多くの人々がそれを消費することになりますし、雇用もどんどん増えていきます。また貨幣に対する信用は、異なった言語や文化を超えて通用し、グローバル化していきました。けれども産業資本の増大とそのグローバルな拡大は、自然環境に対してより大きな負担をかけてゆくことが分かりますよね。

ジンメルは、貨幣に対する人々の欲望について詳細に論じました。この貨幣への欲望が、産業資本の拡大による地球規模での自然環境破戒の根源にあると思っています。その欲望は、いまや自然環境の破壊だけではなく、グローバルな規模での格差社会をうみだし、社会環境や人々の心にも大きなダメージを与えていますね。お祭りなどですぐに消費しちゃって拡大再生産をおこなわないエコロジカルな贈与経済では、そのような問題は生じません。

哲学書は先人たちからの手紙

――環境問題への関心は、いつ頃からあったのですか。

中高生時代からですね。資源や環境破壊の問題というのは、70年代以降大きなテーマとして存在しています。そうした中で子供時代を過ごしたので、環境への関心はごく自然に身についていきました。それだけでなく南北問題にも強い関心を持っていました。

特に中学、高校と学ぶ中で環境問題と南北問題の二つに興味を持つようになってきて、次第に自分たちの文明そのものに疑問を持つようになりました。今の言葉を使えば、文明に持続可能性を感じられなかったんです。そして、近代社会をつくりあげている基本原理や思想には、どこかに欠陥があると考えるようになりました。直感的に感じた、というのが正確かもしれません。

その欠陥がおそらく自然環境に負荷をかけてしまっている。このままアメリカ人や日本人のような文化モデルで、南の貧しい発展途上国を含めた全世界の人が生活するようになれば、世界規模で生態系に破壊的なダメージを与えてしまいます。つまり、今の文明のモデルでは、全ての人が生きられない。どこか近代の文明の理念に、おかしいところがるのではないか、そう思っていました。それで、大学院に進んだ時に指導教授に環境問題をテーマにしたいと言いに行ったわけです。

――結局ジンメルを勧められて環境問題とは少々違う方向に行ったけれども……(笑)。

はい(笑)。

――先生ご自身は社会科学部を卒業されていますよね。社会科学部で環境をやろうと思って受験されていたのですか?

いや、それは本当にたまたま受かったところが社会科学部だったんです(笑)。

――ゲオルク・ジンメルの話といい、なんだか運命的にこの道を進まれている気がします。

確かにそうですね。ボタンひとつふたつの掛け違いが、今の自分の人生のベクトルを決めているところはある気がします。

――哲学や社会学にも関心はあったとおっしゃっていましたが、そうした分野への関心はいつ頃からお持ちだったのですか。

大学の講義を受けてからです。社会問題に対する興味はそれまでも強くあったのですが、大学で学んでいるうちに、哲学や社会学が1番自分の関心とマッチしたというか、馬が合ったんです。楽しくやれた。

――どのような点に楽しさを感じられたのですか。

自分が考えていたような社会問題や人間関係の問題について、先人の哲学者や社会学者が、自分より明快にちゃんとした言葉で説明してくれているんですよ。より洗練された言葉で。その議論とか、やり取りを見ていて、「ああ、こういう蓄積があるんだ」と思って、むさぼるように読んだのがはじまりです。自分の悩みや疑問の大半は、学者の人たちが考えているんですね。そうやって哲学や社会学にはまっていきました。

けれども学んでいるうちに、哲学は少々物事を抽象的かつ普遍的に考えすぎているように感じるようになりました。そして哲学的な問いの多くも、社会的な事柄によって媒介されていると考えるようになっていったんです。端的に言えば、言葉です。言葉は社会的なコミュニケーションの中で存在していて、コミュニケーションの外に抽象的な言語がそれ自体で存在しているわけではと思ったんです。ジンメルの考えで言えば、言葉はコミュニケーションの中から立ち上がっていくものであって、それ自体が先に存在するわけではない、と。

やはり、ジンメルは哲学者ですが、社会的なモノを非常に重視していたと思います。だからこそ、社会学というものを立ち上げざるを得なくなったのでしょう。当時の民族主義や国家主義など、社会を全体主義的に考えることで個人の尊厳を否定しかねない視点に対して、違う社会の見方というのを提示していかなければならないと考えたのだと思います。

――抱えているもやもやを、先人の学者たちが言語化してスッキリさせてくれるようなところがあるのですね。

ええ。哲学者にしろ、社会学者にしろ、自分たちと似たような様々な問題を抱えて、それらを彼らなりに解いてくれている先輩なんです。だから、特に偉い人というわけじゃないと思うんですね。ドイツの哲学者、ペーター・スローターダイク氏は、哲学書は、受取人がさだかではない不特定多数の他者に宛てた手紙だと言っています。分厚い手紙だと思えばいい。それを読んで、「ああ、前の人はこう考えていたんだなあ」と思えばいい。私自身も、本を執筆する時は、手紙のつもりで書いています。

もちろん自分だけの悩みもありますが、多くの事柄で、同じようなテーマをめぐって悩んでいる人がいると思うんです。だから、自分だけで悩むのではなく、先輩たちの知恵を借りて、自分のこととか現代社会の問題を考えるツールとして使っていければいいのだと思います。

学問というのはそういうものではなないでしょうか。プラトンにしろアリストテレスにしろ、カントにしろジンメルにしろ、そんなに気負わないで、先輩くらいに思って、彼らがどう考えていたのか、触れてみるといいと思います。自分の悩みとかも、もしかしたらその先輩たちが同じように悩んでいて、なんらかの解決へといたる道の痕跡を残してくれているかもしれません。せっかく大学に行くのなら、そういう書物に出会いたいですよね。

重要なのは自分にとって大切な問題をみつけること

――先生はどんな高校生だったのですか。

普通の高校生でしたよ。ボーっとしていて(笑)。ただ、疑問はよく持っている子どもだったと思います。不思議なことが多くて困っていました。

――どんなことが不思議だったんですか。

それが、ほとんど覚えていないんですよ。本当に普通の高校生だったんです。ごく普通の中高生が悩む青春の葛藤みたいのを持っていて、たぶん未だにそれを抱えてる。ジンメルとかカントとか、ウェーバーとかデュルケムとか、そういう人たちの知識を媒介にしながら、未だにその青春の通りをめぐっている感じです。

――哲学の本を読んでいても思うのですが、理論ってとても難しいですよね。どのように研究なさるんですか。

そうなんですよ。私も、ジンメルがもともとカント研究者だったこともあって、カントを理解しようと思ったことがあったんですけど、ものすごく難しくて、ショックを受けました(笑)。その時は学部のゼミにカント研究をしていた大学院生の先輩が出入りしていたので、その人にいろいろとアドバイスをもらいましたね。

あとは『プロレゴメナ』という、カントの『純粋理性批判』を初級者向けに解説している本があるのですが、それを読んでも全く分からなかったこともあります。その本の冒頭に、「これを読んでもわからない人は哲学に向いてないからやめた方がいい」みたいなことも書かれていて、指導教授の所にやめるべきか相談にいったようなこともありますよ。そしたら教授に、あの本は当時の哲学者に向けてかかれてるのであって、君に向けて書かれているのではないから気にするな、って励まされたり……(笑)。

――いろいろな方のサポートを受けて研究されてきたのですね。

そうですね。私が在籍していたゼミは仲が良くて勉強好きだったので、ゼミの仲間には助けられました。毎回ゼミが終わった後に飲み会があって、そこでも喧々諤々議論をしていました。サブゼミという、関心のある社会学者・哲学者・経済学者などの研究を自主的にする幾つかのグループもあったので、わからないことはそこのメンバーに聞いたりして、お互いに高め合うことができる学習環境でしたね。いまでも当時の仲の良かったゼミ生たちとの付き合いは継続していて、お互い刺激し合っていますよ。

――大学で学ぶことの魅力とはなんでしょうか。

まずは何よりも、今言ったような書物や考え方と出会うきっかけを作ってくれる場であることですね。私が中高生だった時もそうですが、やはりなんでも自分の言葉で考えてしまうんです。誰でもメディアから流れるさまざまな情報を自分なりの言葉に置き換えることで作り上げた考えは持っています。でもそれって、井の中の蛙なんですよね。

私も、身近な友人たちと話しながら考えていくことが好きで、そのなかで作り上げていった自分なりの考えは持っていました。でも、カントや他の哲学者、社会学者と出会って、自分が井の中の蛙であったことに気づきました。世の中には、こんなにすごいことをいってる人がいるんだな、と思ったんです。

最近、橋本治さんの『知性の転覆』という本を読んでなるほど、と思ったことがあります。彼は知性と知識を分けて考えています。人は皆、ものを考える力としての知性を持っています。そしてヤンキーを例に出して、彼らを知性はあるけれども知識を軽んじている人々だとしています。ヤンキーは知性があるので、経験を頼りに自分の身の回りのことなら考えることができます。しかし、学問という普遍的な知識へとアクセスしようとしないので、自分の経験知でしかものを考えられなくなっているというのです。

ヤンキーは、知識を軽んじているから、教科書やその先のより広い知識の大系に触れようとしません。先生という知識へのゲートキーパーのような存在も拒絶するでしょう。すると、物を考えても自分の身の回りにある有り合わせの言葉でだけでしか考えられなくなります。そうなると世の中が、自分の等身大の見え方でしか現れなくなってしまいます。

もちろん、等身大の視点や感覚も非常に大切で、それがないことは不健全でおかしいことなのですが、それを超えた知識にアクセスしないと自分だけのナルシシスティックな世界を超えでることができません。

学問という知識の枠組みにアクセスすることで多角的に自分や世の中の問題が見えるようになっていく。つまり学問をすることを通じて、わたしの世界という閉じた殻を突き破って、他者が存在するわたしたちの世界に入っていくのです。その世界には膨大な知識が存在します。大学はそうした知識にアクセスするための、非常に良い場所なのではないかと思っています。インターネットでアクセスできる情報は、さらに膨大ですが玉石混淆です。無尽蔵に増え続ける膨大な石ころのなかから埋もれてしまった玉を見つけ出すのにインターネットは向いていないようです。インターネット時代の膨大な情報なかから、優れた知識を選びだすためにも、大学で学問的教養を身につける必要があります。

さらに大学は、そうした知識と教養を身につけた多くの他者と出会える場所です。大学生にとって大学の教員たちは学問という知識の世界へと分け入っていく際の最良のガイドとなってくれるでしょう。

そして私が大学教育でひとつ重要だと思っているのは、真理に対する尊敬の念を持つような学習・研究環境を提供することです。ニーチェやジンメルのような相対主義者がいうように客観的な真理にたどりつけないかもしれません。しかし、到達できるか分からない真理に対して、尊崇の念を持つ。それは言い換えれば、他者への尊敬の念ともいえるでしょう。

他者から得る知識を通して、自分の浅知恵を実感し、自分がまだ真理から遠いことを理解する。大学で真理への尊敬の気持ちを学べば、その人はたぶんずっと学問に敬意を払って、学んでいくことになるでしょう。たとえ研究者としての職につかずとも学問はその人の生涯の友となるはずです。それが、大学がしなければならない教育の最も重要なことだと思います。

――専攻に悩んでいる高校生にアドバイスはありますか。

重要なのは、自分にとって大切な問題を見つけることだと思います。龍谷大学社会学部では卒論を書かなければなりません。卒論を書いて卒業するためには、大学生活をかけて取り組める、自分にとって大切な問題を見つけること。それが鍵です。

それを見つけるためには、自分自身を掘り下げることも必要です。またいろいろな本を読んでみるのもいいかもしれません。ちゃんとしたテーマが見つからない人は、自分の趣味や好きなことでも構いません。何かしら学問のテーマにつなげられると思います。特に社会学では、さまざまなことをテーマにできますから、ぜひ挑戦して欲しいですね。

もし今、大切な問題が分からずに適当な選択をしてしまっても大丈夫です。大学では一般教養の科目がありますから、その中で広い学びをすれば、きっと関心のあるテーマが見つかると思います。もし見つけたテーマが在籍している学部で研究ができなかったら、転部や編入をすればいい。何かひとつ、熱中できる学問のテーマを見つけられれば、きっと充実した大学生活が送れるようになると思いますよ。

プロフィール

清家竜介理論社会学

1970年生まれ。専門は理論社会学・社会哲学。現在、龍谷大学社会学部専任講師。社会学や哲学の理論を基礎に、コミュニティと人々の主体性の変容について考察している。主な著書に『交換と主体化―社会的交換から見た個人と社会』(お茶の水書房)、『現代思想入門―グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』(PHPエディターズ・グループ・共著)、主要論文に「ジンメルと近代的自由」(『経済社会学会年報』第25号、第一回高田保馬賞)など。

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