2018.09.12

高レベル放射性廃棄物と世代間倫理

寺本剛 環境倫理学、技術哲学

社会 #「新しいリベラル」を構想するために

世代間公正・世代間倫理

1970年代ごろから各方面で、「世代間公正」とか「世代間倫理」という言葉が使われるようになってきた。その背景には、科学技術の発展によって人間活動の影響力が増大し、現在世代の行為が遠い未来にまでリスクや不利益をもたらす可能性が出てきたという現実がある。

有限な化石燃料を使うばかりで、利用可能な代替エネルギーを残さなければ、将来世代は私たちと同等の豊かさを享受できないかもしれない。野放図な開発によって自然環境を破壊すれば、将来世代は自然災害や食糧難のリスクに脅かされるかもしれない。これは明らかに不公平であろう。

しかも、まだ生まれていない将来世代は、現在世代の自己中心的な行為をやめさせられない。将来世代が生まれた頃には現在世代は死んでおり、文句を言うこともできない。このような弱い立場にある人々に、負の遺産を押しつけるのが倫理的でないのは明らかだ。

こうしたことから、現在世代は将来世代のことを配慮して行為すべきであり、世代を単位として利益やリスクを公正に分配すべきだ、という考え方が科学技術社会に求められる新たな倫理観として醸成されてきたのである。

教訓としての高レベル放射性廃棄物問題

こうしたなか、原子力発電にともなって発生する高レベル放射性廃棄物は、世代間倫理の重要性を示す事例としてしばしば取り上げられてきた。この廃棄物は10万年以上もの長期にわたって危険であり続け、画期的な技術革新がない限り、そのリスクは廃棄物の発生者ではない将来世代に残される。これが世代間の不公正であることは明らかだろう。

この事実は、私たち人類が途方もなく大きな力を持ってしまったこと、それゆえに、将来世代にその影響が及ばないように行為する責任があることを知らしめる。高レベル放射性廃棄物の問題は私たちに重要な教訓を与える事例であり、今後もそうであり続けるに違いない。

課題としての高レベル放射性廃棄物問題

しかし、残念だが、この問題がもたらす教訓は、その問題自体の解決には直接生かすことができない。その教訓に学んで、同じ過ちを繰り返さないことはできるかもしれないが、そうしたからといってすでにおかした過ちは消えない。発生してしまった高レベル放射性廃棄物は厳然と存在し、そのリスクが将来世代に引き継がれるという非倫理的な状況は残り続ける。

では、この問題についてはもはや世代間倫理を語る意味がないのかといえば、そうではない。むしろ、世代を超えてリスクや不利益が残されるならば、そのプロセスをできるだけ倫理的なものにしていくことが現在世代に課せられたもう一つの重要な課題である。では、どうしたらできるだけ倫理的なかたちで、この廃棄物を将来世代に受け渡すことができるだろうか。

地層処分

現在、多くの国で高レベル放射性廃棄物を処分する現実的な方法と見なされているのが地層処分である。使用済み核燃料や再処理にともなって発生した廃液を、金属の容器の中でガラスなどと混ぜて固化し、それを30〜50年間冷却貯蔵する。その後、さらに金属の容器や緩衝材ブロックで覆って、地下数百メートルにある岩盤に埋設することで、人間の生活空間から隔離する。

地下深部では地下水の動きが遅く、放射性物質は岩盤にしみ込んだり、吸着されたりして移動に時間がかかるため、各種のバリアが破られ放射性物質が地表へ到達する頃には、その放射線量は人間の生活に影響のないレベルになると考えられている

重要なのは、地層処分が最終処分の一形態だということだ。「最終」という言葉が示すように、最終処分では処分後に廃棄物を管理する必要がない。これがうまくいけば将来世代に経済的・社会的負担を残すことはなく、世代間の公正を実現できる。

地層処分の問題点

しかし、現在の科学技術では1000年、いや100年先の地質状態や地下水の動向さえ、ピンポイントで予測することはできない。地震が多く、地下水の豊富な日本において、長期的な安定を確約できる適地など存在するのか、疑念は払拭できない。

また、廃棄物の漏洩を防ぐとされる各種バリアが、本当に想定通りの機能を果たすかどうかも実証実験で確認するには限界がある。このような状況で地層処分を実施したらどうなるか。うまくいけば世代間公正は実現できるのだろうが、うまくいかなければ将来世代を危険にさらし、負担を押しつけることになる。このような状況で地層処分を敢行することは、倫理的に見て危うい賭けだと言わざるをえない。

安全性のほかにも問題はある。最終処分である以上、地層処分の元々のコンセプトには、一度埋めた廃棄物を取り出すことは含まれていない。だが、地層処分を実施した後で、別のより有望な処分方法や廃棄物を安全に利用する方法が開発されたとしたらどうだろう。

将来世代は新しい技術を使って廃棄物のリスクを軽減したり、廃棄物からメリットを得る機会や権利を失うことになる。リスクを残すのに、実際にそのリスクに対処することになる将来世代に、対処方法についての選択権・決定権を与えないのは倫理的ではないだろう。

地上管理

もう一つの選択肢として、地表近くで監視しながら、廃棄物を長期的に貯蔵し続ける地上管理という方法がある。この方法を採用すれば、想定外の出来事により廃棄物が漏洩しても素早く対処できるし、より優れた処分方法や安全な利用法が開発されたとしても、それらについて将来世代に選択権・決定権を残すことができる。

地上管理というと、電気を使ってプールで冷やしながら貯蔵するという手法を思い浮かべるかもしれないが、空気の自然対流を利用して廃棄物の崩壊熱を除去する乾式貯蔵が、有効な貯蔵手段としてすでに信頼性を得ている。

例えば、福島第一原子力発電所にあった乾式貯蔵キャスクは、東日本大震災の際の津波によって一時的に水没したものの、ボルトで固定されていた元の位置からは移動せず、密封機能、臨界防止機能、除熱機能、遮へい機能および燃料の健全性にも問題はなかった(伊藤賢司・赤松博史・新谷智彦「福島第一原子力発電所向け乾式貯蔵キャスクの製作と貯蔵実績」、R&D 神戸製鋼技報Vol. 64 No.1)。

また、核物質の専門家であるフォン・ヒッペルは乾式貯蔵について、「テロリストが対戦車兵器を使ったり航空機を墜落させてキャスクに穴をあけようとしても、多くの場合、放射性燃料の一部があたりに飛散する程度に終わる」と見ている(フランク・フォン・ヒッペル「核燃料リサイクルを再考する」、日経サイエンス、2008年10月号)。この手法を使えば、冷却のために機器の動力を利用しないため、安全性も高まり、費用や監視の労力の面でも、相対的に負担を軽くすることができるかもしれない。

地上管理の問題点

そうは言っても、地上管理ではやはり自然災害やテロのリスクについて懸念を完全に拭い去ることはできない。乾式貯蔵の信頼性が高いとは言え、これらについてのリスク評価次第では、地上での管理に不安を覚える人が出てきてもおかしくはない。

また、地上管理では廃棄物の発生者ではない将来世代に、廃棄物管理の負担やリスクを強いることになり、世代間公正を実現することはできない。原子力発電で得られた利益から基金を作り、その負担を全面的に補償することで、世代間の不公正を軽減するという方法もあるが、それで数千年から数万年に及ぶリスクに対処するための十分な額を確保できるかどうかは定かではない。

処分方法のディレンマ

このように、高レベル放射性廃棄物の処分方法をめぐっては、「負担の世代間公正」と「選択権・決定権の世代間公正」のどちらを優先すべきかという点でディレンマが存在する。

将来世代に負担を残さないことをめざして廃棄物を埋めてしまえば、廃棄物のリスクに対処する機会やその手法についての選択権・決定権を将来世代に残すことはできない。一方、将来世代に選択権・決定権を残そうとして地上管理を続けるならば、将来世代に管理の負担やそれにともなうリスクを強いることになってしまう。

どちらを優先しても、将来世代に何がしかの迷惑をかけてしまうのであり、十全なかたちで世代間公正を実現できないのである。

不確実性・柔軟性・漸進的最適化

このディレンマのなかで、私たちにどのような意思決定が可能だろうか。ここで重要になるのが、不確実性とそれに対処するために求められる柔軟性についての認識である。イギリスの技術論者コリングリッジが指摘するように、人間の知性、情報収集力、分析能力は、自分たちが思っている以上に貧弱であり、意思決定はいつでも現実に裏切られる可能性がある。

このような不確実性が支配する状況で、後戻りや修正がきかない「柔軟性の低い」技術を導入してしまうと、想定外の未来が到来した時に適切に対処できず、大きな代償を払うことになってしまう。そうならないためには、後戻りや修正の可能性を持つ柔軟な技術を、小さな意思決定を着実に積み重ねながら、また、多様な意見に耳を傾けながら、運用していったほうがよい。

このことは高レベル放射性廃棄物の問題にそのまま当てはまる。この廃棄物の将来の状態、実際の影響、それについての将来世代の評価などについて、現時点で確実な予測などできるはずがない。それなのに、長期にわたる処分方法を確定し、柔軟な対応ができない状況を作ってしまったら、その意思決定が失敗だったとわかっても後戻りができないし、不測の事態に対応するための選択肢も制限されてしまう。

このことで将来世代の選択権・決定権が侵害されるだけでなく、無用な負担やリスクがもたらされるかもしれない。そうならないためには、将来起こりうる想定外の事態に備えてできるだけ柔軟に対応できる体制を整え、漸進的に事態を好転させていく方が、致命的な失敗をおかす可能性が少ないという意味で、よりよい方針だと考えられるのである。

回収可能性を担保した地層処分

以上の方針に照らした場合、地層処分には柔軟性の点で懸念がある。廃棄物を埋めて処分場を閉鎖してしまえば、後戻りができず、その時点から廃棄物処分についての他のオプションがほとんど意味を持たなくなるからだ。この場合、将来世代が柔軟な対応とる余地はほぼなくなってしまう。

もっとも、こうした懸念を払拭すべく、現在では地層処分の計画に可逆性と回収可能性が組み込まれている(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針」(平成27年5月22日閣議決定))。簡単に言えば、これは地層処分場を建設し、そこに廃棄物を置いておくのだが、いつでも取り出せるようにまだ蓋はせず、監視を続けるという方法である。

ここでは十全な世代間公正の実現をあきらめ、未来の不確実性に備えて、将来世代に柔軟な対応の可能性と選択権・決定権を残すという次善の策が講じられていると言える。

有力な選択肢としての地上管理

もっとも、柔軟な対応の可能性を重視するのであれば、地上管理も有力な選択肢である。地層処分場を閉鎖して最終処分を完結させれば、将来世代の柔軟な対応の可能性を著しく狭めることになる。それゆえ、地層処分技術の安全性・確実性が、「柔軟性の維持」という方針を無視できる程度にまで高まらない限り、最終処分を完結させるべきではない。

この厳しい基準をクリアできる時期がすぐに来るのかどうか、これもまた不確実だ。この不確かな見通しの中で、地下に巨大な構造物を建造するために、資金と労力を投入すべきかどうかは慎重に検討する必要がある。

地層処分場を建造して廃棄物を設置したものの、最終処分を完結させる条件が整わず、監視を続けるのであれば、実質的な管理負担は地上管理とほとんど違いがない。建造してしまった後に、別の有望な処分技術や利用法が開発されたとしたら、最終処分場が不要になり、投入した資金や労力が無駄になる可能性もある。そうだとしたら、まずは地上管理を継続し、地層処分場建設のための資金はそのまま将来世代に引き継ぐ方が合理的な選択だと考えられるのである。

持続的熟議

もちろん、不確実性のただなかにいる私たちには、今の時点で回収可能性を担保した地層処分と地上管理の、どちらがよりよい選択かをすぐに結論づけることは難しい。そのためには安全性や管理のしやすさ、すぐに最終処分に踏み切ることができることを優先するのか、地層処分場が不要になる可能性を重視するのかといったことについて、綿密な検討が必要である。

その検討は多様な利害や価値観を持つ人々による熟議というかたちで行われる必要がある。これはまず、処分場や貯蔵施設を受け入れる可能性のある地域の人々の権利を不当に侵害しないよう、その人々の声を決定に反映させるために重要である。また、多様な立場から意見が提示され、それらが批判的に検討されれば、意思決定につきもののバイアスが修正され、より公正な結論に達する可能性も高まる。

そして、高レベル放射性廃棄物のリスクが長期的に持続する以上、この熟議は世代をまたいで継続しなければならない。一つの世代が行う予測には自ずと限界がある。リスクに対してより適切に対応するには、それぞれの世代が、前の世代の意思決定を自明視するのではなく、新しい状況の変化を踏まえて短・中・長期的な見通しをそのつど立て直し、必要な場合には、前の世代の施策を修正したり、後戻りさせたり、全面的に改定したりしながら、よりよい対処の仕方を探りあてていかなければならない。

長期的リスクに対処するための世代間倫理

以上で見たように、高レベル放射性廃棄物がもたらすような長期的リスクに対処するには、世代間公正という理念を掲げるだけでは十分ではなく、それが実現できない時の次善の方針をも考慮に入れた世代間倫理が必要である。それは次のような序列を持った原理として定式化することができる。

第一原理

・リスクは各世代間で公正に分配されなければならない。この原理は、それが十全に遵守されえない場合でも、目指すべき理念として堅持されなければならない。(世代間公正原理)

第二原理

  • 第一原理を十全なかたちで遵守できない場合に限り、時間的に持続する共同体へのリスクを最小化する最適な方法が追求されなければならない(最適化原理)。
  •  
  • 最適化のプロセスならびにそこで選択される対処方法は、強力な確証がない限り、将来の意思決定をできるだけ制約せず、可逆性および修正可能性をできるだけ担保したものでなければならない(漸進性原理)。

注意すべきなのは、第一原理(世代間公正)から第二原理(漸進的最適化)への方針転換がなされたとしても、第一原理が効力を失ったわけではないということである。漸進的最適化という方針は、世代間公正を十全に実現できない状況において、できる限りそれを実現するための方針として採用される。方針転換後も第一原理は目指すべき理想として堅持されているのである。

また、第二原理への方針転換は、第一原理の実現がどうしても不可能な時の窮余の策なのだから、安易な方針転換は厳に慎まなければならない。そのゆえ、第二原理への方針転換には厳しい条件が課せられるべきである。

例えば、第一原理があらゆる手段を講じても達成不可能であることを論証し、このような状況をもたらした過去の意思決定の失敗を公に認め、新しい方針のもとでの問題解決が今後の社会全体にとってより有益であることを論証する、といったことがなされなければ、第二原理への方針転換は許容すべきではない。

こうした諸条件が満たされずに方針転換がなされれば、リスクを発生させた世代の責任を曖昧にし、将来世代への負担の押しつけを「仕方のないこと」としてなし崩し的に許容するという非倫理的な状況が出来する。高レベル放射性廃棄物がもたらした教訓、すなわち「将来世代に配慮して行為すべし」という教訓を噛み締めて、私たちはこうした非倫理的な状況を生み出さないよう努めなければならない。

プロフィール

寺本剛環境倫理学、技術哲学

1974年生まれ。2007年中央大学大学院文学研究科博士後期課程修了。現在 中央大学理工学部准教授。専門は環境倫理学、技術哲学。 吉永明宏・福永真弓編著『未来の環境倫理学』(勁草書房、2018年)の第3章  「放射性廃棄物と世代間倫理」を分担。そのほか、論文として「コリングリッジの技術選択論 ―原子力発電を手がかりとして」(『応用倫理―理論と実践の架橋』 vol.9、北海道大学大学院文学研究科応用倫理研究教育センター、2016年)がある。

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