2010.10.12

人文社会科学の知を応用した産業創出に向けて  

西田亮介 東京工業大学・大学マネジメントセンター准教授

社会 #事業仕分け#行政刷新会議#「科学技術創造立国

削減される文教予算

2010年11月に実施された事業仕分け第3弾によって、文教関連予算にも多くのメスが入った(行政刷新会議第4日 http://www.cao.go.jp/sasshin/shiwake3/details/2010-11-18.html)。

科学振興に関していえば、研究者の提案とコンペティションによって研究費を分配する「競争的資金」、国内に世界有数の卓越した研究拠点を築こうとする「COE制度」、博士課程大学院生を産業界との連携のなかで教育する「博士課程教育リーディングプログラム」などに対して、廃止や大幅な見直しといった厳しい判定が下された。

当然、アカデミックの研究者たちは、「科学技術創造立国を国是とするのにありえない」と反発したが、一般社会は「役に立たない研究に税金を投入するのは無駄」「研究者育成に税金を投入することが適切とはいえない」など、いささか冷淡な反応であったことは否めない。

ことに人文社会科学への風当たりは厳しい。経済学や心理学といった、比較的早い段階で研究評価やキャリア構成をグローバルスタンダードに近づけ、さらに「社会で役に立つこと」が実感しやすい分野は別として、哲学や文学などいわゆる「文科系」と呼ばれる分野については、外部からその「有用性」が分かりにくいことが一因だろう。

そのような社会情勢のなか、非常勤講師やポストドクター(博士号取得後、研究機関や大学などで数年単位の任期付きで働く研究職)といった不安定な雇用にいるものたちからは、将来を悲観する声があがり、またポストに見合わない数の博士号取得者や博士院生を生み出した、90年代の「大学院重点化」への非難が高まっている。

だがそれも、研究者コミュニティの外部にとっては、キャリア形成は本人の自己責任でしかないということになる。かくして、アカデミズムは国の政策の責任を問い、アカデミズムの外部は「有用性」の観点から一面的な評価を下し、ポストの不在については自己責任を言い募る。きわめて不毛な関係としかいいようがない。

人文社会科学と産業創出

たしかに、双方に問題はあるのだろう。国は国力を伸ばす方針として「科学技術創造立国」を位置づけ、科学技術基本計画のなかで「モノから人へ」を提唱したにもかかわらず、本来の目的を忘れ、コスト削減のためにひたすら「最低限の支援」で抑えようとしているし、制度移行の問題を考えずに博士号取得者を増やしてきたという政策の失敗もある。また、アカデミックの側でも、研究内容を社会に対して十分に説明してこなかったという問題もある。

だが、研究者コミュニティの内と外で、互いに責任論を繰り広げているようでは、科学技術振興の今後も、その成果を活かした社会的活力の獲得も、そして、いま不安定な立場に立っているものたちの状況改善をどうするのかといった問題も、いずれも一向に解決されはしない。

研究者コミュニティと一般社会に横たわる溝について、わたしが学ぶ人文社会科学に関していえば、研究的価値(新規性の発見、理論の妥当性の検証etc)とは異なる、経済効果や具体的な産業に結びつくような社会的価値の創出の在り方(方法論)が、きわめて不透明であることがひとつ大きな問題だと思われる。

生まれた知財やシーズ(事業の核となる技術や価値)を用いた大学発ベンチャーの起業や、企業内研究者、あるいは、技術者といった価値創出やキャリアもありうる自然科学と異なって、人文社会科学においてはこのような社会的価値の創出については、ほとんど考えられてこなかった。

大学のポストだけで雇用や研究の場を確保できた時代には、人文社会科学の知から社会的価値を創出することなど考える必要はなかったのかもしれない。だが、現今、雇用や多様なキャリアパスを考えるうえでも、この問題をもはや避けては通れない。

そこで、たとえば、研究上の価値と社会価値をつなぐ手法として、ひとつありうるのが人文社会系の知を活用したサービス産業、ソフト産業創出だろう。自然科学における大学発ベンチャーのような位置づけのものである。

経済産業省が行っていた『大学発ベンチャーに関する基礎調査』によると、サービス産業、ソフトコンテンツ産業は「その他」に区分され、現状では大学発ベンチャー企業の20%未満にとどまっているが、ソフト産業やメディアの多様化に伴ったコンテンツに対する需要の高まりは、その可能性の広がりを示している(注:日本における「大学発ベンチャー企業」は、大学知財を使ったものに限定されておらず、その定義については議論の余地があることは付記しておく)。昨今の「社会起業家」や「ソーシャルビジネス」の勃興も、広義のサービス産業と考えることもできる。

責任論は何も生み出さない

だが、このような人文社会科学の知を応用した社会的価値を創出するための前提として、社会技術やコミュニケーション術、日本独特の「会社習慣」のようなものを学ぶ機会を設ける必要があるのではないか。会社に就職した人たちは、日ごろの業務や会社生活のなかでそれらを経験的に学習するが、研究者にとってはそのような機会は乏しい。だがそのような機会の不在によって生じる些細な齟齬が、ときに「非常識」といったレッテルを生み出し、研究者と社会を分かつ意外と大きな溝になっているようにもみえる。

たとえば、博士課程を終えると新卒採用の年齢制限である25歳を超えてしまうため、民間で職を探す場合、社会人の転職枠や専門職採用にアプローチすることになる。前述のような社会経験の不在は、日本の現状の就職市場では非常に不利に働いてしまう。こういった現状への対策なしに、「優秀ならば民間で就職できるはず」という批判は成り立たない。民間で働く人が、ある日突然研究者になることができないことと同様に、その逆も成立しないのである。

また、支援体制も整っていない。現状のベンチャー起業を支援する枠組みは、 ものづくり、バイオ、創薬などが想定されており、機動力の高い、小規模なソフト産業やコンテンツ産業、サービス産業、そしてソーシャルビジネス支援に適したものとなってはいない。その背景には90年代から2000年代前半に姿を現した第3次ベンチャー起業ブームのときに生まれたIT系、コンテンツ系企業の成長ノウハウを、起業支援体制に落としこむが出来ていないことという事情もある(個々の企業がいまだ成長期にあるため、実態把握が追いついていないからだ)。

責任論ではコミュニティの内部と外部の溝は埋まらず、おそらく社会からの理解を得ることもできない。また、現に困難に直面する人たちの問題解決にも繋がらない。そして、研究者になることのデメリットを残存しつづけたままで、そうしたデメリットのみが広く知られるようになっていくと、後続世代の進路選択や研究者の連続性にも大きく影響を与えることにもなろう。

研究者にとっても、そこから派生的に生じる価値の還元を受ける社会にとっても、こうした状況にはなにもメリットがない。

本稿ではひとつの代替案として、人文社会科学の知を活用した産業創出推進を提案したわけだが、同時に「科学技術創造立国」に関する政策設計も再考しなければならないだろう。しかしそれらはコスト削減のために「最低限の支援」のみで済ませようとするような、本来の目的を忘れたものであってはならない。必要とされているのは具体的な解決に向けた試行錯誤と事例の共有、そのような動きを促進する制度設計の再構築なのだ。

推薦図書

獣医学で博士課程まで進んだ後に進路変更し、医学博士となった筆者が、おもに自然科学系を中心に、博士号取得者たちがおかれた状況と、その背景の文教政策を説明する。そして今後の研究者の在り方として、社会的ニーズをもった「博士号+α」を提案する。

本書は主に自然科学の業界のことを念頭におかれて記されており、博士号の位置づけとその変遷、あるいはポスドクの有無等、若干異なった事情を抱える人文社会科学系の議論はほとんど登場しないが、批判よりも具体的なソリューションの検討に重きがおかれた日本の高等教育や研究者コミュニティの現状を知るための入門書として貴重な1冊。

プロフィール

西田亮介東京工業大学・大学マネジメントセンター准教授

1983年京都生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程単位取得退学。専門は、地域社会論、非営利組織論、中小企業論、及び支援の実践。『中央公論』『週刊エコノミスト』『思想地図vol.2』等で積極的な言論活動も行う。

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