2012.08.21
被災地の子どもたちはうつむいてはいない ―― OECD東北スクールから生まれる新しい可能性
東日本大震災から1年5ヶ月が過ぎ、被災地は「復興」へ向かううねりの中にある。子どもたちはどのような目で震災後の今をとらえ、近い未来を見ているのだろうか。未来へ向けた子どもたちの可能性を引き出そうと、7月31日から8月4日まで5日間、いわき市で開催された「OECD東北スクール」を訪ね、参加している中高生や、その学びをサポートする大人たちに話を聞いた。
中高生約100人が参加、2年後にパリでイベントを予定
OECD東北スクールは、東日本大震災からの復興を支援するOECD(経済協力開発機構・本部:パリ)が、震災後に立ち上げた。福島、宮城、岩手の被災3県と、東京、奈良の中高生、合わせて約100人が参加している。同機構の教育局と、我が国の文部科学省、福島大学をはじめとする地域の関係者の連携により、今年3月に第1回目のスクールがいわき市で開催された。
今回は第2回目の開催で、91人が参加。今後も春、夏を中心に東北各地でワークショップを重ね、2014年にフランス・パリで、東北および日本の魅力と創造的復興をアピールするイベント開催を予定している。
ワークショップでは、ジャーナリストで東京工業大学教授の池上彰氏をはじめ、企業のトップ、芸術家などがスピーカーやファシリテーターとなり、リーダーシップ、建設的な批判のできる思考力、協調性、交渉力などを伝授。参加者は、イベントの企画・実施に向けて話し合いや作業をつづける過程で、様々なことを学んでいく。
「元気です」という声を上げていきたい
サマースクール3日目、8月2日の午前中は、「情報を引き出す力」「インタビューする力」を学ぶ時間となった。まず、フランス人ジャーナリストのLucie Mei Dalby(ルーシー・メイ・ダルビー)さんから、取材などの話を聞く。
じっと耳を傾ける参加者の中に、漁港に近い福島県いわき市小名浜地区から参加した佐藤陸くん(磐城高校1年)の姿があった。
彼は昨年の震災後、中学校の生徒会の仲間とともに大漁旗を作った。彼らの中学校の体育館も避難所になり、自宅が無事だった佐藤くんは、「地域の人たちに何か応援のメッセージを届けることはできないか」と考えた。そして、地元で多くの漁師が働く地域性から、大漁旗をつくることを思いついた。
各クラスに声を掛け、みんなで完成させた大漁旗は、クラスの数と同じ22枚。それぞれの思いが込められた色鮮やかな応援フラッグを、地域で復旧・復興に取り組む海上保安庁や地元のコミュニティFM、給食センターなどに届けた。
佐藤くんは、その活動の中で、「被災地が支援を受けるだけではなく、自ら『元気です』と声を上げていくことの大切さを感じた」という。今回、東北スクールに参加したのも、被災地で自分たちがどう暮らしているか、いろいろなことに取り組んでいる様子を発信したいとの思いからだった。
パリに行く2014年には高3の受験生になる。「受験勉強と両立しつつ、学校の授業では体験できない出会いや交流の中から多くのこと学びたい」と話す。そして、そんな「自分たちの姿を、パリの人たちにもぜひ見て欲しい」と考えている。
「支援するために、被災地のことをもっと知りたい」
ジャーナリストの話を聞いたあと、今度は中高生がインタビュアーとなり、5人に質問をしていくことになった。
インタビュー対象者を囲む輪のひとつに、首にタオルを巻き、小型のビデオカメラを手にした岡田麗央奈さん(奈良女子大学附属中等教育学校6年生(高校3年生))がいた。奈良県からの参加者だ。名前を尋ねると、手作りのきれいな名刺を渡してくれた。
「東日本大震災はニュースでしか知らなかった」という岡田さんは、今回のプロジェクトを知り、「被災地の高校生はどうしているのか、まずその現状を知りたい」と参加を決めた。支援活動をしたいと思ったが、いったいどうしたらいいのかがわからなかったのだ。
はじめの頃、被災していない自分はどのように被災地の中高生と関わったらいいのか、戸惑いもあったという。それぞれにエピソードがあり、悲しみもすぐ近くにある。東北の高校生は「おとなしいな」、という印象があったが、打ち解けていくために、自分から積極的に話し掛けていった。
3月には、津波被害を受けた浜辺の町にも行った。「テレビでは復興とか絆とか言ってるけど、なんとなく、沿岸部の町は取り残されているように感じた」と話す。実際に東北を訪れ、同年代の参加者たちと話すうちに、他人事のようだった震災が、次第に他人事ではなくなっていた。
春のスクールを終えて奈良に戻った岡田さんは、さっそく行動を起こした。「東北のためにできることを考えよう」と呼び掛け、後輩と一緒に、チャリティーグッズの制作など活動の一つひとつをフェイスブックで発信している。
思いを言葉にして伝えていく
ランチタイムをはさんで、午後は「みんなで決める力」を考え、体験していくワークショップに入った。グループに分かれ、パリでイベントを開く目的などについて議論を深めていった。
宮城県南三陸町から来た佐々木一磨くん(戸倉中学校3年)は、スプリングスクールには参加できなかったため、今回が初参加となった。中学校の教頭先生からこのスクールのことを聞き、「参加してみたい」と思ったという。同級生10人が一緒だ。
1日目は、ほかの参加者と違ってみんなと初対面だったため、緊張感もあったという。しかし、同じ部屋の人と会話を重ねるにつれ、徐々に打ち解けてきた。ワークショップでは、真剣な表情でグループの仲間の話を聞いたり、メモを取る姿が印象的だった。
彼が通う戸倉中学校は、1階部分が天井まで津波に浸かった。校舎が使えないため、現在は町内の別の中学校に通っている。自宅も津波の被害を受け、仮設住宅から通学する毎日だ。学校では部活に使うスペースもままならないような状態だが、学習支援ボランティアなどの支援を受けながら勉強も頑張っている。
そんな彼に、今回のスクールでどんなことを学んだかを聞いてみた。すると「自分の意見を素直に言うこと。思いを言葉にして伝えること」という答えが返ってきた。話し方は穏やかだが、芯の強さが感じられた。
「多数決で決めていいんですか?」
パリでイベントを開くのは何のためか。目標は? 目的は? 中高生たちの議論はつづいていた。手をあげた4人が進行役を務め、出された意見はホワイトボードに書き込まれていった。しばらくして、意見を集約するために「多数決で決めたいと思います」と言った進行役に、一人の高校生が「多数決で決めちゃっていいのかな」と異を唱えた。
社会において、決められた時間の中で物事を決めなくてはいけない局面は多い。しかし同時に、「どうやって決めるか」という方法と、そのやり方は公平か、公正か、全員が納得できる方法なのかという大切で難しい問題を、わたしたち大人は一つひとつ議論しないままに進めてしまっているのではないか。わたし自身が中高生たちの議論に教えられた気がした。参加した中高生たちは、2年後のパリでのイベントという現実の目標地点に向かって、まさに真剣でリアルな体験を共有しているのだということが良く分かった。
子どもたちは世界を広げる「越境者」。求めればチャンスがある
そんな様子を見守っていたのが、福島大学・人間発達文化学類の三浦浩喜教授。OECD東北スクールの運営事務局として、開催に向け尽力した。「子供たちには『求めればチャンスがある』ということを実感してほしい」と話す。
三浦教授は、東日本大震災の後、「復興」の一方で行政から置き去りにされている被災地の子どもたちの教育環境を見つめてきた。震災で友人や家族を失う経験をしたり、福島第一原発事故の影響で、クラスメートと突然離ればなれになってしまった子どもたちもいる。
そのような中、「教育を充実させ、子どもたちが純粋な目線で未来を担っていけるようにすることこそが、真の意味で東北の復興につながるのではないか」と考えている。今回のスクールに集まった子どもたちが、交流や学びを通していろいろなことを発見することを「化学反応」だと言う三浦教授。「大人はどうしても境界線をつくりがち。その点、子どもたちは世界を広げていく(良い意味での)越境者です。どんどん境界を越えて、視野を広げてほしい」と期待を込める。
イベントはゴールではなくスタート。子どもの未来が「新しい東北の姿」に
OECDは、34カ国が加盟する国際機関。1961年に発足し、持続可能な経済成長の維持や、途上国の経済発展の支援、生活水準の向上、金融安定化の維持などを目的に、様々な活動を行っている。事務総長のアンヘル・グリア氏は、東日本大震災の約1カ月後に日本を訪れ、日本の復興に向けた支援を表明した。
OECD教育局の田熊美保さんは、子どもたちに、イベントを企画・実施するプロセスで、実社会と関わりながら成功体験を積んでほしいと話す。イベントを行うためには資金も必要で、資金調達も大事な学びのひとつとなっている。資金を出してほしい企業などに、自分たちの思いを伝えるプレゼン力、交渉力なども、体験の中で学んでいく。
「被災地の子どもたちがパリでイベントを開く、ということではなく、素敵なイベントを開いた子どもたちがいて、よく聞いてみたら、日本の東北から来た、じつは東日本大震災を経験した子どもたちだった、というのが望ましいですね」と田熊さんは話す。その思いが通じたかのように、ワークショップでこんな発言があった。
「復興を頑張っている東北ではなく、新しい東北、本当の東北を見てほしい」
2年後のイベントは、ゴールではなく、むしろスタートなのだろう。
福島県は震災に加え、原発事故で生活環境が激変した子どもも多い。そのまっただ中にいる大人たちは、怒っていいのか悲しんでいいのか感情を揺さぶられ、途方にくれてしまう。しかし、子どもたちはうつむいてはいない。目線を上げた、さらにその先に見えてくるものを信じたい。
プロフィール
大谷湖水
フリーランス・ライター。福島県いわき市生まれ。日本ジャーナリスト専門学校卒。東京でインテリア、ファッション雑誌のライターをしたあと、いわきに戻り、広告制作会社(コピーライター)、フリーペーパー編集者を経てフリーに。街の人・店・声を取材し、地域の情報誌などに掲載している。