2011.05.16
東京電力福島第一原発の何が問題だったのか 検証その2
原発は、大事故が起きるまでは「99%、安全」である。しかし大事故が起きてしまえば「99%、危険」になってしまう。これが原発という巨大装置の実像ではないだろうか。
わたしたちは、3.11大震災による原発事故を受けて、原発がどれほど恐ろしい装置であるのかを思い知らされてきた。だが原発は、大震災が起きる前であっても、やはり「危険」であったのではないか。根拠のない「安全神話」のもとで、危険の警鐘が耳に入らなかっただけではないか。
そこで考えてみたいのは、大震災が起こる前の東京電力福島第一原発についてである。『朝日新聞』の記事をあたってみると、いろいろな事実がみえてくる。原発事故以前の諸問題について、光を当ててみよう。
1978年に臨界事故
最初に、もっとも衝撃的な記事から紹介したい。
東京電力の福島第一原発3号機は、1978年11月に、臨界事故を起こしていたという。その当時、定期検査中に制御棒5本が脱落して、核分裂反応が連鎖的につづく臨界状態となった。そして約7時間半も、制御不能状態に陥っていたという。
そんな事実が、2007年の3月になって、はじめて報道された。70年代には、報告を義務づける法令がなく、東電はこの事実を、国や県に報告していなかったのである。むろん当時も、重大な問題が生じた場合は、旧科学技術庁長官への報告が義務づけられていた。だが事実は隠されつづけた。同記事は、この事故による作業員の被曝や放射能漏れは「調査中」と記しているが、真相はどうなのであろうか。
震度4にも耐えられなかった
2000年7月21日、茨城県沖で地震が発生した。福島第一原発付近では、震度4を記録した。原発はもちろん、この程度の地震では耐えられるはずだった。ところがその直後に、6号機の配管にひびが入り、2号機の配管にもひび、結合部にはすき間ができたという。これらの配管は、震度5や6にも耐えられる設計であった。だが6号機は、この地震が原因で手動停止された。全国ではじめてのケースで、しかも破断した配管は、1979年の運動開始から取り替えられていなかったという。
トラブル隠しがつづいた2002年
2002年、東電のトラブル隠しが相次いで発覚した。たとえば8月、県内10基の東京電力の原発のうち、半分の5基に、いまだ修理されていない損傷が残る疑いがあることが判明した。福島第一原発4号機には、シュラウドのひび割れがみつかった。6号機には、ジェットポンプ計測配管にひび割れの疑いがみつかった。第二原発の2、3、4号機には、シュラウドのひび割れと、ジェットポンプの摩耗またはすき間があるかもしれないことが分かった。これらの5基は、しかし当時、熱出力をフルパワーにして、すべて運転中であると伝えられている。
いったい東電は、部品損傷の疑いがあるにもかかわらず、なぜ原発を稼働しつづけたのでろうか。問題は、コストにあった。シュラウドの交換費用は、約100億円。定期検査で原発を止める期間も、10か月前後に延びるという。交換せずに、ひび割れを修理するだけでも、数十日かかる。また、100万キロワット級の原発を1日止めると、約1億円のコスト増になるという。こうした巨額のコストを考えると、はたして原発を止めるべきなのかどうか。現場の技術者であれば、安全とコストを天秤にかけて、ぎりぎりの判断をするのであろう。
当時の南社長は、同社が原子炉停止の長期化を避けたがる傾向について、率直に認めている。「どんな小さな傷もあってはならないという基準があり、修理に際し、国内における新工法を導入しようとすると長期間を要し、運転を停止しないといけない。それが現場に大きなプレッシャーになり、安全性に問題がなければ公表を避けたいという甘い判断が生まれた。弁解の余地はない」と謝罪している。
もっとも悪質だったのは
2002年の東電トラブル隠しで、経済産業省の原子力安全・保安院は、調査概要をまとめた。それによると、トラブルは全体で29件。このうち、国の検査官の目をごまかすきわめて悪質な隠蔽(いんぺい)工作2件は、いずれも福島第一原発で行われていた。
第一原発の1号機では、1994年ごろ、緊急炉心冷却システム(ECCS)系の機器「炉心スプレースパージャ」のパイプに損傷の兆候がみつかった。ところが同社は、検査官から事実を隠すため、金属部品を取り付け、さらに周辺に色を塗っていたという。
もうひとつは、2号機での工作であった。1994年、シュラウド(炉心隔壁)の溶接部でひび割れがみつかった。東電はこのことを国に報告したが、別の溶接部にあった無数のひび割れについては、隠すことにした。しかも1998年度に、「予防保全」として新品に交換した際、検査官の目をごまかすため、シュラウドのひび割れ部分に金属板を立てかけたという。
後になって、第1号機での工作には、国も関与していたことが分かった。福島第一原発の1号機(1971-)では、蒸気乾燥器が180度ずれた位置に固定されていた。1989年になって、自主点検を請け負ったゼネラル・エレクトリック・インターナショナル社(GEII)は、その溶接部などに6つのひび割れをみつけた。
これを受けて、発電所の技術者グループは、「修理に認可は必要ない」と考えて、まず軽い方のひび割れ3つを、米国で普及していた水中溶接法で直した。これに対して重い方の3つのひびについては、「水中溶接法で修理したい」と旧通産省に報告した。ところが報告を受けた旧通産省の担当者は、これらの修理については、「電気事業法(工事計画)の認可対象になり、正式認可までに数年かかる」と答えたという。驚いた技術者グループは、すでに修理してしまった3つのひび割れをも、隠さざるを得なくなったのだという。
無責任の体制か
福島第一原発1号機の気密試験データをめぐって、東電は90年代のはじめ、検査を請け負った日立製作所グループの社員に偽装工作をさせていたようである。そのような報告書が2002年12月、保安院に提出された。
また、2002年の東電トラブル隠し(29件)で、保安院は、16件が「問題あり」と結論づけたものの、その後浮上した11件の疑惑――東電、東北電力、中部電力の再循環ポンプ配管溶接部の損傷隠し疑惑――については、安全に重大な影響を及ぼさないという電力会社の言い分を、「おおむね容認できる」とした。その際に保安院は、これらの疑惑については、国への報告義務があったのかどうかさえ、「さらに検証する必要がある」と報告している。こうした保安院の対応に、問題はなかったのだろうか。
どうも原発をチェックする体系が、あいまいなまま放置されてきたのではないか。
当時の勝俣恒久副社長は、トラブル処置については、「発電所の長に全責任があり、本社はアドバイザー的機能を持っているだけだ」と説明した。ところが損傷隠しについては、発電所員が「本社に相談した」という。これに対して本社幹部は、これを「覚えていない」と証言しているのだが、これでは東京電力という組織が、「無責任の体制」のようにもみえてくる。
その後、東電の社外弁護士調査団は、2か月かけて聞き取り調査をした。ところが東電社員のなかには、「詳しいことは思い出せない」とする者が多く、だれがどう指示したかについては、詰めきれなかったという。ある東電幹部は、犯罪行為なのに忘れるという罪悪感のなさに、驚いた。「ほかに同じような不正があっても不思議ではない」と病巣の広がりを心配した。
放射性物質汚染があった
2002年10月23日、大阪の市民団体が内部告発文書を発表した。それによると、1979年から1981年にかけて、福島第一原発の1、2号機共通の排気筒から、アルファ線を出す放射性物質が、1立方センチあたり最大11ナノベクレル(ナノは10億分の1)放出されたという。検出されたとすれば、ウランかプルトニウムだった可能性がある。東電側は、「そういう文書はあるが、放出は基準値以下だった」としている。
市民団体の小山代表は、アルファ線を出す物質が、主として、燃料棒の破損で漏れ出したプルトニウム239だと考えた。氏は、国の指針にもとづいて計算した結果、最悪の場合、敷地境界濃度が規制値の約8倍になる、と主張している。
コンクリ検査で偽造
2004年8月、ある内部告発が明らかにされた。それによると、東京電力の福島第一原発と第二原発の建設に使われた砂利や砂に、コンクリートを弱くする有害成分が含まれていたという。ところが試験結果は偽造され、「無害」と報告されていた。内部告発をしたのは、砂利採取会社の元社員男性。この男性は、中部電力浜岡原発でも、同様の告発をしている。
偽造とされるのは、コンクリートにひび割れを生じさせ、はがれ落ちたり鉄筋を腐食させたりして強度を失わせる「アルカリ骨材反応」を起こす成分を調べる試験。第三者機関に試験を依頼する際に、砂利をすりかえたりして、結果を偽造していたという。
使用済み核燃料プールから少量の水漏れ
2005年8月、宮城県沖を震源とする地震の影響で、福島第一原発の2号機と6号機、および、福島第二原発4号機では、使用済み核燃料プールから少量の水漏れがあった。漏れた水量は、第一原発2号機で約12リットル、同6号機で約11リットル、第二原発4号機で約1・5リットルであったという。
トリチウム漏れ
2006年8月、東京電力の福島第一原発4号機で、放射性物質のトリチウムが周辺の海水などに漏れた問題について、市民団体「脱原発福島ネットワーク」は、東電の勝俣恒久社長に対する抗議文を同原発側に手渡した。トリチウムの漏出について、東電は「原因がはっきりしない」として、漏出から7日間も公表していなかったという。
信頼の根幹が揺らぐ
2006年末から2007年初めにかけて、東京電力は、データ改ざん問題に揺れた。同社の原子力発電所では、77年以降、延べ199回の定期検査に関するデータ改ざんがあったという。
原発の非常用炉心冷却装置のポンプの故障を隠して検査を通したり、放射能の測定値を低くごまかしたりした悪質なものもあった。不正のほとんどは、2002年のトラブル隠し発覚後の総点検でも、見過ごされていた。福島第一原発1号機では、1979年から1998年にかけて、計28回にわたって、蒸気の流量を監視し、弁を作動させる装置を正しく設定せずに検査を受けつづけていたという。
これを受けて、東京電力の築舘勝利副社長は、「この4年間の努力が十分でなかったと言わざるを得ない。企業風土、組織体質の問題ととらえていく」と陳謝した。
朝日新聞はこの問題をめぐって、次のように批判している。「放射線モニターや非常用炉心冷却装置は、いずれも原発の安全性や地域の安心を確保する上で欠かせない重要設備の一つ。国の検査をごまかしたり、外部への放射能の放出を示す観測データを勝手に書き換えたりしていたことは、原子力を扱う電力会社の信頼性の根幹に触れる問題だ」と。
保安院は多忙?
2007年7月、原発の工事などに対する国の認可への「行政不服審査」に対して、保安院は、最長26年間も処分を決めずに放置していたことが判明した。保安院は「忘れていたわけではないが、事故の対応などに忙しかった」と弁明している。
東京電力福島第一原発などにおけるプルサーマル計画については、2000年に、不服申し立てが行われた。この不服審査をめぐって、当時、聴取会が2件開かれた。申立人の1人で「福島原発市民事故調査委員会」の山崎久隆さんは、「行政の怠慢だ。プルサーマルはすでに福島、新潟の両知事が受け入れの撤回を表明しており、今さら何を聴くのか。怒りを覚える」と話した。
なお、行政不服審査法は「簡易迅速な手続きによる国民の権利利益の救済を図る」としているが、処分決定をする期限は特に定めていない。
被爆者への労災、認められず
福島第一原発などにおける仕事で70ミリシーベルトの被曝(ひばく)をし、労災認定を受けた元プラント建設会の社員が、2004年、東京電力に対して訴えを起こした。ところが結局、その訴えは認められなかった。
訴訟の判決は、2008年5月23日、東京地裁であった。松井英隆裁判長は「鎖骨などの病変は、骨髄のがん化した細胞の増加によるものではない」と指摘、また「国際基準による200ミリシーベルト未満の放射線被曝と疾患の因果関係は認められない」として、請求を棄却した。これに対して原告側は、控訴する方針だという。
原告は、がんの一種の多発性骨髄腫になり、2007年に82歳で死亡した。原告を支援してきた関西労働者安全センターの片岡明彦事務局次長は、東京地裁の判決に対して、「労災認定の判断を覆した、極めて異常な判決」と批判している。
廃炉しないという方針
2009年6月、東京電力の株主総会で、283人の株主から、「福島第一原発3号機でのプルサーマル計画を実施せず、1~3号機までの廃炉を求める」との要求があったが、否決された。
2010年3月、東京電力は、来年で40年を迎える福島第一原発の一号機を、さらに10年運転することができるという主旨の評価書を提出した。評価書では、配管の減肉や腐食の監視、溶接部の超音波検査などをすれば、60年間の運転を仮定しても、安全性に問題はないとしている。
これを受けて保安院は、2011年1月、今後10年間の運転継続を妥当と判断し、40年以上の運転継続を認めた。近く、内閣府の原子力安全委員会に報告するという。
40年超の運転は、国内では日本原子力発電の敦賀原発1号機、関西電力の美浜原発1号機に次いで、3番目になるという。
まとめ
この他にも問題はたくさん生じているが、重要だと思われる問題の一端を検討してきた。整理すると、東京電力福島第一原発は、(1)1978年に臨界事故を起こしていた。(2)大丈夫とされた震度4にも耐えられなかった。(3)別の地震では、使用済み核燃料プールの水が漏れた。(4)コストを気にして、多くの損傷を隠してきた。(5)国も偽装に関与していた。(6)下請け業者に偽装工作させていた。(7)チェック機能が長期にわたってマヒしていた。(8)内部告発によってはじめて、放射性物質漏れが発覚した。(9)コンクリートの強度は弱められていた疑いがある。(10)データの改ざんは、2002年以降も繰り返され、企業風土の問題となっていた。また保安院は、(11)行政不服審査に対して十分な対応をせず、(12)40年をこえる原子炉の稼動を認めていた。
こうしてつまり、東京電力にも保安院にも、さまざまな問題があったことが分かる。誤りを繰り返さないために、いま何が必要なのか。組織、制度、倫理など、あらゆる面における点検と改革が求められているように思われる。
推薦図書
原発事故は、どんなにお金をかけても、防げるわけではない。あるいは、法律でどんなに縛りをかけても、どんなに厳しく管理しても、最後は結局、現場の技術者に依存しているのだろう。だから問われるべきは、技術者の倫理だということになる。技術者の倫理について、外部から市民的に検討していこうというのが本書のスタンスで、本書は2002年に起きた一連の東電トラブル隠しについて、分かりやすくまとめている。政府・企業・官僚に問題を任せないで、市民意識を高めていく。そのような市民的リテラシーのための、基本書である。
プロフィール
橋本努
1967年生まれ。横浜国立大学経済学部卒、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学経済学研究科教授。この間、ニューヨーク大学客員研究員。専攻は経済思想、社会哲学。著作に『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、『自由の社会学』(NTT出版)、『ロスト近代』(弘文堂)、『学問の技法』(ちくま新書)、編著に『現代の経済思想』(勁草書房)、『日本マックス・ウェーバー論争』、『オーストリア学派の経済学』(日本評論社)、共著に『ナショナリズムとグローバリズム』(新曜社)、など。