2023.08.21

コミュニティノート考――成功か失敗か、偏りはあるのか

田中辰雄 計量経済学

社会

ツイッターにコミュニティノートが追加された。コミュニティノートとは誤情報を修正するための工夫であり、その特徴は専門家や運営者が行うのではなく、ツイッターユーザ自らが行う点にある。この機能には賛否両論があり、役立っているという評もあれば偏りがあるという批判も見られる。今回、ユーザへのアンケート調査でこの機能の実態と評価を調べたので報告する。結論から言うと、多少の偏りはあるものの、コミュニティノートをおおむね肯定的に評価する人が多い。ここまでのところコミュニティノートは人々の支持を得ており、成功しているようである。

1.コミュニティノートとは

コミュニティノートを知らない人もいると思われるので最初に簡単に説明する。コミュニティノートとは、ツイートに対して他のユーザがつける注釈である。図1で「閲覧したユーザが背景情報を追加しました」とあるのがそれである。

図1(a)は「マイナンバーカード本人希望で廃止、4割近くが自主返納」というニュースについたノートである。ノートは、4割というのは本人希望で廃止した250件のうち自主返納だった分が4割ということであり、マイナンバー保有者8千万人の4割が自主返納したわけではないことを指摘している。このノートの趣旨は、ニュース記事の見出しがミスリードになる恐れがあることを指摘することである。

図1(a)

図1(b)は、安倍元首相の葬儀の参列者名簿の情報開示を求めたところ、74%が黒塗りだったことを批判するツイートについてのノートである。ノートは、名簿の黒塗りは個人情報保護法で個人が特定できる情報は開示してはならないとされているからで、法律に沿った措置であるとしている。

図1(b)

この二つの例でわかるようにコミュニティノートとはファクトチェックとはやや趣が異なる。あからさまなフェイクニュースをフェイクとする例は少なく、多くはミスリードを正したり、重要な判断材料を提供するものである。特に判断材料を提供するタイプ、すなわち、このツイートではAを主張しているが、それに関連して触れられていないBという重要な事実がある、と指摘することが多い。

この二つのなかでは図1(b)がそれで、国葬の参列者名簿の黒塗りの是非を考えるための判断材料を提示している。直接に黒塗りの是非を述べているわけではない。このノートを見ても、なお葬儀出席者の黒塗りを問題視し公開すべきと主張することは十分可能である。しかし、このノートがあることで、安倍元首相の威光を恐れ、あるいはどこかからの圧力があって黒塗りが行われたわけではなく、個人情報保護の法令にしたがった措置であることはわかる。ノートがない場合、行政機関が政治家の圧力に屈したあるいは忖度したという誤解に基づく不信が生まれる恐れがある。黒塗りに反対するなら個人情報保護法を覆しても公開すべきと主張する覚悟が必要であり、このことを伝えるのがコミュニティノートの目的である。

コミュニティノートはどうやってつけられるのだろうか。これには2つの段階がある。まず、コミュニティノートには「投稿者(contributor)」が存在する。投稿者は過去にツイッターの規則に違反しておらず、登録から6か月以上たったユーザで、電話番号認証をして登録すれば誰でもなることができる。

投稿者になると、任意のツイートにノートを書くことができる。ただし、書かれたノートはすぐには公開されず、投稿者同志の評価にさらされる。ここで役にたったという評価が一定のレベルに達すると一般に公開され、誰でも見られるようになる。ここまでが第一段階である。公開されたノートは、一般ユーザからの評価にさらされる。ここで役にたたなかったという否定的評価が多いとノートが非公開に戻ることがありうる。一定期間たつとノートは固定される。これが第二段階である。

いずれの段階でも公開されるか非公開になるかは人々の評価で決まるが、単純な多数決ではないとされている。ガイドラインによれば、ユーザを似た者同士でクラスターに分類しておき、多くの異なるクラスターから役にたったとされたノートが公開される。たとえば政治的に右あるいは左にかなり偏ったノートがあったとすると特定のクラスターの人にしか評価されないため、公開されない。実際、公開前のノートの中には、事実の指摘ではなく単に自分の意見を述べているものがあるが、この場合は特定の人にしか評価されないため、公開されない。これはコミュニティノートは意見を述べるのではなく、議論の材料を付加するためだからである。

コミュニティノートは強力である。元のツイートに付属するため、ブロックすることもリプライ制限することもできない。従来からもノートのような追加情報はリプ欄に書かれることがあったが、多くのリプライの中に埋もれてしまっていた。コミュニティノートは元のツイート本体に付属して表示されるため、埋もれることなくいやでも読者の目に入る。この強力さのためコミュニティノートは物議をかもすことになった。

2.コミュニティノートはユーザに支持されているか

コミュニティノートは効果を発揮しているのだろうか。これについては先行するアメリカで個々のツイートを収集した集中的な調査が行われている。コミュニティノートの導入で、誤情報のリツイート数が減ったというポジティブな報告もあれば(たとえばWojcik  et. al.(2022) 〔1〕)、ツイートの質はあまり変わっていないというネガティブな報告もある(Chuai et.al.(2023)〔2〕)。日本での導入はまだ始まったばかりで評価は難しい。ただ、導入直後なのでアンケート調査でユーザの評価を調べることはできる。これを試みよう。

調査日は2023年8月7日、ウエブ調査会社Freeasy社の20歳~69歳までのモニターで、まず5000人のネットユーザを集め、そのなかから現在ツイッターを使っている1905人に対して行った。コミュニティノートの本格導入が7月に入ってからなので、導入からほぼ1か月たったころである。

まずコミュニティノートの認知を尋ねた。コミュニティノートをどれくらい目にするかを聞いた結果が図2である。コミュニティノートを見たことのある人は742人で、今回のツイッターユーザ1905人の39%であり、ほぼ4割である。少ないようにも思えるが、コミュニティノートが本格稼働してから1か月であること、関心対象が芸能・スポーツ・エンタメで、時事問題にまったく関心がないとコミュニティノートには出会わないことから考えると、4割というのは妥当な数値であろう。  

図2

このうちノートを評価したことがある人は239人で、全体の12.5%であった。つまり全ツイッターユーザのなかでノートが役立ったかどうかを評価したことがあるのは1割強である。さらに投稿者、すなわちノートを書いたことがある人は44人であった。これは全体の2.3%である。

まとめると、全ツイッターユーザのうちコミュニティノートを見たことがあるのは40%で、ノートを評価したことがあるのは12.5%、そしてノートを書いたことがある人が2.3%である。逆に言うと全ユーザのうち、2.3%の人がノートを書き、12.5%の人がそれを評価し、40%の人がそれを目にしていることになる。

コミュニティノートという機能を人々は支持しているだろうか。これを知るためにコミュニティノートについて肯定的と否定的な見解を取り混ぜて6つ用意し、それに賛同するかを答えてもらった。対象はコミュニティノートを見たことがあると答えた4割の人(743人)で、図3がその結果である。

図3

最初の1と2はコミュニティノートが役にたつかどうか、そしてノートのおかげで誤情報や偏った情報に気づけるかどうかを聞いたものである。そう思うとややそう思うとあわせるとそれぞれ64%、63%の人がそう思うと答えており、思わないの22%、21%を圧倒している。誤情報や偏った情報に気づくようにすることがコミュニティノートの目的であり、この目的は達成されている。

3と4は否定的な見解である。コミュニティノート自体に偏りがあるかどうかを尋ねると、偏りがあると答えた人が35%、無いと答えたい人が40%で、偏りがないと答える人の方が少しだけ多かった。否定的見解の否定度合いを一歩進めて、コミュニティノートは政治的で信用できないという見解については、そう思うは24%だけで、思わないが52%に達した。否定的な見解は少数派である。

最後に5,6でまとめとして、コミュニティノートの登場でツイッターは良くなったか悪くなったかを聞いた。良くなったと答える人が47%、悪くなったと答える人が15%である。両者の差は圧倒的に大きく、ツイッターユーザはコミュニティノートを肯定的に評価しているとみてよい。

3.コミュニティノートに保守バイアスはあるか?

コミュニティノートにはリベラル側から批判がある。これまでにツイッター上でコミュニティノートという機能自体への不満・批判を述べた人は、津田大介氏、蓮舫氏、阿部岳氏などリベラル側の論客ばかりである。ノートが付く相手もきっこ氏、ラサール石井氏、望月衣塑子氏などリベラル論客のツイートであることが多く、保守論客にたくさんのコミュニティノートが付いた例はあまり見られない。したがって、一部にはコミュニティノートはリベラルへの攻撃、あるいは政権の擁護に使われているという批判が見られる。

なぜそのような批判が起こるのだろうか。論理的な可能性としてはコミュニティノートのアルゴリズムが保守側に有利になるように仕組まれているという説明が考えられるが、これはありそうにない。コミュニティノートのアルゴリズムは公開されており、かつこの機能はアメリカで2年以上前から稼働しているからである(初期にはBirdwatchと呼ばれていた)。アメリカのコミュニティノートについてはすでに多くの先行研究があるので、アルゴリズムにそのような意図的な偏りがあればすでに発見されているだろう。

アルゴリズムに偏りがないとすれば、コミュニティノートが運用される過程で内生的に偏りが出ていると考えるほかない。そのメカニズムは何だろうか。二つの可能性が考えられる。

第一は、何らかの理由で保守側がリベラル側よりも活発にノートを使っているという可能性である。理由はともかくとして、保守の人がコミュニティノートの導入で活性化し、意欲的にノート付与に励んでいるとすれば、リベラルのツイートにノートが付くことの説明がつく。

なぜ保守側の方がコミュニティノートに対して活性化したかはわからない。ただ、保守側は、昔からマスコミはリベラルに偏向していると批判する傾向がある。それゆえ、保守の人はネットの上こそ自分たちの言論活動の場と心得るところがあり、ネット黎明期からネット上での情報発信に熱心であった(私見ではこれがいわゆるネトウヨの起源である)。そうだとするとコミュニティノートのような機能が備わったとき、真っ先に反応して利用し始めたのが保守側だというのはあり得ない話ではない。この説明を、コミュニティノートにおける「保守活性化説」と呼ぶことにしよう。煽りを込めた揶揄表現を使えば、いわばコミュニティノートにおける「ネトウヨ跳梁跋扈説」である。

第二の可能性として、リベラル側のツイートがそもそもノートが付きやすいツイートだからという可能性が考えられる。これはリベラル側が意図的にデマを流していると言っているのではない。リベラルとは、人権や平等など普遍的理想をかかげて現状を批判し、変えていこうという思想的立場である。理想を掲げて現実を批判するいわば異議申立人であるため、特定の側面だけを訴えることになりやすい。問題点Aの告発を行おうとする弁護士は、相手にもB,Cなどいろいろ事情があるだろうと慮りはしない。異議申立人は様々の側面を考慮したりはせず、批判すべきA点だけに限って舌鋒鋭く議論を展開するのが常である。しかし、他の側面に触れなければ、コミュニティノートからすれば格好の注釈対象であり、かくして、ほかにもB点、C点がありますと指摘するノートが付くことになる。

特に日本の場合、政権をずっと保守が担当しているため、異議申立人が常にリベラル論客になり、結果としてノートがリベラル論客に集まってしまう。アメリカのように政権がリベラルになることがあると、保守側が異議申立人になるため、保守側のツイートにもノートがつく。実際、アメリカでのコミュニティノートのテストは2021年にはじまったが、当時は民主党政権下で、共和党のトランプが野に下っていたため、トランプ支持者の虚実混ぜてのツイートにノートがついていた。日本では政権がめったに変わらないため、異議申立人は常にリベラルであり、したがってノートがつくのはリベラル側のツイートに偏ることになる。この説明は異議申立人である限りノートが付くのは避けがたいということなので、「異議申立人宿命説」とでも呼ぶのがよいだろう。煽りを込めて揶揄表現をすれば、これは「リベラル自業自得説」である

保守活性化説と異議申立人宿命説のどちらの仮説が妥当だろうか。これを調べるために、コミュニティノートの活動に参加する人の政治思想の傾向を調べてみよう。ノートの活動に参加する人は投稿者評価者とに分けられる。投稿者はノートを書く人であり、評価者は公開されたノートに評価を行う人である。もし保守活性化説が正しいなら、評価者は保守的な傾向があるだろう。そして、ノート作成に時間と労力を投入する投稿者は、それだけの時間を割いて活動する情熱があるのだからさらに保守思想が強いと予想される。

逆に異議申立人宿命説が正しいなら、ノートを書く投稿者は政治的に中立で特に思想的偏りはなくてよい。ただ、中立な人が書いてもノートはリベラル系のツイートに付くことが多くなるので、評価する一般ユーザの方は保守傾向の人が多くなるだろう。リベラル系ツイートにノートがついたとき、喜びいさんでそのとおりと評価するのは保守の人と考えられるからである。まとめると、保守活性化説が正しければ、保守度合いは一般人<評価者<投稿者となる。一方、異議申立人宿命説が正しければ、一般人=投稿者<評価者となる。この違いで二つの仮説の妥当性を検証できる。

図4は回答者の保守リベラルの度合いを測るための問いである。政治的に意見の分かれそうな問いを10問用意し、これに賛成か反対かを聞いて1点から5点までの点をつけ、その平均値をとる(ただし値が大きくなるほど保守度合いが増す方に方向をそろえる)。このようにして得られた保守リベラル度は保守度を表す指数になる。この指数は筆者が他の調査でも用いてきたもので、一貫した結果が得られることがわかっている。詳しくはシノドスの他の記事を参照願いたい。〔3〕        

図4 保守リベラルの度合いの測定

このようにして求められた保守リベラル度の平均値を、全ユーザ、評価者、投稿者の3者別に計算した結果が図5である。一番左が全ユーザの場合で、保守リベラル度は3.01である。この指数の最小値は1、最大値は5なのでうまい具合にちょうど真ん中になる。その隣が評価者に限ったときで保守リベラル度は3.14に上昇する。保守活性化説、異議申立人宿命説のどちらの仮説でも評価者は保守が多いので、予想通りである。全ユーザ3.01との差は統計的にも有意であり、コミュニティノートでノートに評価を与えているのは保守層と言ってよい。 

図5

仮説の検証にとって重要なのはノートを書く投稿者である。数が少ないため推定誤差が大きいが、図でわかるように投稿者の保守度合いは3.08で、評価者の3.14よりも低かった。

これは保守活性化説とは相いれない。保守勢力がコミュニティノートを歓迎して熱心に使おうとしているなら、時間と労力を使ってノートを書く投稿者にこそ熱心な保守がいるはずであるが、そうなっていないからである。投稿者がやや中立に近いということはむしろ異議申立人宿命説に適合的である。ただ、中立に近いといっても、全体平均3.01までは戻り切っていないため、異議申立人宿命説が支持されたとも言いにくい。つまり、どちらか一つの仮説だけでは説明できない中間的な結果が得られたことになる。

どう考えるべきか。この二つの仮説は排反ではないため、両社がともにある程度働いたと考えるとこの結果を解釈することができる。まず、保守が活性化して、保守よりの人が評価者と投稿者に参加する。このとき労力を要する投稿者に多めに増える。投稿者が虚心坦懐にノートをつけても、リベラル側が異議申立人であるためリベラル側のツイートにノートが多く付く。その結果、これに拍手を送る形で役にたったと評価する保守がさらに増える。そして評価者の保守度が投稿者の保守度を上回るというストーリーである。投稿者のサンプル数が少ないため、あまり強い主張はできないが、暫定的な結論としては、二つの仮説はどちらもある程度働いたと考えるのが妥当である。どちらがどれくらいの大きさであるのかは、現データではわからず、さらなる調査を必要とする。

ノートがつくのがリベラルツイートに偏りがちであることについての見解は分かれるだろう。偏ったとしてもノートで重要な判断材料が提供されるのだから望ましいという意見もあれば、ノートは政権批判の出鼻をくじき、結果として政権擁護になるから良くないという意見もあり得るだろう。本稿ではこの是非までは議論しない

ただ、節を閉じるにあたり、これらの偏りを踏まえたてもなおコミュニティノートへの支持が強いことを指摘しておきたい。このことを示すために、回答者をリベラルの人に限ってみる。

図6がその結果である。6つの評価項目のうち4つだけを取り上げた。各項目の最上段は全ユーザの場合で、2番目は保守リベラルの軸で50%づつ半分に分けたときのリベラル側の人だけに限ったときである。3番目はさらにリベラル度を強めて、リベラル側25%の人、つまり強いリベラルの人に限った場合である。

図6

図6の(1)はコミュニティノートが役にたつかどうかの問いへの答えである。役にたつと答えた人は全体では64%(=27+37)あったが、リベラルの人に尋ねると57%に、さらにリベラル上位25%に限ると54%に低下する。リベラル側に寄るとノートへ評価は低くなる。しかし、それでもそう思わない25%の2倍に達しており、全体としては役にたつという評価の方が多い。特にリベラルの上位25%という強いリベラルの人のなかで、コミュニティノートは役にたつと答えた人がそうは思わないと答えた人の2倍いるというのは驚異的である。

ただし、リベラル側はコミュニティノートに自体に偏りがあるとも感じている。図6(2)を見ると、リベラル側上位25%では、コミュニティノートに偏りがあると思う人は42%で、思わない人32%より多くなっている。リベラル側にとってコミュニティノートに偏りがあることに不満があることは間違いないだろう

しかし、それでも、コミュニティノートの登場でツイッターが良くなったか悪くなったかを尋ねるとよくなったという答えが圧倒的である。図6(3)(4)を見ると、リベラル側上位25%に限ってさえ、コミュニティノートの登場でツイッターが良くなったと思う人が32%、悪くなったと思う人が21%であり、良くなったと思っている人の方が多い。

この節をまとめれば、偏りはあるものの、コミュニティノートは役にたっており、この機能の追加でツイッターは良い方向に変化したというのが人々の評価だといってよいであろう。

4.投稿者のプロファイリング

コミュニティノートの働き方は投稿者しだいである。コミュニティノートの投稿者は自らノートを書き、相互にノートを評価してそのノートが公開されるかどうかを決めている。評価者は公開されたノートを再び非公開にするかどうかに関わるだけであり、影響はそれほど大きくない。コミュニティノートの仕組みの中核を担うのは投稿者の方であり、投稿者が党派性を帯びたり、組織的に行動したりするとコミュニティノートの性格は歪んでしまう。そこで最後に投稿者のプロファイリングをしておく。ただし、投稿者の数は少なく、今回5000人をサーベイして見つかったのは44人というレアさなので、暫定的な結果になることをお断りしておく。

対象をツイッターユーザとし、投稿者であることを被説明変数としてロジット回帰する。表1がその結果である。この係数は限界効果で、投稿者になる確率がどれくらい上がるかを示している。値は小さいが、投稿者自体がツイッターユーザの中で2%程度とそもそもレアなので、それを考えれば妥当な値である。統計的に有意なものは星印がついている。

表1 コミュニティノート投稿者のプロファイル(ロジット回帰での限界効果)

順に変数を見ていく。一番上の1は保守リベラル度であり有意ではない。図5で投稿者の保守リベラル度を見た時、3.08とわずかに保守よりであったが、他の変数を制御すると政治思想の影響は消えてしまい、むしろマイナスにすらなっている。保守的あるいはリベラル的な人が投稿者になるという傾向はないことになる(なお、これは異議申立人仮説を支持する材料である。)

2から5まではフォロワー数を見たもので、3000人以上が有意である。フォロワーが3000人以上いるということは、ツイッターである程度は情報発信を行っているということを示唆する。同じことは6の掲示板でも言えて、過去1年間にネット上の掲示板に書き込みをしたことがある人が有意に投稿者になっている。ここからもノートの投稿者とは情報発信の経験のある人と推測できる。

8,9は教育水準を尋ねた。ノートを書くにはある程度の知識が必要であるので用意した変数であるが、有意ではなかった。ノートを書くかどうかに学歴は関係していない。

10,11は年齢の要因で、一次項が正で二次項が負でいずれも有意である。興味深いことに年齢効果は逆U字型で最大値があることになる。元の係数に戻って最大となる年齢を求めると36歳であり、投稿者の中心は30代半ばである。

12は性別で、女性が1となるダミーなので、係数が負ということは、男性が多いということを意味する。実際、44人のうち、男性は32人、女性12人であり、3対1の割合で男性が多い。

まとめると、コミュニティノートで中核を担う人たち、すなわちノートを書き公開するかどうかを決める投稿者は次のような人たちである。

「男性が4分の3で、年齢は30代半ば、フォロワーが3000人以上いて、掲示板に書き込むなど情報発信に熱心な人たちである。学歴は問わず、保守リベラルの政治思想に特にこれといった傾向はない」

実際に投稿者を見てみるとノートを書く分野に特徴がある(投稿者は匿名であるが、コードネームのような名前がシステム側から与えられるので、同じ投稿者のノートはまとめて読むことができる)。ある人はコロナ関係のツイートに熱心にノートをつけており、医療関係者であると推察できる。またある人は行政事務や手続きについて詳しいノートを書いており、おそらく行政事務の経験者である。それ以外にも、写真に詳しい人、軍事関係に詳しい人などがおり、それぞれ得意分野でノートを書いていることがうかがえる。

公開前の段階ではノートとしてふさわしいかどうかについての議論が行われる。「このノートは事実の指摘ではなく意見なので不要である」、とか、「ありえない記述であるが、風刺であることは明らかなのでノートは不要である」、あるいは「ツイート内容と直接関連しない」などの書き込みがなされる。コミュニティノートの趣旨は重要な関連事実の指摘であり、意見の表明ではない。誤情報を正すことはあっても賛否を議論することが目的ではない。現状ではこのルールは投稿者間でよく守られているようである。コミュニティノートが党派性や組織的行為に振り回されず、一定の秩序を保っているのは、このルールが守られているからと考えられる。

逆に言えば、このルールが崩れる時、コミュニティノートは混乱し、最終的には失敗する。現状はまだ始まったばかりであり、投稿者の数は少ない。インターネットの歴史は参加者が少ないうちはうまくいっていても、拡大するにつれて荒れ始めるのが常であり、コミュニティノートもそうならないかどうかはこれから見極める必要がある。

無論、運営もこのことは十分気を付けており、随所に荒らし対策が組み込まれている。投稿者になるには電話番号認証が必要で、ツイッターへの登録から6か月以上たった人だけである。1日で書けるノート数に上限があり、問題行動を繰り返すとポイントが下がってノートを書けなくなる。このように荒らし対策は多岐にわたる。

荒らし対策のうち最大の物は、すでに述べたようにノートを公開するには同じ考えの人から支持されてもダメで、考えの異なる広い範囲の人からの支持がいるという仕様である。これにより過激派やあるいはカルト的な段階が組織的に投稿者になってノートを意図的に利用することを防いでいる。今のところこれは成功していると思われるが、これが持続するかどうかはこれからわかることであろう。

5.要約

(1) コミュニティノートはツイッターユーザの2%程度の人が書き、12%程度の人が評価をくだし、40%くらいの人が見ている。

(2) コミュニティノートはツイッターユーザに支持されている。「役にたつ」、「誤情報を知ることができる」、「コミュニティノートでツイッターは良くなった」と思う人がそう思わない人より圧倒的に多いからである。

(3) コミュニティノートはリベラル側のツイートに付くという批判がある。このような偏りが生じる理由としては、保守が積極的にコミュニティノートを使っていること、ならびにそもそもリベラルのツイートが異議申し立て型なのでノートがつきやすいという事情が考えられる。

(4) ただ、このような偏りがあっても、コミュニティノートへの支持は厚い。ユーザをリベラルの人に限っても支持する人のほう方が多いからである。

(5) ノートを書く投稿者は男性が4分の3で、年齢は30代半ば、フォロワーが3000人以上いて、掲示板に書き込むなど情報発信に熱心な人たちである。

〔1〕Wojcik, Stefan, S. Hilgard, N. Judd, D. Mocanu, S. Ragain, F. Hunzaker, K. Coleman, J. Baxter, 2022, “Birdwatch: Crowd Wisdom and Bridging Algorithms can Inform Understanding and Reduce the Spread of Misinformation,” https://arxiv.org/abs/2210.15723

〔2〕Chuai, Yuwei, Haoye Tian, Nicolas Pröllochs, Gabriele Lenzini, 2023, “The Roll-Out of Community Notes Did Not Reduce Engagement With Misinformation on Twitter,”  https://arxiv.org/abs/2307.07960

〔3〕たとえば、https://synodos.jp/opinion/society/27733/ 「呉座・オープンレター事件の対立軸――キャンセルカルチャーだったのか?」

プロフィール

田中辰雄計量経済学

東京大学経済学部大学院卒、コロンビア大学客員研究員を経て、現在横浜商科大学教授兼国際大学GLOCOM主幹研究員。著書に『ネット炎上の研究』(共著)勁草書房、『ネットは社会を分断しない』(共著)角川新書、がある。

 

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