2013.02.14
避難区域外の児童生徒等の放射線防護についての一考察 ―― 学校再開問題と20ミリシーベルト問題の検証から
福島県内の学校は、震災直後の4月、通常通りに再開された。再開までの意思決定プロセスを検討すると、文科省と安全委員会の不毛なやりとりなど、国、県、市レベルそれぞれにおいて、問題があることがわかる。
そして学校利用判断の基準値となった「20ミリシーベルト問題」。政策決定者と専門家の意思決定のプロセスが不透明であり、住民とのリスクコミュニケーションも行われずにいた。望ましい意思決定プロセスとは? 意思決定はどのレベルで行われるべきか? 環境社会学会における西﨑伸子氏の発表を記事化する。(構成/小島瑳莉)
信頼が失墜した政策決定者・専門家
おはようございます。福島大学の西﨑伸子です。今日は「避難区域外の児童生徒等の放射線防護についての一考察」ということで、児童の放射線防護の観点から、「学校再開問題」と「20ミリシーベルト問題」についての検証結果を報告します。
いずれの問題も、誰が緊急時のきわめて不確実性が高い時期の出来事について意思決定をしたのかを明らかにし、放射性物質による被曝問題について誰がどのような意思決定をすることが望ましいのかを考えていきたいと思います。
今回の原発事故にはいくつもの特徴をあげることができますが、とくに、人為的災害の側面が強い複合災害であること、長期にわたって環境汚染を起こすこと、そして人々の生活をすでに破壊、あるいは大きく変容させてしまったこと、これら3つの特徴があげられるでしょう。
いま県内外に約15万人の避難者がいます。政府の指示によって避難をされた方と自主的に避難をされた方、また県内へ避難された方と県外へ避難された方など、避難者によって異なった状況におかれている一方で、いずれの避難であっても先の見通しがまったく立っていない不安定な状況にあることは共通しています。
その一方で、人口動態調査だけを見てみると、県民の9割は県内に留まっています。しかし福島県内の最重要課題である、一定以上の放射能汚染がある地域の日常生活における放射線防御がなかなかうまくいってない現状もあり、避難するも留まるも地獄という状況が、部分的に継続しています。
また原発事故による環境汚染が長期にわたって起こることは確実かと思いますが、それに起因する健康被害リスク、とくに低線量被曝の影響については未解明のものが多く、まだまだ議論がなされているところです。
こうした状況のなかで、いま「安心」だけを説く政策決定者・専門家の発する言葉が、一般市民にまったく納得されず、信頼が失墜してしまっているといっても過言ではありません。原発事故以降、政策決定者、専門家、市民の関係性が問題になっているのではないでしょうか。
専門家が担保する「正しさの妥当性」に幅があることは、従来であれば普通の市民に問われることはそれほどありませんでした。しかしいま、たとえば子育て中のお母さんのような一般市民が、専門家の議論に敏感になり、日常会話のなかで放射線量に関する話題を扱っています。また、一般市民が、信頼できる専門家とコンタクトをとって独自に調査を行ったり、アドボカシー活動に取り組む動きも見られます。一般市民参加型の意思決定の要求がますます高まっているわけですね。
専門家の役割については、以前からさまざまな議論がありました。今日はとくに、東日本大震災における政策決定過程における専門知利用の透明性や開放性、アカウンタビリティーはどうだったか、また市民社会との関わりについて具体的な事例から報告をし、「専門性の民主化」についても論じたいと思っています。
「学校再開問題」「20ミリシーベルト問題」とは
さて今日ご報告する「学校再開問題」と「20ミリシーベルト問題」について、まずは簡単に説明をさせていただきます。
ひとつ目の「学校再開問題」は、いま考えると非常に重要な問題であったのにもかかわらず、ローカルな問題であったがゆえに震災直後の情報量の膨大な混乱期で見過ごされてしまいました。わたし自身、学校が再開したことを歓迎する論調で報道されており、非常に残念に思ったことを覚えています。
福島県内の幼稚園、小学校、中学校および特別支援学校は震災直後から、4月から学校を再開するか検討をつづけていました。この問題は「学校再開問題」として国会事故調査委員会の調査報告書にも記述されています。最初に結果から申しますと、学校等は通常通りに再開されました。この決定により避難していた多くの子どもたちおよびその家族が避難先から戻ってきましたし、これから避難しようと考えていた人たちも避難を踏みとどまる大きな契機にもなりました。
市民団体や保護者が通常通りに学校を再開することに対する抗議活動を独自に行っていましたし、大学ですら入学式を一ヵ月遅らせたにもかかわらず(新幹線が不通という理由でしたが)、なぜ園や小中学校が通常通りに再開されてしまったのか、その意思決定プロセスはどのようなものであったのかについて、私の見解をお話します。
ふたつ目の「20ミリシーベルト問題」については多くの方がご存知かと思います。これは4月19日に政府の原子力災害対策本部が旧原子力安全委員会(以下、安全委員会と略記)の助言を得てまとめた「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な考え方」で、毎時3.8マイクロシーベルトの空間線量率未満であれば平常通りに利用しても差し支えないと公表したものです。
年間の積算量20ミリシーベルトという基準についてはさまざまな議論がありますが、ここではその妥当性を問うのではなく、基準が発表されたことで、地域社会がどれほどのインパクトを受けたのかについて焦点を当てて報告したいと思います。
文科省と原子力安全委員会の不毛なやり取り
それでは最初に「学校再開問題」の検証結果をお話します。
各種の事故調査報告書において「学校再開問題」をきちんと問題として捉えて書いているのは、国会事故調査委員会によるもののみになります。
文部科学省(以下、文科省と略記)が2012年に公表した「東日本大震災からの復旧・復興に関する文部科学省の取組についての検証結果まとめ(第二次報告書)」によると、3月25日に、文科省は「入学式の学校行事については当初予定していた日程を変更することも含め弾力的な対応を求め」ています。
また同日には、JAXAの協力によってようやく30キロ圏外での広域モニタリングが開始されています。30日には、福島県が原子力災害現地対策本部を通じて、学校再開問題の判断基準の設定を担当している文科省に、学校を再開するにあたっての基準値を出すように要請しています。
文科省は4月6日に、安全委員会に対して助言を依頼し、それを受け安全委員会は同日に「原発20キロから30キロの範囲内の屋内退避区域については、学校を再開するとしても屋外で遊ばせることが好ましくない、それ以外の地域についても空間線量率の値が低くない地域においては、学校を再開するかどうか十分に検討すべき、モニタリングの継続と適切な対応をすべき」と返答しています。
文科省はこの返答に対して、「空間線量率の値が低くない地域」の具体化を依頼し、安全委員会は4月7日に、「文科省が自ら判断基準を示すべき、参考値として、公衆の被曝に対する線量限度は1mSv/年」と返します。これを受けた文科省はふたたび安全委員会に具体化を依頼し、安全委員会は「前回の回答通り」と答えています。
この非常に不毛なやり取りを行っているあいだに、地震や津波によって建物が壊れて使えなくなってしまった一部の園・学校を除いて、4月6日に、県内ほぼすべての園・小学校が入学式および始業式を実施しています。これによって、検討すべき問題が、学校再開の可否ではなく、学校再開を前提とした学校の校舎・校庭等の利用判断基準の数値へと変更、いわゆる「20ミリシーベルト問題」に切り替えられてしまいました。
県・市・市民の動き
つぎに県レベルの検証ですが、先ほどもお話したように、3月30日に、県教育委員会教育長名でオフサイトセンターを通じて、文科省に学校再開にあたり明確な基準を示すように依頼を出しています。また31日には県教育委員会が、市民団体による「地表面サンプリング調査」を使って、大気中のみならず地表面も含めた放射線量に関する全県的なサンプリング調査と結果を踏まえた回答と、地域別基準を出すように依頼します。
それを受けてかどうかはわかりませんが、4月5日から7日にかけて、全学校の空間線量の測定が始められ、8日にその結果が公表されます。しかし、先ほどもお話したように、結果が公表される前の4月6日にはすでに学校は再開されてしまっているんですね。それ以降、県は4月19日まで回答を待ち続け、市町村への指示も止まってしまいました。
つづいて市レベルの対応を、福島市を事例にして検証していきましょう。
3月13日、臨時で福島市公立学校長・園長会議が開かれ、今後の学校運営について話し合われ、16日までに卒業式の取りやめや学校の臨時休校が発表されます。また3月17日と21日には、医療生協わたり病院医師や福島県健康リスク管理アドバイザーによって、放射線に対して冷静に対応することを住民に求めることを主な目的に、講演会が開かれました。
そして25日に、文科省が学校再開に対して弾力的な対応を求め、それを受けた県の教育委員会が検討し、福島市では3月31日に公立学校長会議において児童生徒の円滑な教育活動のスタートについて話し合われ、その結果、通常通りに再開することが住民に知らされます。
このときなにを検討したのかというと、児童生徒の安全確保、施設設備の復旧、給食の再開などをポイントに安全をチェックしたそうです。放射能の対応については、当時、市には専門的な助言をおこなうアドバイザーがいなかったため、先述した医師や県のアドバイザーの助言によって学校再開が決定されたと推察されます。
最後に市民団体や保護者がその間になにをしてきたかお話をすると、市民団体はいち早く学校や校庭の調査を行い、結果を県に提出しています。また個人へのヒヤリング調査を行うと、たとえば避難先から電話で何度も市役所に学校再開を問い合わせておられた方がいます。抗議をされていた方は、なぜこのような状況で学校が再開されるのか理解できないとおっしゃっていました。
震災直後、政府からの避難指示がなかった地域に住む人々の避難行動は今後明らかになると思われますが、学校再開が非常に大きなインパクトを持っていたことがよくわかります。
「学校再開問題」まとめ
まとめに入ります。
国の対応としては、文科省と安全委員会が、決定の権限、あるいは責任のなすりつけ合いをしているあいだに時間切れがきてしまっていました。県や自治体においても、県は高校について、自治体は幼稚園、保育園、小中学校について、柔軟に対応できる権限があったにもかかわらず、自然災害への対応に終始してしまいました。これは従来から指摘されている、教育委員会の官僚的、閉鎖的性格と関係があるのかもしれません。
また原発災害への対応については、どうやら特定の専門家の意向を聞いた上で意思決定してきたのではないか、ということも見えてきました。やはり政策決定過程における透明性、開放性、多元性、アカウンタビリティーすべてにおいて欠如していたのではないでしょうか。これは「緊急事態だったから」ではすまされない問題だと思います。
20ミリシーベルト基準の設定と撤廃まで
ここからは「20ミリシーベルト問題」に移ります。20ミリシーベルトという基準値をめぐっては、避難基準と同じ数値であること、子どもと大人が同じ基準であること、内部被曝の影響を過小評価しているなど、多くの懐疑がありました。時系列順に見ていきましょう。
3月21日にICRPが日本国に対して「人々がその地域に住み続けることができるようにするために1年間に、1~20mSv/年の範囲の参考レベル、長期目標として1mSv/年の参考レベルを決めて防護対策を行うこと」を勧告しています。朝日新聞4月6日の記事によると、安全委員会はこの勧告を受け、「防災対策での退避は通常、短期間を想定している」として、年間の被曝限度を引きあげることを検討していました。
8日には、先ほどお話した文科省と安全委員会の不毛なやり取りに関係しているのだと思いますが、「学校再開に関わる助言依頼や決定には、文科省と安全委員会のやりとりだけでなく、原子力災害対策本部を関わらせること」と枝野官房長官(当時)が発言しています。また同日、安全委員からは「空間線量だけでなく、土壌も計測し、総合的に判断する」と声明がでています。さらに8日は、文科省が放射線医学総合研究所の意見を参考にしつつ、被曝の基準に関する暫定的な考え方のたたき台の作成もされています。
このたたき台の内容について文科省は、翌日の9日に、安全委員会に対して説明を行いました。安全委員会は、内部被曝について情報が不足しているなか、外部被曝の二倍程度の危険性を考慮する必要があると指摘をします。しかし文科省は、その後、内部被曝影響の調査を独自に行い、内部被曝は、外部線量被曝量の平均2%程度ときわめて小さいと判断をし、内部被曝を考慮せず、外部被曝で計算を行う決定を下しました。
12日、文科省は通常であれば助言を受けるべきである安全委員会に対して、「内部被曝については安全係数を設けない」と提示します。安全委員会は翌日、登校目安として、年間の放射線積算線量10ミリシーベルトを提示。しかし14日には「委員会として10ミリを基準と決定したわけではない。うまく言葉が伝わらなかった」「大人より被曝量を低減すべきだという考え方は必要だ」とし、発言を撤回します。
結局、19日発表された文科省の「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」には「非常事態収束後の参考レベルの1-20mSV/年を暫定的な目安とし、今後出来る限り児童生徒等の受ける線量を減らしていくことが適切であると考えられる。屋外3.8μSv/時間であれば、校舎・校庭を平常通り利用をして差支えない」とあります。つまり基準が20ミリシーベルトに決まったということですね。
市民団体はこの基準に対して反発、文科省に直接交渉を行いました。これは特定の市民団体の呼び掛けだけでなく、ネット上で保護者が自主的に集まって行ったものです。また4月25日に開かれた小佐古敏荘内閣官房参与(当時)の涙の辞任会見を受け、福島市内では「なにかがおかしい」と感じる人が増えてきました。
5月2日、県内全域の詳細な汚染地図が初めて公表され、基準値に対してさまざまな意見が出てくるようになりました。市民団体が改めて文科省に交渉を行った結果、文科省は各教育委員会に、当面は年間1ミリシーベルト以下に抑えるように伝えます。この動きが、8月25日の20ミリシーベルト基準の撤廃に繋がったわけです。
この問題に対する国の対応を振り返ると、安全委員会の助言やさまざまな専門家の意見を、なぜ文科省が参考にしなかったのかが不透明であることがわかります。また気になる点としては、政府の事故調査報告書に、「文部科学省が、20mSv/年という値を設定するに当たり、福島県放射線健康リスクアドバイザーが100mSvまでの被曝であれば健康に影響はないと説明していたことから、政府があまり低い基準値を示すと、現地を混乱させる可能性があることも参考とした」と書いてあること。この記述は、まったく納得のいかないものです。
県や自治体は、この件に関してまったく裁量の権限がありませんから、上からの通達を受け、最終的に各学校の学校長の判断に任せられたため、学校によって対応に差がでていました。比較的高線量の学校は屋内活動を含めて、すべてを中止しますが、それほど高くない学校は、屋外活動を実施するところもありました。
たとえばある学校では、学校長が独自に10ミリシーベルトを基準にして、体育を屋外で始めてしまいました。学校の現場で、しかも素人が意思決定をおこなうことは放射線防護の観点からみて望ましい判断とはいえません。しかし、無用の被曝は避けた方がよいということすら、現場には伝えられていなかったのです。
「学校再開問題」「20ミリシーベルト問題」から見えてくる課題
さて本日取り上げたふたつの問題を、児童生徒の放射線防護という観点からみると、まず不確実性や更新可能性の非常に高い状況で、学校を再開することは時期尚早、あるいはやり方に工夫ができたのでは、と思います。
学校を再開したことにより避難行動の自己決定が阻害されてしまっています。また、放射線防護よりも、通常の対応を優先させてしまっているように見えます。加えて、なぜ子どもが、大人と同じ20ミリシーベルト基準を適用されているのか。じつは国会事故調の最終報告書には、10ミリシーベルト基準にする場合、適応する学校は400校以上、20ミリシーベルトの場合は13校で済むといった計算が書かれています。推測するに、これは子どもの放射線防護を優先するのではなく、財政的な問題を考慮していたのではないでしょうか。
リスクに関する意思決定プロセスの観点から振り返ると、政策決定者と専門家による意思決定のプロセスが不透明なことや、政策決定者に現状を把握する力も住民とリスクコミュニケーションを行おうする意識も皆無であったことが指摘できます。
今後の課題は、災害の際に国はもちろんのこと、地方自治体が担う役割をいま一度、問い直さなおすことが必要でしょう。意思決定はどのレベルで行う必要があるのか、議論していく必要があります。また被害当事者が意思決定のプロセスになんらかのかたちで参加しなくてはいけません。住民の声を発信して、組み入れられるような状況に変えていかなくてはいけない。これからの被害の拡大の防止のためにも、必要だと考えます。
(2012年12月2日 東京都市大学にて)
プロフィール
西﨑伸子
福島大学行政政策学類教授。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員などを経て2006年より現職。1999年からエチオピアの国立公園制度、野生動物と人の共存、自然/文化観光の調査をおこなっている。主著に『抵抗と協働の野生動物保護-アフリカのワイルドライフ・マネージメントの現場から』(2009年、昭和堂)がある。元青年海外協力隊隊員(エチオピア、生態学)。野生生物と社会学会理事。