2013.01.21
震災から考える現場判断の重要性と今後の日本のあり方
震災からもうすぐ2年が経過しようとしている。わたしたちは、震災から何を学び、今後どのようなことを検討しなければならないのか。発災後いち早く沿岸被災地の後方支援活動に取り組んだ遠野市の本田敏秋市長に、経済学者・飯田泰之がインタビューをした。(構成/宮崎康二)
震災直後の対応
飯田 復興アリーナは、東日本大震災からの復興についての情報を集め、アーカイブしていくプロジェクトです。震災直後、遠野市は沿岸部で津波の被害にあった自治体へのバックアップにあたり、大きな働きをされたとの評判です。ぜひ、今回の震災対応についてお話を伺いたいと思い、インタビューのお願いをさせていただきました。
今までに様々なメディアで同じ話を何度もされていると思いますが、まずは市長が3月11日にどちらにいらっしゃったかをお聞かせください。
本田 市内で用事をすませて、14時ごろに市庁舎から10分ほどの場所にある自宅に帰りました。遅めの昼食をとり終えた頃にあの揺れがやってきた。いやあ、凄まじい揺れでしたね。すぐに、市役所や保育所、病院や学校は大丈夫だろうか、家屋は倒壊していないか、火事は起きないだろうかと、いろいろなことが頭を駆けめぐって。あと大きな津波もくると直感しました。早く動き出さなくてはと思い、揺れが完全に収まる前に防災服に着替えて、自転車で市庁舎に飛び込みました。
幸い職員は無事だったので、さっそくパトロールにまわって市内の被害状況を確認するように指示をだしました。また自衛隊、警察隊、消防隊、医療隊などがやってくると判断し、総合運動公園を開放するよう指示しました。普段の訓練のおかげか、職員も迅速に動くことができました。
飯田 平時の訓練のおかげで、どういった対応がとられるか予想することができ、職員がしっかり震災に対応できる体制になっていたわけですね。
本田 そうです。やはり訓練は重要ですね。
16時半頃には、市民の命を損なうような被害がでていないことも確認できました。平日の昼間であったことが、市内の状況を速やかに確認できた要因となりました。
現場の自己判断の重要性
飯田 住田町の多田町長もお話をされていたのですが、今回の震災対応を語る際に、自治体間の広域防災連携の話は欠かせないものだと思います。
「復興から日本の災害支援をアピールする」; http://tinyurl.com/akcrjp2
東日本大震災はかなり広い範囲で被害を受けたために、連携している自治体のほとんどが被災してしまいました。広域防災連携では、被災した自治体が自分のことをある程度できるという前提で結ばれていたのでしょうか。
本田 ええ、でも今回被災した市町村のほとんどは完全に行政としての機能を失ってしまって、なかなか対応できませんでした。
飯田 そうすると、広域防災連携を結んでいる近隣の市町村が、とくに被害の大きい他の市町村を支援するために他の自治体の機能を担う必要がでてきますよね。しかし、多くの自治体が手続きの問題などでそのような対応ができなかったように思います。
本田 災害に対応する際、被災した市町村のニーズに応えるかたちで、まずは県が動きます。その動きに呼応して国が動くようになっている。そして県や国の動きによっては、「遠野市から職員を派遣して欲しい」「救援物資を届けてほしい」と指示がくる仕組みになっているんです。
飯田 国や県の指示があってようやく自治体が動けるようになるわけですね。
本田 ええ、今回それがまったく機能しなかったんです。
事態は切迫していました。職員が「何を持っていけばいいんでしょうか」と聞いてきたので、「考えずに動け、この寒さの中で、みんな避難所で震えあがっているんだ。なんでもいいから持っていけ」と指示を出しました。
県や国からの指示を待っているわけにはいきません。とにかく動かなくちゃいけない。でも正式な手続きを行っていませんから、支援活動の中で職員にトラブルや事故があればわたしの責任になる。災害救助法には、後方支援のための財源や権限については何も明記されていないんです。最終的には国も県も手当てしてくれましたが、あのときはわたしの責任で動くしかありませんでした。
飯田 たとえば小さい災害のときは、平時のルールで動いても対応できるかと思いますが、今回のような大規模の災害では、平時のルールのままで対応することには無理があったのではないでしょうか。それこそ首長の裁量の余地は、法律によってがちがちに縛られてしまってほとんどないように思うのですが。
本田 平時のルールのままで動いていたら何もできなかったでしょうね。
たとえば、連携している市町村にガソリンが欲しいとお願いしても、携行缶に詰めなくては運べないと法律で規制されている。だから即座に運んでもらえないんです。それでもある首長さんは、危険物を取り扱っている業者さんに頼んで、携行缶ではなくポリタンクにガソリンを詰めて、万全を期して運んでくれた。やはり市町村の首長がそれぞれに得た情報と自らの判断で超法規的に動かなければならない状況が現実にあったわけです。
遠野市は、震災前から後方支援構想をまとめていたために、システム的に動くことができました。一定の評価もいただいています。遠野市だけでなく、このような例は、宮城県や福島県でも数多くの事例があったと思います。国や県には失礼ですが、国や県が動く前に、基礎自治体がいろいろなつながりの中で動いていたことは今回、とても大きかったと思います。
飯田 県や国の対応から、他人事感を覚えたことはありますか。
本田 ありましたね。
たとえば、三陸沿岸にはほとんど平場がないので、仮設住宅を建てる際に、内陸にある遠野市や花巻市に建設すべきではないかと提案したところ、「被災自治体からそういった要請は受けてない」と言われてしまって。
飯田 あれだけの被害を受けているわけですから、ニーズはあっても被災自治体は細かな要望を県や国に正式に伝えることのできる状況ではないですよね。
本田 おっしゃる通りです。役場は津波で流され、場所によっては地権者の方も亡くなっている。ニーズにあった要望を出せるほどの余裕なんてありません。
印象深いエピソードをひとつご紹介します。当時、内閣府の副大臣であった平野達男参議院議員から電話がありました。テレビで、県の職員が仮設住宅を建てる土地を見つけるために、疲労困憊の被災地の職員に「ここの地権者は誰ですか?」と尋ねている様子が報道され、「何をやっているんだ。今はそういうことをしている場合じゃないでしょう」と。あのとき「地権者や手続きの問題はあとで解決します。とにかく今すぐ建てましょう」と踏み込めば、もっとはやく仮設住宅が建てられたはずです。
そういえば住田町長の多田さんに、「本田さん、俺は単独でやるぞ。災害救助法なんて待っていられない」と言われて、わたしも「まずはこじ開けてくれ。俺もついて行くから」と話したことがありました。遠野市は市庁舎が壊れてしまったこともあり、救助法の適用ぎりぎりまで粘ったのですが、多田さんは専決処分で動かれた。立派だと思います。
遠野市も、グランドの改修や建物の補修などで、気がついたら4億円くらい使っていました。でもこのお金を補償する法律はありません。「市長が勝手にやったんだから、市長が負担しなさい」と言われても仕方ない。でもわれわれは決して間違ったことをやっていません。職員にも、使ったお金を正直に申告して、誠実に交渉すれば必ず国や県に伝わると話しました。最終的に県や国は、交付金を手当てしてくれました。
飯田 復興のための法や制度が、場合によっては足を引っ張ってしまうことがある。想定外のことはいつでも生じうるわけですから。東日本大震災の場合は、各自治体が専決処分で進めていこうとする流れを妨げるケースが目立っていたように思います。
本田 その通りです。この震災では、法律を超えた首長の判断が随所にありました。
震災で顕在化した日本の諸問題
飯田 今回の東日本大震災では震災対応に関する問題だけでなく、日本全体が抱えている高齢化やコミュニティーの崩壊といった社会問題を顕在化させたように思います。
本田 「絆」という言葉が流行したように、希薄になりつつあった人と人の繋がりが大切にされるようになったと思います。費用対効果や効率性という言葉の中で、小泉政権以降の限界集落、消滅集落にはあまりお金をかけない風潮がありました。しかし、今回の震災で少子高齢化と人口減少が起きている日本で、地域やコミュニティーがいかに大切か、認識するようになりました。
飯田 効率という言葉は、目先で得なことしかやらないことではないんですよね。来年の予算について考えれば、たしかに莫大なお金のかかるインフラ整備に予算をつぎ込まないほうが良いでしょう。でもインフラ整備も、災害の備えもしないことは、30年くらいの長い視点で考えると、じつは効率的ではないかもしれません。
首都直下型地震が起きたときに、東京をどこがバックアップするのかという話はまったくできていない。東京が被災した場合、県や地方だけでなく、国そのものも機能しなくなるでしょうから、遠野市や住田町のように自らが判断し動き出さなくてはどうにもなりません。「プッシュ型支援マニュアル」が遠野市や住田町から出てきたことは非常に興味深いことです。
本田 今回の地震をきっかけに、自治体主導の方向にもっていくこともわれわれの義務だと思います。犠牲者の方々に報いるためにも。
飯田 最近では、県という行政単位が時代にそぐわなくなっているという議論がしばしばなされます。
本田 今はインターネットやメールで、遠野市のような小さな市でも直接、霞ヶ関と向き合う機会も増えています。昔は、まず県の出先に行って、県の本庁に行って、ようやく霞ヶ関にたどり着いて、たどり着いたらたどり着いたで「なんで今更こんなものを」と言われていた。今では県を通さなくても、われわれのような自治体に、情報を受け止めるセンスとその情報を消化できる能力がある職員がいれば、国とやり取りできるようになったんですよね。
飯田 情報が瞬時に地球の裏側まで届く時代に、県という制度は「帯に短し襷に長し」ではないかという指摘は多くなっています。たとえば自治体ほど地域に根差した仕事をするには県は大きすぎる。一方で、国の代わりになるには小さすぎる。おそらく県も、どこからどこまでが自分たちの仕事なのか、自分の立ち位置がつかめなくなっているのではないでしょうか。今回の震災は、地方自治体について考える機会になっていると思います。
友好協定、姉妹都市のありかた
本田 わたしはいま、自治体のネットワークをつくろうと、いろいろな所で盛んに主張しています。お互いにネットワークの中で行動し、発言することで、県や国が動かざるを得ない状況をつくっていきたいと思っているんです。
飯田 友好協定や姉妹都市といったネットワークがあると、震災発生直後に各地から支援を受けることができ、その地域の拠点にもなれると思います。実質的なネットワークの存在以上に、「どこに支援を集中させるか迷う必要がない」という点が大きいかもしれない。それに日本中の各地域に1個ずつ友好都市があれば、広域で被害があったとしても、被害を受けていない残りの市がバックアップすることができますよね。
本田 ええ、今回も友好関係を結んでいる愛知県大府市は、遠野市にたくさん支援してくださった。
友好都市は、リボンをつけて儀礼的に首長同士が握手を交わすだけではなく、お互いに連携・交流しながら、何かあったときは支え合う。ウィンウィンの関係を作っていくことが友好関係のあるべき姿だと考えています。
飯田 県のありかたが難しくなり、基礎自治体の重要性が増していくなかで、本田市長のご活躍の機会もますます増えることと思います。市長の一層のご活躍を期待するとともに、東北の復興をお祈りしています。本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
(2012年11月27日 ショッピングセンターとぴあにて)
プロフィール
飯田泰之
1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。
本田敏秋
神奈川大学法学部卒。1970年(昭和45年)岩手県庁入庁。消防防災課長、工業振興課長、企画調整課長、久慈地方振興局長などを経て2002年(平成14年)の旧遠野市長選で初当選。2005年(平成17年)の合併に伴う新市長選に無投票当選。現在通算3期目。東日本大震災では市として官民一体の指揮を執り沿岸被災地の後方支援活動を行っている。遠野市出身。65歳。