2013.01.12
ただの復興支援に留まらない物語のあるプロダクトを目指して
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市。つむぎやは「地域に眠る物語に手を添えてカタチにし、それをさしだす人・うけとる人、双方の人生がより豊かになるような関係性を紡いでいく」という理念のもとに、震災で被害を受けた牡鹿半島の漁師のお母さんたちの仕事づくりをしている。
「マーマメイド」と「OCICA」というふたつのプロジェクトは開始から一年が経ち、継続的な見通しが立つビジネスモデルとなった。つむぎや代表である友廣裕一さんは、どんな思いでつむぎやのプロジェクトを始めたのだろうか。また、どんなビジョンを描いているのだろうか。(聞き手・構成/出口優夏)
物語をカタチにするプロジェクト
―― 最初に、つむぎやの理念や現在行っている活動をお教え下さい。
つむぎやは「地域に眠る物語に手を添えてカタチにし、それをさしだす人・うけとる人、双方の人生がより豊かになるような関係性を紡いでいく」という理念のもとで、石巻の牡鹿半島のお母さん方とふたつのプロジェクトを行っています。
ひとつは鮎川浜のお母さんたちによる「マーマメイド」です。漁網でミサンガをつくるというプロジェクトを一年間つづけたのちに、その販売収益とさまざまなところから頂いたお金をもとにして、今年の7月末から「ぼっぽら食堂」という地産の食材を使ったお弁当屋さんをやっています。
マーマメイド;http://mermamaid.com/
もうひとつは牧浜のお母さんたちによる「OCICA」というアクセサリーをつくるプロジェクトです。牡鹿半島に生息する鹿の角と漁網の補修糸という地元の素材をつかって、浜のお母さんたちが一つひとつ手づくりしています。デザイン事務所NOSIGNERによるデザインのもと、現在はピアスとネックレスを各三色ずつ販売しています。ぼくらつむぎやのスタッフは商品プロデュースにはじまり、制作現場の運営、生産管理、営業、PRなどを担っています。
OCICA;http://www.ocica.jp/
恩返しがしたいという思いのもとに
―― 震災復興活動に関わろうと思ったきっかけはなんでしょうか。
学生の頃から、いつか地域に携わる仕事がしたいという思いを抱いていました。そこで大学を卒業したあとに、「ムラアカリをゆく~限界集落・過疎地 日本一周プロジェクト」と題して全国の農山漁村をヒッチハイクなどで巡る旅に出ました。
限界集落や過疎地と呼ばれる地域で第一次産業に携わる人々というのは、どういう人なのか。そして、どんな想いでどういった仕事をして、どういった日常生活を送っているのか。そういったことを自分自身の身体でしっかり学びたいと思ったからです。それぞれの地域にある民家に泊めてもらい、そのお礼として仕事を手伝いながら、全国70以上の地域を訪ねました。その際にお世話になった人が東北にいたこともあり、震災発生後すぐに「現地に入って、恩返ししたい」という思いに駆られたんです。
なかなか現地に入る方法が見つからず考えあぐねていたときに、大学時代からお世話になっていたNPO法人ETIC.の方から、「宮城県内すべての避難所を回って、アセスメントをするプロジェクトの現地マネージャーをやってくれないか」という打診を受け、2011年3月17日に被災地入りしました。
浜のお母さん達との出会い
―― どういった経緯で「マーマメイド」と「OCICA」のプロジェクトが立ち上がったのでしょうか。
最初に始まったのは「マーマメイド」のプロジェクトでした。たまたま担当することになったエリアが石巻沿岸部で、いろいろと回っていくなかで牡鹿漁協の方と出会い、その方から鮎川浜のお母さんたちを紹介して頂くことになったんです。
話を聞いてみると、「震災前は漁師である旦那さんの手伝いをしながら、牡蠣の殻むきやわかめの加工などのパートをやって、そこで得られる現金収入を医療費や養育費に充てることで家計を回していた。でも震災で本業の漁業ができなくなってしまい、加工施設も流されてしまったのでパートもできなくなって、復活の道筋も立たない。どうにか自分たちで手を動かして、5万円くらいの収入を得られないか。」ということでした。
それならば、何かぼくたちが収入づくりのバックアップをできないか、と動き出したのがはじまりまでした。
まず、素材として何が使えるのかを考えるところから始まりました。そこでお母さんたちのうちのひとりが、昔から趣味でミサンガをつくっているという話を伺い、ミサンガを漁網でつくったら面白いんじゃないか、という話になったんです。試しにつくってきてもらったところ、とても綺麗だったので、これは商品化できるんじゃないかと盛り上がりました。
最初は「指が太いからできない」とか「目が悪いからできない」と弱気だったお母さんたちも、一か月ほど練習するとうまくつくれるようになってきました。そして、知り合いからの声かけで四国の音楽フェスティバルに出店させてもらったところ、2日間で500本くらい売れたんです。これで勢いづき、本格的に「マーマメイド」としてのミサンガづくりをスタートさせました。
継続的な収入源確保のために
ミサンガの売り上げは順調でした。しかし、ミサンガのようなチャリティーグッズは震災から時間が経つにつれて売れなくなってしまうと感じていたので、継続的な収入源づくりには適しません。そこで、売上の半分を次の活動への資金として積み立てつつ、具体的に何を行うのかをお母さんたちとともに考えていくことにしました。
すると、お母さんたちからはふたつのやりたいことが出てきました。ひとつは、みんなで集まって作業ができる集会所が欲しいというもの。震災後しばらくは、お母さん方の一人が経営する民宿にみんなで集まって作業をしていたのですが、2011年秋にやってきた台風による土砂崩れで被害を受けてしまいました。
もうひとつは、地産の魚をみんなに振る舞う食堂のようなものをやってみたいというもの。地元で取れる魚の中には、サイズが小さい、需要がないなどの理由から、市場に乗らないものがたくさんあります。そしてそれを、自分たちの家では美味しく調理して食べている。そういった魚を使った料理を、いろんな人に振る舞ってみたいというのは、お母さんたちの震災前からの夢だった。しかし、漁村の女性たちだけでは、建物をつくるお金も集められないし、ということで想いはあっても実現できなかったんですね。
そこで「集まれる場所が欲しい」「食堂をやってみたい」というふたつの想いから話を進めていき、食堂を立ち上げることに。しかし、建物のなかで食べていただくだけでは収支をあわせるのが難しいので、お弁当屋さんとしてはじめることになりました。お母さんたちが自分たちで「ぼっぽら食堂」と名づけました。「ぼっぽら」とは、「急に・突然・準備なしに」といった意味の浜の言葉で、良い意味で計画を持たず日々やるべきことを柔軟に取り組むお母さんたちのメンタリティがあらわれた名前になっています。
こうした経緯で、つむぎやとは別に、お母さんたちが主体の法人「一般社団法人マーマメイド」を設立し、お弁当の販売収益のみで経営を持続させられるところまできました。
地域に眠る素材を活かして
普段はマーマメイドのように「何がやりたい」という内容ありきで動くことが多いのですが、OCICAの場合は素材探しからはじまっていました。
名前の通り、牡鹿半島には多くの鹿がいます。とくに震災直後の車があまり走っていないときは、鹿が山から下りてきていて、「なんでこんなにいるんだ」っていうくらい頻繁に遭遇しました(笑)。鹿角が1年に1回生え変わることは知っていたので、これを使えないかなとずっと考えていたんです。でも、入手方法や加工方法のあてはまったくなかった。
そんなある日、道の駅で美味しい鹿肉の缶詰を見つけたんです。「鹿の加工している人がいるんだ」と思い、すぐに会いに行きました。鹿の猟師で食肉加工業もされている三浦さんという方なんですが、伺ってみると「まあ、とりあえず食え」と、自己紹介もしないうちに美味しい鹿肉をご馳走してくださって(笑)。事情を話すと、「そういうことなら、おれが集めてやる」と地元猟友会の仲間から鹿角を提供して頂けることになりました。また、牡鹿半島の鮎川浜で、趣味で鹿角の加工をしていた方が「そういうことならどこへでも教えに行ってやる」と言って下さって、加工の問題も解決しました。
これで素材の条件は整い、やりたい人がいれば動き出せるという状況が揃ってから、牧浜のお母さんたちと出会いました。もともと、牧浜の女性たちは、ほとんどの方が牡蠣の殻むきをしていましたが、その養殖施設も、加工をする作業場も津波で流されてしまいました。約半数の方の家は流され仮設住宅に、もう半数の方の家は残った。
ここに距離があり、かつてのように行き来するのが難しくなった上、日々支援物資はたくさんやってくる。買い物に行く必要もなく、仕事もなくなってしまったので、とくに一人暮らしの方は家を出る理由がなくなってしまった。それを地域の方々は気にかけていて、かつての牡蠣むきの仕事のように、みんなで集まって仕事ができないか、という状況がありました。
それなら鹿角をつかって何かつくっていこう、ということで、まずは練習も兼ねて鹿角で好きなものをつくろうというワークショップからはじめました。その後、自分たちで考えた鹿角アクセサリーを一度仙台パルコの催事で売らせてもらったのですが、まったく売れなかった(笑)。これはまずいと思い、本格的にデザイナーさんを探し始めました。
一つひとつかたちが違う鹿角をひとつのプロダクトに落とし込むことは難しく、なかなか良いデザインに出会えなかったのですが、紆余曲折を経て、 NOSIGNERの太刀川英輔さんと出会いました。太刀川さんは実際に牧浜に来てくれて、お母さんたちがどういうものをつくりたいのか、どういうものならつくれるのか、ということを引き出すワークショップをした上で、今のOCICAのデザインを提案してくれました。
経営面での成功の秘訣
―― 震災復興事業は収益面で成立させるのがなかなか難しいと思うのですが、つむぎやのプロジェクトはいかがでしょうか。
現在のところ、「マーマメイド」と「OCICA」の両プロジェクトともに順調に動いています。
マーマメイドでは、ミサンガを1,000円という価格設定で販売してきました。今は生産ペースはかなり落ちていますが。売上の半分はお母さんたちの収入に、もう半分は「ぼっぽら食堂」の運営資金に当てています。ぼっぽら食堂のオープン当初は経費が大きかったのですが、満足度を落とさずにコストを下げる方法をいろいろと試行錯誤した結果、2012年10月にはひとつの目標である金額を給料として取ってもらえるところまできました。
一方、OCICAはネックレスを2,800円、ピアスを5,800円という価格に設定しています。それぞれ、1,000円、2,200円が地元に渡るようになっており、それ以外は小売手数料やデザイン料、材料費やつむぎやの運営資金になります。お母さんによってつくる数が違うのでバラバラですが、平均すると月3~5万円くらいの収入を生み出しています。
ぼくたちはお母さんたちに均等にお給料を渡すのではなく、一つひとつの商品に屋号をつけて誰がつくったものかを管理し、それが売れた分の報酬をお渡しするというシステムにしています。お母さんたちがつくったものを代理で預かって、それを委託で販売しているという関係です。商品を一度すべて買い上げてから販売するという一般的な方法では、資金力がないとスタートできませんが、この方法であればその必要はありません。
また、結果的に、つくった人の個性が可視化されることで、買う人によっては魅力に感じてもらえますし、自分の屋号が押されて誰かの手に渡るということでモチベーションも上がります。現場に遊びに来てくれたお客さんが「わたし、○○さんの買いました!」って言ってくれると、やっぱり作った人は嬉しいですよね。
信頼できるところで販売する
―― つむぎやのプロダクトの販売店は非常にお洒落なところが多いという印象を受けるのですが、販売戦略があったりするのでしょうか。
OCICAの場合、もちろんプロダクト自体にも魅力があると思っているけれど、そこに至るまでにある物語をどれくらいお客さんと共有できるかが大事だと思っています。そうすると、規模は小さくても、オーナーさんがいるお店というのが親和性が高い。オーナーさんが一人ひとりのお客様にしっかりと物語を伝えて届けてくれるからです。
OCICAはこれまで、こちらから営業したことってほとんどないんです。制作現場に遊びに来てくれた人や買ってくれた人などが、行きつけのお店の方を勝手に説得してくれたりして、徐々に販売店舗が増えてきました。その結果、ぼくたちが信頼できて、物語を共有してくれるお店が多いという状況になっています。
最近はベネッセのスマイルバスケット(http://shop.benesse.ne.jp/mall/smilebasket/)とコラボレーションして、新色のOCICAネックレスを販売し始めました。大企業の方ですが、すぐに現場に訪ねてきてくれて、ただ売る以上の関係をつくろうとしてくださる。そういう方と一緒に仕事ができると嬉しいですね。
この一年で蓄積された知見をどう活かすか
―― 最後に今後の展望をお聞かせください。
具体的なことはあまり考えていません。ざっくり言うと、「やるべきことで、やれることで、やりたいと思うことをやっていく」ということに尽きますね。この一年でふたつのプロジェクトを継続的な見通しが立つところまで持ってくることができた。体当たり的な挑戦でしたが、これらの経験のなかでさまざまなノウハウや知見が溜まってきていると感じています。
東北の課題は、創業する人をいかに増やせるかだという声をよく耳にしますが、やりようによってはまだまだ可能性が眠っていると思うんです。このふたつの事業にしても、地域に眠っている資源を活用しているため、仕入れコストを低く抑えることができる。ここをうまく抑えられれば、先ほど話したような人件費の扱い次第で、赤字にならないビジネスがつくれるはず。
規模の大きいビジネスは難しくても、地域の人たちが主体的につくりあげて継続的に育てていくスモールビジネスの可能性はまだまだあると思うので、ご縁のあった方々と一緒に何かできないかと考えているところです。もちろん、やる気のある人がいて、ぼくらの条件が整えばの話ですけど(笑)。
また、ぼくはいわゆる“被災地復興”がやりたいと思ってやってきたわけではありません。やるべきこと、やれること、やりたいことの優先順位が高いことをやっていたいという思いで活動しているので、他の地域でもそういったことに出会えれば関わっていきたいと思っています。
すでに動いているプロジェクトでは、高知県室戸市では、市場価値がとても低い小さいカツオが大量に揚がるんですが、それを商品化できないかということで、さまざまな方の力を借りて「コンフィ」というかたちで商品化しました。漁師さんたちが水揚げしたものを、地元のお母さんたちが一匹ずつ手でさばいて、調理して、商品をつくっています。相談を受けたところから、一年経ってようやくプロジェクトが動き出したので、これから少しずつ体制を整えて展開していきたいと思っています。
(2012年12月3日 東向島珈琲店にて)
プロフィール
友廣裕一
大学卒業後「ムラアカリをゆく」と題して日本一周の旅に出る。全国70以上の農山漁村を訪ね、農業・林業・漁業・畜産業などのお手伝いをしながら現地で仕事と暮らしに触れて学びを深める。そこでのご縁により、各地で漁業後継者育成や水産物直販に向けた仕組みづくり、地域の暮らしに触れるツアーや、生産者と消費者をつなぐ青空市などの企画を行う。
3月17日からは「つなプロ」エリアマネージャーとして宮城県入りし、特別な支援が必要な方と専門家をつなぐ活動を行う。その後、支援の行き届きにくい沿岸地域へのボランティアコーディネートを行ったのち、牡鹿半島で手仕事からはじまる生業づくりに特化させる形で「一般社団法人つむぎや」を立ち上げる。