2012.11.27
「My農家を作ろう」方式の放射能測定がもたらしたもの
これから2回にわたって、千葉県柏市において展開されてきた、「安全・安心の柏産柏消」円卓会議による協働的な放射能測定の取り組みの一端を紹介しつつ、その活動の中で事務局長を務めたわたしが考えてきた、いくつかの社会的な論点を検討していきたい。
「安全・安心の柏産柏消」円卓会議の発足から「独自」の測定メソッドへ
東京都心から電車で北東に45分ほどに位置し、典型的なベッドタウンである千葉県の柏市。もう忘れた読者もいるかもしれないが、福島第一原発事故後の3月21日に、放射性物質を含んだ雨が降ったために形成された放射能のホットスポットとして、昨春以来繰り返し報道されてきた街である。若いファミリー層を中心として、柏市を離れる「避難家族」も少なくなく、高度成長期以来ほぼ一貫して増加を続けてきた柏市の人口は、2011年には減少に転じてしまっている。
一方で柏市は、カブの生産が全国1位であるなど、園芸を中心とした近郊農業の盛んな地域でもある。そして、柏産の農産物は千葉県内でも消費者への直接販売の取引の割合が多い、いわゆる「地産地消」がかなり根付きはじめていた街でもあった(*1)。
(*1)「柏市都市農業活性化計画」によれば、もっとも売り上げが多い出荷先として、消費者への直接販売をあげた農業者は、千葉県の10%に対して、柏市では23%と2倍以上にのぼり、調査時点の05年時点ですでに地産地消の取組みが進んでいることがわかるが、この流れはその後さらに拡大傾向にあった。
しかしその流れは、原発事故以降、確実に逆風に晒され、市内の大手直売所は、最大で前年比40%、年間を通して前年比30%もの売り上げ減に直面することになった。そうした中で、2009年から地域の意欲的な若手農業者に声をかけて月1回のジモトワカゾー野菜市を開催し、農家とレストランのマッチングを目的とした農場訪問会などを企画してきた、まちづくり団体のストリートブレイカーズ(以下、ストブレ)の声がけで2011年7月に発足したのが、「安全・安心の柏産柏消」円卓会議である。
わたしは、2005年からストブレに参加しているが、微力ながら柏の地産地消に貢献してきたと自負しているストブレのメンバーたちは、当時ネット上で「風評被害」をめぐってなされていた、消費者と生産者の間の非難の応酬に心を痛めていた。
こんなくだらない罵り合いを、せめて、自分たちの愛する柏でだけは起こさせたくない。まずは、消費者と生産者、飲食店と流通業者、利害も意見も異なる人たちでひとつのテーブルを囲んで、いま心配していることを話し合って歩み寄る。そして、科学的な裏付けを持ちながら放射能問題に向き合い、「顔の見える」信頼関係の回復に向かっていく。そんな協働的な問題解決が、生産者と消費者の距離が近く、住民の街への愛着が強いこの柏でならば、きっとできるはずだ。
そんな思いで立ち上げた円卓会議には、農家4名、消費者3名、流通業者2名、飲食店2名、そして、全国的にもいち早く安価に市民が放射能測定できる施設を柏市内で立ち上げたベクミル(*2)が、参加することになった。
(*2) 放射能測定器レンタルスペース・ベクミルの運営主体は、㈱ベクレルセンター。ベクレルセンター代表の高松素弘は、のちに「市民目線で放射能問題について分析・行動する」ことを目的としたNPO法人ベクまるを立ち上げ、現在ではベクまるとして円卓会議に参加する形になっている。
とはいえ、「とりあえず顔を合わせた」円卓会議の最初の何回かは、重苦しい空気に包まれ、参加者相互の立場の違いを確認し、信頼関係を築くことだけに注力せざるを得なかった。その経緯の詳細は、近刊(『みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』)を参照して欲しいが、2011年秋の消費者アンケート調査で明らかになった「もともと地元農産物を積極的に購買していた層こそが、事故後は買い控えをしている」「買い控え層には、専門家にバックアップされた市民による安全確認・情報発信が有効」という結果を受けて、消費者と生産者の協働による放射能測定メソッドの確立を模索してゆくことになった。
紆余曲折の末たどり着いたのが、まず農地土壌の測定により圃場中でもっとも放射能濃度の高いと考えられるポイントを特定し、そこで生育した農産物の放射能測定をすることで個別農場・品目ごとに安全性を確認することを基本線に、土壌放射能濃度以外のリスク要因もあわせてチェックする測定メソッド(*3)。その測定方式を軸とするきめ細かな安全確認と情報発信のプロジェクト(http://www.kyasai.jp/)に、わたしたちは、幅広い柏市民に「信頼できるジモトのMy農家をつくることを提案」したいという思いを込めて、「My農家を作ろう」と名付けた(*4)。
(*3) 原則として、土壌から農産物への放射能セシウムの移行は、作物ごとにほぼ一定の移行係数に基づいて起こり、農産物の放射能濃度は土壌の放射能濃度の大小に比例するが、ある特殊な条件下においては、移行係数の跳ね上がるケースがあることが知られている。すなわち、1)土壌中の交換性カリウムの量(カリウムとセシウムは化学的性質が似ており、植物の生育に不可欠なカリウムが、土壌中に吸収可能な形で十分に存在していないと、農作物は「間違って」セシウムを吸いやすくなってしまうと考えられている)、2)流入した汚染度の高い水を直接作物が吸ってしまう状況(土からではなく、セシウムが溶け込んだ水からの直接吸収では、非常に多くのセシウムが吸い上げられてしまう)、3)圃場の土質(土質(粘土質、砂質など)によって、土の粒とセシウムとがっちり吸着するかどうか、すなわち植物がセシウムを吸収しやすくなるかどうかがが変わってくる)、4)土壌のpH(農地は基本的にアルカリ性に土を作るが、酸性の土壌ではセシウムが遊離しやすくなるため、ブルーベリーのように酸性土壌を好む作物の場合は特に注意が必要)、といったリスク要因の組み合わせである。「My農家」方式の測定では、地形的・人為的にこうしたリスク要因が発生しやすい圃場の4隅を含む5点の土壌放射能測定で、もっとも放射能濃度が高かったポイントで生育した農産物の放射能測定を行うことを基本線としているが、土壌の触診や農家への営農履歴のヒアリングによって、上記のようなリスク要因が考えられる場合には、適宜当該ポイントの農産物を検体として追加して、安全確認を行っている。
(*4) この測定メソッドは、2012年3月末のSYNODOS JOURNALでも具体的に紹介されている(http://synodos-jp/fukkou/1409/)。この記事は、「My農家」方式による最初期の測定の取材に基づいているが、その後マイナーチェンジされた最新版の測定方式の詳細は、http://www.kyasai.jp/home/ruleを参照していただきたい。
この方式は、第一義的には、「汚染農産物がサンプリング調査をすり抜けている」という、消費者の不安を解消することを目的として採用したものである。前述のアンケート調査を行った2011年秋当時、福島県知事が「安全宣言」を出した後に、当時の暫定基準値500Bq/kgを越えるコメが相次いで発見され、消費者の農産物への不安と、既存の検査体制に対する不信が高まっていたからだ。
その上、柏市においては、福島第一原発の警戒区域でもそうそうないような57.5μSv/hという空間線量が、2011年10月下旬に住宅地にある空き地で計測され、破損した側溝から流れ込んだ雨水中の放射性物質が一か所に濃縮した結果だと説明されたことも、「柏の農地にも超濃縮ホットスポットはあるのではないか」という消費者の連想へとつながってしまっていたのだ。
こうした状況に対処するためのわたしたちの測定方式が、独特な手法に見えるとすればそれは、従来の放射線防護学が依拠している標準的な思想とは、かけ離れた目的意識に基づいているからだ。
圃場の特徴によって、「外れ値」的に汚染された農産物が生じうることは、放射線防護学の専門家も十分に認識している。しかし、消費者が市場から「外れ値」の野菜だけを購入し続けることはありえない。放射線防護学の標準的な考え方では、この市場希釈という過程を前提にするために、地域の代表的な圃場で生産された農産物を、集荷後に抽出して精密に測定すれば十分な安全性の確認ということになる。
この考え方の科学的な合理性は、十分に理解できる。しかし、こうした発想からの測定体制では、福島や柏のような地域の「風評被害」を払拭するには十分ではないと、わたしたちには思われた。スーパーマーケットなどの購入現場では、消費者に食品の産地を選ぶ幅広い選択肢が与えられている。その状況下では、食品経由の内部被曝を気にする消費者が、「外れ」があるかもしれないと思われている産地のものを、あえて選ぶ必然性はどこにもないからだ。
工業製品にたとえれば、1000台に1台不具合があるかもしれない(というイメージを持たれている)会社のエアコンを購入する消費者はいない。ホットスポットと呼ばれている柏で、安全確認以上の安心感を醸成して地元野菜を「選んでもらう」には、工業製品では当然のそうした感覚をベースにして品質管理に取り組むことが、どうしても必要なのではないか。しかし、マーケティングの論理から出てくるこうしたニーズに対しての答えは、残念ながら既存の科学にはなかったのだ。
きめ細かな測定メソッドの意義
放射線防護学の標準的な思想から考えれば、一見無駄だと思えるような「My農家」方式を、農家も含めた円卓会議のメンバーが採用することに合意したのは、この名称にも込められている通り、多様な主体による協働的な放射能問題の克服の先に、「顔の見える関係」の構築という長期的なゴールを見据えていたからだ。その背景と、この方式を導入した結果として、わたしたちが得ることになったものを、少し詳しく見ていきたい。
まず、個別農家の「顔」が見えることをゴールに置く以上、農場ごとの測定と情報公開というラインが、外すことのできない大原則となった。その上で、消費者目線で納得感のあるサンプリング方法として、「農地の土壌から押さえる」ことを選択した。土壌には作物の通常数百~数千倍の放射能濃度がある。そのため、土壌測定に関してはあまり精度の高い検出限界値をとる必要がなく、比較的短時間の測定で、圃場中のどこに相対的に多くの放射性物質が蓄積されているかというスクリーニングが可能になる。これが、この測定方式のコスト面での利点であるが、このメソッドを採用した狙いや、結果的に生じた利点はそれに留まらない。
第一に、「土壌から押さえる」方式を採用することで、集荷済みの野菜からのサンプリングではなく、消費者や飲食店シェフなどの測定ボランティアが農地に訪れての放射能測定と、土壌放射能濃度以外のリスク要因もあわせてチェックすることが必須となる。それは、さまざまな産地と生産者を組み合わせて市場から調達する大手業者には、真似することが難しい安心感を提供し得る。そして同時に、消費者や飲食店にとっては地域の農業の魅力を知る機会であり、農家にとっては顧客のニーズと感覚を知ることで、結果として放射能測定自体が、農と食にまつわる地域の資源と価値を相互に発見していく格好の機会ともなった。
一例をあげれば、4月上旬の測定会でとても興味深いことがあった。このとき、測定対象だったホウレン草はシーズンが終わりかけていた。大きくなりすぎたホウレン草をタダで持っていっていいよーと言った農家さんに、驚きの声を上げたのは、測定に参加していたフレンチレストランのシェフだ。
シェフによれば、フランスのホウレンソウは日本のものよりだいぶ大きい。市場に出回らず、ずっと探していたポタージュに向く大きく肉厚なホウレン草を、柏の足元で見つけたシェフは、笑顔が隠せない様子だった。新しい価値はいつでも、異なる立場と目線の人たちが出会うことで発見され、創出される。放射能測定というネガティブなきっかけでさえ、地域を循環する新しい価値創出の機会になりうるわけである。
第二に、農家にとってこの方式が、自らの農地のコンディションを知り、放射能関連の安全性に関して強い責任感と自信を持った生産をする、強い動機づけになったことも大きい。簡易型のNaIシンチレーション検出器を持ち込む「My農家」方式では、圃場の大きさと分散具合によっては、一軒の農家で30検体以上の土壌を測定することになる。
これはどんなに効率を上げても4時間以上はかかる仕事量だが、数時間の測定を経て漸次農地のコンディションが明らかになっていくうちに、俄然農家の眼が変わっていき、終わるときには「ここまで徹底的に測定してよかった」と例外なく口を揃える。かしわで(地域最大級の農産物直売所で、円卓会議のメンバー)や市農政課主催のセミナーに繰り返し出席することで、放射能被害は決して回復不可能なカタストロフィではなく、科学的な理屈付けで立ち向かうことのできる公害に過ぎない、と2012年の段階にはすでに理解していた柏の意識の高い農家にとって、きめ細かな圃場の汚染状況を知ることは、「セシウムレス」な営農実践への第一歩であるからだ。
土地の傾斜や、放射性物質が吹きだまりやすい人口構造物(ビニールハウスやブロック塀、舗装道路など)の位置によって、わずか50m四方程度の圃場でも3~4倍もの土壌放射能濃度のバラつきがあることも珍しくないのだが、大抵の場合、農家自身がそのバラつきの理由に思い当ることがあるのには、いつも驚かされた。
震災時のビニールハウスの破損状況や耕うん状況・施肥状況などの営農履歴に加え、素人目にはわからないわずかな高低による雨水の流れこみ方や、微地形による風の吹き方など、経験に基づいて把握している圃場のクセと、各ポイントの土壌と生産物の測定データを突き合わせて状況を理解するさまは、農地という複雑系を相手に、微細なノウハウを蓄積して最適化された営農をする「科学者」そのもの。農業者のそのプロフェッショナルな姿は、測定に参加する消費者に対して何よりの安心感を与えるものでもあった。
そして、「My農家」方式を採用した最大のメリットは、きわめて狭い範囲で汚染範囲を特定することができるということだ。円卓会議の測定では、この「圃場の中でもっとも汚染度の高いスポットを特定して、そこで育った作物を放射能測定する」というプロセスで、後述する自主基準値の20Bq/kgを上回る放射能が、実際に農産物から検出されることを数回経験した。
圃場中のリスクの高い濃縮ホットスポットを発見して、そこを「狙い撃ち」していくこのやり方は、確かに第一義的には、消費者に納得感のあるサンプリング方式として採用されたものだ。ただしこれは、しばしば懸念されるように、消費者や飲食店・小売業者のみにメリットがあり、農家側には一方的に酷なやり方というわけではない。土壌と農産物の放射能濃度を突き合わせて把握していくことで、農産物から一定水準以上の放射能が検出された場合でも、その汚染範囲を細かく特定していくことが可能だからだ。
実際に、これまで円卓会議が直面した事例では、一定程度以上汚染されていた葉菜が、震災当時破損していたビニールハウスの角から半径3m程度の範囲や、土質が違うと思われる露地栽培の一畝だけにとどまっていたり、ある特定の株のローズマリーの葉だけが自主基準値を越えていたりというように、非常に限定された汚染範囲を特定することができている。
相対的に高い土壌放射能濃度と、土壌中の交換性カリウムの過少や地形的特徴、農地の隅で起こりがちな耕うんの不足などが複雑に組み合わさった結果と考えられる、自主基準値越えの農産物が発生した要因を、科学的に特定することは非常に困難ではあるが、汚染範囲を特定できるだけでも非常に大きなメリットとなる。農家にとっては、出荷自粛・廃棄処分とする農産物の量を、最小限で済ませることができるからだ。
「汚染食品がサンプリングをすり抜けている」ことが消費者側から懸念される行政の検査で、基準値以上に汚染された箇所の農産物を「たまたま引き当ててしまった」場合には、その農家の生産物全体の出荷はおろか、地域全体の当該品目の一定期間の出荷差し止めが起こり、その後には長期間にわたる大きな「風評被害」が続いてしまう。それと比較すると、きめ細かく汚染範囲を特定していく「My農家」方式は、生産者側にも十分メリットのあるやり方であると言える。
もちろん、行政機関の測定によって基準値越えの検出があった場合には、食品安全法に基づく手続きを踏まなければならないため、地域全体の出荷の差し止めをせざるを得ないわけだが、こうしたごく限定された範囲の汚染の特定と出荷自粛という、消費者・生産者双方にとって合理的なメリットのある措置をとれる「My農家」方式は、民間ならではの身軽さを生かしたものだと評価することができるだろう(*5)。
(*5) なお、「My農家」方式の測定で、2012年4月以降の新基準値である100Bq/kgを越える農産物が見つかった場合には、柏市農政課に報告して、以後は行政的な措置に委ねることを内規として決定しているが、現在までのところ、自主基準値20Bq/kg越えはあっても、100Bq/kgを越える測定結果は経験していない。
「社会」で決めるということ
測定メソッドとともに、円卓会議が避けて通ることができなかったのは、自主基準値の設定である。3月中旬に行われた円卓会議の「My農家を作ろう」サイトのプレスリリースは、国の100Bq/kgへの食品基準値の変更のちょうど直前だったというタイミングの一致もあり、4月に数多く受けたマスメディアの取材の関心は、やはり20Bq/kgという自主基準値に集中した。きめ細かい農地からの測定メソッドや、地域の多様な主体の協働という円卓会議のプロジェクトの本質への理解なしに、20ベクレルという数字だけが独り歩きすることを警戒するわたしたちは、いくつかの取材の申し出を断らざるを得なかったほどだ。
が、円卓会議の自主基準値への見解は、行政との対決などといったインパクトの強いストーリーを作ろうとしがちな、多くのメディアの取材者たちにとっては肩すかしだったようだ。円卓会議は、この20Bq/kgという数字を決して適当に打ち出したわけではないが、何らか医学的な判断根拠を伴った「これなら安心」という意味も、ましてや、政府の基準値を不安視することからの対抗意識も、ことさらに込めているわけではないからだ。
この20Bq/kgという自主基準値は、数か月にわたる熟議を経て、立場の違う多様な主体が異なる利害をすり合わせて決定したものであり、そうしたプロセスの結果出てきた数字であるということのみに、何物にも代えがたい意味があるものだとわたしたち円卓会議のメンバーは考えている。
広く知られてきたように、現時点での科学から見た低線量被曝の影響についての正解は、最終的には「よくわからない」。人類は、広範囲にわたる放射線被害についての経験を、幸いなことに、まだ十分に蓄積していないからだ。そして、科学者の標準的な見解は、人体に対しての実効線量がどの数値を越えると明確に影響が顕れるという「しきい値」のない、線形モデルを採用している。
そこで提唱されるのが、よく知られている国際放射線防護委員会・ICRPのALARA(As Low As Reasonably Achievable:合理的に達成可能な限り低く)原則だ。どこからが危険だと明確に言えない以上、どの基準値をとるか=許容できる範囲をどこと定めるかは、防護をすることの医学的メリットと、防護をすることによる社会的・経済的ディメリットを天秤にかけて、「社会で決める」しかない。
この原則は、まっとうな科学者ならほぼ全員が合意している ―― すなわち、放射線防護基準は結局のところ、科学の領域ではなく社会の領域のマターだと科学者自身が認め、以前から社会の側にボールを投げかけていたわけだ。
円卓会議では、このALARA原則を第一回の会議の添付資料として配布して確認し、この思想を愚直に実践していこうと当初より意識していた。社会で決めるというのは、消費者としての市民のみが集まって、放射線防護のメリットのみを最大化した「ゼロベクレル」を目指していくことではない。利害の異なる多様な主体で構成されているのが社会であることを前提に、一定の放射線防護を実践することでディメリットが発生する可能性のある人々(農家など)の声にも耳を傾け、放射線防護を行うために発生するコストも勘案(円卓会議の場合は、おもに測定業者・ベクミルの見解)した上で、時間をかけて決定していくということだ。
農家にとっては、圃場のコンディションを把握しながら厳しく品質管理をすることで、現在の柏の状況において、決してこれ以上の放射能濃度は出さないという目標にすることができる数値であること。かなり放射能を気にする消費者にとっても、まあこのぐらいなら妥協あるいは「我慢」できるかという数値であること。
実際に地元野菜を店頭に置く小売業者にとっては、商品棚から自由に商品を選ぶことができる消費者に対して、他産地との比較の中で見劣りしない形で提供できる数値であること。そして、測定業者(ベクミル)にとっても、数多くのサンプル数を測ることを前提として、技術的・コスト的に達成可能な検出下限値をクリアできること。利害の異なるすべての円卓会議参加者の立場を尊重し、みんながここでやってみようと折り合えることにこだわったわたしたちは、この20Bq/kgという数値を決めるのに、3回の会議を必要とした。
柏というホットスポット化した地域において、正式な手続きは踏んでいないまでも、多様な利害の人々を集めたある種のコンセンサス会議的な場を作り、そこでの熟議を経て、測定メソッドと自主基準値を曲がりなりにも「社会的」に決定したというプロセスに、わたしたちは胸を張っていいと思っている。
もちろん、円卓会議という「社会」で決めた基準値を、柏市民は誰しも受け入れるべきだなどと思っているわけではない。一定の条件下で社会的に合意された基準値を受け入れて、購買行動の参照点にするかどうかは個人の自由な選択であり、押し付けるべきものではないというのは当然の大前提だ。
それでもわたしは、多様な市民がそれぞれの利害関心を調整することで、放射線防護を「社会化」するこうした試みが、全国的に広まることを願っている。いまだもって、食品安全委員会における専門家の議論を経て国が出してくる基準に対して、高すぎる、いや低すぎるというネット上の言い合いばかりが目立ち、ALARA原則の思想を地道に実践する各地のこうした試みがあまり伝わってこないのは、とても残念なことだ。
ただし、各地でこうした試みが行われたときに設定される基準値は、20Bq/kgより高い場合も、低い場合もありうるだろう。この数字はあくまで、2012年3月の時点の柏の汚染度における野菜の基準値として折り合って合意されたものであり、決して普遍的なものとも、絶対的なものとも考えていない。むしろ、最低限のベースとしての国の基準のほかに、さまざまな地域において、その時点での除染などの対策の進展や対象品目ごとに異なるリスク、それにマーケティング上の必要性などを織り込んで、それぞれの実情に応じた基準値の合意形成を図っていくほうが、本来あるべき科学と社会の関係性に近いのではないだろうか。
プロフィール
五十嵐泰正
筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授。都市社会学/地域社会学。地元の柏や、学生時代からフィールドワークを進めてきた上野で、まちづくりに実践的に取り組むほか、原発事故後の福島県の農水産業をめぐるコミュニケーションにも関わる。他の編著に、『常磐線中心主義』(共編著、河出書房新社、2015)、『みんなで決めた「安心」のかたち―ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年』(共著、亜紀書房、2012)ほか、近刊に『上野新論』(せりか書房)。