2012.10.04
生活保護制度をめぐる神話 ――「働けるのに働かない」を中心に
2012年4月、お笑い芸人の母親が生活保護を受給していたことが女性週刊誌で報道された。その後、生活保護制度・生活保護受給者に関する「バッシング」的報道が続く中で、2012年8月10日、「社会保障と税の一体改革関連法案」が成立した。現在は、厚生労働省を中心に、生活保護水準の切り下げ・利用を抑制するためのさまざまな施策が検討されている段階である。
問題は、バッシングや政策・施策検討が、どの程度、事実を踏まえて行われているかにある。神話や都市伝説の類に立脚していては、現実的に有効な対応は何もできないであろう。本稿では主に、稼働年齢層の生活保護受給者・生活保護利用に対して頻度多く見られる不正確な認識に対し、誤解を解きほぐし、誤解の背景を考察する。
「不正受給」バッシングの罠
最初に、筆者が直接知る生活保護費の不正受給例を紹介したい。
30代、男性。就労を妨げる健康上の問題は全くない。北海道の旧産炭地の母子家庭で生育。父親は、本人が生まれる前に行方が分からなくなった。後に母親は再婚。継父が母親に暴力を加え続ける環境で、高校卒業までを過ごす。高校卒業後の職歴は、通算で7年間程度の不安定就労のみ。就労していない時期はホームレスであったり、セックス・ワーカーの「ヒモ」であったりした。
現在は神奈川県内で、20代の妻と同居。妻が精神障害者であるため、夫妻で生活保護を受給している。妻の障害のため、生活保護費には障害加算が付加されている。夫妻の生活保護受給歴は、既に5年目になる。
毎月初めに支給される二人分の保護費は、毎月、10~15日には使い果たされてしまう。男性がギャンブルに依存しているからである。翌月初めの保護費支給までの期間、日雇い派遣などの短期不安定で収入を得ることもあったが、収入は入り次第、男性のギャンブル代に消えていた。この1~2年ほどは、男性が日雇い派遣で就労することも困難になったため、現金がなくなると妻が売春して対価を得ることが多い。妻は拒否能力が極めて低く、男性の言いなりになってしまうのだ。男性が意図的に、そのように利用できる女性を選んだ結果である。いずれにしても、現金収入はすぐに男性のギャンブルに消費されてしまう。夫妻の生存を支えているのは、男性が万引きしてくる食料品の数々だ。
喧伝される「生活保護費不正受給」の実例の数々と、極めて共通点の多い例であろう。確かに、他ならぬ不正受給ではある。30代という年齢と健康状態を考えれば、就労が不可能ということはなさそうだ。精神障害者の妻を利用した生活保護受給という方法にも問題が多い。そもそも、ギャンブルに依存している男性に現金を渡すことが問題なのかもしれない。男性個人に責任を問う視点からは、責められるべき問題点が無限に見えてくる。
筆者には、不正受給を是とするつもりはまったくない。男性の話を聞きながら、筆者は激しく怒ってしまい、この夫妻との関係を保ち続けることができなくなってしまった。しかし、分かりやすい不正受給に対する分かりやすい怒りは、生活保護制度にまつわる問題を一つでも解決するだろうか? たぶん、そんなことはない。
就労指導は、すべてを解決する?
近年の生活保護費・生活保護受給者急増の原因はしばしば、2008年のリーマン・ショック後、稼働年齢層(15~64歳)の生活保護受給が急増したことに求められている。稼働年齢層であり、なおかつ傷病者でも障害者でもなく就労可能とみなされる人々(生活保護に関する世帯類型別統計でいう「その他世帯」の世帯主)は、確かに急増している。2008年、生活保護世帯に「その他世帯」の占める比率は10.6%であったが、2010年には16.2%に達した。現在も増加していると考えられている。
リーマン・ショック前の状況が反映されていた2008年、「その他世帯」は約12万世帯であったが、2010年には約23万世帯であった。同時期、一年当たりの被保護者総数(一年のうち一時期のみの受給者を含む)は、2008年の191万人から、2010年の234万人へと増加している。この原因をすべて「その他世帯」の増加に求めるのには無理があると考えられるが、雇用状況の悪化に伴い、「その他世帯」が増加していることは間違いない。
主に「働けるのに働かない生活保護受給者」と考えられているのは、「その他世帯」の人々である。生活保護費削減を主張する意見の多くは、「その他世帯」の生活保護受給抑制・就労指導強化が必要であるとしている。一例として、本年8月10日に成立した「社会保障制度改革推進法案」附則を見てみよう。
附 則
(生活保護制度の見直し)
第二条 政府は、生活保護制度に関し、次に掲げる措置その他必要な見直しを行うものとする。
一 不正な手段により保護を受けた者等への厳格な対処、生活扶助、医療扶助等の給付水準の適正化、保護を受けている世帯に属する者の就労の促進その他の必要な見直しを早急に行うこと。
二 生活困窮者対策及び生活保護制度の見直しに総合的に取り組み、保護を受けている世帯に属する子どもが成人になった後に再び保護を受けることを余儀なくされることを防止するための支援の拡充を図るとともに、就労が困難でない者に関し、就労が困難な者とは別途の支援策の構築、正当な理由なく就労しない場合に厳格に対処する措置等を検討すること。
内容はほぼ、不正受給の厳罰化・「適正化」という名のもとに行われる水準切り下げ・就労促進強化 の三点に集約される。特に就労促進強化に関しては
「就労が困難でない者に関し、就労が困難な者とは別途の支援策の構築、正当な理由なく就労しない場合に厳格に対処する措置等を検討する」
と、強く述べられている。このような施策と
「保護を受けている世帯に属する子どもが成人になった後に再び保護を受けることを余儀なくされることを防止するための支援の拡充を図る」
が併記されていることに、筆者は強い違和感を感じる。貧困の世代間連鎖は緊急の対策を要する問題であるけれども、そのことが「子どもたち自身の人生の基盤を強化する」という教育の文脈の中ではなく、なぜ「稼働年齢層の就労強化」という文脈の中に置かれるのか? と。しかし、ここでは「就労促進」がすべてを解決するかのような記述に、まず注目したい。そもそも生活保護制度は、「働けるのに働かない」を助長する仕組みであろうか?
憲法25条と生活保護法の成立
日本国憲法については 「敗戦後の占領政策によってアメリカから押し付けられた」という見方が強い。生活保護法の根拠である憲法25条の生存権規定「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」も、「戦前は、そんなものがなくても、貧しい人々は自助努力によって生きていた。それなのに、GHQに押し付けられた憲法のせいで」と否定されがちである。
しかし、日本国憲法の生存権規定は、1946年2月、GHQから当初示された新憲法案にはなかった。日本の社会思想家・政治家である森戸辰男(当時、衆議院議員)が発案したものである。森戸が必要性を主張した根拠は、ドイツのワイマール憲法にある。第一次大戦で敗戦した後のドイツで、敗戦国の悲惨と、ワイマール憲法が定める「生存権」の重要性を痛感した森戸は、第二次世界大戦敗戦後の日本に、同様の権利規定が必要であると考えたのである。
日本人による新憲法案の検討と並行する形で、1946年2月、GHQから日本帝国に対して指令「SCAPIN775(社会救済)」が発された。そこには、「無差別平等」「国家責任」「公私分離」「必要充足(救済の総額を制限しない)」の四原則が示されている。SCAPIN775を実施するために、生活保護法(旧法)が成立し、1946年10月から施行された。
しかし直後より、解釈・規定に不明瞭な点が多かったことと、1947年5月から施行された日本国憲法との整合性を踏まえる見地から、生活保護法の改正が検討されはじめた。たとえば旧法には「生計の維持に努めない者」「素行不良な者」には被保護権を認めない欠格条項が存在したが、欠格条項に該当するかどうかの判断は恣意的になりがちであるし、日本国憲法第十一条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」との整合性もない。
生活保護法(新法)は1949年に成立し、1950年に施行された。この生活保護法(新法)に対し、「健康で文化的な最低限度の生活とは?」「最低生活費は、どのように計算されるべきか?」という視点から改訂を繰り返した結果が、現在の生活保護法である。近年、制度疲労の問題が指摘される生活保護制度ではあるが、改訂の繰り返しだけで生活保護法(新法)が60年以上も存続している現状から振り返ると、最初の制度設計が極めて「筋の良い」ものであったことは明確なのではないだろうか。
生存権と労働の関係は単純ではない
法律の専門家ではない筆者が法制史・法概念について語ることは、適切かどうか判然としない。しかし、生存権と労働の関係が「生存権などといって甘やかすから、働けるのに働かなくなる」というものではないことは、指摘しておきたい。
災害・飢饉・戦乱などで生存が脅かされた時、「生きたい」と望むのは、生き物である人間の本来の姿であろう。このため、哲学的・宗教的視点からの生存権の主張は、古くから行われていた。「救貧」という形で、極めて不完全ながら生存権を保障する試みが行われてきたことに関しては、各国・各地域の歴史に数多くの例がある。
近代国家の憲法の中で生存権の考え方が示されたのは、1793年フランス憲法である。そこでは
「社会は、あるいは労働を与えることにより、あるいは労働できない状態にある人々に生存の手段を確保することにより、不幸な市民を生活させる義務を負う」
と規定されている。生存権は、労働を補完する位置づけとなっている。この時期に最重要視されていた人権は、経済的自由権である。それを侵害しない範囲で「不幸な市民」の救済を義務付けたと考えられる。明確に生存権を規定した最初の憲法は、1919年に成立したワイマール憲法である。そこには
「経済生活の秩序は、すべての者に人間に値する生存を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない」
と定められている。「すべての者に人間に値する生存を保障」するには、たとえば「徴税されたくない」「搾取したい」というニーズを認めることはできない。そこでワイマール憲法では、上記の文に続けて
「各人の経済的自由は、この限度内において確保されるものとする」
と述べる。勤労の義務については、倫理的義務として規定されている。日本国憲法は
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
と自由権を保障している。さらに生存権が
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
と規定され、
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
と、勤労の権利と義務が規定される。勤労の権利が保障されないところで、勤労の義務を果たすことはできない。勤労の権利と義務が保障された後で可能になるのが、納税である。そこで納税の義務が
第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
と規定される。生活保護受給者に対しては「仕事を選ばなければ働けるはずだ」という意見も根強い。本当に「選ばなければ働ける」ほどの仕事があるかどうかはさておき、「仕事を選ぶな」という要求は
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
に違反している可能性がある。また、生活保護を受給している当事者たちの声や姿に耳を傾けずに行われる制度改変に対しては、
第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
の意味を深く考えるべきところではないだろうか。社会保障制度改革推進法案は手続き的には問題なく、参議院・衆議院での多数決によって成立している。しかしそのことは、当事者たちの人権や主張を軽視してよい理由にはならないであろう。日本国憲法は、「納税してない人たちの取り扱いは、納税している人たちが決めてよい」「マイノリティの人権をどうするかは、マジョリティが決めてよい」とは定めていない。
生活保護法に最初から含まれている経済的自立助長の仕組み
1946年に施行された生活保護法(旧法)は、扶助の内容として「生活扶助」「医療扶助」「助産扶助」「生業扶助」「葬祭扶助」の5項目を定めていた(新法では、さらに3項目が追加されて現在に至る)。注目していただきたいのは、生業扶助が最初から含まれていたことである。
生業扶助は就労の開始・維持に関する扶助である。就労の形態については特に定めはなく、雇用・自営の別は問わない。「就労するための訓練を受ける」「就労のための準備をする」「就労を継続する」の多様な側面を生業扶助がカバーする仕組みとなっている。たとえば「職業訓練のための学費(高校を含む)」「就職活動のために必要な衣服の購入費用・交通費」「通勤・営業用の中古自動車の維持費用」などは、生業扶助によって賄われる可能性がある。
しばしば耳にする「生活保護があるから働かない」という指摘は、生活保護制度が最初から生業扶助を含んでいることを考慮すると、全く当たっていない。生活保護法が最初から含んでいる職業生活支援の仕組みを有効に活かせば、ことさらに「自立支援」と言う必要はないのである。
ただし、生業扶助が本来の効果を挙げるように運用されているかどうかは疑問である。たとえば、「もともとICT系のスキルを有していた生活保護受給者が、自発的な職業能力維持・増大と情報収集のためにパソコンを購入する」という用途には、生業扶助は事実上利用できない。現在就労していない生活保護受給者に対する実際の運用は、「その出費によって確実に生活保護廃止(経済的に自立しての脱却)が可能である場合に限定して、生業扶助の利用を認める」というふうに行われているからである。
生活保護受給者が有している何らかの職業能力は、本人が受けた教育・本人の職業経験・本人自身の努力などによって培われたものである。そこには、納税者の税金をはじめとする多大な社会的資源が投入されている。既に投入された社会的資源を「無駄遣い」で終わらせないための最良の方法は、本人が過去に払った努力が最大限に報われるような就労に結びつけることではないだろうか。
そのためには、本人の職業能力を維持・増大し、可能な限り好条件での就労に結びつける必要がある。そうすれば、本人の就労への意欲は、最大限に高く保たれ、よい実績に結び付けられるであろう。また同時に、「生活保護受給期間をなるべく短縮する」「再度の生活保護受給に至ることを防ぐ」という目的も達せられるであろう。
しかし現在、そのような視点からの支援は「全く」といってよいほど行われていない。筆者はときどき、「いったん生活保護受給者となった人々に対しては、一般職業人より劣位の職業人としての復活しか認めない」という何らかの圧力が働いているのだろうか? と感じる。
「生活保護受給者=働かない」という偏見の背景にあるもの
次に、稼働年齢層の生活保護受給者に対する「働けるのに働かない(それは悪である)」「仕事を選ぶから働けない(それは悪である)」という偏見の根源について、短い考察を行いたい。
稼働年齢層の生活保護受給者は、現在が史上最大比率というわけではない。生活保護受給者の中に「その他」世帯の占める割合は、「その他」世帯を分離した統計データが収集されはじめた1965年に、34%と最多であった。以後、1970年に22%、1975年~2008年は概ね7~10%の間で推移した。
1965年~1970年の日本で起こっていたことは、石炭産業の急激な斜陽化である。1970年に小学校に入学した筆者は、当時の社会が貧困層や生活保護受給者に対してそれほど冷淡でなかったことを、わずかながら記憶している。産業構造の転換に伴い、致し方なく失職した人々が多く、また、誰から見ても、それが分かりやすかったからであろう。
「その他」世帯の比率が低かった1975年から2008年の間には、33年の時間が流れている。この間、生活保護受給者の多くは、高齢者・障害者・傷病者など就労困難なことが明確な人々であった。おそらく、日本人の多くにとって「経済状況の変化によって大量の失業者が発生する」という状況は、33年もの間、直面せずに済んでいたものである。その間に「生活保護は、働きたくても仕事のない人のためのものではなく、働けない人のためのものである」というイメージが定着してしまった可能性は大いに考えられる。
ちなみに現在の状況は、1965年よりも悪化しているかもしれない。1965年、たとえば石炭産業で職を失った人々の多くは、鉄鋼産業などの第二次産業で職を得ることができた。現在、自然な流れで次の職が得られるような成り行きは、多くの産業で期待できなくなっている。
「だから仕事を選ぶな」という声が聞こえてきそうだが、選ばなければ就労できるのだろうか? 「身体さえ動けば出来る」「難しいことを考えなくても出来る」という性格の就労の場は、人件費を低く抑えることのできる海外に移転したり、あるいは外国人就学生などの低賃金労働に置き換えられて久しい。
偏見を土壌として繰り返されるアピール
稼働年齢層の生活保護受給者に対する偏見がどのように形成されたのかはともかく、偏見を土壌として、数多くの主張が行われている。その多くは、根拠が不明瞭である。まず、生活保護費の不正受給を例として、どのように根拠が不明瞭であるかを検討したい。
「生活保護費の不正受給が増加した」というメディア報道に注意深く接してみると、「その自治体で摘発体制を強化した」という背景が示されていたりする。であれば、不正受給そのものが増加しているわけではないので、「摘発数が増えている」と報道すべきである。年度末に増加する道路工事が、道路工事に対するニーズの年間変化そのものを反映しているわけではないのと同様である。
筆者はまだ、不正受給そのものの増加を示すデータを目にしていない。本当に増加しているのであれば、噂話レベルで聞こえてくる不正受給事例も増加しそうなものであるが、「現実的な裏付けのありそうな不正受給の噂が増えた」ということもない。
さらに不可解なのは、「(悪質な)不正受給の増加」という報道に、不正受給された生活保護費の総額と延べ件数しか示されていないことである。たとえば「○市で昨年1年間に不正受給された生活保護費の総額は2500万円、延べ摘発件数50件」という場合、1件あたりの金額の平均は50万円、中央値も50万円となる。
しかし、この中には「意図的な資産隠しと生活保護費不正受給で、家を建てて外車を買った」レベルの悪質な不正も、「生活保護世帯の子どもが高校生になってアルバイトを始めたが、収入を福祉事務所に申告する義務を知らず、多忙なケースワーカーも注意することを忘れていた」という事例も、同じように「1件」としてカウントされている。
もしかすると、「50件で2500万円」の不正受給の構成は
1000 万円 1件(資産隠し)
100 万円 10件(就労収入隠し)
12.8 万円 39件(高校生のアルバイト代申告漏れ)
といったものかもしれない。このような分布であるとすれば、1件あたりの金額の平均は50万円のままだが、中央値は12.8万円となる。ごく一部の、刑事告発されるほど悪質な事例では「○市で総額×千万円」のようにメディア報道が行われるため、個別の事例で不正受給された金額を把握することが可能である。それ以外は推察するしかないのだが、どのような分布になっているかによって、受ける印象が全く異なるのではないだろうか。
同様の問題は生活保護世帯のジェネリック医薬品(後発医薬品)利用促進に関しても見受けられる。「生活保護世帯の医療費は無料なので、生活保護受給者は懐を痛めずに先発医薬品を利用できる。このため、生活保護世帯のジェネリック医薬品利用が進まない」と理解されていることが多い。この根拠とされるのは「2010年生活保護世帯のジェネリック医薬品利用比率は7.0%であった。一般世帯では7.9%であった」といったデータである。
この0.9%の差は「生活保護世帯は、無料だからといって先発医薬品を利用する」で説明できるものであろうか? 背景として、「生活保護受給者の多くを占める高齢者・障害者・傷病者が、治癒困難な病気を抱えており、まだジェネリックが販売されていない医薬品を利用する場面が多い」など、多様な仮説を検討する必要があるのではないだろうか?
さらにいうと、「ジェネリック医薬品の利用を促進すれば、医療費が削減できる」も、どの程度事実であるか明確ではない。ジェネリック医薬品は、先発医薬品より安価であることは確かである。しかし、同等の主成分を含む多数のジェネリック医薬品の取り扱い体制を整備することは、調剤薬局にとって大きな負担である。このため、調剤薬局に対しては、ジェネリック医薬品を取り扱うことに関する報奨的な加算が用意されている。この加算を考慮すると、「ジェネリック医薬品だから安価」とも言い切れない。
もしかすると「生活保護受給者は自分の懐を痛めないからジェネリック医薬品を使わない」という仮説に基づいてジェネリック医薬品の利用を強制することの結末は「生活保護受給者の80%がジェネリック医薬品を利用するようになり、加算を考慮すると、これまで以上の医療扶助支出を強いられた」であるかもしれない。
とはいえ、各自治体や各省庁が、より詳細・より実態把握に役立つデータを進んで公開する近未来は、期待できそうにもない。可能な対策は、生活保護制度・生活保護受給者に対する報道やアピールが行われる時、なるべく相手の意図を正確に読み取る努力をし、それらが自分たちのどのような偏見を前提として行われているか考え続けること程度であろう。
せめて、思考と行動を停止しない努力を
以上、解説したのは、生活保護制度に関する神話のごく一部である。本稿では主に、稼働年齢層の生活保護受給者に対する「働けるのに働かない」という偏見について、実情と偏見形成の背景について解説を加えた。また、不正受給の実態と考えられることがら・生活保護受給者とジェネリック医薬品の関係についても、駆け足ながら、同様の解説を試みた。
生活保護制度に関する神話は、他にも数多く存在する。その一部をここに列挙する。どこが事実でない可能性があるのか、ぜひ、ご自身で考えてみていただきたい。
「生活保護費の負担が、国庫財政を大きく圧迫している」
「生活保護受給者が増加すると、納税者にとっての負担が増大する」
「生活保護水準を切り下げられて困るのは、生活保護受給者だけ」
「生活保護の現物化は、社会保障費削減につながる」
「生活保護水準の切り下げは、国力増強につながり、諸外国との間の問題解決に役立つ」
「生活保護水準の切り下げは、今すぐ実行しなくてはならない喫緊の課題である」
……
最後に、思考停止を求める場面で頻発される「みんなで、もう一度、よく考えてみる必要があると思います」というフレーズを、筆者もまた繰り返したい。ただし、思考停止するためではなく、思考といえる思考を開始し、適切な行動に結びつけるために。「みんなで、もう一度、よく考えてみる」を実行するためには、「みんな」の範囲と「よく考えてみる」の目的を明確にし、「よく考えてみる」のベースとなる事実を共有する必要がある。
「みんな」は、生活保護受給者でない日本人の全体で良いのだろうか? 「よく考えてみる」は、厚生労働省や自民党と同じように考えることだろうか? 考えてみるベースとなるための事実は、私たちの手元に充分に揃っているだろうか? 私たちは、事実に基づいて、現実的な行動の可能性を検討しているだろうか? 神話に基づいて、感情的な行動に走らされてはいないだろうか? それらを再検討した上で、みんなで、もう一度、よく考えてみよう。
プロフィール
みわよしこ
1963年、福岡県生まれ。ICT技術者、半導体分野の企業研究者などを経験した後、2000年より著述業に転身。ノンフィクション全般を守備範囲とする。技術者・研究者としての経験を生かしたインタビュー、その分野を専門としない人に対する解説・入門記事に、特に定評がある。2013年3月、丸善より書籍「ソフト・エッジ ソフトウェア開発の科学を求めて」(中島震氏と共著)、2013年7月、日本評論社より書籍「生活保護リアル」を刊行。2015年3月、丸善出版より『おしゃべりなコンピュータ 音声合成技術の現在と未来』(山岸順一氏・徳田恵一氏・戸田智基氏との共著)を刊行、人と科学と技術と社会について、幅広く執筆活動を行っている。2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。また2014年4月より、大学院博士課程で生活保護制度の研究も行っている。