2012.06.01
生き延びるための「障害」 ―― 「苦しみ」の行き場がない社会
「苦しいこと」と「苦しみ」の違い
昨年(2011年)秋、5日間という短い会期ながらも、静かに熱い、不思議な感動に包まれたアート展が開催されていた。東京精神科病院協会が主催する「心のアート展」である。このアート展は、都内の私立の精神科病院に入院・通院する人々が、主に病院内で制作したアート作品を集めた展覧会である。
近年では、精神科医療の臨床現場でも、治療の一環としてアート活動を採りいれることが広がりつつあり、「アートセラピー」という言葉も珍しくなくなってきている。ただし、病院内でのアート活動はあくまで医療行為の一環であり、生み出された制作物もいわゆる「作品」ではなく、院外に持ち出されることは基本的にはない。場合によっては表現者の心のナイーブな部分に触れる自己表現を、不特定多数の人目に触れる公共の場に展示することには慎重であるべきだとの判断が働くのだろう。
それに比べると、この「心のアート展」は少し主旨が異なっていたように思われる。作品は公募で集められ、2次にわたる審査が課せられている。厳しい審査を通過したという自信であろうか、あるいは日頃の地道な制作活動への自負であろうか、出展者の多くは実名であり、キャプションにもかなり踏み込んだ内容が見受けられた。展示作品数も300点近くにのぼり、いわゆる「福祉展」というイメージには収まらない展覧会であったように思われる。
「うつ」をはじめとした「精神疾患」が国民の「5大疾患」に組み入れられた現在でも、「精神科」に対する偏見の壁はまだまだ高い。しかしながら、実名を付した迫力ある力作の数々は、精神科医療を生活の一部としながら、厳しい社会を生きる人々の「心」の様子を、ぐっと身近に感じさせてくれた。
筆者は研究の都合上、精神障害者の自己表現活動に携わってきた。その縁もあって「心のアート展」にも少しばかり関わっているのだが、実は出展作品の中に、非常に気になって忘れられずにいる一点がある。ハガキサイズのポストカードが真っ黒く塗りつぶされ、数十枚ランダムに組み合わされた作品であった。その作品はどうやら一種の「日記」らしく、一日一日の「思い」を綴っては、誰にも読まれないように塗りつぶしたものであった。ランダムな展示は、そのカードをカレンダーの日付け通りに配列し直したものである。
塗りつぶされた「思い」が、具体的にどのようなものであったのかは想像の域を出ない。ただ、ところどころ大変な筆圧がかけられていることから、それが必ずしも心地よいものでなかっただろうことは察せられる。作者は自作紹介で「過去は白紙にならず塗り重ねられていく。嫌なことも全て白紙にはならない、白紙にしてはならない」と述べていた。心の中の「嫌なこと」は、塗りつぶすという行為によって吐き出され、一時のカタルシスを導くのだろう。しかしながら、塗りつぶされたカードは棄てられることなく、作者の手元に大切に保管されてきた。それは澱のように積もった「嫌なこと」を吐き出すことで心の傷を休めつつも、その傷の疼きも大切な心の一部として飲み込んでいくような、いわば「吐き出す」ことと「飲み込む」こととが背合わせになった表現であった。その作品と向き合っていると、一日一日を生き抜くための切実な「心の息遣い」が聞えてくるような思いがしたのである。
この作品を見ていて、私はふと不思議な感覚にとらわれた。カードに綴った「嫌なこと」を塗りつぶすということは、それらを誰にも見られたくないという気持ちがあるのだろう。しかし塗りつぶしたカード自体は、誰かに見せるために展示されている。(少なくとも、私は一人の観覧者として、この作品が発する存在感に呼び止められたわけであるから、この作品を「見せられた=魅せられた」のである。)この不思議な感覚を、どのように説明すればよいのだろうか。
おそらくこの作品は、「苦しいこと」と「苦しみ」の違いを象徴的に伝えているのではないか。(このように乱暴に整理すると、あの作品の持つ深みを削ぎ落してしまいそうで怖いのだが。)塗りつぶされた「嫌なこと」は「苦しみ」に該当する。私の勝手な想像だが、そこには極めてプライベートな人間関係や、トラブルの原因と結末、傷付けられた具体的なやり取りなどが綴られていたのではないか(少なくとも、私が同じことをしようとしたら、そのような事柄を綴るだろう)。それらの込み入った心の中身は容易に他人に見せられるものではないし、できれば本人も思い出したくないものだろう。
対して、塗りつぶされたカードを展示するという行為は「苦しいこと」に該当する。自分が抱えている「苦しみ」の中身は説明できない(それは複雑な人間関係が絡むから説明できなかったり、そもそも言葉にすること自体が難しかったりする)。しかし、いま自分が大変な状態にあり、「苦しいこと」は分かって欲しい――。人間が直面する「苦」は、このように重層的で複雑なものなのだと、あらためて考えさせられたのである。
「うつ」という言葉への需要
人間の「苦」なるものが重層的なものであることを考える時、私の頭に浮かぶのが、昨今の「うつ」の問題である。「うつ」という病名(あるいは言葉)が、この重層性をあらわす際に、しばしば登場するように思われるのである。
先にも「うつ」が5大疾患に組み入れられたと書いたが、実際に心を病み、専門医によって「うつ」と診断される人は増えている。あるいは専門医から診断は下されていなくとも、自分が「うつ」なのではないかという自覚を持つ人は(自覚の程度・深刻さの差こそあれ)、相当な数に上るのではないだろうか。また最近では「新型うつ」と呼ばれる事例もある。気分の変調が激しく、出勤・勤務時には「うつ」状態となる一方、終業・休業時には溌剌とする新しいタイプの出現が、どうやら「新型」と呼ばれる由縁のようである。
この病気にまつわる差別的な風潮はなかなか消えない。すなわち「やる気がない」「心が弱い」「だらしない」といった「精神的な弱さ」を批判的に捉える風潮である。そのような事情もあって、かつて「うつ」という病名は、自ら公言するにはかなりハードルが高かったように思われる。しかし現在では、「うつ」を病んだ経験をカミングアウトする人も多く、「ストレス社会の被害者」としての側面が見えてきたためか、少しずつこの病気に対する壁は低くなりつつある。
実際に「うつ」という病気を経験した人のカミングアウトとは異なる形で、自らこの「病名」を自己申告する人も多い。つまり、専門的な医療機関にはかかってはいないけれど、「うつかも…」「少しうつっぽい…」といった感覚で、自ら「うつ」を申告する人々である。それだけ「精神疾患」に関する言葉が日常語の中に浸透してきたということなのだろうが、それにしても、あまりにも安易にこの病名が使われてしまうことに対し、「どうしてそんなに「うつ」と言いたがるのか」といぶかしむ向きも当然あるだろう。社会生活を営んでいれば避けられない困難に直面した心の葛藤を「うつ」という医学用語で説明し、自力で解決する努力をしない逃避的な姿勢に違和感を覚える人もいるはずである。
「うつ」という言葉を安易に使うことを非難する向きにも、それなりの理があるのかもしれない。ただ、そのこと自体に目くじらを立てるよりも、やはり、「うつ」という言葉(病名)にそれだけの需要があることに目を向けたい。
「苦しみ」の行き場がない社会
誤解を招かぬよう断っておきたいが、このエッセイの目的は「うつ」という疾患の医学的な解説ではない。むしろ「うつ」という言葉が日常のなかに沁み渡ってきたということ、あるいは、自ら「うつ」という病名を用いることで、自分の「生きにくさ」を語ろうとする人々が増えてきたという点について、筆者の個人的な実感を交えて考えてみることが目的である。
人間の感情表現は、それを受け止める相手との関係性に大きく左右される。「喜怒哀楽」を表現すると言っても、どのような言葉をつかい、どのように表現するのかも、その場・その時の関係性によって決まる。人間関係自体がその時々の社会状況に左右されるものであるならば、結果的に、個々人の感情表現もその影響を受けることになるだろう。
「孤独死」や「虐待」が報道される度に、人が人との関係性の網目からこぼれ落ち、相互のネットワークの成立しない「共同体の崩壊」がしばしば指摘される。それなりの深みを有した人間関係を育んできた「地縁」「血縁」などの枠組みが失われ、人間関係の希薄化とも言える事態が進んでいることも繰り返し指摘されている。職場にせよ、学校にせよ、地域社会(隣近所)にせよ、場合によっては家族でさえ、人々は互いの「プライベート」な深みには立ち入らず、表層的な部分でのみ関係性を構築しようとする。しかしその一方で、コミュニケーションツールの発達と共に希薄化された関係性自体は際限なく広がっていく。いわば関係性の垂直的な深みよりも、水平的な広がりが進んでいるのである。
そもそも、ある人物が抱えた「苦しみ」を理解するには、当人のひととなり、生育環境、あるいは現在直面している入り組んだ人間関係など、多くの事情を知らなければならない。逆に他人に自分の「苦しみ」を分かってもらうためには、それらの込み入った事情を説明しなければならない。しかし水平的な関係性のなかでは、「込み入った事情」を説明するのは、説明する側にとっても受ける側にとっても難しい。そのような「苦しみ」を具体的に説明しにくいのであれば、まずは自分が苦境にいるというメッセージをそれとなく発し、自分が「苦しいこと」を伝えたくなる気持ちが生じるのも故ないことではない。
やや単純化し過ぎるかもしれないが、便宜上、話を「会社」や「職場」といった場に限定してみよう。かつて(一部の男性にとって)職場内の人間関係がすべてであった時代があった。「終身雇用」「年功序列」という形で企業が社員の人生を丸抱えしていたような状況では、職場内の人間関係にもそれなりの垂直的な深みが存在したのであろう(その「深み」のために、会社のために文字通り命を投げ出す会社員がいたり、あるいは定年退職後に「生きがい」を失って苦しむ人が少なくないことを考えると、それが「古き良き」とはなかなか言いにくい)。そのような関係性のなかでは、自分が抱え込んだ「苦しみ」を打ち明け、場合によっては同僚たちにその一端を引き受けてもらうことも、それなりに可能だったのだろう。
しかしながら、現在は「非正規社員」や「派遣社員」の割合も増え、昔のような形で社員を養う余裕などない(発想自体もない)企業も多い。窮屈な「成果主義」を進めるところでは、職場の人々は人生を豊かにするための「付き合い」の対象ではなく、数値化できる「成果」を上げるための、一方的もしくは双方向的な「管理」の対象になりつつある(個人的な感覚だが、この傾向は特に教育現場の教職員の間で特に強くなりつつあるように思われる)。そのような中では、個人が抱えた「苦しみ」を吐き出す場所がないことは容易に想像がつく。
そもそも、職務内容や職場内の人間関係が「苦しみ」の原因となっている場合、その「苦しみ」の内実を吐露して相談することなどできるはずもない。そのような場合、「詳しい事情は説明できないけれど、とにかく自分が「苦しいこと」を察してほしい」というメッセージが必死に模索されることになるのだが、その模索の渦中にいる人の眼には、「うつ」という言葉は、それなりに効果的な言葉として映ることだろう。
現在のように、誰にも余裕がなく、先の見えない閉塞的な社会では、一人ひとりに求められる「できること」のハードルはかなり高い。当然、人にはそれぞれ固有のキャパシティがあるのだが、現代社会はキャパシティ以上のことを求められて味わう「苦しみ」が多い割には「報われる」というカタルシスは少なく、「苦しみ」を分かち合える関係性の幅も狭まっている。「苦しみ」の行き場がない社会に、「苦しいこと」を分かって欲しいという切実なメッセージだけが飛び交うことになる。
「苦の自己表現力」
各種の統計や報道を見ても、実際に「うつ」による休職者の実数は増えている。それが社会問題であることも間違いない。しかしながら、「うつ」によって休職することさえできない人が多いことも事実である。たとえば「非正規」や「派遣」の場合、休職がそのまま失職につながる可能性(危険性)は決して少なくない(「正規」であっても事情はそれほど変わらない)。「うつ」という病気が広く認知され、病名が日常的に口にされる一方で、「うつ」という病名を用いて「苦しいこと」を察してもらいたいというメッセージさえ発せられない人々が存在していることも、同時に付言しておきたい。
また、「うつ」という言葉が人口に膾炙するようになったからといって、「精神科医療」に対する壁が、一般内科などと同等にまで低くなったというわけでもない。やはり、いまだに精神科医療に対する心理的な壁は高い。心の不調を感じてもクリニックを受診することに抵抗感を覚える人は多いし、また周囲の説得によってどうにか診察にまでこぎつけたとしても、処方された内服薬を飲むことをためらう人も多い。
実は、先の「非正規」「派遣」の人とは異なる理由で「うつ」とは言いだせない人(言い出せなかった人)に、時折り出会うことがある。それが「周囲で「うつ」を病んだ人に(あるいは「うつ」という言葉で「苦しいこと」を伝えようとする人に)厳しく対処してきた人」である。このような人が何らかの事情で「うつ」状態になった時、「それまで自分が否定してきた人と同じにはなりなくない」という危機意識が働くためか、「うつ」であることを否定しようと無茶苦茶な頑張り方をし、結果的に、かなり深刻な状態になってしまう場合がある。(このような人は、自分の辛さや苦しさを表現するのが苦手な場合が多い。)
「うつ」という病気が関わることで、自死という悲しい選択をせざるを得ない人は実際に存在する。しかし、逆説的な言い方だが、この社会を生き延びるために、「うつ」という言葉への親近感は心の隅に飼い慣らしておいた方がよい。心身に過度なストレスを受けた人が「うつ」状態となるのは、医学的に見れば「病気」であり「疾患」であるかもしれない。しかし、考えてみれば、傷付けられた心が痛むのは当たり前であり、疲れた心が休みたがるのも当然のことである。「医療」という専門領域の用語を借りなければ(あるいは「医療者」という専門家のお墨付きを得なければ)、「痛い」とも「疲れた」とも言いにくく、また信じてもらえない社会になっているのかもしれない。
この閉塞的な社会は、今すぐに変わるわけではない。変わるわけではない社会の中で、私たちは生きて行かなければならない。(もちろん、そのような社会を変えるために考え、力を尽くすことは当然必要である。)だとすれば、その中で「生き延びる」ための手段を多様化しておくことも必要である。「苦しみ」の持って行き場のない人が、「苦しいこと」を分かって欲しいというメッセージを発するために「うつ」という言葉を選びとることも、緊急避難的にはやぶさかでない。「苦しみ」を分かち合う関係性の深みを喪失した社会の中で「生き延びる」ために、「苦しいこと」を察してもらえるよう、「苦の自己表現力」を備えておくことも必要なのかもしれない。
冒頭の「心のアート展」に寄せられた作品たちは、「苦の自己表現」を模索する貴重な表現の破片であったのかもしれない。
プロフィール
荒井裕樹
2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。