2013.02.12

生活保護基準引き下げについての「解説」

岩永理恵 社会福祉学

福祉 #生活保護基準引き下げ#生活保護#不正受給#相対的貧困

来年(2013)度の生活保護基準改定の方針について、すでに結論は出され、「いまごろなにを言うのか」と思われるかもしれない。あるいは、「なにを言うのか」とすら思われないかもしれない。今回の生活保護基準をめぐる議論は、あまり世の注目をひかなかった。というより、昨年来、生活保護基準引き下げの風潮が強く、結論がみえている話という感じの雰囲気が広がっていた。

本稿で「解説」したいのは、このような世の中の雰囲気と情勢のなかで政治的に保護基準が決まることと、これとは別に(もちろん関係は深い)繰り広げられる保護基準をめぐる「専門的な」議論の関係から、保護基準決定の仕組み、その欠陥についてである。「専門的な」議論とは、今回の場合では、2011年4月に第1回会合、2013年1月に報告書を提出した社会保障審議会生活保護基準部会(以下、基準部会と略す)でなされたような議論を意味している。

わたしの「解説」しようという立場は、生活保護法成立以後の基準策定をめぐる歴史を研究してきた知見によっている。拙著『生活保護は最低生活をどう構想したか』(ミネルヴァ書房)により、現行の生活保護が、制度発足時に発想された貧困概念を、ある意味では誇るべき一貫性をもって保持してきたことを明らかにした。生活保護をめぐる議論の難しさの根源は、その運用の長い歴史についての理解が不十分で、共有できないことにあると考えている。それゆえ厚かましいのだが、歴史を研究してきた立場から「解説」を試みようというのである。

いうまでもなく、生活保護法が掲げる最低生活の保障と自立の助長という目的の意義は大きい。最低生活の中身を示す基準のあり方は、じつは個々人の生活に関わるたいへん重要なテーマであって、本来、広く国民に理解してもらわなければならない内容である。本稿によるささやかな解説が、今後の保護基準のあり方、とくに3年かけて基準引き下げを実施するという厚生労働大臣、政府の決定について、各自で考えていただく材料になれば幸いである。

保護基準決定の仕組みには欠陥がある

生活保護基準とその決定内容について考察する場合に押さえておくべき大前提は、厚生労働大臣が保護基準を決定する権限を持つと、現行法上明記されていることである。ただし、その中身を決定する手続きは明文化されていない。このことは歴史上、繰り返し問題にされてきた。今回の議論をみても、保護基準決定の仕組みの欠陥が、あらためて明白にされている。このことを最初に強調しておきたい。

まずは、歴史的にどのように保護基準の定め方が問題にされてきたか、振り返る。保護基準算定をめぐる議論が注目を集めたふたつの時期を取り上げたい(詳しくは拙著を参照されたい)。

ひとつは、現行法改正時であり、法に基準の定め方をどのように書き込むかが問題になったことである。現行法は、1946年制定のいわゆる旧生活保護法を全面改正したものである。法改正の契機のひとつが保護基準のあり方にあって、法案作成過程で、保護基準の定め方をどう書き込むかは争点であった。法制局と保護課との審査過程で、保護基準の定め方を法律に規定すべきという法制局の真田参事官と、行政の責任で決めるという小山保護課長とのあいだで、白熱した議論がみられたという。国会の審議過程では、決定に国民の声を反映させる特別の審議会を設けるようにという意見もあったが採用されなかった。最初に述べたように厚生大臣が権限を持つ、行政の責任で決めることになった。

ふたつ目は、この厚生大臣の権限の意義を問題化した国会での議論であり、1950年代後半から60年代の話である。当時は高度経済成長期にあって、厚生省は、国民の所得増加に応じた保護基準引き上げに対する必要を明らかにしていた。しかし、その引き上げ幅、保護基準の改定率について、厚生大臣と大蔵大臣の予算折衝の最終段階で決定することが批判の的となった。たとえば、1961年度予算審議後の国会では、保護基準の改定率が厚生省の要求した26%から18%に削減され裁定されたことが議論の俎上に載った。このように厚生省の要求した数字が予算折衝を経て削減されるとは、厚生大臣の基準設定の権限が侵されていること意味すると批判されたのである。

厚生省は、この批判への対応を二方面から図った。まず、開き直って、保護基準が政治的に決定されることを明言した。ただし、改定率の公表は、予算編成とは切り離し、その理屈づけを試みた。他方でこの理屈を考案するために、生活保護専門分科会を設置した。提示されたのは生活保護層に近接する第1・十分位の低所得者層との格差是正を図るべきという考えであり、以後この考え方にもとづく基準算定を「格差縮小方式」と呼んだ。

1960年代後半以降の国会では、保護基準決定という厚生大臣の権限を焦点とした議論に注目が集まることはなくなった。現行の「水準均衡方式」は、1980年代に入ってからの厳しい予算編成状況下で、財政当局に対抗する論理として考案されたものである。その論拠をつけたのは生活保護専門分科会で、保護基準が一般世帯の生活水準と比べてほぼ妥当な水準だとした。ただし、分かりにくいのだが、「保護基準は最低生活費として妥当」とは言ってないという重要な留保があった。生活保護専門分科会の委員の多くは、最低生活の内容にストック(貯金などを含む蓄え、資産)が含まれていないことを問題とし、保護基準があるべき最低生活費であるとは考えていなかった。

相対的貧困観

ところで、現行の基準算定方式である水準均衡方式は、「相対的貧困観」によるものとされる。厚生(労働)省の説明は時期により異なるが、「最低生活水準が、国民の消費水準との比較における相対的なものである」という意味である。今回の保護基準引き下げは、実施が8月とされており、まだ内容が確定されていないため詳細な公式説明はないが、おそらく水準均衡方式の理屈に適うものとして提起されている。このような「相対的貧困観」にもとづく基準算定を検証する場合、「相対的」といって比較した対象の妥当性をみることが必要である。

水準均衡方式採用当時の説明では、「政府経済見通しにおいて見込まれる1984年度の民間最終消費支出の伸び率を基礎として」とある。前節にみたように、保護基準は予算編成のなかで決められ、ある意味で未来を先取りすることになる。それゆえ、基準算定には、過去の家計消費データではなく「政府経済見通し」を参照してきた 。

そこで、「平成25 年度の経済見通しと経済財政運営の基本的態度 平成25 年1月28 日閣議了解」 をみてみよう。これをみると「民間最終消費支出」について、対前年度比増減率が、2011年度実績(名目)0.9%(実質)1.6%、2012年度実績見込み(名目)0.7%(実質)1.2%、2013年度見通し(名目)1.7%(実質)1.6%、すべてプラスである。この閣議了解された資料は、厚生労働大臣の保護基準引き下げの論拠とするには矛盾した内容である。

これは事実として明らかだが、現行制度では基準設定の権限が厚生労働大臣にあるため、論破しても政策決定に影響を与えることはない。とはいえ、もちろん改定の根拠、決定の材料が問われないわけではない。田村厚生労働大臣が今回の保護基準改定の理由としてあげているのは二点である。ひとつは、物価で、「この数年間物価が下がってますから、それを反映をするというのは、これは年金等々でも同じようなことをしておりますし、いろんな部分で同じようなことをしておりますので、これは適当・合理的ではあるのではないのかなというふうに思っています」、逆に国民の消費支出が上がるなら基準も上げるべき、という 。しかし、厚生労働大臣の説明には、参照した物価や消費支出の数値や引用元が示されておらず、検証しようがない。

もうひとつあげているのが、「基準の歪み」を直す、「一般の低所得者の方々の消費動向、これと比べてですね、結果的にこういう形になった」という点である。何を指しているのか不明瞭だが、基準部会報告書を指すのであろう。公表された1月16日には、同報告書を踏まえ、厚生労働省が保護基準の見直しに着手するとの報道が各所でみられた。では、次にこの報告書の内容をみてみよう。

基準部会報告書

基準部会は、その役割が限定されたものである。すなわち「平成21年全国消費実態調査の特別集計等のデータを用いて、国民の消費動向、特に一般低所得世帯の生活実態を勘案しながら、生活扶助基準と一般低所得者世帯の消費実態との均衡が適切に図られているか否か等について、検証」 することである。保護基準のうち生活扶助基準について、一般低所得世帯=年間収入階級第1・十分位層との均衡が図られているかの検証のみが課題である。

ただし、今回は、「年齢階級別、世帯人員別、級地別に基準額と消費実態の乖離を詳細に分析し、様々な世帯構成に展開するための指数について検証」し、前回2007年の検証とは異なる。「様々な世帯構成の基準額を算出する際に基本となる年齢、世帯人員及び地域別の基準額が第1・十分位の消費実態を十分反映しているか」検証している。つまり、水準均衡方式によって決定されるという、保護基準全体を何%引き上げる・下げるという大枠の議論ではなく、それが反映された結果としてある基準額表の構造を検証したのである。

検証結果は多岐に渡り、「このように世帯員の年齢、世帯人員、居住する地域の組み合わせにより、各世帯への影響は様々である」とされた通りである。大雑把にみれば、生活扶助基準は、低所得世帯の消費実態より、単身世帯の基準は低め、逆に多人数世帯は高め、年齢階級では5歳以下と60歳以上では低め、その他は高め、地域では都市部の基準が高め、地方が低め、といった具合である。

先にも触れたように、基準部会報告書の内容がどう活用されて基準設定されるか、現時点では分からない。ただし、すでに述べた物価を根拠とした基準引き下げや、その引き下げ幅に関する報道の根拠が、基準部会報告書の内容から導き出されるものではないことは明記しておきたい。そして、繰り返しになるが、基準部会には何らの決定権限はなく、行政の責任で基準を設定するのである。

では、何のための検証なのか、このように保護基準をめぐる議論をたどってみると、最初に述べたように、保護基準決定の仕組みという問題に帰着する。問題のあることは明らかである。歴史的にみて、基準設定の過程の不明瞭さは明白であり、基準改定の論拠の辻褄すらあわないことがしばしばある。

これにはより深刻な理由がある。それは基準を決定する“誰もが納得のいく決め手”がないことである。前節に述べたように、過去の重要な基準改定次には生活保護専門分科会が関与している。専門分科会は「権威づけ」の役割を担い、同様の役割が基準部会に期待されているのであろう。基準部会では、一般低所得世帯=年間収入階級第1・十分位層を参照して基準を検証したが、これで唯一正しい方法と言えるわけではない。

なにしろ「相対的」なのだ。相対的という場合、何を参照するかで結果は異なり、参照したものの意義づけが欠かせない。他方で、「最下位層の消費水準との比較を根拠に生活保護基準を引き下げることを許せば、保護基準を際限なく引き下げていくことにつながり、合理性がないことは明らかである」 というような批判もある。これももっともな意見と思うが、誰がどのように「際限」を決めるか、“決め手”についての議論から逃れることはできない。

そこで検討すべきは、“誰もが納得いく決め手”をどうやって得ていけばよいのか、その仕組み、ではないかと思う。筆者は、「わたしたちの暮らしにとって、基本的に必要なものとは一体なんだろう?」という疑問から、ひとつひとつ必要なものを積み上げてそれを生活費に換算する共同研究を試みた(くらしのもよう――ゼロから暮らしを考えよう http://kurasinomoyou.com/)。この研究は、必要なものの決定主体を市民に委ねた点に最大の特徴がある。これとて数十人の市民が関与しただけであり、日本全体を代表できるかと問われれば心もとないが、ここに一筋の希望を見出したい。

これから考えたいこと

保護基準の策定の仕組み、2013年度の基準改定に向けた議論をみてきたが、憲法の保障する最低生活を決めるのは、保護基準のあり方だけではない。先に触れた、最低生活の内容にストック(貯金などを含む蓄え、資産)が含まれていなことが問題になっていたことを思い起こしたい。現在も保護開始時の手持ち金が最低生活費の半額であること、原則車の保有は認めないという資産保有限度の厳しさが、保障する生活水準に大きな影響を及ぼす 。その意味するところを具体的に論じていくことは筆者の課題である。

そして、はじめに触れた点、最低生活の中身を示す基準のあり方は、じつは個々人の生活に関わるたいへん重要なテーマであることを再度強調しておきたい。最低生活とは、生活に困った誰か特殊な人のためにある概念ではない。生活保護は「最後のセーフティーネット」といわれるが、これは、国民全体の最低生活を下支えしているという意味である。保護基準が下がることは、国民全体に保障される生活の最低限が下がることと同義である。他方で、生活保護が「最後のセーフティーネット」として機能するには、生活保護以外の制度が十分に機能することが大前提である 。

保護基準決定の仕組みという問題、基準を決定する“誰もが納得いく決め手”はない、という話は、じつのところ政策過程、ひいては民主主義制度の問題である。保護基準決定の権限と責任とは、どうして果たされたことになるのか。基準決定の権限は厚生労働大臣にあるが、文字通り身を切るというような責任をとらされるのは、少なくなった生活費で生活を切り盛りしなければならない生活保護受給者であり、基準が下がることによって生活保護を受給できない低所得者である。困窮する人びとと、その存在を目の当たりにしている人ほど憤りと落胆は大きいのに、それを昇華する経路はみあたらない。それゆえ、これらの人びとを含む市民が関与して、最低生活を考える仕組みに希望を見出したいと考えるのである。

プロフィール

岩永理恵社会福祉学

2007年東京都立大学大学院社会科学研究科修了。博士(社会福祉学)。現在、日本女子大学に在職。貧困問題や最低生活研究に関心をもち、社会福祉、社会政策について研究。主著に『生活保護は最低生活をどう構想したか』(2011、ミネルヴァ書房)、『最低所得保障』(共著・駒村康平編著、岩波書店、2010年)。社会事業史学会第30回社会事業史文献賞、社会政策学会第18回(2011年)学会賞奨励賞及び日本社会福祉学会第9回(2012年度)奨励賞(単著部門)

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