2014.08.05

精神障がいを抱える親と暮らす子どもたちに必要な支援とは

土田幸子 親&子どものサポートを考える会

福祉 #精神障害

看護師として児童精神科に勤務する中で、親の不安定さに翻弄され調子を崩す子どもがいた。また教員として関わる学生の中にも、遅刻や忘れ物が多かったり、家の話題になると日によって話すことが変わる学生がいた。このようなことから、親のメンタルヘルスの問題は子どもの生活にも影響を与えるのではないかと考えるようになった。

しかし、こうした子どもの存在は、あまり知られていないように思う。なぜ、取り上げられないのか。そして、子どもの生活はどうなっているのか。こうした疑問がわき、2009年から、“精神障がいを抱える親と暮らす子ども”の支援に取り組み始めた。

増加しつつあるメンタルヘルスの問題と現状

精神的不調を主訴に医療機関に受診している患者の数は、近年大幅に増加し、平成23年は320.1万人と、平成17年以降、300万人を超える状況が続いている[*1]。

[*1] 厚生労働省 みんなのメンタルヘルス総合サイト:精神疾患に関するデータ‐精神疾患による患者数,http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/data.html,2014.4.29

それに伴って、精神障がいを抱える親の元で育つ子どもの存在も増えていると考えられる。古いデータになるが、2002年に川崎市が行った調査では、精神障害者福祉手帳を有している人の25%[*2]に、2004年に全国の患者会・当事者会に行った調査では対象者のうち17.5%[*3]に子どもが存在していた。社会で“精神障がい者の子ども”と認識されることはあまりないが、実際には、そうした子どもは想像以上に多いことが予想される。そして、当然のことだが、子どもの存在が認識されていないということは、子どもへの支援もほとんど実施されていないということになる。では、これらの子どもは支援を必要としていないのだろうか。

[*2] 川崎市精神保健福祉ニーズ調査委員会(2003):川崎市精神保健福祉ニーズ調査報告書,財団法人神奈川県社会復帰援護会.

[*3] 精神障害者九州ネットワーク調査研究委員会(2005):精神医療ユーザーアンケート報告ユーザー1000人の現状・声,精神障害者九州ネットワーク調査研究委員会.

精神障がいを抱える親の症状のうち、例えば、やる気が起こらない(意欲低下)、考えがまとまらない(思考・集中力の低下)、イライラする、幻聴、妄想などは、身体に現れる症状と違って目に見えづらいため、他人には理解されにくく「怠けている」、「何を考えているのかわからない」と誤解を受けやすい。また、これらの症状は、家事や育児、自分の身の回りのことができなくなるだけでなく、「誰かに悪口を言われているのではないか」という妄想から、人との交流を避けたり、相手の意図を汲み取って臨機応変に対応することができなくなったりするため、対人関係や社会活動にも支障をきたしやすい。

成長発達の過程にある子どもは、大人の保護や養育を受けて成長していく。親が歪んだ認知(物事の捉え方)や他者とのつきあい方をしているとしたら、子どもたちは、そうした養育環境に影響を受けることも稀ではない。

子どもたちは支援を必要としていないのではない。おそらく、テレビに現れる家庭や友だちの家をみて、自分の家庭環境との違いに違和感を覚え、「普通の家ってどんな生活なんだろう?」と疑問を持つようになっても、家族そのものが地域から孤立していることも多く、人に直接聞くこともはばかれたのだろう。障がいを持つ親との生活に困りながらも、家の状況を外部の者に知られることや家の中に人が入ることを避けるため、支援を求めることができなかったというのが現状なのではないだろうか。

子どもが着目されなかったのはなぜか?

こうした子どもたちがこれまで着目されなかった一番の理由は、子ども自身が自分の生活体験や思いを語ってこなかったからだと考える。しかし、私が調査や支援を行う中で、障がいを持つ親自身や家族から家のことを人に話してはいけないと言われていた子どもは意外に少なかった。何かおかしいと感じながらも何も説明されない、大人の誰もが触れようとせずに隠そうとする雰囲気に、「子どもが関与してはいけないことなんだ、隠さなければいけないことなんだ」と感じ、“語ってはいけない”と、セルフスティグマを強めていったのではないかと考える。

家の状況を外部の人に知られてはいけないと思うこれらの子どもは、学校でも地域でも、家の状況に気づかれないように普通を装っている。自分に自信がないため、自分の家の状況、親のこと、自分のことについて「あなたはどう思うの? あなたの家はどうしているの?」と質問されないようにひっそりと存在を消しているのである。そのため周りの大人はこうした子どもの存在や子どもの生活状況に気づかないのである。

子どもが外部の人に気づかれないように適応的に振る舞うとはいえ、私が学生の様子から違和感を感じたように、子どもの身近に存在する学校の教師などの中には子どものサインに気づいていたものもいるかもしれない。それを積極的に取り上げなかったのは、周囲の大人に精神障がいに対する知識がなく、どう対応して良いかわからなかったからではないかと思う。

人は誰でも自分の知らないこと・よくわからないことには手を出したがらない。教師が子どものことで気になることがあっても、それを伝えることで親が不安定になったり、意図した通りに伝わらなかったりすると、「あの家族だから仕方ない」と諦め、気になる子どもの行動もそのままやり過ごしてしまうことがあるのではないか。また、教師という立場上、親の不安定さに影響を受ける子どもに気付きながらも、親の問題であるがゆえに立ち入れないために、見て見ぬふりをしてきた状況もあるように思う。

では、親の受診先である医療機関の者は、子どもの存在をどのように捉えているのだろうか。結論から言えば、子どものことはあまり眼中になかったようである[*4]。診療の中心は障がいを持つ親本人なので、子どもに関心が向かないのは仕方がない。しかし、診療場面で焦点が当てられるのも、「眠れているか、調子はどうか、副作用は出ていないか」など症状の変化が中心で、障がいを持ちながら家や地域でどのような生活を送っているのかという“生活状況”の聴取はあまりされていないように思う。この辺りを具体的に聞いていかないと、子どもへの影響は見えてこないと思われる。

[*4] 土田幸子、長江美代子、鈴木大ら(2011):精神に障害を持つ親と暮らす子どもへの支援‐「精神障害の親との生活」を語る講演会の開催と参加者の反応‐,三重看護学誌,13,155-161.

また実際に私自身が、医療機関で働く医師に言われた言葉であるが、「子どもに接近し介入することは、落ち着いている子どもの心をかき乱すのではないか」との懸念から敢えて子どもに接近しなかった側面もあるようである。しかし子どもは、家の状況に気づかれないように適応的に振る舞っていただけで、落ち着いていたわけではない。何が起こっているのかわからない不安を抱え、「○○してもらえないのは私のせい?」と自分を責めたりしていた。障がいを持つ親のことについても、親の障がいのことを知りたいと思っていたし、子どもの力ではどうすることもできない親の症状を、誰かが医療に繋げて欲しいと願っていたのである[*5]。

[*5] 親&子どものサポートを考える会「全国版 子どもの集い・交流会」(2013)で実施したアンケート調査の結果

障がいの説明を受けていない子どもたち

私が子どもの立場の方(既成人)34名に行ったインタビュー調査でも、医療者や他の家族から病名も含めて説明されていた者が10.5%、障がいを持つ親自身からつらさや家事等ができない理由として聞いていた者が23.7%と、子どもが理解できるような説明を受けていた者は少なく、65.8%の者は何も説明を受けていなかった。

精神障がいの親の抱える症状は、“寝てばかりいる”、“呼びかけても反応しない”、“急に怒り出す”、“独り言を言う”、“ありもしないことを言う”など子どもの目から見ても、普通とは違う奇異な行動にみえる。本来、疑問に感じたら「友だちの家と違うのはどうして?」と質問すると考えられるが、障がいを持つ親のことは家庭内でも触れられない話題であるため、聞くことができない。訳がわからないまま、障がいを持つ親に合わせた生活を強いられ我慢させられることも多く、理不尽さを感じたり、大事にされない状況に「私のことなんて気にかけてくれない」と孤独を感じ、自分に否定的な感情を抱いていた。

これらの子どもはよく、「普通がわからない。けれど、他の家とは違うことに気づかれそうで、ずっと人に合わせ、“普通”を振る舞ってきた。」、「誰かに教えてもらったわけじゃないし、自信がない」と言う。

子どもは周囲の大人から「大丈夫だよ、それでいいんだよ」と承認され認められることによって、より大きな社会へと踏み出していく。これらの子どもは、その承認される機会が親の精神障がいという症状によって奪われていたことが多い。これは、親が怠慢だったり子どもに愛情がなくできなかったわけではない。子どもの欲求を感じ取りそれにすばやく愛情豊かに応えること、適切に反応を返すことができなくなるのは、精神障がいの症状なのである[*6]。

[*6] 岡田尊司(2011):シックマザー‐心を病んだ母親とその子どもたち‐,筑摩書房.

しかし、それが病気によるものと説明されていない子どもたちは、「私が悪い子だから……」と自分を責め、「愛されよう、受け入れられよう」と努力し、親の要望・期待に添う“いい子”として自分の希望や感情を押し込めて生活していることが多い。

家族がケアするのが当たり前の制度と子どもゆえの苦悩

多くの子どもたちは、いつの間にかケアを担う人になっていたと話す。精神症状の特徴として、ご飯を食べたり、身だしなみを整えたりといった日常生活行動に関心が向かなくなってしまうことがあるが、自分で身の回りのことができなくなった親を放っておけなってしまうからである。

他にも放っておけなくなる背景には、何が起こっているのかわからない不安から親のことが心配で傍を離れられないという面があるように思う。知識(情報)や社会経験、まとまった金銭を有する大人は、状況を把握して必要な支援を求めることができるが、子どもの場合、何をどこに相談すればよいのかわからない、親を医療に繋げるにも、自分が家を飛び出すにもお金がない……、結局のところ、現状を維持する生活を続けるしかなかったのだと思う。

2014年4月に精神保健福祉法に記されていた保護者制度が廃止されたが、主に家族が担ってきた保護者には、精神障がい者を医療に繋げさせることが義務づけられていた。このことからわかるように、日本の法制度では、障がい者のケアは家族が担うのが当たり前と認識されてきたように思う。しかし、この保護者になり得る順位も、(1)後見人・保佐人、(2)配偶者、(3)親権を行うもの……と規定されており、子どもが保健所等に親のことを相談に行っても、健康な親の同意がない状態で医療に繋げることが難しかったと話す。子どもゆえの困難がここにもあるように思う。

親‐子の関係は、一般的に“子どもは親の養育や教えを受けて育つもの”との認識があるように思う。当然、障がいを持つ親も子どもも、同様の認識を持っていることが多く、立場上、子どもから親に「病院に行った方がいいよ」と伝え行動を促すことは難しく、また親にとっても受け入れがたいという状況にある。

これは、受診に限ったことではない。症状によって家事等が満足にできなくなった親に代って食事を作っていた子どもも多い。家事を担い始めた理由は、親の状態を見かねて、病気でない親に頼まれて、自分やきょうだいが生活するために……など様々であるが、子どもが望んで家事を担っていたわけではない。本をみたりしながらやり方を覚え、自分でつけた力なのに、親から「○○ちゃんは料理が得意でいいわねぇ……」と羨ましがられたりすると、「どうしてそんなこと言われなきゃいけないの。上手に作ることもお母さんを苦しめることなの?」と苦悩する。社会で広く捉えられている親子関係とのギャップに苦しみ、また、そうした苦悩を感じながら生活していることに気づかない親の言動に傷ついたりしているのである。

同じ状況にありながらも症状に巻き込まれにくかった子どもたち

一方で同じような状況下で育ちながらも、親が示す症状に比較的巻き込まれずに、自分らしさを持って生活できていた子どももいる。そこに関与していたのではないかと思われる要素を挙げると以下のようになる。

1つ目は、“家庭内がオープンであること”が挙げられる。こうした家庭では、家の中で普通に病気のことも話されるので、子どもたちも「隠さなければ」という意識を持つことなく育つ。また、親が医療機関に受診したり、周りの者に相談する姿もみているので、「困ったことがあれば相談すればいいんだ。恥ずかしいことではないんだ」と学習し、必要な支援を求めたり、「大学に進学したいけれど家の経済状況だとどうすればいいのか考えて欲しい」と自分の希望を伝えることができていた。このように、隠さなくても良いことは親の症状を“誰でもなり得る病気”と捉え、自分のやりたいことをめざし、自己主張できる強さに繋がっていた。

2つ目は、“精神的なサポートがあること”である。他の家族員や教員など自分の気持ちや状況をわかってくれる大人や、否定せずに認めてくれる大人が存在していると、子どもは自分のことを否定的に捉えなくてすむので、臆することなく行動できるようになる。精神的支えになる相手は、障がいを持つ親自身でもよく、症状で子どもの世話が満足にできなかったとしても、子どもに関心を向け、子どもが「大事にされている、受け止められている」と感じられることで、子どもは自分に肯定的感情を持つことができ、活力となっていくのだと考えられる。また、健康な(病気ではない)同性の親モデルが存在していることも、家庭内で自分の取る対応を学ぶ機会になり、子どもの混乱を軽減できていたように思う。

3つ目は、“障がいの説明を受けていること”である。これまで述べたように、多くの子どもは、親の状況を説明されておらず、また周りのそのことを隠す様子に、何が起こっているのか、これからどうやっていくのかわからない不安を抱えて生活していた。当たり前のことだが、“障がい・脳の病気”として説明されると、「なりたくてなったわけじゃない、誰もがかかる可能性がある病気だから仕方がない」と病気から距離を置いて見ることができ、自分を責めることがなくなる。また、症状悪化にも気づきやすく、適切な対処ができることで、心配や不安を軽減することに繋がっていると考える。

4つ目は、“家庭外の活動に没頭すること”で、障がいを持つ親や家のことを忘れて楽しむ時間を持つことである。家に居るのがつらかったと家庭外で過ごすことを選択できた子どもも居たが、多くの子どもは、「自分の時間を持ってもいいんだよ。自分を大事にしてもいいんだよ」と言われても、親や家のことが心配でなかなか離れることができなかった。そうしたことからも、これを成り立たせるためには、家事等を担ってくれる存在が必要となる。そういう支え手がいてこそ、外での活動に没頭でき、病気から物理的に距離を置くことができると思われる。

5つ目は、“今の生活を変えたい・安定した生活を守りたいという思いを持つこと”である。自分より幼いきょうだいの存在などがあると「私が守らねば……」と感じ、状況を客観的に捉えることで、症状に巻き込まれにくくなっていたように感じる。更に年齢が大きくなると、「今のどん底のまま、人生を終わらせるのは嫌だ」と考えたり、動けない親に「暴力を振るい続けていていいのか?」と自分を振り返って考えることで、現状を見つめ直し、客観視することで、病気から気持ちの上で距離を置くことできていたように思う。

親&子どものサポートを考える会で行っていること

私たち『親&子どものサポートを考える会』[*7]では、これらの子どもの思いを受けて以下の活動を行っている。

[*7] 親&子どものサポートを考える会:http://www.oyakono-support.com/

孤独な子どもたちを繋ぐ活動として、月1回の頻度で、子どもの立場の者が集い、語り合う場(三重 子どもの集い・交流会)を開催している。親の存在をカミングアウトしてこなかったこれらの子どもは、同じ境遇の者と知り合う機会もなく、自らの生活状況や思いを語る場を持たなかった。語り合いの場で、同じような体験をしていた仲間がいたことを知り、また自分の思いや体験が受け止められる経験を経て、「私だけじゃなかったんだ」、「私の感じ方で良かったんだ」と感じ、自己否定的だった捉え方を和らげることができていた。

また、“普通”にこだわり、人に合わせてきた子どもたちが、同じ境遇の仲間とやり取りをすることで、違いがあること・違いがあっても良いことに気づき、「自分で枠にはめていたんですね」との言葉も聞かれるなど、自分自身の気づきにもなっていた。

しかしながら、こうした語りの場が開かれているのは現在、三重と京都[*8]の2か所しかなく、参加したくても参加できない人も多い。そこで、私たちの会では年に一度、交通の便の良い都市(2013年東京、2014年は名古屋の予定)で『全国版 子どもの集い・交流会』を開催したり、参加したくてもできない方が他の人とやり取りできるように、ホームページ内に掲示板を設けたりしている。

[*8] 公益社団法人京都精神保健福祉推進家族会連合会:精神障害の親を持つ子どもの集い

子どもたちの思いを伝える活動として、一般市民を対象とした講演会を開いたり、子どもを身近で支える立場の者(学校の教員や保育士、地域の民生委員・児童委員、医療・福祉機関のスタッフなど)を対象とした支援者研修を企画し、開催している。こうした研修を通して、親・子の理解を図り、親子が困った時に支援を求めやすく社会になるようにと考えている。

親が調子を崩すと心配で子どもが離れられなくなるように、こうした親・子への支援は、親支援・子ども支援が同時に行われないとうまく行かないように思う。そのため、今年5月に親支援・子ども支援に携わる者の情報交換会を開いた。私たちの会もだが、それぞれの機関でできることには限界がある。支援を行き渡らせ、親・子が安心して支援を求められるようにするためには、支援者同士が繋がり、情報交換・連携しながら進めていくことが不可欠だと考えたからだ。たった1回の情報交換会では何ができたかわからないが、周りの理解が得にくく、大きな変化が見えない状況に支援者も焦り、不安や孤独を感じる。この情報交換会はそのような支援者の孤独を癒し、他も頑張っているのだから自分たちも頑張ろうと支援者の士気を高める効果があったのではないかと思う。

子どもの発達や状況に応じた支援を……

親支援・子ども支援は同時にと記述したが、子どもへの支援は子どもの認知発達や状況に合わせることが必要だと考える。小学校低学年ぐらいまでの子どもは、親子で過ごす時間も多く、家庭内の状況を違和感なく受け止めていることが多い。この時期は家庭を訪れる機会のある訪問看護師や地域の民生委員らが、親・子に話しかけ、親が支援者に頼る姿に触れておくと同時に、自分自身に関心を持たれる体験をしておくと、将来、困難に遭遇した時に、相談してみようという気持ちになり、支援が求められるのではないかと思う。

小学校中学年~中高校生の年代になると、友だちの家とは異なる家の様子に、障がいを持つ親のことを隠そうとする気持ちが生じる。何も問題がない素ぶりを見せながらも、気にとめて欲しい、気づいて何とかして欲しいという思いも持っている。不用意にクラスで声をかけたりすることは、人に知られたくないという子どもの気持ちを侵害することになるため避けなければいけないが、子どもが困った時に支援が求められるようにするためには、日頃から関係が取れている身近な支援者が、子どもに関心を示し、応援する気持ちで見守り続ける関わりが必要であると思う。

また、この年代になると、様々な症状を示す親の行動が何であるのか、親の身に何が起こっているのか疑問に感じる。多くの子どもが「何が起こっているのか、本当は知りたかった。きちんと説明して欲しかった」と言われたように[*9][*10]、何も説明されないことが子どもを不安にさせる。現在、子ども向けに作られた親の病気のことを学ぶための物は、小学生年代の子ども向けに「あなたのせいじゃないんだよ」、「様々な症状は病気によるもので、治療すれば治るんだよ」と伝えるプルスアルハ[*11]の制作する絵本のみである。子どもの病気のことを知りたいというニーズに応じるための準備が必要であるように思う。

[*9] 土田幸子(2013):『親&子どものサポートを考える会』を設立して,統合失調症,6,41‐49,医薬ジャーナル社.

[*10] 土田幸子(2013):親が精神障がいである子どもたちへの生育支援,精神科臨床サービス,13(3),337‐340.

[*11] プルスアルハ:http://pulusualuha.p2.bindsite.jp/

子どもが自分の体験や思いを語ろうと思えるようになるのは、ある程度、状況が客観視できるようになった成人前後からのようである。親から自立し、社会と触れる中で感じる疑問や葛藤を他の人はどのように感じているのだろう?この生きづらさは何に由来するのだろう? と感じた時に、同じ境遇の他の人の思いに触れたくなるようである。三重で行っている子どもの集い・交流会がこの役割を果たし、子どもの頃の満たされなかった思いや傷つきを癒す場になっているように思う。

このように子ども支援は、子どもの成長や感じ方、ニーズに合わせながら、寄り添うことが必要なのだと思う。

プロフィール

土田幸子親&子どものサポートを考える会

看護学校卒業後、1986~ 看護師として三重県立小児心療センターあすなろ学園に約15年間勤務。その後、看護専門学校の専任教員を経て、2001年~2014年3月まで三重大学、2014年4月~鈴鹿医療科学大学看護学部で精神看護学担当教員として、学生の指導や教育に携わる。臨床経験や学生との関わりから「精神的に不安定な保護者のもとで育つ子ども」への支援の必要性を感じ、2009年に「親&子どものサポートを考える会」を設立。こうした親御さんの元で育つ子どもの支援を行うと共に、支援の必要性を伝える活動を行っています。

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